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読書会BBS

 
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▼ 夕映えの羊蹄山   [RES]
  あらや   ..2009/09/03(木) 03:16  No.168
  選挙のあった日の勤め帰り、ふと羊蹄山を振り返るともの凄い夕焼け。これが出ると、北国の短い夏の終わりをしみじみと感じます。小樽の夕焼けは、天狗山や赤岩の向こう、オタモイの空に遠く広がっている感じなんだけれど、こっちのは、山がデカく間近に聳え立っているだけに、さらにその山より高い空が直に燃え上がっているような、なにか異常事態っぽい迫力がありますね。

そのものズバリみたいな本があります。本山悦恵さんの小説「夕映えの羊蹄山」。フォーユー出版、1996年の刊。地味な造りの本だけど、中に収められている短編「雪灯り」という作品が私は好きで、時々図書館から借りてきては読み返します。(今回も、カッコいい写真が撮れたのがうれしくて、つい読み返してしまった。変な時間に目が覚めてしまって、どうしようか…)

「雪灯り」は、小林多喜二「東倶知安行」と同じく、「キョウゴク線」の描写が出てくる点でもちょっと興味深いのですね。いつか、スワン社資料室の方でも扱ってみたいと思っています。



▼ 羆撃ち   [RES]
  あらや   ..2009/08/17(月) 19:57  No.166
   すべての猟が二月一五日で終了すると、春熊猟の始まる三月末まで山暮らしの生活は一時休みとなる。小樽の実家に戻ることにした。
 人の声、顔。街の音、車の音。それにテレビ。懐かしく珍しく思えるのも最初の数日問だけだ。すぐに飽き、うるさく感じられてくる。尾根を渡る風の音、テントを揺する吹雪の音、増水した川の音をそんなふうに感じたことはない。街に一、二週間もいると音の多さに、耳に栓をせずには寝られない。街に充満するドブの匂い、食べ物の匂い、人の匂い、排気ガスの匂いで鼻の付け根から眉間にかけて痺れたように痛くなる。ハンターを生業とするようになって以来、山暮らしで、感覚が鋭くなってきているようだ。いつのまにか時計も使わなくなった。陽の高さと、自分の体内時計で何も不自由を感じない。特に聴覚と嗅覚が敏感になった。
(久保俊治「羆撃ち」/五章 五感の覚醒)

(本は読んでいるのだが…)BBS冒頭の「捏像」スレッドを見るといつも心が萎えた。小樽を名乗るHPを運営している人間としては恥ずかしさの限りです。(鈴木志郎まで入れた親子像というのが、本当に堪える)

「羆撃ち」は、私が次に進むための、なにかの力をくれた本として忘れることはないでしょう。ありがたかった。こういう小樽人もいるのだということに、少し元気が出た。次の尾根に進まなくては。途中から、羆猟犬フチの話が入ってきて、物語が一気に加速したような気もする。フチにも、ありがとうです。



▼ 捏像   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/02/12(火) 15:15  No.105
  去年の暮れ近く、小樽の運河公園に鈴木志郎・岩崎かよ・きみの三人が立ち並ぶ「赤い靴」親子像が建てられた奇しくもその頃、一冊の本が出版されました。阿井渉介著「捏像 はいてなかった赤い靴」(徳間書店)。
私もさっそく一読し、その仰天の内容に驚き、今は、長らくうっちゃってあった菊地寛著「赤い靴はいてた女の子」をなんとか札幌の図書館で見つけて、これから読んでみようとしているところです。(めずらしく、市立小樽図書館で所蔵してなかった本なので後まわしになって忘れていました…)
菊地寛の「赤い靴はいてた女の子」というテレビのドキュメンタリー・ドラマと、それをノヴェライズした本が出まわっていた頃は、私は埼玉で働いていました。その時点では、北海道に帰るあてはなく、一生埼玉で暮らすのだろうと思っていましたから、テレビ放送も見落としてしまったのかもしれない。
その後、北海道に戻ってきた時には、すでにこの菊地寛氏の説は広範囲に流布していて、この新発見を受けた研究、論文、新聞記事、そして「赤い靴」像がどんどん増殖していた時代です。例えば、こんな風に…

