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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第101号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/08/01(月) 16:25  No.910
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七月下旬より「人間像」第101号作業に入りました。先ほど、針田和明『阿片秘話(第一回)』をライブラリーにアップしたところです。

◆百号より写植印刷というものになった。と同時に大幅な値上げとなり、同人費の七割近い値上げにもかかわらず、頁数を制限せざるを得なくなった。そのため、千枚に近い針田の「阿片秘話」も短期連載が不可能となったようである。然し、単なる長篇のブツ切りとは異なるので、充分読んでいただけると思う。
(「人間像」第101号/編集後記)

百号の時には感じなかったが、確かに今号のOCR読み取りはスムーズです。文字化けがかなり少なくなって、ワープロ作業がスイスイ進む。今号の半分くらいのページを占める『阿片秘話』が四五日ほどの時間で完了したのには驚いてしまった。写植印刷、いいんじゃないですか。


 
▼ 山口比呂志  
  あらや   ..2022/08/03(水) 23:47  No.911
   『ヤマグチガンニテシス」ソウギワ一三ヒゴゴニジ」ニンゲンゾウヨリチョウデンタノムショウセイモッカニュウインチュウ」ササキノリツグ』――大阪の同人佐々木徳次よりこの電報が届いたのは、昭和五十二年二月十二日であった。早くも一年がたつ。本来ならば、すぐさま追悼号を発行するところだが、百号記念号のことがあって、一年以上も遅れてしまった。
(針山和美「『同通』に生きた山口」)

第101号は同人・山口比呂志の追悼特集号でもあります。すでに、山口比呂志『落葉影』、針山和美『「同通」に生きた山口』を終え、今日にも上沢祥昭『山口君のこと』をライブラリーにアップするところまで来ていますが、驚いたことが一つや二つではない。
まず、同人・山口比呂志。百号に至った「人間像」の中で、「山口比呂志」名義で小説を発表するのは今回が初めてなんですね。三十年近く続いた「人間像」の歴史で、こんな例は見たことはない。何度も私製「人間像データベース」を検索して〈山口比呂志〉〈山口博義〉をチェックしたけれど正真正銘今回の第101号が初登場の「山口比呂志」ではありました。
そして、佐々木徳次。「人間像ライブラリー」では長らく佐々木氏を「ササキトクジ」と表記して来ましたが、上の電報文にもある通り「ササキノリツグ」さんだったんですね。いや、冷汗。上沢さんの次、佐々木徳次『山口とのあれこれ』をアップする頃には表記が「ササキノリツグ」に直っていると思います。

いやー、昭和っぽいな。

 
▼ 滝利津也  
  あらや   ..2022/08/06(土) 14:05  No.912
   ところで、発表した二篇の短篇に見るものがなかったのにくらべ、同通のガリ切り時代に書いた雑文のうち、とりわけ「落葉影」は、これこそ本誌に発表してほしかったほどの出来栄えで、何れも文章がのびのびとして、学徒動員時代の不良中学生の思い出を描いている。私は彼が書き残した作品として、「傀儡」や「蝶」は抹殺して、この「落葉影」に書いた「煙草と恋人」「連行」「おみなえし」「尾行」の四篇を挙げておきたい。ここには中学生だった戦時中の思い出が一種の懐しさをもって、しかしきわめて冷静に描き出されている。
(佐々木徳次「山口とのあれこれ」)

私もそう思う。『落葉影』にちらちら登場する憲兵や特高警察の姿が大変興味深い。滝利津也名義の作品はすでにライブラリーに入っています。私は「滝利津也」は福島氏か村上氏の変名かと思っていました。


▼ 余市文集   [RES]
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:31  No.903
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塩谷村は、その中学校と反対側の函館行きの汽車の次の駅になり、この町から二里ほど離れていた。私たちの通学列軍は、小樽市から三つ目の余市町から出て、蘭島村、塩谷村を通り、小樽市の中央停車場へ着くのである。小樽市の中央停車場は、高等商業学校から坂を下りて、少し左に折れた所にあった。だから、中学生のときの私は、毎朝、その停車場から海と並行した幾つかの町を通り、南方に三十五分ほど歩いて、その中学校に通った。
(伊藤整「若い詩人の肖像」)

一発目から「山線」だった。

湧学館では月一回の「後志文学講座」を開くかたわら、毎年秋になると、その講座で扱っていた作品に関連する地域をたずねる文学散歩を行っていました。『余市文集』は、そのバスの旅のためにつくられた小冊子です。


 
▼ 山麓文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:35  No.904
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 トンネルをすぎると、姉妹は急いで窓をあけた。もうすぐ右手に、山の中の発電所の家がみえるのだ。
 レールの下の切りたった崖も、その下方を青々と流れる川も、川の向うの緑の山々も、二人においでおいでをしているようだ。やがて、小山の裾が切れると、段々ならびの社宅の屋根が、次には三本の黒い鉄管とその下の赤煉瓦の発電所があらわれた。
「父さあーん」
「母さあーん」
(畔柳二美「姉妹」)

京極町は土地の便が良く、一時間半もあれば、余市にも、小樽にも、岩内にも、長万部にも、伊達にも、登別にも、苫小牧にも、千歳にも行けました。札幌や函館には一時間半では行けないけれど、もうそこは〈後志文学〉の地ではないから。「山線」は、札幌を起点にしてものを考えがちな人のための恰好の解毒剤だと思ってる。

 
▼ 虻田文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:40  No.905
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 ところで、ここに載せた写真は、その時四歳か五歳であった、宿の娘三橋礼子(加納礼子)を膝に抱き、持参して来た小型カメラで友人にとらせたものであるという。多喜二は明治三十六年生れであり、礼子四・五歳の時というと、多喜二は、十七歳か十八歳ということになる。そうすると多喜二が商業学校の上級生か、高商へ入ってからということになる。礼子の母親には大変なついていて、おばさん、おばさんといって蟹工船が出た時も(これは昭和四年に発表されたのであるが)よんでほしいといって送ってきたそうであるが、残念ながらこの貴重な証拠物件はいまはない。
(洞爺村史/小林多喜二と三樹亭)

『洞爺村史』には大変お世話になったなあ。この本のおかげで〈後志文学〉の幅が三倍にも四倍にも拡がった。
「バスの旅」に『○○文集』といったテキストを作り、目的地に向かうバスの中でその地の話をする…といったスタイルが始まったのは『余市文集』からです。(それ以前のバス旅は資料を綴じ合わせたものを配って解説するだけの凡庸な文学散歩)
たぶん、この年、白老の博物館で『文芸作品を走る胆振線』というブックトークを行って、これで俺はやって行ける…みたいな自信を得たことが大きいと思う。その時も『洞爺村史』には大活躍してもらいました。
博物館で、図書館技のブックトーク…というのがちょっと目新しかったのかな。

