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司書室BBS

 
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▼ コンサドーレ   [RES]
  あらや   ..2014/06/21(土) 11:12  No.393
  今回の日本は、ずいぶん最後まで引っ張るんですね。

世界の決勝戦を争うチームになるためには、いろんなステップを踏んで行かなければならないんだ…無駄な試合なんか一試合もないんだ…という岡ちゃんの意見(対コートジボアール戦直後)に私も一票。
あのまま、コートジボアールにまんまと一勝、ギリシャに当然の一勝、コロンビアとからくもドロー、勝ち点7で一次リーグ無事二位通過などという甘い夢が世界で通用するとは思えない。私は、日本は世界に出れば、要するにJ1に昇がった「コンサドーレ札幌」だと思っていたけれど、今回の展開には今までの日本にはなかったドラマ展開をちょっと感じてもいます。
コロンビアに勝って、世界を「あっ」と言わせるくらいの度胸と物語性がないと、世界には行けないのではないでしょうか。

今日2時、J2最下位の富山と試合。長いエゾ梅雨が終わって、晴れてよかった。



▼ 慈愛   [RES]
  あらや   ..2014/06/16(月) 18:47  No.392
  今日、倶知安町公民館で久しぶりに国策紙芝居の上演をやってきました。1時間の枠内であったので、「空の軍神」と「キンスケの武者修行」の二本です。

その公民館の帰り、階段を降りていると横手に彫刻が… 思いもかけない贈り物に、すかさず一枚。天気悪かったので、「今日の小樽/6月」掲載分は後日です。



▼ 道銀カレンダー   [RES]
  あらや   ..2014/06/08(日) 18:18  No.391
   開館20周年記念春の特別展示「木田金次郎と北海道銀行カレンダー」
 2014年4月3日(木)〜6月29日(日) 木田金次郎美術館展示室1〜3
 木田金次郎(1893〜1962)は、生涯のほとんどを故郷である岩内町で過ごした画家です。若き日に有島武郎と出会い、小説「生れ出づる悩み」の主人公のモデルとなったことで、その存在は広く知られていますが、木田の画業が知られるのは、60歳の時に札幌で開催された「第一回個展」(1953年)以降といえるでしょう。
 木田の画業が北海道民に広く浸透したきっかけに、北海道銀行の存在があります。北海道銀行は、創立翌年の1952(昭和27)年からカレンダーを制作していますが、1955(昭和30)年に、木田金次郎の「りんご」と「鮒」を用いて以降、今日にいたるまで、北海道ゆかりの作家の作品をカレンダーに採用しています。最初に木田を採用したのは、初代頭取・島本融が、木田の作品に「北海道的なもの」を感じたことにはじまりますが、北海道銀行のカレンダーに木田の作品が掲載されたことで、道内の多くの家庭や取引先で、木田の画業が親しまれていきました。
 このたびの展覧会は、当館の開館20周年を記念し、北海道銀行と共催で開催するものです。これまでも同行とは「北海道銀行コレクション」などで、三度共催しておりますが、今回は、北海道銀行のカレンダーに用いられた木田作品を中心に、木田の画業が北海道民に知られていく過程をたどるとともに、同行が北海道の美術と道民を結んできた役割についても紹介します。
 道民が身近に触れるカレンダーを通して、そして木田金次郎と北海道銀行の深い縁を通じて、美術作品に親しむことの意義について思いを寄せていただければ幸いです。
(同展チラシより)

いやー、よかった! もう木田美術館の企画展は全部行かなきゃ駄目ですね。それくらい、行く度に発見がある。道銀カレンダーって、木田の作品ばかりと思っていたのだけど、栗谷川健一(1967年)や三岸好太郎(1984年)を使った年もあったのね。(1965年の道銀本店レリーフ「大地」カレンダー、欲しい!)

その「大地」。喫茶コーナーで海洋深層水コーヒーを飲んでいる時、パラパラとめくったカタログで、今の本郷新・山内壮夫・佐藤忠良共同制作バージョン以外にも、栗谷川健一バージョンというものも存在していたことを初めて知りました。小さく写真が載っていた。ということは、どこかにはその実物が残っているということですね。見たい!ぜひ生きている内に見たい!



