| TOP | HOME | 携帯用 |



読書会BBS

 
Name
Mail
URL
Backcolor
Fontcolor
Title  
File  
Cookie Preview      DelKey 

▼ ボボロン雑記   [RES]
  あらや   ..2016/02/15(月) 19:11  No.361
   Aさんはぼくの前任地でもあった京極町の郵便局に永年勤め、退職後札幌に移り住んだ一家で、夫人が妻と書道仲間という間柄である。そんなわけでぼくとAさんには共通の話題もないものだから、京極時代の思い出話などして間をもたせていたが、思いがけなく共通の話題がAさんのほうから出た。
「先生とおなじように小説を書いていた大森先生という人がいたと思うんですが、知りませんか?」
「ああ、知っています。知ってるといっても直接会ったことはありませんが、むかし鈴川の中学校に勤めていたことがあると聞いています」
「私は余市時代に習ったんですが、若いときから小説を書いていたそうで、その後どうしたかと思って……」
「もう、かなり昔になりますけど、何度か芥川賞の候補になって作家生活に入ったようです」
「じゃあ小説家になられたんですね」
「そうですね。何冊か本もだされていたし、文芸雑誌にも発表しておりましたから」
「いまも書いているんですか」
「さあ、最近はあまり見かけませんね。実はその先生には弟さんがおられて、その人も一時期小説を書いていてぼくらの雑誌に入ったこともあるんですけれど、その弟さんの話ですと、兄さんは今は別のペンネームで書いているそうです」
 ここでいう大森先生とは大森光章こと大森倖二氏であり、弟さんとは今出力弥こと大森亮三氏のことである。ぼくもそれ以上のことは知らなかったので、この話題も長くは続かなかった。
(針山和美「ボボロン雑記」)

へえー。意外な所で、意外な人とつながっちゃった。

道立図書館から借りた針山作品、先ほど読み終えた「ボボロン雑記」で全冊読了です。慌ただしかった(昔の人はいっぱい書くので、読むのに時間がかかる…)けれど、無事返却日の二日前に読了できてよかった。道立は全作品を所蔵していたので、処女出版の「奇妙な旅行」から最後の「ボボロン雑記」まで年代を追って読めたのが大変ありがたがった。


 
▼ 道立図書館所蔵(図書)  
  あらや   ..2016/02/15(月) 19:13  No.362
  【図書】奇妙な旅行 針山和巳/著 人間像同人会/共和村(北海道岩内郡) 1970
内容:奇妙な旅行.三郎の手紙.ほか
【図書】百姓二代 針山和美/著 人間像同人会 1988.11
内容:百姓二代.傾斜.山中にて.嫁こいらんかね.
【図書】愛と逃亡 針山和美/著 人間像同人会 1989.11
内容:愛と逃亡.支笏湖.女囚の記.
【図書】天皇の黄昏 針山和美/著 人間像同人会 1991.2
内容:天皇の黄昏.春の狂い.再会.古い傷跡.ひみつ.俺の葬式.春の淡雪.
【図書】老春 針山和美/著 人間像出版 1992.4
内容:シマ婆さん.洋三の黄昏.老春.まぼろしのビル.黄昏の同級会.四月馬鹿日記.
【図書】北からの風 針山和美/著 人間像出版 1993.2
内容:北からの風.山の秋.RVの老人.浅き夢みし.バブル老人.K老人の話.
【図書】白の点景 針山和美/著 晃文社(札幌) 1997.4
内容:オートバイの女.はじけた光.湖畔の一夜.山あいの部落で.夫の裁判.白の点景.
【エッセイ】わが幼少記 針山和美/著 晃文社(札幌) 1997.5
【エッセイ】ボボロン雑記 針山和美/著 晃文社(札幌) 2000.9

