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▼ 暗殺者たち   [RES]
  あらや   ..2013/10/18(金) 07:09  No.305
   翌日、一月一九日、死刑判決を受けた被告二四名のうち一二名に、恩赦による無期懲役への減刑が発表されました。幸徳、管野、大石誠之助、宮下太吉、新村忠雄、古河力作ら一二名には、そのまま死刑判決が維持されています。
 その日のうちに、大石誠之助は、東京の獄中から、故郷の紀州・新宮にいる妻・栄子に宛てて、手紙を書いています。……読んでみましょう。
《ある人の言葉に「どんなにつらい事があろうとも、その日か、おそくも次ぎの日は、物をたべなさい。それがなぐさめを得る第一歩です」という事がある。
 お前もこの際くよくよと思ってうちに引きこんでばかり居ずと、髪も結い、きものも着かえて、親類や知る人のうちへ遊びに行って、世間の物事を見聞きするがよい。そうすればおのずと気も落ついて安らかになるだろう。そしてうちをかたつける事など、どうせおそなりついでだから、当分は親類にまかせて置いて、今はまあ自分のからだをやすめこころを養う事を第一にしてくれ。
 私はからだも相変らず、気も丈夫で、待遇はこれまでの通り少しも変った事はない。こうして何ヶ月過すやら何年過すやら、また特別の恩典で出して貰う事があるやらそのへんの所も、すべて行末の事は何ともわからないから、決して決して気を落さぬようにしてくれ。
 ほかに差あたって急ぐ用事もないから今日はこれだけ。
     一月十九日       誠之助
        栄子どの》
 冒頭で言われた「ある人の言葉」――どんなにつらい事があろうとも、その日か、おそくも次ぎの日は、物をたべなさい。それがなぐさめを得る第一歩です――というのは、ツルゲーネフ『ルージン』の一節らしいのです。ごく最近になって、これに気づいた人がいて、僕は教えられたのですが。
(黒川創「暗殺者たち」)

おや、ブックトークをやってる人がいる…


 
▼ 流人  
  あらや   ..2013/10/18(金) 09:13  No.306
   この二葉亭訳の『浮草』のなかに、こんな一節があります。ヒロインのナターリヤのもとから、ルージンが去ってしまったあとのくだりです。
《人というものは、どんな憂い目を見ても、その日のうちに、たかだか翌日になれば――少し艶のない言方だが――もう飯を食う。それ是が気の安まる発端というものである。》
 大石誠之助が読んだときに記憶に残って、自分が死刑になる直前、まだ年若い妻に贈ろうとしたのが、この一節なのでした。
 さらに、このくだりはこんなふうに続きます。
《ナターリヤは酷く苦んだ。こんな思をするのは生れて始てで……けれども初ての苦みは初ての恋のように、善くしたもので、二度とはせぬものである。》
 ここは、たしかに、この小説のハイライトです。なぜなら、こうした認識を、ナターリヤという失意のなかにある若い娘は、自力でつかんでいるからです。
 大石誠之助とは、ツルゲーネフの『ルージン』をこのように読む人だったのです。死んでいく身として、若い妻にこれを伝えておこうとするところに、彼という人間の大きさがあるのを僕は感じます。
(黒川創「暗殺者たち」)

そう。私も「沼田流人」のペンネームの由来を確認する過程で、ツルゲーネフ「ルーヂン」(岩波文庫)を取り寄せました。中村融訳では気づかなかったのですけど、そのあとがきに、二葉亭の「うき草」が「ルーヂン」の翻訳であることを知り、そちらも取り寄せてみて、ここで初めて吃驚となったわけです。なんと! 「血の呻き」とそっくりそのままの修辞がここにある!

