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読書会BBS

 
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▼ 或る過程   [RES]
  あらや   ..2017/12/19(火) 18:06  No.422
  「人間像」第24号の『或る過程』には驚いた。なんと「学校もの」。この手の作品は針山和美氏の独壇場かと思っていたもので。葛西庸三氏は『腐敗せる快感』以降の爆弾作品の人かと思っていたもので。いや、驚いた。
『或る過程』を読んで、「京極文芸」に『校長群像』という不思議な作品があったことを思い出した。

 ところが、K校長の大声は、全く予期しなかった内容のものであった。
「貴様らの仕事の仕方は何だ。後かたづけもしていないんじゃないか。
 こんなことで、教員がつとまるか。この馬鹿野郎。
 今、教育事務局(当時、教育局をこう呼んでいた。)の某課長がいらっしゃっているから、貴様らの仕事振りを全部報告するぞ。
 あんな、きたない石炭の後仕末を、某課長が見たら、一体どうなると思うんだ。」
というのである。
(葛西庸三「校長群像」)

いくら戦後間もないとは云え、校長が「貴様ら」「この馬鹿野郎」?
『校長群像』には四人の校長が登場しますが、この「K校長」、際立ってますね。


 
▼ 校長群像  
  あらや   ..2017/12/19(火) 18:11  No.423
  こんな不思議な記述もあります。

 しかし考えて見ると、軍国主義時代を、小学校出身だけというハンデを背負って生きて来たK校長の姿が、あわれでもあった。
(葛西庸三「校長群像」)

うん、なんだろ、これは? 「小学校出」が校長になれるのか。
長らく疑問だったのですが、湧学館の読書会メンバーの中に、針山先生と京極小学校で同僚だった人が二人いて、教えてくれました。戦前〜戦中、学校教練で派遣されてきた将校だか下士官だかが、軍隊に戻らずそのまま学校に居座って校長にまで成り上がったようなケースがあったそうですね。

「新谷先生」だったのか…


▼ セールスマン物語   [RES]
  あらや   ..2017/12/12(火) 10:10  No.420
   雑踏する繁華街を、サムプルの風呂敷包みを背負い、或はトランクを重そうに提げて歩いて居るセールスマンの姿を私は時々、見かける。
 セールスマンと云うよりは、むしろ、彼等の間に丈け使はれる販売員とか出張員とか云う呼び名がぴつたりするのだが、その風呂敷包みは、大低、黒無地か或は唐草模様なので一寸、注意すれば簡単に見分けることが出来る。そして彼等は、極く一部の例外を除いて大部分がその片手に皮鞄を下げて歩いて居る。
(渡部秀正「セールスマン物語」)

「人間像ライブラリー」に検索システムが付いて、誰でも読めるようになったので、これからは「読書会BBS」に書くようにします。

渡部秀正さん。初期「人間像」には小樽から参加している重要メンバーが二人いて、その一人が渡部秀正さん。(上沢祥昭さんについては後日…) 針山和美氏が「初期人間像のチャンピオン」と書いた程、デビュー作からその才能が全開でした。何をもって「才能」というのか難しいところなんですけれど、渡部さんの小説に付いている筋肉って、とても自然な筋肉に感じる。厳しいトレーニングや増強剤でつくった筋肉ではないだけに、なにか本物を感じますね。あと、昭和の小樽光景がふんだんに描かれていて心底嬉しいです。


 
▼ 壮徳/北鈴沢  
  あらや   ..2017/12/12(火) 10:15  No.421
   その日、壮徳で仕事を済ませた私は、午後六時を過ぎて、すつかり暗くなつた街に泊らず、終列車で、未だ行つた事の無い北鈴沢へ入ることに極めて居た。
 壮徳の加納旅館はあの時以来、泊つて居らず、大低は少し無理をしても洞爺湖温泉まで入つて了うのだつたが、ふと、未だ余り人に知られて居ない田舎の温泉と云う点に興味を持つて北鈴沢へ行つてみようと思いついたのだつた。まさか其處で、とんでもない災難に遭うだろうとは考えてもみなかつた。
(渡部秀正「セールスマン物語」)

