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司書室BBS

 
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▼ 別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号   [RES]
  あらや   ..2021/12/24(金) 11:41  No.869
  12月17日より「別冊人間像」作業に入りました。『つばさの人』、『ひとり飛ぶ』、『女流飛行家第一号』、『絆』、『おお!少年航空兵』と来て、今日から『渡り鳥記』へ。
「人間像」に発表された作品についてはその作成ファイルを利用し、他誌に発表されたものについてはいつものワープロ原稿から始めてと、作品によって作業が異なるので、今回はなかなか時間が読めない。加えて、大雪があったり、世の中が年末年始のモードに入ったりで、なかなか落ち着いて作業していられないのが少し悩みですね。

 お父様、ごめんなさい。いつまでも手をふっていられたお父様の孤独なお姿が、私の心に今も消えずに残っております。
 七尾よ、さようなら。私の過ぎし日よ、さようなら。空虚になった自分の心をどうしていいのかわかりません。
(平木国夫「絆」)

この『絆』の次に、「七尾中學一年 平木國夫」が書いた『おお!少年航空兵』が続くなんて、粋な演出ですね。平木氏の作品は二度目に読み返した方が感じます。こんなにきっちりした作品だとは思わなかった。


 
▼ 渡り鳥記  
  あらや   ..2021/12/31(金) 16:39  No.870
   ロスアンゼルス着が午前八時十分。一時間五分後に国内線のジェットでデンバーまで一時間五十分。デンバーからウイチタ行きは二時間四十分も待たなければならず、空港のレストランで軽い食事をした。レストランにはいって、はじめてアメリカにいるんだなと実感として受けとった。それはウエイトレスたちがみんなアメリカ人だったことだ。
(平木国夫「渡り鳥記」)

本日、「渡り鳥記」をライブラリーにアップしました。年内の仕事はこれにて終了。で、明日元旦からは「李ラインを越えて」に入ります。

「渡り鳥記」は初めて読んだのですが、面白かったですね。上のちょっと不思議な文章、平木国夫氏は、戦後のある時期、駐留軍で通訳を職業としてきたので、自然、アメリカ人たちとスナックバーやレストランに出かけた際、日本国内ですからもちろん日本女性のウエイトレスしかいなかったわけです。アメリカ女性は男性を従えて肩をそびやかしてレストランに入って行くもの、そんな観念に自然馴らされてしまっていた平木氏にとって、「ウエイトレスたちがみんなアメリカ人」の光景は、たしかにここは日本ではなく異国であったというエピソードです。「渡り鳥記」はそんな気づきに満ちている。時代をうまく纏っている。

 
▼ 迎春  
  あらや   ..2022/01/01(土) 16:12  No.871
  2022年。今年もよろしくお願いします。

 駅からの帰り途、ホテルの近くのスナックバーで葡萄酒を注文した。私があてずっぽうに、
「ヴィノをくれ」
 と英語まじりでいったら通じたのだ。イタリヤ語でも同じらしい。なんとなく心身ともに疲れたせいか、ローマのヴィノがマドリッドのとくらべて、まずいのかうまいのか識別することが出来なかった。
(平木国夫「渡り鳥記」)

昨夜呑んでいたワインのラベルを何気なく見たら「ヴィノ」だった。英語のWINEがスペイン語のVINOなのね。(瀬田栄之助氏の作業の時に使った「スペイン語ミニ辞典」による)
元旦は大吹雪。『李ラインを越えて』は書き換えがかなり多いので、正確を期すためワープロ原稿から起こすことにしました。

 
▼ 楽書帖「空気の階段を登れ」  
  あらや   ..2022/01/14(金) 11:59  No.872
   「ぼくがもう一度、小野さんが書いた筈ですよっていうと、冗談じゃない、おれは作家じゃねえけどペンで食っている人間だ。プロとアマの文章が区別つかないほど耄碌しちゃいねえよ、ですってさ」
 朝日の航空部長というのはパイロットではなく、社会部記者出身である。私自身は、もちろんそんなすぐれた文章を書いたなどとは思っていないけれど、読む人が読めばわかってくれるんだな、ということがわかって嬉しかった。小野部長にはそれがわからないのだ。すると、朽木が「婦人公論」に「中島成子戦記」のゴースト・ライターになったときのことを思い出した。
「朽木さんに頼まなくても、これくらいの文章だったら私だって書けますね」
 と中島女史が、婦人公論の記者にいったという。もっとも小野の方は中島女史より少しはましなようで、書きなぐりの文章をそのままで外部の人にわたさず、必ず私の手もとを通過させている。とはいえ構成とか文章の省略とかいったことがさっぱりわからず、だらだらと書きつらねて、まともな文章を書いたと思っているのだからかなわない。
(楽書帖/6.「翼に賭ける」刊行)

1月5日からこっち、平木国夫『楽書帖』のワープロ起こしです。10日間かかって、やっと半分くらいの分量の第16章まで来ました。もう10日間か…
ここ数日小樽は大雪で、みるみる「人間像」の作業時間がとられます。こんな日々が、昨日今日なんてものじゃなく、ひと冬えんえんと続く山麓の地を思い出しました。
「翼に賭ける」、大変興味深いので「日本の古書店」に発注した。

 
▼ 出版記念会  
  あらや   ..2022/01/25(火) 11:04  No.873
   私自身は、『空気の階段を登れ』という題は、非常にいい題だと思っておりました。しかしそれは、文学的に見ていい題だと思っていたんですけれども、平木さんの本を読んでみましたら、初期の飛行家が、ヒコーキの高度を上げるときには、空気という目に見えない階段を一段ずつ登るように、機体を操縦しながらあがっていくんだ、ということが、書いてあって、ああなるほど、これはただ文学的な言葉だけでなくて、ヒコーキの高度をあげるときに必要な技術だということがわかりました。航空界に住んで、小説を書いている平木さんは、両方の世界を知っている人であって、この題を、平木さんが選んだのは、やっぱり見事だったなと思って、それにも感心しました。

