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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第127号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/26(木) 13:00  No.1120
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 今年七十五歳を迎えた小諸作太郎は、最近発表になった一九八九年簡易生命表がとても気になった。自分が日本人男性の平均寿命と同じところまで来たからだ。表によればあと九年ほどの余命がある事になってはいるが、それはあくまでも計算上の事で別に保証があるわけではない。格別長らえようと思っているのでもないのだが、いつお迎えが来ても誰も不思議に思わない年齢に達したかと思うと、思わないでも不安が込みあげて来るのだった。
(針山和美「忘却の傷痕」)

「人間像」第127号作業、始めました。本日、針山和美『忘却の傷痕』を人間像ライブラリーにアップしたところです。この作品、単行本にまとめる時には『老春』と解題され、謂わば単行本を代表する作品となって行くわけですね。
第127号は、この後、土肥純光『やがて眠りに』、内田保夫『黄葉季』、丸本明子『ガラスの兎』、佐々木徳次『還るべきところ』、千田三四郎『ゴミのような話』、平田昭三『たこ部屋ブルース』と創作が続きます。土肥さん、ずいぶん久しぶり。平田昭三は、朽木さんの別のペンネームですね。「斎藤昭」シリーズと混同しないように平田昭三を使ったのかな。



▼ 「人間像」第126号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/03(火) 17:36  No.1114
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「人間像」作業、再開です。本日、佐藤修子さんの詩三編と佐々木徳次さんの『軍港』を人間像ライブラリーにアップしました。次、内田保夫『甘美の陥穽』、佐藤瑜璃『落葉日記』、丸本明子『蒼天』、針山和美『洋三の黄昏』、村上英治『海に棲む蛍』と続きます。

「同人消息」に興味深い記事が。

☆朽木寒三の斉藤昭伝は総題を『雪の砦』とする本文四巻・別冊一巻からなり、五千枚にも及ぼうと言う一大長編である。その総目次が編集部に届けられたが、第一巻だけでも七章まであり、第一章は「縁の下の砦」として『人間像』に発表、第二・第三章は『少年マタギ』としてポプラ社から出版。第二巻の第一章から三章までは『釧路湿原』として評論社から出版。別巻のうち六篇が『人間像』に発表済みと言う事になる。従って未発表の物がまだ半分以上あり、百枚ずつ発表しても死ぬまでに発表し絶わるかどうか、と言っている。まさしくライフワークと言う訳だ。
(「人間像」第126号/同人消息)

古本屋でこの『雪の砦』を見かけたことはなく、おそらくは未刊に終わったものと想像されますが… 惜しい! 原稿さえ残っていれば、人間像ライブラリーで復刻するのに。


 
▼ 落葉日記  
  あらや   ..2024/09/06(金) 10:31  No.1115
    四月 二十日 水曜日 曇
 昨夜は三度もトイレに起きて、よく眠られなかったが、いつも通り五時に目が覚めた。一人ぐらしになって九日め、肌寒いのと、けだるさで、起き出す気にならず、うつらうつらする。七時にカーテンを開け、新聞を入れてまたねる。十日前までは今頃の時間は出勤する洋一や香織、大学へ行く洋樹達が台所と茶の間を右往左往していて、それなりに活気があったと今は思う。知らない町の狭い官舎住いがいやで、住みなれた自分の家に一人残ったのだが七十七歳の一人ぐらしはやはり淋しい。
(佐藤瑜璃「落葉日記」)

いや、感じ入った。作業中はいちいち感想を述べたりしないで、てきぱきスピードを上げようと思っていたのですが、こういう作品に出逢うと、作業の手を止めてでも誰かに喋りたくなる。人間像、凄い人が入って来たものですね。

 
▼ 洋三の黄昏  
  あらや   ..2024/09/09(月) 17:01  No.1116
   佐山洋三は家の中でもいちばん先に起床する。本当はもっと早くに目覚めているのだが、あまり早くに起き出しては家人の邪魔になると気がねして、布団の中でじっと我慢している。そして今日の一日をどのように過ごすことが一番よいのかあれこれと思案を巡らせてみる。なにもする事はないのだが、なにもしていないと自分がなにか大きな塵になったような気がして、家の中にいることが苦痛になってくる。
(針山和美「洋三の黄昏」)

針山さんの作品を毎号読めるのは嬉しい。前号の『シマ婆さん』からこっちは1992年4月発行の『老春』という単行本にまとめられるのですが、雑誌発表形を読むとなにか新鮮な感じがしますね。で、改めて単行本を読むと、こちらも楽しい。

『洋三の黄昏』は二日前に終わっていて、すでに村上英治『海に棲む蛍』に入っています。〈海に棲む蛍〉が何か、解るところまで来ました。あと二、三日かな。

 
▼ 海に棲む螢  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:02  No.1117
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 黎明塾の前に、肌の浅黒い骨張った貌の男が立った。雪でも払うように、肩の土埃にぱんぱんと手の音をさせている。
 倉田老師は、眼を細め抱きかかえるようにして、その男を迎えた。
「海に棲む螢を見に来ました」
 男は快活に言った。
 老師はそれに微笑し深く頷いている。
 彼が振り返った。
「頼三樹三郎です。諸君よろしく」
(村上英治「海に棲む螢」})

活字も小さく、その活字よりも小さいルビもこれまた多い。第126号だけに頼っていると時間がかかり精度も落ちるので、参考用に道立図書館に予約しました。そしたら、厚さ3.5p、696ページの本がドカッと届いたわけです。いや、吃驚。
連載第一回ということで、毎回こんな分量の作品が続くのかなあ…とちょっと心配していたけど、単行本を見て一安心。「連載」というよりは「連作」ですね。それにしても分量が凄い。『海に棲む螢』だけでも結構な長篇だと感じたけれど、これ、単行本の約700ページの内の50ページ分にしか過ぎないんですよ。単行本で読み通す人、いるのかなあ。

 
▼ O君  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:06  No.1118
   落ち着いてから入り口で貰った案内書を見る。各段の出場者名簿とトーナメント表が出ている。三段の表を見たあと一段から順に眺めていると、突然京極と言う文字が眼に入った。京極とは前の勤務先の地名である。誰かなと思って見るとO君である。懐かしさだけではない或る種の感動が胸の内に沸くのを覚えた。
(春山文雄「O君」)

私も京極にいる時、なんか剣道熱の高い町だなあ…と感じました。きっと立派な指導者がいたのでしょうね。

 
▼ 「人間像」第126号 後半  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:11  No.1119
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「人間像」第126号(128ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数15日間」。収録タイトル数は「2391作品」になりました。裏表紙の広告が変わりました。こちらも村上さんですね。

 村上英治 あした秋篠寺へ

 村上英治は吾々の仲間の中では寡作の方である。しかし、何年か置きに大作・力作と言ったたぐいの作品を書いて仲間をびっくりさせる。中でもこの『あした秋篠寺へ』は二百枚を超える長篇でありながら、詩的表現とも言うべき密度の濃い文章で緻密に描きあげていて、文字通りの渾身作となっている。
 北海道新聞の「上半期の道内文学」(62・7・11)で執筆者の神谷忠孝が次のように評している。
――二百枚をこえる長編で、末期のがんを病む妻を夫の眼から書いた作品。病室にかかっている藤島武二の複製画に描かれている女の肖像や広隆寺の弥勒菩薩への憧憬を重ねながら妻を抱く場面の文章、秋篠寺の伎芸天の描写が印象的だ。農産物を扱う会社の有能な社員としての一面も描いており、堂々たるロマンになっている――
 そのほか二篇の代表作を加えた第一創作集。


