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司書室BBS

 
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▼ 「道」第10号   [RES]
  あらや   ..2017/07/10(月) 14:53  No.503
  第10号デジタル化にかかった時間は「40時間/延べ日数7日間」でした。ガリ版の印刷・製本技術が凄いので、第8号に続き、第10号もデジタル版でないと読めないでしょうね。第9号あたりから内容が格段に向上してきているだけに、拙いガリ版印刷が残念です。早く活版印刷の時代に入ってほしい。でも、この後もガリ版が約10冊続くんですね。

耐えられるかな… 試験的でもいいからインターネット公開が動き出せば少し状況が変わってくるかなと思ったりもするけど、そういう拙速な性分で何度も失敗してきたから。ここはじっと我慢ということなのでしょう。作品が面白いのでデジタル化作業は楽しいです。ありがたいことです。身体もまだ大丈夫だし。


 
▼ 流しラーメン  
  あらや   ..2017/07/10(月) 14:56  No.504
   ここまでの基礎固めの時代のチャンピオンは名実ともに渡部秀正だった。創刊当初の客員時代から、年齢に似合わない大人の風格で僕らを驚かせた。家族や自分の体験を素材にした「のこされた者たち」(19・20号)「セールスマン物語」(23号)「或る田舎町の出来事」(28号)「霙」(34号)などが当時の代表作で、長いブランクの後に書いた「招待旅行」(80号)も好評だったが、故郷北海道を離れてからは無音の存在になってしまった。
(針山和美「『人間像』の五十年」/三十号まで)

たしかにチャンピオンの風格、ありますね。針山氏が推している20号〜30号台の作品はこれからなんですけど、今まででも、「場末町の歌」(路苑創刊号)、「石炭」(4号)、「財布」(6号)、「祭」(7号)、「運動会」(9号)とホームランの連発です。で、第10号の「流しラーメン」に至ってはため息ついちゃった。逆転満塁サヨナラホームランといった光景です。

そんな眼に遭うと我れにもなくうろたえ、妻子のある男に、と浅ましい気もしたが、官能のうずきわ切なかつた。
(渡部秀正「流しラーメン」)

「官能のうずきわ切なかつた」か… うーん、凄い。どうしてこういう表現が降りてくるのだろう。天性のものとしか云いようがないですね。もう「読書会BBS」で扱った方がいいのかな…と思ってます。インターネット公開が実現したら、すみやかにあっちに移行ですね。

 
▼ 啄木  
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:00  No.505
   針山君の歌集眼の玉=A啄木ばりの覇気のある歌集、何となく憧れを覚えます。自ら昭和の啄木を自誇すべし。斯かる発奮も亦美しい生涯の灯ともならう。亦、大いに北国風のリアルも持ち込むべきだ。やはり自然に抱かれた針山君の魂の存在は最も人を誘う詩的なインスピレイシヨンがあるからだ。洞爺湖を詠み 仏法僧を詠み 苦悩の位置を明瞭に詠むところに啄木ばりの今后の進み方があると思う。
(瀬城乃利夫「短信」)

同人が全国に散らばっているという『人間像』の特色がいちばん強く出ている面ですね。同人が、倶知安なら倶知安、小樽なら小樽余市などの地元一色で固まっていた場合、たぶん、針山和美氏と石川啄木を重ね合わすような発想は出てこないはずなんです。だって、当たり前すぎるんだもの。(北海道に暮らしていたら誰だってこれくらい詠えるよ) 道内の同人たちは、なんで針山氏が啄木なのか…まるっきり意味がわからなかったと思います。

でも、内地の人たちには充分「啄木」なんですね。(これは湧学館時代にしつこく書いたことで繰り返すのも恥ずかしいのですが)啄木の『一握の砂』というのは、明治時代の内地の人たちが初めて認識した「北の大地−北海道」なんです。それ以前の北海道は「島」です。「点」です。北原白秋にしても幸田露伴にしても、船から港に降りては酒飲んで騒いで、また船に戻って次の港へというだけの「北海道」。全然つまらん。という世界へ、
 「真夜中の/倶知安駅に下りゆきし/女の鬢の古き痍あと」
という爆弾が落ちて、内地の人たちの頭の中に今まで経験したこともない「北海道」情景が閃いてくるのですよ。その衝撃たるやいかほどのものだったか、想像すると今でも私はぞくぞくしてきます。

