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▼ 北海道の児童文学・文化史   [RES]
  あらや   ..2022/05/12(木) 09:58  No.585
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「子どもの文化」論考でたどる歩み

 北海道における児童文学と児童文化の歩みを1冊にまとめた労作である。執筆は1994年に発足した北海道子どもの文化研究会と、その後継にあたる日本児童文学学会北海道支部に所属する研究者たち。同会及び同支部は毎年、研究誌「ヘカッチ」を発行してきたが、本書は同誌での論考等をもとにまとめた44編で構成されている
 北海道の児童文学史と文化史の研究には先行する書物として、79年発行の「北海道の児童文学」(にれの樹の会編)がある。同書と本書の内容を対比すると、この40年余りの間に研究が大きく進展してきたことがよく分かる。
 例えば資料の発掘もそのひとつだ。「戦後北海道の出版ブームと児童出版物」(谷暎子)は、米国メリーランド大学のプランゲ文庫で保存されている、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲関連資料を使った論文。占領期の検閲で児童出版物の表現・言論がゆがめられた問題を記している。
 また、「北海道の児童文学」でほとんど触れていないアイヌ民族について本書は3編の論考を収録する。そのなかで「児童雑誌・児童文学に描かれたアイヌ民族」(高橋晶子)は明治期以降、差別的表現がたびたび使われ、それが現代までも引き継がれてきたことを厳しく批判する。
 「北海道の児童文学・児童文化の黎明期」「北海道の児童文学」「北海道の児童文化」の3部に本書は分けられている。そのなかで明治・大正の児童文化施設、戦後の人形劇と児童劇、紙芝居、絵本など、「児童文化」の歩みに多くのページを割いているところも本書の特色だ。児童文学偏重から「子どもの文化」全体を研究する方向に変わりつつあることも本書は示しているといえる。(中舘寛隆・編集者)
(北海道新聞 2022年4月10日/書評欄)


 
▼ 魔神の海  
  あらや   ..2022/05/17(火) 18:47  No.586
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『北海道の児童文学・文化史』(共同文化社,2022.2)は、所々に、私の知らない本が登場して来て「うーん」と唸ることしきりです。この歳からでも遅くはないさ!と力み返って、今、読んでいるところ。

 ある冬の日のことです。
 ひとりの漁師が、船に乗って、沖で漁をしていました。どんよりくもった寒い海で、さかなのあみをたぐっていたのです。大きなあみをたぐりよせていると、とちゅうで、ぐぐっと、なにかにひっかかったらしく、あみがあがらなくなってしまいました。
「岩にひっかかったかな……。」
 いくらひっぱっても動きません。
(前川康男「魔神の海」/百年めの石―物語のはじめに)

まず『魔神の海』から。この網にひっかかったのは「寛政の蜂起和人殉難墓碑」だった。〈蜂起〉とは何か? 納沙布岬近くの珸瑤瑁(ごようまい)の村民たちに、白ひげの古老が、アイヌの少年セツハヤの物語を語りはじめる。昔の児童文学は骨っぽい。〈国家〉とは何か?まで迷うことなく突き進む。北方四島がどのようにして〈侵略〉されたのか、世界中の誰の目にも明らかになった2022年の今、セツハヤの物語には意味がある。

床ヌプリの絵(版画)、美しい。

 
▼ きこえるきこえる  
  あらや   ..2022/05/30(月) 09:00  No.587
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「う。だれに会いにいくって」
「オトイネップ村の砂沢ビッキ。おそるべき彫刻家です。木でつくる。木の命と語りあえる人。かならず会いにいくとかたい約束をした」
 砂沢ビッキがカナダにいったとき、いっしょに木の彫刻をやって、兄弟になったという。
「そしたら、あんたも芸術家か」
「いや、わたし、つくるひと。わたしたちの文化ではそうよぶ」
(加藤多一「きこえるきこえる」)