 
▼ 小樽文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:43  No.906
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「これでひとまず、店の体制が整った」
 児玉が仕事を終えたのを見計らって、秋太郎は児玉に煙草を勧めながら、
「ところで京極工務店の児玉進三さんよ、これから付き合っていくのに、何と呼んだらよいのかね。京極さん、児玉さん、それとも進三さん」
「それなら屋号の京極で呼んでくださいね」
「京極さんだね……たしか戦国大名の名門の家柄に、似たような名前があったような気がしたがね」
「そうなのですよ。今から十一年前の一八九七(明治三〇)年に、旧讃岐丸亀藩主で子爵の京極高徳が、函館本線沿いにある倶知安村番外地に入植して京極農場を始めたのですよ。俺の家族もそれに付き添って移住した開拓民だが、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の麓にある火山台地で、御多分にもれず苦難の連続でねえ。
(廣江安彦「加藤秋太郎 小説・大府立志伝」)

京極さんの児玉進三については未だに調査中。

今まで意識したことはなかったけれど、「人間像」をデジタル化して…という発想は、じつは、この『○○文集』の時代に芽生えたのかもしれない。

 
▼ 支笏文集  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:48  No.907
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 私はそれまで、街のことは何ひとつ知らなかった。知ることのできない環境に育ったからだ。私たち姉弟は、北海道の山の中の発電所で生れ、その日まで山の中で育てられた。
 街は憧憬の場所であった。それが、人口わずか一千足らずの寒村であろうとも、小学校の生徒が三百名しか居なかったとしても、私たちには総てが驚異と未知の世界であった。

 トンネルをすぎると、二十八歳の母は、生後一ヵ月の弟を背に、両手に風呂敷づつみを持ちあげた。十一歳の姉と八歳の私は、あわてて五つと三つの二人の弟の手を、それぞれ、しっかり握りしめた。
「さあ、今度汽車がとまったら、みんな、あわてずにおりるんですよ」
(畔柳二美「山の子供」)

『山の子供』は名作。狩太(ニセコ)を語る物語、私なら、『カインの末裔』ではなく『山の子供』だと思うことがありますね。(この頃は、阿部信一さんをまだ知らなかった…)

 
▼ 京極読書新聞  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:52  No.908
  バス旅から帰ってきたら、必ずレポートを「京極読書新聞」(湧学館の図書館報)に書くようにしていました。

啄木をめぐるバスの旅(2009年10月17日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/091101paper08.pdf
有島武郎「生れ出づる悩み」をめぐるバスの旅(2010年10月16日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper18.pdf
小説「春蘭」をめぐるバスの旅(2011年10月15日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper28.pdf

ここまでが、『○○文集』のない形、資料の切り貼り時代ですね。

余市をめぐるバスの旅(2012年10月13日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper39.pdf
羊蹄山麓を一巡り・バスの旅(2013年10月12日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper51.pdf
胆振国虻田をたずねるバスの旅(2014年10月11日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper62.pdf
小樽・海山めぐるバスの旅(2015年10月10日)
http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper73.pdf
支笏湖・洞爺湖めぐるバスの旅(2016年10月8日)
http://lib-kyogoku.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/05/paper84.pdf

 
▼ 啄木の「北海道」地図  
  あらや   ..2022/07/18(月) 14:57  No.909
  湧学館を去る頃、JPGは残るけれど、PDFは残らない…なんて噂が流れたりしてましたね。たしかに、今回の作業をしていて、Windows95時代に作ったJPG画像が破損していたり、湧学館時代のPDFでさえ今のリーダーでは「読み込めません」状態になっていたりと、なかなか凄いことになっていますね。
デジタルの命なんて儚いものだな…とよく思う。スマホのサイズに合わないから、こんなのいらないや…と馬鹿な役人がサーッと消去したら、もう二度とこの世に存在しない。山田(ヒラフ)の林芙美子碑が、コンドミニアムの住人には「何?この石?」なのと同じです。

「人間像ライブラリー」も私が生きている間は存在しているけれど、死んだら、たぶん消えると思う。そんなのが、私の辿ってきた図書館だった。それでもやらなげればならない仕事が世の中にはあると思っている。
今回の作業の締めくくりは、平成19年(2007年)に書いた『啄木の「北海道」地図』という文章の復刻です。それを終えたら「人間像」第101号へ復帰する予定。


▼ 「人間像」第100号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/06/06(月) 11:50  No.896
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 二十八年かかって、大した業蹟を残し得なかったように、残りの人生のすべてを賭けても、或いは何も残し得ないかも知れないが、それはそれで良いのである。自らが信じて賭けた一生ならば、後悔などすべきでないし、また物ほしげなそぶりを見せる必要などないのではなかろうか。たとえば、無名のままであったにしろ、『人間像』の誌上に文字通り生命を散らした瀬田栄之助や古宇伸太郎のありようも、それはそれなりに評価されるぺきものであったと信じたいのである。
(針山和美「百号所感」)

100号まで28年間。人間像ライブラリーも100号まで5年間。これからも健康に気をつけて歩んで行きます。私も、私の人生に瀬田栄之助や古宇伸太郎の仕事が刻まれたことを嬉しく思うひとりです。感謝しているひとりです。

第100号作業は、巻頭の著名人諸氏の挨拶を終え、二三日前から同人の創作部分に入ったところです。本日、朽木寒三『馬と兵隊』をアップしました。以後、冨士修子『街の中で』、白鳥年志雄『黴のはえた墓標』、内田保夫『企業万歳』…と続いて行きます。今号はセレモニー的な色彩が強くほぼ全員出席ですので、最近は書かなくなったなあ…という同人も久しぶりに顔を見せたりしていて、作業するのがとても楽しい。


 
▼ 佐々木昌子  
  あらや   ..2022/06/15(水) 17:14  No.897
   真希子は目を凝らし、一瞬、自分の目を疑がった。
 今、すれ違った中年の男の後ろ姿を、目で追いながら立ち止まった。似ている、肩を少し、いからせ、大股で歩るく後ろ姿が、そっくりなのだ。あの人に違いない、直屹さんだ、そう確信すると、じっとしておれず、小走りにその人の後を追った。(中略)
「失礼ですが……高井さんでは、ないでしょうか。」
(佐々木昌子「回帰」)