長かった『楽書帖「空気の階段を登れ」』が漸く終わって、今、ラストの出版記念会レポートを通過中です。上のスピーチは八木義徳氏。この少し後には、ヒコーキに乗って東京に来た針山和美氏も登場します。
この『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』は、大雑把に言えば、『空気の階段を登れ』という歴史的作品がこの世に生まれてくるまでの平木国夫氏の二十年間をまとめたものと言えるでしょう。『翼に賭ける』なんて、その二十年間の中の一エピソードにすぎない。調子に乗って古本屋から買っちゃったけれど、こんなの読んでる場合じゃない。もう一度、『空気の階段を登れ』をちゃんと読み返そうと思いましたね。

たぶん今週中にはフィニッシュではないでしょうか。

 
▼ 祝電  
  あらや   ..2022/01/27(木) 17:44  No.874
  オメデトウサラニケンサンノカイダンヲノボリブンウンノソラニハバタケ」 チダサンシロウ (北海道、千田三四郎)
ワレモマタクウキノカイダンヲノボルココチナリ、バンザイ」 フルウシンタロウ (北海道、古宇伸太郎)

本日、「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」、完了しました。私もまた「クウキノカイダンヲノボツタ」心地です。
今回は400ページの本を自分でコピーしたわけではないので参考にはならないと思うけど、まあ記録として… 作業時間は「208時間/延べ日数39日間」でした。(年を越してしまった…) 収録タイトル数は「1859作品」に。

また今回の作業は、年だけではなく、Windows10からWindows11の移行も跨いでいました。で、言っちゃあ何だが、Windows11、最悪ですね。仕事に使っている機能のことごとくが使いにくくなった。いつもなら一時間もあれば完了する画像処理が、何時間もかかる。どうも、慣れれば元に戻る…といった手応えではないですね。スマホとの関連付けに夢中になって、古典的な機能を捨てたんじゃないか。


▼ 「人間像」第96号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/11/18(木) 12:09  No.864
  11月12日より第96号作業へ入りました。今日、巻頭の作品、佐々木徳次『二つの柩』をアップしたところです。第96号の創作は、『二つの柩』以降、針田和明『うそ発見薬』、平木国夫『さい果ての空に生きる(二)』と並ぶのですが、いずれも大作で、全220ページの内、120ページをこの三篇で占めています。また一ヶ月くらいかかるかもしれない。

ここから一ヶ月だと、もう世の中はクリスマスかあ…


 
▼ 間宮茂輔  
  あらや   ..2021/11/22(月) 13:52  No.865
   東京ステーション・ホテルのホールは駅の二階だった。はじめてみる。きらびやかな装飾がなく、いかにも大正年代らしい雰囲気で、両先生を偲ぶにふさわしい。すでに参会者が廊下に待っていた。御遺影を渡す。受付の白髪の人が、どうも間宮茂輔氏らしいが確認できない。ここにも二十年の歳月が流れている。
(古宇伸太郎「墓参」)

間宮茂輔(まみや・もすけ)は、私、知りませんでしたね。『墓参』のこの部分も無意識に読み飛ばしていました。お恥ずかしい。(ステーション・ホテルはちゃんと記憶しているのに…)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E8%8C%82%E8%BC%94

第96号、福島昭午『間宮茂輔氏の想い出』、平木国夫『遠くの隣人』を本日アップしました。これより平木国夫『さい果ての空に生きる』に入ります。

 
▼ 上出松太郎  
  あらや   ..2021/11/29(月) 18:24  No.866
   やがてアブロは、飛行場の真上で、右に、左に、急旋回をやった。するうち水平に姿勢を正し、不意に機首が下って、急降下にうつった。墜落だ、と誰の目にもそう映じた。ところがクルッと半円を描き、逆さになり元に戻った。そうだ、宙返りだ。永田操縦士も、あんなふうな宙返りをしてみせたっけ。村人が見上げる中で、アブロの宙返りは、二度、三度とくり返された。次に逆転をやり、燕返しをやった。村の人には、それらの正式な名称はわからないが、そうだろうと思った。彼らが思った通りの名前でいいのであった。もちろん逆転に見えたのは宙返り反転《ループ・ハーフ・ロール》、燕返しに思われたのは失速反転《ストーリング・ロール》であった。その他、はじめて見る曲技飛行の数々が展開された。
「こりゃ、名人だ」
(平木国夫「さい果ての空に生きる(二)」)

いやー、上出松太郎、しびれました。もの凄く得した気分。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0123415100/0123415100100040/ht100040

明日から第96号後半戦へ。今日は『さい果て』の仕上げで疲れたから、これまで。

 
▼ 「人間像」第96号 後半  
  あらや   ..2021/12/16(木) 14:22  No.867
  昨日、「人間像」第96号作業、漸く完了です。作業時間は「168時間/延べ日数31日間」。収録タイトル数は「1844作品」になりました。

215ページの大冊ですから、まあこんなものなのでしょう。年内の「100号通過」など、夢のまた夢といった状況です。
215ページの内、じつに77ページを占める上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史』ですが、針山編集長から「第99号までに完了するよう」厳命が下ったようで、この後どんどんページ数が増して行きます。先ほどちらっと第97号を見たら、『ある文学徒』だけで130ページに及んでいました。頭くらくらします。

