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読書会BBS

 
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▼ 出た!こん藤幸葉生   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/06/15(日) 13:05  No.121
  【人物散歩】 こん藤幸葉生(生没年不詳) 役者に熱烈な恋文送る
 1907年(明治40年)初冬の小樽日報に「天下一品怪美人の艶書」なる連載が載った。
 「こん藤幸葉生」「長谷川幸葉」などの名義で出された九通の恋文の暴露記事。最初の手紙によれば、相手は役者の稲葉喜久雄。芝居小屋で見て熱を上げ「今晩も行くから会って」と口説いている。
 幸葉生とは何者、という記者の問いかけに、「小樽高女の生徒だ」「いや、○○回漕店の女房だ」と投書もにぎやか。
 第四の手紙で「会ってくれるかどうか、小樽新聞の伝言棚で返事して」と詰め寄る。その後、記事は一転、女の素性を当時世間をにぎわした妖婦と決めつけ、悪だくみをほのめかした。
 なかなかの面白さだが、筆者は実は石川啄木。七回の連載を引っぱる筆力はさすが―。
(北海道新聞 2008年6月11日 小樽・後志版)


 
▼ ピカレスク  
  あらや [URL]   ..2008/06/15(日) 13:10  No.122
  いやー、道新、「小樽のかたみ」読み込んでるなぁ…

私も、長文ならば、この「天下一品怪美人の艶書」。
(一)〜(二) http://www.swan2001.jp/oa081.html
(三)〜(五) http://www.swan2001.jp/oa082.html
(六)〜(七) http://www.swan2001.jp/oa083.html
短編ならば(ほとんど一片の詩のような)「出没自在の美人」
http://www.swan2001.jp/oa079.html
が「小樽のかたみ」の最高峰だと思っています。小樽の街を描いた文芸作品は現在に至るまでたくさんありますが、私は「出没自在の美人」や「天下一品怪美人の艶書」に浮かび上がる「小樽」の佇まいがいちばん好きですね。


▼ えべつ百話   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/06/10(火) 00:17  No.120
  私が住んでいる町は、羊蹄山に降り積もった雨や雪が何十年もかかって地下を浸透し、地上に噴き出してくるふきだし湧水の里です。私の勤めている図書館でも、そんな名水の里のイメージを大切にして、意識して「水」や「河川」に関する本を集めています。曰く、「水コレクション」と。
藤倉徹夫著「えべつ百話」は「水コレクション」にエントリーされる本ではない(もうすぐHPにアップ予定の「北コレクション」の方に入る)のですが、ただ、まがいなりにも「水コレクション」を名乗るのならば、見識として当然持っていなければならない本の一冊ではあるでしょうね。たぶん。江別は、明治の北海道開拓の端緒となった石狩川舟運と内陸開拓の背骨であった函館本線が見事にクロスロードする、その真上にある町なのだから。

というような面倒くさいご託を並べなくとも、わかる人にはわかります。どこの頁をひらいても、そのテーマの豊富さに唸ってしまうでしょう。帯の「川と森、街路と馬、農と商と職人の話、女の仕事、スポーツ、芸能など…。風土と歴史の中のさまざまな人の営み。遠い日の光景の中にあなたの姿が浮かび上がる」という言葉は嘘じゃない。文章も巧いし。(「第三章/馬のいた光景」など「馬」に何の興味も持っていない私ですけど、文の調子だけで一気に最後まで読んでしまいました。「馬」たちの最後に涙してしまった!) 子どもの頃この町に住んでいた自分の姿が浮かび上がってきます。(こういう本に感じ入るようになるってのは、そろそろお迎えが近いのかな…)



▼ ゴールデンスランバー   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/06/03(火) 09:06  No.119
  よかったですね! 久しぶりに、きっちりした小説を読んだという感じ。読み終わった後、しばらくは他の小説を手にしたくない…とさえ思った。(事実、「金田一先生の使ってのばそう日本語力」なんかを読んでいました) 私は、司書資格をとるため、二ヶ月間仙台で暮らしたことがあるので、主人公の逃走経路などにとても切迫感を感じました。死語だが、手に汗握る。


▼ ケータイ小説   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/05/24(土) 16:32  No.118
  寄贈本の中の一冊をパラパラと読み始めたら、止められなくなって最後まで読んでしまった。ケータイ小説といわれるものを読んだのは、これが初めて。
感想というほどのものではないけれど、なんか、パンクが出てきた頃を思い出しました。やっぱり、どんなものにも「洗練」というものはあるから、いつか、ケータイ小説からもスティングみたいな人が出てくるのだろうか。昔、総合格闘技や異種格闘技がブームだった頃、ジャイアント馬場が「どんな格闘技だろうと、いったんプロレスのリングの中に入ったら、それはプロレスだよ」という名言を吐いたことがありますけれど、なんか、そんな言葉も懐かしく思い出した。