渡部さんの小説は昭和の小樽情景が嬉しいのですけれど、『セールスマン物語』は、さらに「壮徳」「北鈴沢」という年末ボーナスが付いた感じですね。

物語の「壮徳」は実際の「壮瞥(そうべつ)」町ですけど、ここに「徳」の字を当てるのは、同じ胆振線沿線に優徳(ゆうとく)や徳舜瞥(とくしゅんべつ)があるからですね。「北鈴沢」は実際の「北湯沢」ですけれど、ここに「鈴」を持ってくるのは、同じく沿線に「北鈴川」があるから。この二つの土地を架空にすることで、この『セールスマン物語』というドラマの震源地を暗示しているばかりでなく、主人公が小樽から来たセールスマンであることによって、ひどく私の心を揺さぶったのではありました。まるで私のための物語。渡部さん、ありがとう。


▼ 仮釈放   [RES]
  あらや   ..2017/12/02(土) 11:05  No.418
  いやー、とてつもなく切ない物語だった。吉村作品の中でも一二を争う暗さではないか。

『仮釈放』は、『赤い人』以来行刑史にふれてきた私の胸の中で自然に醱酵した罪というものを、自ら問うてみたいという願いで書いたフィクションである。モデルはなく、あえて言えば私自身である。
(「吉村昭自選作品集」第十三巻/後記)

『少女架刑』の、骨になるまで解剖されて行く自分を見ている眼。『赤い人』も(『破獄』も)、もしもこういうモチーフに貫かれて書かれた小説なのだとしたら、読み返さなくてはならない。私は甘く読み間違えているかもしれない。

もしも、私がこの男のような立場にあったら、このような無期刑に相当する行為をとったかも知れず、仮釈放された後の生活も、恐らく主人公と同じ生き方をしたにちがいない、と思いながら筆を進めた。
 三分の二ほど書いた時、私に迷いが生じ、筆をとめた。最後の部分は執筆前から定めていたことであったが、それを改めてみようかという考えにとらわれたのである。
 私が主人公であったら、と思った。熟慮した結果、私は定めた通りの結末にすることを決意し、再び筆をとった。
 この結末について、単行本で発表された後、読んだ方から酷にすぎるという批評をうけたが、罪という奥深い淵をのぞきみるには、これが妥当であったと思っている。


 
▼ 野外彫刻  
  あらや   ..2017/12/02(土) 11:09  No.419
  『仮釈放』『冷い夏、熱い夏』スレッドに使われている写真は、滝錬太郎「オホーツクの風」。遠軽町生田原の文学館前にあります。
『遠い日の戦争』は、ル・ナンテック「座せる乙女」。斜里町・北のアルプ美術館内の一枚。「司書室BBS/デジタル文学館」の写真は、同館庭にある藤原秀法「北の裸像」。
『破獄』は、網走・中央橋の本田明二「朝翔」。
『海の祭礼』は、稚内公園の「樺太犬訓練記念碑」。
「同人雑誌」は、稚内・宗谷岬の峯孝「あけぼの像」。
『破船』は、湧別町の滝錬太郎「やすらぎ」。合併したので、地名表示、なんと書いていいのかわからない。
『深海の使者』は、國松明日香「テルミヌスの風」。札幌駅前、ビッグカメラが入っているビルの屋上にあります。
「潜水艦」は、渡辺行夫「風技の庵」。「ハルカヤマ芸術要塞」の一枚。
「旅行」はもう説明不要とは思いますが、本郷新「氷雪の門」。珍しいライトアップの一枚です。

青空の夏が懐かしい…


▼ 冷い夏、熱い夏   [RES]
  あらや   ..2017/11/26(日) 09:20  No.417
   私小説は数多く書いてきたが、『冷い夏、熱い夏』は、私小説としては唯一の長篇である。
 弟の死という事実を素材としているだけに、書くことに大きなためらいを感じたが、これを書かなければ小説家としての資格はない、と思った。
 執筆中、小説を書くということはなんという因果なものか、と自己嫌悪におちいり、小説家であるべきか、人間であるべきか、と自ら問うことを繰返した。その間、弟のことがよみがえって胸に熱いものがつき上げ、何度筆をとめたかわからない。辛い歳月であった。
(「吉村昭自選作品集」第十三巻/後記)

検索システム搭載の「人間像ライブラリー」がこの世界の片隅に生まれた夜、読了。

腹がすわる。

 書き上げて単行本として発表された後、私は一度も読み返すことはしなかった。読む気になれなかったのである。
 この作品集に収めるにあたって、字句の修正の有無をたしかめるため読み直してみた。堪えがたい苦痛であったが、死んだ弟がこの小説の中で生きているのを感じ、それが唯一の救いであった。



