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司書室BBS

 
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▼ 追悼・福島昭午   [RES]
  あらや   ..2021/06/02(水) 16:30  No.837
   翌朝、一寸先も見えなかったあれほどの雪はウソのように晴れ上がり、陽はさんさんと耀いて、それが雪に反射して目が痛かったほどです。
 僕はひとり、三十数キロ離れた喜茂別町を目指して一メートル以上も雪をかぶった胆振線の線路上を歩き出しました。まぶしい雪の上を一歩一歩踏みしめ、物音ひとつしない、野山も畑も白一色に塗りこめられた世界を独り占めながら歩いていました。
 すると寒別を過ぎたあたりで、後ろから声をかけてきた男がいました。君だったのです。
(弔辞「針山和美君のみ魂に捧ぐ」)

『小説・春山文雄と』もこの逸話から始まっていました。針山和美追悼号の中でも、この福島氏の弔辞と朽木氏の『針山和美の上京メモ』はいつまでも心に残っています。『小説・春山文雄と』序章にはいろいろな想いが籠もっていました。針山和美『三年間』の持つ意味をこれからも伝えて行きたい。

 僕もやがて後から行くから、君の座っている隣の席を空けて待っていて欲しいと願っています。
 それまで退屈するかもしれませんが、我慢して待っていてください。やがて仲間も僕も加わって、そっちで、にぎにぎしく人間像同人会をやろうではありませんか。
(同弔辞より)



▼ 「人間像」第88号(工事中)   [RES]
  あらや   ..2021/04/25(日) 09:28  No.832
  第88号は「瀬田栄之助追悼号」。執筆者も通常より多く、採り上げられた作品も多様です。ページ数も250ページを越えていますので、いつもの作業手順(ひとつひとつ作品を仕上げて最後に一冊にまとめ上げる)でやっているとミスが発生しやすい。そこで、今回だけは、最初に「人間像」第88号(工事中)の大枠を作り、そこへ順次仕上げた作品を付け加えて行く方法をとることにしました。ライブラリーにはすでに「人間像」第88号(工事中)が上がっています。少しずつ第88号が出来上がって行く様子もまた一興でしょう。それにしても、もう瀬田栄之助作品を読めなくなると思うと寂しい。

作業は今、各人の追悼文を終えたところです。これから再録作品『八月の群衆』に入り、瀬田栄之助書簡篇に入ります。追悼特集が終わっても蛭子可於巣、古宇伸太郎の長篇が控えていますので、作業は連休を軽くまたぐのではないでしょうか。


 
▼ 八月の群衆  
  あらや   ..2021/04/29(木) 14:30  No.833
   こんな言い方は瀬田作品をなんら誹謗するものではありません。先輩に傾倒すればこそで、抑え得ない仲間意識からです。『八月の群衆』に次いで『太陽にさからうもの』『ニッポン・ピカレスク』『問屋場にて』『解放以前』の順で好きです。癌をテーマにした作品は、私としては採りません。瀬田さんがその業病にとりつかれているという事実を背景に評価されているようでもあり、その事実を削除し独立の作品として見たときはどうでしょうか。いろいろと疑いがでてくるからです。
 最後に、この天才的個性をプロ作家に仕立てなかった文芸ジャーナリズムへの不信も、特筆して申し添えたい気持ちでいっぱいなのです。
(蛭子可於巣「面識はなかったけれど」)

 とりかえしのつかない愚痴と知ってのことだけれど、瀬田さんの作品の中で私がもっとも好きだった「八月の群衆」を含めた、抽象小説をまとめて第二創作集としなかったことが、かえすがえすも口おしいことである。
(平木国夫「瀬田さんのこと」)

同感です。五十年後、コロナ下の世界で瀬田作品を読んでいる身には、『八月の群衆』の熱狂が懐かしい。紙ではないけれど、蛭子さんの挙げている作品群、平木さんの云う「第二創作集」は人間像ライブラリーで全て読むことができます。そればかりではありません。もしも『はだしの時代』一万二千百十五枚が残っているのならば、ライブラリーでデジタル復刻したいとさえ考えています。手入力なんか怖くない。

 
▼ 訃報  
  あらや   ..2021/05/07(金) 17:05  No.834
  昨日は、瀬田栄之助追悼号の特集最終部分、上沢祥昭宛書簡をライブラリーにアップしていました。「人間像」の現在の編集者・福島昭午氏の訃報が入って来たのは、そんな時です。今年の賀状には「191号の人間像ライブラリー文章、用意しておいて下さい」とあったのだけれど、四月になっても191号の声が聞こえて来ないので少し心配していたところでした。でも、その心配がまさかこんなに早く現実になるなんて。昨日から思いが乱れ、考えがちっともまとまらない。

これから古宇伸太郎『漂流(第三回)』作業に入ります。その向こうには、原稿用紙247枚の巨峰、蛭子可於巣『妄執は草より草に』も待っている。手を動かしていないと、わけのわからない不安に襲われる。この仕事を始めた時から、「人間像」最終号まで突っ走る覚悟はとうに決まっているのだけれど、毎号、ここまで来ましたと福島さんに報告するのが唯一の愉しみだったような部分が私にはあって、もうここからはその甘えもゆるされない孤独な道なのかと思うと身体が自然緊張して来るのです。

この第88号作業が終わったなら、福島さんの絶筆となった『小説・春山文雄と〈第1回〉』(第190号)を人間像ライブラリーに収録したいと考えています。

 
▼ 妄執は草より草に  
  あらや   ..2021/05/26(水) 11:47  No.835
  本当に「草より草に」だ。そう、ありたい。

本日、蛭子可於巣『妄執は草より草に』を人間像ライブラリーにアップしました。いつものように作業に何時間かかったといった無駄口を叩かず、次の作品に取りかかろうとしています。まだ第88号は終わっていない。『妄執は草より草に』は、作業の手を止めては、ふっと、福島さんのことを思ったりした、私には忘れ難い作品になりました。

