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司書室BBS

 
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▼ 「道」創刊号   [RES]
  あらや   ..2017/05/23(火) 10:49  No.484
  「道」創刊号のデジタルデータ化にかかった時間は「14時間」。日数にして「2日間」でした。その前にやっていた「路苑」創刊号のデータ化にかかった「34時間(延べ6日間)」と較べると結構な短時間なので順調に作業が進みそうですが、それぞれに抱えている条件を加えると問題はそう簡単ではないのです。

例えば、活版印刷の「路苑」35ページなら原稿量は多いけれどOCR作業(文字読み取り)は比較的素早くできる。これがガリ版刷りの「道」になると当然パソコンのOCRソフトは使えません。すべて手打ちのワープロ作業になります。これが結構難しい。敗戦直後の昭和24年です。占領期でもあり、当用漢字が通達される中での旧字体で教育を受けてきた人たちの混乱は相当なものです。(昭和27年生まれの私には「舊字体」はちょっと手に余る。啄木の明治時代まで戻るとかえって楽になるのだが…)

当面は「新字」で統一して作業を早めます。仮名づかいはそのまま。「新かな」までは直さない。なを、ガリ版時代のものについては、全ページ画像のPDF版を用意しますので、公開後、作者や関係者の指示に従うつもりです。


 
▼ ベット  
  あらや   ..2017/05/23(火) 11:06  No.485
  ガリ切り作業上の略字(例:歴史→厂史)や誤字(例:芥川龍之助)などは気がつき次第直しているのですが、そう気楽に直せない例がこの「ベット」なんですね。
作者が「ベッド」を「ベット」と勘違いして覚えている。「ジャンパー」を「ジャンバー」とかね。(←これ、北海道っぽい)
去年「京極文芸」の復刻をやっていた時には即「ベッド」に直していたのですが、今回また「ベット」に遭遇するに及んでちょっと考えなおしました。これは直さない方がいいんじゃないか。
当時二十歳の青年が間違って覚えていたというよりは、当時の日本人がこういう英語理解だったということなのであって、そうだとすれば、ここは「ベット」の表記の方が正しいのではないかと思い始めたのです。
ボブ・ダイランやバート・バチャラッチを思い出す。情報が少なかった頃のラジオは平気でこう言っていた。女優のオードリー・「ヘップバーン」とローマ字ヘボン式の「ヘボン」先生は同じ綴りだとかね。
時代相とか地域性を多分に含んだ言葉・表現については、そのまま表記にとどめた方が良い。たかだか現在の価値観で過去の作品をぶった切る愚を犯してはならない。PDF版もあります。読んでいて「えっ?」と思ったら、PDF版で一度ご確認ください。


▼ 路苑   [RES]
  あらや   ..2017/05/18(木) 08:43  No.481
  針山家から「人間像」最初期(昭和24〜27年)の二十数冊をお預かりしてきました。早速デジタル処理を開始したところです。第18号までがガリ版刷り時代、第19号(昭和26年12月)からが活字と理解していたのですが、現物を見ると、そう簡単なことではないことがよくわかりました。活字になってからもガリ版に戻ったり、同じガリ版でも、自分たちで切ったものや、印刷屋さんの孔版印刷(←プロがガリ版切りをやってくれる、美しい、読みやすい)があったりといろいろです。もう今の人には何言ってるのか全然わからないと思いますが…

今は「人間像」のきっかけとなった前身の雑誌「路苑」の復刻中。作業用のコピーをとって、画像データを全ページつくって、そのデータをOCRソフトにかけてテキストデータにして行く…というところまでは湧学館と同じです。そこから、湧学館ならば製本作業に入って行くのですが、小樽スワン社に製本道具はないですからね。(みんな湧学館に置いてきた) 今の小樽では、つくった全てのデータを「人間像ライブラリー」のファイルにまとめ上げて行くわけです。針山氏が亡くなった頃の第170号くらいまでをやれば、少しは「図書館」らしい格好になるかなとか思ってます。

パソコン作業に疲れると、庭に出て土いじりをしたり、家の中を掃除したり物を整理したりしています。五月に入って、ようやく冬が終わったような気がする。残したいものを残し、もう必要が終わったものはリサイクルへ。