▼ 牛があそんでゐる。Mooooo!   [RES]
  あらや   ..2014/05/17(土) 16:30  No.383
  写真は5月5日の苫小牧市美術博物館です。「宮沢賢治の世界をアートする2014」
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/hakubutsukan/tenrankai/26amyu_tenran_miyazawa.html
を見に行ったのですが、たまたま「こどもの日」で無料。おまけに、午後の「賢治の紙芝居とギターの演奏会」にも参加できてラッキーでした。紙芝居「注文の多い料理店」、「星めぐりの歌」、よかったです。

美術館と博物館が合体しているということは…

企画展「美沢川流域の遺跡群〜美々・美沢〜」
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/hakubutsukan/tenrankai/26amyu_tenran_misawa.html
こっちも見られるんだよね。すっごく得した気分。

宮沢賢治が苫小牧に足跡 90年を記念してさまざまなイベント
(苫小牧民報 2014年 3/24)
http://www.tomamin.co.jp/20140311023
連休の写真整理も終了。さあ、次の展開に行こう。


 
▼ ポロトコタン  
  あらや   ..2014/05/17(土) 16:40  No.384
   一千九百二十五年五月六日
 今日学校で武田先生から三年生の修学旅行のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。
(宮沢賢治「或る農学生の日誌」)

ポロトコタンでアイヌの人たちの踊りを見て、初めて「美しい」と感じました。また、行きたい。

 
▼ 賢治ウォーク2014@  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:31  No.388
   宮澤賢治と苫小牧とスコットランド
 宮澤賢治は大正13年(1924年)5月21日夜、苫小牧駅に降リ立ちました。当時、彼は花巻農学校の教師。修学旅行の引率者として来道。この日、生徒たちを引率して苫小牧に宿泊しました。このことについて、賢治の書いた修学旅行復命書が残され、何時に着いて、どこに泊まったかなどが記されています。そしてこの夜、賢治は海岸まで歩き、苫小牧の情景を詠んだ詩を残しました。「牛」と名付けた詩は、賢治の詩集である「春と修羅・第2集」に収録されました。下書き稿とも呼ばれる「海鳴り」の詩も含め、これらの詩を苫小牧の文化遺産、と捉え、創造的生涯学習のまちづくりを進める「NPO法人ゆうべあまちづくりネットワーク」では、その活動の一環として、宮澤賢治に関する様々な取り組みを進めています。
(「賢治ウォーク2014」パンフレットより)

「賢治ウォーク」に参加してきました。前日の講演会の流れを受けて、講師陣の多くがそのまま「賢治ウォーク」に合流するという豪華版。

 修学旅行復命書によると、宮澤賢治ら一行が苫小牧に着いたのは同日午後8時。札幌から汽車に乗り、岩見沢経由で苫小牧に入リました。当時の苫小牧といえば、明治43年に王子製紙が操業開始。翌年には市街地に送電が開始され、北海道にあっては夜も街灯がこうこうと輝く明るい町として知られていました。宿泊先は旅館・富士館。現在の苫小牧駅前プラザegaoの駐車場付近にありました。駅を降りた一行は明るい街灯の中を歩いて宿に向かったはずです。
 駅舎は今の駅前交番付近にあり、そこから数分の場所に旅館の富士館がありました。この時、賢治の耳に浜からの海鳴りの音が聞こえていました。というのもこのころの駅前通は、中心街並に店舗等が張り付いていましたが、現在の国道36号を越えると人家は点在。前浜側には中村牧場が広がっているだけという状況でした。夜は騒音もほとんどなく、海の音が駅前まで聞こえていたようです。段々状の地形が波の音を増幅させていた、とも言われています。戦後もまだ聞こえていた、という市民の話も残っています。
(同パンフレットより)