その『ある文学徒』が扱う「人間像」、ついに第50号に到達しましたね。そうか、『たんぷく物語』の登場は第50号の記念号だったとか、小野静子さんを含む東京同人会の笑顔とか、なにか、懐かしいものに溢れていました。少し元気が出た。さあ、第97号、頑張るぞ。

 
▼ クリスマスの贈り物  
  あらや   ..2021/12/17(金) 10:15  No.868
  さあ、頑張るぞ!と第97号に取りかかろうとしたのだけど、奥付を見たら「昭和51年6月1日」の発行日になっている。第96号が「昭和50年5月20日」だったから、この間、一年以上の時間が流れている。こんなことは「人間像」の歴史の中ではなかったことなので、また旭川刑務所のミスプリか?とも思ったのだが、そう言えば、第96号の編集後記に気になる一文があった。

寡作な同人の多い中にあって、例外的に量産型なのが平木である。職業柄、海外旅行など多く、決して時間のある方ではないが、今連載中の長篇の他に、いろいろな誌紙に執筆、その間をぬって今作品集の編集の最中である。千三百枚の内容で別冊人間像という形でこの夏か秋には刊行の予定である。まさに情熱の男というところである。

ああ、あれか!ということになったのでした。『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』。この号は針山家でも所蔵してなく、北海道立文学館にコピーをお願いしたのですが、後日、厚さ3pほどの紙の束が送られて来た!という代物です。「人間像」史上最大の400ページに及ぶ号なのでした。(通常の「人間像」のサイズだと思ってコピーを依頼したのですが… 道立文学館には本当にご迷惑をかけました。400ページだと知っていれば手伝いに行くんだった…)

というわけで、これから『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』の旅に出ます。帰ってくるのがいつになるか、今の時点では想像もつかないです。


▼ 「人間像」第95号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/10/21(木) 09:23  No.861
  10月10日より第95号作業へ入っています。平木国夫『さい果ての空に生きる(一)』、内田保夫『勝利への陥穽』、針田和明『灰とキリスト』、富士修子『回転木馬』は人間像ライブラリーにアップ済み。今日から、第95号の最高峰、蛭子可於巣『空洞に響く』に入ります。ちらっと「穂足内騒動」などという言葉も見えて、血が騒ぎます。

今、書類棚の一角を空けて、沼田流人の資料をまとめ始めています。第100号通過の辺りを目処にライブラリーの新展開があるかもしれません。


 
▼ 空洞に響く  
  あらや   ..2021/10/27(水) 18:29  No.862
   『長野って、アイヌの口誦文芸なんかについて解説してる、あの長野かい』と仙堂。
『聞きたいな』と堀川も。
 エミは、寄りかかる仙堂の躰を避けるように、そっと腰をソファーの端にずらした。『その有名な長野さんに対して、おまえは俗物だよ。まぎれもない俗物中の俗物だ、って。頭が禿げ六十歳を越した温厚な長野さんが、とうとう赤沼さんの罵倒に耐えられなくなって、子供みたいに大粒の涙を零してたわ』と言って、腿のあたりを這っていた仙堂の手をやわらかく押え、『どうしようもないいたずらっ子』とたしなめた。
(蛭子可於巣「空洞に響く」)

千田三四郎(=蛭子可於巣)さんの単行本の作品なら全部読んでるつもりだったけれど、なんかこれは読んだことがないな…

作業してて、深く納得。意図的に単行本からは外したのですね。「人間像」で読めればそれでいい、「人間像」で読むことに大事な意味がある、と云うべきか。「人間像」の仕事をしていて、幸運だった。

 
▼ 「人間像」第95号 後半  
  あらや   ..2021/11/10(水) 17:00  No.863
  昨日、「人間像」第95号作業を終えました。作業にかかった時間は「137時間/延べ日数27日間」。収録タイトル数は「1825作品」へ。

なんと一ヶ月もかかってしまった。上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史』には教えられることも多いのだが、付随的に今まで手掛けた「人間像」を再度チェックすることになるので時間がかかるのです。今回は、第24号から第35号までを手直ししました。
見慣れないペンネームがどんどん登場して来て驚かれると思います。これは、「人間像」という一つの雑誌の中で各人が何種類かのペンネームを使い分けるからなのです。例えば、上沢祥昭氏は詩作品を発表する時は「上沢祥昭」ですが、小説には「神坂純」を使います。(昔は「冬野管」を使ったこともあったかな…)
ペンネーム一つだけを使い続けた人って瀬田栄之助氏だけじゃないかな。書きまくっていた頃は、一冊の「人間像」目次に「瀬田栄之助」の名が三つも四つも並ぶことがありましたからね。あれはあれで壮観なものでした。

さあ、第96号へ。北国は雪が積もる前にあれこれやらなければならないことも山積みで、年内の100号通過は難しい状況ですが、行けるところまでは行くつもりです。


▼ 「人間像」第94号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/09/20(月) 11:32  No.857
  9月17日より第94号作業へ入りました。本日、津田さち子『大和ばかの記(8)』、平木国夫『大空に生きる』ほかを人間像ライブラリーにアップしたところです。これから平木国夫『絆』作業に入ります。その向こうに針田和明『人魚の島』が見えているんだけど、なんか面白そう。「第一章 りしり」だって。