▼ シートン4   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/05/06(火) 23:42  No.117
  いやー、ズシーンとくる感銘の中にまだ埋まっています。今週始めようやく手に入れた「シートン 第4章/タラク山の熊王(モナーク)」。
そこまで読み進んでいた「えべつ百話」上下巻を中断させ、次に読むはずだった「アンドルー・ラング世界童話集」をなかなかスタートさせません。枕元でつい「シートン4」を手にとってしまうと、また最初から最後まで読んでしまい、読み終えたら、また中の逸話のところに戻ったりして。いやー、やっぱ、熊は強いわ…

仔グマのジャックからタラク山の熊王へ。一頭の熊の生涯を余すところなく描いてくれたシートンと谷口ジローに感謝しつつ、今日も眠ってしまいました。なぜ、運命は、仔グマのジャックのままに時間を止めてくれないのか…



▼ 1兆円市場を拓いた男   [RES]
  タケシ   ..2008/04/29(火) 07:56  No.116
  実話だそうだ。

行政エンジニアというエンジニアの端くれにとっても、非常に刺激的な勇気付け
られる内容で、今後の仕事にも大いに参考にさせてもらいます。

ストーリー性も高く、読み物としても大変面白い。

http://www.gentosha-r.com/products/9784779003202/



▼ 冬の動物園   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/04/08(火) 02:00  No.113
  「シートン」の第4巻がやっと出たと聞いて本屋に行ったのですが、「シートン」はなく、こちらを発見しました。昭和40年代初頭、谷口ジローの青春(?) こういうのは、たまらんねー! 落涙。

 
▼ エネミーゴ  
  あらや [URL]   ..2008/04/14(月) 23:31  No.114
  なかなか「シートン」第4巻にたどりつけません…
今日行った本屋も売れた後みたいで、第4巻だけなかった。
で、代わりに見つけたのが、これ。「最終版」の表示に釣られて、見事に衝動買い。
もうインターネットしか方法がないかな…(こうやって、街の本屋が消えて行くんですね)


▼ 二人の銀河鉄道   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/03/25(火) 08:38  No.111
  今、読み始めたところです。保阪嘉内の全貌がどんどん露わになってきて、私は嬉しい!(筑摩書房も、ぜひ、保阪庸夫,小沢俊郎編著「宮沢賢治 友への手紙」を復刊してください)

「二人の銀河鉄道」(河出書房新社,2008.2)の著者・江宮隆之さんってどんな人?と著者略歴を読んだら、著書に「井上井月伝説」が入っていました。ああ、あの人か…
つげ義春のマンガでとりあげられたことで一躍名を知られることとなった「井上井月」。でも、その「井上井月」について書かれた本って、とても少ないのですね。その、数少ない一冊である「井上井月伝説」を書いた人が、この人だったのか!(こちらも面白く読ませていただきました) 他に「一葉の雲」などという著作もあり、なんか、好みが合っていそう…


 
▼ 風の三郎  
  あらや [URL]   ..2008/04/08(火) 01:57  No.112
  保阪嘉内が籍を置いていた甲府中学(明治43年入学)の当時の校長は大島正健。大島は札幌農学校の第一期生であり、ウイリアム・クラーク博士から直接指導を受けた数少ない学生たちの一人です。(ちなみに、クラークが札幌で教鞭をとったのはわずか八ヶ月間という短さであり、二期生にあたる内村鑑三や新渡戸稲造らは直接クラークから教えを受けているのではない…ということを初めてこの本で知りました)
嘉内は、尊敬する大島校長の母校である札幌農科大学を最初はめざすのですが、受験に失敗。一年間の浪人生活を経て、盛岡高等農林に方向を転じます。駒井村から盛岡へ旅立つ日、中学校時代からつけてきた短歌日記(!)に嘉内はこう歌を記します。

 「やわらかに柳青める北上」にわれむかはんと心勇めり

保阪嘉内という人は、相当な程度で「時代の子」であると感じます。啄木の「一握の砂」が刊行されるのは明治43年の12月。当時、中学1年だった嘉内は即座にこれに反応し、短歌日記が始まります。そして、盛岡高等農林の入学。宮沢賢治と同室になる入寮の挨拶で、嘉内は「トルストイを読んで百姓の仕事の崇高さを知った」と語ったそうです。

