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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第104号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/12/04(日) 18:57  No.940
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柚木完三は、三十代のはじめからかかって十年間準備をつみ重ね、そのあとつづいて二冊書いた。中の一冊はモデル問題をおこして、主人公周辺の家族たちがやたらうるさくて、発行と同時に絶版になってしまった。だが幸いもう一つの方が、十年以上も生き残って、今夜の、こういうことの原因になったりしている。
 だが、柚木完三はこの十年間、完全に打ちひしがれて、挫折感のとりこになり、再起不能の実状である。
(朽木寒三「柚木完三の孤独な人生」)

十二月より「人間像」第104号作業スタートです。先ほど、朽木寒三『柚木完三の孤独な人生』をライブラリーにアップしました。(作業していて、ちょっと涙出た…) 以下、内田保夫『残照の中の華』、佐藤修子『未だ見ぬ子へ』、針田和明『志保』、神坂純郎『水脈(第二回)』、針田和明『阿片秘話(第四回)』と続きます。


 
▼ 未だ見ぬ子へ  
  あらや   ..2022/12/08(木) 10:07  No.941
  本日、佐藤修子『未だ見ぬ子へ』、アップしました。「属望」「非害」「異和感」などの表記は作者独特の言葉づかいですので直さないでそのまま載せてあります。唯一直したのは、

フォーカスのかかった画面には、鈴蘭のような花替をさして微笑んでいる朋子の白いふくよかな顔、

いくつか漢和辞典を引いても「花替」という言葉は見つかりません。これが「花簪」の誤植(旭川刑務所製)だと気がつくのに三十分くらいかかりました。まだまだ修行が足りない。これから、針田和明『志保』にかかります。


▼ 「人間像」第103号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/11/02(水) 16:32  No.934
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十一月より「人間像」第103号作業を再開。先ほど、神坂純郎『水脈(第一回)』をライブラリーにアップしたところです。以下、佐々木徳次『春は名のみの』、針山和己『山中にて』、金沢欣哉『温泉ノート』、白鳥昇『松露と蟹のパテ』、福島昭午『呪縛の里』、針田和明『蛇行』と小説6編が続きます。そして、巻尾はここのところお約束の『阿片秘話(第三回)』ですからね。帰って来たなぁ…という感じが半端なくする。

もう十一月か… 初雪があったり、庭の樹の冬囲いやタイヤ交換やらなきゃならなかったりで、作業時間は夏場に比べるとかなり減りますね。


 
▼ 春は名のみの  
  あらや   ..2022/11/10(木) 17:15  No.935
   春は名のみの風の寒さや
 谷の鶯歌は思えど

 野崎はこの歌が好きだった。この曲が流れるのは、きまって年が明けて寒い冬のさ中である。春を待つ人の心がこの歌を求めるのであろうか。前を走る車の中にいる緋沙子親子たちに、本当の春の来るのはいつのころであろうか。
(佐々木徳次「春は名のみの」)

こういう作品に感じ入ってしまうのは、年とったってことなのかな。

 
▼ 山中にて  
  あらや   ..2022/11/10(木) 17:20  No.936
   それにしても、吉川の単独犯だろうか。打田らと組んでの共犯なのだろうかと考えたが、もちろん結論など出なかった。ただ、なんということもなしに、吉川の単独犯だったかも知れないと思うのであった。いずれにしても、今さら罪もない遺族の人々に、苦汁をなめさせることはないと思った。彼は小笠原老人への電文を考えながら、さらにアクセルを踏みこんだ。
「オオムラセイジシノイショワ ホンニンノモノニマチガイナシ イデカツジ」
(針山和美「敵機墜落事件」)

1979年4月発行の「京極文芸」第十号ではこのようだった結末が、八ヶ月後の12月発行の「人間像」第103号の『山中にて』では百八十度異なる展開をみせます。私は京極町の図書館時代、当然『敵機墜落事件』の方を先に読んでいますから、単行本の『山中にて』に出会った時は腰が抜けるほど驚きましたね。と同時に、針山氏の作家としての力量を嫌というほど感じました。以降、どんどん針山氏にのめり込んで行くことになった忘れられない作品の一つです。

 
▼ 呪縛の里  
  あらや   ..2022/11/15(火) 12:48  No.937
   トーマル地域といっても、かなりの面積である。古宇川の上流にいくつかの支流がある。峠あたりが分水嶺であろう。昭和二十三年の雪解け後に、樺太引揚者十七戸が入殖した。その場所を正式の公文書で「トーマル殖民地」としている。
 トーマルの奥地は戦前も時を隔てて何戸か入殖を試みた人々がいた。いずれも敗残の憂き目にあっている。明治から大正末期にかけては山師もかなり入ったという。金床や銀床を見つけにである。たしかに金銀を含んでいたが、品位が低かった。
(福島昭午「呪縛の里」)

先ほど、福島昭午『呪縛の里』をライブラリーにアップしました。白鳥昇『松露と蟹のパテ』はすでにアップ済み。これから針田和明『蛇行』に入ります。

昔、デジタル・ライブラリー化をあれこれ模索していた頃、この第103号を実験台にしていたことを『呪縛の里』を読んでいて思い出しました。なぜ第103号だったかというと、この号が私の持っている「人間像」では最古の号だったから。「トーマル」じゃないけど、なんか、懐かしい地点に戻って来たなぁという気がしてます。

 
▼ 蛇行  
  あらや   ..2022/11/21(月) 14:24  No.938
   「俺もこういううちに住みたいな」と、良平がいった。
「良さん、はやく芥川賞とれよ」と、康夫がいい、「賞をとったら、夢ではないぞ」と、にやっと笑ってつけ足した。
「俺はいつも直木賞だ、芥川賞だ、といって一作完成するたびに吹聴してるんだ、ところが反響をうかがうといつも駄目なんだなぁ、(中略) 俺が『北方文芸』でさんざん痛めつけられるのもわかるな、作品がよければ評価も違ってくる筈だ、それまで書きつづけてやるさ」と、良平はいった。
「良さん、どんどん書くといい、それをまとめて本にするといいんだ、俺、百冊位さばいてやるから」と、道昭がいった。
「俺は五冊さばけるぞ」と、康夫がいった。
(針田和明「蛇行」)

『北方文芸』…には吹き出してしまった。私も、『人間像』のデジタル復刻なら喜んでやるけど、『北方文芸』の復刻なんて全然意味が見出せませんけどね。針田さんの本って、結局、この世に現れていない。「人間像」の仕事が完了して、まだ指が生きていたら、渡部秀正さんと針田和明さんの本は製本してみたい。

 
▼ 「人間像」第103号 後半  
  あらや   ..2022/11/30(水) 10:05  No.939
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昨日、230ページの「人間像」第103号作業、完了しました。作業時間は「174時間/延べ日数32日間」、収録タイトル数は「1979作品」。

インクが薄くOCRで読み取れず、『阿片秘話』の辺りからはほぼ手打ち作業となったのでミスが多いかもしれません。時間の割に日数がかかっているのは冬支度のあれこれに時間をとられたためです。
地球温暖化をまざまざと感じる十一月でした。昨日まで降雪がなく、せっかく作った庭木の冬囲いもネットシートの間抜けな青色をさらしていました。今朝、ようやく雪が降り始め、なんとなく冬の覚悟がついたところです。
さあ、第104号。先ほどちらっと見たのですが、小説部分の活字が幾分大きくなっている。ありがたい。インクは相変わらず薄いけど。