 
▼ 読書感想文  
  あらや   ..2016/02/15(月) 19:15  No.363
  単行本になったものを追って行くと、1970年の「奇妙な旅行」が飛び抜けて古い。妹さんが当時廉価で出まわりはじめたタイプ印刷で原稿を打ってくれたものだそうで、造本も荒い。時代を感じさせます。
二作目の「百姓二代」の出版が1988年と間が空きますが、ちょうどこの時期に「京極文芸」の発行に関わっていた1973〜1983年(京極小学校教員時代)が嵌まるわけです。同人雑誌「人間像」と「京極文芸」の二刀流時代ですね。
「三郎の手紙」のように、すでに原稿があったものを「京極文芸」に転載したり、「京極文芸」では「敵機墜落事件」として発表した作品を、「百姓二代」では「山中にて」という結末が百八十度ちがう作品に仕上げたり、自由自在です。すごいテクニシャン。
バイオレンス…と言っていいんだろうな。現代の佐々木譲の遙か昔に、「百姓二代」とか「愛と逃亡」のような作品を書いていた人がいたなんて、なにか夢みたいだ。片方で、小学校の先生やっていたっていうんだから腰抜かしてしまいます。

 
▼ 道立図書館所蔵(雑誌)  
  あらや   ..2016/02/15(月) 19:18  No.364
  【雑誌】人間像 所蔵巻号:19号〜185号
人間像同人会/喜茂別(後志) 出版年:1950〜 刊行頻度:年3回刊(120)
出版地変更:喜茂別村→余市町→倶知安町→札幌→北広島(2003.11)
発行所変更:札幌市手稲区新発寒5-7-5針山和美方→福島昭午(2003.11)

道立図書館の所蔵は19号からだそうで… 最初の頃の「人間像」はガリ版刷りだったと何かに書いていたから、そんな事情があるのかもしれない。今の製本教室のドタバタが落ち着いたら、道立に直行したいと思います。2005年12月発行の174号が「千田三四郎追悼」号(千田三四郎も同人だったんだ!)だったりして、なんとも気がはやります。ちなみに、道立は

【雑誌】京極文芸 所蔵巻号:創刊号〜15号。
京極文芸クラブ/京極町(後志) 出版年:1973〜1983 刊行頻度:不定期刊(0)

もちろん「京極文芸」、所蔵でした。

 
▼ ふたたび「ボボロン」  
  あらや   ..2016/02/15(月) 19:21  No.365
   若い頃、あの事故で有名になった「豊浜トンネル」の近くに住んだことがある。今にも崩れそうな切り立った断崖の下を歩くときは、何か圧倒的な恐怖感が伴ったものだった。現に道路のあちこちに崩れ落ちた小さな岩石が転がっていて、つねに頭の上に気を遺いながら歩いたものである。しかし岩をくり貫いただけの旧トンネルを教え子たちと歩く時には、そんな心配をしたことはなかった。数十年を経た手造りのトンネルは裸の岩石がそのまま岩肌を見せていたが、何か永遠に崩れ落ちることなどないような安心感を与えた。頭上まで岩石で覆われた窪みのような場所で泳いだりもしたが、そんなときでさえ岩が崩れる心配をしたことなどなかった。
 ところが同じ地続きの新トンネルであのような大事故が起きたのである。人が手を掛けなければあの岩も更に数百年、あるいは数千年崩れることはなかったかも知れない。そう考えると人間が手を加え、工事を施すということは、自然に逆らい自然の怒りを触発することのようにも思える。それ故に手を加える以上、元の自然よりも更に安定した状態にしなければならないのではなかろうか。
(針山和美「ボボロン雑記」)

ちょうど今年の二月が、あの「豊浜トンネル事故」から二十年でした。犠牲者の冥福を深くお祈りします。北海道新聞の小樽後志欄でとりあげられたので、余市の豊浜小学校や共和の学田小学校の教え子たちからも問い合わせがあり、歴任したそれぞれの小学校での仕事にもふれることができました。いろいろな意味で、たいへん興味深い人です。


▼ 長尾宇迦   [RES]
  あらや   ..2015/12/23(水) 11:04  No.356
   喜代瀬の方が昨日の夕刻に亡くなった。その夜の内に下御屋敷に近い北上川と中津川の落合う中洲で斎川浴(ゆかわあみ)がおこなわれた。……と、盛岡城下の町町に走って触れ廻ったのは、拾得という少年であった。
 寛政三辛亥年三月十五日のことだが、冬が明けたばかりで、川面は氷片(ざい)が敷きつめられたように流れている。斎川浴の習わしは、近ごろ廃れていたか、お屋形の思いつきで、喜代瀬の方にほどこしたもので、この寒冷のさなかに、たとえ相手か死人とはいえ、水浴は無残だと喜代瀬の方に同情する声もきかれた。が、これはいかにもお屋形のやりそうな仕打だと、肯く者のほうが多かった。いまにみろ、お屋形の奇矯な振舞いか始まるぞ、と囁かれていたが、そのとおりになった。
(長尾宇迦「鬼の棲む里」)

