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▼ 坑夫   [RES]
  あらや   ..2014/04/30(水) 20:04  No.311
  長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それで沢山だったんだろう。どこへも行かない、又どこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらと一所に御出。御金を儲けさしてやるから」
 と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布(あかゲット)と云い、小僧と云い、実に面白い様に早く話が纏まって仕舞うには驚いた。人間もこれ位単簡に出来ていたら、御互に世話はなかろう。然しそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らない尤も世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分の様に右へでも左へでも誘われ次第、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものが大分あるんだと云う事に気が附いた。
(夏目漱石「坑夫」)

大変、興味深い。そして、面白い。

沼田流人は(明治文学正統の人だから)漱石の「坑夫」は当然読んでいるのではないか…という下心もあって読みはじめたのだが、まあ、そういう研究心はさておいて、純粋に小説として面白い。特に、この「小僧」が登場してくるあたりが小説前半の山場でしょうか。「小僧」に私もぞくぞくしました。(「小僧」「赤毛布」に、「血の呻き」の「茂」「靴修繕屋(くつなをし)」をちょっと感じている)

尤も自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったり、又大に悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心する程なませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当な有難味を附けたと云うのは、自分の不経験からして、左程大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。然るにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、何時の間にやら薄らいだのは、矢張経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分より余っ程偉かった様だ。

いやー、おもしろいもんを見つけた。


 
▼ 海辺のカフカ  
  あらや   ..2014/05/01(木) 20:52  No.312
  「君はここで今、一生懸命なにを読んでいるの?」
「今は漱石全集を読んでいます」と僕は言う。「いくつか読んだことのないものが残っていたから、この機会に全部読んでしまおうと思って」
「全作品を読破しようと思うくらい漱石を気に入っているわけだ」と大島さんは言う。
 僕はうなずく。
 大島さんが手にしたカップからは白い湯気があがっている。空はまだ暗く曇っているが、雨は今のところ降りやんでいる。
「ここに来てからどんなものを読んだの?」
「今は『虞美人草』、その前は『坑夫』です」
「『坑夫』か」と大島さんはおぼろげな記憶をたどるように言う。「たしか東京の学生がなにかの拍子に鉱山で働くようになり、坑夫たちにまじって過酷な体験をして、また外の世界に戻ってくる話だったね。中編小説だ。ずっと昔に読んだことがあるよ。あれはあまり漱石らしくない内容だし、文体もかなり粗いし、一般的に言えば漱石の作品の中ではもっとも評判がよくないもののひとつみたいだけれど……、君にはどこが面白かったんだろう?」
(村上春樹「海辺のカフカ」)

へーえ。ほんと、「坑夫」には驚かされることばっかり。しっかし、このタイミングで、村上春樹氏の登場なんて考えてもいなかったから…(「海辺のカフカ」、読んだはずなのに、何にも憶えていない自分にもびっくりした。老いぼれたのかな…)

 僕はうなずく。「うん、むずかしいことはよくわからないけど、そういうことかもしれない。三四郎は物語の中で成長していく。壁にぶつかり、それについて真面目に考え、なんとか乗り越えようとする。そうですね? でも『坑夫』の主人公はぜんぜんちがう。彼は目の前にでてくるものをただだらだらと眺め、そのまま受け入れているだけです。もちろんそのときどきの感想みたいなのはあるけど、とくに真剣なものじゃない。それよりはむしろ自分の起こした恋愛事件のことばかりくよくよと振りかえっている。そして少なくともみかけは、穴に入ったときとほとんど変わらない状態で外に出てきます。つまり彼にとって、自分で判断したとか選択したとか、そういうことってほとんどなにもないんです。なんていうのかな、すごく受け身です。でも僕は思うんだけど、人間というのはじっさいには、そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないものなんじゃないかな」