 
▼ 賢治ウォーク2014A  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:35  No.389
   賢治らが苫小牧を訪れたのは、修学旅行生の王子製紙苫小牧工場見学が目的でした。翌日22日、同工場を見学して次の目的地白老に向かっています。苫小牧に着いた日は夜も遅かったため、予定された行事はなく、さらに夜が深けてから、賢治は前浜に向けて散歩に出かけます。復命書に「濤声(とうせい)」という言葉をわぎわざ残していることから、賢治にとって、詩を詠んだ苫小牧は思い出の地となって心に刻まれたのかも知れません。5月24日の宮沢賢治学会苫小牧セミナー研究講演で天文家の加倉井厚夫氏が指摘したように、下弦の月に大きな影響を受けたのかも知れません。
(同パンフレットより)

「賢治ウォーク」のいちばん有難いことは、王子製紙苫小牧工場の中に入れたこと。通称「赤レンガ」の旧事務所の内部も見学できました。王子倶楽部(迎賓館として使っていた)には木田金次郎や棟方志功がばんばんそこかしこに架かっていて頭くらくら。
この状態は午後も続いて、美術博物館「宮座や賢治の世界をアートする」展では、なんと、佐藤国男氏自身が作品解説をしてくれる超豪華版。参加費300円で、こんな贅沢していいのか!という一日ではありました。

 
▼ 賢治ウォーク2014B  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:41  No.390
   苫小牧の前浜の砂丘に立って、最初に詩をしたためた下書き稿のタイトルは「海鳴り」でした。心象をスケッチした60行ほどの長い詩。荒々しい海の詩となっていますが、後半を削り、推敲してわずか10行の短い詩に直したのが、「牛」です。「海鳴り」と違って、荒々しさは陰をひそめ、浜辺にある牧場の光景が描写されています。この変化について、同じ研究講演で宮城教育大学の中地文教授が豊富な資料で、心情の変化等々について詳しくお話ししていただきました。。
 現在「ふるさと海岸」と呼ばれる前浜一帯は、中村牧場の牧草地などが広がリ、エ一シャ牛(エアシャー牛)が飼われていました。乳用牛の一種で、後に乳量の多いホルスタイン種に変わることになりますが、当時の代表的乳用牛といえばイギリス原産のエアーシャ牛でした。前浜の牧場にはサイロも建ち、当時のものと思われるサイロが数年前まで残っていました。
 苫小牧では毎年、賢治がやって来た日の週に「賢治ウォーク」を開催しています。苫小牧での賢治の足取りを追体験しながら、先人たちの築き上げてきた大正時代当時の歴史や文化、産業なども学びたいものです。ちなみにエ一アシャー牛は北海道が明治に輸入し、繁殖させて道内に広めました。今秋から始まるNHK朝ドラのテーマ・ウィスキーだけでなく、乳牛についてもスコットランドとは深い関係にあったのです。
(同パンフレットより)

「マッサン」の余市ロケも始まった今、ちゃんと「スコットランド」にもふれていただいて、ありがとう。(現在の「花子とアン」で、初めて字幕スーパー入りの朝ドラってものを観ているのですけど、これは「マッサン」の予行演習なのでしょうか…)


▼ 加藤秋太郎   [RES]
  あらや   ..2014/05/24(土) 07:53  No.385
   一九〇二(明治三十五)年に江之島電気鉄道が開通して、多くの観光客を運ぶことになり大変賑わっていたのであった。
 加藤秋太郎にとっては、十九年振りの新婚旅行を兼ねた思い出の旅行となった。鎌倉では円覚寺、建長寺、鶴岡八幡宮、高徳院(鎌倉大仏)、極楽寺の名刹など、江の島へは長い木橋を渡り、江島神社、岩屋洞窟・展望台などを訪れたり名物料理を堪能して、江の島内の旅館に泊まった。二人は楽しいひと時を過ごした。
 秋太郎は、きんに一番印象に残った所を聞いてみた。
「江島神社の朱塗りの大鳥居をくぐり、きつい階段を上ると、そこに龍宮城を模して造られた瑞心門がありましたね。その門が一番気にいりましたよ」
「鎌倉大仏かと思ったよ。おきんは妙なものが目に付くのだね、確かに龍宮城の入口みたいな門だ。いつか二人で店を持ったら、入口をあの龍宮門みたいな構えにしてもいいなあ。あははは…」
(廣江安彦「小説・大府立志伝 加藤秋太郎」)

そうなんだ! 龍宮閣のアイデアは「江の島」だったんだ!