空は晴れているのに、風が冷たい。カーリングの季節が始まって、歯医者通いも再開。年内の第100号到達、狙ってます。特に意味はないけど…


 
▼ 人魚の島  
  あらや   ..2021/10/01(金) 11:14  No.858
  九月中に平木国夫『絆』、針田和明『人魚の島』のアップ完了。
『人魚の島』は、作業前は古宇伸太郎『漂流』みたいな小説を思っていたのだけれど、やってみたらチェーホフの『サハリン島』というか。もう少し文章やテーマが洗練されれば、「人間像」初期の金沢欣哉さんがやっていた漁村文学の進化形になるんじゃないか…とか、いろんなことを思いました。ソ連軍進駐から引揚げまでの残留日本人たちの暮らしは大変勉強になった。
第一章・りしり/利尻島の少年期〜鰊漁〜小樽水産学校
第二章・からふと/元泊〜海豹島〜結婚〜ロシアパン〜岡田嘉子
第三章・とよはら/太平洋戦争〜ソ連進駐軍〜漁業トラスト〜引揚船(真岡港)
第四章・ほっかいどう/引揚船(函館港)〜CIC北海道本部〜物価局〜小樽漁業協同組合
小樽の波止場に佇む物語ラストがいいね。

今日10月1日は、買い替えた空気清浄機(コロナのおかげで量販店の人気ナンバー1商品みたいですね…)の置き場所づくりで部屋の掃除からスタートです。

 
▼ セールスマン物語  
  あらや   ..2021/10/08(金) 14:28  No.859
   一と口に一年とは云うものの、此の一年間は私の過去を通じて最も大きく私の性格を変えて了ったと云える。いや、性格が変って了ったと云うのは云い過ぎかもしれない。が、少くとも以前の私には出来ない事を、或る程度平気で実行して居る自分に驚く事がある。
 此の間も、こんな事があった。
 出張から帰った日だったと気憶している。
 夜行に乗って小樽へ着いたのは、朝、九時少し前だったのだが、出張後の整理や、主任との連絡に時間を費して朝食を食べ損ね、昼休みのベルを聞いて、にわかに激しい空腹を感じ、近所のソバ屋へ飛び込み、ザルソバを註文した時、顔見知りの女中が私の前に四つ目の折りを運び乍ら「今日は随分、お上りになりますのね…」と冗談半分、お世辞半分の調子で云った。
「うん。きみの顔を見乍らだと、幾つでも食えるんだよ」 私の口から、実にすらすらと出た冗談である。云って了って、顔の赤らむ思いだった。二十才を越したか越さぬばかりの私が、冗談にせよ、こんな事を云うようになって居たのだ。その言葉の卑俗さよりも、私は殆んど無意識のうちに、それを口にしたと云うことに、或る悲しみにも似た想いを味って居た。
(渡部秀正「セールスマン物語」)

これは、上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史(4)』に引用された渡部秀正『セールスマン物語』です。うーん、ちゃんと新字新仮名になっている…

 
▼ 「人間像」第94号 後半  
  あらや   ..2021/10/08(金) 14:36  No.860
  「人間像」が新字新かなに切り替わるのは第50号あたりだったでしょうか。かなり遅い。人間像同人は旧制中学最後の世代ですから、基本的に旧字旧かなで教育を受けた人たちです。戦後の代用教員で学校に行ったグループは比較的早く新字新かな/当用漢字に対応して行くのですが、そうではない、旧制中学から直で社会人になった人たちはけっこう遅くまで旧字旧かなで小説を書くんですね。(まあ、これは「人間像」だけに限ったことではなく、「文学界」や「新潮」などの一般文芸誌なども切り替わるのは遅かったのですが… 新字新仮名を嫌う大御所がほとんどだったのでしょう)

いつまで経っても「新字旧かな」の時代が続くので、業を煮やして自主的に「新字新かな」表記に換えたのは「人間像」第37号からです。画面が急にくっきりはっきり、「人間像」が読みやすくなった日のことを今でも覚えている。

もっと早く気づくべきであった。『セールスマン物語』を読み返してみて、今すぐ「新字新かな」に直したい欲求を抑えることができない。こんな素晴らしい渡部さんの世界が「旧かな」のせいで皆に読まれないとしたらとても悲しいことだ。もっと早く切り替えるべきだった。せめて、ガリ版の時代が終わって、活版が定着する第23号以降は、いつか「新字新かな」を実現したい。いや、する。

というわけで、昨日「人間像」第94号作業、完了です。作業にかかった時間は「107時間/延べ日数20日間」。収録タイトル数は「1792作品」になりました。


▼ 「人間像」第93号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/08/27(金) 16:59  No.854
  8月23日より第93号作業に入りました。本日、津田さち子『大和ばかの記(7)』、平木国夫『亀勇という女』、上沢祥昭の詩三篇などを人間像ライブラリーにアップしたところです。そしてこれから蛭子可於巣(=千田三四郎)『詩人の斜影』作業に入ります。長いし、ルビ多いし、かなり手間暇かかる作品なので、今度ご報告する時は九月になってしまうことでしょう。かくて、短き北国の夏は終わりぬ。

個人的にも『詩人の斜影』は懐かしい作品です。今から二十年くらい前、千田三四郎が「人間像」同人だったとはつゆ知らず、主に〈啄木〉方向から千田作品を夢中で読み漁った時期があるのです。どの作品も印象深かったが、『詩人の斜影』はその中でも洞爺丸台風クラスの衝撃だった記憶がある。その伝説の作品に今ここで再会するなんて、人生って不思議なもんだな…とちょっと思う。