 
▼ 「人間像」第88号(瀬田栄之助追悼特集号)  
  あらや   ..2021/05/29(土) 17:29  No.836
  本日「人間像」第88号を人間像ライブラリーにアップしました。作業にかかった時間は「232時間/延べ日数40日間」。収録タイトル数は「1609作品」になりました。
255ページの大冊。扱った図版だけでも28点に上ります。インクも薄く、なかなかに難産の第88号ではありました。

第89号作業は六月からの再開とします。その前に、五月最後の数日を使って福島昭午氏の絶筆『小説・春山文雄と(第1回)』をアップしたいと考えています。この作品は「人間像」最終号となった第190号に発表されました。さあ、これから針山氏や福島氏の青春が始まるんだと第2回を心待ちにしていたのですが、それも適わぬこととなりました。もう第2回はないんだ、第191号はないんだという悲しみの中で仕事する日々です。
人間像ライブラリーの仕事はこれからも続きます。一応、針山和美氏が編集していた第170号までを復刻の対象範囲と考えていましたが、ここに来て「第190号」という明確なゴールが発生したこともあり、範囲を拡大するかどうか考慮中です。「人間像」の他にも、旧「おたるの青空」から派生したテーマ群も含めて、これからの「人間像ライブラリー」についてご意見をお聞かせいただけると有難いです。


▼ 「人間像」第87号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/04/04(日) 09:00  No.826
  昨日、津田さち子『大和ばかの記(2)』『嵯峨野の桜』の二篇を人間像ライブラリーにアップしました。「人間像」第87号作業の開始です。
新同人の津田さち子さんについては、いずれの機会に。この先、大事なことが待っているので少し歩調を速めます。
今日は、古宇伸太郎『墓参 広津和郎・宇野浩二両氏を偲ぶ会』作業に入ります。ちょうど『広津和郎先生の書翰』をアップしたばかりなので、タイミングも巧く合いました。第87号は、古宇氏と東京同人会の出会いがあったり、針山和己氏と瀬田栄之助氏の対談があったりとなかなか賑やかです。


 
▼ 急告  
  あらや   ..2021/04/05(月) 18:20  No.827
   瀬田栄之助の死  ―編集後記に代えて―

   針山和己

 この号を編集するころ、瀬田さんが死ぬなどとは夢想だにしなかった。もし知っておれば、なんとしてでも生前に発行したであろう。つねに早目に原稿を提出し、雑誌の発行を一日千秋のおもいで待っていた瀬田さんのことを考えると、今ごろこの号を発行するのが残念でならない。早くて二月、印刷所の都合では三月にはなると考えていたのだから、いずれにしても間に合いはしなかったのである。
 この号の瀬田さんの原稿は、昨年の七、八月ごろに送られたものである。そのころ、彼は自分でも書いているように、マス・コミの脚光を浴びて「人生最良のとき」を味わっていたので、この号もその喜びの文でいっぱいである。学者でありながら、いつも作家でありたいと願っていた瀬田さんにとって、『いのちある日に』の出版は本当に嬉しかったにちがいない。しかし、その喜びの文章をいまここに読みかえすとき、僕は涙なくしては読めないのである。
 本号の「生きるも地獄・死ぬも地獄」は文字通りの絶筆となってしまった。味読していただきたい。
 次号は急拠ではあるが、追悼号とすることにした。

 
▼ 漂流  
  あらや   ..2021/04/08(木) 10:48  No.828
   マーチはすぐそこの、電球にふちどられた活動小屋からだ。しかも二枚の大きな絵看板のふちを、黄いろと赤の電球がびっしり囲んでいる。楽隊はそのかげから聞える。
「ここ電気館さ。西洋ものばかしやるんだ」という。
(古宇伸太郎「漂流」第二回)

小樽の情景、作業してても心地いい。ちょうど家の庭木冬囲いを外す時期に当たって、物語の、冬の小樽の街や家族が春に移り変わって行く描写と重なって、どちらも心うきうきしました。次回では稔の思春期が見られるのかな。

さて、本日より瀬田栄之助『生きるも地獄 死ぬも地獄』に入ります。少し緊張する。

 
▼ 内地  
  あらや   ..2021/04/13(火) 05:54  No.829
  針山 十四年ほど前、内地にきたんですけど、あの時は東京どまりでしたので、瀬田さんには逢えませんでした。でもいつか再び内地にくると思っていたんで……
瀬田 あのときは、ほんとうに残念でした。関西の連中は首を長くして待っていたんで……。でも今日はほんとうに嬉しい。北海道からお客様を迎えるなんて……。
針山 つもる話が山ほどありますが……さて、なにからお話していいのやら……。
瀬田 看護婦さんが睨みをきかしているんで……面会時間にタイム・リミッ卜があるんで……あなたの今回出版した『奇妙な旅行』からはじめましょうね。
(針山和己,瀬田栄之助「『奇妙な旅行』を中心として」)

生前にお会いしていたんですね。よかった…

瀬田栄之助・針山和己対談『「奇妙な旅行」を中心として』、本日ライブラリーにアップしました。瀬田栄之助『生きるも地獄 死ぬも地獄』もすでにアップしていたのですが、引用するのが辛くて、ぐずぐずしている内に今日になってしまった次第です。

「内地」か… 「奇妙な旅行」は、小樽を過ぎたあたりから「内地」とは真逆の角度に入って行くのがカッコいいんだよね。

 
▼ 「人間像」第87号 後半  
  あらや   ..2021/04/15(木) 18:51  No.830
  本日「人間像」第87号をライブラリーにアップしました。作業にかかった時間、「61時間/延べ日数12日間」。収録タイトル数は「1574作品」に。