 
▼ 新谷先生  
  あらや   ..2017/05/18(木) 08:51  No.482
   まだ肌寒い四月の風が容赦なく吹き過ぎる高い崖の上である。先程からゲートル、戦闘帽の姿も凛々しく、然しぼんやりと説明を聴いている中学生の一団があつた。説明しているのは大方会社の役員か何かであろう。年の頃四十五六、雪焼して色は浅黒いが、言葉の調子は飽迄も鮮明で、それに服装の一つ/\が体にしつくりしていて凡そ堅い人柄を想わせる。その直ぐ横には隊長新谷先生が、此れは幾らか緊張の面持で一々頷き、説明を聴いていた。説明者の話に依ると此処は此の鉱山の中でも最も採鉱量が多く、従つて活気ある場所だそうだ。名附けて第三鉱床とか言う。
(春井雄三「三年間(其の一年)」)

「路苑」をいちばん先に取り上げたのには、この小説『三年間』の一部分が載せられているということも大きな理由でした。初めて『三年間』を読んだ。そうか、『三年間』にはこういうことが書かれていたのか! ちょっとした衝撃でした。

針山氏には『反抗期』という作品があります。戦争中、京極の脇方(わきかた)鉄鉱石鉱山へ勤労動員された倶知安中学生たちを描いた小説なのですが、「新谷先生」はここに登場します。名前が「新谷」なもんでいつも気になっていた作品だったのですが、まさか、処女作品『三年間』の昔からの登場人物だと思ってもみませんでした。

「路苑」には「針山和美」名義で『冷い一夜』という小品も載っています。こちらも興味深い。19歳の時に、当時の文芸投稿雑誌「文学集団」の入選一席をとった作品ですが、このモチーフは延々と時代を生き延びて、昭和33年「人間像」第46号発表の名作『百姓二代』のクライマックスに結実するわけです。もの凄く、息が長い人だ。

針山氏の人間像ライブラリーが少しずつ解明されて行くことに喜びを感じます。

 
▼ 三年間  
  あらや   ..2017/05/18(木) 16:25  No.483
   崖に細い路が附いていた。私達は一列になつて其処を降りた。陽当りの良い所はねろ/\した粘土が剝出しになつて居り、狭い下水には粘土の溶込んだ水が溢れる様に流れていた。
 鉄のさびた色――粘土の色がそれである。鉱車も、鉱車を運ぶ豆電車も、そして其処に働く全ての人間達がその色一色に染つていた。只二本並んだレール丈がナイフの様に不気味に光つている。
 軌道に沿つてしばらく行くと其処が採鉱の現場であつた。真黒な鉄鉱石の岩が絶壁をなし、泥色の生命が鶴はしを揮つていた。勢いの良いのもあれば、ぴく/\死に掛つた生命もある。否、それでも生命と言えるだろうか。
(春井雄三「三年間(其の一年)」)

いや、これは凄い… 直感的に沼田流人『血の呻き』を思い起こしました。

『反抗期』では新谷先生や友人との遣り取り場面がほとんどを占めていて、格別、状況描写や風景描写に気を留めたことはなかったんだけど、こうやって動員先の風景が描かれると俄然『血の呻き』以来の山麓文学の血筋をひしひしと感じます。

どうしようかな。「人間像」の仕事が終わったら、『血の呻き』現代語訳とか『三年間』の活字化とかを考えていたのだけど、前倒しした方がいいんだろうか。少し動転してます。


▼ 78時間   [RES]
  あらや   ..2017/05/09(火) 10:03  No.480
  連休ももう終わりの7日午前中で『人間像』別冊・針山和美追悼号の全196ページテキスト化が終了。作業にかかった時間は延べ78時間、約15日間でした。

鈍いのか、これで普通なのか、よくわからない。ただ、仕上がったファイル群をどんどん縦書きソフトで読んで行くのは快感でした。今、ここに、人間像ライブラリーが誕生しようしている!という感触がありました。もう少しだ…という感触がたしかにあった。

フォントが昔のものなのか、印刷自体が粗いからなのか、OCRで読み取っても文字化けが凄い。一字一字文字化けを潰すことでその作品を読んで行くという特殊な読書法は湧学館時代と変わらないけれど、その先にある展開がかなりちがうから、そこに賭けてみようと再度思いました。