 
▼ 昭和の啄木  
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:03  No.506
  瀬城さんの感想が頓珍漢なものだったとは思いません。『人間像』同人たちが、若い内からこういう「日本」の中に偏在する感性の地域差みたいなものに自然に耐性ができて行くことは、誰の作家人生にとってもプラスになっていったと思う。

はからずも瀬城さんの証言で、「昭和の啄木」なんていう方向性も二十歳の文学青年・針山和美にはあったのだと知ってぞくぞくしています。まだ何者でもないのです。「道」はこれから。

 
▼ ワープロ  
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:08  No.507
  第10号デジタル化が終了したのは7月8日(土)朝でした。早速、10号の資材を片付けキャリーバッグに仕舞い11号を取り出して来て机の上の配置を始めます。その間に「司書室BBS」に10号の報告を書いておこうとパソコンを起動したら、あれ、インターネットができない! 「このページは表示できません」だって…
メールもできなくなっている。で、これはこちらのパソコンの問題ではなくて(他の機能はいつも通り動いているから)、電話会社側の問題だろうと思ったんですね。そういえば、前日に「光ケーブル回線メンテナンス工事」がある葉書がNTT東日本から届いていた。でも六月からKDDIに乗り換えていたから、もうこの工事は関係ないと思っていたわけです。でも、この工事をやられてしまったみたい。
抗議の電話を入れたら、設定を元に戻せる社員は月曜日にならないと出てこないんだそうで。しかも直すには、遠隔操作ではできなくて、家に社員が出ばってくるそうで。ほんとに迷惑だなあ。平日に家で待機していられる私みたいなヒマな人間は世の中にそうそうはいないんじゃないの。

五月に針山家にお邪魔した時、長女のみさきさんも来ていて、生前針山氏にワープロ機をパソコンに替えた方が便利だよと何度も進言したけれど頑として受けつけなかったという話を聞きました。じつは私にも同じ体験があって、峯崎ひさみさんにパソコンに替えませんかみたいな手紙を書いたことがあります。いらぬ混乱をさせてしまいました。作家さんの貴重な時間を奪ってしまったと今は深く反省しています。

現在は、ワープロ機でいいんだと認識しています。パソコンは駄目だ。作品が書く上でのリスクが多すぎる。朝スイッチを入れたら昨日書いた文書が出て来ない…なんて目に一度でも遇ったら、作家はそんな「文房具」は即捨てるんですよ。1年とか2年とか阿呆みたいな単位で機器やOSやセキュリティシステムの更新があり、料金や契約更改があり…なんてこと、一生を賭けた作家人生にとってはゴミみたいなもんです。時間の浪費なの。

…という罵詈雑言を、復旧したパソコンを使って「司書室BBS」にこれから送ります。


▼ 「道」第9号   [RES]
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:03  No.500
  第9号、4日間でデジタル化完了。かかった時間は「19時間」でした。いつもより短時間なのは、第9号のページ数が少なかったから。腕が上がったとか、そういうことではありません。

◎創刊当初から最も華かな活躍を続けて来た同人、宇野一郎(谷畑潤逸郎)君は事情あつて一時退会することになりました。
(「道」第9号/同人消息)

ページは少ないけれど、第9号は重要な号です。当時の文学寄稿雑誌『文学集団』『文章倶楽部』で光る作品を書いていた人をどんどん同人に誘う形で発展してきた同人雑誌『道』。そのため、創刊当初から同人が全国に散らばっているという『人間像』(←『道』が第16号から『人間像』に改題)独特の良さもあった反面、スカウト・ミスみたいな事態もあったのですね。ぺらぺら長いだけの駄文に多くのページをとられていました。本当に書くべき人が、駄文の大声に邪魔されて書きづらい状況があったと思います。このまま進んで行くと、『道』のコンセプトも固まらず、針山和美氏も単なる文学愛好の田舎教師で終わったんだろうと思います。その悪い流れがばしっと切り替わりはじめるのが、この第9号なんです。たいへん興味深く読みました。


 
▼ 小樽  
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:10  No.501
  次に一頁目に上沢さんの「サーカス」を持つて来た事は常に道は道の同人自体のものであると言う観念からであります。
(「道」第9号/松田滋「編集後記」)