今日の啄木/明治40年7月中旬/函館時代の人のつながり
http://www.swan2001.jp/m400716.html

阿井渉介氏の「捏像」(←「捏造」でひくとヒットしませんからご注意を!「捏像」なんです)は、この定説を根底から覆すものです。つまり、
● ヒュエット牧師は、岩崎きみを養子になどしていない
● 野口雨情は、岩崎きみの話などは聞いていない
という衝撃の内容。以下、「赤い靴はいてた女の子」を読み終えた時点で、場所をレファレンスBBSに移してもっと細かく考えてみようと思います。


 
▼ 赤い靴はいてた女の子  
  あらや [URL]   ..2008/02/25(月) 17:15  No.106
  阿井渉介氏が捏造とまで強く批判している本、菊地寛著「赤い靴はいてた女の子」を今読み終えたところです。なんとなく阿井氏の憤る気持ちがわかったような気がする。
私、そんなに、テレビのプロデューサーなんて好きじゃありません。感心する人にも作品にもあまり出会ったことがない。でも、そんな私にでも、この「赤い靴はいてた女の子」をもって、これがテレビ・プロデューサーのすべてだ、ドキュメンタリー・ドラマのすべてだと言われたら、テレビ関係者はたまらんだろうなと思いました。(真面目にいい作品をコツコツ作っている人もたぶんいるだろうに…)

 そこへどやどやと来客。日本人が来ると連絡を受け、フレッドさんの兄のジョンさん、ジョゼフさん、妹のヘレンさんが車を飛ばして駆けつけてくれたのだ。(中略)
「ヒュエット宣教師が、日本人の女の子を養女にしたという話を知りませんか」
「オウ、もちろん聞いているさ」
「そうそうヒュエット叔父さんたちは子供が生まれなかったからね」
「養女にしたのは、えーと、三歳か四歳の女の子だったようだ」
(菊地寛著「赤い靴はいてた女の子」より)

わざわざアメリカまで行って、ヒュエットの甥や姪と称する人たちを荒唐無稽な手法で探しあて、こんな虫のいい証言を引き出す… でも、この証言が決定打となって、四半世紀以上もの間「赤い靴」の都市伝説は一人歩きをし、ついに、その集大成ともいえる小樽の親子像にまで至ったのは紛れもない現実なのですから恐れ入ります。

阿井渉介氏の「捏像 はいてなかった赤い靴」をレファレンスBBSで詳しく分析しようと考えていたけれど、なんか、その必要はないみたい。真贋は明らかに思います。直接、「捏像」を図書館から借りて読んでいただいた方が話が早いと思う。
一方の、菊地氏の「赤い靴はいてた女の子」は、道立図書館ほか、札幌の中央図書館、山の手図書館などで所蔵しています。(私の好きな味戸ケイコの絵を表紙に使ってるんですねー)

「今日の啄木」ほか、今まで私が書いた啄木関連の文章もこの「赤い靴」定説を信じて書いています。書き直すとか、削除とか、いろいろ考えました。けれど、思いちがいや読みちがいをしている部分は他にもいくつかあり、その部分は今のところ書き直さないで、愚かだった部分は愚かだったままに(自戒の意味も込めて)残してあります。
今後、啄木に関する新発見が登場して(例えば「小樽日報」全号揃いが発見されるとか)私の書いた啄木文章が根底から覆った場合は当然削除ですが、現在の、「啄木」理解の大筋ではまだ破綻していない状況では個人HPでの掲載は赦されているのではないかと考えています。
いろいろなことを考えさせられた阿井渉介氏の「捏像 はいてなかった赤い靴」ではありました。