 
▼ 詩人の斜影  
  あらや   ..2021/09/06(月) 11:54  No.855
   紳士の歯ブラシのような髭がだんだん目障りになり、このような一方的な饒舌のお相手がしんぼうしきれなくなったのです。無下な断わりで、しなければならぬ煩瑣な応答に手間取るよりは、面倒をなるべく避けたくもあったのです。早く帰ってもらうためにと安易に考えて、しまってあった問題の詩集を取り出してきました。しかも汽車が停留する小都市の駅へ紳士を送る馬車の手配までも牧童に指示して。
 だが慎司は、詩集を他人の目にさらしたとたんに、これまでの思惑が激しい後悔へと揺れ動きました。紳士の好奇心が髭のかげで卑しげに相好を崩していそうなひがみすら覚えて、芳江の名がしるされた見返しに指先が、たばこのニコチンの沁みたそれがさわったとき、いましがたの投げやりな迷いとは裏腹に、清潔なはずの妻の肌がたちまち汚されてゆくような逆撫での悪寒に耐えねばなりませんでした。
(蛭子可於巣「詩人の斜影」)

本日、『詩人の斜影』、アップです。ルビ処理に丸々二日間かかったよ。上の十行ばかりの文章に、饒舌《じょうぜつ》、煩瑣《はんさ》、思惑《おもわく》、相好《そうごう》、沁《し》みた、逆撫《さかな》で…とルビが入る。それが延々50ページばかりも続くのだから往生しました。でも、名作を無事仕遂げた安堵感で今は胸いっぱい。

これも吉田孤羊。『詩人の斜影』を読んだ後、啄木会時代、ミーハーで北村農場ツアーに参加したしたことを恥じたものでした。今は和解したものか、農場に「バタ」歌碑も建っています。

 
▼ 「人間像」第93号 後半  
  あらや   ..2021/09/17(金) 09:22  No.856
  昨日、「人間像」第93号作業を完了しました。作業にかかった時間は「112時間/延べ日数22日間」。収録タイトル数は「1766作品」になりました。

第91号の「90時間/延べ日数16日間」に比べ1.5倍くらいの時間がかかっているのは、『詩人の斜影』と『ある文学徒集団の歴史(3)』があったからでしょう。
収録タイトル数も「1662作品」から「1766作品」に跳ね上がったのは、『ある文学徒―』の仕事をやっていると、付随的に初期の「道」「人間像」作業の見直しをしなければならなくなるからです。今回も、過去の同人〈木下博子〉〈奥山昌子〉〈別府u〉の全作品をエントリーしました。
『ある文学徒―』第3回が扱っている時期は「活版印刷前夜」とでも云える時期です。自前のガリ版から孔版印刷(プロのガリ版)へと移って来て、同人もそれなりに腕を上げ、例えば渡部秀正『不安な年代』や葛西庸三『腐敗せる快感』などといった力作が生み出せるくらいには成熟して来た時代です。(といっても、『不安な年代』を書いた時の渡部さんは小樽の高校三年生ですからね、恐れ入ってしまいます…)
「人間像」が活版に踏み切る時期というのは、「人間像ライブラリー」的に云うと漸く現在の検索システムがホームページに登場した時期にあたります。仕事を始めた四月以来、自分が今作っているファイルが形になるのかどうか判らない不安から解放された時は本当に嬉しかったなあ。

画像は第18号の裏表紙。ついに裏も使うようになりました。孔版時代の華とでも申しましょうか。


▼ 「人間像」第92号   [RES]
  あらや   ..2021/08/10(火) 18:47  No.850
  8月4日より第92号作業に入りました。現在、同人他の〈追悼文〉部分を終え、古宇伸太郎〈作品特集〉に入ったところです。『漂流(第7回/最終回)』に相当する部分を今進行中ですが、これ以外の作品はすでに作業を終えていますので、300ページを越える第92号てすが仕上がりはいつもより早いと思います。

また歯を抜いたので、今日は少し鈍痛だった。


 
▼ 漂流  
  あらや   ..2021/08/13(金) 16:26  No.851
   火をつけた。紫の濃い煙が光りの中で渦を巻き、縞もようを描き、一瞬、馬や犬や人の顔の形をつくって、消えた。何となく〈煙っていいなあ〉と思った。煙は、どんどん空へ昇っていってしまいには、雲にのりまたがって世界中を駆けまわれる。ひょっとすると、太陽や月や星の国々にさえ行けるのかも知れない。米の値段や貯金帖のことを心配しなくてもいいし、何より、簿記だとか算術などで顔をしかめなくてもいい。
 炭火が赤々と燃えパチパチはねる。煙が終ってこまかい白い灰が火気にのって飛びあがっては、落ちる。
 切り炉へ火を移しているうちにふと、窓のないあの部屋をもう一度はっきり見ておこうと思いついた。私の創りあげた立派な少年の住む部屋だ。

古宇伸太郎『漂流』のラストを書き写していて涙が出た。「私の創りあげた立派な少年の住む部屋だ」という最後の一行が小説家・古宇伸太郎の人生を見事に暗示しているように感じました。
第92号に『漂流』第七回というものはありません。追悼号ということで、『漂流』は第一章から最後の第百四章まで全て起こし、更に息子・福島昭午氏の「註」が付けられています。追悼号ですから、これはこれで人間像同人会のとる態度として正しいのかもしれませんが、私には、「私の創りあげた立派な少年の住む部屋だ」で止めた方が余韻が残ります。そこで、「註」の入らない『漂流』第七回を独自に作らせてもらいました。
お盆の入りの日に『漂流』が間に合ったこともなにかの縁でしょうか。福島さんの初盆に。

 
▼ おらが栖  
  あらや   ..2021/08/18(水) 17:51  No.852
  『漂流』を完了した時点で、もうこれ以降の作品はすでに作業済みのものばかりなので過去のファイルをコピペして、はい第92号終了と思っていたのですが…
『おらが栖』をいじり始めたらすぐに気づいた。書き換えられている! なんという執念なのだろう。そして、さらに驚いたのが、