江戸が舞台ではない、盛岡が舞台の江戸時代…というところに大きく惹かれるのだが、いかんせん学がない。北海道の人は日本史苦手だし、むずかしい漢字ぎっしりで読むのに時間がかかります。この本を読んでいると、毎日の中で職業柄目を通しておかなければならない本がどんどん貯まってしまうので、作戦変更です。

今はいったん中断して、正月休みに予定している針山和美作品のかため読みが終わったら、今度は短編集『山風記(やまかぜき)』のあたりから展開してみよう。


 
▼ 山風記  
  あらや   ..2016/01/25(月) 18:47  No.360
  「座敷童子(ぼっこ)が」と、エクはつぶやいた。
「手を貸してくれねかよう」そのまま眠りにずり落ちた。骨がばらばらになるほどひどく疲れていた。
(長尾宇迦「山風記」)

「風の三郎(サムロ)だべか……」
ノエは、ふと機織の手をとめて、息をのんだ。
雨戸に、バラバラと小石でもはじけるような音がしたからである。
昨夜からの岳おろしは、今夜も吹き荒れていた。
(長尾宇迦「山妖記」)

『山風記』、よかった。
こういう物語が読みたかった。

「エク」とか、「ソガ」とか、「オナ」とか、「クス」とか、「チセ」とか、「ノエ」とかいう、不思議な女の名が耳に残る。それに加えて、「座敷童子」や「風の三郎」までが登場する華やかさですからね。鉄壁の岩手オールスターズだ。


▼ 針山和美   [RES]
  あらや   ..2015/12/23(水) 12:36  No.357
  針山和美 はりやまかずみ 昭和5年7月12日〜 〔小説〕
後志管内倶知安町生まれ。筆名はほかに針山和己、春山文雄。札幌文化専門学院中退。小学校教員。昭和24年「しんぼる」「路苑」「道」などを創刊。「道」は16号から「人間像」と改題。同誌に「百姓二代」(49号)、「愛と逃亡」(72号)、「支笏湖」(76号)、「女囚の記」(83号)、「山中にて」(103号)などを発表。短編集「奇妙な旅行」(昭和45、人間像同人会)がある。「人間像」主宰。
(北海道文学館編「北海道文学大事典」,1985)

今、「支笏湖」→「女囚の記」→「愛と逃亡」→「百姓二代」と読み進んでいるんだけど、いやー、一発一発のパンチの重いこと、重いこと。『1・2の三四郎』に「丸太でなぐられてるみたいだったぞ」「いったいどんな稽古やってんだ」ってセリフがあるけど、そんな感じ。「愛と逃亡」でうーんと唸ったら、「百姓二代」ではもっとうおーんと唸らなければならなかった…みたいな。

芸風がちがうので、共感とか、そんな思い入れはあまりなく、プロとしての技量を思いっきり楽しく楽しめます。大森光章の時とはだいぶちがいますね。

蛇足。2013年、勉誠出版から出た「北海道文学事典」も側にあったから見てみたんだけど、こっちは「針山和美」の記述無し。「小樽と後志地方の作家と文学」の章には、「針山和美」はもちろん、「沼田流人」の名前までないことには(ややオーバーに言えば)愕然としました。小樽の文学館以外、全然足を運んでいませんね、これ書いた人。雑な仕事だな。


 
▼ BYWAY後志 第15号  
  あらや   ..2016/01/18(月) 18:57  No.358
  小樽、小樽って、うるせえな。

『京極文芸』も15号で終わったんだよね。理由はふたつ。まず、「会費」が集まらなくなった。そして二つ目、「原稿」が集まらなくなったこと。名ばかりの会員が増え、だけど、創刊時の情熱が失せてしまいました。みんな、年とって。教育委員会からの補助金があったから出し続けようと思えばできないこともなかったようだが、針山さんは、「いやそれはちがうだろう。情熱がなくなったら、終わりだよ」という判断をくだしたみたいですね。