 
▼ Re:赤い靴はいてた女の子  
  阿井渉介   ..2009/06/28(日) 11:22  No.163
  初めてお便りします。
本日になって、この頁を読むことができました。
大変嬉しく、ありがたいと思いました。
小樽の像は、宗教関係者が作ったもので、建立前から、私は菊地氏による捏造をはっきり知らせ、建設中止を訴えました。返事は驚くべきものでした。
「事実の外で」私たちは建てる、というのです。
この話は事実と偽られて流布しました。
事実だからと、人々は建設資金を寄付したのです。
宗教関係者は事実とは違うと知りながら、事実として「菊地捏造」を世に振りまき、お金を集めたのです。
一種の詐欺と言っていいでしょう。
菊地氏のテレビ作品、読物、ともに一個の事実もありません。そのことは、最近ようやくテレビ作品のビデオを入手できたことで、明確になりました。(詳細は我々のHP[赤い靴の会」にシナリオを載せ、検証してありますので、ご一読くだされば幸甚です。)
最近函館と札幌でも、「きみちゃん像」を立てる寄付行為が行われています。
私は両所に「偽の赤い靴像をつくるのは北海道の恥です」と知らせましたが蛙の面になんとやら、のようです。
菊地氏は、いま北海道のどこかの私立大で「明治民衆史」を講ずる教授だそうですが、函館、札幌の両方に「いいことだから、おやりなさい」と煽り、自分の作品を上映しているそうです。どこまで破廉恥な人か、唖然とするばかりです。
小樽の像も、そして以後に建てられる函館、札幌の像も、北海道の恥にこそなれ、決して名誉になるものではないと思います。知らずに寄付させられ、恥の像を玄関口に建てられる道民が気の毒です。
以後も我々は根気よく「偽物退治」を続けていくつもりです。北海道の方々でも、自体を見極めておられる方々がいますが、残念なことになお少数です。
機会あるごとに、「あれは捏造」「事実ではない」と発言していただければ、きみちゃんもきっと地下で喜ぶと思います。
よろしくおねがいいたします。

 
▼ 親子像  
  あらや   ..2009/07/03(金) 09:42  No.164
  赤い靴の会 http://sky.geocities.jp/akaikutsunokai/index.html

貴重なご投稿、ありがとうございます。
小樽の「赤い靴親子像」建立は、「捏像」出版の直前だったので、私は情報が間に合わなかったのだなと思っていました。しかし、阿井様から建立前に直接関係者に連絡があり、建立中止の訴えもあったのだということを知って、今愕然としているところです。
なぜ、いつも、小樽は、引きかえすだけの見識や勇気がないのか…

 
▼ レファレンスBBSへ  
  あらや   ..2009/08/17(月) 16:55  No.165
  足元は「赤い靴」
函館に童謡の少女像
【函館】童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像が、函館港に近いはこだて西波止場美術館前に完成し、7日、除幕式が行われた。
 函館は岩崎きみちゃん(1902−11年)が母親と静岡県から移り住んだ地。その後、母親は後志管内留寿都村の農場に入植したが、病弱だったきみちゃんは宣教師に預けられ、函館が母子の別れの地になったとされる。(後略)
(北海道新聞 2009年8月8日朝刊 1面)

「赤い靴」の情報発信へ
親子像保存会が会報創刊
 運河公園(色内3)に一昨年建立された童謡「赤い靴」の親子像の保存会が、会報を創刊した。市内外に配布し、小樽と赤い靴にまつわる情報発信に役立てたいとしている。
 親子像は、野口雨情の童謡「赤い靴」のモデル・岩崎きみちゃん(1902−11年)に、母かよと継父の鈴木志郎が寄り添う姿で運河公園に立つ。(後略)
(北海道新聞 2009年8月14日朝刊 小樽・後志版)

どちらの記事も会長の写真入り。私は言葉もない。(この人たちは「赤い靴はいてた女の子」を読んだことがあるのだろうか?)

考えたのだが、私のHPからは、とりあえず過去の「赤い靴」定説にまつわる文章はすべて外すことにしました。これ以上誤った説が流布する片棒を担ぐわけにはいかない。また、(事実を知った以上)「岩崎きみ」という実在の人名を平気で口にのぼせることにも呵責を感じる。以前、横田めぐみさんの名を口にし、「それも運命」みたいな発言をした馬鹿な小説家がいたけれど、あれと同様の非人間性を感じる。

以後の「赤い靴」関連の話題は「レファレンスBBS」で扱います。もはや、「読書会BBS」で扱うような内容ではなくなりました。


▼ ペントミノ   [RES]
  あらや   ..2009/06/20(土) 22:53  No.161
  今の子どもたちは幸せだなぁ…とつくづく思う。だって、こんな面白い本が図書館の書架にあるんだもの。