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2014/05/20(火) 15:28  No.313
  「結構です、やりましょう」
「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。―― 食料を別にして」
「それで沢山です」
と答えた。然し別段に嬉しいとも思わなかった。漸く安心したとまでは固(もとよ)り行かなかった。自分の坑山に於ける地位はこれでやっと極った。
 明日(あくるひ)から自分は台所の片隅に陣取って、かたの如く帳附を始めた。すると今まであの位人を軽蔑していた坑夫の態度ががらりと変って、却(かえっ)て向うから御世辞を取る様になった。自分も早速堕落の稽古を始めた。南京米も食った。南京虫にも食われた。町からは毎日毎日ポン引が椋鳥を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。然しその後東京へ帰ろうと思ってからは断然已(や)めにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。―― 自分が坑夫に就ての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。
(夏目漱石「坑夫」/ラスト)

なんという終わり方! 「その証拠には小説になっていないんでも分る。」だって!
いやー、こんな漱石、初めて見た。脱帽です。ジャンポーです。

沼田流人が「坑夫」を読んでいたのはほぼまちがいないと思います。流人は紫地の紙に金泥で般若心経を写経し、それを葬儀のあった金持ちの家に送っては謝金を得るということを生業としていました。(右腕一本しかないので、どんな職業にもつけるわけではないのです) そのため、日本全国各地の死亡記事を確認する必要があり、夥しいほどの全国各地の新聞をとっていたといいます。ですから、単行本「草合」に所収された「坑夫」ではなく、「東京朝日新聞」なり「大阪朝日新聞」なりに連載されていた挿絵入りのオリジナル「坑夫」を読んでいた可能性すらあると感じました。そうであれば、「血の呻き」の不思議な章立ても理解できるような気もする。(「坑夫」は全96章の章立て。「血の呻き」は「坑夫」の二倍くらいの一章の長さで全50章) 坑山の仕事に入る直前で踏みとどまった「坑夫」の人生のその後を描いてみようと意図したのでしょうか。


▼ 無垢の領域   [RES]
  あらや   ..2014/01/21(火) 08:05  No.310
  「日米交換船」、鼎談の部分は読みあげ、次の黒川創「交換船の記録」に入ったのだけど、なんとも長くて二度目のリタイア。

今回は、桜木紫乃「無垢の領域」でした。「図書館流通センター」なんて実名がそのまま出てきて、ちょっと吃驚。

暮れの小樽に戻る電車で、大滝詠一の若すぎる(65歳)死を知って、以来、少しずつ少しずつダメージが蓄積中です。寒波や大雪の毎日が重なって、精神的なダメージを肉体的なダメージだと思って日々をやりすごすことにしています。



▼ 代官山   [RES]
  あらや   ..2013/12/07(土) 18:46  No.309
  時田が、直接には答えずに言った。
「水戸部さん、あんたはきょうは何時ごろまで、聞き込みするつもりだ?」
「もうひとりだけあたって、切り上げようかと思っています。時田さんは?」
「こっちも終えたところだ。荒川署まで戻って、きょうは解散。少し話ができないか」
「もうひとりとは、十五分後に代官山で会うことになっています。そのあとでもかまいませんか」
「おれが代官山まで行こう。終わったところで、電話をくれ」
(佐々木譲「代官山コールドケース」)

じわじわと真相解明に至る臨時チームが水戸部のまわりに立ち上がって来るのが、とても快感。

じつは、黒川創「かもめの日」を終えた後、「日米交換船」に躊躇わず入って行くはずだったんだけど、日和ってしまいました。黒川創の本って、一冊一冊がとても難しい。大事なことを言っているのはわかるのだけど(こっちに学がないから)けっこう疲れるの。で、今回は佐々木譲に逸れてしまいました。代官山に面白そうな臭いがしましたので。

疲労回復。明日は「戦時下の紙芝居」上演会があるから無理しないで早めに寝てしまうけれど、明日の夜からは「日米交換船」ですね。(荒巻義雄の「空白」シリーズもいいんだよね… また、そっちに寄り道しちゃうかもしれない)



▼ 神聖代   [RES]
  あらや   ..2013/11/02(土) 07:54  No.308
  「浦島太郎の伝説をご存じでしょう。浦島が乗っていた亀は、実はこのアダムスキー型円盤ではなかったか、と推理する人もいますよ」
「なるほど、亀によく似ていますね。昔の人が、亀にたとえたとしても不思議ではないですね。で、浦島太郎はどこへ行ったんでしょうか」
「海底基地……宇宙人の」
新沢はにこにこ笑いつづけながら言った。「と、言う人もいます」
(荒巻義雄「空白の十字架」)

