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▼ 虚洞   [RES]
  あらや   ..2018/02/03(土) 13:31  No.437
   云えばそれだけかも知れない。アプレと多情女。二人に変質者の代名詞を与えさへすれば、事件の本質は表面上丸く納るかもしれない。然し宮脇は〈同年代の男〉として〈絶望的情欲をかき立てた女〉として、此の二人に直接つながつていそうな気がして、死者を嘲笑しているような記事にレジスタンを感じた。アプレとは何か。戦争下に生れ育つて来た人間の、傷だらけの精神を理解しようとせず、古めかしい既成観念だけで、世人は青年を一方的に非難しようとしている。多情女とは何か。デモクラシーの看板の裏では、自由など何一つも許されていない。その中で、せめて肉体だけでも、自由に生きようと悶えた女なのだ。多情なんて軽々しく云うけれど、世の薄情者よりは、多情の方が余程尊いでわないか。
(門脇幸夫「泣きつ面」第四回)

あのガリ版刷りだった「人間像」が、よくぞここまで来たものだ! そう感じさせるのが、門脇さんの『泣きつ面(「虚洞」第二部)』でしょう。「人間像」第28号までの中でも断突の長さの作品故、ここまで引っぱって来て最後でコケたらどうしよう…(同人に与えるショックも相当だろうな…)とかなり本気で心配していました。

先ほど『泣きつ面』デジタル化、完了。心配など無用でした,。見事なフィニッシュだった! 「人間像」の同人たちは、この後、このレベルを引き受けて作品を書かなければならなくなった。武者震いですね。門脇さんの名前、第35号あたりで消えてしまうんですね。惜しいです。でも、ここまで自己や時代を突き詰めたなら、本望だったのかもしれません。



▼ ロマノフ帝国   [RES]
  あらや   ..2018/02/02(金) 09:22  No.436
   「みんな聞いてくれ。ロマノフ軍の北海道上陸、いや本州上陸さえも、ないとは言えない情況のようだ。もはや現実のものと考えてよい。〈緊急プランQ号〉に従い、各自、電話の不通が復旧次第、道東方面の取引先へ連絡し、もし引き上げるのであれば、わが社の室蘭倉庫に集結待機するようにと伝えてくれ。実は、わが社は貨物船を室蘭港に待機させてある。戦況の進展次第で出港日を決めるが、時間はあまりないと考えたほうがよい。ロマノフ潜水艦隊の能力は決して侮れない。いつ、わが国全港湾に対する封鎖作戦が行われるか、予断を許さぬ切迫した情勢と考えてくれ」
 その日の午後には、小樽支店社員の家族は赤井川に疎開した。ここまで退避すれば比較的安全に、倶知安→喜茂別→伊達経由で室蘭に向かうことができるからだ。
(荒巻義雄「ロマノフ帝国の野望」)

うーん、いいですねえ。(今、窓から見える小樽湾に軍艦島みたいな船が通っているけど、何だろあれ…)
演歌みたいなもので、「日露戦争で日本が負けていれば」という着想(メロディー)が生まれれば、そこへ自在に「小樽」や「倶知安」というフレーズを組み込んで行くんですね。楽しめます。



▼ ル・グウィン   [RES]
  あらや   ..2018/01/26(金) 09:50  No.434
  ル•グウィンさん死去 88歳 「ゲド戦記JのSF小説家
【ロサンゼルス共同】米メディアによると、ファンタジー小説「ゲド戦記」などで知られる人気SF作家アーシュラ・K・ル・グウィンさんが22日、西部オレゴン州ポートランドの自宅で死去した。88歳だった。詳しい死因は不明。数ヶ月前から体調を崩していた。
 1929年、西部カリフォルニア州バークリー生まれ。ニューヨークのコロンビア大などで学んだ後、フルブライ卜奨学生としてパリに留学。歴史学者と結婚後、夫がポートランド州立大教授となったため、ポー卜ランドで生活し、50年代末から小説を書き始めた。
 68年に「ゲド戦記」の1作目「影との戦い」を発表し、2001年まで6作を出版した。69年の「闇の左手」で優れたSF作品に贈られるネビュラ賞、ヒューゴー賞などを受賞、広く知られるようになった。
 作品は各国で翻訳され、日本にもファンが多い。06年には「ゲド戦記」をスタジオジブリがアニメ化した。
(北海道新聞 2018年1月24日夕刊)