▼ 天皇の黄昏   [RES]
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:25  No.1108
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7/20講演会から帰って来て、直ぐに「人間像」第126号作業に入らないで、単行本『天皇の黄昏』デジタル化に取り組んでいました。収録作品中、『天皇の黄昏』〜『春の狂い』〜『再会』〜『古い傷跡』〜『ひみつ』〜『俺の葬式』と来て、本日、『春の淡雪』をアップし完了となったので、ここでご報告です。336ページの本に対して、作業時間は「66時間/延べ日数14日間」でした。

微妙に手が入れられていて興味深かった。針山氏の場合、書き足すというよりは、削るという修正が特徴的ですね。『敵機墜落事件』→『山中にて』みたいなケースは極めて例外的なことだったんだと知りました。『雪が解けると』(第118号)→『春の淡雪』が若干そういうケースにあたるかな。

考えている仕事がもうひとつふたつあって、それをちょっと試みてみて、時間がかかるようだったら今回は諦めて第126号作業に復帰することにします。


 
▼ 湧学館後の日々  
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:32  No.1109
  7/20講演会は、私の声が小さかったり、ピンマイクの性能がいまいちだったり、耳の遠いお年寄りが多かったりで、よく聞こえなかったとの感想がけっこうありました。イベントとしては失敗かな。資料作りに使った画像などがまだ残っていますので文章化して人間像ライブラリーに挙げるかもしれません。

次々とイベント打って客を集めるのが今どきの図書館なのかもしれないが、私には、それが図書館の客とは思えない気持もある。「新谷さんが紹介していた『三年間』という作品を読んでみたい」という声に、「スマホでもパソコンでも読めますよ」と答えて、なにか仕事したつもりになっている図書館はないだろうか。世の中にはインターネット接続料金が払えない年金生活者だっていっぱいいるし、私みたいに電話以外の機能は何が何だかわからない、ガラケー使えなくなったから仕方なくスマホに乗り換えた老人だっている。そういう人たちの「読む自由」にきちんと奉仕してこその図書館だと私は思うのだが。

……と、七年前の私ならそう思い、そう行動するのだが、最近はそのように動けるか…自信がなくなっている。スマホが昭和のテレビのように日本人に蔓延してしまった世の中を感じるからだ。「スマホで読めますよ」と答える図書館員しかいなくなった世界を感じるからだ。私は「スマホで見れますよ」と答えることにしています。

 
▼ 湧学館後の日々・インターネット版  
  あらや   ..2024/08/13(火) 01:07  No.1110
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「聞こえなかった」そうなので、インターネット版をつくりました。人間像ライブラリーの〈新谷保人〉に挙げてます。
頭の中に話した内容がまだ残っていましたので、下書き稿などはつくらず、エディタに直接書き込むという今まで一度もやったことのない方法でつくりました。そのせいなのかどうなのか、何度書き直してもパソコンの画面に表示されない画像が一枚あって、さすがに四度目の書き直し失敗で諦めました。悔しいので、こちらの方に画像をあげておきます。
講演会で話した内容以上のことは書き加えていません。文章にしてみると、本当にこれを1時間+10分でやったのかと本人が驚いてしまいますが、たしか70分でやったのです。「聞こえない」というよりは、「聞いたことのない」名前の続く70分に飽きられたのかもしれませんね。けれど、同窓会をやるつもりのない私には、こういう話しかなかったのです。
経験的にパワーポイントを使えば10分の1の努力でできることを知ってます。話す内容も、所詮は電気紙芝居だから、たらたら適当な言葉をつなげていれば何かものを言った気にもなれる。でもね、「講演」が終わったら、観客の頭の中には3%の記憶すらも残っていないんだよ。私は、それで良しとする人間が嫌いだ。

 
▼ 人間像を走る山線  
  あらや   ..2024/08/22(木) 10:53  No.1111
   温泉行きの大型バスが二台、威勢の良いデイーゼルエンジンの音を残して発車して行ったばかりの駅前は、にわかにひつそりと静まりかえつた感じで、あとに残つた一台は、先刻のロマンスカーとは比較にならぬ程の古ぼけた車体であつたが、その方が、かえつて此の小さな田舎駅と辺りの風景には、ふさわしく見えた。
 三人ほどの乗客が所在な気に窓外を見て居る切りで、未だエンジンも掛けて居ないのは、あと三十分ほどで入つて来る下り列車の乗客を待つてから発車する為である。
(渡部秀正「硫黄山」)

本当にひっそりと今日も山線は走っている。明日もこの風景が消えてしまわぬように私は動こうと思ったのです。北海道を描いたすべての作品には、その背後に山線(函館本線)が走っている。すべての読者は、あそこに線路があり駅があることを前提にイメージを膨らませるのだ。100億や200億の赤字がなんだっていうんだ。北海道の文学から駅員や旅人の物語が消える文化的損失に比べたら、こんなもの、蚊に刺されたほどの痛みでもない。

北海道文学を走る山線に突き進みたい。でも、それは、私がやるべき仕事なのだろうか。(やってもいいけど…) どこか、「北海道」を名乗っているところの仕事ではないのか。いずれにせよ、ここで頑張って抵抗しなければ一生悔いが残るような気がしている。せめて、自分の分をわきまえて、「人間像」を走る山線くらいはまとめておかなくては…と思ったのです。

 
▼ 坂の街の母校  
  あらや   ..2024/08/24(土) 17:57  No.1112
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峯崎ひさみさんの『坂の街の母校』ほか、『「山線」と花嫁たち』、『潮の風に偲ぶ』、『手帳』、『先生の指輪』の四篇を人間像ライブラリーにあげました。

すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、7/20講演会を機に、今まで「○○氏」とやっていた堅苦しい呼び方を「○○さん」に改めています。これは尊敬の念が薄れたとかそういうことではなく、そうかと云って、私は「○○」を研究する人ではないわけで、なにかそういう立場をうまく表す言葉はないかと以前から考えていたのですが暫定的に「○○さん」でやってみようということです。繰り返しますが、尊敬の念が薄れたなどと云うことはありません。むしろ「湧学館後の日々」をやってみて、これから進む方向が明確になったようで深く感謝するばかりです。

今は、机の上に溜まった書類の山とパソコンに溢れているファイル群を片付けている最中です。もう一仕事、「湧学館後の日々」関連の記事を仕上げてから、第126号作業に戻ります。

 
▼ 沼田流人伝を読む  
  あらや   ..2024/08/31(土) 14:02  No.1113
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昨日、『沼田流人伝を読む』という拙文を人間像ライブラリーにアップしました。それと同時に、二年間封印していました『文芸作品を走る胆振線』を復活させました。

『文芸作品――』は十年以上も前に書いた文章です。二箇所に事実誤認があり、とうてい人様にお見せできる代物ではないのですが、一時は人間像ライブラリーで公開していたこともあり、そういう文章がある日突然理由も知らされずに消えるというのは、それはそれで図書館としてはやってはいけない行為だと思っていました。
自分としては、『沼田流人伝』の著者・武井静夫さんに対する態度をはっきりさせる形でなら『文芸作品――』は存続させてもらってもよいのではないかと考えています。その上でなら、批判にもきちんと応えることができるような気もする。
『沼田流人伝を読む』の最後を「みなさん、本を読みましょう」という言葉で締めくくりました。笑われるかもしれないが、私の本心です。結局、私の書いたものは〈研究〉などめざしたことはなく、いつでも単なる〈読書案内〉でした。詰まるところ、「みなさん、本を読みましょう」以上のことを言ってはいないと感じています。