ああ、快感。こういう小技がピシッと決まる小説がいちばんね。

毎日読む本が途切れた時など、好んで荒巻義雄を読むようにしています。(ブックオフから仕入れたストックがいっぱいある) 北海道地名がばんばん出てくるのも好み。

夏に、かねてよりの課題図書「神聖代」をついに読破しましたからね。(一瞬、バチガルピ…) そこからは、すこぶる快進撃です。



▼ 暗殺者たち   [RES]
  あらや   ..2013/10/18(金) 07:09  No.305
   翌日、一月一九日、死刑判決を受けた被告二四名のうち一二名に、恩赦による無期懲役への減刑が発表されました。幸徳、管野、大石誠之助、宮下太吉、新村忠雄、古河力作ら一二名には、そのまま死刑判決が維持されています。
 その日のうちに、大石誠之助は、東京の獄中から、故郷の紀州・新宮にいる妻・栄子に宛てて、手紙を書いています。……読んでみましょう。
《ある人の言葉に「どんなにつらい事があろうとも、その日か、おそくも次ぎの日は、物をたべなさい。それがなぐさめを得る第一歩です」という事がある。
 お前もこの際くよくよと思ってうちに引きこんでばかり居ずと、髪も結い、きものも着かえて、親類や知る人のうちへ遊びに行って、世間の物事を見聞きするがよい。そうすればおのずと気も落ついて安らかになるだろう。そしてうちをかたつける事など、どうせおそなりついでだから、当分は親類にまかせて置いて、今はまあ自分のからだをやすめこころを養う事を第一にしてくれ。
 私はからだも相変らず、気も丈夫で、待遇はこれまでの通り少しも変った事はない。こうして何ヶ月過すやら何年過すやら、また特別の恩典で出して貰う事があるやらそのへんの所も、すべて行末の事は何ともわからないから、決して決して気を落さぬようにしてくれ。
 ほかに差あたって急ぐ用事もないから今日はこれだけ。
     一月十九日       誠之助
        栄子どの》
 冒頭で言われた「ある人の言葉」――どんなにつらい事があろうとも、その日か、おそくも次ぎの日は、物をたべなさい。それがなぐさめを得る第一歩です――というのは、ツルゲーネフ『ルージン』の一節らしいのです。ごく最近になって、これに気づいた人がいて、僕は教えられたのですが。
(黒川創「暗殺者たち」)

おや、ブックトークをやってる人がいる…


 
▼ 流人  
  あらや   ..2013/10/18(金) 09:13  No.306
   この二葉亭訳の『浮草』のなかに、こんな一節があります。ヒロインのナターリヤのもとから、ルージンが去ってしまったあとのくだりです。
《人というものは、どんな憂い目を見ても、その日のうちに、たかだか翌日になれば――少し艶のない言方だが――もう飯を食う。それ是が気の安まる発端というものである。》
 大石誠之助が読んだときに記憶に残って、自分が死刑になる直前、まだ年若い妻に贈ろうとしたのが、この一節なのでした。
 さらに、このくだりはこんなふうに続きます。
《ナターリヤは酷く苦んだ。こんな思をするのは生れて始てで……けれども初ての苦みは初ての恋のように、善くしたもので、二度とはせぬものである。》
 ここは、たしかに、この小説のハイライトです。なぜなら、こうした認識を、ナターリヤという失意のなかにある若い娘は、自力でつかんでいるからです。
 大石誠之助とは、ツルゲーネフの『ルージン』をこのように読む人だったのです。死んでいく身として、若い妻にこれを伝えておこうとするところに、彼という人間の大きさがあるのを僕は感じます。
(黒川創「暗殺者たち」)

そう。私も「沼田流人」のペンネームの由来を確認する過程で、ツルゲーネフ「ルーヂン」(岩波文庫)を取り寄せました。中村融訳では気づかなかったのですけど、そのあとがきに、二葉亭の「うき草」が「ルーヂン」の翻訳であることを知り、そちらも取り寄せてみて、ここで初めて吃驚となったわけです。なんと! 「血の呻き」とそっくりそのままの修辞がここにある!