えらいちがい。「小樽の喫茶店」に「ちまちま人形」なんて前世紀の遺物、いったい誰が喜ぶの? 書く奴も書く奴だが、起用する奴も起用する奴だと思いました。『BYWAY後志』を出すことが目的になってしまっているのではないですか。ま、どうでもいいか、こんなの。

 
▼ 京極文芸  
  あらや   ..2016/01/18(月) 19:01  No.359
  『京極文芸』というのは、昭和47年から57年まで、十年間京極町で発行されていた同人雑誌です。その牽引車というか、主宰者だった人が針山和美さん。京極小学校に在職されていた時代に15冊の『京極文芸』を世に送り出しました。図書館ではその15冊一揃を所蔵していますが、なかなかその復刻には労力的な問題が多くあって長らく二の足を踏んでいたのです。

あと、針山さんの小説自体の問題もちょっとあるかな… 私たちは、創刊号に載った小説「支笏湖」を読んで、ちょっとブッ飛んでしまったんですね。うーん、創刊号で、これか!ってね。「支笏湖」ショックから立ち直るのに、読書会「京極文学館」「山麓文学館」の三、四年の時間が必要だったということなのでしょう。

今は、もう平気。もう、手に入るすべての針山作品を読んだ現在では、私は、この京極の地にこんな爆弾のような作品が生まれていたことに誇りさえ感じています。来年度の読書会「京極文芸館」が待ち遠しい。(←つまり、来年は京極にいることが決定ね。そこから先はわからないけれど) 15冊を一年間で読まなければならないので、いつもは連休明けの5月第2週からゆるゆる始まるんだけど、今年は飛ばしますよ。4月からのロケットスタート。テキスト作成は、この1月からもう始めているという異例さです。京極十年目という年にはふさわしいかな。


▼ 岬のマヨイガ   [RES]
  あらや   ..2015/11/04(水) 09:49  No.349
  唸りました。つらい震災の記憶が、このような「透きとおった食べもの」を生み出したことに心がふるえています。

 
▼ 狛犬「あ」の話  
  あらや   ..2015/11/07(土) 20:03  No.350
  柏葉 幸子(かしわば さちこ、1953年6月9日−)は、日本の児童文学作家。岩手県宮古市生まれ、花巻市出身、盛岡市在住。東北薬科大学卒業。本業は薬剤師。

大学在学中の1974年、『気ちがい通りのリナ』が第15回講談社児童文学新人賞に入選しデビューする。翌年『霧のむこうのふしぎな町』と改題し刊行。

千と千尋の神隠し − 当初は『霧のむこうのふしぎな町』そのものの映画化に取り組んだものの断念、後に当著の影響を反映する格好で本映画を作品化したと、監督宮崎駿が明らかにしている。
(ウィキペディア)

「つづきの図書館」を読んだ時も、おもしろい!とは思ったけれど、続けて作品を読み進めてゆこう…とは動かなかった。しかし、「岬のマヨイガ」ショックはちがうんですね。今日も、「花守の話」「狛犬『あ』の話」「狼ばば様の話」と一気読み。「あ角」、かわいい。安藤貴代子が描く「瞳子(とうこ)」もカッコいい。なにか、次々と魅力的だ。

 
▼ 帰命寺横町の夏  
  あらや   ..2015/11/09(月) 18:53  No.351
  いや、凄い! 美しい表紙の絵からはじまり、本の中の挿絵まで、ほとんど佐竹美保ショーといってもいいくらいの大活躍が加わった分、「岬のマヨイガ」を越えているかもしれない。(「マヨイガ」のイラストが駄目だと言ってるわけではないんですが… あの「遠野物語」風の絵も好きですよ!)