▼ 遠い日の戦争   [RES]
  あらや   ..2017/11/15(水) 13:15  No.415
   大久保ミヨ婦人の述懐によれば、夫の靖は戦時中南方派遣軍の一員であつた。ある時、米軍の飛行機が靖等の部隊近くの森の中に不時着したのであつた。その時、まだ若いその搭乗員を銃殺する様靖は上官より命令された。理由など考える事は靖等には許されなかつた。靖は忠実に上官の命を守り、ある夕暮時草原で米兵を銃殺した。敗戦直前靖は内地え帰還した。そのまゝ家に落ち着いた。それがある時、靖の小さな静かな家庭の中え米兵と警官が押しかけ、無言の抵抗を示す靖を引き連れた。その時、ミヨも紀子も側に小さく震えながら、それを見守つていた。妻も子も何もかも不可解であつたのだ。靖はすつかり青ざめて一つも言葉を発しなかつた。その時すでに死を覚悟していたのかもしれない。
(葛西庸三「傷魂の彷徨」)

これは、現在デジタル復刻作業中の「人間像」第20号に収められた葛西庸三氏の作品です。ちょうど『遠い日の戦争』を読んでいた時だったので、「へえーっ」と思ってこちらを引用してみることにしました。第20号の発行日は昭和27年(1952年)4月。『遠い日の戦争』が昭和53年(1978年)の雑誌「新潮」連載ですから、およそ四半世紀の時間を隔てて何か呼び合う感情を感じました。

大久保紀子には、また何処かで逢いたいと思った。


 
▼ 破獄  
  あらや   ..2017/11/18(土) 09:12  No.416
   宇都宮駅をすぎて間もなく、浦田は、佐久間が片肘を窓ぎわにのせて頰杖をつき、眼をとじるのを見た。浦田は眼をみはった。前手錠をかけられた佐久間にはできぬ姿勢であった。驚いて手首をみると、一方の手は膝の間にたれ、手錠がはずれていた。浦田は他の看守とともに佐久間を見まもっていたのに、いつの間にか手錠をはずしていることに愕然とした。
(吉村昭「破獄」)

『破獄』、また読み返してしまった。『羆嵐』と同じで、ちらっとでも読み始めると、そこからラストまで読んでしまう。昭和二十年前後の世相を描くのに、これ以上の題材ってそうはないといつも唸ります。

 二人の看守が顔色を変えて立ちあがり、
「足錠をかけ、縛りましょう」
 と、言った。
 浦田は、看守を制すると、
「佐久間、ちゃんとかけとれ」
 と、言った。
 眼をあけた佐久間は、窓ぎわから片手をおろして手錠をはめ、
「手が疲れたのではずしただけですよ。主任さんにはお世話になったし、ご迷惑をかけるようなことはいたしません」
 と言って、頭を壁にもたせて再び眼をとじた。


▼ 海の祭礼   [RES]
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:42  No.413
   森山は、「プレブル号」の消息をたずね、
「私ハ、ソノ軍艦ニ乗ッテ帰国シタ捕鯨船員ラナルド・マクドナルドカラ、英会話ヲ教エテモラッタ。カレハ元気ダロウカ。ナニカ知ッテイルコトガアッタラ、教エテ欲シイ」
 と、真剣な表情でたずねた。
(吉村昭「海の祭礼」)

ラナルド・マクドナルドの碑が利尻島にあるんですね。
http://www.town.rishiri.hokkaido.jp/rishiri/2505.htm
車を使わなくなったのでもう行くこともないだろうけれど、記憶にはとどめておこう。なにかの拍子に…ということはあるだろうから。

読んでいて、何かにつけて思わぬ邪魔が入り難航する「人間像ライブラリー」の今を、どこかで森山栄之助の姿に重ねている自分がありました。


 
▼ 同人雑誌  
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:49  No.414
  新潮社の「吉村昭自選作品集」には毎号に月報「私の文学的自伝」が付いていて、その第九号月報が興味深かった。ちょうど吉村昭の同人雑誌時代にあたります。

 私は、「文學界」で没になった中篇小説『少女架刑』を、丹羽文雄氏の主宰する同人雑誌「文学者」に投稿した。
 『少女架刑』は、「文学者」十月号に掲載され、その月の合評会で激賞してくれる人がいて、私は嬉しかった。しかし、同人雑誌評ではほとんど無視され、「文學界」の同人雑誌評でも、死者が「私」であるというのは不自然だ、と数行書かれているだけであった。
 私は、やはり、『少女架刑』が「文學界」編集部で不採用になったのも無理はないのだ、と、あらためて思った。
(中略)
 私は、「文學界」に発表した『貝の音』の評にひそかに期待していたが、文芸時評では全く黙殺された。文壇に登場するのは、きわめて至難であることを、私はあらためて意識し、打ちひしがれた思いであった。
 芥川賞候補に二度えらばれ、文芸誌に一作のりはしたが、私は、それがほとんど意味のないことであるのを感じていた。たまたま、そのようなことがつづいただけのことで、私は、依然として同人雑誌に作品を寄せる人間であるのだ、と思った。
(吉村昭「私の文学的自伝・九」)