今、先日北海道新聞で紹介された「加藤秋太郎伝」を読みはじめたところです。おー、オタモイの遙か遠くに羊蹄山も聳えたっているぞ!


 
▼ 京極さん  
  あらや   ..2014/06/02(月) 15:54  No.386
  「ところで京極工務店の児玉進三さんよ、これから付き合っていくのに、何と呼んだらよいのかね。京極さん、児玉さん、それとも進三さん」
「それなら屋号の京極で呼んでくださいね」
「京極さんだね…。たしか戦国大名の名門の家柄に、似たような名前があったような気がしたがね」
「そうなのですよ。今から十一年前の一八九七(明治三〇)年に、旧讃岐丸亀藩王で子爵の京極高徳が、函館本線沿いにある倶知安村番外地に入植して京極農場を始めたのですよ。俺の家族もそれに付き添って移住した開拓民だが、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の麓にある火山台地で、御多分にもれず苦難の連続でねえ。霜で豆類が全滅することもあり、その上に、時々野ねずみが大発生して思わぬ伏兵により大凶作に追いやられたり、さんざんな目に遭ったりしてね。俺だけが愛想を尽かして京極農場を飛び出して、小樽にやって来たという訳ですよ。」
(廣江安彦「小説・大府立志伝 加藤秋太郎」)

この本が大事なのは、ひとえに、この「京極さん」によります。「龍宮閣」マニアの私としては、自分の研究用に一冊あればいいかな…と思っていたのですが、この「京極さん」の登場によって、湧学館にも一冊あった方がいいと判断しました。「京極さん」、奥さんがアイヌのエカシの娘だったりして、なかなか興味深い人物。

加藤秋太郎が小樽に足を踏み入れたのが明治四十一年の四月。啄木と、ちょうどすれ違いになるのか。短い間だけど、東京行きの挨拶で小樽に戻っていた啄木と加藤秋太郎は、街のどこかですれ違っていたかもしれませんね。明治の啄木から昭和の多喜二まで丁寧に小樽の時間をまとめて、その上に「龍宮閣」をそびえ立たせた良い作品です。


▼ 緑の環   [RES]
  あらや   ..2014/04/16(水) 17:24  No.381
  昨日、風邪をひいてダウンしてしまった。熱はなかったけれど、頭がふらふらして、手に力が入らない。インフルエンザではなかったのが救いか。今日になって症状は軽くなったけれど、人にうつすといけないので用心のため今日も休みました。去年の今頃、あまりにも低脳な職場になってしまって、同じような風邪をひいても休めないで残業をしていた日々を思い出せば、ま、改善といっていいのかな。(8年前の赴任時にリセットしただけという気もしないではないが…)

先日、苫小牧の本郷新「緑の環」の最後のピース、美沢と静川の2基をついに発見しました。樽前公園の時に気がついたのだけど、「緑の環」、市役所と駅前の2基を除けば、残りの3基は苫小牧市と隣町の境にいずれも意図的に設置されているみたいですね。だから、あまり地番にこだわらず、幹線道路で市の境のところへ行って注意深く見ていれば、必ず「緑の環」は出てくる…と作戦変更。それで正解でした。

写真は美沢の「緑の環」。苫小牧から一度千歳に出て、帰り道でようやく見つけました。そうは言っても、なかなか凄いところにあるんですけど…(車をどこに停めようか、けっこう焦った) 街の要所を護る5基の「緑の環」、「指輪物語」みたいでカッコいいじゃないか。