佐々木さんの28年ぶりの小説が始まった時、少しひやっとした。28年前、旧姓・奥山昌子が書いていた素っ頓狂な乙女チック小説群を思い出したからだ。変わっていないのか…

杞憂でした。28年の歳月はだてじゃなかった。昔、何を書けばいいのかわからなかった奥山昌子は、今、書きたいことを最後まで書く佐々木昌子になった。これは小説だと思った。いくら言葉やレトリックが達者でも、書きたいことがない人に小説の神様は降りて来ない。ある意味、第百号という到達点を示す作品ではないかと思いました。ある意味、28年間これを待っていた針山氏は凄いと思った。小説の巧い千田三四郎や針田和明だけが第百号ではない。佐々木昌子も「人間像」第百号だ。

作業は『企業万歳』の後、針田和明『ぼうけん好きの王様』、佐々木昌子『回帰』、千田三四郎『野辺に佇む』と進み、今、日高良子『虹のあと』を進行中です。

 
▼ 百号を終えたら 1  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:49  No.898
  作業は創作部門を終え、随筆部門の三巨峰、平木國夫『立野良郎氏のこと』、福島昭午『広津さんの傍にいて』と進み、今日、朽木寒三『文学の周辺で(5)』が完了といった状況です。意外と早く100号作業は終わるかもしれない。

第99号から第100号にかけて、作業に疲れると、パソコンの画面から目を離して、この新聞記事コピーを読むことが多かった。

 
▼ 「山線」と花嫁たち  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:52  No.899
   函館線の「山線」と呼ばれている区間がなくなることを知り、遠い日々の記憶が一気によみがえってきた。
 16歳から約6年間、倶知安の美粧院で働いた。雪かきやおさんどんを済ませて店に出る。婚礼シーズンは花嫁支度に追われた。満員の山線に乗り込み、上りは「目名」「熱郛」「黒松内」、下りは「小沢」「仁木」「余市」あたりまで出向いた。
 花嫁のほとんどが農家の娘さん。たいてい実家で支度をして、婚家へ向かう格好だった。まだまだ車が普及していない時代。文金高島田の花嫁に付き添って、残雪の崖道や紅葉の谷を、馬ぞりや馬車に揺られて嫁ぎ先へと急いだ。途中、オイオイ泣きだした花嫁の化粧直しにあたふたしたり、突然の吹雪に馬が立ち往生して肝をつぶしたりしたこともあった。
 22歳の時に上京を決意。夜汽車の窓に映る羊蹄山に別れを告げて、婚礼衣装を背に、降り立った各駅を通過した。そして、歳月は流れた。花嫁たちはどうしておられるだろう。山線の駅名を振り返ると、一人一人の思い出が浮かんでくる。そっと涙をぬぐっていた人、豪快におにぎりを頬張っていた人、じっと宙を見つめていた人…。山線の思い出は花嫁たちのまなざしに重なる。
 廃線になろうとも山線は私の中で色あせることはない。風雪をものともせず、峠を越え、鉄橋を渡り、長いトンネルを抜けて走り続けている。
峯崎ひさみ(75歳・無職)=千葉県市川市

(北海道新聞 2022年3月17日/家庭欄〈いずみ〉)

 
▼ 百号を終えたら 2  
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:56  No.900
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私も「山線」について語りたい。

いつからそれを「山線」と呼ぶようになったのか知らない。室蘭や苫小牧まわりの「海線」(?)が函館―札幌間の主流になった頃からだろうか。

赤字だから廃線というJR社長の論理が気に食わない。何が楽しくて鉄道屋になったんだ。ま、仕方ないわな…(うちは新幹線停まるし)と云わんばかりに、沿線自治体の協議をばっさり打ち切ってしまった小樽市長も気に食わない。小樽の街がここにある意味が丸っきり解っていない。

第100号を終えたら、すぐ第101号に向かわず、しばし「山線」について語りたい。「人間像ライブラリー」作業において、自分の書いたものなど後回し…と基本的には考えているけれど、峯崎さんのお声を久しぶりに聞いて、私も何か書きたくなった。

 
▼ 百号記念全国同人会開催(於・札幌)  
  あらや   ..2022/06/26(日) 10:11  No.901
   本当は、七月初旬に百号を発行し、八月に初めての全国同人会を、と考えていたのだが、印刷所の都合でとうとう間に合わず、発行前の開催ということになってしまった。こうした変則的なことは、人間像同人会の得意なところで、編集部提案通り八月六・七両日にわたり、ホテル札幌会館で開かれた。
 日高良子が遠く九州より来道したのをはじめ、東京近辺より朽木・平木・上沢・内田・渡部・冨士の六名に、旧同人の福田儀一が特別参加、道内からは北野広を除く七名が参加して、午後六時より開会した。冒頭まず針山より、現状認識と今後の方針などについて提案があった後、各同人より自己紹介を兼ねてそれぞれスピーチがあった。とにかく、同人が全国各地に点在するという特殊事情から、二十数年間を経て、初対面という人も居り、夜おそくまで、話は尽きるところを知らないありさまであった。
 さて、翌八月七日は、初めて来道した同人も居るというので、積丹半島、京極、洞爺湖をめぐって札幌に帰る予定で出発したが、途中で有珠山噴火の報に接し、洞爺観光は中止となった。数年来この日の洞爺を楽しみにして来た日高などは、歯ぎちりしてくやしがったが、いかんともなしがたかった。それにしても、百号同人会が世紀の大噴火にぶつかるとは、何か因縁めいて忘れがたい思い出を残す結果となった。

百号、最後の10ページに入ります。

 
▼ 「人間像」第100号 後半  
  あらや   ..2022/07/01(金) 10:29  No.902
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6月29日、約260ページ、いつもよりもっと細かい活字の「人間像」第100号作業、ここに完了です。作業時間は「154時間/延べ日数28日間」。収録タイトル数は「1928作品」。
(数字が予想外だったので、電卓で数え直したりしたのだけどやはりこの数字でした。よく理由はわからないけど、身体は健康だから、ま、いいか…)

後半終了というところで、いつもなら裏表紙の画像を付けたりするのですが、今回は本体の中の広告を一枚出してみます。単なる本の広告のように見えますが、そうではありません。「人間像」は商業雑誌ではありませんから、この広告を載せても広告収入なんかあるわけないのです。それでも載せるとなれば、そこには針山氏なり福島氏なりの意志とか友情といったものがあるのです。(本の紹介コメント書いてるの、もちろん人間像同人ですよ) しかし、それにしても、第100号に、ガリ版時代の同人・瀬城乃利夫(せき・のりお)さんの名が登場するとは思わなかった。奥山昌子さんの小説も吃驚だったけれど、瀬城さんにも吃驚した。ちなみに、第100号裏表紙は、朽木氏の『馬賊戦記』と平木氏の『空気の階段を登れ』でした。これもある意味、第100号か…