▼ 脇方の思い出   [RES]
  あらや   ..2022/10/31(月) 16:40  No.932
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 掘れば無くなると判って居る。過去五十年、長かったとも短かかったとも言えるが、開山当時から関係し、終山式まで見届けたという例はあまりない。先日御招待を受け、懐かしの脇方へ参上し、昔ながらの山神社社殿で終山式、次いで殉職者慰霊碑の参拝、採掘の見学などをし、誠に感無量だった。
 第二の故郷ともいうべき脇方に再び訪れるのはいつの日のことか? 次に行われた京極公民館での開宴の際、乞われるまま壇に立ったが、喉がつまり声が出ずに見苦しい顔を御見せした事を御詫び致します。
(大町政利「脇方の思い出」)

佐々木六郎著『わっかたさっぷ』の中から、大町政利の文章『脇方の思い出』をライブラリーにアップしました。大正八年に鉄道院北海道建設事務所が発行した『東倶知安線建設概要』以外、倶知安―脇方間の鉄道が生まれた「事情」を語る資料が身近になく、昔から『脇方の思い出』を使わせていただいています。鉄道関係の文献や当時の新聞記事などはあまり調べていません。私が知りたいのは、東倶知安線が生まれた「事情」であり、タコ部屋が生まれた「事情」だったのです。


 
▼ 文芸作品を走る胆振線  
  あらや   ..2022/10/31(月) 16:45  No.933
  『脇方の思い出』を今一度精読するにあたり、京極高徳と大町政利について私の事実誤認がありました。従って、ライブラリー上の『文芸作品を走る胆振線』を廃棄することにしました。
これを発表した当時は武井静夫著『沼田流人伝』の影響下にあり、当然、『血の呻き』はこの世に存在しないという前提で書かれています。今回、京極高徳と大町政利についての事実誤認が明らかになってからも、その部分を書き直したりもしたのですが、土台自体が歪んだ状態での書き直しは無理とわかり、文章全部の廃棄を決心しました。
将来的にどうするかはまだわかりません。しかし、この度『血の呻き』から『監獄部屋の人々』までの流人作品を読み返した経験は大切なものだと思うし、いつもの「人間像」作業に復帰することで冷静を取り戻したなら、それでも書きたいことが残っているのならば、その時は書きたいと考えています。

流人復刻のきっかけとなったプリンター故障ですが、やはり、プリンターを買い替えました。一時的に直ったかに見えたのですが勘違いでした。その後、どんどん色の調子が狂い、筋が入り、もう駄目だ!となったわけです。時局というべきか、三年前の値段の倍になっていたのには驚いた。


▼ 監獄部屋 前編   [RES]
  あらや   ..2022/10/15(土) 09:53  No.926
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昨日、『監獄部屋』前編をライブラリーにアップしました。ルビ処理で丸々一日かかってしまった。前編の内容は先日アップした『地獄』と同じですから、新字新かなの取扱いについて、北海道文学全集編集委員会と比較していただけると有難い。(幾分踏み込んだ処理をしました…)

伏字について。『北海道文学全集』の場合は、「三人の監視者は、……………葬ってしまった」のように、三点リーダー(………)のみで表記されていたのですが、金星堂版は、

 「三人の監視者は、     、……………葬ってしまった」

のように、三点リーダー表記と空欄表記の二種類が使われている。私は空欄表記の字数を数えて忠実に表記しましたが、たぶんこの空欄が原因で、えあ草紙で読む場合に一行が時々間延びする現象が起こっています。残念だけど、今のところどうすることもできない。機械の故障でも、私のミスでもありません。みんな、伏字が悪いんです。


 
▼ ペルシャの坊さんの物語  
  あらや   ..2022/10/16(日) 09:22  No.927
   これらのことは、あまりに奇怪な話だ。
 この聖代に行われた事とは思われぬ。
 きっと、ペルシャの坊さんか何かの物語だろうと、或人が言った。
 私も、そう思う。確実(たしか)にそうだと……。こんな事実が眼を蔽わぬ人の総てに見得るのは、きっと今の世が、その聖代でも何でもなく、ペルシャの坊さんの物語の世界だからであろうと……。

いや、凄い。『血の呻き』にも聖書や仏典の引用はふんだんに散りばめられていたけれど、流人はタコ部屋の光景に聖書などの世界を発見(みつけだ)そうとしていることにちょっと感動した。『血の呻き』に見られた「啜り泣いた」みたいな甘い表現が削ぎ落とされていて、ここに『地獄』を経て来た流人の進化がある。さらに、伏字でずたずたにされて、世界の姿が明瞭に見えないことが奇異(ふしぎ)な効果を与えている。

書という芸術領域に目覚めたのか、あるいは、美人の奥さんをもらって自分の人生と和解したのか、私は、流人を、『血の呻き』の内面世界を棄てて、タコ部屋を語る倶知安に住む知識人の道を選ばざるを得なかった人と思っていました。だからこそですが、流人の内面にまだ「ペルシャの坊さんの物語」が生き残っていたことに驚きもし、感動もしています。晩年、流人が書いていたという原稿『ライチシの涙』、読んでみたい、どこかに奇跡的に残っていないものか。

 
▼ 再び通りすがり者さま  
  あらや   ..2022/10/18(火) 10:55  No.928
  先ほど、『監獄部屋』後編の中に、

そして、陰鬱の檻の中に、孤独(ひとり)で跼(かが)まった。

という箇所を見つけました。「かがむ」「かがまる」は北海道(と言っても、石狩・後志地方しか知らないが…)で使います。「かがむ」は一般的に日本のどこでも使われると思いますが、「かがまる」は「食べらさる」などと同じく北海道独特の用法です。私も、子どもの時に、「かがまらさって」などと言ってました。

ちなみに、掘る会の「せぐくまる」ですが、七十年近く生きて来て、北海道でも東京でも、身のまわりで「せぐくまる」を使った人を知りません。

 
▼ 監獄部屋 後編  
  あらや   ..2022/10/21(金) 18:09  No.929
   それは、怖ろしい印刷だ。
 そこにも、ここにも惨に押込められた活字が、苦悶している。呻吟している。
 鉄鎖のような枠が、辛うじて彼らをそこへ締めつけて動かさないのだ。全面に互るこの甚しい誤植は、読むに耐えないじゃあないか。
 何と言う暴戻な大組だ。それにこの錯誤だらけのルビは…………。
 彼らはケースを泥濘の中へ倒壊(ひっくりかえ)した。

いや、後編、難しい。というより、混沌としすぎている… 『血の呻き』の幼女殺しの発端が一瞬垣間見えたり、そうかと思えば、『監獄部屋の人々』を予感させるような退屈な「タコ部屋」論があったりとぐちゃぐちゃだ。伏字がさらに拍車をかける。

上に引用した部分、なんと言えばよいのだろう。これは、活版印刷の活字を組んだ枠ケースをタコ部屋に見立てているのだろうか。「タコ部屋」論の次に、「さて、どこに行ったものだろう」として、この彼(活字)の物語が劇中劇のように唐突に始まるのだからたまらない。『血の呻き』から随分遠いところへ来ちゃったものだ…と感じました。