帰命寺様に祈って、どこかで死んだ人に似た人を見かけると、ああ、帰命寺様にお祈りしたから生き返ってきたって思うんだろう。
(表紙カバー裏)

2011年8月の発行。東日本大震災の五ヶ月後に、こんな本が静かに生まれていたことに感動した。

 
▼ 霧のむこうのふしぎな町  
  あらや   ..2015/11/14(土) 18:54  No.352
  「マヨイガ」「帰命寺」ショックの余波というか。

こうなると、デビュー作の「霧のむこうのふしぎな町」が読みたくなり、小樽の図書館へ。(京極の分は「モンスターホテル」以外は読んじゃった…)
ついでに、本棚にあった「ミラクル・ファミリー」「ざしきわらし一郎太の修学旅行」「トマト魔女の魔女修行」「ドードー鳥の小間使い」を借りてきたのですが、借りてきてよかった!

もう冬が迫ってきていて、今日の休日も寒々しい曇天です。明日の勤務は雨だと言うし… 一日京極でゴロゴロして、これから最後の「ドードー鳥」に入るところです。「一郎太」、おもしろかったです。ざしきわらしを出してくると、もう鉄壁ですね。「霧のむこうの」は、まあ、基礎教養ということで…

 
▼ ドードー鳥の小間使い  
  あらや   ..2015/11/16(月) 09:14  No.353
  「ドードー鳥の小間使い」、意外とおもしろかったです。挿絵が慣れ親しんだ児島なおみなのでリラックスして読めた。柏葉作品って、意外と挿絵作家には無頓着なのか、コロコロ作家が変わるんだけど、それでいて「帰命寺」の佐竹美保みたいな場外大ホームランもかっとばすし、おもしろいもんですね。

「霧のむこうのふしぎな町」でも、小樽の杉田比呂美バージョンと京極の竹川功三郎バージョンではずいぶん味わいがちがうんですよ。

 
▼ 12の贈り物  
  あらや   ..2015/11/22(日) 13:06  No.354
  2011年8月、仙台の出版社・荒蝦夷から出版された「12の贈り物」。岩手よ、盛岡よ、三陸よ。そして、東北よ。「3.11」の慟哭を超えよう! 岩手県で書き続けてきた12人の作家が、祈りを込めて自選した12の物語。

当初は柏葉幸子の「桃の花が咲く」が読みたくて借りてきたのだが、「桃の花…」の読後になにげなく長尾宇迦(初めて聞く作家名でした)の「野ざらしの唄」を読んでみたら、これがなんともすばらしい!(根玉ユノ、しびれた…) で、次は?次は?という感じで読み進めてきて、現在、6人目の斎藤純に来たところです。斎藤純「七番目の方角」、これも凄い。この作品で、残り6人を読むこともほぼ確定。

岩手に行きたくなった。もうとっくの昔に封印したと、もうとっくの昔に枯れ果てたと思っていた岩手への想いが、この本でなにかぴくりと動いたことを感じました。これ、七番目の方角なのか。

 
▼ 竜が呼んだ娘  
  あらや   ..2015/12/06(日) 18:07  No.355
  「12の贈り物」でカッコよくこのスレッドを締めて、次へ…とか考えていたんだけど、他館から借りた長尾宇迦がけっこう難しくて、日和って柏葉幸子に戻ってきてしまいました(笑)