いやー、いきなり砂澤ビッキの名前が出て来てびっくりした。ビッキつながりで云うんじゃないけれど、初めて上西晴治『十勝平野』を読んだ時みたいなショックがありましたね。

「両親のいうことをきいて嫁さんもらったけど、一週間後に出征がきまっていてきっと帰れないから気の毒だといって、父は、男と女のことしなかったの」
「かあさんからきいたのか」
「はい。そういう父、いや父でないけどそういう男の人、わたしすきだな」
(同書)

こういうフレーズ、児童文学に持ち込んで来る人、わたしすきだな。
そして、この本、内澤旬子さんの絵、わたしすきだな。

 
▼ 父母の原野  
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:48  No.588
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更科源蔵の本を読んだことはない。北海道では有名な人だから、「お前、更科源蔵も読まないで物書いてるの…」と云われそうだが、実は読んでないよ。本の値段、結構高かったし。図書館には読むべき本が溢れかえっていたし。
読んでないと言ったけれど、じつは、全部読んでるよとも云える。小学校の教師はみんな更科源蔵だった。いっぱいアイヌのことも知ってる。開拓のことも知ってるらしい。でも、ただの教養。大学で教わった、ただの知識にすぎない教師。『父母の原野』を読んでいて、思い出したことは、〈近現代アイヌ文学史論〉でも〈北海道の児童文学・文化史〉でもなく、昔の和人の教師たちだった。

じつは、更科源蔵の〈父母〉について知りたいこともあったのだが、『父母の原野』には上手くはぐらかされたような気がする。わざと平板に〈父母〉を書いたのか、著者の筆力が平板(←学校の先生に多い)なのか。次の『おさない原野』には進みません。安藤美紀夫『白いりす』に舵を切りたい。今回も更科源蔵には縁がなかった。

 
▼ 白いりす  
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:52  No.589
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読んでる途中から、手塚治虫の『とんから谷物語』を思った。

なにか、『父母の原野』が小学校教員が書いた児童文学なら、『白いりす』はいかにも高校教師の創った児童文学のような気がする。なにか不思議にドライブ感がない。こんなの読んでないで、『とんから谷物語』の方にスイッチしたいと思った。

 
▼ シゲちゃんの目は千里眼  
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:56  No.590
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 見覚えのある電車通りに出ると、ぽくは急に自信が出てきた。足が速くなる。
「あ、あそこが北大病院だ。あの信号んとこで横切ろうヤ。」
 広々としたしばふの向こうに、堂々と肩をいからせた病院の建物が、何百という窓の目でにらんでいる。ぼくはまた心細くなった。
「ねえ、ヨッチ。シゲちゃんがこの中にいるとして、どのへやだろう?」
「いさえすれば簡単さ。受付で聞けば教えてくれるよ。」
(滋野透子「シゲちゃんの目は千里眼」)

「北海道児童文学全集」第九巻に併載されていた『シゲちゃんの目は千里眼』を読んでいる。面白い(かな? 今のところは…)。こういうものを読んでいると、逆に、更科源蔵や安藤美紀夫が児童文学の世界に持ち込もうとしたものがわかるような気がする。

 
▼ サムライの子  
  あらや   ..2022/08/11(木) 11:54  No.591
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『シゲちゃん――』、退屈でしたね。『雨ニモ負ケズ』のパロディをやったあたりから失速したと思う。口なおしに、山中恒『ぼくがぼくであること』が読みたいと思ったんだけど、本棚のどこに行ったんだか見つからない。代わりに、つのだじろう『サムライの子』があったんで、またしみじみ読んでしまいました。このマンガ、なんと「あとがき」が付いています。