ブルー・バリエットの「フランク・ロイド・ライトの伝言」、ただいま読了。ああ、面白かった! おまけに、我らが田上義也の師匠フランク・ロイド・ライトがどんな人であり、彼の建築がどういう意味を持っているのかまでわかるなんて、素晴らしすぎる。

ペントミノ、私もほしい。挿絵の秘密は私にもすぐわかったけれど、フィボナッチ数列までは思いつかなかったのだから、結局、なんにもわかってはいないよということなのかな… でも、私は「透明人間」は読んでいるから、小学6年生くらいには勝てるかな。(←何言ってんだか) でも、この子たちが二十歳くらいになったら、もうかなわないかもしれないですね。


 
▼ フェルメールの暗号  
  あらや   ..2009/06/22(月) 18:38  No.162
  日曜日に借りてきて、あっという間に読んでしまいました。こちらもOK! だんだん、このシカゴ大学付属学校の地理にも馴染んできたみたい。パウエル古書店に、私も行きたい。

(急用ができたので、ここで中断します)


▼ グリムのような物語   [RES]
  あらや   ..2009/06/12(金) 10:18  No.160
  休日、小樽に帰った時は(もうパソコン仕事はみんな京極に移してあるので)読書と睡眠くらいしかすることがない。そんな暇ナ時、諸星大二郎の「グリムのような物語 トゥルーデおばさん」は何度読み返しても飽きない、頭にも身体にもやさしい本ではあります。

この前、札幌で、その「グリムのような物語」に「スノウホワイト」という別バージョンがあることを発見。嬉しくなってしまいました。
「スノウホワイト」が東京創元社。「トゥルーデおばさん」が朝日ソノラマと、発行元がちがうのだけど、どちらも2006年の刊。あまりにも出来がいい作品なので、老舗同士で取りあったのかしらね…
でも、おかげで、リフレッシュ効果は相乗倍。どちらにも描かれている「ラプンツェル」は本当に甲乙つけがたい。どっちも卓越のグリム解釈!

モロホシが描く女の人の顔が好きです。(栞と紙魚子でいえば、栞の方ね…)



▼ 暮鳥と混沌   [RES]
  あらや   ..2009/06/09(火) 22:31  No.159
  「暮鳥と混沌」、三十数年ぶりに読みました。

といっても、昔の弥生書房版ではなく、今年の三月に未知谷から出版された山下多恵子さん編集の「土に書いた言葉−吉野せいアンソロジー」によって。
すばらしい編集! 吉野せいからの視点一本に絞り込まれた山村暮鳥と三野混沌の声や姿が胸を打つ。
初めて読んだ「飛ばされた紙幣」は美しかった。「白頭物語」、「梨花」、よかった! 改めて吉野せいの言葉の威力を再認識しました。そのトドメが、巻頭の歌。

みをつくしあらはに見えつかもめ鳥一羽二羽三羽五羽二十羽



▼ こども   [RES]
  あらや   ..2009/04/06(月) 16:11  No.158
   ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか。しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。では、一番簡単な方法は何か。悪いことをした人を責めればいいのです。それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思います。立ちあがるのは、自分だけかもしれないのですから。でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。
(湊かなえ「告白」)

昔、筒井康隆の七瀬三部作に、今日は何でいじめてやろう…、どうやって困らせてやろう…と浮き浮き出社してくるOLが描かれていたが、なぜか、それを唐突に思い出した。一発ヒットかな。



▼ 風の岬   [RES]
  あらや [URL]   ..2009/03/24(火) 22:32  No.156
  高城高の小説で、直接に小樽を舞台とした作品はないのですが、ところどころに顔を見せる「小樽」が非常に興味深い。たとえば、