変な読み方だけど、なにか、作家が原稿用紙に向かって一字一字書いて行くスピードに近いものがあるのではないだろうか。作家の息づかいを感じ、生きた時代の日々を感じながら、ここからデジタル復刻作業に入って行きます。



▼ 谷暎子さん   [RES]
  あらや   ..2017/05/06(土) 09:14  No.478
  東日本大震災が起こってから、自分の中で、それでも読むべき震災前の本と、もう読まなくてもいい作品や作家が分かれてきたように感じる。残すべき本と、消えてしまってかまわない(読まないで死んでしまっても後悔はしない)本を頭の中で選り分けている自分がいる。

なんでこんな奴が生き残ったのか…という憤りがやはりある。その憤りは、やがて、なぜ自分は生き残ってここにいるのだろうという自問にもなるのだが。そのことを、戦争を生き残った人たちも想ったのではないか。同人雑誌『人間像』のスタートは昭和24年の11月。占領下の日本、北海道の倶知安。

京極町で戦争期の国策紙芝居が見つかったことにより谷暎子さんを知るところとなった。目の前にある戦時中の紙芝居について多くの知識をもらった。自分は何をしなければならないかについて多くの示唆をもらったが、それにもまして、谷暎子という生き方に多くのインスピレーションをもらったのです。

探している本がメリーランド大学プランゲ文庫にしかないのであれば、躊躇わずそこへ行く。その生き方には、惹かれるものがいっぱいあったのです。去年の夏、新発寒で『人間像』の圧倒的な一揃いを目にして京極に帰ってきた私の机の上には、いつも『占領下の児童出版物とGHQの検閲』が置いてありました。間違った選択をしないための私のお守りでした。


 
▼ 日本出版学会賞  
  あらや   ..2017/05/06(土) 09:22  No.479
  日本出版学会賞に札幌の谷さん 「占領下の児童出版物とGHQの検閲」
 日本出版学会(植村八潮会長=専修大教授)の第38回日本出版学会賞に、公益財団法人北海道文学館参与で児童文学研究者の谷暎子さん=札幌在住=の「占領下の児童出版物とGHQの検閲」(共同文化社刊)が選ばれた。
 同学会は、出版関係者や学術関係者ら会員約360人でつくる。同賞は昨年1年間に刊行、発表された出版研究の著作、論文が対象で、谷さんは最高賞の学会賞に選ばれた。
 谷さんは20年前から連合国軍総司令部(GHQ)による児童書の検閲の実態を研究。同書はその成果をまとめ、昨年6月に刊行された。
(北海道新聞 2017年5月2日 夕刊)

おめでとうございます。

湧学館の私の机の上には、もう一冊、別の本もあったのですが、その本については何か語るべき機会が生まれましたら書こうと思います。


▼ HM様   [RES]
  あらや   ..2017/04/22(土) 09:46  No.476
   しばらく間が空きました。小樽の住所です。
(047−0156) 小樽市桜5−19−24 電話 0134−52−4250

 四月の前半は家の作業場の掃除や資料の整理整頓で手間取りましたが、後半に入ってパソコンに向かう時間もできるようになってきました。作業に使う機材やパソコンソフトを入れつつ、過去の作成データ群と、これからつくり始める『人間像』のデータ群の水準の統一を現在行っています。
 今日はその最後の実験、『人間像』一冊丸ごとを新機材にかけて、そこから全作品データをつくり上げる作業をやってみるつもりです。実験には、福島様からいただいた『人間像別冊・針山和美追悼号』を使わせていただきます。(福島様の弔辞にある、大雪翌日の胆振線エピソードが大好きです) この実験で、一冊分をデータ化するのにどれくらいの時間がかかるのかが分かりますので、そのペース配分で新発寒のお宅からお預かりする『人間像』の分量も決まってくると思います。
 世界に一冊しか残っていないガリ版刷りの『人間像』も含まれますので、扱いは慎重に行おうと考えています。全号一括でお預かりするというような手荒なことはせず、おそらく、毎月定期的にお伺いして、その月で処理できるだけの分量をお預かりするというような方法になると思います。「毎月」というような方法は鬱陶しいかもしれませんが… 作業が年を越して、雪の季節にかかる場合もありうるかと考えますので、そういったことも併せて、今度お会いした時にご相談したいと思います。この実験が上手く行けば、連休明けくらいにはお電話できるかもしれません。(以下略)