▼ 破船   [RES]
  あらや   ..2017/10/16(月) 09:56  No.411
   江戸初期の多くの古記録に、一、二行の気になる記述があり、それを強く意識しはじめたのは、かなり以前のことである。荒天の暗夜の海で難儀する船を、海岸に住む者たちが巧みに磯に誘って破船させ、積荷などを奪うことがひそかにおこなわれていた、と記されていたのである。
 そのような記述が、主として日本海沿岸の各地に残された記録にしばしばみられ、私はこれを素材に小説に書くことを思い立った。
 また、恐るべき疫病であった疱瘡(天然痘)にかかった者からの感染を防ぐため、それらの者を船に乗せて海に流したという記録も眼にして、その両者をむすびつけることで、小説の構想は成った。
(「吉村昭自選作品集」第七巻/後記)

吉村昭の小説には珍しい、古記録の短い記述にインスピレーションを得た虚構小説。破船の舞台には、佐渡ヶ島の一漁村を選んだそうです。初出は1970〜71年の雑誌「ちくま」。

1970年か… 札幌の阿呆な高校三年生が宮の森をうろうろしていた頃ですね。


 
▼ 虚構小説  
  あらや   ..2017/10/16(月) 10:01  No.412
   かれは、あらためて三歳の折の記憶を反芻した。父や母が村人たちとともにはしゃいでいたのは、その年にお船様の訪れがあったからであることにようやく気づいた。さらに、それから一、二年は、現在の生活では考えられぬ食物を口にしたり、珍しい物を眼にしたことも思い起した。
 祝いごとや村に死者が出た夜、母は、甕から米をすくっては粥をつくってくれた。発熱した折、母が壺を大切そうにかかえてきて、その中から白いものを指先にのせてなめさせてくれたこともある。それは、気の遠くなるほど甘く、白糖という万病にきく薬だということも耳にした。
(吉村昭「破船」)

「虚構小説」って響き、いいですね。吉村昭みたいな作家が、あえて「虚構」ってことわると迫力があります。この三歳の時の記憶、白米、砂糖に続いて蝋燭の記憶が語られるのですけど、なにか涙が出るほどの美しい記述、美しい物語でした。


▼ 深海の使者   [RES]
  あらや   ..2017/09/21(木) 08:51  No.409
  「カジキサー カジキサー。ノムラノオヤジャ ハヨ タタセニャイカンガナー モ タッタケナー」
「ヨシトシサー ヨシトシサー ヨシトシノオヤジャ モ イッキタツモス」

緊急を要する要件ゆえ、連合国側の盗聴覚悟で、外務省−ドイツの日本大使館間の国際電話を使用することに踏み切った軍部。その時に使われた方法がこれです。標準語から最も遠い鹿児島弁で会話する…なんですね。じつに「へえーっ」です。

「カジキサー カジキサー。ノムラノオヤジャ ハヨ タタセニャイカンガナー モ タッタケナー(カジキさん、カジキさん。ノムラの親爺は、早く発たせなくてはいけないが、もう発ちましたか)」
 ノムラの親爺とは、野村海軍中将のことをさしていることはあきらかで、その帰国をうながしていることか理解できた。
 曾木は、すぐに答えようとしたか、一瞬、ノムラという言葉をヨシトシという人物が口にしていることに狼狽した。
 (中略)
 曾木は、声をはりあげると、
「ヨシトシサー ヨシトシサー ヨシトシノオヤジャ モ イッキタツモス(ヨシトシさん、ヨシトシさん。ヨシトシの親爺はもうすぐ発ちます)」
 と、早口で答えた。
(吉村昭「深海の使者」)


 
▼ 潜水艦?  
  あらや   ..2017/10/02(月) 16:46  No.410
  『深海の使者』や『海軍乙事件』が収録されている巻に、なんで蝦夷ものの『烏の浜』が入っているのか長らく不思議だったのだけど…、もしかしたら、これは〈潜水艦〉つながり?