「竜が呼んだ娘」。やはり、佐竹美保の挿絵は鉄板だ。「帰命寺」の中に入れ籠になっているお話「月は左にある」が窯変したかのような、えも言われぬ快感ではありました。


▼ 内地へよろしく   [RES]
  あらや   ..2015/10/22(木) 18:33  No.348
  「てッ、泣くどころか、笑ったてや……なあ、光枝ッ、みんなで笑っただなア、おらどもみてえな蟹糞を、一発千円の弾丸で射つだば、そっちが大損しべえって笑ったい」
「それから、どうした」
「射つか射つかと待っていると、艦の天蓋がぬうッとあいて、日本の海軍士官が出て来て、おいこら、その監視船ッ、さっき燈火が見えたぞ。お前らの監視はなっちょらん。しっかりせえッ、って怒鳴っただあ」
「やあ」
「今三郎め、びっくりしやがって、いきなり甲板へ土下座するつうと、へい、へい、へいとつづけざまに二十遍もお辞儀しただい……なあ、光枝」
光枝という娘が、おしゃまな顔つきで、うむ、とうなずいて、
「するつうと、士官が笑って、そんなに謝らんでもよい。叱ったのではない。注意しただけだ。お前たちもご苦労だが、一層、注意してやってくれ、つうて、それから、おらたちを見て、おや、小ッちゃな女の子が大勢いるが、お前たちはいったい何か、つうから、おらたちは、毎日、五十伝馬で監視船へ飯を運んでいるのだとそういうつうと、ちょっと待て、といって引込んで行ったと思うと、またすぐ出てきて、その伝馬でみんなこっちへ来い、つうだよ」
「そいで、みんなが、行こう行こうつうて、潜水艦へ伝馬を着けると、水兵さんが沢山出てきた。それから艇長というひとが来て、お前たちは偉いもんだぞ、といって一人ずつ頭を撫でて、そして、キャラメルを一箱ずつくれた」
 ちびッ子はそういうと、大切そうに手で懐中をおさえた。治郎作親方は、ちょっと待て、といって渋い顔をし、
「お前たちは、物の足らない潜水艦へ行って、キャラメルなんぞ貰って来たのか、この馬鹿娘ども」
 と、大きな眼を剥いた。
(久生十蘭「内地へよろしく」)

久生十蘭もストーンズ・タイプかな。読んでる最中はどんどんドライブがかかって、楽しい。でも、いつかラストが来るんだよね。



▼ ふしぎの国のバード   [RES]
  あらや   ..2015/10/17(土) 18:23  No.347
  いーですね、これ♪

普段、仕事の関係で「北海道」部分を中心に読むのだけど、春日部も日光もおもしろいじゃない! 明治からの、時間を遡る旅。目から鱗です。ゆっくり平取、めざしましょう。



▼ イーハトーブ探偵   [RES]
  あらや   ..2015/10/15(木) 07:14  No.346
  「それにしたって、北いうのはどういうことだ?」
「北は北でも、うんと遠くだ。樺太に行こうと思う」
 (中略)
「で、樺太でトシさんと交信するのか」
「ああ」
「そこに、トシさんがいるのか」
「分からねえから確かめに行く。直感でしかねえじゃ。本当は、そったらところに行かねくても、トシを感じられればいいんだけどな」
「うちに幽霊が出たんじゃねがったのか」
「生徒から聞いたのか?」
 カトジはうなずいた。
「あれは妄想かも知れねえ。実際に出てきてくれたら、交信など考えたりしねえ。俺はトシの魂の行方が知りたいのす。宇宙に溶け込んだ魂は、転生して娑婆に戻りくるはず……俺たちはどこか他に浄土があるとは信じてはいねえ。だから成仏というか仏界、天上よりももっとええところにいれば、むしろ交信などできねえはずなんだ。だども俺はいないはずのトシと話がしてえ。矛盾だらけだ」
(鏑木蓮「イーハトーブ探偵」/「赤い焔がどうどう」)

「賢治の推理手帳」シリーズ、第二作。ラストの短編が「赤い焔がどうどう」なんだけど、このシリーズ、すべての短編に日付が入っている。で、「赤い焔がどうどう」事件の日付は「大正十二(一九二三)年七月二十二日 日曜日」。樺太行の一週間前ですね。



▼ 砂の街路図   [RES]
  あらや   ..2015/10/07(水) 07:32  No.344
   この小都市は、その行政上の正式名称よりも、郡府、と通称で呼ばれることのほうが多いという。そもそもは北海道の開拓初期に、石狩川の水運の要衝都市として繁栄した街だ。大規模な治水工事で石狩川の流れが変わり、いっぽうで鉄道が内陸にも延びていって水運が意義を失い、結果として街は衰退した。
 郡府という通称は、かつてこの街に郡庁舎があったことの名残である。市域の中でもとくに、いわば旧市街にあたる運河で囲まれたエリアは、運河町と呼ばれている。明治後期の建築が高い密度で集積しており、その規模は同じ北海道の小樽市をしのぐという。
(佐々木譲「砂の街路図」)