 
▼ 三週間  
  あらや   ..2017/04/22(土) 09:59  No.477
  十年ぶりに戻った小樽はのんびりした街でした。二月、三月のあの慌ただしさは何だったんだろうかと思うほどに静かな佇まいです。やりたいことが決まっているのはいい。もう、世間体を繕った営業努力も必要としていない。生きている内に、残すべきものを残して消えて行こう、身体がまだ動く内に動いたのは正解だったと今は思っています。

三週間も経ったのに何の音沙汰もない…と怒っている人もいるかもしれません。旧「おたるの図書館」跡地は更地のままですし。

でも、進展はしているのです。変化はしています、見えないところで。三週間も経ったというのは正確ではありません。何年もの(もしかしたら十年単位の)時間がかかる仕事の、その動き出しの三週間が経ったとお考えください。


▼ ただいま   [RES]
  あらや   ..2017/04/07(金) 19:17  No.475
  小樽に戻ってきて一週間。引越荷物の山(と言ってもほとんど本と書類の山)をかき分けて、なんとかパソコンに向かう時間もでき始めました。

4月になったら新ホームページに専念すると人に聞かれたら答えていたけれど、実際には、3月31日の勤務時間終了まできっちり湧学館の仕事をしていたわけで、4月1日に人間像ライブラリーHPが現れるというのはちょっと無理です。長い時間がかかります。ただ、十年前とちがって、私はなんにも焦っていない。これを最後の仕事に選んだ時から何を相手に努力するのかは明確なつもりです。

掲示板を残したのは暫定的な処置です。今後「人間像アーカイブ」や「山麓文学館」などの作品群が起ち上がってきますが、それまでの間つなぎ的な機能とお考えください。



▼ チェンバロの調べと朗読   [RES]
  あらや   ..2017/02/07(火) 10:05  No.471
  チェンバロの調べと朗読

京極町 湧学館・視聴覚ホール
2月12日(日) 午後1時開場 午後1時半開演
チェンバロ:明楽(あけら)みゆき
朗読:田村英一(HBCアナウンサー)

朗読@ 松浦武四郎「後方羊蹄日誌」(一部分)
朗読A 本山悦恵「雪灯り」(一部分)
朗読B 峯崎ひさみ「針」(全文)

作品は新谷が選びました。ニセコ町でやった時は有島武郎作品が選ばれたそうですが、京極町でやるのならば、この作家であり作品だろうと思います。(もうひとつ、小林多喜二「東倶知安行」も考えたのですが、ハイライト場面に差別語が入るので今回は見送りました) たぶん、京極町で私がからむ最後の仕事になるのではないでしょうか。この町の図書館で本を読んできた人間として、自信を持って最後に残す三作品です。

どういうわけなのかよくわからないけれど、何を朗読するのかも書いていないチラシが一枚館内に貼ってあるだけ。インターネットにも記事は載っていないし。町のHP行事欄に日時の記載があるだけで、これで人を呼べると思っているなら甘いですね。


 
▼ ベリー・グッド!  
  あらや   ..2017/02/13(月) 18:45  No.472
  人、集まらないのでは…と心配していたのですけど、全然。

口コミが凄いのか、京極町の口コミが凄いのか…
三千人くらいの人口の町で50人以上の人が集まるのですからね。(自分の町の人口に換算してみてください) 京極町十年間の締め括り、いい思い出になりました。

朗読の準備にかける時間が凄いです。一月前あたりから、テキストの言葉にちょっとでも疑問があったらすぐに電話で問い合わせてくる。一部分の朗読でも必ず全文に目を通し、朗読部分の意味を納得するまで考える。おそらく、チェンバロの明楽さんも同じような努力を繰り返しているのでしょうね。勉強になりました。四月から始める私の新しい仕事にも励みになりました。