驚きました。馬鹿な左翼の言い伝え「これはレーニンのもじり」説を今の今まで信じていた自分が恥ずかしい。これからはなんでも自分のこの眼で確かめないと駄目だな…と感じ入った次第です。その月の「沼田流人マガジン」(読書会のレジュメ誌)の表紙には、啄木の「みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな」を架けました。沼田流人のルーツが、啄木と同じ明治文学正統派であることが深く深く納得されたから。なぜ「血の呻き」がハコダテの街の男女の心模様から始まるのか…にも、少し感じるところがありましたね。

明治末を一世風靡した「流人」。(苜蓿社にも大島流人…) 感慨無量だ。

 
▼ 黒川創  
  あらや   ..2013/10/18(金) 09:18  No.307
   気づいたときには路面に水が増していて、宙に浮かんだように、車体はくらっと揺れた。クルマの窓のすぐ下まで、黒い水が来ている。ドアの隙間から、水は浸入してきているらしく、足もとのマットが少し濡れている。
 ハンドルを切ろうとしたが、妙に軽く、フロントガラスの前の景色が、するすると遠のきはじめた。どうやら、クルマが後ろ向きに流されているのだと、やっとわかった。
 助手席のチャイルドシートの娘が、瞳を見開き、外の水面を見ている。
 ゆっくり、こっちに向きなおり、
「ママ……」
 と、何か尋ねたそうに口を開いた。
「さっちゃん」
 とっさに、保育所から引き取ったばかりの娘の名を呼び、左手をハンドルから外して、おかっぱの髪を彼女は撫でた。
「――なぞなぞ、しよう。
 あのね……、食べても食べても、へらないで、増えていくもの。それは、なに?」
「たいじゅう」
(黒川創「いつか、この世界で起こっていたこと」/「波」)

「暗殺者たち」にとても興奮。今、黒川創を立て続けに読んでいるところです。
「波」もよかったけれど、「神風」もよかった。「橋」もよかった。結局、全部、よかった。

なにか、私の中のブックトークが変形しはじめている。


▼ 妖精が丘   [RES]
  あらや   ..2013/10/07(月) 19:52  No.304
  明日は南京極小学校の出前図書館が入っているので、練習を兼ねて、「妖精が丘」のことを先に書いておきます。
年に一度の大ブックトーク大会。全学年の南京生11人と湧学館の2人が、全員「私の好きな一冊」を語ります。いつもは湧学館の2人が、昼休み15分間の各7分をブックトークする形なのですが、この日だけは、授業の1時限をもらって、全員平等の時間で「私の好きな一冊」を語るわけです。けっこうプレッシャーはきついけど、楽しい気持ちにはなる一時間です。私には「好きな一冊」があるから。こういう時、私は、アンデルセンか宮沢賢治のどちらかになるんだけど、小学生相手の時はアンデルセンが多いかな。(昭和三十年代からの根っからの「アンデルセン小僧」ですから…) でも、この平成25年10月、とても驚くことがあったんだよ。

 この本に入っているお話は、アンデルセン童話のけっさく中のけっさくばかりです。よく知られているお話もありますが、表題作の「妖精が丘」は、ほかの本ではなかなかお目にかかれない、風変わりで楽しい物語です。ほかに、「イーダちゃんの花」も、今まで読んだこともないような種類のお話です。「ブタのちょきん箱」は、はじめて読む人が多いことでしょう。こんなこと、アンデルセン以外にだれが思いつくかしら?と思うような内容です。「ナイチンゲール」は、世界じゅうの童話のなかでもとくに美しい作品のひとつと言えるでしょう。どのお話も、いつ読んでもしんせんなおどろきにみちてます。
(ナオミ・ルイス「はじめに」)

ほんと、驚いた。「ブタのちょきん箱」の次に「マッチ売りの少女」! で、次が「妖精が丘」!
アンデルセンのお話は全部読んでいるというプライドがからからとくずれます。でも、悔しいことに、「ブタのちょきん箱」、おもしろいの… 「マッチ売りの少女」も、アンデルセン原作よりおもしろいの。くっきりすっきりのお話になっている。
「再話」って言うんでしょうか。ナオミ・ルイスの斬新な編集構成に、エマ・チチェスター・クラークの絵がからまって、およそ五十年ぶりに「アンデルセン小僧」の血が騒ぎました。やはりアンデルセンはすばらしい! ナオミさんのおかげで、自分の書く文章のルーツがアンデルセンだったことを思い知りました。