さて、これで、「湧学館後の日々」に触発された仕事は完了しました。明日からは「人間像」作業に戻ります。


▼ 湧学館後の日々   [RES]
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:13  No.1099
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一週間くらいかかって講演会用の資料を作りました。(まだ下書き段階ですが…) 「人間像」第125号の針山和美『シマ婆さん』を例にとって人間像ライブラリーに収録するまでを説明したりしています。こんなことを人に説明するのは初めてなのでなかなか手間がかかります。確認のため、久しぶりに「同人通信」などを読み返したりしていたのですが、手に取る資料や本がどれも面白く、ついつい読み耽ってしまって困った。今日は20日か… あとちょうど一ヶ月後ですね。(なにかドキドキしてきた…) 心を落ち着けるために第125号作業に戻ろう。

 
▼ 「人間像」第125号 前半  
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:17  No.1100
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雑誌発表形の『シマ婆さん』を初めて読んだのですが、おお!という手応えが私にはありましたよ。これ、合評会で滅茶苦茶言われるだろうなぁとは思ったが、小説としての痛快さでは単行本『老春』に収められた『シマ婆さん』を越えているのではないか。
ちょうど今、手許に「同通」があるので見てみたら、言われてる、言われてる。

村 シマに言うべき遺言をシマが死んでから、シマを意識して、スマンということは、どうしても逃げになる。
針 うん、逃げだ。
村 ここは逃げてはいけない。
針 村上さんなら逃げないだろうが。
村 ゼッタイ逃げない。
針 僕は書けない。
村 書ける書けないではない。
(「同人通信」No.212/道内同人会「125号合評」)

ううっ、凄い。『いつかの少年』が本気で針山氏に詰め寄っている。…という調子で、「同通」が手許にあるといつまでも読んでしまう。仕事にならない。元の資料保存箱に隔離してしまおう。

 
▼ 流れのアリア  
  あらや   ..2024/06/24(月) 13:59  No.1101
   「興奮していないようだ」と言う婦長の言葉に(こんな時にまで)と柚李は苦笑した。母親はいつも、「この子はお父さんにそっくりなのよ。何を考えているのか、嬉しいのか悲しいのか、ちっともわかりゃしない。女の子はもっと可愛げのある顔しなきゃ損なのよ」と心配そうに言った。柚季の大すきだった、もの静かでやさしい父は柚季が大学二年の秋、突然の心臓発作で他界した。結婚するなら絶対に父のような男性と――、と思い続けてきた柚季が、深い悲しみから立直れず、父の思い出にひたって婚期を逸してしまった。
(佐藤瑜璃「流れのアリア」)

『湧学館後の日々』の講演資料、完成しました。〈佐藤瑜璃〉というピースが入ったことによって講演の話の流れも構想できるようになり、有難いことこの上ないです。

うーん、〈父〉が出て来ましたね。

 
▼ 北の島にて  
  あらや   ..2024/07/02(火) 17:08  No.1102
   三ツ塚留雄は、礼文水道の左手に鯨の背のように浮かぶ青い島影を、いつまでも飽かずにじっと眺めていた。
 海が凪いでいるのに、フェリーボートは緩やかにローリングしていた。船酔いに似た追憶がこみあげてきた。留雄は後部甲板の冷たい風に軀をさらしながら、「あそこが生まれ故郷か……」と声にならない呟きを漏らし、回帰する鮭のイメージへ自分自身の思い入れを重ねて、島に対する得体の知れない不安と期待を込めていた。
(千田三四郎「北の島にて」)

『北の島にて』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。この作品の後、第125号作業は一時中断して、7月20日講演会への準備作業を今はやっています。それは例えば、人間像ライブラリーが始まった2017年当時、司書室BBSに書いていた作業メモを一本にまとめるとか、そんなことです。講演に直接関係があるわけではないのですが、いわば自分に対する裏付けという意味で。

『北の島にて』、大変技巧的な、それでいて物語的な力強さを失っていない、さすが千田三四郎とでも云うべき作品でした。主人公の三ツ塚留雄が、『ばばざかり』(第123号)の須賀三平の三十数年後の姿であることに気がつくと面白さは十倍。早く第125号作業に戻るべく頑張ります。

 
▼ 人間像日誌  
  あらや   ..2024/07/09(火) 11:37  No.1103
  一週間ばかり第125号作業を中断して「人間像日誌」をまとめていました。2017年度、2018年度、2019年度の三年間です。「ただいま」というスレッドから始まり、2020年の二月には武漢のニュースが入って来るという、それなりに私には激動、でも傍目には楽しい読み物に仕上がっていると思います。コロナ下の2020年以降については、また別の機会に。講演までの日にちが迫ってきました。

 
▼ 八百字のロマン  
  あらや   ..2024/07/12(金) 11:56  No.1104
   母の十三回忌の法要を終えて実家から帰る途中、ふと香月駅に寄ってみたくなった。国鉄第一次廃止線の対象となった香月線で、私は娘時代の四年間を直方の女学校へ通った。その始発駅がどうなっているか……、確めたかったのである。「それはよいことだね」と夫はうなずき、車を回してくれた。駅の周辺は想像以上に変容していた。ビルが建ち、ショッピングセンターができ、人通りも多くて活気があった。それにひきかえ、線路は錆つき、枕木は雑草に覆われ、駅舎は廃屋となって壁には板がすじかいに打ちつけられており、無残な光景であった。
(日高良子「八百字のロマン」/廃止線の香月駅で)

講演のことばかり考えているとプレッシャーで押し潰されそうだ。こんな時こそ、ルーチンの「人間像」作業をやらなければならないし、本を読んでいなければならない。それが出来た上での講演だろう…と第125号作業を意識的に再開しました。

扱う作品が日高良子さんで良かった。心が少し落ち着いた。

失敗しようと上手く行こうと、私にはこれしか出来ないのだから、講演は七年前にやっていた出前図書館のスタイルでやってみようか…とか思ったりする。

 
▼ 寅吉の故郷  
  あらや   ..2024/07/15(月) 04:58  No.1105
   「もしもそのころにギネス・ブックがあったなら、脱獄七回の五寸釘寅吉は、当然それに記録されていたろうね。逃げるとき、五寸釘の刺さった板きれを踏み抜いた。その板きれを足裏にくっつけ痛いのを我慢したまま、バタバタと二里半ほども逃げ回ったエピソードで五寸釘寅吉と言われるようになったらしいが、そんな寅吉が明和町の出身なんだ」
(千田三四郎「寅吉の故郷」)

神坂純『私の山頭火』に進みたいのだが、さすがに講演が迫ってきている。寅吉とか、松浦武四郎とか、伊勢国(現在の三重県)ってユニークな人を生み出すなあ。

 
▼ 私の山頭火  
  あらや   ..2024/07/17(水) 14:03  No.1106
   今年私がやろうとしていることは、南の島へ渡ってしまうという一事だ。人間が嫌い、日本が嫌いと言ってみても、南の島にも人が住い、彼らの国としきたりがある。それでも敢えて島に渡ってしまい度い。
 渡ることによって、何かが拓ける。それが何であるかシカと確めた訳ではないが、今迄になかったものが拓けることは、確かなようである。その新天地で、心から素直になって、あの世へ渡る準備をしたい。
(神坂純「私の山頭火〈九〉」)

やあ、第125号、最後まで来ちゃいましたね。上澤さん、ほんとにサイパン島に行っちゃうのかな…

さて、ここからは本当に7/20講演会の準備です。出前図書館(ブックトーク)スタイルでやることにしました。

 
▼ 「人間像」第125号 後半  
  あらや   ..2024/07/19(金) 10:17  No.1107
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「人間像」第125号(142ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2359作品」になりました。