 
▼ 朗読会 チェンバロで彩る  
  あらや   ..2017/02/18(土) 19:16  No.473
  朗読会 チェンバロで彩る
田村さんと明楽さん
【京極】町ゆかりの作家らの作品朗読とチェンバロ演奏を楽しむ地域文化講座「チェンバロの調べと朗読」(町文化協会主催)が、町生涯学習センター湧学館で開かれた。元北海道放送アナウンサー田村英一さん、札幌在住のチェンバロ奏者明楽(あけら)みゆきさんが出演し、約60人が集まった。
 講座は12日に行われた。田村さんが幕末の探検家松浦武四郎「後方羊蹄(しりべし)日誌」を朗読した後、明楽さんが登場。柾葺き職人の青年が岩内から京極へ向かぅ列車内の様子などが描かれた本山悦恵(喜茂別出身)の「雪灯り」の朗読に、即興によるチェンバロの演奏で彩りを添えた。
 明楽さんの独奏を挟み、峯崎ひさみ(京極出身)の「針」で、田村さん、明楽さんが共演。戦後、樺太から引き揚げて和裁教室を開いていた母と、そこに集う娘らを描写した作品を、田村さんは落ち着いた口調で読み上げ、場面の合間に明楽さんの柔らかなチェンバロが響き、来場者を魅了した。 (小池伸之)
写真=京極ゆかりの作品を朗読する田村英一さん(右)とチェンバロを奏でる明楽みゆきさん
(北海道新聞 2017年2月18日朝刊 小樽後志欄)

 
▼ 有島神話  
  あらや   ..2017/02/18(土) 19:20  No.474
  道新の小樽後志欄にとりあげてもらってよかった。(ちょっと間が空いたが… また今回も無視されたかと思ってました)

この十年よく体験してきたことだけど、小樽に帰れば「山麓には有島武郎の他に何かあるの?」と真顔で聞かれるし、山麓に戻ってくれば「ニセコは有島を持ってるからなぁ…」としたり顔で言う公務員がいたりする。で、この人たちの共通点は、有島武郎の作品なんか何も読んでない…ということなんですけど。有島記念館でガラスケース越しに本の表紙をながめて、それで有島武郎がわかったつもりになっている人は多い。

「チェンバロと朗読」は、以前、同じ田村さんと明楽さんのコンビでニセコ町で開催したことがあるのです。もちろん朗読作品は有島武郎。場所は有島記念館。今でもインターネットなどでその時の感動を記したブログなどが見つかります。近隣の町の人もこれを見ていた人は多いと思いますが、自分の町でこれをやるかというとそれはない。その言い訳は相変わらず「ニセコは有島を持ってるからなぁ…(この町には何もないからなぁ…)」なのでした。

まあ、私も十年前は「有島武郎の他に何かあるの?」の人だったからデカい口はきけないんだけど、京極文化協会はえらいと思いますよ。勇気ある。ニセコの物真似じゃない、京極オリジナルの作品で貫き通したのはえらい。今朝の朝刊見て、「本山悦恵って誰?」「針って何?」と思った人はいっぱいいるでしょう。でも、町の人たちがこれだけ盛り上がっている記事になにか感じるものがあったなら、ぜひ京極町の湧学館に足を運んでください。たぶん、そういう人の動きの向こうにしか「後志の文学」の明日はないと大真面目に思っています。この想いは、四月から始める私の最後の図書館の仕事につながっています。


▼ 第124号   [RES]
  あらや   ..2017/02/03(金) 08:28  No.468
  針山和美『山中にて』以外の『人間像』第103号全作品を読み通すのに十日ほどかかりました。改めて、図書館の日常とデジタル・ライブラリーの仕事の両立はもう無理と感じます。もう、じつに若くない。

「どこへ、何しにいくの」
「もうすぐわかるって」
 さだはそういうと、なっ、と和太を振返った。和太が頷いている。あまり喋らない。何か緊張しているみたいだった。
 さだが踏切で立ち止った。汽車の気配に耳を澄ましているようだった。線路を歩いていくのだろうか。行く手に孝運寺のうっ蒼とした樹々が、夜より濃い色を重ねている。
(村上英治「いつかの少年」)

 「孝運寺」の名前が出てきて、はじめてこの話は倶知安の話なんだと気がつきました。だとすれば、これは戦争中の話でもあるので「もしかすると」と思って読み進んでいたところ…