 
▼ 無料原則  
  あらや   ..2014/04/16(水) 18:25  No.382
  で、こちらが静川の「緑の環」。

5基とも、みんな同じ形なんだから、駅前の「緑の環」でいいじゃないか…という意見はあるのだが、なんか私には納得しがたい。ちがうよ…と言いたい。こうした野外彫刻はロケーションこそが命なのであって、札幌の近代美術館にある「嵐の中の母子像」と長万部の平和祈念館にある「嵐の中の母子像」はちがう。もちろん、本郷新記念札幌彫刻美術館にある「嵐の中の母子像」ともちがう。みんな、ちがう。

札幌の芸術の森美術館にある彫刻は、なにか、私の中の「無料原則」に反するような気がしています。野外彫刻が有している思想が剥ぎとられていると思う。

「緑の環」に励まされて(職場にこれ以上トラブルがなければ)私も「スワン社資料室」を再開しようと考えています。たとえ8年前の時間にひきもどされても、小樽を出た日のことを思えば、なんてことはないさ。


▼ いせひでこ   [RES]
  あらや   ..2014/03/13(木) 05:25  No.380
  なでしこの決勝戦見ようとして夜中に起きようとしていたのだが、それはアウト。

でも、ラジオ深夜便の島倉千代子には間に合って、この後、四時台から「いせひでこ」だと知って、もう今日は起きることにしました。

五歳の初めての記憶。雪解けの小樽の水たまりに映った空と風。私もこれを聞いて、3月16日に話す最後のピースが嵌ったような気がする。



▼ みんな夢の中   [RES]
  あらや   ..2014/03/04(火) 10:02  No.379
  http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2603X_W4A220C1CC1000/

 大学生の4割が読書時間ゼロ 大学生協連調査 (2014/2/26)
 大学生の40.5%が読書にあてる時間をゼロと答えたことが、全国大学生協連(東京)の「学生生活実態調査」で26日、分かった。同項目の調査を始めた2004年以来、4割を超えるのは初めてで、学生の本離れの実態を裏付けた。
 調査は昨年秋に実施。全国30大学の学生8930人が回答した。1日の読書時間(電子書籍を含む)は平均26.9分。「0時間」と答えたのは、文系学生で約34%、理系で約44%だった。下宿生の1カ月あたりの書籍購入費は7年連続で減少、過去最低の1820円となった。
 同生協連全国学生委員会の木津谷甫副委員長は、読書時間ゼロが増えた背景について「学生の間でスマートフォンが普及した。ゲームなどのアプリに比べて、読書の優先順位が後退したためではないか」と分析した。〔共同〕

こんな奴が私の職場に来たら、思いっきり嗤ってクビにしてやろう。世の中、なめんなよ。

スマホを手にした瞬間から、頭の成長止まるじゃないでしょうか。中坊の時にスマホ握りしめた奴は、高校生になっても頭は中坊だし。(現役の中学生より「中学生」なのがすごい…) スマホの合間に人生やってるような奴がものすごく増えたような気がする。



▼ 「後志の文学」読書会   [RES]
  あらや   ..2010/10/01(金) 10:13  No.229
  今年の五月から続けてきた「後志の文学」読書会。金曜日夜の開館延長の時間帯を使って、月一回ペースでやってきました。

5月14日 宮沢賢治「修学旅行復命書」
6月11日 有島武郎「カインの末裔」
7月 9日 「胆振線」/小林多喜二ほか
8月13日 「北の沢」/峯崎ひさみ
9月10日 「赤い靴」/石川啄木・野口雨情

そして、毎年恒例の文学散歩バスツアーで終わるわけです。今年は、「生れ出づる悩み」の二人が出会ってからちょうど百年ということで、バスは10月16日(土)木田金次郎のふるさと岩内町に向かいます。本日より申込み受付中。

バスの旅も楽しみなのですが、私としては、8月13日の「北の沢」物語、峯崎ひさみさんを後志の文学でとりあげることができたのがとても嬉しい。なにか、京極でのミッションをやり遂げたような気持ちにさえなりました。賢治や有島武郎のピックネームの中に峯崎さんの名前が入ることを私はおかしいとは思わない。京極で全5回の読書会をやるならば、このラインナップしかないと今でも確信しています。