アンデルセン生誕二百年で湧いた2005年は函館の街でうろうろしていたことを思い出す。「妖精が丘」に出会うまで9年もかかってしまったよ。まあ、その話は、小学生にはしませんけれど。



▼ 漂泊家族   [RES]
  あらや   ..2013/10/06(日) 08:05  No.303
  「クルミじゃないか」といきなり声をかけられて、本当に腰を抜かした。相手は鼻を押し付けてきて臭いを嗅ぎ、
「クルミだろ? おれだよ。トンカツ。覚えていないか」といって、親切にもグルーミングを始めた。
(大森光章「漂泊家族」)

今、本年度の「後志文学散歩」のテキストをつくっています。今年は「山麓を一巡り・バスの旅」。「山麓文学館」読書会が発掘した作品のふるさとを次々に巡ります。ある意味、五年間やってきた後志の文学講座の総集編。羊蹄山の麓にこんなに魅力的な作品が埋まっていたなんて、みんな吃驚でしょうね。
というようなことは、じつは私にはどうでもいいことなんで、ただひたすら面白い本をこの地に暮らす人たちにつたえたいだけです。この「漂泊家族」も、そう。漱石の「吾輩は猫である」に対して「私たちはネズミである」…なんて小説を思いつくの、たぶん、大森光章さんしかいないだろうな。目いっぱい、知的です。
トンカツは、以前に離ればなれになったクルミの兄弟。(それぞれネズミには名前がついている) 迷い込んだ冷凍倉庫の梱包食品の中に巣(家)をつくって生きている。壁や床や天井のすべてが食い物…という夢のような家だけど、でも、じっとしていると凍ってしまう。絶えず動いていなければならない。
夏の間中、図書館に来ては、休憩場所を占領して、耳にヘッドホーン、目の前にペットボトル、3分おきにスマホ(LINEって相当気持ち悪いもんですね。不幸せそう…)、10分で「勉強」飽きてゲーム始めるバカ高校生たちがいたんだけど、叱る時、小太りの奴に「おい、そこのトンカツ!」って言ってしまった。
「山麓を一巡り」なんだから、大森光章さんだと「王国」などをノミネートしなければいけないんだろうけど、クルミの漂泊物語の面白さ抗しがたく、大方の予想を裏切って「漂泊家族」を選びました。病院を棺桶の中に隠れて脱出。着いたところがお寺の庫裏…という場面だから、当然、倶知安の孝運寺をイメージして書かれていると思うので、この「バスの旅」にはこっちの方かなと考えた次第です。

書きたい本がたまっているので、ここから少し馬力を上げます。



▼ シャクシャイン戦記   [RES]
  あらや   ..2013/08/12(月) 12:58  No.302
   翌二十九日は明け方から激しい雷雨となり、幹部たちが総首長の居館に集合したのは正午近くであった。チメンバはケクラケとの打合せどおり熱弁を振った。
「ヨイチが蜂起しないとなると、シリフカ、フルピラなどもどう動くかわからぬ。そうなると東海岸や西海岸イソヤの蜂起は無駄となり、松前打倒軍の士気にも影響する。今松前藩を倒さなければわれわれは毒入りの交易品を食わされて皆殺しにされるか、藩の身勝手な交易を押し付けられて餓死するか、いずれにしてもアイヌ民族に未来はない。もし全島一斉に立ち上がって藩を倒せば商場はなくなるので、全島どこへでも行けるし、昔のように松前、高岡、カラフトとの交易も自由になるのだ。
 シャクシャインは、この戦いに参加しないアイヌは松前より先に討ち取ると言っている。そうなったらアイヌ同士の戦いとなり、アイヌの皆殺しを目論んでいる藩の思う壼だ。なんとしてもそれだけは避けようではないか……」
(大森光章「シャクシャイン戦記」)