驚きました。馬鹿な左翼の言い伝え「これはレーニンのもじり」説を今の今まで信じていた自分が恥ずかしい。これからはなんでも自分のこの眼で確かめないと駄目だな…と感じ入った次第です。その月の「沼田流人マガジン」(読書会のレジュメ誌)の表紙には、啄木の「みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな」を架けました。沼田流人のルーツが、啄木と同じ明治文学正統派であることが深く深く納得されたから。なぜ「血の呻き」がハコダテの街の男女の心模様から始まるのか…にも、少し感じるところがありましたね。

明治末を一世風靡した「流人」。(苜蓿社にも大島流人…) 感慨無量だ。

 
▼ 黒川創  
  あらや   ..2013/10/18(金) 09:18  No.307
   気づいたときには路面に水が増していて、宙に浮かんだように、車体はくらっと揺れた。クルマの窓のすぐ下まで、黒い水が来ている。ドアの隙間から、水は浸入してきているらしく、足もとのマットが少し濡れている。
 ハンドルを切ろうとしたが、妙に軽く、フロントガラスの前の景色が、するすると遠のきはじめた。どうやら、クルマが後ろ向きに流されているのだと、やっとわかった。
 助手席のチャイルドシートの娘が、瞳を見開き、外の水面を見ている。
 ゆっくり、こっちに向きなおり、
「ママ……」
 と、何か尋ねたそうに口を開いた。
「さっちゃん」
 とっさに、保育所から引き取ったばかりの娘の名を呼び、左手をハンドルから外して、おかっぱの髪を彼女は撫でた。
「――なぞなぞ、しよう。
 あのね……、食べても食べても、へらないで、増えていくもの。それは、なに?」
「たいじゅう」
(黒川創「いつか、この世界で起こっていたこと」/「波」)

「暗殺者たち」にとても興奮。今、黒川創を立て続けに読んでいるところです。
「波」もよかったけれど、「神風」もよかった。「橋」もよかった。結局、全部、よかった。

なにか、私の中のブックトークが変形しはじめている。


▼ 妖精が丘   [RES]
  あらや   ..2013/10/07(月) 19:52  No.304
  明日は南京極小学校の出前図書館が入っているので、練習を兼ねて、「妖精が丘」のことを先に書いておきます。
年に一度の大ブックトーク大会。全学年の南京生11人と湧学館の2人が、全員「私の好きな一冊」を語ります。いつもは湧学館の2人が、昼休み15分間の各7分をブックトークする形なのですが、この日だけは、授業の1時限をもらって、全員平等の時間で「私の好きな一冊」を語るわけです。けっこうプレッシャーはきついけど、楽しい気持ちにはなる一時間です。私には「好きな一冊」があるから。こういう時、私は、アンデルセンか宮沢賢治のどちらかになるんだけど、小学生相手の時はアンデルセンが多いかな。(昭和三十年代からの根っからの「アンデルセン小僧」ですから…) でも、この平成25年10月、とても驚くことがあったんだよ。

 この本に入っているお話は、アンデルセン童話のけっさく中のけっさくばかりです。よく知られているお話もありますが、表題作の「妖精が丘」は、ほかの本ではなかなかお目にかかれない、風変わりで楽しい物語です。ほかに、「イーダちゃんの花」も、今まで読んだこともないような種類のお話です。「ブタのちょきん箱」は、はじめて読む人が多いことでしょう。こんなこと、アンデルセン以外にだれが思いつくかしら?と思うような内容です。「ナイチンゲール」は、世界じゅうの童話のなかでもとくに美しい作品のひとつと言えるでしょう。どのお話も、いつ読んでもしんせんなおどろきにみちてます。
(ナオミ・ルイス「はじめに」)

ほんと、驚いた。「ブタのちょきん箱」の次に「マッチ売りの少女」! で、次が「妖精が丘」!
アンデルセンのお話は全部読んでいるというプライドがからからとくずれます。でも、悔しいことに、「ブタのちょきん箱」、おもしろいの… 「マッチ売りの少女」も、アンデルセン原作よりおもしろいの。くっきりすっきりのお話になっている。
「再話」って言うんでしょうか。ナオミ・ルイスの斬新な編集構成に、エマ・チチェスター・クラークの絵がからまって、およそ五十年ぶりに「アンデルセン小僧」の血が騒ぎました。やはりアンデルセンはすばらしい! ナオミさんのおかげで、自分の書く文章のルーツがアンデルセンだったことを思い知りました。