ぼーっと一日「山線」に乗っていたい気分ですね。これからすぐ第101号に向かわず、京極時代の仕事を何冊か復刻させていただきます。私の第100号記念です。


▼ 「人間像」第99号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/05/06(金) 09:33  No.890
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昨日(こどもの日)、蛭子可於巣改め千田三四郎『旅に惑いは』をライブラリーにアップしました。「千田三四郎」名義の小説って『ドイツの鋏』(第57号)以来なんですね。
(千田氏は当時現役の北海道新聞記者であったため、新聞社にあらぬ迷惑・誤解がかからないように「蛭子可於巣」などの不思議なペンネームを使用していたらしい。「人間像」参加は、札幌ではなく、道新東京支局勤務時代の東京からだそうです。『ドイツの鋏』はその頃の作品。)

第99号。この後、冨士修子『赤まんま』、内田保夫『暗い青春の歌』、針田和明『どぶ』『台所の歌』と小説作品が続きます。


 
▼ 針田和明  
  あらや   ..2022/05/10(火) 14:55  No.891
   俺の父っちゃんも母っちゃんもどんなんだか俺知らない。まわりみたら、みんな小樽の貧しい人間だった。技術身につけたのに、孤児はどうしてこう馬鹿にされなければいけないんだ。どうかしてるよな。どこかが狂ってるぞ。だけど、ひとりってのはどうしてこう淋しいんだべ。おっと、洋子を忘れてた。あれも小樽生まれだっていってたな。札幌へ来て、こうやって住みついてどこへも行けなくなったら小樽出身ときいただけで無性に嬉しかったものな。
(針田和明「どぶ」)

針田さんって小樽の人なのかな。第97号の『山もありゃあ谷もあらあな』も主人公が小樽育ちという設定だった。「針田和明」と「針山和美」は似ているので、昔は針山氏のペンネームの一つかと思っていた時もあった。(そう言えば、針山氏も小樽育ち。それで受ける感じが似ているのかな…)
一時は「人間像」の後継者として嘱望されていたのですが、若くして亡くなられたため皆が悲しんだと福島氏からお聞きしたことがあります。

 
▼ 針田和明2  
  あらや   ..2022/05/12(木) 09:39  No.892
   「白石駅はどっちへいったらいいんだべ」
 思索の糸がぷっつりと切られた。
「あ、それはですね、この道を真っ直ぐいって、あれ、あそこに踏切が見えるでしょう。あそこを右に折れて五百メートルほど歩いたところです」
「どうも」
「いいえ、どういたしまして」
 道をきいた男は、そのままわたしに歩調をあわせてついてくる。わたしが歩いていく方角であるから別に不思議はないのだが。
「おれ 一週間というもの米の粒を食べていない」
(針田和明「台所の歌」)

おー、私の実家だ。妙に親近感あるなあ。最後に〈荻野吟子〉も登場して、大変楽しめた一作でした。

作業は、この後、朽木寒三『文学の周辺で(4)』、上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史(9)』の大きな山を越えて完了です。

 
▼ 第92号  
  あらや   ..2022/05/25(水) 08:58  No.893
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 ――いっそ思いきって、はじめから少年文学としてお書きになればいいのになあ。
 創作児童文学の出版者としては、いつもそんなふうにつぶやきました。そして、――いずれ脱稿されたなら、そしてこのままで出版するところがなかったら、一度作者とお会いし、ほとんどこのままで『次郎物語』の読者たちが読める程度に文章を明るくしていただいて……出版を企ててみようかしら、など考えていたのです。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(9)」)

第92号は古宇伸太郎追悼号。『父・福島豊』を発表した福島昭午氏の許へ東京理論社(現・理論社)の小宮山量平から思いもかけない手紙が届く。古宇伸太郎『漂流』の未完部分を福島氏が書き継いで、父子共作の少年版「漂流」として完成させてはどうだろうか…

そうかあ、『次郎物語』か。かねがね、五十年後の今を生きる私がなぜ『漂流』をこんなにも興奮して読めるのか不思議でならなかったのですが、これで合点がいったような気がする。広津和郎との師弟関係などから『漂流』を説明しようとする論者がほとんどの中で、この小宮山量平の視点は群を抜いてシャープだと感じました。さすが、理論社。私の永遠の愛読書『佐野美津男少年詩集/宇宙の巨人』の出版社だけはある。

『ある文学徒集団の歴史』は、現在、「第92号」を通過中です。あと二、三日でゴールか。

 
▼ 針田和明3  
  あらや   ..2022/05/27(金) 09:14  No.894
   「針田和明って、すごい男だね。テレビで見ましたか」
 と福島が話しかけた。なんで針田がテレビに、と思ったら、「ユニークな廃品業者」ということでNHKの地方版に放送されたというのだ。
「病人という先入観があったんだけど、テレビの中の彼はどうしてどうして、まったくたくましい男で、圧倒されてしまった」
 と福島がさかんに驚きの声を発した。なんでも兄貴と二人で最近はじめたばかりらしいが、市民運動として、倹約を呼びかけながら廃品を回収しているところが変っているらしいのだ。若い婦人層にも大変な人気で、一躍テレビに登場ということにあいなったらしい。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(9)」/第94〜95号)

へえ。『山もありゃあ谷もあらあな』まんまの人だったんですね。

第99号は今日完了します。BBSに書きうつしている暇なんかないんだけど、『ある文学徒――』があまりにも面白い記述に溢れているので15分間だけ遊んでしまいました。

 
▼ 「人間像」第99号 後半  
  あらや   ..2022/05/29(日) 10:21  No.895
  5月28日、約190ページの「人間像」第99号作業、完了です。作業時間、「126時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「1898作品」になりました。

雨が降っているけれど、今日は机の上の取り散らかった書類や本を片付けて、部屋の掃除をしよう。夏モードというよりは、第100号以降の仕事態勢を見据えた環境づくりというか。パソコンの中も整理整頓ですかね。