今まで巻頭にはハイネやリルケの詩を掲げていました。いかにも文学好きの作りそうな、在りがちな同人雑誌だったのですが、ここでがらりと変わる。『サーカス』ですよ、『サーカス』。どんな馬鹿な詩人でも『サーカス』書く時は緊張するだろう。中原中也の物真似で人生が終わるかどうかの賭けなんだから。小樽の一青年が挑んだ賭けにまず拍手。次いで巻頭にこれを持って来た編集人に大拍手。『人間像』がここに船出しました。

ついでですから少し悪口も云います。二号に於ける針山君の四、五、六の三首、七号に於ける第五、七の二首。共に戦争にからまる思い出を詠んだものだが、戦争中には斯う云う事もあつたと言う単なる回想にすぎないものや、軍部の圧制を軽く皮肉つた程度にとゞまつている。過ぎ去つた生活に対して、もつと真摯な反省があつて良いのではなかろうか。
(「道」第9号/渡部秀正「短歌について」)

渡部さんも凄い。同人の中でも才能が一等頭抜けている針山氏ゆえ、なかなか倶知安の同人・友人たちからはこういうストレートな批評は出ないように私も思っていました。でも、渡部氏がいてよかった。こういうことをちゃんと言ってくれる人がいないと、針山青年は「針山和美」になれなかったでしょうね。

小樽のことあまり褒めたくないけど、小樽からこの二人が参加したことは針山氏の一生の財産だと思いました。札幌でも函館でもなく、この場合は小樽なんですね。

 
▼ 二十歳  
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:17  No.502
  たきたての飯に醤油をかけながら満二十才今日より始まる
(「道」第9号/針山和美「雑詠」)

二十歳の青年教師・針山和美氏が喜茂別村の御園(みその)小学校に移りました。「道発行所」も倶知安から喜茂別に移ります。伝説の御園時代。第十号に期待します。

此処へ来て始めて仏法僧を聞いた。御園て言う処はそれ程静かな処である。しかし住めば都のたとえ通り、山の中も又、味のあるものである。苫小牧へ転居した内村君が遊びに来て、一週間程居候して行つたが、彼が帰るとき、丁度かわりの様に松田君が来訪した。処が内村君同様すつかり御園が気に入つたと見えて仲々帰ると言わず、とう/\彼も又一週間近く共同生活して行つたが、うまくそこを利用(?)して本号の編集と印刷をして貰つた。松田君こそいいメイワクだつたに違いない。
(「道」第9号/針山和美「編集後記」)

二十歳か…


▼ 「道」第8号   [RES]
  あらや   ..2017/06/26(月) 14:01  No.499
  第8号デジタル化、完了。かかった時間は「31時間/延べ日数7日間」でした。第8号だけはデジタル版でないと読めないでしょうね。楽しみにしてください。

生れは今は異国の樺太で戦后、岩内・奈良・大阪・倶知安・京極・して再倶知安へと放浪の人間で最も好きなものは海と素朴な田園風景。又悲しい事は故郷が失はれた事です。(新同人WK)

 昭和六年六月二日旭川市に生まれ帯広にて一年入学、三年生の九月満州海拉爾(ハイラル)市に渡り、六年卒業と共に、国立海拉爾高等学校入学、二十年八月終戦、翌年九月引き揚げ中退、見習看護婦として町の病院に就職、二十三年十一月家事の都合退職、現在に至る。(新同人OM)

みんな凄いですね。編集後記では「朝鮮戦争」に触れているし。誤字とか、稚拙な表現とかいろいろあるけど、当時二十歳前後の人たちが書いた文章を読んでいると、思いっ切り馬鹿だった自分のあれこれが思い出されてきて、けっこう落ち込みます。



▼ 「道」第7号   [RES]
  あらや   ..2017/06/19(月) 15:19  No.496
  先ほど第7号デジタル化、完了。かかった時間は「29時間」(←おゝ、30時間を切ったぞ!)延べ日数は7日間だが、これは途中で草むしりや畑仕事が入って来て作業に集中できなかったためです。