 
▼ 監獄部屋の人々  
  あらや   ..2022/10/21(金) 18:14  No.930
  『血の呻き』―1923年(大正12年)6月発行
『地獄』(雑誌「改造」)―1926年(大正15年)9月
『監獄部屋』―1929年(昭和4年)2月

『血の呻き』で始まった沼田流人の小説活動は、九年後の『監獄部屋』で終わりを迎えると考えられます。今のところ、『監獄部屋』後、活字になった流人の作品は、

『監獄部屋の人々』―1960年(昭和35年)7月

実に三十年の沈黙を破って、『日本残酷物語 第五部 近代の暗黒』に収められたこの一編しか私は知りません。(これからも探す努力を続けたいと思います)

一応、記録として。『監獄部屋』166ページ、『監獄部屋の人々』25ページに対して、作業時間は「70時間/延べ日数12日間」でした。
流人関連として、もう一作品、大町政利『鉄石山人』という作品を手掛けて、十一月には「人間像」作業に復帰する予定です。あともう一つ。壊れたコピー機ですが、この前、用があってコピー機能を使ったら、なんと治っていました!

 
▼ Re:監獄部屋の人々  
  通りすがり   ..2022/10/31(月) 00:23  No.931
  あらや様

跼(せぐくま)は、近代文学作品において僅かながら用例があるので判断しかねていました。

“跼(せぐくま)”の例文|ふりがな文庫
https://furigana.info/w/%E8%B7%BC:%E3%81%9B%E3%81%90%E3%81%8F%E3%81%BE

>跼(かが)まる
あらや様のおっしゃるとおり、北海道で使われている言葉ならば、その「読み」にて解釈したくなります。検証ありがとうございました。参考にさせていただきます。


▼ 血の呻き   [RES]
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:43  No.918
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またプリンターが壊れてしまった。これで二回目。原因は解っています。コピーの取りすぎ。小資本の個人商店ゆえ、地方公務員や大学研究者が使っているようなリース料月額ン万円もするコピー機は無理です。金もスペースもない。量販店で売ってる安いコピー機でやってます。
スキャナ機能はまだ生きているので、京極時代に作った〈沼田流人〉関連の資料を全部スキャンしておくことにしました。機械を買い替えることは決定済みだけど、その新しいコピー機の負担を少なくするためにも、今できる作業は全部今の機械でやっておこうと考えたのです。
『血の呻き』、『地獄』、『監獄部屋』、『監獄部屋の人々』(日本残酷物語・第五巻)…、活字化された流人作品を次々スキャンし、OCRにかけてるうちにだんだんと腹が立ってきた。頭の中に、昔、「札幌郷土を掘る会」が編集発行した『小説「血の呻き」とタコ部屋』を思い出すからだ。


 
▼ 小説「血の呻き」とタコ部屋  
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:46  No.919
  発禁になっただの、タコ部屋に潜入取材しただの、雪子と菊子が姉妹だの、妄言の限りを尽くす「札幌郷土を掘る会」には以前からあれこれ言いたいことが山ほどあるのだが、今は反論しないことにした。その代わり、『血の呻き』を全文復刻する。人間像ライブラリーに。
誰もが直接に『血の呻き』を読むことができさえすれば、〈沼田流人〉にまつわる意図された言説は自然に淘汰されて行くことだろう。それを信ずる。それがライブラリーだ。

というわけで、「人間像」作業を一時中断して、九月初旬より『血の呻き』のデジタル化を進めています。全五十章のうち、現在、第二十五章を終えたところです。暫定的に作業をまとめ、現在、「第一〜十七章」をライブラリーにアップしています。以下、「第十八〜三十八章」「第三十九〜五十章」と三つのテスト版を発表し、最終的に、全五十章を統合した『血の呻き』完全版に至る予定です。

「札幌郷土を掘る会」が云ってるような、『血の呻き』に第一部〜第三部などという構成はありません。第一章から第五十章までの「藤田明三」を巡る物語が展開されているだけです。もうすぐ「第十八〜三十八章」部分もアップされるでしょうから、『小説「血の呻き」とタコ部屋』がどういう本なのか、より明瞭になると考えています。

 
▼ 沼田流人伝  
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:50  No.920
  『血の呻き』作業が完了したら、参考として、『地獄』も復刻してみたい。

沼田流人・ぬまたるじん。
明治三一年(一八九八)六・二〇―昭和三九年(一九六四)一一・一九。小説家。岩内郡老古美村(現・共和町)生まれ。はじめ山本一郎といい、明治三八年に養子となって沼田明三となる。大正一〇年二月の「種蒔く人」(秋田版)に小説「三人の乞食」が掲載されたが、発売禁止になったため本人はその事実を知らなかったという。倶知安・京極間の軽便鉄道の敷設工事がはじまったのは大正六年からだが、倶知安に居住していた流人はその土工たちの悲惨な労働を見聞し、それをもとに長篇小説「血の呻き」(叢文閣、大一二・六)を刊行した。発売禁止になったが、同じ素材によったのが同一五年九月の「改造」に載った「地獄」である。ついで昭和五年には「監獄部屋」(金星堂)を上梓した。流人は倶知安の地で労働運動の協力者として地味な生活を送ったが、戦後の二三年五月から倶知安高校で書道の講師を勤め、その地で没した。
(北海道文学全集・第六巻/沼田流人略歴)

北海道文学全集は事もなげに「発売禁止になった」と言ってるが、きちんと調べたのだろうか。「同じ素材」と断定したのは誰。(沼田流人はすでに亡くなっている)

流人についてのすべての誤読の出発点が、この、「北海道文学全集」の『地獄』だと私は認識しています。その、1980年6月(第六巻の発行日)の地点まで戻ることには意味があると考え、ここに復刻する次第です。

 
▼ Re:沼田流人伝  
  通りすがり者   ..2022/09/23(金) 20:17  No.921
  はじめまして。
最近、沼田流人『血の呻き』(国立国会図書館デジタルコレクション公開のPDF)を通読して感銘を受けた者です。
あらやさんが公開しておられる「えあ草紙」版は読みやすくて助かります。復読時に利用させて頂きます。

私は、沼田流人について理解を深めたいと考えて『小説「血の呻き」とタコ部屋』、『北海道文学全集・第六巻』、武井静夫『沼田流人伝 埋れたプロレタリア作家』を取り寄せました。
そのほか、Google検索の過程で、京極町立生涯学習センター湧学館による『血の呻き』完全復刻版や「沼田流人マガジン」の存在を知りました。興味があります。

あらやさんのご指摘のおかげで、例の『文学全集』や「掘る会」等の記述を鵜呑みにせずに済みました。
じつを申しますと、掘る会さんが<跼る>に添えたルビ「せぐくまる」についても判断しかねておりました。他の文学作品に用例はあるものの、国会底本『血の呻き』にそのように読ませるルビが見当たらないためです。北海道地方の方言なのでしょうか。

長々と失礼致しました。
あらやさんによる『血の呻き』復刻版テキストの完成を楽しみにしています。


追伸

第2章 「オルトフオルソの滴のように」(国会底本16頁)
第11章 「秋誇草」(同上144頁)