市立図書館の返却期限を過ぎているので、なんとしても今日中に返さなければならない。「シャクシャイン戦記」の方を先に書きますね。
それにしても、これも驚いたなぁ。シャクシャインの乱に積丹半島のアイヌも参戦していたなんて思いも寄らなかった。(特にヨイチアイヌ…) この地域は、北海道大勢のアイヌ民族とちがい、同化政策が推進された地域と聞いていたものだから。

「そのとおりだ。松前藩を頼っていてはいずれアイヌ民族は滅亡する。そのことは松前へ訴えて出て半殺しの目にあわされたおれが誰よりも知っている。あの時の屈辱を思うと、おれは今でも腹の中が煮え繰り返る。この憎しみはおれが死ぬか、松前藩がなくならない限り消えないだろう。藩を倒すためならおれは命を捨ててもいいと思っているのだ……」
 老首長ケクラケは体験にもとづく反松前論を打ち上げた。
 会議の場は騒然となった。前日と異なり、蜂起同調派がしだいに勢いを増したが、ハチロウザエモンら中立派も慎重論を譲ろうとしなかったので、夕方になっても容易に結論は出なかった。

この「シャクシャイン戦記」で初めて、シャクシャインの反乱がどういうものであったのか、イメージすることができました。滅びてゆく人間を描くと、こんなにも巧い人ってあまり知らない。独特の資質だと思う。滅びの美学というより、滅びの哲学という感じ。

 そんな硬直状態を吹き飛ばしたのはフルピラからもたらされたシリベツ、シリフカ蜂起の知らせであった。突然、総首長の居館に飛び込んできた若者が、
「おれはフルピラの首長エコマの使いだ。二十五日シリベツ蜂起。二十七日シリ.フカ蜂起。ともに松前船を襲撃して大勢のシャモを殺害した模様なので、急いでヨイチの総首長へ知らせに行け、と命じられてきた」
 と戸口に突っ立ったまま大声で叫んだのだった。
 座は一瞬静まり返り、続いて同調派の喚声が沸き起った。喚声の渦は同じ方向に流れ出し、たちまち中立派の慎重論を飲み込んでしまった。その様子を呆然と見詰めているフルピラの伝令をチメンバは戸外へ連れ出した。
「見てのとおりだ。ヨイチは必ず決起するからフルピラも立ち上がるように首長に伝えてくれ。くれぐれも遅れをとらないようにとな」
 彼は念を押して伝令をフルピラヘ帰した。

もう一冊、「鯨船」のことも書きたかったのですが、時間切れ。小樽に戻らなくては。



▼ 王国   [RES]
  あらや   ..2013/07/29(月) 10:03  No.299
  「このはずくの旅路」に惹かれて、北海道文学全集に収録されている「王国」へ。

うーん、この人、凄い!

ある種、峯崎ひさみさん以来の衝撃かもしれません。孝運寺から4、5キロも離れていない京極に七年も住んでいて、俺は何をやっていたんだ!と思いましたね。なんで、この人を見つけられなかったんだ!と。悔しいです。後日、孝運寺さんに聞いたところ、4、5年前にお亡くなりになったとのことで、痛恨の念は増します。しっかり北海道文学全集を読んでさえいれば、会うことだって可能だったんじゃないか。「沼田流人伝」では出版されなかったことになっている叢文閣の「血の呻き」(←じつは出版されていた)だって、もっと早くに私が「流人」や「このはずく」に気づいていれば、湧学館製「血の呻き」を手渡すこともできたかもしれないのに…

北海道の田舎町の鉱山が潰れ、生きる勇気を失って何人かが自殺する。廃墟の街の社宅に一人で居残った老人の眼に、人間に捨てられた野良犬の群が秋田犬「はやぶさ」に率いられ猛々しく野生化してゆく光景が――
(大森光章「星の岬」/帯より)

イメージとしては倶知安のイワオヌプリ硫黄鉱山(←沼田流人も「キセル先生」で鉱山街を描いている)かとも思うのだが、私は京極の在なので、あえて「脇方鉱山」を思い描いて読みました。さて、大森光章への旅がはじまります。