 映写室からスクリーンヘ照射されていた光が消えて、場内が暗転した。席にそのまま落着くように、危険はない、二、三人の声が特別席から連呼している。スクリーンに発火したフイルムの気配が消えたことで、場内がいくぶん落着きを取戻した。場内の暗色を正面のスクリーンが仄明るくしている。薄く暮残った空のような色がスクリーンを染めていた。映写室の中で何かが起きていた。近くにいる慎二にその異様な気配が伝わってきた。物の倒れるような重い音がし、人の呻くような声が映写室の壁を洩れてきた。
(同書)

布袋(ほてい)座。昭和十八年三月六日夜、映画館布袋座の大火災。三月八日付の北海道新聞は「折重り二百名焼死/丈余の積雪に非常口開かず/倶知安布袋座、招待映画会の火事」の見出し、四段トップ記事で報じています。当時の新聞としては異例。


 
▼ いつかの少年  
  あらや   ..2017/02/03(金) 08:34  No.469
  戦時中のこと故、世情の無用な混乱を防ぐため内々裏に処理されたと聞いていたので、まさか布袋座大火災を背景に織り込んだ小説作品が存在するとは思っていませんでした。また、孝運寺の方も、知る人はみんな知っている、あの沼田流人が左腕を落とすことになる因縁の舞台ではあります。「汽車」「線路」の言葉も、これが「京極線(後の胆振線)」だと知って読んでるのと、知らないでただの「汽車」「線路」だと思って読んでいるのではけっこう大きな違いがあるんですけど。

『人間像』はさすが旧制最後の倶知安中学同窓生たちが集まって始まった同人雑誌だけあって、全体に山麓ならではのスピリットが充満している。読み進めれば読み進むほど、単に針山作品のデジタル復刻だけでは収まれないという気持ちが強まってきています。やるのならば、完全復刻したい。

124号表紙にもある通り、この号の目玉企画は村上英治氏渾身の長篇三百四十八枚『いつかの少年』一挙掲載と、もうひとつ、新同人・佐藤瑜璃氏の『赤提灯素描』のデビューです。「瑜璃」の名前でハッと気がついた人がいたら嬉しい。佐藤瑜璃氏は旧姓・沼田瑜璃子。沼田流人の次女・瑜璃子さんです。小説を書いていたというのもヘェーッだったけど、『赤提灯素描』の舞台が小樽だったことにはもっとヘエーッでした。

ちょっと紹介の仕方が変だったかもしれないので、村上英治氏や佐藤瑜璃氏の名誉のためにもきちんと書いておきます。『人間像』の諸作品や両氏の作品に山麓のアイテムや因縁が溢れているから、私はデジタル復刻したいと言ってるのではありません。『人間像』の作品すべてに、作品としての自立があり、美しさがあり、私はそういうところを尊敬し愛するからこそ多くの人々に読んでもらいたいと思いデジタル・ライブラリーを考えました。

 
▼ 三年間  
  あらや   ..2017/02/06(月) 06:26  No.470
  いや、凄い。このような作品がぎっしり詰まっているのに、針山作品だけをデジタル復刻してなにか仕事をしたつもりになっているのだとしたら、それは馬鹿だということでしょう。『いつかの少年』、完全復刻決心の決定打になりました。

「少年」がおそらくキーワードになるのだと思う。この人たちは戦争を少年期、思春期で体験していることが大きいのではないだろうか。今、昔藤原書店から出ていた『戦後占領期短編小説コレクション』を同時並行的に読んでいるのだけど、なにかおしなべて燃えません。(田村泰次郎『肉体の悪魔』みたいな作品が例外的にあることはあるが…) 敗戦を大人が迎えるのと、少年期が迎えるのでは、そのエネルギー量が決定的にちがうような気がする。生き残った「少年」の爆発は凄い。

さだはどこか、風の又三郎に似ているところがある。そう慎二は思うのだ。
(村上英治「いつかの少年」)

長篇348枚のデジタル復刻なんてとんでもない作業量に思われるでしょうが、なんかな…、そんなこと全然苦にならない変な身体になってしまった。現在続けている縦書きテストで、『山の子供』なんか軽々と復刻してしまいましたよ。(掲示板に載せるため解像度を70Kに落としています。実物は遙かに鮮明)