▼ 「人間像」第98号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/04/03(日) 10:05  No.886
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「いいところへ来てくれた。実はあんたの力を借りたかったんだ」
 と咽喉がつぶれたような、太いしゃがれ声でいった。
「実は、天虎(てんこ)と横浜と羽田の学生たちで、特攻隊を編成したんですよ。天虎に集結して特別訓練をすることになったんですが、教官が足りないんです。横浜からは三十三名の学生と九〇初練六機が、また羽田からは十二名の学生がそれぞれ天虎に集り、天虎とあわせて八十三名の特攻要員の訓練を開始しようというんです。海軍航空本部が全面協力してくれることになっています。ご苦労でも臨時に天虎の教官になってくれませんか」
(平木國夫「さい果ての空に生きる」最終回)

『さい果ての空に生きる』を早く読みたくて、第98号作業始めてしまいました。上出松太郎の一代記とも云える『さい果て』ですが、場面は、どんどん日本の戦局が泥沼になって行く昭和20年5月の東京です。すでに3月の大空襲で焦土と化した東京、霞ヶ浦から出向いた上出に思いもかけない特攻隊教官の話が降ってくる。さらに物語は、この横浜の学生の中には著者・平木國夫もいたという意外な展開に入って行きます。

と、ここまでが昨日の作業でした。今日もこれから作業です。あと二日くらいで『さい果て』は終わるかな。東京は桜が満開みたいだけれど、小樽の家の庭には二月の大雪がまだ一メートルくらい残っています。


 
▼ さい果ての空に生きる  
  あらや   ..2022/04/11(月) 11:44  No.887
   執筆を思いたってから四年になる。そもそもは同人であり親しい友人の福島昭午が、「空気の階段を登れ」の主人公・伊藤音次郎のような民間航空のパイオニアが北海道にも住んでおり、ひょっとすると私の作品のモデルになり得るのではないか、といってくれたのがキッカケであった。もしや、と思いながら問い合わせると、案の定、上出さんであった。それなら二十六年前、金沢駅頭で別れたままの人で、ひそかに探していた人である。手がかりを頼むと、北海道新聞に、上出さんの手記「サルムソンのころ」が掲載されたことがあるという。それなら、と今度はこれまた親しい友人の千田三四郎に連絡して、上出さんの手記を電子コピーにとって送ってもらったり、現住所を調べてもらったりした。
(平木國夫「さい果ての空に生きる」最終回/あとがき)

この作品が発表された1976年当時、福島氏は泊中学校に在職し、泊原発反対運動に大忙しだった時期です。後志エリアを主に歩いてきた人が、どうして1986年の蘭越中学校退職と同時に、今まで氏の来歴には一度も登場したことのない広島町(現・北広島市)に居を移したのかと時々不思議に思っていました。でも、この『さい果ての空に生きる』を読んで少し感じるものがありました。戦後、空を飛ぶことが出来なくなった上出松太郎が選んだ終焉の地がこの広島村だったのです。

 
▼ 第70/71号  
  あらや   ..2022/04/21(木) 05:47  No.888
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 現在の本誌の編集のパターンがここで形成されている。七十号、七十一号はほとんど同時編集、印刷進行といった驀進ぶりで、七十号の創作欄には、瀬田〈階段〉・朽木〈突然の破局〉・北〈目の周辺〉・辻井〈泥んこ道〉・古宇〈おらが栖〉、七十一号には瀬田〈ニッポン・ピカレスク〉・平木〈つばさの人〉・加藤〈城の姿〉・内田〈やどかり〉・上沢〈蹌踉の記・5〉といった風に、目じろおしの大作が集ったが、尚針山の手許には、春山の〈愛と逃亡〉、佐々木の〈ある疎開者〉、加藤テル子の〈神様の世界〉といった作品がストックになっていたのである。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(8)」)

昨日、『さい果て―』以降の朽木寒三『文学の周辺で(3)』ほか4篇をライブラリーにアップし、最後の一本『ある文学徒集団の歴史(8)』に入ったところです。現在、「第70/71号」部分を通過中。いやー、今思い出しても、もの凄いラインナップ。

 
▼ 「人間像」第98号 後半  
  あらや   ..2022/05/02(月) 14:48  No.889
  4月30日、約250ページの「人間像」第98号作業を完了しました。作業時間は「181時間/延べ日数34日間」。収録タイトル数は「1887作品」です。

通常の約一ヶ月のペースで作業を終えられたのは、第98号の印刷インクが薄くなかったおかげでしょうか。でも少し疲れた。『ある文学徒集団の歴史』が〈第二次発情期〉の真っ最中なので、話題や作品評に溢れかえっていて延々と続くルビや傍点の嵐に少し疲れた。気がついたら世の中は連休なのか。

「第99号」と聞くと個人的には感じるものがあります。ついにここまで来たぞ…みたいな。幸い、インクも普通なので今月中に通過したい。4月23日は福島昭午氏の命日でした。『ヘラクレスは来なかった』を時計を早めて先に人間像ライブラリーにアップしようかとも考えていたのですが、ここは少し冷静になって、目の前の「第99号」の方を選択します。


▼ 「人間像」第97号 前半   [RES]
  あらや   ..2022/02/13(日) 16:39  No.881
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 張田は小樽の生まれだ。祖父の代から洋服店を経営していた。祖父は江差に田畑山林を所有し、そこに初めて駅馬車を走らせて町の人々の度胆をぬくといった資産家であった。祖父は江差だけではあきたらず、函館、小樽、樺太の恵須取に洋服店の支店を出し大いにあたったが戦争中江差の田畑山林を没収され樺太の支店も日本軍不利の情報で引払い函館は大火にあうという事態が生じ、小樽だけにしぼって営業を続けることにした。
(針田和明「山もありゃあ谷もあらぁな」)

うーん、久しぶりの「人間像」。第97号作業、開始です。まずは、針田和明『山もありゃあ谷もあらぁな』を本日アップ。これから、平木國夫『さい果ての空に生きる〈第3回〉』に入ります。

張田さん、小樽の人だったんですね。「人間像に現れた〈小樽〉」作品、私、即座に二十作品くらいは挙げられますよ。


 
▼ さい果ての空に生きる  
  あらや   ..2022/02/24(木) 17:13  No.882
  しかしたとえ彼らに遅れをとったとしても、北海タイムスのこの定期航空は、井上長一や東西定期航空会のそれと堂々と肩を並べ得るだけの大きな意義のある事業であった。つまり日本航空輸送のように国家予算で賄われたのではなく、新聞の売上収益で企画され実行された公益事業であった。という正にその一点に於いてである。これをなし得たのは、北海タイムスと朝日新聞だけではなかったか。やがて日本航空輸送は朝日新聞や井上長一らが営々として築き上げた定期路線を吸収合併してゆくのだが、それまでは、国も県もこれら民間航空事業に対して協力的ではなかった。北海道に於ける定期航空もまた一新聞社の私企業で、道も市も極めて冷淡であったといってもよい。むろん表面的には祝福のことばを浴びせても、経済的援助は何ひとつしてくれているわけではない。ともあれ規模に於いて、中央の一流紙である朝日新聞の幹線路線とはくらべられないとしても、その志に於いてその実績に於いて、朝日の東西定期航空会と共に高く評価すべきであろう。それは北海タイムス社の体質でもあったし、更には函館生れの上出松太郎という得がたい男が存在したからでもあった。
(平木國夫「さい果ての空に生きる」第3回)

