| この短篇小説集におさめた十四篇は、二十四歳から三十九歳までに発表した短篇で、つまり、初期作品である。 久しぶりにこれらの短篇を読み直し、ある感慨にとらわれた。 年齢を重ねた現在、小説を書く上で私は、若い時には持ち得なかったなにかを確実に得た、という思いがある。そのことに満足感もいだいているが、若い折に書いたこれらの短篇小説を読み直してみて、たしかに年齢故に得るものはあったものの、同時に失ったものもあるのを感じた。 たとえば、二十四歳で書いた「死体」などを読んでみると、稚さはあっても対象にしがみつく若さ故の熱気が感じられる。現在の私には、このような執拗さはない。 他の短篇でも、それに共通したものがあって、私は、自分の内部に失ったものがあるのを知ったのである。 (「吉村昭自選作品集」第一巻/後記)
いやー、たいした衝撃でした。『羆嵐』も読んだ。『赤い人』も読んだ。大抵の吉村昭作品は読んでいて、それなりに理解しているつもりだったけれど、『少女架刑』は読んでなかったなあ。読んでなかった自分を馬鹿だと思いました。こんな無知でよく今まで世の中渡ってきたもんだとため息ついちゃった。
推敲したいのは山々である。しかし、それは若さだけが備えていたものを削り取ることになりかねない。そのため、あくまでも原型はそのままとし、字句の訂正にとどめた。 これでいいのだ、と思っている。 (同「後記」)
捏造したいのは山々である… 昔からちゃんと『少女架刑』も読んでいますよ、勿論知った上で吉村昭を語ってきたんですよ、とかね。まあ、いいか。もうそれほどガキじゃないし、ここには正直に書くことにしよう。
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