7/20講演会(明日だ!)の資料作りと併走になったわりにはてきぱきと事が運んだように感じます。裏表紙は前号と同じ『愛と逃亡』ですので省略します。

さて… さて…


▼ 「人間像」第124号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/05/25(土) 18:53  No.1092
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第123号作業が終わった時点で、そろそろ〈松崎天民〉の練習を始めてみようか…という気にもなっていたのですが、「人間像」第124号の表紙見てすぐに考え直した。「人間像」としては大変珍しい、表紙にメッセージが二行書いてある。

 いつかの少年 (三百四十八枚) 村上英治
 赤提灯素描 (新同人) 佐藤瑜璃

そうか、『いつかの少年』か! そして、佐藤瑜璃さんの登場! もう124号作業に突入するしかないとなったのでした。私にとっても、この「人間像」第124号は、私が初めて手にした「人間像」でもあるんですね。『いつかの少年』を読んでひどく感心したことを思い出します。

黒子 「東西、東西……、ここもとお目にかけまするは、天下に隠れもない兇賊五寸釘寅吉が胸の奥に秘めたる真実、嘘、偽りなきざんげの一幕。それをば一人芝居にて北山品評が一世一代、一生懸命に演じますれば、皆々様にはごゆるりと御観覧のほど、願い上げ奉ります」
(千田三四郎「脱獄のかなたに、遥かな愛と憎しみ」)

昔、「人間像」同人とは知らないで、千田作品を愛読していたことも思い出す。『一人芝居・五寸釘寅吉』、本日、ライブラリーにアップしました。以下、丸本明子『萎る』、佐藤瑜璃『赤提灯素描』、針山和美『娘とマダム』、村上英治『いつかの少年』と続きます。


 
▼ 赤提灯素描  
  あらや   ..2024/05/27(月) 16:35  No.1093
   廃線で赤錆びてしまった線路を渡り、右へ折れた路地裏に赤提灯をぶらさげた古くさいトタン屋根のハーモニカ長屋のような店が五軒、ひっそりと立っている。一番手前が焼鳥の鳥源=A二軒めに、おでん、かん酒と書いた赤提灯が下っている格子戸の前に立って葉子は、ブルゾンのポケットから鍵をとり出し、古びた南京錠をあける。
(佐藤瑜璃「赤提灯素描」)

この坂を真直ぐ上って行くと左側に赤レンガ造りのランプ屋という喫茶店があります。そこを右へ曲って少し行くとやぶ半というそば屋があって、その横の小路を入ると、古い木造二階建てのかもめ荘というアパートの六号室です。
(同書)

私、この店、このアパートの六号室…と指させますよ(笑) 『父、流人の思い出』の時は、ああ、あのあたり…といったレベルの精度だったけれど、話が小樽に入って来て、俄然、楽しみが倍増して来ました。久しぶりに峯崎さんにもこの『赤提灯素描』を送ってみよう。

 
▼ 娘とマダム  
  あらや   ..2024/05/29(水) 15:50  No.1094
   「子供の頃はKと言う所にいたの。知ってる?」
 マダムがぽつりと言う。
「あッ……K」
「あら、小父さんもK知ってるのね」
 女が思わず小父さんと言う。それだけ懐かしい所なのであろう。
「知ってるよ。昔の事だけど」
 と、言いながら良太の脳裡を電撃が走った。
「どうしました? 顔色変わったわよ」
「何でもないよ。そうか、Kで生まれたのか……。どうりで見覚えがある気がしたと思う訳だ」
(針山和美「娘とマダム」)

Kは倶知安。住まいはとっくに札幌に移り、時代は平成に移っても、針山氏が書くのはいつも〈倶知安〉というところが興味深い。

『娘とマダム』はとうにアップを終えていて、今、『いつかの少年』に取組中です。この作品、第124号の192ページ中、じつに130ページを占める大作ですので、いつ完了するのかちょっと予測がつかない。考えてみれば、これも〈K〉ですね。

 
▼ いつかの少年  
  あらや   ..2024/05/31(金) 17:10  No.1095
   映写を知らせるベルが鳴った。
 場内が暗転し、客たちがどよめいた。
 スクリーンに題名が大写しされ、片岡千恵蔵の名が出ると拍手がわいた。さだも盛んにたたいているのだ、と思い慎二は笑った。
 出演者の名がスクリーンを流れていく。
 甲胄のさむらいが白い土埃をあげてこちらへ迫ってくる。まだ顔がぼやけていた。多分ちえぞうだ。慎二は息を止めて見詰めた。そのとき、遠くに山並みが見える背景が、火を付けた紙のようにふっと変色した。映像が乱れスクリーンに静止した。不満の声が吐息と共に場内をざわめかした。拡大された写真で見るような騎馬のさむらいが、めらめらと色のない焔に焦げてめくれあがった。セルロイドの焦げる刺すような臭いが流れた。客たちが総立った。危険な臭いだった。
(村上英治「いつかの少年」)

昨夜から今朝にかけて、この、昭和十八年の布袋座火災の場面をワープロ原稿に作成していました。緻密な文章のおかげで、まだ頭がくらくらしています。私の記憶では、『いつかの少年』はこの布袋座の事件をクライマックスに完結する物語と思っていたんだけど、今回作業をしてみて、この布袋座の後も話は延々40ページ分も続く作品であることを知りました。(何、読んでいたんだか…) というわけで、ライブラリー公開はもう少し先になります。

 
▼ いつかの少年(続)  
  あらや   ..2024/06/08(土) 16:56  No.1096
   「慎二お前な、小説家になれよ」
 雑誌や単行本を枕元に積み上げ、微熱にうるんだ眼をして布団にくるまっている慎二を見舞ったさだが、あきれたようにいった。慎二はその時のことを想い出していた。
「小説家って蒼白くてやせてて、軀が丈夫でないんだよな。お前にぴったりださ」
 そんなふうにもいった。今からおもうとあれはさだからの精一杯、見舞のメッセージだったのだ。読書は好きだったが、考えたこともない自分の未来像だった。苦笑が途中から薄れていく。白い羊蹄山を見詰めて眼が熱っぽくなっているのを慎二は感じた。
 火の中で生きたまま死んでいったさだたちのこと。たった四年の間にあっけなく死んでいった、父や祖父、母のこと。佐渡から北海道のこの町へ移住しなければ、少年がこんなに多くの死を見ることはない筈だった。
 佐渡にいたら俺は生まれていない。
 この町だから俺は生まれたのだ。
 だから、いろんな想いをいつかは小説に書いておくべきかも知れない。慎二はいま切実にそう思ったのだった。
(村上英治「いつかの少年」)

本日、人間像ライブラリーに『いつかの少年』をアップしました。ヤングアダルトという概念もまだない時代にこのような作品が生まれていたことに驚きもし、感動もします。針山和美『三年間』と同じく、このような作品に携われたことに感謝したい。

 
▼ 「人間像」第124号 後半  
  あらや   ..2024/06/10(月) 16:54  No.1097
   前号は四十周年と言う事で短いものを沢山載せたが、今号は村上の長篇「いつかの少年」三百四十八枚をどかんと載せた。割と遅筆の方だからかなり時間を要した作品で、また力の入れようも激しく渾身の作と言って良いだろう。
 新同人として佐藤瑜璃が加わった。沼田流人の娘さんで今後が楽しみな存在である。
(「人間像」第124号/編集後記)