ここのところ、千歳の飛行場がすっぽり埋まってしまうような大雪が北海道中で起こって、小樽もちょっと大変です。ライブラリー作業も二三日滞って、毎日雪かきばっかりしてた。

今、テレビが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を伝えている。

 
▼ 小野静子  
  あらや   ..2022/03/09(水) 12:59  No.883
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 朽木は本号の「小野静子の短き春」を発表する以前に、同通73号〈小野静子追悼号〉に、同題のエッセイをよせている。彼女の死の直後、その遺品の整理に立ち合った時の記録である。

 二月二日の夜、テル子さん(注・加藤テル子、後に同人となる)と二人で、小野静子のつとめ先だったパチンコ屋「名曲」にいった。遺品整理の為である。テル子さんは、小野さんから遺言ですべてをたくされた女友達なのだが、友の死におびえていて、一人ではいけないので、ぼくがついていったのだ。
 ビルの裏階段(せまい鉄ばしご)をのぼっててっぺんにつくと、まず、ナイトクラブ女王蜂の女給さんの控室があり、その次にボーイさんたちの溜りみたいな部屋があり、小使室があって、一たん屋上に出る。するとそこに、天井の高さがぼくの肩ぐらいしかない穴ぐら部屋があり、それがパチンコ屋の「女の子」たちの寝泊りする居住区だった。カーテンでしきられた部屋の入口に立って、おそるおそる「入っていいですか」ときくと、三人いた娘さんたちが、どうぞと招じ入れてくれた。三人とも、インテリではない、話しているとすぐに、心の温かさ、考えや気持の直線的な卒直さの分かる人々だった。このようないい友達の中にあって、彼女はなぜ死んだのかと思う。

現在、「人間像」第97号最後の山場、上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史(7)』に入っています。昨日、第56号の章を終えました。
ご覧の通り、第56号表紙に「小野静子追悼号」の文字はありません。いらぬお節介で「人間像ライブラリー」の目次には〈追悼号〉の文字を書き込もうと考えたこともあったのだけど、しないでよかった。『ある文学徒…』を読んでいて、人間像同人会が意図的にそうしなかったということを知りました。また、「同人通信」には未発表の関連作品があり、これをライブラリーに挙げようと考えたこともあるけれど、これも無用でしたね。必要なことは上沢さんが全部活字にしてくれた。

 
▼ 南部なまり  
  あらや   ..2022/03/25(金) 09:32  No.884
   南部なまり   渡部秀正

日曜の朝
いわて公園に行こうよと子供が言う

かたくなで一途だった
土地の人々の
歴史そのままの
城あとの道をあゆみ乍ら
語りかける子供に
ふと土地のなまりがある

娘よ 其のなまりを忘れるな
幼かった日々の
かえらざる想い出のために

(「同人通信」第103号/巻頭詩)

戦争のニュースの日々、この詩に出会って涙が出た。気づかせてくれた『ある文学徒集団の歴史』、ありがとう。「同人通信」を預けてくれた針山家の皆さま、感謝しています。

 
▼ 「人間像」第97号 後半  
  あらや   ..2022/03/25(金) 09:37  No.885
  昨日、「人間像」第97号作業が完了しました。作業時間は「250時間/延べ日数46日間」。収録タイトル数は「1878作品」。

なんと、約280ページの本に一ヶ月半もの時間がかかってしまった。気がついたら3月24日だなんて、信じられないことだ。そして、今日の夕方のニュースが(道内の)新規感染者数が2048人と報じても、もう驚かない自分に驚く。


▼ 「人間像」第171号〜第190号   [RES]
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:05  No.875
  「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」作業が完了した一月末から数日間、次の「人間像」第97号作業に入る前に行っておかなければならない物事が公私ともに溜まっていて、今少し「人間像」作業は中断しています。

昨年秋、雪が降る前にと大急ぎで針山家からお預かりしてきた「人間像」第171号〜第190号の作業環境への取り込みもその一つ。
もともと、人間像ライブラリー当初の復刻計画では、針山和美氏の編集権が及ぶ範囲の「第170号まで」を考えていました。「人間像」第170号(2003年5月発行)は「渡部秀正追悼特集」号。その次の号が「針山和美追悼号」(2003年11月発行)となります。この辺が潮時かな…とは思っていました。第171号以降を扱うとすると、2003年以降の福島氏編集体制で新同人として参加してきた人たちの著作権の問題もありますし。(福島氏はそれを含めて「人間像」の復刻を許すとは言ってくれましたが…)
ひと冬、「人間像」作業の進行と平行する形で第171号〜第190号を読んできた現時点での感想では、やはり第190号までをしっかり復刻しなければならないという思いに傾きつつあります。第171号〜第190号の20年弱の時間の中でさえ、そこには福島第一原発があり、コロナ禍があり、千田氏や平木氏たち同人の死もありました。
「人間像」創刊号に針山氏は脇方鉱山へ勤労動員された旧制倶知安中学生を書いたことを思い出します。戦争、震災、病苦、そして、個人の小さな幸福も。「人間像」には現代の日本人が味わった様々な人生が描かれています。まさしく創刊号から第190号まで丸ごとが私たちの人間像なのだという思いが強い。


 
▼ 渡部かおる  
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:11  No.876
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■第171号(2004年4月発行)――父の追悼号が出た翌年、娘の渡部かおるさんが同人参加。詩作品『CON・NEにて』を発表しています。作品発表は第176号の『唐墨鳥』まで毎号続きます。
■第172号(2004年11月発行)――ガリ版時代の古い同人、土居漠秋(麦秋)が復帰。
■第173号(2005年6月発行)――新同人・笹原実穂子。以降、女性作家の参加が続く。