裏表紙広告が模様替え。前号までの『現代スペインとスペイン語の研究』(針山和己氏紹介文)は内側に移動しました。文章は「人間像」第86号裏表紙と同じです。
今号より『いのちある日に』と『暁の空にはばたく』に替わったのですが、紹介文を書いているのが凄い。埴谷雄高と八木義徳なんですよ。例によって旭川刑務所のインクが薄いので、下に書き写しました。

今、ここのところ毎号連載されている古宇伸太郎氏の同人誌評をライブラリーに出そうかどうか迷っています。従来の「人間像」同人誌評は同人の持ち回り当番で内容のばらつきも多く、ここまでを〈作品〉としてライブラリーに上げると小説中心に整えた今の「人間像ライブラリー」構成が壊れてしまうような気がして載せられませんでした。
でも、古宇氏の同人誌評は違うんです。『広津和郎先生の書翰』に似た構えと云おうか、相手の必殺技をすべて受けて、でも試合が終わってみればちゃんと勝ってる、と云うか、負けていない、だからチャンピオン・ベルトは渡せないよ…といった佇まいなんですね。

 
▼ 「人間像」第87号 裏表紙  
  あらや   ..2021/04/15(木) 18:56  No.831
  瀬田栄之助著『いのちある日に』
目と目を見合わせて死と直面することは、或る苛酷な決定的な事態のなかに投げこまれたもののみに与えられたところの怖ろしい透視作業である。そこでは、日常の生において見おとされていたことごとのすべてが、鮮烈な不思議な姿をもって現われてくる。いってみれば、それは一種苦悩の啓示にほかならず、癌に冒されたこの作者の前にも火花のごとく鮮烈な啓示がいま置かれているのである。〈埴谷雄高〉

平木国夫著『暁の空にはばたく』
平木国夫君は、わが国ではきわめて数すくない航空小説のすぐれた書きての一人だ。同君はかつての学鷲であり、現在も航空界に職を得ている。君と空とは切っても切れぬ仲だといっていい。その平木君が、わが国の民間航空の開拓者たちに目を向け、草創期の空に生涯の情熱といのちを賭けたひとびとの挫折と栄光のドラマを、緻密に史実を踏まえつつ、一個の感動的な人間記録として、ここに見事に再現してみせた。〈八木義徳〉


▼ 霧の海   [RES]
  あらや   ..2021/03/26(金) 18:20  No.821
   原稿を読み終えられたとき先生は
「困ったね君。これ軍部の検閲は通らんよ。いくら時代が徳川でも、何しろ、外国軍に敗れる日本軍の物語だからね」といわれた。
 小説の筋を略述すると――、文化四年にロシアの軍艦二隻がエトロフ島シャナを襲う。守備軍は、幕吏指揮下の南部・津軽両藩士三百。これに対してロシア軍は一門の大砲と兵二十八を上陸させる。日本軍は、敵の優秀な火器に恐怖してエトロフ島を抛棄する――アメリカ海軍に圧迫されつつあった当時の日本軍部が、このような物語を許すわけがない、という事を何故あのとき私には判らなかったのであろう。われながらその間抜けさ加減にあきれかえる。
(古宇伸太郎「広津和郎先生の書翰」)

その、戦時中に没になった長篇小説、古宇伸太郎『霧の海』を本日アップしました。出典は、「人間像」ではなく、昭和45年の「北方文芸」です。同じく「北方文芸」から、針山和美『同人誌だより・人間像』はすでにアップ済み。今、古宇伸太郎『広津和郎先生の書翰』を作業中です。
『霧の海』のワープロ作業をしている時、なにかこれ、以前「人間像」で手掛けたことのある小説じゃないか…と考え続けていたんだけど、わからない。「古宇伸太郎」の項にそれらしきものはなし。それが福島昭午『青い炎』(第67号)だと気がつくまでに、三日ぐらいは楽にかかりましたね。


 
▼ マウス騒動  
  あらや   ..2021/03/26(金) 18:24  No.822
  じつは一昨日、Windows10のバージョンアップを行ったら、とたんにマウスが働かなくなるという大事件が起こって、ああでもない、こうでもないと丸々二日間を浪費してしまいました。本日ようやく復旧です。

最初、今のワイヤレス・マウスが駄目なら昔使っていたコードのマウスをUSBに刺せばいいじゃん…とか楽観していたのだけど、今のパソコンは設定が何たらとか言い出して全然受けつけないのね。鬱陶しい世の中になったもんだ。今日はぐったり疲れたので、これまで。

 
▼ 広津和郎先生の書翰  
  あらや   ..2021/03/28(日) 18:48  No.823
  本日、昭和45年の「北方文芸」4〜6月号に連載された古宇伸太郎『広津和郎先生の書翰』をライブラリーにアップしました。当初の予定では、三章に分かれていたものを一本に纏めようと考えていたのですが、読んで行くうちに各章がきちんと序破急が施された作品であることがわかりましたので雑誌連載通り三章に分けてアップします。「広津和郎先生の書翰」としてではなく、古宇氏の一級品作品としてこれを読み終えました。

 君の御手紙にある余市の描写は、全く読んでゐてうっとりして来ます。大いに心が動きますが、僕等が疎開するとして住所があるのでせうか。小さな家、或は離れでも何でも結構ですが、その点を御調べ願へないでせうか。
(広津和郎/昭和二十年三月十四日書翰)