悲しい。どんどん時間との戦いになってきている。「ゲド戦記」については、元太君との懐かしいインタビューがあります。元気でやってるかい。

http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper46.pdf


 
▼ ナタリー  
  あらや   ..2018/01/30(火) 13:43  No.435
   ナタリーは『嵐が丘』を愛読している。ブロンテ一家のこともよく知っていた。百五十年前、イングランドのどことも知れぬ田舎の牧師館に住んでいた四人の天才たち。どれほどさみしい日々を送ったことだろう? ナタリーがくれた伝記を読んで、気がついた。自分は孤独だと思っていたが、このきょうだいにくらべたら、ぼくの生活なんて賑やかな社交パーティの連続だ。それでも、ブロンテきょうだいはおたがいの存在に支えられていた。
(アーシュラ・K・ル=グィン「どこからも彼方にある国」)

図書館に荒巻義雄を借りに行ったら、児童書架に見つけたので。

へえ、ル・グウィンも『嵐が丘』なのか…(小さな共感) あれはサルトルの『嘔吐』だったろうか、旅のホテルの部屋に入ったボーヴォワールがまず一番に行うこと、それは、エミリ・ブロンテの肖像画を壁に掛けること…っていう場面が妙にこの歳まで印象に残っているんだけど。それに似たような共感ですね。

1976年のアメリカ(西海岸?)のヤングアダルト小説が、なぜ2011年のあかね書房(おお!懐かしい。まだ健在なのね…)から出版されるのかよくわからないが、小樽の図書館にあったのはラッキーでした。


▼ 東京の下町   [RES]
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:53  No.432
  初期「人間像」デジタル復刻と併走するように半年間読み進んで来た『吉村昭自選作品集』(新潮社,1991)ですが、ついにラストの『別巻/東京の下町ほか』です。

吉村昭。昭和2年、東京日暮里の生まれ。針山和美氏が昭和5年の倶知安生れですから、例えば、敗戦直後の昭和21〜22年なら、吉村昭は学習院高等科文科甲類に合格、針山氏は戦中の勤労動員から倶知安中学に復学といったように「大学/高校」「東京/北海道」といった微妙な違いが大変興味深かった。勉強にもなった。さらに、吉村昭は昭和23年の肋骨5本を切除する大手術を挟みますから、それぞれの同人雑誌時代が微妙に重なって来ていて、それぞれの作家にとって転換点にあたる重要作品、例えば吉村昭なら『少女架刑』、例えば針山氏なら『百姓二代』を書いたのがこの歳だったのか…みたいなことをよく考えました。いい体験でした。


 
▼ やみ倉の竜 ほか  
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:56  No.433
  というわけで、ポスト「吉村昭」というか…

夜、布団の中で読む本を探して放浪中です。しかたないので、佐々木譲『真夏の雷管』も、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』も、リクエスト出しました。『真夏』が24人待ち、『おら』が7人待ち。『おら』が7人で済んだのは、リクエスト申し込んだのが芥川賞受賞前だったから。(ラッキーと言えるのかな…)

柏葉幸子+佐竹美保の『やみ倉の竜』は「北海道青少年のための200冊」コーナーに別置されていたのをたまたまゲット。よかった。でも、同時期に発売された『涙倉の夢』はついぞ書架で見たことがない。(もうこれもリクエストかな。読みたい本は全部リクエストで出して、届いたものから読んで行くような生活になって行くのかな…これからは)

「小樽」本ということで借りて来た二冊。一冊は駄作もいいところでしたね。名誉も生活もあるのだろうから著者名も書名も明かさないが、こんな本、紙資源の浪費だ。もう一冊、荒巻義雄『ロマノフ帝国の野望』は今夜から読書開始。


▼ 水の葬列   [RES]
  あらや   ..2017/12/31(日) 17:04  No.431
  今年最後の読書は吉村昭『水の葬列』でした。いろいろな変化があった一年をこのような作品で締めくくることができて幸福です。吉村昭から貰った「虚構小説」という概念をこれからも大切に大切に持っていたい。

 たとえば『水の葬列』の場合は、こんな風であった。或るダム建設工事の技師と酒を酌み合っている時、かれが、工事の現場近くにある渓流に流れてきた朱色の椀のことを口にした。その上流に人は住んでいないとされていたので、不思議に思って調べてみると、上流に小さな村落があった。その地の人は、山を越えた向う側の村としか交流がなかったので、こちら側の町村の人たちは、そのような村落があることを全く知らなかったという。
 その話に私の触角は刺戟され、脳の細胞も一斉に動き出して、『水の葬列』の小説世界が築かれていったのだ。
(「吉村昭自選作品集」第十五巻/後記)

この流れの向こうに、このような概念が潜んでいることを知らなかった一人でした。私も。









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