恥ずかしながら、『血の呻き』本文において、上記語句の意味を理解することができませんでした。ご教示いただけないでしょうか。

 
▼ 通りすがり者さま  
  あらや   ..2022/09/24(土) 11:50  No.922
  読んでくれる人がいたことに、大変勇気づけられています。ありがとうございます。これからも復刻を続けます。

このスレッドに使われている『血の呻き』画像は、湧学館に勤務していた時代に作った『血の呻き』完全復刻版の画像です。北海道立図書館所蔵の『血の呻き』を参考に復刻しました。(現在は劣化が激しいためか「館内」図書になっています) 『沼田流人マガジン』は、いつか「人間像ライブラリー」〈新谷保人〉で発表することがあるかもしれません。

「オルトフオルソ」は私もわかりません。ただ、流人の外国語理解は独特で、例えば、『血の呻き』に出てくる「ソップ」が「スープ」の意であることに気づくのに私は数ヶ月かかりました。ライブラリーで読んでくれる人が増えれば、意外なところから解答が出てくるかもしれません。そういうことを期待して、復刻に励みます。

 
▼ 第十八〜三十八章  
  あらや   ..2022/09/28(水) 11:21  No.923
  先ほど、『血の呻き』の「第十八〜三十八章」部分をライブラリーにアップしました。

「札幌郷土を掘る会」が第二部と云っている部分ですが、厳密にいうと、「第二部」に対する解釈がちがう。「掘る会」が復刻したのは「第十七〜三十五章」です。『血の呻き』をタコ部屋告発の書として捉えるのならばそれで充分なのかもしれないが、私にはそれは不満だ。私は『血の呻き』を、函館(貧民窟)―倶知安(タコ部屋)―函館(貧民窟)を舞台とした藤田明三を巡る人々の物語と捉えていますから、その観点からは、第一部のフィナーレは「第十七章」だろうし、第二部のクライマックスは「第三十六〜三十八章」の白熱の展開に尽きるように思える。
函館の〈明三―時子―靴修繕師〉の構図は、ネガポジ反転のような形でタコ部屋の世界に持ち込まれているのだが、「掘る会」の復刻では、靴修繕師(くつなをし)は単に監視者たちに虐殺される可哀想な人たちの一人でしかない。何だ、これは。
もうひとつ。第二部ということもあって、今回は『小説「血の呻き」とタコ部屋』を注意深く参考としたが、その過程で、「掘る会」が『血の呻き』に付けたルビと沼田流人本人が付けたルビがごっちゃになっていることに気がついた。漢字の読みに結構な自信があるのかもしれないが、復刻としては致命傷ではないだろうか。

 
▼ 全五十章  
  あらや   ..2022/10/03(月) 10:57  No.924
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本日、「第三十九〜五十章」版と「全五十章」完全版の二本をライブラリーにアップしました。まだまだ語彙が不安定な部分もありますが、それはこの後復刻する予定の『地獄』『監獄部屋』などの作業の中で細かい修正を加えて行きたいと思います。今回、完全版の方には「復刻について」の一文を付けました。

 『血の呻き』の復刻について (新谷保人)
@本文を新字新かなに改めた。ただし、送り仮名については旧かなの表記形を残してある。
A本文中のルビはすべて沼田流人が施したもの。
B「宛然(まるで)」「軈て(やがて)」「加之(しかも)」など、現在ではあまり見られなくなった表記については、ひらがな表記に直した。
C「襤褸」「欷歔」「闃寂」、あるいは、「跼る」「跪く」「蹲る」「踞る」など、沼田流人が意識的に使用している語彙については全てそのまま残した。

「旧かなの表記形」を残すなど、あまり復刻作業としては意味がない努力ではありますが、なにかこうした方が『血の呻き』を書いている片腕の流人の息吹が伝わるような気がしたのです。

 
▼ 地獄  
  あらや   ..2022/10/09(日) 09:56  No.925
  昨日、『地獄』をライブラリーにアップしました。

一応、記録のために書いときます。『血の呻き』492ページ、『地獄』34ページ(二段組)に対して、作業時間は「166時間/延べ日数34日間」でした。『血の呻き』が「人間像百号記念号」丸々一冊分だとしたら、『地獄』は瀬田栄之助さんの長篇一本分くらいの作業量かな。

明三も時子もいないタコ部屋話は切なかったです。こうしないと、流人は倶知安の町で生き残れなかったのでしょうか。片腕がないということは大変なことです。それも、名誉の戦傷とか人助けで片腕を失ったわけではない流人の場合は。書とか小説というのは、片腕だけでこの世を生き抜くための流人の数少ない選択肢なのだと改めて痛感しました。

この後、『監獄部屋』〜『監獄部屋の人々』の復刻に入ります。『地獄』の単なる焼き直しだと思っていた『監獄部屋』ですが、今回参考に読み返してみて、焼き直しは「前編」部分だけであり、「後編」部分では、明三でも時子でも蝎でもヴルドッグでもない不思議な小説世界が展開されていることに気づきました。

頭が悪いから、ここで満足して「人間像」作業に戻ると、せっかく『血の呻き』復刻で得た作業上のノウハウが蒸発してしまうような気がするのです。


▼ 「人間像」第102号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/08/17(水) 11:28  No.914
  .jpg / 40.7KB

8月11日より「人間像」第102号作業、開始です。先ほど、針田和明『食いたけりゃ食えや』をライブラリーにアップしたところ。針田さん、もの凄い。巻頭の『食いたけりゃ―』(126枚)に終わらず、巻尾には『阿片秘話(第二回)』が待っているんですからね。まさに、針田で始まり、針田で終わる第102号ではあります。

 近頃、ようやく道内同人が動きだしたようである。この数年、道内同人の執筆者といえば千田三四郎と針田和明の二人だけだったが、やっと他の同人も動きを見せはじめた。針山和己は本号の「ひみつ」の他に『『京極文芸』に「敵機墜落事件」六十枚と「倶知安原野」五百枚に取り組んでいる。福島昭午は「父と子」をテーマに執筆を開始したし、金沢欣哉が久しく休んでいた「温泉ノート」を書いているという。また村上英治も長い間あたためていた「杉田玄白」の構想にかかったというから、作品化される日も近いようで、とにかく不振だった道内同人が動き出したことは一条の光明を見る思いですらある。
(第102号/同人消息)

また針山氏が「針山和己」に戻っちゃいましたね。『倶知安原野』というのは、ここに嵌まる作品だったのか。


 
▼ ひみつ  
  あらや   ..2022/08/29(月) 11:26  No.915
  今、第102号のラストの作品、針田和明『阿片秘話(第二回)』の「33 陳舜臣」の章を進行中です。本当はこのスレッドなしで最後の編集後記まで突っ走ろうとしていたんだけど、この章のルビ攻撃、難読漢字攻撃に負けそうになって一休みしてしまいました。「27 ボードレール」もキツかったけれど、「33 陳舜臣」もキツい。しかし、それにしても! 写植印刷、スゴイじゃないか!

若し黒甜の郷に到らば、彼を喚びて引睡の媒となし
倘し紅粉楼の中にて逢わば、爾を藉りて採花の使と作さん

なんて文章、さらっとミスなく写し取ってしまうのだからたまげます。OCR読み取りソフトとの相性が良いみたいですね。(日本語ワープロの起源はこの辺にあるのか?)