 
▼ 峯崎ひさみさん  
  あらや   ..2010/10/01(金) 10:36  No.230
  京極の町には感謝しなければならないことがふたつあって、ひとつは、小樽のリストラ以来不調だった身体が回復したこと。質素な暮らしや病院の指導のおかげで健康をとりもどしました。
そして、もうひとつが、峯崎ひさみさんの発見。初めて小説「穴はずれ」を読んだ時の興奮は今でも忘れられません。この小説の舞台に今私は生きているんだ…という思いが毎日の仕事を支え、町で暮らす意味を大きく変えて行きました。リストラ以来、心のどこかでひきずっていた「小樽からの出稼ぎ」意識がこの本と出会ったことで消えていった。

読書会で峯崎さんを町の人たちに紹介したことで、なにか私のこの町での役目は終わったかな…という思いが少しあります。次の仕事を探さなくては…とも考えていたのだけど、一昨日大きな展開がありました。峯崎さんの「穴はずれ」以外の初期作品を読むことができるようになったのです。なんという幸運だろう。

今、次々と読書中です。これからの、身の振り方が変わるかもしれません。

 
▼ ありがとう浦安  
  あらや   ..2010/10/06(水) 09:05  No.231
   この四月、二十三年間暮らした浦安を離れた。落ち着き先が、電車なら二つ先の駅、自転車でも行き来が出来る距離とあって、引っ越し当日も覚悟していたほど感傷的にならなかった。その分、今頃になって、慣れ親しんだ街並みがしみじみ恋しい。
(MIDORI 第9号/峯崎ひさみ「ありがとう浦安」)

そうか!浦安だったのか…

「穴はずれ」の著者略歴住所「市川市妙典」に引きずられて、市川市中央図書館を起点に同人誌「MIDORI」を探していたのだが、起点がそもそもまちがっていました。

図書館の町・浦安。この業界で「浦安」の名を知らない図書館人はいないと思うけれど(今のご時世なら、いるかもしれない?)、まさか、ここで「浦安市立図書館」や「竹内紀吉」の名に出会うとは思ってもみなかったですね。(竹内さんの小説!というものを初めて読みました)

 やがて息子の誕生。三才になるのを待って仕事を始め、娘が小学生になったのを機に、市役所の近くに古い小さな家を買った。仕事、家事、学校の役員。息抜きは新聞の投稿と、休日の図書館通い。ここで、『文章教室』と遭遇することになる。何気なく手に取ったカウンターの、『受講者募集』の案内書にわけのわからない興奮を覚え、迷うことなく講義に臨んだ。講師の熱っぽい語り口に圧倒されたまま、会場を出るとき転職を考えていた。
(同書より)

市川市妙典の中央図書館も有名。浦安が現代のハイブリッド図書館の魁(さきがけ)館だとしたら、市川はその完成形にあたるとでもいえばいいのだろうか。数年前、必要があって首都圏の話題図書館をまわった時も真っ先に行ったのが「市川」でしたね。ちょっと懐かしいな。

 
▼ お友達申請?  
  あらや   ..2014/03/04(火) 09:47  No.378
  どこかの馬鹿が昔のスレッドを引き上げてしまったようで…

峯崎さん絡みだから、ここに2月20日「文芸作品にそびえる羊蹄山」の報告を書いておきます。昼、夜とダブルヘッダーのブックトークだったので、「羊蹄山」の最後あたりはヘロヘロでした。でも、とりたてて破綻もなく、16作品(松浦武四郎から荒巻義雄まで)一気に喋ったので、気分的にはある種の達成感がありましたね。去年の四月以来、仕掛けられた難局を俺はすべて撥ね返したぞ!という感じ。

20日以後、普段は呑まないことにしているビールを呑んだり、唐揚を喰ったり、意図的にダラーッとしていました。血圧も無視ね。二度と味わいたくない一年間だったので、その反動もけっこう大きかったです。