 
▼ 千田三四郎  
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:15  No.877
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■第174号(2005年12月発行)――「特集・千田三四郎追悼」号。この号には、福島、平木の「追悼・丹羽文雄」の二篇も載る。さらには、新同人(!)藤本英夫が『青春の遺跡・天津楼』を発表。(あの、『銀のしずく降る降るまわりに』の藤本氏が人間像同人だった一時期があったなんて驚きでした。驚きは次号でさらに爆発。)
■第175号(2006年7月発行)――福島昭午『風の如く来たりて、風の如く去りし人』。藤本英夫氏、2005年12月に逝去。「追悼・千田三四郎」の補遺として、1974年8月の東京同人会の模様がテープ起こしされている。千田文学の本質に迫る深い内容。
■第176号(2007年3月発行)――渡部かおる『唐墨鳥』。
■第177号(2007年11月発行)――村上英治『沈黙して月は沈んでいく』発表。『海に棲む蛍』の続編。
■第178号(2008年12月発行)――村上英治『多喜二まんだら雪明り』発表。
■第179号(2009年12月発行)――『堺比呂志さん逝く』。
■第180号(2010年10月発行)――『さようなら、「小ば金」さん』。

 
▼ 平木國夫  
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:18  No.878
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■第181号(2011年9月発行)――日下邦子『(三・一一)東日本大震災』。福島昭午『濃縮と拡散』。
■第182号(2012年9月発行)――「平木國夫追悼特集」号。日下邦子『あの日から、そして一年』。
■第183号(2013年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[1]』(序章「駒里村へ」)
■第184号(2014年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[2]』(第一章「反原発運動以前」〜第二章「原発を考える会」〜第三章「漁民決起」)
■第185号(2015年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[3]』(第四章「CR作戦」〜第五章「村長選挙」〜第六章「石内漁協落城」)。村上英治『あなとみあとあん』。

 
▼ 村上英治  
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:22  No.879
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■第186号(2016年9月発行)――表紙裏ページに村上英治『北浜運河』の広告。(2022年1月末時点で、道立・札幌・小樽図書館に『北浜運河』の所蔵なし。「日本の古書店」「アマゾン」等にも出品なし。)
■第187号(2017年9月発行)――「北村くにこ特集」号。表紙裏ページで「人間像ライブラリー通信」始まる。
■第188号(2018年8月発行)――村上英治氏の訃報(2017年6月、逝去)。妹尾雄太郎氏の特別寄稿。
■第189号(2019年8月発行)――新同人・長岡由秀『沈黙の百二十年』
■第190号(2020年8月発行)――福島昭午『小説・春山文雄と[1]』(序章「出会い」〜第一章「同人誌「路苑」と「道」)

 
▼ 福島氏のパソコン  
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:28  No.880
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 朽木寒三が一番はやくワープロを使い始めた。それこそ初期のワープロだから、ディスプレイも二行しか文字が出ないヤツだ。彼の原稿が綺麗なのを羨ましく思った。私の職場では事務員が、朽木より少し進んだ機械を使っていた。保存はテープレコーダーを回し、テープの磁気に記録する方法の機械。するうち、ワープロ業者が最新の機械を持ち込み、講習会を催した。生徒の成績一覧から偏差値もキー一発で計算できる。四、五人組んで買えば安くなるというので、私もわりこんだ。一ヶ月ほど苦労したが、間もなく操作できるようになった。しばらくして、針山も買った。
(「人間像」第182号/福島昭午「惜別」)

私の作業部屋にも1990年代に使っていたMS-DOSの最終機パソコンをまだ残してあります。電源は入れたままにしてあるけれど、もう20年以上も触れたことがないから、今、スイッチを押して起動はできたとしても、そこから先は何が何だか動かせないような気がします。もうみんな忘れちゃった。パソコンは自転車やスキーとはちがう。
福島氏のパソコンを時々思うことがあります。一度、氏から連絡のメールを貰ったことがありますから、おそらくは、このワープロ専用機から始まって、MS-DOSの時代を経て、現在のWindowsの世界で定着されているのではないかと想像しますが…

…と、ここまで書いたところで、郵便受けに「人間像」終刊号/福島昭午追悼集」が。
さあ、休憩は終わりだ。明日から第97号作業に入ります。夢は枯野を駆け巡る。


▼ 別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号   [RES]
  あらや   ..2021/12/24(金) 11:41  No.869
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12月17日より「別冊人間像」作業に入りました。『つばさの人』、『ひとり飛ぶ』、『女流飛行家第一号』、『絆』、『おお!少年航空兵』と来て、今日から『渡り鳥記』へ。
「人間像」に発表された作品についてはその作成ファイルを利用し、他誌に発表されたものについてはいつものワープロ原稿から始めてと、作品によって作業が異なるので、今回はなかなか時間が読めない。加えて、大雪があったり、世の中が年末年始のモードに入ったりで、なかなか落ち着いて作業していられないのが少し悩みですね。

 お父様、ごめんなさい。いつまでも手をふっていられたお父様の孤独なお姿が、私の心に今も消えずに残っております。
 七尾よ、さようなら。私の過ぎし日よ、さようなら。空虚になった自分の心をどうしていいのかわかりません。
(平木国夫「絆」)

この『絆』の次に、「七尾中學一年 平木國夫」が書いた『おお!少年航空兵』が続くなんて、粋な演出ですね。平木氏の作品は二度目に読み返した方が感じます。こんなにきっちりした作品だとは思わなかった。


 
▼ 渡り鳥記  
  あらや   ..2021/12/31(金) 16:39  No.870
   ロスアンゼルス着が午前八時十分。一時間五分後に国内線のジェットでデンバーまで一時間五十分。デンバーからウイチタ行きは二時間四十分も待たなければならず、空港のレストランで軽い食事をした。レストランにはいって、はじめてアメリカにいるんだなと実感として受けとった。それはウエイトレスたちがみんなアメリカ人だったことだ。
(平木国夫「渡り鳥記」)

本日、「渡り鳥記」をライブラリーにアップしました。年内の仕事はこれにて終了。で、明日元旦からは「李ラインを越えて」に入ります。

「渡り鳥記」は初めて読んだのですが、面白かったですね。上のちょっと不思議な文章、平木国夫氏は、戦後のある時期、駐留軍で通訳を職業としてきたので、自然、アメリカ人たちとスナックバーやレストランに出かけた際、日本国内ですからもちろん日本女性のウエイトレスしかいなかったわけです。アメリカ女性は男性を従えて肩をそびやかしてレストランに入って行くもの、そんな観念に自然馴らされてしまっていた平木氏にとって、「ウエイトレスたちがみんなアメリカ人」の光景は、たしかにここは日本ではなく異国であったというエピソードです。「渡り鳥記」はそんな気づきに満ちている。時代をうまく纏っている。