いろいろ高度化、多様化を続ける「人間像」の中にあって、針山和己『ひみつ』のような作品があることは私にとって救いです。これがあるから、どんなに高度化、多様化しても「人間像」は「人間像」であり続けるのだと思ってます。

というわけで、さて「33 陳舜臣」に戻るか…

 
▼ 「人間像」第102号 後半  
  あらや   ..2022/08/31(水) 18:10  No.916
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本日、約160ページの「人間像」第102号作業、完了です。作業時間は「105時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は「1955作品」になりました。

◆前号もそうであったが、最近は創作の集まりがあまり良くない。日常生活の多忙さ故か、創作意欲の枯渇からか、年に一作もままならぬようである。そのために、編集がのびのびとなって発行が遅れてしまうのである。本号も、実に一年ぶりの発行となった。本当は年に三回発行の計画であったが、創作なしの同人雑誌では無意味だということで、発行をのばしたのである。その割りにはあまり充実した内容とは言えないが、今後も創作中心の編集方針だけは堅持したいものと思っている。
(「人間像」第102号/編集後記)

誰も書かないから、針山氏はむきになって『ひみつ』を書いたのでしょうか。似たような事情はこの時期平行して編集していた「京極文芸」にもあって、金は出すけど(名誉は欲しいから)、書くのはちょっと…という幽霊同人町民が増えて、毎号の書き手は町外の人ばかりという状況になってきます。「人間像」第102号と同じ昭和54年4月1日に発行された「京極文芸」第10号の方でも針山氏はむきになって『敵機墜落事件』を書いてますね。まあ、むきになって…は失礼か。半年足らずの時間で、この『敵機――』が、「人間像」第103号のあの名作『山中にて』に変貌してしまうのだから。若い時とはちがった意味で、針山氏の気力が充実していた時期なのかもしれません。

 
▼ プリンター  
  あらや   ..2022/09/01(木) 02:41  No.917
  なんか、大丈夫みたいですね。今、第103号をぱらぱらと見ているのですが、なんと創作が7本も並んでいる。『阿片秘話』もあるし… 堂々の230ページではあります。

さっそく作業開始!と行きたいところなのだが…

またプリンターが壊れてしまった。もう、これで二回目。100枚一度にコピー撮ったり、スキャンしたりと、まあ、普通のユーザーよりは使う方だけど、こうも簡単に壊れてしまうと困ってしまう…

少し違った方法で対処するかもしれません。


▼ 「人間像」第101号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/08/01(月) 16:25  No.910
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七月下旬より「人間像」第101号作業に入りました。先ほど、針田和明『阿片秘話(第一回)』をライブラリーにアップしたところです。

◆百号より写植印刷というものになった。と同時に大幅な値上げとなり、同人費の七割近い値上げにもかかわらず、頁数を制限せざるを得なくなった。そのため、千枚に近い針田の「阿片秘話」も短期連載が不可能となったようである。然し、単なる長篇のブツ切りとは異なるので、充分読んでいただけると思う。
(「人間像」第101号/編集後記)

百号の時には感じなかったが、確かに今号のOCR読み取りはスムーズです。文字化けがかなり少なくなって、ワープロ作業がスイスイ進む。今号の半分くらいのページを占める『阿片秘話』が四五日ほどの時間で完了したのには驚いてしまった。写植印刷、いいんじゃないですか。


 
▼ 山口比呂志  
  あらや   ..2022/08/03(水) 23:47  No.911
   『ヤマグチガンニテシス」ソウギワ一三ヒゴゴニジ」ニンゲンゾウヨリチョウデンタノムショウセイモッカニュウインチュウ」ササキノリツグ』――大阪の同人佐々木徳次よりこの電報が届いたのは、昭和五十二年二月十二日であった。早くも一年がたつ。本来ならば、すぐさま追悼号を発行するところだが、百号記念号のことがあって、一年以上も遅れてしまった。
(針山和美「『同通』に生きた山口」)

第101号は同人・山口比呂志の追悼特集号でもあります。すでに、山口比呂志『落葉影』、針山和美『「同通」に生きた山口』を終え、今日にも上沢祥昭『山口君のこと』をライブラリーにアップするところまで来ていますが、驚いたことが一つや二つではない。
まず、同人・山口比呂志。百号に至った「人間像」の中で、「山口比呂志」名義で小説を発表するのは今回が初めてなんですね。三十年近く続いた「人間像」の歴史で、こんな例は見たことはない。何度も私製「人間像データベース」を検索して〈山口比呂志〉〈山口博義〉をチェックしたけれど正真正銘今回の第101号が初登場の「山口比呂志」ではありました。
そして、佐々木徳次。「人間像ライブラリー」では長らく佐々木氏を「ササキトクジ」と表記して来ましたが、上の電報文にもある通り「ササキノリツグ」さんだったんですね。いや、冷汗。上沢さんの次、佐々木徳次『山口とのあれこれ』をアップする頃には表記が「ササキノリツグ」に直っていると思います。

いやー、昭和っぽいな。

 
▼ 滝利津也  
  あらや   ..2022/08/06(土) 14:05  No.912
   ところで、発表した二篇の短篇に見るものがなかったのにくらべ、同通のガリ切り時代に書いた雑文のうち、とりわけ「落葉影」は、これこそ本誌に発表してほしかったほどの出来栄えで、何れも文章がのびのびとして、学徒動員時代の不良中学生の思い出を描いている。私は彼が書き残した作品として、「傀儡」や「蝶」は抹殺して、この「落葉影」に書いた「煙草と恋人」「連行」「おみなえし」「尾行」の四篇を挙げておきたい。ここには中学生だった戦時中の思い出が一種の懐しさをもって、しかしきわめて冷静に描き出されている。
(佐々木徳次「山口とのあれこれ」)

私もそう思う。『落葉影』にちらちら登場する憲兵や特高警察の姿が大変興味深い。滝利津也名義の作品はすでにライブラリーに入っています。私は「滝利津也」は福島氏か村上氏の変名かと思っていました。

 
▼ 「人間像」第101号 後半  
  あらや   ..2022/08/10(水) 18:16  No.913
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昨日、約150ページの「人間像」第101号作業が完了しました。作業時間、「90時間/延べ日数17日間」。収録タイトル数は「1945作品」。

いやー、100時間を切るとは思わなかった…

午前中に第101号の後片付け(データの整理整頓や各種バックアップ)を終えて、先ほどから第102号をぱらぱらとめくっているところです。
上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史』がついに終わってしまい淋しいな…と思っていたところ、それと入れ替わるように針田和明『阿片秘話』の連載が始まり、改めて、「人間像」って元気だなあ…と感心した次第です。また第102号には、針山氏の『ひみつ』という新作も見えます。たぶん、単行本未収録。瀬田、古宇、山口と立て続けに同人三人を癌に奪われた針山氏の心情がこのような作品を書かせたのだろうか。形式がちょっと『支笏湖』を想起させるのが興味深い。

画像は第101号裏表紙。『さい果ての空に生きる』の評をおおば比呂司氏が書いてますね。


▼ 余市文集   [RES]
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:31  No.903
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塩谷村は、その中学校と反対側の函館行きの汽車の次の駅になり、この町から二里ほど離れていた。私たちの通学列軍は、小樽市から三つ目の余市町から出て、蘭島村、塩谷村を通り、小樽市の中央停車場へ着くのである。小樽市の中央停車場は、高等商業学校から坂を下りて、少し左に折れた所にあった。だから、中学生のときの私は、毎朝、その停車場から海と並行した幾つかの町を通り、南方に三十五分ほど歩いて、その中学校に通った。
(伊藤整「若い詩人の肖像」)