第124号はこれに尽きますね。緊張感のある楽しい作業でした。
「人間像」第124号(192ページ)、完了です。作業時間は「94時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「2343作品」になりました。

http://lib-kyogoku.jp/
この後、第125号に入りますが、この号の作成作業を例に7月20日の講演用に「人間像ライブラリー」のメイキング画像をあれこれ作ろうと思っています。そのため、いつもの作業よりは時間を喰うかもしれません。
講演は開館二十周年記念の同窓会気分の依頼なのかと思って最初は渋っていたのですが、そうではない…ということなので引き受けました。極めて異例です。後にも先にもこれ一回切りと思っています。私はそれほどヒマじゃないから。湧学館でやっていた仕事と今のライブラリーの仕事がどのようにつながっているのか、お話できればと考えています。

 
▼ 針山和美第三創作集『愛と逃亡』  
  あらや   ..2024/06/10(月) 17:00  No.1098
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解説は朽木寒三氏。『愛と逃亡』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。

『愛と逃亡』は、前に「人間像」に発表されたのを読んだことがあるので、あらすじは知っているつもりだった。そしてストーリー性のゆたかな小説なので、すじを知っていることは、再読に当たって感興のさまたげになるかと思った。だが、いざ読み始めてみるとたちまちとりつかれてぐいぐいと引きずられ、読みおえたあと茫然となった。以前読んだときには気づかなかった細部の綿密さがすみずみまで分かり、次から次と行く手に新しい世界が展開するのである。
 それにしてもこの一人称で書かれた告白体の小説は、明快な文章で書かれてはいるが実に複雑で微妙な作品である。主人公の、愛と憎しみ、好ましい素朴さとずるさ、内性的な暗さと楽天的な明かるさ、引っ込み思案な弱さと意外な行動力、せつないまでの自己犠牲と利己的な攻撃性、絶望の中の希望、ありとあらゆる矛盾した心情と行為の間を揺れ動き行き来するあわれな若者の魅力が、到底小説という作り物とは思えない切実さで読者の心を捕らえて放さないのだ。
 この作品をしあげるのに、どれだけのエネルギーが必要であったことか。しかも作者はこれを、重傷の肝炎で長期入院となった病床生活の中で書いたのである。作中の、異常なまでになまなましい逃亡者の絶望と希望が交錯する心理描写は、あるいは針山和美自身の心情の吐露だったのかも知れない。
 ともあれこれは、すぐれた「愛と逃亡」のドラマであるとともに、一個の心理小説としても希に見る傑作であると思う。


▼ 「人間像」第123号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/27(土) 17:15  No.1084
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「トヨをどうする」
「聞いたって仕方なかべさ。あれがいて暮らしが立たねば、オンチャにカタルおらにしても同じことだ。いくらカマドガエシしたからって、三つになる子の食い扶持ぐらい、なんぼも掛からねべさ」
(千田三四郎「ばばざかり」)

第123号作業、始めました。世の中は連休みたいだけど、私には関係ないから。先ほど、千田三四郎『ばばざかり』を人間像ライブラリーにアップしたところです。
アップした『ばばざかり』には、「カタル(寄食する)」のように標準語翻訳?が付いているのですが、私には津軽弁が面白くてちょっといじってみました。

さて、次の平木国夫『北村喜八に乾杯』に行こう。第123号は小説だけでも十二本が並んでいるので、いつものようにラインナップの紹介は省略します。面白い作品に出会ったら、その時点でこのBBSに書きます。


 
▼ お婆さんの軍歌  
  あらや   ..2024/05/01(水) 18:35  No.1085
   あれはその年の秋も終わりにちかかった。彼女は野良帰りのままで遅い昼食を摂っていた。かまどにむかって土間に腰掛けてお茶漬けを食べていた時だ。玄関のあたりが急に薄暗くなってきた。天気が変わってきたのかとふと顔を向けた途端、そこに長男が立っていたのである。出征のときのあの凛々しい軍服姿ではなく、それは疲労困憊した黝ずんだ背嚢姿であった。彼女は食べかけの茶碗と箸を持ったままそこに立ち竦んだ。
「嘉夫、戻って来たのか」
(佐々木徳次「お婆さんの軍歌」)

うーん、切ないなあ。『天皇の黄昏』の前に、この『お婆さんの軍歌』が来るのか… 『天皇の黄昏』の迫力が倍になった。

作業は『ばばざかり』以降、平木國夫『北村喜八に乾杯』、北野広『岐路』、内田保夫『愚かなり汝の心』、丸本明子『笹舟』と来て、今、『お婆さんの軍歌』をライブラリーにアップしたところです。まだ、針田和明氏も朽木寒三氏も登場していないことからも、いかにこの第123号が分厚いかがお分かりになると思います。

 
▼ 天皇の黄昏  
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:50  No.1086
   三日目の事である。陽兵は相変わらず朝からテレビの前に噛りついていたが、一生懸命に見ているつもりなのに、いつの間にかソファの上で居眠りをしているのだった。もっとも居眠りしていても風邪を引く季節でもないので、嫁の十三子も見て見ぬふりをしていたが、そのままにして置けば置いたで、なぜ起こしてくれなかったのだと文句を言われる事もある。だから頃合を見て「お爺ちゃん、ちょうど良いところですよ」と肩を揺すってやるのが十三子の役割にもなっていた。ところが臨時ニュースのチャイムが鳴ったので、何事かと思って見ると天皇が大量の吐血をしたと言う。
「お爺ちゃん、大変よ」
 慌てて揺り動かすと、
「日本が勝ったか」
 と、とんちんかんな事を言う。居眠りを始める前の画面の事を言ってるのだ。
「なに言ってるのよ、お爺ちゃん。天皇陛下が大量に吐血したんだって」
 天皇と聞くと陽兵は直ちに姿勢を整えて、
「なに、吐血だって? で、ご容体はどうじゃ」
(針山和美「天皇の黄昏」)

追悼号で作ったファイルがすでにあるので『天皇の黄昏』は作業の必要はなかったんだけど、読んでる(作業する)のが楽しいので、またゼロから仕事してしまった。名作って、そんなもんです。

 
▼ 宝石と孤独  
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:52  No.1087
  『天皇の黄昏』以降、作業は、矢塚鷹夫『宇宙をぼくの手の中に』、日高良子『夢おこし』、土肥純光『宝石と孤独』と来て、今、針田和明『吾木香』に入ったところです。

『宝石と孤独』。四十周年記念号なのに、20年前の作品を何の手も入れずに出して来る…というのはどういうことなのだろう。こちらは、作業している途中で気づいたのだけど、ファイルを比較するのも面倒なのでラストまで作業してしまいました。半日分の時間、損した。

 
▼ サハリンの旅  
  あらや   ..2024/05/13(月) 14:23  No.1088
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 なにかなつかしい様なかんじがして来たが、この街の空気は札幌に実によく似ている。それも戦後の混乱期をようやくぬけ出した二十年代中頃のそれではないだろうか。なんとなく大雑把でそれなりに自然と調和している。札幌はあれから大きく変わりすぎたが、ここにはまだそれがある。
(竹内寛「サハリンの旅」)

針田和明『吾木香』、朽木寒三『窓の下の犬』という高い山を二つ越えて、ここからはエッセイの森が緩やかに続きます。第123号も終盤。『サハリンの旅』、よかったなあ。小樽に移り住んだ頃、このフェリーは現役でばりばり運航していたんですね。気づくのが遅かった。頭が悪かった。

 
▼ うたたかの四十年  
  あらや   ..2024/05/16(木) 18:01  No.1089
  『神様の結婚』も14年前の原稿じゃないか! また、時間を損した…
『サハリンの旅』じゃないが、こういう思いをした後には、けっこう凄い文章が来る…というのがこの第123号の面白いところ。