 工藤はグラスを唇にあてた。眉間にしわが寄っている。座興にしては真面目すぎた。
 「私の仕事は、共産党の地方委員会への潜入でした。私は党員になって組織に入りこみ、情報を、CICに流していました。北海道にはCICのほかに、CIAの正式メンバー四人が派遣されていましたが、二十四年の三月だったと思います。そのうちの一人、小山秀雄という二世の中尉に呼ばれて、北大南門の近くの家に行きました。そこにはまだ届合わせた人間がいるんですが、伏せときましょう。そこで持ちかけられた相談というのが、札幌と小樽の間にある朝里トンネルの爆破計画でした」
 そんな計画があったことは、三輪も知っていた。
 「つまりは、革新陣営の中核になってる国鉄労組への対策ですね。共産党の暴力革命に結びつけた謀略工作で、国鉄内部をひっかきまわし、世論を喚起しようというわけです。北海道では、中心部の朝里トンネルが狙われたわけです。爆破と同時にわれわれが偽の共産党のアジビラを撒く予定でした。これは計画倒れになりました。CICとCIAの協力体制が不備だったからです。その直後、私は緊急の仕事で沖縄にやられました。その年の八月、沖縄で、私は福島事件が起きたことを聞いたのです」
(高城高「風への墓碑銘」)


 
▼ 星の岬  
  あらや [URL]   ..2009/03/24(火) 22:34  No.157
  高城高全集・第4巻「風の岬」の中では、タイトルにも選ばれている「風の岬」と、もうひとつ岬、「星の岬」という短編がよかったですね。「風の岬」というのは襟裳岬。「星の岬」はオホーツク海のウスタイベ海岸みたいな場所だろうか。そういえば、「星の岬」にも、ちらっと「小樽」出てきましたね。

 「五日前のことだ、僕はいつものように君には仕事だといって家を出た。ところが、浮かれていたのだろう。札幌まで足をのばした。前にも行ったことがあるし、今度も大丈夫だろうと甘く考えてたんだな。そこでみつかったのだ」
 「追われたの?」
 「いや、僕のように危険のなかで生きてきた人間には、独特の勘が働く。わかるんだ。へマをやったなってことが……。僕はその時覚悟を決めた。確かめてやれ、とな。そこでさらに小樽までハネをのばした。小樽は札幌より危険なところだ。やはりみつかっていたんだよ」
 男はワイパーのスイッチを入れ、霧に曇ったフロント・ガラスをきれいにした。それを軽く指ではじきながら、
 「小樽の坂道に車を停め、喫茶店でコーヒーを一杯飲んで車に戻ってみると、ここに指で字が書いてあった。僕が組織にいた時使っていた名前が書いてあったんだ。知ってるぞ、という警告さ」
(高城高「星の岬」)

今なを、じつは、「穴はずれ」の強力な余韻の中にあって、なかなか次の本に心が移って行かなかったのです。なんか、こんな状態だからハリー・ポッターの残りでも読んでしまおうか…とか思っていたところへ、どこかのスパムが「捏像」のスレッドを押し上げたので、これを潮に、「穴はずれ」を一度図書館に戻し、とにかく次の本へ行こうと思った次第です。


▼ バイキ!   [RES]
  あらや [URL]   ..2009/02/19(木) 08:01  No.155
  「小豆」「おとぎり草」「種付けの集落」「穴はずれ」「バイキ!」「ヤンチャ引き」が、峯崎ひさみさんの小説「穴はずれ」に収められている六編。すべて、すばらしい! 特に、ラストの「バイキ!」「ヤンチャ引き」の二連発には唸ってしまった。豊乃姉の「バイキ!」の叫び声が、今も私の耳に残ります。

「ヤンチャ引き」の光三が経験した、ある種、「北の沢」に生きる幸福感(恍惚感)も魅力的。私は、舞台が京極町だから第一級と言っているのではありません。別に舞台が京極ではなくても、この作品が一級品であることにまちがいはない。ただ、京極でなければならなかった必然も強く感じる。

「北の沢」。札幌も喜茂別も小樽も東京もすべて実名で書かれているのに、「北の沢」だけが架空の一点になっているのは、ここが、作品世界の中心地であることに他ならない。その、夢幻の地の年代記、「穴はずれ」。凄い本に出逢ってしまった。