 『深海の使者』は、私の書いた戦史小説の中でも最も多くの関係者から証言を得た小説で、「文藝春秋」での連載を終えた後、調べてみると、いただいた名刺が百九十二枚もあって、われながら驚いた。
 昭和四十八年四月にそれが単行本として出版されたので、回想をきかせて下さった方々に郵送した。愕然としたのは、その後だった。二十四名の証言者の御家族から、夫、または父が死去し、仏壇にその単行本をそなえたという御返事をいただいたのである。
 私が、この小説の史実に関係した方たちに会うことをはじめたのは、昭和四十六年の夏からで、わずか二年足らずのうちに百九十二名中二十四名の方がこの世を去っていたのを知ったのである。
(「吉村昭自選作品集」第四巻/後記)

これに似た驚きや悔しさを私も何回か味わっています。私の気づきがもう数年早かったならば、ご存命の内にお目にかかれたかもしれない…という方が何人もいます。「烏の浜」で何が起こったのか、知ったなら直ちにそこへ行かなければならないと私も思うようになりました。


▼ ミユキ   [RES]
  あらや   ..2017/08/30(水) 07:05  No.407
  「人間像ライブラリー」の紹介を出していただいた関係で贈られてきた『人間像』第187号。作家の洒脱な文章の中に、私の素人っぽい文章が混じっている違和感に慣れる(まあこれしか書けないから…)のに一昼夜くらいの時間がかかりましたが、それも一段落した昨日、何気なく読み始めた北村くにこ『自閉の揺りかご』が、良かった。

十年前、峯崎ひさみさんの『穴はずれ』を偶然手にとった時みたいな「えっ…」というときめきがありましたよ。パソコン作業の手を止めて『夕日の中のオリーブ』、これも良かった。で、先ほど布団の中で『ミユキ』読了。凄いなあ。凄いよ。

(ちょっと用事が入ったので、また書きます。)


 
▼ 北村くにこ  
  あらや   ..2017/08/30(水) 09:55  No.408
  「良かった」だの、「凄い」だの、図書館人には禁句の言葉(これ言ったら、もう本の紹介にならないからね…プロじゃないです)をバンバン連発してしまって、お恥ずかしい。でも、それくらいには針が振れました。私はこの種の波長に弱いみたいです。

三月頃、「人間像」のデジタル化を始めるという話を聞いた倶知安在住の方から最近の「人間像」十数冊の寄贈がありました。今、作業をしている私の机の傍らにありますが、先ほど目次を確認してみたら、北村くにこさんの作品は、

第179号……「海岸町シュガーストーリー」
第181号……「無口な犬、シロよ」
第182号……「鬼を飼う」
第183号……「完璧な恋人」
第185号……「木下荘・女三景」

でした。(第180、184、186号は手元にないので確認できず) あと5作品、楽しめる。読み終わったら、家からいちばん近い「人間像」所蔵館は札幌市中央になるのかな。バスに乗って、市電に乗って行きましょう。


▼ 旅行   [RES]
  あらや   ..2017/08/22(火) 11:46  No.406
   昭和十二年七月七日、蘆溝橋に端を発した中国大陸の戦火は、一力月後には北平をつつみこみ、次第に果しないひろがりをみせはじめていた。
 その頃、九州の漁業界に異変が起っていた。
 初め、人々は、その異変に気づかなかつた。が、それは、すでに半年近くも前からはじまつていたことで、ひそかに、しかしかなりの速さで九州一円の漁業界にひろがつていた。
 初めに棕櫚(しゅろ)の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであつた。
(吉村昭「戦艦武蔵」)

 或る夜、藤平は突然人の喚き声を耳にしてはね起きた。
 淡い坑道のカンテラの下で、半身を起している技師の青山が、眼を吊り上げてなにかしきりに叫び声をあげている。坑道の一隅に寝ていた技師たちが、起きて青山をとりかこんでいる。根津も天知も起き出してきた。
 「ホウだ、ホウだ」
 青山は、手にノートのようなものをつかんで譫言のように叫びつづけている。
(吉村昭「高熱隧道」)

当時の関係者を訪ねる旅。費用はすべて吉村昭氏の自己負担だったという。出版社や関係団体から取材費を貰ったことは一度もないという。想像するのだが、インタビューで「これは!」という証言が得られた瞬間、ほぼ小説は氏の頭の中で成立していたのではないでしょうか。東京へ帰る汽車の中で小説の組み立て作業はすでに始まっていると書いていましたが、全部が全部「これは!」ということはなかっただろう。空振りの旅の帰りの車内の姿を思い描くと、今読んでいる吉村昭の小説の有難さをしみじみと感じる。









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