第7号掲載の評論『人間性の再認識に付いて』の中で(たぶん初めてだと思うが)「人間像」の言葉が出てきて吃驚。著者も「秋野芳」で、今まで書いたこともなければ、同人紹介にも登場したことのない人。「秋野/春山」の連想で、えっ針山和美氏なの!とも思ったが、あまりにも文章がダサすぎる。ま、単なる偶然か。
あと、今回初めて、読めない文字が出てしまいました。「■■の出来次第■■する予定だつたものだから、かなり落着かない。」 これ、編集後記の書出し部分なのですが、ガリ版印刷のロウ原紙が撚れていて文字が滲んでいる。せっかく第6号までパーフェクトゲームで来たのだけど、ここでストップか。今のところ■です。(←悔しいなあ…)
新同人自己紹介7人の内、「京極村」の人が3人も! 倶知安中学の学生の6割は汽車通学で、それぞれ「京極線組」とか「岩内線組」とか呼ばれていたという話を福島昭午氏からお聞きしました。同じ汽車で毎日通う皆は仲が良かったそうですが、なんとなくそんな京極線(胆振線)風景を彷彿とさせるエピソードですね。私も京極村「更進」とか「川西」とか打っていてとても楽しかった。

さて、これから草むしり。第8号は明日から。


 
▼ うわっ!  
  あらや   ..2017/06/20(火) 17:50  No.497
  針山家からお預かりして来た時、全冊見渡して「ああ、こういうのもあるんだ…」と知ってはいたのですが、それが、この第8号だったんですね。

■■どころじゃない、■■■■■■■■■■■■■■■とでもいった非常事態です。45ページの画像データを作るのに一日かかってしまいました。

 
▼ 思い上り  
  あらや   ..2017/06/22(木) 09:08  No.498
  思い上がってるな。世界に一冊しか残っていない本を手にしている興奮にちょっと酔いしれている。もう少し謙虚にならないと失敗するかもしれない。今はまず、黙ってこの第8号を皆が読めるまでに形にしよう。


▼ ハルカヤマ藝術要塞   [RES]
  あらや   ..2017/06/16(金) 06:40  No.495
  ハルカヤマ、行ってきました。で、今日は撮ってきた写真の整理です。今、「道」第七号デジタル化の最中なんだけど、ひとつ、長ーくて(私には)詰まらない作品にぶち当たってしまって難渋していたところです。一日中ワープロ打っても、なかなかに終わらない。そんな時にこういう気分転換が入ってくれて、とても有難いです。

春香山。全体的にファイナルのムードがそこかしこに漂っていて、しんみりと良かったです。タイトルも『ハルカディア』とか『ハルカヤマからの贈り物』とか、私とハルカヤマ…みたいな視線が随所に飛び交っていてファイナルにふさわしい雰囲気でした。特に、渡辺行夫氏の『石を食む』(写真)にはオッと思いましたね。氏独特のオブジェと春香山の石や土が合体している! 私の大好きな渡辺作品に恵庭・ユカンボシ河畔公園の『ドン・コロ』があるんですけど、あれに似た波長を感じました。

写真整理もずいぶん久しぶりなんですけれどね。「おたるの図書館」の頃は日課のように毎日やっていたのが嘘みたいだ。あの野外彫刻写真はどうなるの?という問い合わせも時々受けるんですけど、私にも目処は立っていないのです。でも、これっきり、捨ててしまうことはないつもりです。今は「人間像ライブラリー」が形になることが優先だと考えています。形になるための戒めです。同じような質問で、なにか紙の「ライブラリー通信」みたいなものはやらないのか?(前はやっていたじゃないか…)というのも多いのですが、これも、今ここでそれを始めてしまうのは(私は夢中になる性格なので)大変危険だ…という判断です。別に萎縮しているわけではないのですが、一日は誰にも24時間しか時間がないので。



▼ 「道」第6号   [RES]
  あらや   ..2017/06/13(火) 15:35  No.492
  第6号デジタル化、6月13日今朝、完了。かかった時間は「33時間(延べ6日間)」。ほぼ第5号と同じですね。一週間で一冊くらいの、このペースで行くのかな。

https://www.sapporo-info.com/event/detail?id=78444
(HPがFacebookに移ってしまいました。大通情報ステーションで。写真ないけど…)
今週はこの「ハルカヤマ藝術要塞」があるので少しペースが遅れるかもしれません。ファイナルなんですってね。穂別、遠いなあ…