広津和郎先生の疎開案に北海道が挙がっていたことは以前福島氏から教えられて知っていたのですが、まさか「余市」だったとは。余市はいい街ですよ。

 
▼ 戦争  
  あらや   ..2021/03/28(日) 18:52  No.824
   地下街には商店が開かれてゐた。歩道の壁ぎわに蓆を敷いて、家を失った人々が座ってゐた。乞食然とした服装が半分、さうでないのが半分、婦人も少年少女も混ってゐる。新聞でいくども読み人からも聞かされてゐたのでその光景は想像どほりで、さほど驚きはしなかった。ふと、若い母と娘が眼にとまった。母親は二十二三才、新聞を敷いてキチンと膝を折ってゐる。顔だちにいやしさがない。二間ほど離れたところに商店の大きなリヤカーが立てかけてあってその車輪を、二つ位の女の子が弄っていた。くるくる廻る車輪が面白いのである。若い母親はその幼女をじいッと見まもってゐた。静かな表情である。それは人類に共通する母親の美しい眸である。静かな、暖い愛のあふれる姿だった。私はあわてた。あわてて私は地上に脱れでたのである。今おもひだしても眼頭が熱くなる。
(古宇伸太郎/昭和二十一年十一月十六日 帰道後の追記)

空襲から敗戦へ。占領下の東京。上野駅の地下道。夜汽車… 書くべきことはきちんとすべて書きとめた、心に沁みる作品。古宇伸太郎は残るべき。もう少し発掘を続けます。

 
▼ 蛾性の女  
  あらや   ..2021/04/01(木) 16:41  No.825
  昨日、古宇伸太郎『蛾性の女』をアップしました。この作品は、戦後の「人間像」時代のものではなく、日本が太平洋戦争に突入して行く時代の「文学者」昭和15年2月号に発表された作品です。当時の芥川賞候補になった作品。幸いなことに昭和56年の「北海道文学全集」(立風書房)に収録されていたので今回人間像ライブラリーに加えました。

作業してみて… 読んでいる時は気がつかなかったけれど、「北海道文学全集」って意外と誤植が多いですね。ここは「文学者」現物に当たりたいところだけど、何の肩書も持たない今の私にはどうすればいいのか見当もつかない。
古宇作品としては、もう一つ、昭和17年の「北方文藝」(←戦後の「北方文芸」とは違います)第五号に載った『馬頭観音』を考えているのですが、これ、北海道立図書館では「禁帯」なんだよね。大麻は遠い。今少し、時間をください。

さて、明日より「人間像」作業、再開です。今日は冬の道具の片付けをしたり、部屋の掃除をしたりして結構一日仕事になってしまった。


▼ 現代スペインとスペイン語の研究   [RES]
  あらや   ..2021/03/20(土) 17:45  No.817
  これが『現代スペインとスペイン語の研究』です。ただ、私の持っているのは昭和57年2月発行の第3版なのですが、タイトルが『スペイン文化とスペイン語の研究』になっていますね。初版が昭和46年ですから、さすがに〈現代〉は使えなかったのかもしれません。でも、十年以上の長きに亘って出版され続けているのだから名著なのでしょうね。スペイン語門外漢の私にも面白く読めるんです。例えば、「動詞TENERの直説法現在」では、

 今日は,4月10日,ぽかぽかと暖く,桜(cerezo)は満開,まさに,春爛漫(1a primavera en sugloria = en su plenitud)の季節である。午後,リクリエーション(recreacion, recreo)のドライブ(paseo en coche= automovil)の帰りだという友人が見舞いにきてくれた。その節,胃潰瘍のために煙草をやめているぼくと,その友人とのあいだで,こんな会話のやりとりがあった。

で、スペイン語文とその訳につながって行くという… もうほとんど「人間像」の瀬田「日記」の延長線上という感じですね。


 
▼ 「人間像」第84号 裏表紙  
  あらや   ..2021/03/20(土) 17:49  No.818
  申し訳ありません。以前、第84号裏表紙として第85号の裏表紙画像を使ったのですが、図書館で第84号現物を確認した結果、第85号画像では不適切なことが判明しました。こちらが正しい第84号の裏表紙画像です。(ライブラリーの「人間像 第84号」はすでに修正済み)

 近刊予告
「人間像」同人 天理大学教授・瀬田栄之助著
 現代スペインとスペイン語の研究
 東京都 大盛堂出版
 四六版 六〇〇頁・定価 一五〇〇円
 一九七〇年一月刊

〈紹介〉 本書は、真にショッキングな過程を経て生れた。本書の執筆は、昨年春、著者が胃潰瘍に倒れた時点から初まり、本年、癌に移行した際も、彼はその作業を止めず、遂に完成せしめた凄じい瀬田の執念の産物である。本書は、従来の無味乾燥なスペイン語の参考書界の体制を革新する意図の下に一人の貧しいアルバイト学生に語りかけるという新鮮な小説的手法を用い、英・独・仏語を駆使して、現代スペインとスペイシ語を説明している。その内容もスペイン語の大法に初まり、一九三六年の革命美術・歴史・文学・映画etc。スペインに関する必要な知識の全てを網羅している。彼の目ぼしい研究論文多数が収録されている点も大いに注目に価しよう。乞御期待というところである。(針山和美)

 
▼ 「人間像」第85号 裏表紙  
  あらや   ..2021/03/20(土) 17:54  No.819
  で、これが第85号の紹介文。「針山和己」は誤植かと思っていたのだが、第84号の「同人名簿」から「針山和己」の表記に切り替わっていますね。「和己」が何号まで続くのか、まだ確認していないけれど、短期間ではないようです。人間像ライブラリーの著者インデックスも「針山和己」表記をひとつ増やすことにします。

 人間像同人による近刊予告 〈一九七一年一月刊行予定〉
 現代スペインとスペイン語の研究
 瀬田栄之助著 大盛堂刊 A5判 一五〇〇円

 本書は、瀬田が昨年病躯を押して執筆した文字通りのライフワークである。本書は従来の無味乾燥な参考書と異り、一人の貧しいアルバイト学生に死期の迫まった教師が彼の持つスペイン語とスペインに対する全ての知識を語り伝えるといった真に独則的な手法が用いられている。瀬田は、大阪外語大と天理大でスペイン文化史と文学史の講座を持つだけあって、本書を埋めるスペインの歴史・美術・文学等々に関する多数の該博な論文は、われら門外漢にあっても大いに興味をそそられるところである。
 目下、再校の段階である。本書の発刊と瀬田の速やかなる快癒を友人の一人として待望するものである。(針山和己)