▼ 縦書き   [RES]
  あらや   ..2017/01/18(水) 19:19  No.463
  昨夜から、ずーっと見とれています。

現在のHP「おたるの図書館」>「おたるの青空」はこんな風に見えています。
http://www.swan2001.jp/oa456.html
文字化け。ズタズタの行間。画面も切れているし… WindowsXP時代につくった縦書きファイル。他のHPから縦書きファイルをかっぱらってきて、そのソースに自分の入れたい文章を嵌め込んで行く…という恐ろしく低脳なことをやっていました。でも、沼田流人『キセル先生』のようにルビがきつい文章だと、こんな数ページの文章でもファイルに仕上げるだけで丸々一日の時間がかかってしまいます。それでもWindowsXP時代ならまだ読めるから続けていたんですけど、やがてWindows7になり、8(←これ、決定的だったな)の世の中になるとご覧のように崩壊してしまいました。

今構想しているHPは基本的に百パーセント「縦書き」文書の構成になります。「読みやすい」「縦書き」(私にとっては「入力しやすい」「縦書き」)文書をさくさく作成できることが大条件でした。美しい「縦書き」を求めてあたふたしていたんですけど、一昨日、ソフテック社から見せていただいたこのテスト画面で、なにかこれからの自分の道筋がつかめたような気がします。たぶん、「おたるの図書館」よりは遙かに引き締まったHPになるでしょう。新HP名は「人間像ライブラリー」か「人間像アーカイブス」といいます。

※ 「綽名」が「綽吊」になっていますが、これはテスト版をつくる時「おたるの青空」の文字化け文章を元にしたせいです。本番ではこういうミスはありえません。


 
▼ 人間像  
  あらや   ..2017/01/20(金) 07:28  No.464
  なぜ名が「人間像」なのか?

一昨年から去年にかけて、約四十年前に京極町で発行されていました同人雑誌『京極文芸』全15冊の復刻作業をしていました。復刻の過程で、派生的に『針山和美作品集』をつくったり、読書会、企画展示を行ったりとあれこれやったのです。その中で、作家としての針山和美氏を見ていた時には気づかなかった、編集者、同人誌主宰者としての針山和美氏にふれることができました。で、ちょっとだけ、自分に似たものをそこに感じたのです。

『京極文芸』は針山氏が京極小学校教諭として在職されていた十年間に発行されたものです。しかし、同人雑誌主宰者としての針山和美氏を語る場合、代表作は『京極文芸』ではありません。『人間像』です。
『人間像』の出発は戦後間もない昭和24年。旧制最後の倶知安中学、同窓生たちが集まって始まりました。以降、ガリ版刷りや誌名変更、そして針山和美氏の死去を経ても、平成の現在(第185号)まで続いているという北海道文学の草分け的な同人雑誌です。
その『人間像』の一式を私に預けたいという話が持ち上がったのが去年の七月でした。『京極文芸』を扱った時の手際が評価されたのかもしれません。伺って、その一式を見せていただいた時の興奮はもの凄いものでした。ガリ版刷り時代の『人間像』はもちろん、未発表作品『三年間』までもが原稿をきちんと綴じ合わせた形で目の前にあったのです。ここまで完璧な「一式」だとは思ってもいませんでした。

 
▼ 文学館と図書館  
  あらや   ..2017/01/20(金) 07:33  No.465
  まあ、常識で考えれば、これはもう田舎の図書館類似施設ごときの扱える範疇をとうに越えています。文学館や大図書館の仕事だろうと誰でも思うのでしょうが、なにか、私の中に釈然としないものが残ります。都市部にあることくらいが取り柄の文学館や図書館ごときに「針山和美」や『人間像』が本当に扱えるのか?という疑問です。率直ですが。

たぶん無理ですよ…という声が私の中にある。都会の文学館や図書館には「旧制最後の倶知安中学同窓生」の言葉は単なる研究資料の一データにすぎないだろうし、田舎の図書室は勉強しないから「人間像」自体が皆目わからない。「針山和美」を国文科的に研究しようという気は今も昔もないけれど、この、都会と田舎の間に横たわる厚顔無恥の広がりの中から『人間像』の作品たちを掬いだしたいなぁという気持ちが芽生えました。ひとつひとつの作品に意味があると私は考えています。