 
▼ 材木くさい町  
  あらや   ..2013/07/29(月) 15:35  No.300
   汽車が止まると乗客たちがひとり残らず下車してしまった。寒寒とした材木くさい駅であった。駅員に訊いてみると、そこが終着駅で、あとは上りがひと列車あるだけ、下りは翌朝までないという話だった。わたしは下りで、もっと先の鉱山町までゆく予定だったから、行先をよく確めないで乗っていたわけだが、急ぐ旅でもなかったので旅館に一泊することにした。ところが、その旅館が一軒もなかったのである。途方に暮れているわたしをみて、駅員は、二里ほど先の村落に木賃宿があるからそこへいって泊めてもらったらどうかといい、そこへゆく道順を教えてくれた。わたしは礼をいって駅をでた。まだ夜ふけというほどでもなかったが、どこの家も戸口をとざし、枯葉を燃やしている煤煙のにおいが薄暗く淋しい町並に漂っていた。はっきりとは見えないが、ところどころの空地には、原始林から伐りだされたままの木材が、荒い岩礁のように累累と積みあげられている。そんな町並を通って十分ほどゆくと、人家の灯もしだいに遠く疎らになり、やがてわたしは深い暗黒の世界に閉じこめられていた。
(大森光章「凍土抄」)

「脇方鉱山」で正解だったみたいですね。「終着駅」は「京極駅」。「もっと先の鉱山町」が「脇方」です。さらに言えば、「二里ほど先の村落に木賃宿」というのは、沼田流人の祖父がやっていた木賃宿でしょう。また「京極文学館」にひとつエントリーが増えた。うれしい。
北海道文学全集は早々と離脱して、現在は、アマゾンで「大森光章」を蒐集中。(小説集「名門」に、中古で6000円の値段が付いている!)
今、引用したテキストは、「凍土抄」〜「王国」〜「星の岬」の三編が収められている小説集「星の岬」からの引用です。第一部「安産」〜第二部「空襲」〜第三部「霧鐘」で構成される「凍土抄」の、「安産」冒頭の部分です。微妙に、それぞれの話が「王国」「星の岬」にもつながっているので、「脇方鉱山」で正解だったと気づいた次第です。

「安産」の舞台となっている集落、北岡の、あの京極町字甲斐に入って行く道のあるあたりだろうか。材木くさい町か…

 
▼ 星の岬  
  あらや   ..2013/07/31(水) 07:41  No.301
   この本に載せた三篇は、北海道の鉱山、それも戦後間もなく潰れた鉱山と、なんらの形でつながっているという意味から、同じモチーフの作品といえる。戦後の混乱期の私自身の体験を、直接、間接にイメージ化したもので、こうした作品は他にもあるが、前述の趣旨からとくに動物の出てくる作品だけを集めた。
(大森光章「星の岬」/あとがき)

いやー、ちゃんと単行本で読んでいて、正解だった。北海道文学全集の「王国」だけでは、たぶん、「脇方」に辿りつくことはできなかっただろう。つい先ほど、「星の岬」、読了。

 「凍土抄」「王国」「星の岬」という配列は、製作担当の梯耕治さんが選んだものであるが、私にも異存はない。
 「凍土抄」は、復員した<わたし>が勤務地の鉱山に向う途上、たまたま立ち寄った農家で馬の出産に遭遇する話で始まり、潰れた鉱山の同僚たちと、自殺した元従業員の遺体処理に行く途中の山中で、冬籠りの仕度をしているナキウサギに出会う話で終る。「王国」は、潰れた鉱山の社宅に一人で居残る老人と二頭の飼犬の話である。「星の岬」は、「冬の死」という題で発表したのを、出版にあたって改題した作品であるが、これも潰れた鉱山で不幸な死に方をした女を母親に持つ二人の兄弟と、冬の岬に放し飼いされている野生馬の話である。
 したがって梯さんは、私がなんの関連性も意識せずに書いたこの三篇を、<潰れた鉱山>をテーマとするオムニバス形式の動物小説に再編集してくれたわけで、私はむしろ感謝している次第である。
                     昭和五十六年十二月   大森光章
(同あとがき)