 
▼ 「人間像」第86号 裏表紙  
  あらや   ..2021/03/20(土) 17:57  No.820
   現代スペインとスペイン語の研究
  瀬田栄之助著
  東京・大盛堂刊
  A5判 700頁

 これは本誌同人・瀬田が、本来の素顔に戻って彼自身の本領をフルに発揮した文字通りの労作である。彼は従来のこの種の無味乾燥な書を圧殺して、真にオリジナリティに富み、且つ、ハイ・ブロウな労作を完成した。私は、兼々、瀬田が大阪外語を首席で卒業し、英・米・独・仏語にも通暁し、わが国の語学界でも指折りの逸材であることは噂に聞いていたが、彼は本書でそれを証明した訳である。
 また、瀬田は、スペイン文学が単にヨーロッパの避地の文学ではなく、広くヨーロッパ文学圏に繋るものである事を、ピカレスクやドン・キホーテに始まり、二〇世紀文学の社会派の新鋭・ヒロネリーアやマックス・アウブやガルシーア・ロルカに対する彼の本格的論文を踏まえて茲に実証した。瀬田はスペイン語の解説をするに日本語で不可能な点は、英語で執筆したりしている点も一驚である。瀬田は、この稿を胃ガンで入院中にも退院后の療養中にもエネルギッシュに千枚近くの草稿を執筆した。生命の極限状況に在ってのそのバイタリテーには友人の一人として深く敬意を表すると共に、広く、江湖に喧伝したい。(針山和己)


▼ 「人間像」第86号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/03/05(金) 12:34  No.814
   「また、来たてばァ」
 顔みしりの漁夫が、津軽の飴鉢とか数珠つなぎの乾栗の束をもって挨拶にくる。その手みやげからは内地の春がぷんぷん匂う。
 やがて漁場ごとに網おろしの祝宴が張られ、建網の親船が沖合に点々と浮ぶ。急に鴎の数がふえた、と思う間もなく「走り」が網にのる。時化あとには、どっと厚群来だ。紺碧の海面はみるみる鰊の精液で白濁する。その瞬間から荒磯は昼夜の別なく殺気だち、市街地は火の消えたように静まりかえる。
(古宇伸太郎「漂流」)

本日、「人間像」第86号巻頭の古宇伸太郎『漂流(第一回)』をライブラリーにアップしました。前スレッドで「山麓文学の誕生」を云いましたが、ここに来て、古宇氏の書きっぷりに、なにか私は「岩宇文学の誕生」といったものをも思わせます。金沢欣哉氏以来絶えて久しかった〈岩宇〉(←「がんう」と読みます)の潮風が押し寄せて来ます。大変気持ちが良い。


 
▼ 解放以前  
  あらや   ..2021/03/15(月) 10:02  No.815
  本日、瀬田栄之助『解放以前』をライブラリーにアップしました。いやー、感動した。(変な表現だが)背筋が凍る思いがする。

ワープロ作業だけでも四、五日かかっているのだが、更にルビ・傍点のテキスト処理に半日くらいの時間がかかりました。また、このカットは、いつものタイトル脇に添えられるおざなりカットとは違い、『解放以前』という作品の中にきちんと配置されているものなので、おそらくは作者の指定による『解放以前』の一部分と考えライブラリーにもアップしています。

第88号が「瀬田栄之助追悼号」なのですが、その号と同時に、『いのちある日に』(講談社,1970.11)の中から『死の環』『犠牲者たち』のアップも考えています。できる限り、瀬田作品の網羅をライブラリー上で実現したい。

では、津田さち子『大和ばかの記』へ。あと、一週間くらいか…

 
▼ 「人間像」第86号 後半  
  あらや   ..2021/03/20(土) 06:44  No.816
  「人間像」第86号を本日アップしました。作業にかかった時間は「119時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は「1550作品」に。
古宇伸太郎、瀬田栄之助、100枚越え作品の揃い踏み150ページですから、なかなか時間かかりました。

冬が終わったみたいですね。道路の雪はなくなって歩くのが楽になりました。先日、通院のついでに街へ出て、図書館で「人間像」関係の資料を仕入れてきました。この三月下旬でそれらを整理して、第87号作業は四月からになるでしょうか。外国人観光客がいないので、三十年前の懐かしい小樽の街が出現しています。


▼ 「人間像」第85号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/02/21(日) 14:58  No.810
  2月20日より「人間像」第85号作業を始めました。第85号もほぼ瀬田栄之助特集状態です。本日、巻頭小説『禿鷹のように』をアップ。続いて、『病室にて』を明後日にもアップの予定です。

 ……ぼくは、いま、君のためにスペイン語について語ろうと思う。おそらく、この冬のあいだ、あるいは夏のあいだ、酷寒に堪え、玉の汗を流し、営々辛苦、勉学のための資本(もとで)を得んがためにアルバイトをして、この小著を求めてくれたにちがいない君のために、「ぼくにとってスペイン語とは、いったい、なんだったのか?」というテーマについて真心から君にだけ、そっとつたえたい――

『スペイン文化とスペイン語の研究』、買ってしまいました。引用したのは、そのレッスン1冒頭です。面白そう。パソコン作業をやりながら、疲れたら休憩時間に読み進めよう。針山氏の紹介文が無かったら、ただのスペイン語教習本だと思って見向きもしなかったでしょうね。感謝です。