 考えて見れば僕は、三つのものから抜け切れないでいるようだ。
 一つ目は志賀直哉である。文学の神様と言われた志賀直哉の文章を信奉して、出来る限り修飾の少ない判り易い文章を書こうと心がけた。しかしこれは事務的で特徴のない文章だと思われる要因になった。
 二つ目は「罪と罰」である。ドストエフスキーの心理とサスペンスに溢れたこの作品がずっと意識の底にあって〈事件もの〉に興味を持たせる事になったような気がする。
 三つ目は「嵐が丘」である。荒涼たる原野に繰り広げられる野生的な恋の物語が忘れがたく舞台を山野に求めた「百姓二代」や「愛と逃亡」を書かせたようにも思える。
(針山和美「うたたかの四十年」)

おお、『嵐が丘』! 私も若い頃からのエミリー・ブロンテのファンクラブですよ。針山氏の口から『嵐が丘』の言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。そうですか…、私の愛する『百姓二代』も『愛と逃亡』も嵐が丘由来だったんですか。感激です。

 
▼ 「人間像」第123号 後半  
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:16  No.1090
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「人間像」第123号、246ページの全作業を完了しました。作業時間は「119時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「2333作品」になりました。

 昭和二十四年(一九四九年)十一月『道』の誌名で創刊してから四十年たった。十年目の区切りなので華々しく記念号でも作ろうかと考えたが、二十歳の青年も六十歳になってみると、そのような事にある種の照れを感じるようになっていた。外部の人から原稿を貰って目次面を仰々しく飾るのはよして、この際、しばらく誌面から遠のいている人に無理やり書かせるように仕組む事で創刊四十周年の意義づけをしようと言う事になった。そんな事で表紙には格別なんの文字も入れず、扉につつましく「創刊四十周年」の文字を入れる事で多少の意味合いを出した次第である。
(「人間像」第123号/編集後記)

四十年か… 「人間像」に興味を持った理由のひとつが、同人たちが私の父母とぴったり同時代だったということが挙げられます。一冊一冊の作業が終わる度に、札幌の実家の母に「あの時はどうしていた」とか聞くのが楽しみでした。最近は、発行年代も「平成」に入り、父母の「あの時」よりは、私の「あの時」を考えることが多くなっています。あと数年で、私、小樽に家族ごと移住して来る時代に入るんですね。ますます想うことが増えそう。

 
▼ 二つの柩 佐々木徳次作品集  
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:20  No.1091
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裏表紙の広告が変わりました。全文です。

 佐々木徳次にとって初めての作品集である。この中で九篇の創作を自選している。それはそのまま、彼の本誌での創作活動を物語るものであるが、二三の作品について発表時に於ける反響と彼の作品の本質にふれる解説を加えたい。〈イノックの家〉は昭和三十二年に発表され「中央公論」の書評〈日本の地下水〉でとりあげられた。――人物も事件もいちおうかけている小説はたくさんある。しかし問題のある小説ということになると、まれにしかみつからない。「人間像」45号の佐々木徳次「イノックの家」は、手法や題材にとりたててあたらしいものがあるわけでなく、戦争が狂わした一人の人間の運命、予定しえなかった悲劇を淡々と描いているだけで、数すくないもんだいのある小説の一つになっている。 (略) 過去と現在の奇妙に倒錯した状況のなかに、いいかえれば異常神経の正常さともいうべきもののなかに、現在がよりリアリスチックに表現されているという感じがする――このデビュー作の私たちに与えた影響は大であった。戦争がもたらした悲劇を、裏日本の一寒村に集約してみせたこの作品には、作者の鋭い人間観察の姿勢が伺える。標題の「二つの柩」は96号に発表され『北方ジャーナル』誌の、第二回同人雑誌賞をとっている。撰者の目黒士門の評である。――これは素晴らしい鎮魂歌だと思った。静かに歌いあげられた鎮魂歌である。赤銅色に焼けた精悍な漁師の父、十人の子を生み育て、貧乏と病いに苦しんだ母、この二人の老いと死とを何の衒も気負いもなく、淡々と語る筆致は確かである。幼い日々の両親、看病する姉の苦労、父の譜んじている経文、すべてが同じ調子、同じ高さで語られ、しかも個々の場面が読むものの心に強く迫ってくる。文章は秀逸、切々たる作者の情感をよく伝えている。審査した九篇中、もっとも読みごたえがあった。――彼の私小説の決定版といっていい作品である。父と母を、自ら語り、姉の話から拾い、淡々と話をすすめているが、私にはその背景に拡がる、裏日本の漁村がみえる思いがした。一つの評価を得た彼は、今迄自分がやってきた仕事が、始めて自分の血肉になっていたことを識って喜びにひたったことだろう。「イノックの家」と並んで、彼にとって記念すべき作品である。 (上澤祥昭)


▼ 「人間像」第122号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/15(月) 11:12  No.1080
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「人間像」第122号の表紙絵、また丸本明子さんに戻ってしまいましたね。今度は藤茂勇さんが扉絵。第122号は各小説作品にも藤茂さんのカットが入る豪華版です。
今号のラインナップは、佐々木徳次『窓のない部屋』、丸本明子『耳鳴り』、神坂純『葬いの譜』、内田保夫『市川八幡有情』、針山和美『春の狂い』の五作品。今、『窓のない部屋』を人間像ライブラリーにアップしたところです。

じつは、この次の号、第123号は「人間像」創刊四十周年記念号なのです。ほぼ同人が勢揃い、ページ数も久しぶりの246ページという大作です。早くそれに着手したいので、少しずつ作業ペースを上げているのです。「人間像ライブラリー」の40年間を7年で駈け抜けて来たわけか… 時代もついに「平成」に入って来ました。


 
▼ 葬いの譜  
  あらや   ..2024/04/17(水) 17:32  No.1081
  とむらいのふ、と読むのだろうか… あまり自信がない。詩人の言葉づかいは独特で苦労します。『私の山頭火』で部分的に語られていた上澤祥昭氏の当時の変転の全貌が、この『葬いの譜』で一気に明らかにされました。なんとも切ない気持で読んだ。こんな状態になっても、なお「人間像」の仲間たちと切れなかったことに救いを感じた。

 自分が家にいられる訳がない。そう思い込んだ私は、誰にも相談しないで家を出ることにした。二、三日は、私の近況を全く知らない旧い学友の家を渡り歩いたが、それをするにも金がかかった。そして遂には、かつて通勤電車の窓から何気なく見過していた、都心の繁華街に隣接する、一泊二百円と屋根に大書された、軒の低い木賃宿にころがり込んだ。自分が必要とする会話が全くない、蚕棚での生活は、一刻の心を休めはしてくれたが、すえた汗の匂いと、何処からともなく漂ってくる糞尿の刺激臭で、自分のみじめさがたまらなかった。
(神坂純「葬いの譜」)

平成の世になっても〈木賃宿〉の言葉は残ってたのですね。

 
▼ 娘へ/私の山頭火  
  あらや   ..2024/04/22(月) 14:36  No.1082
   あまりにも突然な友の訃報だった。三日前に偶然彼の家に寄った知人から、脳溢血で倒れていた彼を、とにかく病院に運んで帰国した、という連絡をうけたばかりだったから、彼の退院迄に一度島へ渡って、取り残された二人の子供の様子をみて来てやろう、と思っていた位なのだ。
(神坂純「私の山頭火〈八〉」)

驚いた。巻頭の詩『娘へ』、そして『葬いの譜』、『私の山頭火』はひとつの繋がった物語だったんですね。これで、第122号は、忘れられない号となりました。

 
▼ 「人間像」第122号 後半  
  あらや   ..2024/04/22(月) 14:40  No.1083
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 針山君は、いわゆる私小説ではなく他人のことばかり書く。そして色々な人それぞれの立場や心情を実によく書き分ける。殊に、たがいに対立する何人かの人々がそれぞれ自己主張をするような場面に、それがいかんなく発揮される。私は針山君の作品を読むといつも、「ひとごと」とは思えず身につまされてしまう。彼としては失敗作に属する物でもそうなのだ。
(裏表紙/「百姓二代」解説文)

朽木氏の言葉が身に沁みる。こんなに的確に、しかも愛情を持って針山和美の小説を語れる人、他に知らない。『春の狂い』、ストーリーだけ追えば、そんな馬鹿な!なのだが、針山氏が書くと、きちんと目の前に『春の狂い』の光景が出現する。

「人間像」第122号、先ほど完了しました。110ページの作業時間は「46時間/延べ日数8日間」。収録タイトル数は「2305作品」になりました。もしかしたら最速記録、更新?