『サムライの子』は一九六二年一月号から十二月号まで、雑誌『なかよし』に連載したもので、私が児童文学の山中恒氏の同名作品にひどく感動して、直接、山中氏のもとへ出むき、私に漫画化させてくださるようにお願いし、また雑誌の方をも説得して連載にこぎつけた…といういわくつきの作品…。
 したがって本編にでてくるサムライ部落、また小樽市内の風景は、すみずみのワン・カットまで、実際の小樽市の風景の写実です。さすがにサムライ部落の取材は身体がブルいましたが、たまたまズタ公みたいな、気さくなサムライ氏がいて、親切にしてくれましたのでうまくいきました。   つのだじろう

この小樽風景、ひどく懐かしい。(私はサッポロの子なんだけど…)

『北海道の児童文学・文化史』シリーズは、ここで一旦お休みします。何かちがうところに出たい。


▼ TOKYO REDUX 下山迷宮   [RES]
  あらや   ..2022/03/15(火) 14:07  No.582
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本を読み始めて間もなく、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。
本はもう読み終えているけれど、戦争はまだ終わらない。
本を読んでいる時、私は、ロシア軍にクロンシュタット反乱を起こす兵隊はいないのかと思った。

今日、昼のテレビ・ニュースで
ロシア国営放送でスタッフが乱入し「戦争反対」を叫ぶ。「プロパガンダを信じないで」
https://news.yahoo.co.jp/articles/df977a3e9997b383993f2d87379df4fa3927d3b8

デイヴィッド・ピースの作品は、吉村昭の作品と同じで、言葉が緻密に組み合わされ構築されているので部分引用が不可能。意味をなさない。


 
▼ 奇子  
  あらや   ..2022/03/26(土) 18:37  No.583
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『TOKYO REDUX』の参考文献に手塚治虫の『奇子(あやこ)』が挙がっていたので久しぶりに読み返しました。(どこからも寄贈依頼が来ないので、『手塚治虫漫画全集』400冊、まだ家にあります) 下山事件だった。こちらも目いっぱい暗い。でも、日本屈指のストーリーテラー手塚治虫を天下に見せつけた作品ではありました。

一度はデイヴィッド・ピースの「東京三部作」を緻密に読み返そうとも思ったんだけど、誘惑絶ちがたく、「ヨークシャー四部作」の方へ舵を切りました。今、『1974ジョーカー』です。

「誰だ?」
抑えた笑い声。「知る必要はない」
「何の用だ?」
「ジプシーの流儀に興味あるか?」
「白いバンとジプシーだろ?」
「どこだ?」
「M1のハンスレット・ビーストン出口」
「いつだ?」
「もう遅いかもしれん」
切れた。

おっ! 『TOKYO REDUX』で使った技じゃないか。

 
▼ 1974ジョーカー  
  あらや   ..2022/05/03(火) 05:15  No.584
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いやー、暗く救いのない話だった。戦争のニュースが流れる毎日にこんな本を読んでいるなんてどうかしてるんじゃないかという内心の声もあるが、作業する日常の重なりもあってこうなった。私の人生には要る本だと思ってる。

「リトル・ドラマー・ボーイ」(英語: The Little Drummer Boy、発表時の題名:Carol of the Drum)はアメリカ合衆国の作曲家、キャサリン・ケニコット・デーヴィス( Katherine Kennicott Davis)が1941年に作曲・発表したクリスマス・ソングである。これまでに多くのミュージシャンがカバーしており、1955年にトラップ家族合唱団が、1958年にはハリー・シメオン・コラール(The Harry Simeone Chorale)がそれぞれカバーしている。
歌詩は4番まであり、その内容は貧しい生まれの男の子が東方の三博士に呼ばれてベツレヘムへ行き、「お金がないので贈り物はできない」とマリアの許しを得て、生まれたばかりのイエスの前でドラムをたたいたら、イエスが微笑んでいたというもの。ドラムの音が「パ・ラパパンパン」と繰り返されるのが印象的である。
(ウィキペディア)