「小樽」と「函館」を足して、2で割ったような街… 架空の街にしたことで説明が多くなり、若干、物語のスタートの加速が悪い。ただ、事件には「小樽」にない要素がいっぱい含まれているので、無理に「小樽の○○町で…」とかやると物語の骨格が壊れてしまうというのはよくわかる。

 また一万八千人という街の人口を考えると意外でもあるが、大学がふたつある。運河町エリアには国立の法科大学。明治初頭、行政官を緊急かつ大量に養成するために設置された官立法学校がその前身だ。運河町の外には、広い実習農場を持つ私立の農業大学がある。
 父は法科大学を卒業していた。母も同じ大学の出だ。実家が近いからこの大学に進学したという話だったが、当時は一学年三百人中女子学生は三十人程度。貴重品扱いだったと、存命のころに冗談めかして話してくれたことがある。
 公共交通の便は悪いが、クルマなら札幌から三、四十分という距離にある。そのためこの三十年ばかりは、札幌市のベッドタウンという性格を強めた。建物は古いが、そのぶん安くよい空間を借りることができるので、画家や工芸作家も少なくないらしい。
 俊也は地図に目を落とした。まずは運河町に入ることだ。
(同書)

今の小樽は下品だと思う。「運河町」になってほしい。土曜日、その小樽に「後志文学散歩・バスの旅」は向かいます。


 
▼ 小樽・海山めぐるバスの旅  
  あらや   ..2015/10/13(火) 19:35  No.345
  バスの旅、無事終了。10月10日、天気はちょうど台風の目にすぽっと入ったかのように、前後の大雨の日を逃れて青空の日でした。ラッキー♪

今回のバスの旅には、わざと小樽市港湾部が作った「小樽港要覧1983」の市街地図を使いました。上に出したのは「浜小樽駅」がくっきり載っている一部分です。当初、小樽運河論争の決定的な局面となった1983〜1984年を顕すものとして使っていたのですが、ふと、今回のバス行路を描いてみたら、難なくこの2015年10月の行路地図として使えることにはびっくり。運河論争以後、小樽の街の骨格って全然変わっていないのね…

天気予報、今夜なんかは平地でも初雪…とか言ってる。いやー、ラッキーだった。


▼ 下山事件   [RES]
  あらや   ..2015/09/19(土) 15:16  No.341
   二人の煙草の火が闇に灯り、青い煙が冷たい空に昇っていく。
「これから、どうするかな……」
 佐久間が、空を見上げた。
「“会社”に戻ったらどうだ。八板さんが、人を集めている」
 佐久間が驚いたように、工藤の顔を見た。
「まだ、“会社”はあるんですか。室町のあたりは、空襲で焼けたんじゃあ……」
「だいじょうぶだ。“ライカビル”は焼け残った。ほら、これ……仕度金だ……」
 工藤がポケットから札束を出し、その中から百円札を二枚抜いて渡した。
「こんなに……」
「いいから。その態(なり)じゃ何だから、どこかで背広と靴を買うんだ。それで明日にでも、ライカビルに来い。事務所は前と同じ、二階だ」
「はい……」
 工藤が煙草の最後のひと口を吸い、まだ真新しい革靴で踏み消した。
「それじゃあ、待ってるぞ」
 そういって、焼け跡の中に歩き去った。
(柴田哲孝「下山事件 暗殺者たちの夏」)

デイヴィッド・ピースの「下山事件」も、早く読みたい。待ち焦がれる。


 
▼ こうして、世界は終わる  
  あらや   ..2015/09/25(金) 07:53  No.342
  今、事件が起こった翌日なんだけど…

新着図書の書架に、以前、書評で気になっていた本を見つけたので、帰ってきて割り込み読書。分類こそ「304」だけど、ほとんどバチガルピのノリで読んぢゃった。「炭素燃焼複合体」に、「ライカビル」の連中が重なる。