▼ 「人間像」第121号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/04(木) 18:25  No.1077
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第120号が完了した翌日には、「人間像」第121号作業に入っています。
表紙絵が変わりましたね。第120号までは同人の丸本明子さんが描いていたのですが、今号からは藤茂勇さんが担当するみたいです。丸本さんは扉絵の方に移りました。
今号のラインナップは、朽木寒三『縁の下の砦』、内田保夫『これが規程だ』、丸本明子『つくし』、針山和美『俺の葬式』の四作。今、第121号の半分くらいを占める長篇作『縁の下の砦』を人間像ライブラリーにアップしたところです。いやー、面白かった!


 
▼ 縁の下の砦  
  あらや   ..2024/04/04(木) 18:28  No.1078
   とにかく、三つか四つの頃から並はずれて生き物を好む子供だったが、中でも馬が大好きで、やっと鉛筆を持って物の形らしいものを書くことができるようになったとき、まず描いたのが馬の絵で、それ以来、描く絵は全部馬ばかりだった。
 絵とはいっても、紙の上に横向きの細長い四角を書き、頭の部分は簡単な丸ですませて、そのあとは首も四つ足も一本の細い線という簡単なものである。だが、何枚も何枚も紙のありったけ同じものをくりかえし書きつづけて飽きることがない様子なので、父親の勇治が、
「これ何んの絵だ」
 と聞くと、昭は小さな胸を張り、
「馬っこだ」
 ためらうことなく明解に答えた。
(朽木寒三「縁の下の砦」)

いつもの〈斎藤昭〉シリーズとは趣を異にして、この作品では〈斎藤昭〉の幼少期が語られる。シリーズにこの一作が入ると、シリーズ全体の物語世界が十倍ぐらいに拡がりました。これは、朽木寒三の〈イーハトーヴ〉か。

 
▼ 「人間像」第121号 後半  
  あらや   ..2024/04/10(水) 11:16  No.1079
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「人間像」第121号、完了。112ページの作業時間は「52時間/延べ日数8日間」でした。収録タイトル数は「2294作品」に。

 ながーい昭和が、やっと終わった。六十二年間のうち、戦争に明け暮れたのは四分の一くらいだったが、まるまる昭和を生きて来た者にとっては、半分くらい、いや、それより長い期間だったような気がする戦争だった。昭和とか日の丸と言えば戦争のイメージばかりが強いが、昭和とともに戦争も永久に去り二度と来ないで欲しい。きっとそんな願いを込めての「平成」だと思うが、永い平和を期待したいものだ。
(「人間像」第121号/編集後記)

またまた裏表紙が変わりました。『百姓二代』を朽木氏が評するなんて素敵じゃないですか。

 針山君は、いわゆる私小説ではなく他人のことばかり書く。そして色々な人それぞれの立場や心情を実によく書き分ける。殊に、たがいに対立する何人かの人々がそれぞれ自己主張をするような場面に、それがいかんなく発揮される。私は針山君の作品を読むといつも、「ひとごと」とは思えず身につまされてしまう。彼としては失敗作に属する物でもそうなのだ。
 彼のもう一つの特色は、他人のことばかり書くのに、どの作品にも必ず、針山和美自身が影の形にそうように表現されていることだ。だから針山君の作品は、ある意味では非常に切実な『私小説』だと思う。


▼ 「人間像」第120号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/03/24(日) 00:43  No.1072
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三月下旬より「人間像」第120号作業に入っています。丸本明子『夜叉』、内田保夫『選ばれた男』、針山和美『再会』と順調に来て、今、朽木寒三『凸凹三人衆』をやっているところです。前半とは言いながら、この『凸凹――』を仕上げると、もう作業のページは20ページ余りですから、もう後半と言ってもいいのかもしれない。なにか怖いぐらい順調です。

 京都の上醍醐にある、准胝堂という観音堂は、上醍醐寺にあり、麓の下醍醐から急な山道を四キロ登った所にある。
 准胝堂には、准胝観世音菩薩が祀ってあり、西国三十三ヵ所の巡礼札所のうちの第十一番だ。
 徳大寺宗利は、山道を登りはじめた。案内書によれば、ここは西国巡礼の寺では、第三十二番の観音正寺とともに難所のひとつであるという。
 徳大寺は、開伽井と呼ばれる湧き水の所で足を止めて、汗をぬぐった。
(内田保夫「選ばれた男」)

へえー。いつもの京成電鉄界隈から始まる物語が内田保夫氏だと思っていたから、今回の『選ばれた男』の京都にはびっくりしました。こんな技もあるのね。


 
▼ 再会  
  あらや   ..2024/03/24(日) 00:51  No.1073
   安川敬一が田坂寿子に出会ったのは、本当に偶然であった。
「鈴木佳弘さーん」
「安川敬一さーん」
 と続けて呼ばれて薬局の窓口に薬を貰いに行って行きあった。行きあったと言っても敬一は全然気がつかなかった。
「やっぱり、敬一さんなんですね」
 そう言われて、その女性の顔を見ても敬一はまだ分からなかった。
 (中略)
「そうじゃないかと思ってさっきから見ていたのよ。でも人違いなら困るので名前を呼ばれるまで待っていたの」
 そう言ってにこにこと笑う。美しい笑顔である。美しいと言うより敬一の好みのタイプなのだ。年甲斐もなく動悸が激しくなった。
(針山和美「再会」)

つい先月、『百姓二代』の強烈な四篇をやっていた身には、『再会』は鰊にすっきり冷えたビールのような味わいでした。春が近い。

 
▼ 凸凹三人衆  
  あらや   ..2024/03/25(月) 17:05  No.1074
   試みに手もとの『岩波』の小型国語辞典によって『ばくろう』の項を見たら次のように書かれていた。
「ばくろう【博労、馬喰、伯楽】 牛や馬の仲買い商人。産地の農家から牛馬を買い取り、それを広く売りさばいたり交換したりする。◇『伯楽』の転」
 (中略)
 殊に、「交換したりする」の一語には恐れ入った。馬喰は牛馬の売り買いももちろんするけれど、まさに『交換』こそが主目的の営業なのである。考えてみると私は子供の頃北海道でそだち、友達と何かを取りかえたい(交換をしたい)ときさかんに「バクルベ」を連発したものだが、これはあるいは「バクローするべ」が原型のことばなのかも知れない。(朽木寒三「凸凹三人衆」)

朽木氏のお父さん(水口茫氏)は倶知安中学の先生をしていたそうです。なぜか私の手許にある『北海道倶知安高等学校50年史』(←針山家から頂きました)にもお名前が見えますね。〈子供の頃〉の話なので、朽木氏と針山氏に倶知安での面識はなく、二人が出会うのは戦後の投稿雑誌時代になります。