私には、当時の典型的な白樺派(←私の浅く理解している範囲での「白樺派」ですが…)青年である保阪嘉内が、明治のスピリットをどのように吸収してできあがって行ったのかがよくわかり、また、地方の(ちょっとドンくさい)秀才であった宮沢賢治にどのように都会のスマートさが伝搬していったかがよくわかり、たいへん面白い本でした。小説という形式は、こういう時には威力あるなぁ…とも思いましたね。


▼ わっかたさっぷ   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/03/10(月) 20:22  No.110
  公民館の廃棄図書の中から、ひょっと飛び出してきた一冊。

昔、京極町の脇方(わきかた)というところにあった鉄鉱石鉱山に二十六年間奉職した佐々木六郎氏の回想録。佐々木氏の著作なのですが、本の中に、別の著者「鉄石山人」こと大町政利氏の随筆集「脇方の思い出」が120頁にわたって入ってくる…という不思議な造りの本です。大町政利氏の叔父は、明治の文学者・大町桂月。その大町桂月が脇方を訪れた話なども「脇方の思い出」には入っています。

表紙に書かれた手書きの文章、画像がつぶれて読みにくいと思いますが、

私は大正十四年九月、
倶知安鉱山の再開した年に輪西製鉄所から脇方へ来まして、
爾来、昭和二十六年三月までの二十七年間、
会社名は、(株)日本製鋼所、輪西製鉄(株)、輪西鉱山(株)、
日鉄鉱業(株)と変わりました。
また、その度に経営者も変わったのですが、
私は脇方鉱山のみに勤務していましたので、
いわば井の中の蛙と言うところでしょう。
顧みるに脇方は、
ワッカタサップ時代の明治四十一年四月、集団入植以来六十四年。…

という、非常に折り目正しい文章です。良い意味で素人っぽい、昔の日本人が使っていた息づかいが伝わってくるような文章で、私はこういう語り口が好きで、ここのところ毎日頁を開いては楽しく寝る前に読んでいます。「わっかたさっぷ」ということばの響きもいい。

※ 鉱山の名前が「倶知安鉱山」なのは、京極が「東倶知安村」として独立する以前の話なので、この頃は「倶知安村」の一部だったから。
※ 「ワッカタサップ時代の明治四十一年四月、集団入植」とあるのは、以前にもレファレンスBBSに書きました、山梨県民の集団移住のことです。



▼ 小樽日報展2   [RES]
  あらや [URL]   ..2008/03/10(月) 19:03  No.108
  去年の「啄木と小樽日報展」で、これをやってほしかったな!

特別展 明治小樽徒然−地図と日記でたどる明治
http://www.city.otaru.hokkaido.jp/kyouiku/museum/gyojioshirase.htm#meiji_tsurezure
小樽のまちが北海道の玄関口として活躍していた明治30年代の街角を散歩してみませんか? 博物館が所蔵する写真、地図などで明治の小樽の街角を紹介していきます。花園、稲穂、色内。運河ができる以前の活発で生気あふれる町、小樽を『稲垣日誌』などからも描いていきます。 新刊の『なつかし写真帖』に掲載しきれなかった写真も多数展示します。

博物館の床に、八畳ほどに広げられた明治34年の小樽地図。啄木の明治40年とも重なる「稲垣益穂(ますほ)日誌」の丁寧な解説、そして、展示。溢れかえる写真資料!
啄木が小樽に来る直前の、刻一刻の小樽の街の変容が手にとるようにわかります。できるならば、明治40年10月の小樽市街を八畳に広げ、「小樽のかたみ」に書き記された数々の三面記事の事件現場をたどってほしかった。
まあ、しかし、明治34年の地図でも充分満足。頭の中に「ここに、(啄木が来る)三年前、小樽中央駅ができたんだ… 街の人の流れが、それで、こう変わって…」とか、あれこれ考えていると時の経つのを忘れます。三月末までに、もう一度来たい。


 
▼ 小樽なつかし写真帖  
  あらや [URL]   ..2008/03/10(月) 19:07  No.109
  この「明治小樽徒然」展開催のきっかけとなった、北海道新聞連載の「小樽なつかし写真帖」。新聞に付いてくる原版で保存しているから、本はいらないかな…と思っていたんだけど、やはり実物を見ると欲しくなってしまいました。衝動買い。

写真に撮られた人々の表情が、とてもいいんですね。こっちも、何時間でも見ていられる。








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