▼ 穴はずれ   [RES]
  あらや [URL]   ..2009/02/17(火) 22:26  No.153
  今時の北海道の若い奴は平気で「なまら」という言葉を使う。時として、役所の広報誌や商店街の広告チラシでも「なまら〜」とかやっているのを見かけることがある。いい歳した大人が恥ずかしくないものだろうかと思う。
「なまら」は、私が子どもだった五十年前にはすでに存在していた。けれど、そんな言葉をつかう人は身のまわりに誰もいない。こういう言葉づかいは、街場のチンピラか、浜の無教養な兄ちゃんたちのものだったから。
「穴はずれ」もこれに類した言葉なのではないかとは思う。知ってはいるけれど、口に出してはいけない言葉。(子どもの時から現在まで、私はこの「穴はずれ」は聞いたことがありません…この小説が初めて) あえて、この汚い言葉を小説のタイトルに持ってきた著者・峯崎ひさみに、作家としての度胸と技量を感じます。とてもデビュー作(?)とは思えない出来。

 おやじの熊撃ちを目の当たりにしたのはそれが初めてだった。身体の震えはなかなか止らなかった。いったん止んだ風花が、身じろぎもしない熊と夥しい血の上に舞い始めていた。戸がきしみ、手かざししながら母親が出て来た。薄物の裾が乱れ、肉付きのいい臑が見え隠れしていた。土に滲みきれず渦になっている血を踏んで、母親はおやじの側に歩み寄った。それはまるで、息絶えた熊の肉体から抜け出した化身のようにも見えた。母親は眩しそうにおやじを見上げた。息苦しかった。母親は袂の端を唾で濡らすとつと白い腕を伸ばし、おやじの髭面の返り血を拭った。俺の心臓が音立てて鳴った。
「ええ男だの……」
(峯崎ひさみ「穴はずれ」より/「穴はずれ」)


 
▼ 北の沢  
  あらや [URL]   ..2009/02/17(火) 22:29  No.154
  「穴はずれ」は、「羊蹄」のことばを調べていてたまたま出会った一冊。作品社、2004年4月の刊。「峯崎ひさみ」で検索しても、これ一冊しか世に出ていないようで、著者の来歴も奥付に書いてある以上のことは知れません。しかし、興味深いのは次のような箇所。

「崖が崩れてた所があって冷や汗かいちまったよ。ああ空気がうまい」
 鈴代は深呼吸して額の汗を押さえた。
 当時、鈴代は北の沢の人達がヤマと呼ぶ横方鉱山で宿舎の賄いをしていた。
 ヤマは、たまに父母にくっついて行く役場や商店のある街へ出るよりもずっと近い距離にあった。採掘場の赤い山肌や鉄塔がすぐそこに見え、風向きによって発破の音も聞こえた。しかし霧を溜めた深い沢に遮られて容易に行き来が出来なかった。
 鈴代は半日もかけてその沢を越えて来る。崖に沿った草深い道は、昔、タコ部屋から脱走した人達によってつけられたものだと聞いていた。
「これっ、鈴おばさんくたびれてるんだから、離れてろ離れてろ」
(峯崎ひさみ「穴はずれ」より/「種付けの集落」)

 文中で「横方鉱山」とあるのは、これはもう京極町の「脇方鉱山」ですね。「採掘場の赤い山肌や鉄塔」がすぐそこに見え、「役場や商店のある街」よりも近い。そして、「タコ部屋」の記述によって、鈴おばさんは(スワン社資料室「二月の京極」でもご紹介した)「軽川ずい道」付近へ迂回して「半日もかけて」やってくる。「崖」などの言葉からも、「北の沢」は、現在の京極町のワッカタサップ川とかペーペナイ川の上流の地域と思われます。

――来春早々、北の沢がダムに沈むことになりました。つきましては、来る十月二十日、故郷に別れを告げる会を計画しております。森林組合と役場のご好意により、駅前から北の沢集乳所跡までマイクロバスが出ますのでご利用下さい。暖冬の影響もあってまだ雪の心配はないと思われますが、足元に十分気をつけてお出掛け下さいますように。
 平成十年九月吉日。北の沢ゆかりの会代表・佐藤真知子
さっきから俺は、何度もその葉書を読み返していた。
(峯崎ひさみ「穴はずれ」より/「ヤンチャ引き」)

 いやー、第一級の京極町郷土資料ではないですか!








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