七月以来、湧学館の日常業務と『人間像』デジタル・アーカイブ化の仕事の両立をずっと模索していました。なんとかならないか!と頑張ったけれど、なんとかならなかった。年齢的なものなのか、体力的なものなのかよくわからないけれど、ぎっしりと詰め込まれた図書館行事の山の前にはデジタル・アーカイブ作業の時間は残っていなかったです。それで選んだわけです、アーカイブの方を。選ばなかったことで、どちらを深く後悔するだろうということが判断基準になりました。

 
▼ 人間像アーカイブス  
  あらや   ..2017/01/20(金) 07:40  No.466
  私たちは『人間像』の作品を読みたいのです。『京極文芸』の作品を読んだ時と同じように。文学館が調査研究した成果をガラスケース越しに見たいわけでもないし、図書館の閉館時間を過ぎても延々と読んでいたいわけです。本を読む上での一切の不自由から自由になりたいと思っている。

デジタル・アーカイブのような「見え方」が良いことなのか悪いことなのか、今のところはよくわかりません。作家や研究家の人たちは、「本」を読んでもらうことを前提に仕事を成したのであって、スマホ人間たちに読んでもらうことまではもちろん考えていなかったでしょうし。私自身、スマホで見えるものしか見えない、スマホで聴こえるだけの音が音楽だみたいな人たちの中に、「人間像アーカイブス」が登場することの意味を何か期待するような気持ちは全然ありません。

もっと防衛的な感情なのだと思います。今の時点でできる最高度の「保存」をやりたいのだと。図書館も文学館も結局は形の保存にすぎない。どんなに調査研究を積み重ねたところで、初めて針山和美『嫁こいらんかね』を読んだ時の驚きの保存にはならない。このことは、十年前初めて峯崎ひさみ『穴はずれ』を目にした時からの変わらない想い、変わらない課題なのでした。

その、京極での十年間の出逢いもまた保存の対象です。私の心の中の「人間像」です。書き方がまずかったかもしれないけれど、私の考えている「人間像アーカイブス」は、単に針山和美主宰『人間像』をデジタル復刻するだけのアーカイブスではありません。この十年、山麓の地で発掘した、出逢ってきたさまざまな「人間像」たちも当然そこに集う、そういうアーカイブスです。そして私も死んだら最後はそこに集いたいと思ってる、そういうアーカイブスです。

 
▼ 第103号  
  あらや   ..2017/01/20(金) 07:47  No.467
  なんで『人間像』第103号なんだ?と思った方、いるかもしれません。深い理由はありません。たまたま手元に第103号があったからです。一冊読み切るのにどれくらい時間がかかるか、体力測定みたいな感覚で先週あたりから始めたのですが、いやー、昔の文庫本みたいな超細かい活字、疲れる… 一週間は経ってると思うけど、まだ読み終わりません。無性に佐々木譲が読みたくなる。

武井先生、『愛の教室』なんてエッセイ集、出していたんですね。

編集後記で針山氏「神坂純郎・福島昭午・白鳥昇・金沢欣哉・佐々木徳次・針山和己などと並ぶと、何か目次が昔に戻ったような気がする」なんて書いてます。かなりオリジナルメンバーに近いのかな…と思って第103号を手にとりました。


▼ 「おたるの図書館」は2017年3月をもって終了   [RES]
  渡辺弘道   ..2016/12/13(火) 18:09  No.461
  残念であり、また寂しいですね。2002年に小樽へ移住以来、お世話になりありがとうございます。

 
▼ おたるの図書館  
  あらや   ..2016/12/17(土) 16:11  No.462
  渡辺さん、お久しぶりです。

たぶん、来年の4月より小樽の家に戻り仕事を始めることになると思いますが、その仕事に「おたる」はもう必要ないという意味で「おたるの図書館」ホームページ終了を考えました。このアドレスで開始するかどうかが今ひとつ不明なのではっきりしたことはまだ書けませんが、2017年の4月にはどこかで私のたぶん最後の仕事が起ち上がるでしょう。

この掲示板は、「おたるの図書館」と4月からの私の仕事をつなぐ数少ない通路になると思います。新しい形がはっきりしましたらお話ししたいことはいっぱいあります。来年4月の小樽を楽しみにしています。








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