一発目から「山線」だった。

湧学館では月一回の「後志文学講座」を開くかたわら、毎年秋になると、その講座で扱っていた作品に関連する地域をたずねる文学散歩を行っていました。『余市文集』は、そのバスの旅のためにつくられた小冊子です。


 
▼ 山麓文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:35  No.904
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 トンネルをすぎると、姉妹は急いで窓をあけた。もうすぐ右手に、山の中の発電所の家がみえるのだ。
 レールの下の切りたった崖も、その下方を青々と流れる川も、川の向うの緑の山々も、二人においでおいでをしているようだ。やがて、小山の裾が切れると、段々ならびの社宅の屋根が、次には三本の黒い鉄管とその下の赤煉瓦の発電所があらわれた。
「父さあーん」
「母さあーん」
(畔柳二美「姉妹」)

京極町は土地の便が良く、一時間半もあれば、余市にも、小樽にも、岩内にも、長万部にも、伊達にも、登別にも、苫小牧にも、千歳にも行けました。札幌や函館には一時間半では行けないけれど、もうそこは〈後志文学〉の地ではないから。「山線」は、札幌を起点にしてものを考えがちな人のための恰好の解毒剤だと思ってる。

 
▼ 虻田文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:40  No.905
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 ところで、ここに載せた写真は、その時四歳か五歳であった、宿の娘三橋礼子(加納礼子)を膝に抱き、持参して来た小型カメラで友人にとらせたものであるという。多喜二は明治三十六年生れであり、礼子四・五歳の時というと、多喜二は、十七歳か十八歳ということになる。そうすると多喜二が商業学校の上級生か、高商へ入ってからということになる。礼子の母親には大変なついていて、おばさん、おばさんといって蟹工船が出た時も(これは昭和四年に発表されたのであるが)よんでほしいといって送ってきたそうであるが、残念ながらこの貴重な証拠物件はいまはない。
(洞爺村史/小林多喜二と三樹亭)

『洞爺村史』には大変お世話になったなあ。この本のおかげで〈後志文学〉の幅が三倍にも四倍にも拡がった。
「バスの旅」に『○○文集』といったテキストを作り、目的地に向かうバスの中でその地の話をする…といったスタイルが始まったのは『余市文集』からです。(それ以前のバス旅は資料を綴じ合わせたものを配って解説するだけの凡庸な文学散歩)
たぶん、この年、白老の博物館で『文芸作品を走る胆振線』というブックトークを行って、これで俺はやって行ける…みたいな自信を得たことが大きいと思う。その時も『洞爺村史』には大活躍してもらいました。
博物館で、図書館技のブックトーク…というのがちょっと目新しかったのかな。

 
▼ 小樽文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:43  No.906
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「これでひとまず、店の体制が整った」
 児玉が仕事を終えたのを見計らって、秋太郎は児玉に煙草を勧めながら、
「ところで京極工務店の児玉進三さんよ、これから付き合っていくのに、何と呼んだらよいのかね。京極さん、児玉さん、それとも進三さん」
「それなら屋号の京極で呼んでくださいね」
「京極さんだね……たしか戦国大名の名門の家柄に、似たような名前があったような気がしたがね」
「そうなのですよ。今から十一年前の一八九七(明治三〇)年に、旧讃岐丸亀藩主で子爵の京極高徳が、函館本線沿いにある倶知安村番外地に入植して京極農場を始めたのですよ。俺の家族もそれに付き添って移住した開拓民だが、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の麓にある火山台地で、御多分にもれず苦難の連続でねえ。
(廣江安彦「加藤秋太郎 小説・大府立志伝」)

京極さんの児玉進三については未だに調査中。

今まで意識したことはなかったけれど、「人間像」をデジタル化して…という発想は、じつは、この『○○文集』の時代に芽生えたのかもしれない。

 
▼ 支笏文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:48  No.907
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 私はそれまで、街のことは何ひとつ知らなかった。知ることのできない環境に育ったからだ。私たち姉弟は、北海道の山の中の発電所で生れ、その日まで山の中で育てられた。
 街は憧憬の場所であった。それが、人口わずか一千足らずの寒村であろうとも、小学校の生徒が三百名しか居なかったとしても、私たちには総てが驚異と未知の世界であった。

 トンネルをすぎると、二十八歳の母は、生後一ヵ月の弟を背に、両手に風呂敷づつみを持ちあげた。十一歳の姉と八歳の私は、あわてて五つと三つの二人の弟の手を、それぞれ、しっかり握りしめた。
「さあ、今度汽車がとまったら、みんな、あわてずにおりるんですよ」
(畔柳二美「山の子供」)

『山の子供』は名作。狩太(ニセコ)を語る物語、私なら、『カインの末裔』ではなく『山の子供』だと思うことがありますね。(この頃は、阿部信一さんをまだ知らなかった…)

 
▼ 京極読書新聞  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:52  No.908
  バス旅から帰ってきたら、必ずレポートを「京極読書新聞」(湧学館の図書館報)に書くようにしていました。

啄木をめぐるバスの旅(2009年10月17日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/091101paper08.pdf
有島武郎「生れ出づる悩み」をめぐるバスの旅(2010年10月16日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper18.pdf
小説「春蘭」をめぐるバスの旅(2011年10月15日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper28.pdf

ここまでが、『○○文集』のない形、資料の切り貼り時代ですね。

余市をめぐるバスの旅(2012年10月13日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper39.pdf
羊蹄山麓を一巡り・バスの旅(2013年10月12日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper51.pdf
胆振国虻田をたずねるバスの旅(2014年10月11日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper62.pdf
小樽・海山めぐるバスの旅(2015年10月10日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper73.pdf
支笏湖・洞爺湖めぐるバスの旅(2016年10月8日)
http://lib-kyogoku.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/05/paper84.pdf

 
▼ 啄木の「北海道」地図  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:57  No.909
  湧学館を去る頃、JPGは残るけれど、PDFは残らない…なんて噂が流れたりしてましたね。たしかに、今回の作業をしていて、Windows95時代に作ったJPG画像が破損していたり、湧学館時代のPDFでさえ今のリーダーでは「読み込めません」状態になっていたりと、なかなか凄いことになっていますね。
デジタルの命なんて儚いものだな…とよく思う。スマホのサイズに合わないから、こんなのいらないや…と馬鹿な役人がサーッと消去したら、もう二度とこの世に存在しない。山田(ヒラフ)の林芙美子碑が、コンドミニアムの住人には「何?この石?」なのと同じです。

「人間像ライブラリー」も私が生きている間は存在しているけれど、死んだら、たぶん消えると思う。そんなのが、私の辿ってきた図書館だった。それでもやらなげればならない仕事が世の中にはあると思っている。
今回の作業の締めくくりは、平成19年(2007年)に書いた『啄木の「北海道」地図』という文章の復刻です。それを終えたら「人間像」第101号へ復帰する予定。