 
▼ 奇妙な旅行  
  あらや   ..2021/02/22(月) 11:29  No.811
  第85号の表紙裏は一ページ大のスペースをとって針山和美氏の処女創作集『奇妙な旅行』の広告が出ています。それを見ると、おお!針山氏も遂に単行本に進出か…といった感慨に打たれます。が、実際にその『奇妙な旅行』を手にしている(人間像ライブラリーにもすでにアップ済み)現在の私たちの感覚では、朽木氏の『馬賊戦記』や平木氏の『空気の階段を登れ』が持っていた雰囲気とはずいぶん異質なものに思えるのです。私には、初めて『奇妙な旅行』の広告が出た第84号のこの方が、なにか針山氏の選び取ったスタンスをうまく表現しているような気がしています。第85号広告は少し東京っぽい。

先ほど瀬田栄之助『病室にて』をアップしました。これから蛭子可於巣(=千田三四郎)『急使になった日』に向かいます。

 
▼ 急使になった日  
  あらや   ..2021/02/23(火) 09:55  No.812
  蛭子可於巣『急使になった日』、今朝アップしました。第85号の発行日は昭和45年(1970年)6月20日です。よど号ハイジャックの1970年に、終戦の玉音放送を岩見沢駅で聞く…なんて小説を書いている人間がいるということに驚く人もいるかもしれませんね。でも、冷静に考えてみれば、1970年、高校三年生だった私の周りには日露戦争を戦った爺さんも健在だったし、樺太引揚者の叔父さん一家も隣町に健在だった。そんなに不思議なことではありません。

■ 数年前、埼玉県新座町に新居を建てたばかりの上沢祥昭であったが、子供達の成長とともにせまぐるしくなったのと、今までの目前にあった秩父の連山や田園風景が団地ビルのために見えなくなったのを理由に、足立町の方に新家を建設中である。
 安く買った土地が坪十万円にも売れたので団地サマサマだと喜んでいるが、新居に入ればまた一段と創作活動の方もまた活溌になるはずである。そんなことで長篇はいま一頓挫であるらしい。
(「人間像」第85号/消息)

私にはこちらの方が吃驚でした。いやー、「足立町」ですか。足立町はこの年の十月「志木市」となって独立。四年後には県立志木高校が出来るんですからね。絶対、町のどこかですれちがってる。

 
▼ 「人間像」第85号 後半  
  あらや   ..2021/02/26(金) 17:02  No.813
  本日、「人間像」第85号をアップ。作業にかかった時間、「36時間/延べ日数8日間」です。収録タイトル数は「1541作品」になりました。

瀬田 「事情よく分りました。それではぼくに対する加害者はあなた、八橋一郎ではなく『関西文学』ということになるなァ」
八橋 「そうですね。ぼくもまた被害者です」
瀬田 「なんとかしたいな。黙っていることはどうにも堪え難いんだ。倣岸非礼きわまるね。詐欺師的要素が『関西文学』にはあるね。同人誌仲間のエチケットも何もないね」
八橋 「問題は、もはや、プライベイトなものじゃありませんね」
(瀬田栄之助・八橋一郎対談「同人誌・体制・批判」)

闘病生活だけでも大変なのに、こんなトラブルまで降りかかって来るなんて! 『まだ生きている日記』を読んで吃驚してしまいました。一時は大阪まで行って『はだしの時代』のコピーをとって来ようとまで考えた「関西文学」だけれど、気持ちが萎えた。私は門脇氏や佐々木氏が書いていた同人雑誌とばかり思い込んでいたのですが、あれは「関西文芸」でした。無駄な時間を使うところだった。では、気を取り直して第86号へ。


▼ 「人間像」第84号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/02/06(土) 18:40  No.804
  「人間像」第84号作業、始まっています。第84号は〈癌との斗い〉瀬田栄之助特集。本日、巻頭の『ガンとアポロの日記』、『病床孤読の日記』、『負け犬の日記』の三篇をライブラリーにアップしました。以降、『日没を前に』、『狐憑き』の小説二篇が続きます。

この号は針山家では欠号になっていて、北海道立文学館の方からコピーを頂き、それをベースに作業を行っています。何故針山家に無いのか? それはおそらく瀬田氏の生涯唯一の創作集『いのちある日に』(講談社,1970.11)編集のために針山家から供出されたのではないかと考えます。

『負け犬の日記』が終わったところで半ページ分のスペースができたのでしょう。そこに針山氏(だと思う)が『校正だより』という文章を書いています。これも、ある意味、瀬田栄之助特集の一環と言えなくもない内容なので以下に全文掲載してみます。


 
▼ 校正だより  
  あらや   ..2021/02/06(土) 18:45  No.805
   『人間像』は誤植の多いので有名だった一時期がある。今は幾らかましになったと思うのだが、まだ完全とは云いがたい。誤植の原因は原稿が判りにくい、文選が悪い、校正が不充分などであるが、いずれにしても校正の段階で完全を期さねばならないだろう。ところが、印刷所が遠いために何回も校正ができないのである。結局現在は印刷所で初校をして貰い、編集部がそのあと一回校正するだけで印刷に廻しているが、これではやはり不充分であるらしい。
 ところで、本号の瀬田、古宇のように、ルビが多かったり、古い漢字を使う人の原稿は文選も校正も非常に苦労する。そしてまた、そうした人に限って誤植を気にするようだ。今回も瀬田の原稿の表紙に、
「難しい表現や字句が多いですが、どうか、正確に印刷して下さい。御願いします。
   印刷所御中」
 と注意がきがしてあった。すると、その横に赤いボールペンで、
「著者のいう通り一生懸命やろうぜ。正確に文選するよう! 『ガン患者が……』と思うと感激す」 1/10 I・M
 と記されてあった。この雑誌は遠くはなれたA刑務所で印刷しているのだが、そこの囚人が記したのかも知れない。何かそこに通いあうジーンとした血のようなものを感じた。