「すべてはわかっているのに止められないこれだけの理由」か…

今、帯広で撮った300枚を整理中です。今日までに終えて、明日からの釧路に備えなくては。

 
▼ 下山事件、読了  
  あらや   ..2015/10/02(金) 10:18  No.343
   翌、七月一八日——。
 布施は金沢検事と二人だけでもう一度、末広旅館に出向いた。女将の長島フクは突然の再訪に戸惑っていたが、特に拒むでもなく招き入れてくれた。
「どんなご用でございましょう……」
 前日と同じ八畳間に通され、麦茶を出された。
「いや、お構いなく。実はあとひとつだけ、お訊きしたいことがありましてね」
「はい、何でございましよう。“下山さん”のことなら、何でも……」
 女将が膝を揃え、布施と金沢の前に座った
「実は、お訊きしたいのは“下山さん”のことではないのですよ」
 布施がいうと、女将が怪訝な顔をした。
「はあ……。それでは、どのようなことを……」
「今日は、“私”のことをお訊きしたかったのです。昨日“私”が、ここに座っていた時、どのような服装をしていたのか覚えておいでですか」
(柴田哲孝「下山事件 暗殺者たちの夏」)

ほーらね。こうやって、仕組んだ芝居はほころびる。

重く沈んだ気持ちにはなったが、読んで良かった。久しぶりの“松本清張”…みたいな感想。


▼ いまのはなんだ?   [RES]
  あらや   ..2015/09/07(月) 16:03  No.339
  テーブルの上に妻の置き手紙。愛と二人で家出します。

 青天の霹靂などという普段では絶対に遣わない大仰な言葉が頭上から降ってきて、後頭部と首筋の繋ぎめあたりに凝固した。それを振り払う力もなく、霹靂なんて絶対に書けねえよ――と力なく呟く。つまらない自嘲だ。なにかに迎合しているような気分だ。なにに迎合しているのかはわからないが。
 中学生くらいのころだったか、霹靂なんて絶対に書けねえよ――という具合に、その場を保とうとしているつもりで会話の本筋とは無関係な言わずもがなのことを口ばしって冷たい視線を浴びるということがときどきあった。そのときはとぼけて遣り過ごすのだが、あとで一人になると居たたまれなくなった。あの羞恥の核にあったものは、いったいなんだったのだろう。たいしたことではないのだが、ゆるがせにできないなにかがたっぷり含まれていたのはたしかだ。
 苦い反芻をしているのに、脳裏では霹靂とは雷のことだと囁く何者かがいる。中学生時分の私であったなら、まちがいなく霹靂とは雷のことだと付け加えて相手をさらに苛立たせただろう。
 煩い。
 鬱陶しい。
(花村萬月「いまのはなんだ?地獄かな」)

札幌の高校時代、こういう奴、いたなあ。(中学は、田舎の中学校だったからいない…) 私にも、いくぶん思いあたる部分が。

花村萬月は「私の庭」しか読んだことないし、「私の庭」が大の好みであるから、「私の庭」みたいな話をなんとなく思って本を読みはじめたのだけど、全然ちがった。まあ、おもしろいから、いっか。

以前、ヘミングウェイ「老人と海」の「海=Sea」は「She」を意識して読むんだと教えてくれた奴がいたけど、「いまのはなんだ?」の子どもの名前「愛」も、そういうような暗示を意図しているのかな?

読み終わったら、また書きます。


 
▼ 地獄かな  
  あらや   ..2015/09/19(土) 14:31  No.340
   父親という支配者がいて、家庭という集団のなかではなんとか支配権を保とうとする。それが普通の家庭における父親像かもしれないが、私には小学校にあがるころに唐突にあらわれた父親がいて、しかも四、五年先には病死して消滅していた。そのあとは幼い放蕩がたたって福祉拖設に収容されてしまった。つまり私はいわゆる家庭とは無縁に育ってきたのだ。
 その一方でいきなりあらわれた父親は私に圧倒的な英才教育を施してあっさり消滅してしまった。正直に書こう。父は先の短い己の人生を悟っていたのだろうか、小学校にも通わなくてよいと幼い私にひたすら関与して、自身の知性の欠片とでもいうべきものを私にひたすら教えこんで、そして死んだ。死んだときはめくるめく解放感に小躍りした。
(花村萬月「いまのはなんだ?地獄かな」)

この掲示板では悪口の類は書かない主義なので、「いまのはなんだ?地獄かな」についてはこれで終わりです。パノラマラインを過ぎる辺りでは、本多勝一みたいな臭いがした。








     + Powered By 21style +