アンデルセン生誕二百年で湧いた2005年は函館の街でうろうろしていたことを思い出す。「妖精が丘」に出会うまで9年もかかってしまったよ。まあ、その話は、小学生にはしませんけれど。



▼ 漂泊家族   [RES]
  あらや   ..2013/10/06(日) 08:05  No.303
  「クルミじゃないか」といきなり声をかけられて、本当に腰を抜かした。相手は鼻を押し付けてきて臭いを嗅ぎ、
「クルミだろ? おれだよ。トンカツ。覚えていないか」といって、親切にもグルーミングを始めた。
(大森光章「漂泊家族」)

今、本年度の「後志文学散歩」のテキストをつくっています。今年は「山麓を一巡り・バスの旅」。「山麓文学館」読書会が発掘した作品のふるさとを次々に巡ります。ある意味、五年間やってきた後志の文学講座の総集編。羊蹄山の麓にこんなに魅力的な作品が埋まっていたなんて、みんな吃驚でしょうね。
というようなことは、じつは私にはどうでもいいことなんで、ただひたすら面白い本をこの地に暮らす人たちにつたえたいだけです。この「漂泊家族」も、そう。漱石の「吾輩は猫である」に対して「私たちはネズミである」…なんて小説を思いつくの、たぶん、大森光章さんしかいないだろうな。目いっぱい、知的です。
トンカツは、以前に離ればなれになったクルミの兄弟。(それぞれネズミには名前がついている) 迷い込んだ冷凍倉庫の梱包食品の中に巣(家)をつくって生きている。壁や床や天井のすべてが食い物…という夢のような家だけど、でも、じっとしていると凍ってしまう。絶えず動いていなければならない。
夏の間中、図書館に来ては、休憩場所を占領して、耳にヘッドホーン、目の前にペットボトル、3分おきにスマホ(LINEって相当気持ち悪いもんですね。不幸せそう…)、10分で「勉強」飽きてゲーム始めるバカ高校生たちがいたんだけど、叱る時、小太りの奴に「おい、そこのトンカツ!」って言ってしまった。
「山麓を一巡り」なんだから、大森光章さんだと「王国」などをノミネートしなければいけないんだろうけど、クルミの漂泊物語の面白さ抗しがたく、大方の予想を裏切って「漂泊家族」を選びました。病院を棺桶の中に隠れて脱出。着いたところがお寺の庫裏…という場面だから、当然、倶知安の孝運寺をイメージして書かれていると思うので、この「バスの旅」にはこっちの方かなと考えた次第です。

書きたい本がたまっているので、ここから少し馬力を上げます。



▼ シャクシャイン戦記   [RES]
  あらや   ..2013/08/12(月) 12:58  No.302
   翌二十九日は明け方から激しい雷雨となり、幹部たちが総首長の居館に集合したのは正午近くであった。チメンバはケクラケとの打合せどおり熱弁を振った。
「ヨイチが蜂起しないとなると、シリフカ、フルピラなどもどう動くかわからぬ。そうなると東海岸や西海岸イソヤの蜂起は無駄となり、松前打倒軍の士気にも影響する。今松前藩を倒さなければわれわれは毒入りの交易品を食わされて皆殺しにされるか、藩の身勝手な交易を押し付けられて餓死するか、いずれにしてもアイヌ民族に未来はない。もし全島一斉に立ち上がって藩を倒せば商場はなくなるので、全島どこへでも行けるし、昔のように松前、高岡、カラフトとの交易も自由になるのだ。
 シャクシャインは、この戦いに参加しないアイヌは松前より先に討ち取ると言っている。そうなったらアイヌ同士の戦いとなり、アイヌの皆殺しを目論んでいる藩の思う壼だ。なんとしてもそれだけは避けようではないか……」
(大森光章「シャクシャイン戦記」)