本の中では「ベイ・シティ・ローラーズ」なんて突飛な(1974年のヨークシャー人には突飛でもなんでもないのかもしれないが…)言葉も出て来るのだが、この「リトル・ドラマー・ボーイ」だけは、この予備知識なしに本を読み進めると面白さ(決して面白い本ではないけど…)半減になるでしょうね。


▼ 斉藤洋   [RES]
  あらや   ..2022/01/24(月) 18:49  No.579
  図書館で「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」をチェックした帰り、児童室の新刊書架で『もうひとつのアンデルセン童話』という本を発見したのでした。「ヒコーキ」の作業をやっている期間、ふーんなるほど…とか言いながら、日本昔話もグリム童話も読んぢゃった。(それくらい「ヒコーキ」は延々と長いのよ…)

 それである夜、最後の革を切って、あとはぬうばかりにして仕事台の上におき、二階にあがって寝ました。
 翌朝になって、仕事場におりていくと、なんと、靴がぬいあげられていたのです。しかも、それは、こういってはなんですけど、うちの人が作ったものより、ずっと仕上がりがいいんです。
 うちの人はその靴をためつすがめつながめて、
「これはなかなかの腕だ」
とうなっていました。
(斉藤洋「サブキャラたちのグリム童話」より「靴屋の小人」)

広瀬弦のかわいい挿絵も相まって、こういう幸福感のあふれる話が夜眠る前にはよかったですね。斉藤洋って、『ルドルフとイッパイアッテナ』の人でしょう。あの本も、私、好きだったなあ。


 
▼ 苦笑  
  あらや   ..2022/02/07(月) 05:24  No.581
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 わたしと市立病院の先生とのやりとりはそんなふうだった。
〈すぐに命にかかわるようなことはなく、人にうつることもなく、それでも、一年間くらいは、きつい仕事はだめ〉という病気にかかっている者ができる仕事は、〈暑くも寒くもない屋内で、すわって、のんびり、一日五時間、そういう仕事〉なのだ。
(斉藤洋「アリスのうさぎ」)

こんな奴、隣の席に来たら、ぶん殴ってしまうかもしれないな…と思ったり、いやいや、自分の若い時もこんなもんだったか…と思ったり。

 そんな都合のいい仕事があるだろうかと思っていたら、顔の広い父が市立図書館のアルバイトを見つけてきてくれた。
 (中略)
 大学生のとき、そのころつきあっていたガールフレンドが、夏休みに図書館司書の資格をとるための講習を受けるというので、たいして興味はなかったのだが、わたしも受講し、資格をとった。その資格が役に立ったことになる。
 そのガールフレンドは児童書にくわしく、その影響で、わたしもその分野にいくらか知識があった。たぶん、採用の面接のときにそのことを話したからだと思う。わたしは貸し出しカウンターのはずれにある〈児童読書相談コーナー〉というところをまかされることになった。
(斉藤洋「シンデレラのねずみ」)


▼ Anne with an "E"   [RES]
  あらや   ..2021/12/16(木) 17:08  No.578
  「人間像」の現在の編集者・福島昭午さんが亡くなってしばらくの間、夜中に目が覚めて酒を飲む習慣が復活してしまった。動揺しないつもりだったけれど、実際には動揺していたのかもしれない。
『アンという名の少女』に出会ったのは、そんな頃です。シーズン2が始まるので、以前のシーズン1を夜中に再放送していたのだと思う。
いや、面白かったですね。私はこの歳まで『赤毛のアン』読まないで来ちゃった人間なんだけど、こんなに面白い話なら今からでも読もうかとさえ思いましたよ。
で、クリスマス近い今になっても、本は読んでません。テレビは欠かさず観てるけれど…
というのは、ウィキペディアの解説を読んでしまったから。

「著名な原作に基づいてはいるが、過去の映像化作品と比べてやや暗いストーリーが描かれる。アイデンティティ、偏見、いじめ、アウトサイダー、受容、人種差別、同性愛、先住民迫害、女性の自立などの現代的なテーマが追及され、新たな登場人物とストーリーが追加されている。」