梯さんは叢文社(←「叢文閣」となにか関係があるのだろうか?)の制作担当。すばらしい本を私たちに残してくれました。ありがとう。


▼ 流人   [RES]
  あらや   ..2013/07/25(木) 07:37  No.297
   次の話は祖父孝運とは関係がないものと長い間思っていたのだが、小学生のころ私は、ひとりの人物の存在が気にかかって仕方なかった。その人物の名前を私は「イッちゃ」としか知らなかった。両親がその人のことをそう呼んでいたからだ。
 イッちゃはそのころ(昭和七、八年)、朝夕二回、黒いソフト帽を目深にかぶり、左手を外套のポケットに突っ込み、真っ直ぐ正面を見据えたまま、孝運寺の前七、八十メートルの国道を徒歩で通過した。私は境内や門前で遊んでいて、彼の姿が目に止まるたびに、「ああ、イッちゃが通る」と心につぶやいたものだが、記憶にある限り、彼が孝運寺の方角へ視線を向けたことは一度もなかった。私にはそれが残念であり、不思議でもあった。イッちゃが、子供の私たちが「じいや」と呼んでいた寺男の沼田老人の子で、かつてじいやと一緒に孝運寺に同居していた人間であり、しかも外套のポケットに隠れている彼の左手が義手であることを知っていたからだ。
(大森光章「このはずくの旅路」/序章)

いや、驚いた。武井静夫さんの「沼田流人伝」以外に、この世に沼田流人を語る本があるなんて想像もしていなかった。それが、今、目の前にある。この、孝運寺の前の道を、八十年前、流人が歩いていった。決して孝運寺に目をくれることもなく…
この光景がどれほど重要であるかは、本を読み進めれば、すぐにわかります。序章にこの逸話を持ってきた大森光章氏の小説家としての技量の確かさをひしひしと感じる。

私の勤める図書館の読書会、「沼田流人マガジン」第3号の取材のため孝運寺の写真を撮っていたら、たまたま外に出てこられた住職さんに出会いました。挨拶をして、沼田流人を調べていると言ったら、寺に招き入れてくれて、提示されたのがこの「このはずくの旅路」だったのです。しかも、ポンと貸してくれて。孝運寺を辞去して、停めてあった車の中で読みはじめたら、身体の震えが止まらなくなった。

「小学校高等科のころ、尻別川の岸にあった木工場へ遊びに行って、機械に挟まれて手をもがれたのだそうだよ」


 
▼ 大栄  
  あらや   ..2013/07/25(木) 07:41  No.298
   木工場は二年前にも増して景気がいいらしく、工場から倶知安駅まで約二キロに線路を敷き、トロッコを馬に曳かせて製品を運び出していた。その馬車鉄道を村の人たちは「馬鉄線」と呼んでいるのである。
 古川の岸に建設された作業所には、石油発動機を動力とする機械が設置されていて、大勢の男女工員が働いていた。村で初めての石油発動機が珍しかったのだろう。見物者も少なくなかったようである。後輩たちも何度か訪れているらしく、ベルト車の回転で動いている製材機を取り囲み、わいわい騒ぎながら見物していた。
 そのうち大栄は奇妙な衝動に襲われて、羽織のひもをベルトと車輪の間に投げ込んでみた。後輩たちの前で格好のいいところを見せたかったのかも知れない。車輪が半回転して、ひもがポイとはじき出される。少年たちが面白がるので、彼は得意になり、何度もそれを繰り返した。すると、傍で見ていた一郎が、突然、絣の着物の袂でそれを真似た。次の瞬間、とんでもない事故が発生していた。袂と一緒に一郎の左手がベルトと車輪の間に吸い込まれたのである。事故に気付いた工員があわてて機械を止めたが、間に合わなかった。
(大森光章「このはずくの旅路」/第六章「亀裂」)

小説は、孝運寺の開祖・今出孝運の一代記の造りになっていますが、当然、息子の大栄や、後に孝運寺に住み込むことになる沼田一郎(流人)の人生も絡んできます。中でも、この場面には少なからず衝撃を受けました。流人の生涯を運命づけることになる「左手」事故を誘発したのが大栄の羽織のひもだったとは!

大栄だったとは! 何度も何度も衝撃が走ります。








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