市立図書館の返却期限を過ぎているので、なんとしても今日中に返さなければならない。「シャクシャイン戦記」の方を先に書きますね。
それにしても、これも驚いたなぁ。シャクシャインの乱に積丹半島のアイヌも参戦していたなんて思いも寄らなかった。(特にヨイチアイヌ…) この地域は、北海道大勢のアイヌ民族とちがい、同化政策が推進された地域と聞いていたものだから。

「そのとおりだ。松前藩を頼っていてはいずれアイヌ民族は滅亡する。そのことは松前へ訴えて出て半殺しの目にあわされたおれが誰よりも知っている。あの時の屈辱を思うと、おれは今でも腹の中が煮え繰り返る。この憎しみはおれが死ぬか、松前藩がなくならない限り消えないだろう。藩を倒すためならおれは命を捨ててもいいと思っているのだ……」
 老首長ケクラケは体験にもとづく反松前論を打ち上げた。
 会議の場は騒然となった。前日と異なり、蜂起同調派がしだいに勢いを増したが、ハチロウザエモンら中立派も慎重論を譲ろうとしなかったので、夕方になっても容易に結論は出なかった。

この「シャクシャイン戦記」で初めて、シャクシャインの反乱がどういうものであったのか、イメージすることができました。滅びてゆく人間を描くと、こんなにも巧い人ってあまり知らない。独特の資質だと思う。滅びの美学というより、滅びの哲学という感じ。

 そんな硬直状態を吹き飛ばしたのはフルピラからもたらされたシリベツ、シリフカ蜂起の知らせであった。突然、総首長の居館に飛び込んできた若者が、
「おれはフルピラの首長エコマの使いだ。二十五日シリベツ蜂起。二十七日シリ.フカ蜂起。ともに松前船を襲撃して大勢のシャモを殺害した模様なので、急いでヨイチの総首長へ知らせに行け、と命じられてきた」
 と戸口に突っ立ったまま大声で叫んだのだった。
 座は一瞬静まり返り、続いて同調派の喚声が沸き起った。喚声の渦は同じ方向に流れ出し、たちまち中立派の慎重論を飲み込んでしまった。その様子を呆然と見詰めているフルピラの伝令をチメンバは戸外へ連れ出した。
「見てのとおりだ。ヨイチは必ず決起するからフルピラも立ち上がるように首長に伝えてくれ。くれぐれも遅れをとらないようにとな」
 彼は念を押して伝令をフルピラヘ帰した。

もう一冊、「鯨船」のことも書きたかったのですが、時間切れ。小樽に戻らなくては。



▼ 王国   [RES]
  あらや   ..2013/07/29(月) 10:03  No.299
  「このはずくの旅路」に惹かれて、北海道文学全集に収録されている「王国」へ。

うーん、この人、凄い!

ある種、峯崎ひさみさん以来の衝撃かもしれません。孝運寺から4、5キロも離れていない京極に七年も住んでいて、俺は何をやっていたんだ!と思いましたね。なんで、この人を見つけられなかったんだ!と。悔しいです。後日、孝運寺さんに聞いたところ、4、5年前にお亡くなりになったとのことで、痛恨の念は増します。しっかり北海道文学全集を読んでさえいれば、会うことだって可能だったんじゃないか。「沼田流人伝」では出版されなかったことになっている叢文閣の「血の呻き」(←じつは出版されていた)だって、もっと早くに私が「流人」や「このはずく」に気づいていれば、湧学館製「血の呻き」を手渡すこともできたかもしれないのに…

北海道の田舎町の鉱山が潰れ、生きる勇気を失って何人かが自殺する。廃墟の街の社宅に一人で居残った老人の眼に、人間に捨てられた野良犬の群が秋田犬「はやぶさ」に率いられ猛々しく野生化してゆく光景が――
(大森光章「星の岬」/帯より)

イメージとしては倶知安のイワオヌプリ硫黄鉱山(←沼田流人も「キセル先生」で鉱山街を描いている)かとも思うのだが、私は京極の在なので、あえて「脇方鉱山」を思い描いて読みました。さて、大森光章への旅がはじまります。