私が面白いと感じたのは、その「新たな登場人物とストーリー」の面だったのですね。
へぇーっ、こんなやり方もあるんだ。ちょっと『ツイン・ピークス』っぽい画像も好みですね。


 
▼ カクエト  
  あらや   ..2022/02/02(水) 10:01  No.580
  シーズン3第8話(1月30日放映)、もう5回くらい見直している。

土人学校を脱出するカクエトの作戦、沼田流人『血の呻き』で明三がタコ部屋を脱出する作戦に酷似してましたね。ハッとした。


▼ 神威岬   [RES]
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:10  No.574
  先日、積丹半島を一周してきました。一応、免許証を持って行ったんだけど、いやー、今の車って、もう運転駄目だわ。カーナビにドライブレコーダーとか。エンジンキーじゃなくて、ボタンでスタートとか。助手席で運転を見ているだけで全身が緊張する。自分の息子ほどにも歳の離れた「人間像」に参加した古宇伸太郎みたいな心境。

 
▼ 電磁台  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:14  No.575
  神威岬にこんなものがあったなんて、この歳になるまで知らなかった。

電磁台(電波探知塔)
明治三十七年五月六日、神威岬の無電所が神威岬沖合にウラジオ艦隊が出没していることを受電し、それが原因で大騒ぎになったことがある。翌年の明治三十八年五月六日にも神威岬沖合にロシアの軍艦が出没したことで騒ぎが起こり、住民の安全を守るという意味で灯台を一時消灯したことがあった。
昭和十五年、ロシア軍が北海道に上陸する情報をキャッチするため無線塔一基、レーダー三基を神威岬に設置する計画を立て、二年後の昭和十七年に完成した。
その名残がこの電磁台である。
(側の解説板より)

二十年前の灯台スタンプラリーで懲りているので、岬の突端は遠慮しました。老体にはちょっとしんどい。

 
▼ アテナ像  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:17  No.576
  積丹半島一周を企てたのは、「北海道デジタル彫刻美術館」のおかげで、岩内町に撮り忘れた作品が一つあることを教えられたからでもありました。

[作品番号] 242
[作品名] アテナ像
[彫刻家名] 木下合金
[地域] 道央
[設置場所] 岩内町港公園
[設置環境] 野外
[素材] ブロンズ

 
▼ 東日本フェリー  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:21  No.577
  木下合金は小樽の会社じゃないかな。「アテナ像」の周りを子細に見たけど彫刻家のクレジットはありませんでした。(失礼な話だな。町長の名前は大書きしてあるのに…)
家に帰ってヤフー検索してみたら、「田中正秋」の名が浮上してきました。版画家として有名な方らしいが、よくわからない、調査中です。

それよりも、ここがフェリーが発着していた場所だったことの方が発見でした。ウィキペディア「岩内港」の沿革です。そうか、直江津か…

1907年(明治40年):町費による岩内港修築工事着工。
1945年(昭和20年):アメリカ軍による空襲を受ける(北海道空襲)。
1953年(昭和28年):「地方港湾」指定し、岩内町が港湾管理者となる。
1964年(昭和39年):中央ふ頭-5.5 m岸壁竣工。
1975年(昭和50年):中央ふ頭-7.5 m岸壁竣工。
1985年(昭和60年):「保税上屋」指定。
1990年(平成2年):新港地区-8.0 m岸壁竣工。東日本フェリーによる岩内―直江津間フェリー航路開設(1999年休止)。
2000年(平成12年):「特定地域振興重要港湾」指定。
2003年(平成15年):港内にて海洋深層水取水開始、臨時分水施設完成。
2005年(平成17年):岩内町地場産業サポートセンターオープン。フェリーターミナル解体


▼ はみだしっ子   [RES]
  あらや   ..2021/08/22(日) 11:04  No.573
  http://moonlighting.jp/sekaiten/