 
▼ 昭和25年  
  あらや   ..2017/06/13(火) 15:38  No.493
  あゝ/\/\
一時も早く御許を得て御前に参上致し度いろ/\申上候ふて御許しを得たき事も山々有之候、何とぞ/\一日も早く御返事の程念じ上候、
(石川啄木「天下一品怪美人の艶書」)

これは明治40年「小樽日報」記者・石川啄木が書いた三面記事「天下一品怪美人の艶書」(←人間像ライブラリーで読めますよ)です。明治40年の日本人ならこういう書き方なんだろうけれど、昭和25年の日本人もけっこう文章に使うんですね。

 平吉は、そつと周囲を見廻はしてみた。そして、少し離れた男の、おづ/\した視線に合つて慌てゝ目をそらした。 ―しつ うるさいのが来たぜ― この言葉に、ガヤ/\と、しやべつて居た日雇い達は、監督の眼を逃れて八方え散つた。
(渡部秀正「財布」)

「おづおづ」「慌てて」とは直さず、書かれている通りに「おづ/\」「慌てゝ」としています。そうしないと「昭和25年の日本人」の味わひが出ないと思ふから。

 
▼ 踊り字  
  あらや   ..2017/06/13(火) 15:43  No.494
  日本語文字パレットから「ゝ」や「ゞ」を取り出してきて、「慌てゝ」とか「みすゞ」とかやっているんですけど、ちょっとそのパレットの隣を見ると「ヽ」とか「ヾ」といった似たような記号がある。なんだろ、これ? ガリ版のロウ原紙を切っている人によっては「ヽ」「ヾ」の方を用いている人もけっこう多い。

で、不安になって調べてみました。(ウィキペディアって有難いですね…)

で、いろんなことを知りましたよ。この歳になって。

まず、この「ゝ」「ゞ」「ヽ」「ヾ」って、「踊り字」と呼ぶんですね。で、使い分けはこうです。
 こころ → こゝろ
 つづく → つゞく
 バナナ → バナヽ
 ハバネラ → ハヾネラ
つまり、平仮名で音が重なる時は「ゝ」、濁音で「ゞ」です。で、片仮名の時が「ヽ」「ヾ」だったんです。知らなかったなあ… これからはちゃんと使い分けよう。

ちなみに、「/\」は「くの字点」と言うんだそうです。人間像ライブラリーで使う予定の縦書きソフトは、この「/\」がすらーっと美しく表示されるんですよ。


▼ 「道」第5号   [RES]
  あらや   ..2017/06/08(木) 09:59  No.491
  第5号デジタル化、昨日(6月7日)完了。かかった時間は「32時間(延べ6日間)」でした。

第5号から判型が、現在の『人間像』に続くA5判に変わります。あの時代でAサイズを選んでいるのは一寸(←今、私のワープロ文字設定が「昭和25年」にタイムスリップしています)凄いですね。学校や官公庁の公文書がBサイズからAサイズへ変更になるのは、たしか私が志木高校図書館に勤めていた昭和50年代です。それ以前の日本社会はほとんどBサイズの本とか印刷物で出来上がっていましたから、A5判の同人雑誌はかなり目立ったのではないでしょうか。(←今、「ないでせうか」を「ないでしょうか」に再度書き直し)

昭和25年。私はまだ生まれていません。(昭和27年11月生れです)
『道』同人の自己紹介欄を見ると「昭和4年生れ」が殆どを占めているので、ああなるほど私の父(昭和3年生れ)と同じ世代なんだ…とか思いながら作業をしています。まだ独身だった時代かな…とか。母とデイトしていたのかな…とか。
針山和美氏はこの年の7月に南京極小学校から喜茂別の御園小学校へ転任ですね。伝説の御園時代。結婚されたのもこの時代ですね。戦争からの復興を少しずつ感じなから、さあ、第6号へ。



▼ 見えないガラス   [RES]
  あらや   ..2017/06/01(木) 09:12  No.489
  今の人にはもう何が書かれているのかわからない手書きガリ版文字が、普通にスマホでも読める文字になるだけでも価値があるかもしれない。字が読めるようになったら、改めて気がつけばいいと思う。字は読めるけれど、今度は、そこに書かれた言葉が読めるかどうかは別の問題です。