――丸帯はさておいて問題は、奥さんに誤解され通したことです。A子の訴えだけを聞かれたのですから、妻の座から共感なさるのはごもっともです。しかし、妻子を棄てて若い女と駆けおちした、などというお考えだけは御勘弁ください。今は全智の世界におすまいですから、何も彼もお見とおしでしょうが、念のためいま私の口からじかにお聞きとり下さい。

第70号発表時の『おらが栖』は単に銭函版「ぼくのアウトドアライフ」といった作品だったのですが、ここに新たに、古宇伸太郎―福島昭午父子の確執の原点「離婚」の記述が入って来ると『おらが栖』は全く違った様相の作品になってしまいます。

福島氏が『父・福島豊』の中で、「父の書いたものはストイックではなかったように思う。いわば弁解じみたものにならざるを得ない性質のものである。私はそれがあまり好きではなかった」と言っていたのはこれかと思いました。福島氏はまだ許さなかった。その強烈な文学観が、古宇氏をして『漂流』の世界に踏み込ませたのでしょう。

 
▼ 子烏  
  あらや   ..2021/08/21(土) 10:01  No.853
   妻に対して疑惑を抱いたのは、十一月も末の朝のことである。小学校四年生の長男から、母親の留守を悲しむ手紙が届いた。――度たびの隣村ゆきに妹も弟もひどく淋しがっているし、今度は十日も戻らない、と訴えて、また、母の許しなく父へ手紙を書くことを禁じられているからこの手紙のことは、母に告げないでほしい、そういう内容がたどたどしい鉛筆がきで綴られてあった。不吉な予感で男の心臓がしめつけられた。妻の従弟の赤い歯ぐきの色が不潔な色でうかんできた。一度は、まさかと否定したものの、父ヘの手紙を禁じられている、という追い書が、否みがたい力をもって、迫ってくる。

書き換えられていたのは『おらが栖』と『子烏』でした。『馬頭観音』を改稿した『旧街道点景』に書き換えの手が入っていないのは、舞台が東京時代であり、〈離婚〉の経緯に直接かかわる事柄ではないからだと考えます。古宇氏にとっては、『蛾性の女』と同じく昔の作品なのだと思います。ただ、そうであれば、『おらが栖』と『子烏』は人間像同人である古宇伸太郎の〈今〉を、福島氏を始めとする同人たちに語る真剣な作品と云えるでしょう。緊張感は息苦しいほど。

本日、「人間像」第92号作業、完了しました。過去のデジタル化作品をかなり援用しているので参考にはならないかもしれないが、一応、記録として。333ページの「人間像」第92号に対して、作業にかかった時間、「77時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「1681作品」に。


▼ 「人間像」第91号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/07/13(火) 13:48  No.845
  7月8日より第91号作業に入りました。現在。津田さち子『大和ばかの記(6)』、田川仁『冬の庭』、平木国夫『シドニー通信』、蛭子可於巣『流離の軌跡』までをライブラリーにアップ。これから、佐々木徳次『海辺の里』、古宇伸太郎『漂流(第6回)』に向かいます。

 旅するガンの隊列が仰がれた。突然一羽のオジロウワシが出現し、いきなりその群れを掠め、数度の襲撃を試みたあと、あきらめたように彼方へ飛び去った。算を乱していたガンはたちまち元の列に復し、なにごともなかったように竿になり、すぐ鉤にかわって遠くへ消えていった。
 由太郎は網走より釧路をめざす途中であったが、こうして墓標のかたわらに立ちながら、地方回りの一座に身を投じた己れの在り方を確かめ、いままでを改めて振り返る心境になっていた。
(蛭子可於巣「流離の軌跡」)

千田三四郎さんの〈乾咲次郎もの〉がいよいよ始まりましたね。ここから、昭和60年(1985年)7月発行『人間像別冊/落ち穂』まで、飛ばしたい。


 
▼ 「人間像」第91号 後半  
  あらや   ..2021/07/21(水) 18:54  No.846
   「ほい、いやンなもの降ってきた」と顔をしかめて「風邪はやってるとよ。舶来の悪いかぜだとよ。気イつけれやあ、稔。――そンだなア、山田町さ寄って、コタツでも探してくるかア」といった。
 登校には早めだったが、霰の街をみたいのでおもてへでた。だが、もう止んでいた。寒さが頬にぴりッとしみる。水たまりに薄氷が張って、足駄の朴歯をのせるとパリンとさわやかな音をたてた。三つ目の氷を破ったとき、うしろに下駄音がひびいた。コウちゃんだ。赤い毛糸の襟巻と手袋だ。頬にも寒さが赤い。笑顔だ。
 しかし、女子校の門は、家の向い小路を抜ければ、早い。こっちは、倍も遠まわりだ。
〈あッ、いっしょに行くつもりだ〉と感じて、あわてた。
(古宇伸太郎「漂流」第六回)

私、一応、小樽の在ですからね。稔とコウちゃんの動いている位置関係までイメージできます。この〈小樽〉、いいなあ。
「いやンなもの」の表現には、違星北斗の『志づく』冒頭、「悪いもの降りましたネイと挨拶する北海道の雪の朝方」を口ずさんでいました。

さて、第91号。今はラストの『ある文学徒集団の歴史』を進行中です。

 
▼ ある文学徒集団の歴史(2)  
  あらや   ..2021/07/26(月) 17:45  No.847
  本日、「人間像」第91号作業、完了。作業にかかった時間、「90時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「1662作品」に。