▼ 「人間像」第100号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/06/06(月) 11:50  No.896
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 二十八年かかって、大した業蹟を残し得なかったように、残りの人生のすべてを賭けても、或いは何も残し得ないかも知れないが、それはそれで良いのである。自らが信じて賭けた一生ならば、後悔などすべきでないし、また物ほしげなそぶりを見せる必要などないのではなかろうか。たとえば、無名のままであったにしろ、『人間像』の誌上に文字通り生命を散らした瀬田栄之助や古宇伸太郎のありようも、それはそれなりに評価されるぺきものであったと信じたいのである。
(針山和美「百号所感」)

100号まで28年間。人間像ライブラリーも100号まで5年間。これからも健康に気をつけて歩んで行きます。私も、私の人生に瀬田栄之助や古宇伸太郎の仕事が刻まれたことを嬉しく思うひとりです。感謝しているひとりです。

第100号作業は、巻頭の著名人諸氏の挨拶を終え、二三日前から同人の創作部分に入ったところです。本日、朽木寒三『馬と兵隊』をアップしました。以後、冨士修子『街の中で』、白鳥年志雄『黴のはえた墓標』、内田保夫『企業万歳』…と続いて行きます。今号はセレモニー的な色彩が強くほぼ全員出席ですので、最近は書かなくなったなあ…という同人も久しぶりに顔を見せたりしていて、作業するのがとても楽しい。


 
▼ 佐々木昌子  
  あらや   ..2022/06/15(水) 17:14  No.897
   真希子は目を凝らし、一瞬、自分の目を疑がった。
 今、すれ違った中年の男の後ろ姿を、目で追いながら立ち止まった。似ている、肩を少し、いからせ、大股で歩るく後ろ姿が、そっくりなのだ。あの人に違いない、直屹さんだ、そう確信すると、じっとしておれず、小走りにその人の後を追った。(中略)
「失礼ですが……高井さんでは、ないでしょうか。」
(佐々木昌子「回帰」)

佐々木さんの28年ぶりの小説が始まった時、少しひやっとした。28年前、旧姓・奥山昌子が書いていた素っ頓狂な乙女チック小説群を思い出したからだ。変わっていないのか…

杞憂でした。28年の歳月はだてじゃなかった。昔、何を書けばいいのかわからなかった奥山昌子は、今、書きたいことを最後まで書く佐々木昌子になった。これは小説だと思った。いくら言葉やレトリックが達者でも、書きたいことがない人に小説の神様は降りて来ない。ある意味、第百号という到達点を示す作品ではないかと思いました。ある意味、28年間これを待っていた針山氏は凄いと思った。小説の巧い千田三四郎や針田和明だけが第百号ではない。佐々木昌子も「人間像」第百号だ。

作業は『企業万歳』の後、針田和明『ぼうけん好きの王様』、佐々木昌子『回帰』、千田三四郎『野辺に佇む』と進み、今、日高良子『虹のあと』を進行中です。

 
▼ 百号を終えたら 1  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:49  No.898
  作業は創作部門を終え、随筆部門の三巨峰、平木國夫『立野良郎氏のこと』、福島昭午『広津さんの傍にいて』と進み、今日、朽木寒三『文学の周辺で(5)』が完了といった状況です。意外と早く100号作業は終わるかもしれない。

第99号から第100号にかけて、作業に疲れると、パソコンの画面から目を離して、この新聞記事コピーを読むことが多かった。

 
▼ 「山線」と花嫁たち  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:52  No.899
   函館線の「山線」と呼ばれている区間がなくなることを知り、遠い日々の記憶が一気によみがえってきた。
 16歳から約6年間、倶知安の美粧院で働いた。雪かきやおさんどんを済ませて店に出る。婚礼シーズンは花嫁支度に追われた。満員の山線に乗り込み、上りは「目名」「熱郛」「黒松内」、下りは「小沢」「仁木」「余市」あたりまで出向いた。
 花嫁のほとんどが農家の娘さん。たいてい実家で支度をして、婚家へ向かう格好だった。まだまだ車が普及していない時代。文金高島田の花嫁に付き添って、残雪の崖道や紅葉の谷を、馬ぞりや馬車に揺られて嫁ぎ先へと急いだ。途中、オイオイ泣きだした花嫁の化粧直しにあたふたしたり、突然の吹雪に馬が立ち往生して肝をつぶしたりしたこともあった。
 22歳の時に上京を決意。夜汽車の窓に映る羊蹄山に別れを告げて、婚礼衣装を背に、降り立った各駅を通過した。そして、歳月は流れた。花嫁たちはどうしておられるだろう。山線の駅名を振り返ると、一人一人の思い出が浮かんでくる。そっと涙をぬぐっていた人、豪快におにぎりを頬張っていた人、じっと宙を見つめていた人…。山線の思い出は花嫁たちのまなざしに重なる。
 廃線になろうとも山線は私の中で色あせることはない。風雪をものともせず、峠を越え、鉄橋を渡り、長いトンネルを抜けて走り続けている。
峯崎ひさみ(75歳・無職)=千葉県市川市

(北海道新聞 2022年3月17日/家庭欄〈いずみ〉)

 
▼ 百号を終えたら 2  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:56  No.900
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私も「山線」について語りたい。

いつからそれを「山線」と呼ぶようになったのか知らない。室蘭や苫小牧まわりの「海線」(?)が函館―札幌間の主流になった頃からだろうか。

赤字だから廃線というJR社長の論理が気に食わない。何が楽しくて鉄道屋になったんだ。ま、仕方ないわな…(うちは新幹線停まるし)と云わんばかりに、沿線自治体の協議をばっさり打ち切ってしまった小樽市長も気に食わない。小樽の街がここにある意味が丸っきり解っていない。

第100号を終えたら、すぐ第101号に向かわず、しばし「山線」について語りたい。「人間像ライブラリー」作業において、自分の書いたものなど後回し…と基本的には考えているけれど、峯崎さんのお声を久しぶりに聞いて、私も何か書きたくなった。

 
▼ 百号記念全国同人会開催(於・札幌)  
  あらや   ..2022/06/26(日) 10:11  No.901
   本当は、七月初旬に百号を発行し、八月に初めての全国同人会を、と考えていたのだが、印刷所の都合でとうとう間に合わず、発行前の開催ということになってしまった。こうした変則的なことは、人間像同人会の得意なところで、編集部提案通り八月六・七両日にわたり、ホテル札幌会館で開かれた。
 日高良子が遠く九州より来道したのをはじめ、東京近辺より朽木・平木・上沢・内田・渡部・冨士の六名に、旧同人の福田儀一が特別参加、道内からは北野広を除く七名が参加して、午後六時より開会した。冒頭まず針山より、現状認識と今後の方針などについて提案があった後、各同人より自己紹介を兼ねてそれぞれスピーチがあった。とにかく、同人が全国各地に点在するという特殊事情から、二十数年間を経て、初対面という人も居り、夜おそくまで、話は尽きるところを知らないありさまであった。
 さて、翌八月七日は、初めて来道した同人も居るというので、積丹半島、京極、洞爺湖をめぐって札幌に帰る予定で出発したが、途中で有珠山噴火の報に接し、洞爺観光は中止となった。数年来この日の洞爺を楽しみにして来た日高などは、歯ぎちりしてくやしがったが、いかんともなしがたかった。それにしても、百号同人会が世紀の大噴火にぶつかるとは、何か因縁めいて忘れがたい思い出を残す結果となった。