針山氏の「『人間像』の五十年」に描かれた初期の同人たち。渡部秀正氏の『場末町の歌』(「路苑」第一号)、瀬城乃利夫氏の『道』(「道」第三号)を直に今読んでいる幸福をひしひしと感じつつ、現在は、第四号のデジタル化が進行中です。針山和美『見えないガラス』は昨日完了。今日は上沢祥昭氏の作品評からスタート。同人自己紹介、編集後記と続いて、うまく行けば今日中に第四号は終了かもしれない。

もう六月なので、経過報告を。5月12日に初期『人間像』24冊をお預かりしてから20日間ばかり、4冊の作業完了です。ガリ版刷り誌面のため画像データも別に撮っていますので、その分時間が少し余分にかかっています。

同時進行で、HP「人間像ライブラリー」の検索システムも現在検討中です。転居のお知らせハガキには「五月下旬」などと書いてしまいましたが、今少し遅れます。HPのコンセプトを出来るだけ単純に絞り、誰でもできる単純な操作で目指す作品を一気に読み出せるような「検索」システムを考えています。

『見えないガラス』は大変興味深かった。単行本収録作品では見当たらない、二十歳の青年・針山和美の内面を垣間見た思いがします。早く、この新発見を皆様にお届けしたい。六月も頑張ります。身体は健康です。


 
▼ 「道」第4号  
  あらや   ..2017/06/01(木) 19:04  No.490
  先ほど第4号の処理完了。かかった時間は「24時間(5日間)」でした。処理に使っていたコピーをファイルに綴じて、今、防災トランクから第五号を取り出してきたところです。と言っても、作業は明日から。もう今日は疲れた…

第5号からぐっと垢抜けて来るんですね。カッコいいイラストがあちこちに。


▼ 「道」第3号   [RES]
  あらや   ..2017/05/28(日) 13:36  No.486
  第3号デジタル化、27日午前中で完了しました。かかった時間は「23時間(延べ5日間)」でした。
第3号は孔版印刷なので比較的作業しやすいかなと思っていたのだけど、そんなことはなかったです。何人かの筆耕プロが手分けしてガリ切りをするんですけど、字を知らない人が中に混じると、その人がやったページに入るとガクンと読みづらくなる。ページのあちこちに判読不明の漢字が出てきて、まるで陸上競技トラックの途中にぱらぱら小石が落ちているようなものでとても走りづらい。

ま、ぶつぶつ文句を言ってる時間も惜しい。次へ行こう。


 
▼ 夢の中の奴隷  
  あらや   ..2017/05/28(日) 13:39  No.487
  島尾敏雄に『夢の中での日常』という作品があるけど、その針山版みたいな感じ。

「ぼやけてる奴があるかつ、降りたら整列だ、整列」
 何時もと同じ言葉で繰り返し乍ら親方は手に持つた六尺棒を高く振り上げると、動作の遅れがちな年老いた仲間の一人を力まかせに殴りつけた。老いた奴殻は痛さをこらえ、「ううつ」と唸つたが、そのあとでニヤリと不敵な笑い含みをした。それは多分「此れ位でへたばるものか」と言う強い者に対するおのれの反撥を、親方ではなく、何時もびくびくものの仲間達へ認識させようとしてやつた仕業だつたが、それが却つて親方の眼にとまつたのである。然し親方はその場で制裁を加える様なことはしなかつた。彼はその獰猛な顔でニヤ/\笑ひ、「これは楽しみがひとつ出来た」とでも思つている事だろう。何故なれば此の恐怖の寮の制裁は彼等に取つては何よりの慰めの一つでもあつたから。
(春山文雄「夢の中の奴隷」)

脇方での勤労動員の記憶が色濃く作品に影を落としている。ただ、針山氏は勤労動員や援農が辛かったとか、青春を返せとか、そういうことが言いたいわけではないのです。針山氏はそういう体験をも文学作品の方へぐにゃりと変形させてしまう。この感触が、たぶん、島尾敏雄の『夢の中での日常』や『贋学生』を思い起こさせたのではないだろうか。そして、思い起こしたのがもう一人。沼田流人。