◇今度は相談が一つ、それは前号で上沢君が正直な処を云った様に、毎号の原紙切りは全く時間の浪費だし、頁数が増せば増すほど、それは喜ばしい事だが、印刷する者にとってはたまらない苦痛である。それで次号特集号を契機として、孔版印刷所で刷りたいと思うのだが、どうだろう。
  (中略)
 針山にその決断を迫ったのは、巻頭に載せられた坂田雄二郎の大作「流漂」であったと想像する。それまでの創作15枚の枠を破ったこの作品は、実に35枚に及ぶ――その頃の私達にとって、これは文句なしの長篇大作であった――代物であった。これは前号の「同人通信」で針山が云い出した、枚数に制限なく思い切り書く――という案に応じられたものであったのだが、悲しいかな、作者はその創作の終章に「作者が弁解する章」を付け足さざるを得なかった作品であった。意余って力足らずに終ったのである。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史」/「道」第11号)

『流漂』か… イカれた文章を延々と手入力する日々、苦痛だったな。ホームページの作品検索システムはいつまで経っても出来上がって来ないし。人間像ライブラリー史の中でも結構落ち込んだ日々だったかもしれない。

 
▼ 馬頭観音  
  あらや   ..2021/07/26(月) 17:48  No.848
  さて、『流漂』じゃなくて、『漂流』。

■長いあいだ同人雑誌評を担当していた古宇伸太郎が胃潰瘍手術のため執筆不能となった。当分は休ませて頂くつもりである。退院後は創作に専念させたい。
(「人間像」第91号/編集後記)

「人間像」第92号は、「古宇伸太郎追悼特集号」です。瀬田氏もそうだったけれど、当時の医学では胃潰瘍の診断から胃癌手術まではあっと云う間の命ですね。

第92号作業に入る前に、先日北海道立図書館にて調べてきた「北方文藝」(北海道文藝協會,1941年)に載った古宇作品のライブラリー化を行う予定です。かねがね気になっていた『馬頭観音』も遂に読むことができて、これでやっと落ち着いた。

 
▼ 稚魚  
  あらや   ..2021/08/03(火) 17:52  No.849
  戦時中の昭和16〜17年に北海道文藝協會より発行された「北方文藝」から、以下の古宇伸太郎作品4編を人間像ライブラリーにアップしました。

■ 髭のすさび(北方文藝 第2号,1941年)
■ 稚魚(北方文藝 第3号,1941年)
■〈座談会〉北方の文化を語る(北方文藝 第4号,1942年)
■ 馬頭観音(北方文藝 第5号,1942年)

この内、『馬頭観音』は、若干の改稿を施されて1968年5月の「人間像」第79号に『旧街道点景』のタイトルで発表されています。『馬頭観音』の時、古宇氏は北海道にもう戻ってきていると思いますが、でも戦時下であることに変わりはありませんからね。『馬頭観音』の、作者の内面の荒みが生々しく私には響きました。
しかし今回の復刻でいちばん吃驚したのは『稚魚』でしょう。これ、「人間像」第86号(1970年10月)から始まる『漂流』の連載「第一回」部分に重なる小説だったんですね。だから『漂流』は、高度成長時代の著者64歳の時に書き始められた小説ではなく、戦時下の35歳の時にはすでにそのモチーフが発生していた小説だったんですね。明日から「人間像」第92号作業に入ります。絶筆となった『漂流』第七回の意味合いが俄然変わりました。


▼ 最後まで同人誌に誇り   [RES]
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:26  No.843
  小田島本有氏が道新「道内文学 創作・評論」で福島氏について書いています。

 最後まで同人誌に誇り 福島昭午
 北広島在住で同人誌「人間像」の編集・発行を担当していた福島昭午が4月23日に逝去した。昨年8月に発行された「人間像」190号の編集後記で、福島は、「小誌一八〇号あたりから、終刊を一九〇号、つまり私が九十爺(クソジイ)になるまでと内外に告げていたが、ついに、九十歳になり当時の目標に達した。しかし、前号で『まだ、いけるぞ』という気が起き、終刊は取り消しにした。但し、生き物の一寸先は闇だから、ある日コロリと逝くかも知れない。〈ピンピンコロリ〉は理想的な逝きかたである。だから、そうなったときが、小誌の終刊である。それまで頑張る」と書いていた。この号では、福島自身の過去をモデルにした「小説・春山文雄と――『人間像』裏面史物語――旧制中学時代」も掲載されており、その続きも予告されていた。
 また、「埋め草コラム」では、道新文化部が従来月評であった同人誌評を隔月評にした点について地方雑誌の軽視と糾弾している。私は軽視とは思わないが、取り上げる雑誌の数に制約が生まれたのは確かである。最後まで同人誌に対する誇りと意欲を抱き続けた人生であった。享年90歳。心より哀悼の意を表したい。
(北海道新聞 2021年7月7日夕刊)


 
▼ 近現代アイヌ文学史稿  
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:30  No.844
  他にも、同記事には興味深いトピックが。

 函館の「文芸誌 視線」は今回で11号となる。水関清「『生活』の発見者・啄木」が読みごたえあり。著者は医師だが、精神医学における森田正馬の神経質理論を援用し、啄木の一連の行動を跡付けている。「気分本位」から「目的本位」に啄木の行動が東京で変化する過程を説明している部分は説得力がある。漱石研究ではかなり以前から精神分析の知見が生かされた研究があった。啄木研究の場合は寡聞にして知らないが、これは啄木を理解するうえで大きな役割を果たすだろう。

 須田茂「近現代アイヌ文学史稿」(「コブタン」48号)は今回が13回目。著者は東京の出身だが、この地道な作業には頭が下がる。つい最近もある芸人がテレビでアイヌを揶揄する発言をし、当人ばかりでなく放送局が責任を問われた。無知であることの恐ろしさを今更ながら痛感する。