 
▼ 日没を前に/狐憑き  
  あらや   ..2021/02/09(火) 17:11  No.806
   胃ガンと診断されたわが身であってみれば、それはもう地獄の屠殺場に撃がれたも同然であって、…

うーん、「著者のいう通り一生懸命やろうぜ」という気持ちは美しいが、冒頭一行目からの誤植はいただけない。いつもは「撃がれた」の送り仮名と漢字の形からの類推で「ああ、〈繋がれた〉ね」となるのだが、今回は、プロの出版社の校正本があるので正確度が増しました。(でも、講談社『いのちある日に』にも誤植はあったよ…)

というわけで、本日、『日没を前に』、『狐憑き』の二篇をライブラリーにアップしました。これから古宇伸太郎『暗礁』にかかります。この『暗礁』、「西えぞ地の穂足内村は石狩湾の南岸にあった」という書き出しで始まる小樽話なんですね。楽しめそう。なにか「穂足内騒動」に題材をとった作品みたいです。ヤフーの検索で「穂足内」を打ってみたら、昔のスワン社HP「おたるの青空」にアップしていた橋本尭尚の『穂足内騒動顛末記』が出て来て吃驚でした。クラウドにはまだ残っているのだろうか?

 
▼ 暗礁  
  あらや   ..2021/02/14(日) 09:48  No.807
  福島の地震報道をラジオで聴き続けた今朝、古宇伸太郎『暗礁』をアップしました。さすが原稿用紙150枚だけあって、五日間くらいの時間がかかりましたね。(カーリング観ていたせいもあるけれど…)
久しぶりに再会した橋本尭尚『穂足内騒動顛末記』にもけっこう見入ってしまって、第84号作業が終わったら、こちらもライブラリーに入れてみようかとも思ったんだけど、『暗礁』の完成度のあまりの高さに、『顛末記』の屋上屋は必要ないかと判断したのでした。
タイミングが良いというか、今朝の新聞には、こんなニュースも載っています。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/511148
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/511221

 
▼ 「人間像」第84号 後半  
  あらや   ..2021/02/17(水) 18:12  No.808
  本日、「人間像」第84号をアップしました。作業にかかった時間は「67時間/延べ日数14日間」です。収録タイトル数は「1528作品」。

●本号は「瀬田栄之助特集号」とした。長い間、胃潰瘍を病んでいたが、それは次第に胃ガンに進んでいた。この経過は、彼自身数年に亘って書いて来た「日記」の中に生々しい。去年の五月、胃ガンの手術をすることになったと伝えて来た時には、「追悼号」を準備しなければならないかと思ったが幸い手術は成功し、五○パーセン卜の生存率を得た。「生きたいならば書くのは止めろ」という医師の言葉を、初めの数週間は守っていたが、「書けないぐらいなら死んだ方がマシ」というところに彼の本領がある。まだ定かではない「いのち」と斗い、おびえながら、書き続けたエッセイ三篇と小説二篇をまとめて、「特集」と銘打ったゆえんである。また彼は天理大学スペイン語科の主任教授の重責にある。その専門分野の仕事として裏表紙広告のような、「現代スペインとスペイン語の研究」なる大著を執筆して来たが、その校正も病床で進めなければならなかった。併せて御高読いただきたい。
●もう一つは、古宇伸太郎の「暗礁」である。長い間、胸中にあたためていた題材であり、その一部は『ろんだん』に連載されたが、ここにまとめて、その成果を問うことにした。御高評いただきたい。
(「人間像」第84号/編集後記)

文学館、裏表紙のコピー作ってくれなかったので、第85号の裏表紙画像で間に合わせました。『現代スペインとスペイン語の研究』の広告、多分これでいいと思いますが、後日道立図書館で確認しておきます。今はコロナで身動きとれない。

 
▼ 現代スペインとスペイン語の研究  
  あらや   ..2021/02/18(木) 17:20  No.809
  上の裏表紙画像、掲示板搭載の関係で文字部分がつぶれて読みにくいと思います。何が書かれているかというと、針山和己(←ママ)氏がこの本の紹介をしています。

 人間像同人による近刊予告 〈一九七一年一月刊行予定〉
 現代スペインとスペイン語の研究
 瀬田栄之助著 大盛堂刊 A5判 一五〇〇円

 本書は、瀬田が昨年病躯を押して執筆した文字通りのライフワークである。本書は従来の無味乾燥な参考書と異り、一人の貧しいアルバイト学生に死期の迫まった教師が彼の持つスペイン語とスペインに対する全ての知識を語り伝えるといった真に独則的な手法が用いられている。瀬田は、大阪外語大と天理大でスペイン文化史と文学史の講座を持つだけあって、本書を埋めるスペインの歴史・美術・文学等々に関する多数の該博な論文は、われら門外漢にあっても大いに興味をそそられるところである。
 目下、再校の段階である。本書の発刊と瀬田の速やかなる快癒を友人の一人として待望するものである。 (針山和己)


▼ 愛と逃亡   [RES]
  あらや   ..2021/01/29(金) 18:05  No.802
  単行本『愛と逃亡』の復刻作業、順調に進んでいます。昨日、『愛と逃亡』を終了し、今日から残りの二篇『支笏湖』『女囚の記』に入ったところです。アップまであと数日か。今回は三篇まとめてのアップになります。

『愛と逃亡』、よかった! 針山氏の最高傑作ではないか。(というのはちょっと言い過ぎか… 今、読み終えたばかりだから『愛と逃亡』が最高傑作に感じるだけの話かもしれませんが。『百姓二代』を読んだ直後なら、こりゃあ最高傑作だと感じる人ですからね、私は) ただ、そう思ったのには理由があります。