20日以後、いつものスパムメールに混じって、「お友達申請」というメールがなんか殺到していました。ん?なんだ、これ? これが、フェイスブックって奴なんでしょうか。
三月に入って治まったみたいなので、それっきり考えないことにしているけど、気持ち悪い体験だったなぁ。


▼ 日米交換船   [RES]
  あらや   ..2014/02/10(月) 18:18  No.376
  黒川 「船が横向きのまま二、三メートルも離れたころ、万歳三唱がスポンテーニアスに両方からおこる」。ここでも「万歳」ですね。都留さんは、自発的に起こると書いている。
鶴見 たしかにspontaneousなんだよ。もう、がっかりしたねえ。私は、日本が負ける、自分は負けに行くと思っている。日本人と俺とは違うと思った。日本人は、社会体制が変われば中身まで変わるんだ。そして、横浜まで戻ってくると、おやじが迎えにきていて、「神風が吹いた」と話しているんだ。
加藤 ああ、その時のことでしたか。
鶴見 もう終わりだと思った。
黒川 「神風」とは何を指しているんですか。
鶴見 ホノルル爆撃だ。そうとうあぶない人だと思っていたけど、これで終わりだと思った(笑)。
加藤 それは、鶴見祐輔さんが、俊輔さんに向かって言ったんですか。
鶴見 自動車のなかで彼が言った。人が聞いていたわけじゃない。一高英法科一番で、よくぞこんなことが言えるなと。私にとっては驚異だよ。自宅に帰っても、落ち着かないんだよ(笑)。
(鶴見俊介,加藤典洋,黒川創「日米交換船」)

鶴見俊輔の言葉づかいはややこしい。日本人の誰もが「真珠湾攻撃」と言うところを「ホノルル爆撃」と言う。「一番病」とかね。(なんか、「思想の科学」が読みづらかったことを久しぶりに思い出しました) これ、日米交換船で、鶴見俊輔が日本に着いた時の光景です。鶴見祐輔夫妻が横浜へ迎えに来ていて、そこから麻布の家に戻る自動車の中のエピソード。

で、鶴見祐輔は、こんな人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E7%A5%90%E8%BC%94
(そういえば、昔、自宅浪人していた時に「ディズレーリ」読んでたなぁ… なんで読もうと思ったのか、全然憶えがないけれど)

「歴史資料が語ること−国策紙芝居を例に」の第2回(2月16日)、「文芸作品にそびえる羊蹄山」(2月20日夜)、あと、小学校3年生の出前図書館(2月20日昼)が目前に迫っているので、「日米交換船」絡みの本は、ここでいったんリセットね。戦時下の日本人の心の有り様というものを考える時、この「日米交換船」も「国策紙芝居」の思考につなげられればいいのだけど、なにか、屋根の上の雪氷をどうするとか、雪に埋まった車を掘り出さなきゃとか、そんなことばかりが頭の中を駆けまわっていて、イメージが全然まとまらない。今回も相変わらず宮沢賢治や山中恒の読書歴で立ち向かう自分に進歩のなさを感じます。


 
▼ 明るい夜  
  あらや   ..2014/02/10(月) 18:33  No.377
  黒川創も、ここでいったんリセット。

東日本大震災以前の作品って、もう今となっては馬鹿馬鹿しくて読めないものと、今でも読んでよかった…と思えるものとに、自分の中で二極分解が始まっています。「明るい夜」は後者の方でした。こんなに慌ただしく仕事をしていなければ、もっと落ち着いて読み進められるのに…とも思うし、いつもこんなもんだった…という気もするし。

もう年度末なのにこんなにバタバタ仕事をしているのは、来年度の「図書館」構想の実験をしているからです。もう半年だけ残ってみることにしました。(「半年」というのは、もう今のこの老朽化した家で冬を越すのは無理だから) 四月以降の新年度体勢を見て、可能性が感じられれば町内の別の家に引っ越すし、相変わらずの意識・学力ならば、たぶん秋にはこの町にはいないでしょう。(小樽に帰るとは限らないけれど) 金よりは、時間の方が大切なのです。








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