もし「人間像」の仕事が190号まで完了して(何時になるんだろう?)、その時まだ生きていたら、「コブタン」やってみたいな…と想うことがある。『近現代アイヌ文学史稿』は雑誌発表形の方が断然言葉が生きている。


▼ 「人間像」第90号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/06/19(土) 18:44  No.840
  6月18日より第90号作業を開始。津田さち子『大和ばかの記(5)』、日高良子『長崎の女』はすでにライブラリーにアップ済みです。

第90号より、100号記念を見据えた連載企画、上沢祥昭『〈人間像史〉ある文学徒集団の歴史』が始まりました。これは「人間像」創刊号以来の各号を解題・一部復刻を試みる企画ですが、私もこの流れに乗って、ライブラリー初期の仕事を再点検してみたい。
なお、この「人間像ライブラリー」の対象範囲は、先日最終号と決まった第190号までを扱う方向で現在検討中です。そのためにも、初期の仕事を見直して、「人間像」復刻に一貫性を持たせたいと考えるのです。


 
▼ 「人間像」第90号 後半  
  あらや   ..2021/07/01(木) 03:06  No.841
  「同人消息」欄まで来ました。いつもなら、これで「編集後記」を仕上げて、第90号作業完了しました…となるのですが、ここから第100号までは、『〈人間像史〉ある文学徒集団の歴史』が加わります。もうちょっと続きます。

■針山和己 六年間住んだ共和町から、羊蹄山麓の京極町に転勤。待っていた校務分掌が、事務と経理という文字通りの雑務に加えて、女の事務官が産休で留守のため、てんてこまいの忙しさで、当分は小説どころではないらしい。おまけに、京極文芸サークル設立の相談を持ちかけられて、多忙は続きそうである。
■福島昭午 何年ぶりかで本誌に雑文原稿を書いたが、それに勢いを得て、これまた十年ぶりに小説を執筆中とか、なんとしても書き上げてほしいところ。
■蛭子可於巣 いま一番油がのっているのがこの御仁であるかも知れない。古宇や針山に尻を叩かれて、とにかく毎号書いているのは立派というべきだろう。
■上沢祥昭 松平家の城下町川越市に移っただけでなく、職場まで変えたのだから、普通なら精神的にも肉体的にもへたばるところだが、苦境に陥ると強いのがこの人の特徴で、大作「人間像史」の執筆に心血を注いでいる。人間像にとっては、誠にたのもしい存在である。
■平木国夫 大作出版後、鳴かず飛ばずに見えるが、さにあらず、業界誌に着々と連載中で、その暇を見出しては、人間像にも書くとはりきっている。
■朽木寒三 カンゾウがカンゾウをやられて静養中。といっても、動けないほどではなく、無理がかからぬ程度に仕事はつづけているとの由。この人の作品も久しくみていないような気がするのは、自分ひとりではないであろう。しかし、体が大事。
■古宇伸太郎 老骨にむち打って、大作「漂流」を執筆中。次号が最終回になる予定。

 
▼ ある文学徒集団の歴史  
  あらや   ..2021/07/07(水) 13:25  No.842
  「人間像」第90号作業、完了です。作業にかかった時間は「89時間/延べ日数18日間」でした。収録タイトル数、「1639作品」。

作業にけっこうな時間と日数がかかっています。今回の「約90時間」の内、約30時間くらいが『ある文学徒集団の歴史・第1回』作業に使った時間でした。この『文学徒』は、上沢祥昭氏が「人間像」の創刊から百号までを一冊一冊きっちり辿って行くという企画です。各号からの作品引用も数多くあり、付随的に、それらの各号の私のデジタル処理のミスや修正箇所が発生することになります。例えば「第1回」の今回なら、取り上げられている『路苑』、『道』第1〜5号をほぼ全面的に見直す作業になりました。覚悟はしていたけれど、いやー、この仕事を始めた2017年頃の自分の拙い手つきに冷汗三斗といったところです。でも、百号前のどこかではやらなければならない作業ではあったので、この機会を前向きに捉えることにします。久しぶりの渡部秀正さん、良いです。


▼ 「人間像」第89号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/06/09(水) 11:49  No.838
  6月3日より第89号作業を開始しました。津田さち子『大和ばかの記(4)』、蛭子可於巣『柚子の馬鹿十八年』は人間像ライブラリーにアップ済み。現在、古宇伸太郎『漂流(第4回)』を進行中です。その後には神坂純『ガム伝(第2回)』が続くという、なんとも充実の第89号ではありませんか。

作業しているのがいちばん心が鎮まる。私のワクチン第1回接種は8月3日だそうです。


 
▼ 「人間像」第89号 後半  
  あらや   ..2021/06/17(木) 09:22  No.839
  本日、神坂純(=上沢祥昭)『ガム伝(第2回)』をライブラリーにアップしました。あと15ページ余りで第89号も完了です。

と、6月15日に書いたのだが、あと15ページなら一気に最後まで行ってしまおうと思い直しました。福島さんが生きていれば、進行具合を克明に書くことにも少しは意味があると思っていたのだけれど、それも大半の意味が失われた現在、孤独に作業を進める毎日です。『大和ばかの記』、『柚子の馬鹿十八年』、『漂流』、『ガム伝』、どれも私がコメントをつけるまでもなく、優れた作品です。読む人は読むし、読まない人はこれからも一生読まないので生きて行くのであろう。

「人間像」第89号。作業にかかった時間、「75時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「1622作品」です。








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