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2017/05/28(日) 13:47  No.488
   夕暮は、地の上に廻って来た。
 彼等には、殆んど、全二月もの間手を休めないで、稼ぎ続けた程にも思われた。あの、食物を盗まれた老人は、落ちて行く夕陽に掌を合せて一つ頭をさげて、側に立っていた誰かの顔を見て笑いかけた。
『日が、暮れる。兄弟……。』
 彼は、小児のように嬉しげに微笑して、咡いた。
 意地悪い蝎は、それを見逃さなかった。
『老耄蟇(ひきがえる)奴! 仕事さえ止めれば、笑ってあがる。』
 この不運な老人夫は、唯太陽に感謝した罰で、その額を一つはり飛ばされた。
(沼田流人『血の呻き』)

実際に〈タコ部屋〉的な体験をしたのが針山和美氏で、「これほどリアルな」と賞賛される沼田流人に実は〈タコ部屋〉体験がないということが興味深い。

「軽川トンネルのタコ部屋に潜入取材してルポルタージュ『血の呻き』を書き上げた!」とか言ってる人もいるけど、それ、もの凄い間違いですよ。(現在の価値観で物事すべてをぶった切る馬鹿の典型…) 流人は倶知安八幡で木賃宿をやっていた祖父を手伝う関係で、旅人や住民から漏れ伝わってくるタコ部屋の〈噂話〉を『血の呻き』という作品へ組み込んだのですよ。それが自分の死生観や身体感覚とない混じり合ってあのような特異な作品が生まれました。

針山和美氏を「プロレタリア作家」とか「反戦作家」と言ったら皆笑うでしょう。それと同じで、いつか人間像ライブラリーに『血の呻き』が登場したら、「小樽に多喜二、倶知安に流人」などと騒いでいた茶番たちは消え去るでしょうね。


▼ 「道」創刊号   [RES]
  あらや   ..2017/05/23(火) 10:49  No.484
  「道」創刊号のデジタルデータ化にかかった時間は「14時間」。日数にして「2日間」でした。その前にやっていた「路苑」創刊号のデータ化にかかった「34時間(延べ6日間)」と較べると結構な短時間なので順調に作業が進みそうですが、それぞれに抱えている条件を加えると問題はそう簡単ではないのです。

例えば、活版印刷の「路苑」35ページなら原稿量は多いけれどOCR作業(文字読み取り)は比較的素早くできる。これがガリ版刷りの「道」になると当然パソコンのOCRソフトは使えません。すべて手打ちのワープロ作業になります。これが結構難しい。敗戦直後の昭和24年です。占領期でもあり、当用漢字が通達される中での旧字体で教育を受けてきた人たちの混乱は相当なものです。(昭和27年生まれの私には「舊字体」はちょっと手に余る。啄木の明治時代まで戻るとかえって楽になるのだが…)

当面は「新字」で統一して作業を早めます。仮名づかいはそのまま。「新かな」までは直さない。なを、ガリ版時代のものについては、全ページ画像のPDF版を用意しますので、公開後、作者や関係者の指示に従うつもりです。


 
▼ ベット  
  あらや   ..2017/05/23(火) 11:06  No.485
  ガリ切り作業上の略字(例:歴史→厂史)や誤字(例:芥川龍之助)などは気がつき次第直しているのですが、そう気楽に直せない例がこの「ベット」なんですね。
作者が「ベッド」を「ベット」と勘違いして覚えている。「ジャンパー」を「ジャンバー」とかね。(←これ、北海道っぽい)
去年「京極文芸」の復刻をやっていた時には即「ベッド」に直していたのですが、今回また「ベット」に遭遇するに及んでちょっと考えなおしました。これは直さない方がいいんじゃないか。
当時二十歳の青年が間違って覚えていたというよりは、当時の日本人がこういう英語理解だったということなのであって、そうだとすれば、ここは「ベット」の表記の方が正しいのではないかと思い始めたのです。
ボブ・ダイランやバート・バチャラッチを思い出す。情報が少なかった頃のラジオは平気でこう言っていた。女優のオードリー・「ヘップバーン」とローマ字ヘボン式の「ヘボン」先生は同じ綴りだとかね。
時代相とか地域性を多分に含んだ言葉・表現については、そのまま表記にとどめた方が良い。たかだか現在の価値観で過去の作品をぶった切る愚を犯してはならない。PDF版もあります。読んでいて「えっ?」と思ったら、PDF版で一度ご確認ください。








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