百号、最後の10ページに入ります。

 
▼ 「人間像」第100号 後半  
  あらや   ..2022/07/01(金) 10:29  No.902
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6月29日、約260ページ、いつもよりもっと細かい活字の「人間像」第100号作業、ここに完了です。作業時間は「154時間/延べ日数28日間」。収録タイトル数は「1928作品」。
(数字が予想外だったので、電卓で数え直したりしたのだけどやはりこの数字でした。よく理由はわからないけど、身体は健康だから、ま、いいか…)

後半終了というところで、いつもなら裏表紙の画像を付けたりするのですが、今回は本体の中の広告を一枚出してみます。単なる本の広告のように見えますが、そうではありません。「人間像」は商業雑誌ではありませんから、この広告を載せても広告収入なんかあるわけないのです。それでも載せるとなれば、そこには針山氏なり福島氏なりの意志とか友情といったものがあるのです。(本の紹介コメント書いてるの、もちろん人間像同人ですよ) しかし、それにしても、第100号に、ガリ版時代の同人・瀬城乃利夫(せき・のりお)さんの名が登場するとは思わなかった。奥山昌子さんの小説も吃驚だったけれど、瀬城さんにも吃驚した。ちなみに、第100号裏表紙は、朽木氏の『馬賊戦記』と平木氏の『空気の階段を登れ』でした。これもある意味、第100号か…

ぼーっと一日「山線」に乗っていたい気分ですね。これからすぐ第101号に向かわず、京極時代の仕事を何冊か復刻させていただきます。私の第100号記念です。


▼ 「人間像」第99号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/05/06(金) 09:33  No.890
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昨日(こどもの日)、蛭子可於巣改め千田三四郎『旅に惑いは』をライブラリーにアップしました。「千田三四郎」名義の小説って『ドイツの鋏』(第57号)以来なんですね。
(千田氏は当時現役の北海道新聞記者であったため、新聞社にあらぬ迷惑・誤解がかからないように「蛭子可於巣」などの不思議なペンネームを使用していたらしい。「人間像」参加は、札幌ではなく、道新東京支局勤務時代の東京からだそうです。『ドイツの鋏』はその頃の作品。)

第99号。この後、冨士修子『赤まんま』、内田保夫『暗い青春の歌』、針田和明『どぶ』『台所の歌』と小説作品が続きます。


 
▼ 針田和明  
  あらや   ..2022/05/10(火) 14:55  No.891
   俺の父っちゃんも母っちゃんもどんなんだか俺知らない。まわりみたら、みんな小樽の貧しい人間だった。技術身につけたのに、孤児はどうしてこう馬鹿にされなければいけないんだ。どうかしてるよな。どこかが狂ってるぞ。だけど、ひとりってのはどうしてこう淋しいんだべ。おっと、洋子を忘れてた。あれも小樽生まれだっていってたな。札幌へ来て、こうやって住みついてどこへも行けなくなったら小樽出身ときいただけで無性に嬉しかったものな。
(針田和明「どぶ」)

針田さんって小樽の人なのかな。第97号の『山もありゃあ谷もあらあな』も主人公が小樽育ちという設定だった。「針田和明」と「針山和美」は似ているので、昔は針山氏のペンネームの一つかと思っていた時もあった。(そう言えば、針山氏も小樽育ち。それで受ける感じが似ているのかな…)
一時は「人間像」の後継者として嘱望されていたのですが、若くして亡くなられたため皆が悲しんだと福島氏からお聞きしたことがあります。

 
▼ 針田和明2  
  あらや   ..2022/05/12(木) 09:39  No.892
   「白石駅はどっちへいったらいいんだべ」
 思索の糸がぷっつりと切られた。
「あ、それはですね、この道を真っ直ぐいって、あれ、あそこに踏切が見えるでしょう。あそこを右に折れて五百メートルほど歩いたところです」
「どうも」
「いいえ、どういたしまして」
 道をきいた男は、そのままわたしに歩調をあわせてついてくる。わたしが歩いていく方角であるから別に不思議はないのだが。
「おれ 一週間というもの米の粒を食べていない」
(針田和明「台所の歌」)

おー、私の実家だ。妙に親近感あるなあ。最後に〈荻野吟子〉も登場して、大変楽しめた一作でした。

作業は、この後、朽木寒三『文学の周辺で(4)』、上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史(9)』の大きな山を越えて完了です。

 
▼ 第92号  
  あらや   ..2022/05/25(水) 08:58  No.893
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 ――いっそ思いきって、はじめから少年文学としてお書きになればいいのになあ。
 創作児童文学の出版者としては、いつもそんなふうにつぶやきました。そして、――いずれ脱稿されたなら、そしてこのままで出版するところがなかったら、一度作者とお会いし、ほとんどこのままで『次郎物語』の読者たちが読める程度に文章を明るくしていただいて……出版を企ててみようかしら、など考えていたのです。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(9)」)

第92号は古宇伸太郎追悼号。『父・福島豊』を発表した福島昭午氏の許へ東京理論社(現・理論社)の小宮山量平から思いもかけない手紙が届く。古宇伸太郎『漂流』の未完部分を福島氏が書き継いで、父子共作の少年版「漂流」として完成させてはどうだろうか…

そうかあ、『次郎物語』か。かねがね、五十年後の今を生きる私がなぜ『漂流』をこんなにも興奮して読めるのか不思議でならなかったのですが、これで合点がいったような気がする。広津和郎との師弟関係などから『漂流』を説明しようとする論者がほとんどの中で、この小宮山量平の視点は群を抜いてシャープだと感じました。さすが、理論社。私の永遠の愛読書『佐野美津男少年詩集/宇宙の巨人』の出版社だけはある。

『ある文学徒集団の歴史』は、現在、「第92号」を通過中です。あと二、三日でゴールか。

 
▼ 針田和明3  
  あらや   ..2022/05/27(金) 09:14  No.894
   「針田和明って、すごい男だね。テレビで見ましたか」
 と福島が話しかけた。なんで針田がテレビに、と思ったら、「ユニークな廃品業者」ということでNHKの地方版に放送されたというのだ。
「病人という先入観があったんだけど、テレビの中の彼はどうしてどうして、まったくたくましい男で、圧倒されてしまった」
 と福島がさかんに驚きの声を発した。なんでも兄貴と二人で最近はじめたばかりらしいが、市民運動として、倹約を呼びかけながら廃品を回収しているところが変っているらしいのだ。若い婦人層にも大変な人気で、一躍テレビに登場ということにあいなったらしい。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(9)」/第94〜95号)

へえ。『山もありゃあ谷もあらあな』まんまの人だったんですね。

第99号は今日完了します。BBSに書きうつしている暇なんかないんだけど、『ある文学徒――』があまりにも面白い記述に溢れているので15分間だけ遊んでしまいました。

 
▼ 「人間像」第99号 後半  
  あらや   ..2022/05/29(日) 10:21  No.895
  5月28日、約190ページの「人間像」第99号作業、完了です。作業時間、「126時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「1898作品」になりました。

雨が降っているけれど、今日は机の上の取り散らかった書類や本を片付けて、部屋の掃除をしよう。夏モードというよりは、第100号以降の仕事態勢を見据えた環境づくりというか。パソコンの中も整理整頓ですかね。



 


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