単行本『愛と逃亡』が人間像同人会から発行されたのは1989年(平成元年)11月です。しかし、同人雑誌「人間像」に『愛と逃亡』が発表されたのは1965年(昭和40年)11月なんですね。ちなみに、『支笏湖』は1967年(昭和42年)、『女囚の記』は1969年(昭和44年)。どういう理由があったのかよくわからないのだけど、じつに二十年以上の時間をかけて熟成された作品群なので、その構造に何の揺るぎもない、針山和美にしか書けない小宇宙になっていると感じるのです。単行本『愛と逃亡』を人間像ライブラリーにアップできることを誇りに思う。


 
▼ 山麓文学  
  あらや   ..2021/02/04(木) 12:29  No.803
  『愛と逃亡』の復刻作業、完了しました。いやー、感じ入りました。

『愛と逃亡』の〈喜茂別〉から〈小樽〉へ流れる展開。『支笏湖』の〈倶知安〉〜〈支笏湖〉の展開。『女囚の記』の〈京極〉〜〈小樽〉〜〈喜茂別〉という展開。ラストに〈胆振線〉がちらっと出て来る凄技に感動した。ここまで人間像ライブラリーをやって来て、よかった。まさに山麓文学の誕生。針山ワールドの誕生だ。


▼ 「人間像」第83号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/01/14(木) 09:15  No.799
  本日、第83号の巻頭作品、佐々木徳次『水の柩』、北野広『反省書』をライブラリーにアップしました。以降、小説作品は、金沢欣哉『温泉ノート』、針山和美『女囚の記』と続きます。第83号は約90ページの薄い(と感じるようになりました)本ですので、一週間ぐらいでゴールかもしれません。

今回は『女囚の記』をアップすることになるので、第83号作業が終わった時点で、単行本『愛と逃亡』(『愛と逃亡』『支笏湖』『女囚の記』を所収)の復刻を考えています。雑誌「京極文芸」発表形、「人間像」発表形、単行本発表形の違いをお楽しみください。
同じく、単行本復刻を予定しているものに『百姓二代』がありますが、こちらは「人間像」に『山中にて』『嫁こいらんかね』が発表されてからのアップとなります。


 
▼ 女囚の記  
  あらや   ..2021/01/16(土) 13:56  No.800
  本日、金沢欣哉『温泉ノート その二』、石井健吉『荒れ果てた町』、針山和美『女囚の記』の三篇をアップしました。

 私達はまず巡査や駅員を買収することから仕事にかかりました。食料やお金に困っていたのは巡査も駅員も同じでしたから、私が届けた米や澱粉や野菜などは大変よろこばれました。とにかく給料といいましてもインフレに追いつかないありさまでしたし、規則どおりにやっていては誰もが食べて行けない時代でしたから、巡査も私達のすることは見て見ぬふりをしてくれました。また当時は汽車の切符を買うのにも、朝早くから行列をしなければなりませんでしたが、出札係を買収することによりまして、大阪や広島までの往復切符をたやすく手に入れることができたのです。といいましても、食糧の運搬などを大々的にはできませんでしたから、チッキや小荷物で、できるだけ値の張る小豆や花豆や澱粉などを送り、大阪や京都の菓子屋などに高く売りつけるのでした。そして帰りには中古の衣類や時計・ライター・シガレットケース・貴金属、時には電球のようなものまで買って来ました。大阪や京都にはそうした闇市がたくさんありました。敗戦直後の北海道はほんとうに物資が欠乏していましたから、どんなものでも飛ぶように売れたのです。
(針山和美「女囚の記」)

やあ、懐かしいなあ。「京極文芸」の日々を思い出す。現在の、ニセコと倶知安の違いもわからない輩が垂れ流す「ニセコ」報道にうんざりしている身にとって、針山作品は、私たちが何者であるか、何処から来た者であるかを教えてくれる。

 
▼ 「人間像」第83号 後半  
  あらや   ..2021/01/19(火) 16:39  No.801
  本日、「人間像」第83号をアップしました。作業にかかった時間、「37時間/延べ日数7日間」。収録タイトル数は「1510作品」になりました。
今日は一日中暴風雪。朝から雪かきで身体がくたくたなので、明日からお約束の単行本『愛と逃亡』復刻作業に入ります。

ところが更に一年ほどたって、やむにやまれず私は再度、正確な資料に基いて書き進めたいから、と日記の借用方を音次郎に申入れた。こうしてようやく承諾が得られ、明治四十三年から昭和二十年に至る、実に三十八年間に及ぶ博文館発行のポケット日記が手にはいったのである。日記だけでも、民間航空発達史と言い得る貴重な資料である。ただ文字が細いばかりでなく、音次郎氏独特の文字のくずし方や、赤インクや鉛筆で書き進めながら参照にするのは、いろいろな意味で不便でもあるし、またあとあとのことも考えて、私は先ず全文の筆写を思いたった。しかし昼の勤務のかたわらなので、なかなかはかどらない。見かねて妻と義妹の栄が筆写の仕事を引き受けてくれた。これまでいろいろな原稿を書いてきたけれど、身内に手伝ってもらったのはこれがはじめてである。しかしお蔭でどんなに大助かりであったことか。私は筆写されたノートを中心に、判読し難いところは原文と比較検討して訂正し、どうしてもわからない部分は音次郎氏にただした。一年分の日記が、大学ノート二冊乃至三冊になった。妻と栄はまるまる半年かかって、明治四十三年から昭和二年までの日記を写し終えた。
(平木国夫「空気の階段を登れ」/あとがき)

第83号の平木国夫『楽書帖/ヒコーキ野郎たち』を読んで、平木劇場によく登場する伊藤音次郎、稲垣足穂、円谷英二など、ヒコーキ野郎たちの人間関係がよくわかった。『空気の階段を登れ』、また欲しくなる。








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