 
▼ 材木くさい町  
  あらや   ..2013/07/29(月) 15:35  No.300
   汽車が止まると乗客たちがひとり残らず下車してしまった。寒寒とした材木くさい駅であった。駅員に訊いてみると、そこが終着駅で、あとは上りがひと列車あるだけ、下りは翌朝までないという話だった。わたしは下りで、もっと先の鉱山町までゆく予定だったから、行先をよく確めないで乗っていたわけだが、急ぐ旅でもなかったので旅館に一泊することにした。ところが、その旅館が一軒もなかったのである。途方に暮れているわたしをみて、駅員は、二里ほど先の村落に木賃宿があるからそこへいって泊めてもらったらどうかといい、そこへゆく道順を教えてくれた。わたしは礼をいって駅をでた。まだ夜ふけというほどでもなかったが、どこの家も戸口をとざし、枯葉を燃やしている煤煙のにおいが薄暗く淋しい町並に漂っていた。はっきりとは見えないが、ところどころの空地には、原始林から伐りだされたままの木材が、荒い岩礁のように累累と積みあげられている。そんな町並を通って十分ほどゆくと、人家の灯もしだいに遠く疎らになり、やがてわたしは深い暗黒の世界に閉じこめられていた。
(大森光章「凍土抄」)

「脇方鉱山」で正解だったみたいですね。「終着駅」は「京極駅」。「もっと先の鉱山町」が「脇方」です。さらに言えば、「二里ほど先の村落に木賃宿」というのは、沼田流人の祖父がやっていた木賃宿でしょう。また「京極文学館」にひとつエントリーが増えた。うれしい。
北海道文学全集は早々と離脱して、現在は、アマゾンで「大森光章」を蒐集中。(小説集「名門」に、中古で6000円の値段が付いている!)
今、引用したテキストは、「凍土抄」〜「王国」〜「星の岬」の三編が収められている小説集「星の岬」からの引用です。第一部「安産」〜第二部「空襲」〜第三部「霧鐘」で構成される「凍土抄」の、「安産」冒頭の部分です。微妙に、それぞれの話が「王国」「星の岬」にもつながっているので、「脇方鉱山」で正解だったと気づいた次第です。

「安産」の舞台となっている集落、北岡の、あの京極町字甲斐に入って行く道のあるあたりだろうか。材木くさい町か…

 
▼ 星の岬  
  あらや   ..2013/07/31(水) 07:41  No.301
   この本に載せた三篇は、北海道の鉱山、それも戦後間もなく潰れた鉱山と、なんらの形でつながっているという意味から、同じモチーフの作品といえる。戦後の混乱期の私自身の体験を、直接、間接にイメージ化したもので、こうした作品は他にもあるが、前述の趣旨からとくに動物の出てくる作品だけを集めた。
(大森光章「星の岬」/あとがき)

いやー、ちゃんと単行本で読んでいて、正解だった。北海道文学全集の「王国」だけでは、たぶん、「脇方」に辿りつくことはできなかっただろう。つい先ほど、「星の岬」、読了。

 「凍土抄」「王国」「星の岬」という配列は、製作担当の梯耕治さんが選んだものであるが、私にも異存はない。
 「凍土抄」は、復員した<わたし>が勤務地の鉱山に向う途上、たまたま立ち寄った農家で馬の出産に遭遇する話で始まり、潰れた鉱山の同僚たちと、自殺した元従業員の遺体処理に行く途中の山中で、冬籠りの仕度をしているナキウサギに出会う話で終る。「王国」は、潰れた鉱山の社宅に一人で居残る老人と二頭の飼犬の話である。「星の岬」は、「冬の死」という題で発表したのを、出版にあたって改題した作品であるが、これも潰れた鉱山で不幸な死に方をした女を母親に持つ二人の兄弟と、冬の岬に放し飼いされている野生馬の話である。
 したがって梯さんは、私がなんの関連性も意識せずに書いたこの三篇を、<潰れた鉱山>をテーマとするオムニバス形式の動物小説に再編集してくれたわけで、私はむしろ感謝している次第である。
                     昭和五十六年十二月   大森光章
(同あとがき)