 
▼ いじめについて  
  あらや   ..2024/03/27(水) 18:50  No.1075
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 僕のクラスにK子と言ういじめられっ子がいる。幼稚園時代からいじめの標的にされていたと言う事だ。
(春山文雄「いじめについて」)

『嫁こいらんかね』の着想がこんなところにあったなんて… 感じるところの多い文章でした。『百姓二代』の広告が第120号にあったので掲示します。針山氏の20代、30代、40代、50代を代表する自信作という理解でいいのかな。

 
▼ 「人間像」第120号 後半  
  あらや   ..2024/03/27(水) 18:54  No.1076
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ついに第120号まで来たぞ! あと70冊。
122ページの作業時間は「42時間/延べ日数7日間」、収録タイトル数は「2286作品」になりました。なにかてきぱきと仕事が進むなとは感じていたのですが、まさか40時間代になるとは思ってもみませんでした。「人間像」史上、最速でしょうか。

裏表紙が変わりました。こういう内容です。

 遠い疼き

 これは千田三四郎の六冊目の作品集である。今まで出した五冊のうち三冊は旅芸人「乾咲次郎」の伝記であり、『詩人の斜影』は啄木を巡る愛の群像を描いたものだった。伝記小説ではないが、その係累に属するものだった。従って千田自身が掘り起こした題材は『草の迷路』一冊と言ってよかった。しかもこの五冊はすべて長篇ばかりだったが、今度初めて短篇集を出すことになった。しかも珠玉揃いの好短篇集である。
 調べてみると、千田はこれまで二十五篇の小説を「人間像」に発表してきたが、その総枚数は二五〇〇枚に達する。一篇平均一○○枚と言うことになる。ところがこの集に収められた七篇は六十八枚を最長に平均五十枚で比較的短いものばかりであるが、この長さが千田の体質に合っているようだ。と言うのも、この長さのものに佳いものが多いのである。日常的な、事件とも言えない出来事の中に人間性を見事に捉えて味わい深い作品となっている。珠玉揃いと思う所以である。(針山和美)


▼ 「人間像」第119号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/03/01(金) 05:56  No.1066
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二月中旬より「人間像」作業に復帰しています。丸本明子『花吹雪』、楢葉健三『あやつりの逃亡』、佐々木徳次『その男』、矢塚鷹夫『エデン』と来て、昨日(四年に一度のうるう日)針山和美『嫁こいらんかね』をライブラリーにアップしたところです。あと、朽木寒三『踊り子栄治影一勝負』、針田和明『迷界』を残すのみ。久しぶりの「人間像」作業ですが、意外と腕は鈍っていない。

 
▼ 嫁こいらんかね  
  あらや   ..2024/03/01(金) 06:02  No.1067
   二人を乗せたオートバイは、すがすがしい秋風を切って山を駆け降りた。
 途中の中山峠は細くて険しい砂利道である。一歩誤れば千仞の谷でもちろん命は無い。しかしおんちゃはあまりスピードもゆるめず右に左にカーブを切って駆け登った。雪子は声も出さずしっかりとおんちゃの腹にしがみついていた。
 頂上付近で一休みする。遠くに頂上を白く染めた羊蹄山がはっきりと輝き雪子を感激させた。
「わあ、綺麗だ。こうして広い景色を眺めていると下界の嫌な事なんかみんな忘れちゃうね」
(針山和美「嫁こいらんかね」)

この、たたみかける山麓の風景がたまらない。好きな針山作品は?、おすすめの針山作品は?と聞かれることがあると、いつもは『愛と逃亡』とか『百姓二代』とかと答えるのだが、たまに間違って『嫁こいらんかね』と答えてしまうこともあった。

 
▼ 踊り子栄治影一勝負  
  あらや   ..2024/03/04(月) 10:58  No.1068
  舞い込んだ舞い込んだ
御聖天が先に立ち、福大黒が舞い込んだ
四方の棚をながむれば
飾りの餅は十二重ね、神のお膳も十二膳
若親分、英七つぁんも末繁盛で
打ち込むところはサー、何よりもめでたいとナー
(朽木寒三「踊り子栄治影一勝負」)

やー、今回もサイコー。舞台も、私の好きな岩手県だし。

部屋の窓から見える小樽湾が少し碧(みどり)がかって来た。春かな。まさに、舞い込んだ、舞い込んだ…ですね。

 
▼ 迷界  
  あらや   ..2024/03/08(金) 11:00  No.1069
   かれこれ四時間あまり、僕は小説を読んでいた。あと十数枚で読みおわる。途中、三回電話がかかってきた。一回目は家族からであり、二回目は友人からだった。三回目は、むこうに人の気配はしたが無言であり、僕の声をじっときいているような無気味な電話であった。一体誰なのだろう、もしもしくらい言ってもよさそうなのに、と僕は思ったが、耐えられなくなってこちらからきった。柱にかかっている安物の時計が雨音に負けてなるものかといわんばかりにコチコチと音をたてている。その音は夜が深まるにつれて大きくなっていった。時を刻む音が規則正しいだけに、コチコチと無機質になる音をひとたび耳でとらえると、五分でも十分でもその音にのめりこんで聴いていることがある。そうしていると妙に僕の心が和んでくるのだ。
(針田和明「迷界」)

針山和美、朽木寒三、針田和明と、「人間像」大御所の三作品が並ぶのは壮観でした。針田氏の妙に沈んだ文体が気になる。

 
▼ 「人間像」第119号 後半  
  あらや   ..2024/03/08(金) 11:06  No.1070
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昨日、「人間像」第119号(134ページ)作業が完了しました。作業時間は「69時間/延べ日数13日間」、収録タイトル数は「2269作品」になりました。
裏表紙は第118号と同じですが、前回の画像があまり良くなかったのでもう一度載せます。

針山氏の『嫁こいらんかね』発表を受けて、この後、単行本『百姓二代』の復刻に入ります。もうワープロ時代に入っていますから、手書き時代のような細かな修正が入った清書原稿ではないのでしょう。そんなに作業時間はかからないと思います。ただ、『百姓二代』の大胆な修正には驚いた。

 
▼ 百姓二代  
  あらや   ..2024/03/17(日) 11:23  No.1071
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単行本『百姓二代』に載っている作品は、『百姓二代』、『傾斜』、『山中にて』、『嫁こいらんかね』の四篇。

「百姓二代」は昭和三十三年の作で最も古いものだが、また僕の二十代最後の作品でもあって愛着あるものである。結婚して初めての冬休みに何度か徹夜までして書いた思い出深い作品でもある。当時農村に住んでいた事もあり、百姓物に大きな関心を抱いていた。幾つか書いた中で比較的反響の良かったものである。
「傾斜」は、肝炎で長期間入院生活をしていた時の体験を生かして書いたもので、僕にとっては忘れがたい記念碑的作品である。病気そのものについては当時「病床雑記」(七〇〇枚ほど)に書いており、小説としては前集に載せた「三郎の手紙」くらいしかない。考えて見ればもっと書いて然るべきと思える。
「山中にて」は『京極文芸』に「敵機墜落事件」として書いたものを少し加筆し『人間像』に再掲したものである。まだ書き足りないと言う指摘もあったが、蛇足になるような気がして出来なかった。その辺が僕の限界らしい。
「嫁こいらんかね」はつい最近のもので、僕の目指すユーモアが少しは生かされたかなと考えている物のひとつである。
(針山和美「百姓二代」/あとがき)

雑誌発表形から、針山氏が何を捨て、何を足したかを知ることができる、私の大切な一冊です。復刻作業には、ここまで来た…という幸福感がありました。この気持を持って「人間像」第120号に入ります。



 


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