第一回目のワクチン接種を受けた週末、札幌の「三原順の世界展」に行ってきました。普段、手作り作品のバザーなどをやっている会場なので、あんな狭い場所だからきっと原画がちょぼちょぼ並んでいるような展示会を想像していたのだけど、全然ちがった。小学一年生の冬休み絵日記から晩年(といっても42歳だが…)の作品考察まで、じつに完璧に「三原順の世界」してた。さらに〈無料〉というのが素晴らしい。

『はみだしっ子』を見ると、最初に勤めた県立高校の図書館を思い出す。石油ショックのおかげで札幌の図書館の道も絶たれ、初めて足を踏み入れた土地で、当然県立図書館勤務だと思っていたのに考えてもいなかった県立高校に配置されたりして不安定な気分だった。大学に司書課程がなく、夏の文部省講習でやっと資格をとった程度の図書館学なのにボロが出なかったのは、普通の社会人のように大人数の職場で揉まれることのない、学校の五階の一人職場だったからかもしれない。そんな未熟な司書の図書館に自然に集まって来たのが「はみだしっ子」たちだった印象がある。教室にいられない、いたくない子どもたち。
今回、ふと三原順の42年の人生を垣間みせてもらって、あの時の「はみだしっ子」たちや私について多くの気づきがありました。何を思ったかはまだ語りたくない。相変わらず未熟だし。今、私がやっている「人間像」がその1974年、石油ショックの時代に入ったことをとても不思議な縁と感じています。



▼ 滝錬太郎   [RES]
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:10  No.572
  先日、道新が突然「滝錬太郎」の記事を載せて、その記事で滝氏が昨年三月にお亡くなりになっていたことを知りました。

 滝錬太郎 多彩な美術家
 東京の一等地、銀座4丁目父差点に立つ和光ビル屋上の時計塔は、言わずと知れた銀座のシンボルだ。だが時計の文字盤下の唐草模様をデザインしたのが、昨春78歳で死去した美術家の滝錬太郎だと知る人は少ない。
 明治の1894年に完成した初代の時計塔が解体され、現在の2代目が登場したのは昭和初期の1932年。戦後の54年6月10日の「時の記念日」以降は「ウエストミンスター式チャイム」の音が毎定時に鳴り響き、銀座の風物詩となった。
 滝は70年代前半の改修で活躍。現在の文字盤下の唐草模様4面を手掛けた。「最初のデザインを和光に見せたところ一発でOKをもらいました」とうれしそうに語っていたという。時計塔は2009年、国の「近代化産業遺産」にも認定された。
 (中略)
 北海道の自然を愛した滝は毎年、オホーツク管内遠軽町で陶芸教室を開き、町には多くの作品が屋外展示されている。滝がアトリエを構えた埼玉でギャラリー碌山を営む浅見洋子さんは「とても穏やかで物静かな芸術家でした。どの作品も力強く、よく見ると穏やかさが感じられる。そこが愛されたのでしょう」。
 (後略)
(北海道新聞 2021年7月5日夕刊)

私には遠軽町生田原にある『オホーツクの風』がひときわ美しい。



▼ 違星北斗歌集   [RES]
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:05  No.571
  六月のある日、この本、『違星北斗歌集』が贈られてきた。おお、凄いな、山科さん、ついにやったな。早速、礼状を書こうとしたんだけど、本が角川書店の方から送られてきたので住所がわからない。それで、こちらの方に書くことにします。

最初の遺稿集が世に出てから九十一年、ついに私たちが正確に違星北斗の人生を辿ることが出来る本が生まれたことを喜びたい。しかも、誰もが手にすることができる文庫本。山科清春さんが積み重ねて来た発見や考察を、最も「正しい道」で表現したと感じる。これが私たちの「違星北斗文学館」だ。