梯さんは叢文社(←「叢文閣」となにか関係があるのだろうか?)の制作担当。すばらしい本を私たちに残してくれました。ありがとう。


▼ 流人   [RES]
  あらや   ..2013/07/25(木) 07:37  No.297
   次の話は祖父孝運とは関係がないものと長い間思っていたのだが、小学生のころ私は、ひとりの人物の存在が気にかかって仕方なかった。その人物の名前を私は「イッちゃ」としか知らなかった。両親がその人のことをそう呼んでいたからだ。
 イッちゃはそのころ(昭和七、八年)、朝夕二回、黒いソフト帽を目深にかぶり、左手を外套のポケットに突っ込み、真っ直ぐ正面を見据えたまま、孝運寺の前七、八十メートルの国道を徒歩で通過した。私は境内や門前で遊んでいて、彼の姿が目に止まるたびに、「ああ、イッちゃが通る」と心につぶやいたものだが、記憶にある限り、彼が孝運寺の方角へ視線を向けたことは一度もなかった。私にはそれが残念であり、不思議でもあった。イッちゃが、子供の私たちが「じいや」と呼んでいた寺男の沼田老人の子で、かつてじいやと一緒に孝運寺に同居していた人間であり、しかも外套のポケットに隠れている彼の左手が義手であることを知っていたからだ。
(大森光章「このはずくの旅路」/序章)

いや、驚いた。武井静夫さんの「沼田流人伝」以外に、この世に沼田流人を語る本があるなんて想像もしていなかった。それが、今、目の前にある。この、孝運寺の前の道を、八十年前、流人が歩いていった。決して孝運寺に目をくれることもなく…
この光景がどれほど重要であるかは、本を読み進めれば、すぐにわかります。序章にこの逸話を持ってきた大森光章氏の小説家としての技量の確かさをひしひしと感じる。

私の勤める図書館の読書会、「沼田流人マガジン」第3号の取材のため孝運寺の写真を撮っていたら、たまたま外に出てこられた住職さんに出会いました。挨拶をして、沼田流人を調べていると言ったら、寺に招き入れてくれて、提示されたのがこの「このはずくの旅路」だったのです。しかも、ポンと貸してくれて。孝運寺を辞去して、停めてあった車の中で読みはじめたら、身体の震えが止まらなくなった。

「小学校高等科のころ、尻別川の岸にあった木工場へ遊びに行って、機械に挟まれて手をもがれたのだそうだよ」


 
▼ 大栄  
  あらや   ..2013/07/25(木) 07:41  No.298
   木工場は二年前にも増して景気がいいらしく、工場から倶知安駅まで約二キロに線路を敷き、トロッコを馬に曳かせて製品を運び出していた。その馬車鉄道を村の人たちは「馬鉄線」と呼んでいるのである。
 古川の岸に建設された作業所には、石油発動機を動力とする機械が設置されていて、大勢の男女工員が働いていた。村で初めての石油発動機が珍しかったのだろう。見物者も少なくなかったようである。後輩たちも何度か訪れているらしく、ベルト車の回転で動いている製材機を取り囲み、わいわい騒ぎながら見物していた。
 そのうち大栄は奇妙な衝動に襲われて、羽織のひもをベルトと車輪の間に投げ込んでみた。後輩たちの前で格好のいいところを見せたかったのかも知れない。車輪が半回転して、ひもがポイとはじき出される。少年たちが面白がるので、彼は得意になり、何度もそれを繰り返した。すると、傍で見ていた一郎が、突然、絣の着物の袂でそれを真似た。次の瞬間、とんでもない事故が発生していた。袂と一緒に一郎の左手がベルトと車輪の間に吸い込まれたのである。事故に気付いた工員があわてて機械を止めたが、間に合わなかった。
(大森光章「このはずくの旅路」/第六章「亀裂」)

小説は、孝運寺の開祖・今出孝運の一代記の造りになっていますが、当然、息子の大栄や、後に孝運寺に住み込むことになる沼田一郎(流人)の人生も絡んできます。中でも、この場面には少なからず衝撃を受けました。流人の生涯を運命づけることになる「左手」事故を誘発したのが大栄の羽織のひもだったとは!