タイトルを、『コタン』ではなく、『違星北斗歌集』としたことは卓見。これで「感傷的に歌よむやから」と決定的な別れを果たしたと思ったのだが。帯に「アイヌの啄木」と書いた角川の社員かデサイナー、消えてしまえ。

時系列に歌が並んだことで、須田茂さんの、小樽新聞の北斗の歌には並木凡平の手が入っているのではないかという指摘がかなり鮮明なものになったように感じました。全てを時系列で整え、山科さんの解題・語注で補強し、その上での同人誌『コタン』創刊号の全文掲載には拍手喝采でした。



▼ 第1回 朝里川桜咲く現代アート展   [RES]
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:40  No.567
  桜、咲いていましたよ。小樽は蝦夷山桜の季節です。「ハルカヤマ藝術要塞」が幕を閉じてしまって淋しい想いをしていたけど、朝里が頑張ってくれたおかげで少し元気が出た。この、コロナ下での開催には本当に頭が下がる。

頭が下がると云えば、「北海道デジタル彫刻美術館」、ついにスタートしましたね。昨年夏から待ち望んでいました。以下、四月の道新記事の引用です。

 野外彫刻3150点ウェブに収蔵
 札幌の市民団体 保全の広がり期待
 IT初心者ら 道内巡りコツコツ30年
 野外彫刻の調査や清掃などを行う市民団体「札幌彫刻美術館友の会」が、道内の野外彫刻をデータベース化し、ウェブサイト「北海道デジタル彫刻美術館」を開設した。野外彫刻を一括管理する組織も資料もない中、会員が各地をまわって一つ一つ調査。会員の多くがシニアのIT初心者≠ニあってデジタル化に苦戦しつつも、「継続は力なり」を合言葉に足かけ約30年、ようやく念願を果たした。
(北海道新聞 2021年4月10日夕刊)


 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:43  No.568
   公開を始めたのは3月中旬。その直前には、同会の橋本信夫会長(88)ら会員4人が札幌市内で集まった。「デジタル彫刻美術館」の本格運用を控え、検索機能などの最終チェックをするためだ。
 だが、メンバーは「あれ、ここどうするんだっけ」「なんか違うんじやない?」「これかしら」―。なにやら混沌とした空気が漂っていたが、細川房子さん(73)は「パソコンできる人いないのよ。ただのおじさん、おばさんですから、いつもこんな感じです」と笑った。
 「北海道デジタル彫刻美術館」は道内179市町村に設置された3150点を網羅。作家数は729人にのぼる。市町村や彫刻の素材などで検索すると、該当する作品の写真とともに、作品名や作者などを知ることができる。
 サイトの基になったのは、会員だった仲野三郎さん(故人)が1987年ごろから独自に始めた調査だ。妻と各地の野外彫刻をたずね、約20年かけて2400点を撮影。制作年や素材などの基礎資料も収集した。これを他の会員たちが引き継ぎ、さらに約700点を追加。2006年から資料のパソコン入力を始め、データベース化を目指した。

 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:46  No.569
   メンバーは60〜70代が中心。自力でパソコンやインターネットを習得し、ホームページ制作や地図作成といった技術は講習会に参加するなどして学んだ。会員の入退会などで作業が停滞気味の時期もあったが「一つ一つ丹念に教え合い、補い合いながら」(橋本会長)、コツコツとゴールを目指した。
 サイト開設の背景には、野外彫刻が置かれている厳しい現状がある。コンクリートや木は経年劣化や腐食が進みやすい。耐久性が高いブロンズも、酸性雨の影響とみられる変色などが起きる。定期的なメンテナンスや保全対策がとられないまま、劣化が進んでいる作品も少なくないという。「野外彫刻は設置して終わり、ではない」と橋本会長。作品を知ってもらい、文化財としてどう守っていくか考えるきっかけになれば、と期待する。
 本郷新記念札幌彫刻美術館の吉崎元章館長は「(同館で)数十年前に道内の野外彫刻を調査したことがあるが、あくまで書類ベースだった。会員が実際に足を運んで調査した確かな情報が、誰もが見られる形で公開されるのは、とても価値がある」と評価する。
 実はデジタル彫刻美術館はまだ完成しておらず、解説文を付ける作業が続いている。既に解説が完成しているのは札幌市内や近郊の作品約120点で、残りあと約3千点。会員の地道な歩みはこれからも続く。