大栄だったとは! 何度も何度も衝撃が走ります。


▼ ベストセラー   [RES]
  猪熊芳則   ..2013/05/08(水) 22:14  No.296
  5年ほど前に読んだベストセラーの続編が、ブックオフで\100で売っていた。ベストセラーは、本を売り出す会社が、売り文句に使う便利な言葉だ。ウソじゃない。昔、本屋でバイトしていたとき、やかましい上司が

ベストセラーの本を知らない=本を読んでない者

と、勝手に決め付けていた。
確かにオレは、本屋で目に付いた本しか読まないが、誰にでもわかるいい本、つまりベストセラーなんて言われると、余計に読みたくなくなる捻くれも者だ。でも、それがベストセラーでも、おもしろそうだと手にしたりする。



▼ 色彩を持たない…   [RES]
  あらや   ..2013/04/28(日) 07:26  No.295
  昨日は、読みかけの、村上春樹の新刊ラストを読んだだけで一日が終わってしまった。朝は、小樽日帰りで「図書館戦争」観ようとかも考えていたのだけど、実際には、もう身体が動かない。冷蔵庫が空っぽなので、倶知安まで食料品を買い出しに行って帰ってきたら、すでにぐったり。今週分の衣類を洗濯するので精一杯。冬の道具類、家の中も外も、みんな放ったらかしです。

多崎つくるの来歴に深く共鳴するところがある。「1Q84」でもそうだったけれど、カルト集団教祖の発生源を、当時のML(マルクス・レーニン・毛沢東思想)派に置いたところなど、同時代でなければ気がつかないだろう寂しさに満ちていて、私は昔から好みです。

連休か…



▼ たよ   [RES]
  あらや   ..2013/04/05(金) 08:56  No.292
   二月も中旬になったころ、欣之丞は勤め先で昼休みに新聞を読んでいて、はたと膝を打った。前年大水害に見舞われたある県の小村で、二十年まえにやはり水害で壊滅的な被害を蒙り、村民の多くが北海道に集団移住した奈良県十津川郷の例に倣い、村長以下数十戸で北海道に入植する、という記事が欣之丞の目を捉えたのである。
 欣之丞のあたまに閃くものがあった。
(大沼桂子「多与」)

はたと膝を打ったのは、私です。おお、山梨団体!

濃尾平野に展開される、第一部の重い重い人間関係に少し挫けそうになりながらここまで来たのだけど、ここからは大爆発ですね。我慢(日本の小説って、みんなこうなんだよな…とか)して読んできてよかった。

山梨団体が甲斐四百年の歴史を引きずって東倶知安村に入ったり、喜茂別町の人たちが阿部嘉左衛門のルーツを求めて宮城県亘理町を訪ねて行ったり(今日出発かな…)、なんか面白くなってきましたね。函館戦争から始められることの多い官製の近代北海道史にいつも違和感を持ってきた私には、「多与」はいろいろなものを与えてくれるかもしれない。ここのところ落ち込んでいたのだけど、少し前向きになってきたぞ。