 
▼ 北海道デジタル彫刻美術館  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:52  No.570
  https://sapporo-chokoku.jp/digital-sculpture/search.php

例えば、岩内町の人影ない雷電海岸にあるレリーフ。壁面に「ヒデノリ」のサインがあったので作者は米坂ヒデノリと直感したのだが、裏面に彫った碑文は潮風に腐食されてぼろぼろ。タイトルも来歴も何も読めない。最近、古宇伸太郎『漂流』の仕事をやっているので、昔この海岸線は鰊漁で賑わった、一応小学校はあるくらいの集落であったことを知りました。でも、現在はレリーフひとつがぽつんとあるだけで、あたりには建物ひとつない。あんな人気ない場所の彫刻、載ってないだろうと「岩内町」を検索したら、載ってた。凄い。

このホームページは残ると思いますね。パソコン技術なんか、本当に伝えたい気持があれば後からついてくるとも思う。事実、自分の足で歩き、ここにこんな彫刻があるんですよ、この美しさを誰かに伝えたい、残したい…という気持を過不足なくストレートに表現している大変すぐれた機能と思う、このシステムは。しかも〈無料〉だ。芸術の森美術館が典型だけど、入館料払わないと見られない野外彫刻なんてナンセンス。こういう美術館は〈野外彫刻〉が持っている意味や価値を意図的に誤解していると私は思っている。少しは「北海道デジタル彫刻美術館」の知性を見習ってほしい。

各市町村毎にひとつかふたつ載っていない作品があるのだけどどうしたものか。今現在も新しく建てられる彫刻もあれば、老朽化や設置主体や設置場所の変転によって消えて行く彫刻もある。札幌彫刻美術館友の会に通じる回路みたいなものがあるともっと良くなると思うのだが。


▼ 穂足内騒動   [RES]
  あらや   ..2021/04/08(木) 10:45  No.566
  「一説には、この浪人は江戸浪人とあるから、多少は江戸生活も知っていたのだろう。下国なんか江戸屋敷にいる間に、何か女の事件を起して脱藩したものとすると、ますます面白くなるのだがね」
「それじゃいよいよ大衆小説だ」
 笑話になったが、永田の頭の中にはすでに下国と荒谷が一種の英雄となって存在しているのを梶は知った。このいい気な歴史家の妄想を叩き破るには、史実によるほかないのである。
(丹羽文雄「暁闇」)

丹羽文雄、読んだの、これが初めてではないだろうか。(ちがうか…)
古宇伸太郎『蛾性の女』のライブラリー化で「北海道文学全集」を調べていたら、解説に、丹羽文雄が来道した折古宇伸太郎が案内した作品があると知って興味を持ったのでした。それがこの『暁闇』。文中の梶が丹羽文雄、永田が古宇伸太郎ですね。そして、扱っている素材がなんと「穂足内騒動」ではないですか。
「人間像」第84号の古宇伸太郎『暗礁』以来、変に「穂足内騒動」づいているのが不思議です。『暗礁』の物語仕立ての巧みさに比べると、『暁闇』は史料を梶と永田の軽妙な会話でコラージュしただけの随分お手軽な作品だなあと思って読んでいたのだけど、ラストの場面でバックドロップ! 一転、気品ある小作品に変貌したのでした。大作家って、こうなのか。

この前見つけた、過去のライブラリー仕事の破片もこちらに寄せておきます。
http://www.swan2001.jp/oa074.html









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