第二部を少し読み進んだところで、ちょっと気がついて、序章「吹雪の夜に」を読み返しました。よかった… 心に滲みいる日本語。


 
▼ 京極駅  
  あらや   ..2013/04/07(日) 09:31  No.293
   加藤父子が山形を発ったとき、息子はすでにスペイン風邪に冒されていたのである。山形駅を出るときから、父親は息子の熱っぽいようすに気づいていたが、まさか屈強の男子たる息子が、ナツとおなじ風邪に罹っているとは考えつかなかったのである。帰りをひたすら急いでもいた。予定通りに発ち、まる一日後の午前中に予定通り京極駅に着いた。
 しかしそのときすでに努の容態は楽観を許さぬ状態になっていたのである。吹雪の中、五里の道のりをつれ歩くことはできない。だれか馬櫨で喜茂別まで帰るひとはいないかと京極市街を尋ねまわり、ようやく見つけて乗せてもらった。喜茂別までの三里を蔽いも敷物もない馬櫨で来たが、それから二里は歩くほかなかった。
(大沼桂子「多与」)

出たぁ、京極駅。
話が大正7年に入ったから、もうすぐかな…と思って読んでいたんだけど、早々と「京極駅」が登場しちゃった。(倶知安−京極間の東倶知安線が開通したのは、大正8年だったと思うのだが) ま、これは歴史資料ではなく、文芸作品であることを忘れはしませんから、こんな細かいこと、なんでもありませんけど。
「スペイン風邪」や「喜茂別までの馬橇」もそうだけど、「文芸作品を走る胆振線」で得た感触、優れた作品ほど背景の時代相もくっきりと描かれている…が、この「多与」にも貫徹されていて、読んでいてとても楽しい。

 
▼ 登延頃  
  あらや   ..2013/04/13(土) 15:29  No.294
  「多与」読了。こういう魂震える作品を読んでしまった後の常として、数日は滓のような文章を読むのが苦痛な状態になる。(北朝鮮のポーキーのパフォーマンス、おもしろいですね。ここまでアホだと、かえって心和む…)
村上春樹の新作…とも考えたのですが、ちょうど、これから「京中生インタビュー」の時期に入るので、それらの本を読むことでコンディションを整えてゆこうと思います。すでに中学生の全員が小学校からの出前図書館経験者という時代に入っていて、なかなか読む本もレベルが上がっています。二三年前なら四月〜五月の一月間程度でこなせたインタビューも、最近は六月頃まで時間がかかるようになってきていて、うれしい悲鳴ではありますね。

「多与」については、スワン社資料室「四月の後志」に、今、原稿を書いているところです。登延頃川の写真もその関係で撮ってきました。新年度の毎日がけっこうキツくて、こんな写真取材くらいでも疲れて、家に戻ると布団に寝込むような毎日が続いています。「一月の小樽」以来、スワン社資料室止まったままになっていて申し訳ありません。


▼ 花見川の要塞   [RES]
  あらや   ..2013/03/11(月) 09:55  No.291
   その隠れた道なき道を進んで行くうちに、川岸から次第に離れていくのに気づいた。その時、草の中の何かに向う臑(すね)をしたたかにぶつけて、丸太のように前へ倒れた。俺は臑を抱いて呻いた。マラソンで鍛えた俺の足も向う臑は人並みに弱い。
 いったい何が足を掬ったのか見とどけようとして、文字どおり草の根を掻き分けて探した。それは金属の棒だった。地面から斜めに突き出した鋳物で、何と転轍機だった。鉄道の線路を手動で切り替えるバーで、通常ポイントと呼ばれているものだ。
(稲見一良「花見川の要塞」)

「何だ何だ、これは…」 いったいどういうことだ。何のためにこんな物がこんな所にあるのだ…というイントロで、今回も見事に持って行かれましたです。
傑作小説集「セント・メリーのリボン」。所収の「焚火」、「麦畑のミッション」、「終着駅」、「セント・メリーのリボン」も、それぞれに余韻が残る作品なのですが、でも、この「花見川の要塞」は一段と際立っていますね。(個人的には、なぜか「銀河鉄道の夜」を連想するのだが…)

じつは、二月中に読み終わっていたのです。しかし、今年の暴風雪続きの毎日で全然パソコンに向かう時間がつくれない。連日の雪かきで、本当にマウスを持つ腕が痛いんです。あっという間に、28枚入りの湿布薬を3箱も使ってしまったよ。他の作品のことも書きたいのだが、まずはとりあえず「花見川」を報告してから。









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