 
▼ 迎春  
  あらや   ..2022/01/01(土) 16:12  No.871
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2022年。今年もよろしくお願いします。

 駅からの帰り途、ホテルの近くのスナックバーで葡萄酒を注文した。私があてずっぽうに、
「ヴィノをくれ」
 と英語まじりでいったら通じたのだ。イタリヤ語でも同じらしい。なんとなく心身ともに疲れたせいか、ローマのヴィノがマドリッドのとくらべて、まずいのかうまいのか識別することが出来なかった。
(平木国夫「渡り鳥記」)

昨夜呑んでいたワインのラベルを何気なく見たら「ヴィノ」だった。英語のWINEがスペイン語のVINOなのね。(瀬田栄之助氏の作業の時に使った「スペイン語ミニ辞典」による)
元旦は大吹雪。『李ラインを越えて』は書き換えがかなり多いので、正確を期すためワープロ原稿から起こすことにしました。

 
▼ 楽書帖「空気の階段を登れ」  
  あらや   ..2022/01/14(金) 11:59  No.872
   「ぼくがもう一度、小野さんが書いた筈ですよっていうと、冗談じゃない、おれは作家じゃねえけどペンで食っている人間だ。プロとアマの文章が区別つかないほど耄碌しちゃいねえよ、ですってさ」
 朝日の航空部長というのはパイロットではなく、社会部記者出身である。私自身は、もちろんそんなすぐれた文章を書いたなどとは思っていないけれど、読む人が読めばわかってくれるんだな、ということがわかって嬉しかった。小野部長にはそれがわからないのだ。すると、朽木が「婦人公論」に「中島成子戦記」のゴースト・ライターになったときのことを思い出した。
「朽木さんに頼まなくても、これくらいの文章だったら私だって書けますね」
 と中島女史が、婦人公論の記者にいったという。もっとも小野の方は中島女史より少しはましなようで、書きなぐりの文章をそのままで外部の人にわたさず、必ず私の手もとを通過させている。とはいえ構成とか文章の省略とかいったことがさっぱりわからず、だらだらと書きつらねて、まともな文章を書いたと思っているのだからかなわない。
(楽書帖/6.「翼に賭ける」刊行)

1月5日からこっち、平木国夫『楽書帖』のワープロ起こしです。10日間かかって、やっと半分くらいの分量の第16章まで来ました。もう10日間か…
ここ数日小樽は大雪で、みるみる「人間像」の作業時間がとられます。こんな日々が、昨日今日なんてものじゃなく、ひと冬えんえんと続く山麓の地を思い出しました。
「翼に賭ける」、大変興味深いので「日本の古書店」に発注した。

 
▼ 出版記念会  
  あらや   ..2022/01/25(火) 11:04  No.873
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 私自身は、『空気の階段を登れ』という題は、非常にいい題だと思っておりました。しかしそれは、文学的に見ていい題だと思っていたんですけれども、平木さんの本を読んでみましたら、初期の飛行家が、ヒコーキの高度を上げるときには、空気という目に見えない階段を一段ずつ登るように、機体を操縦しながらあがっていくんだ、ということが、書いてあって、ああなるほど、これはただ文学的な言葉だけでなくて、ヒコーキの高度をあげるときに必要な技術だということがわかりました。航空界に住んで、小説を書いている平木さんは、両方の世界を知っている人であって、この題を、平木さんが選んだのは、やっぱり見事だったなと思って、それにも感心しました。

長かった『楽書帖「空気の階段を登れ」』が漸く終わって、今、ラストの出版記念会レポートを通過中です。上のスピーチは八木義徳氏。この少し後には、ヒコーキに乗って東京に来た針山和美氏も登場します。
この『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』は、大雑把に言えば、『空気の階段を登れ』という歴史的作品がこの世に生まれてくるまでの平木国夫氏の二十年間をまとめたものと言えるでしょう。『翼に賭ける』なんて、その二十年間の中の一エピソードにすぎない。調子に乗って古本屋から買っちゃったけれど、こんなの読んでる場合じゃない。もう一度、『空気の階段を登れ』をちゃんと読み返そうと思いましたね。

たぶん今週中にはフィニッシュではないでしょうか。

 
▼ 祝電  
  あらや   ..2022/01/27(木) 17:44  No.874
  オメデトウサラニケンサンノカイダンヲノボリブンウンノソラニハバタケ」 チダサンシロウ (北海道、千田三四郎)
ワレモマタクウキノカイダンヲノボルココチナリ、バンザイ」 フルウシンタロウ (北海道、古宇伸太郎)

本日、「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」、完了しました。私もまた「クウキノカイダンヲノボツタ」心地です。
今回は400ページの本を自分でコピーしたわけではないので参考にはならないと思うけど、まあ記録として… 作業時間は「208時間/延べ日数39日間」でした。(年を越してしまった…) 収録タイトル数は「1859作品」に。

また今回の作業は、年だけではなく、Windows10からWindows11の移行も跨いでいました。で、言っちゃあ何だが、Windows11、最悪ですね。仕事に使っている機能のことごとくが使いにくくなった。いつもなら一時間もあれば完了する画像処理が、何時間もかかる。どうも、慣れれば元に戻る…といった手応えではないですね。スマホとの関連付けに夢中になって、古典的な機能を捨てたんじゃないか。


▼ 「人間像」第96号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/11/18(木) 12:09  No.864
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11月12日より第96号作業へ入りました。今日、巻頭の作品、佐々木徳次『二つの柩』をアップしたところです。第96号の創作は、『二つの柩』以降、針田和明『うそ発見薬』、平木国夫『さい果ての空に生きる(二)』と並ぶのですが、いずれも大作で、全220ページの内、120ページをこの三篇で占めています。また一ヶ月くらいかかるかもしれない。

ここから一ヶ月だと、もう世の中はクリスマスかあ…


 
▼ 間宮茂輔  
  あらや   ..2021/11/22(月) 13:52  No.865
   東京ステーション・ホテルのホールは駅の二階だった。はじめてみる。きらびやかな装飾がなく、いかにも大正年代らしい雰囲気で、両先生を偲ぶにふさわしい。すでに参会者が廊下に待っていた。御遺影を渡す。受付の白髪の人が、どうも間宮茂輔氏らしいが確認できない。ここにも二十年の歳月が流れている。
(古宇伸太郎「墓参」)

間宮茂輔(まみや・もすけ)は、私、知りませんでしたね。『墓参』のこの部分も無意識に読み飛ばしていました。お恥ずかしい。(ステーション・ホテルはちゃんと記憶しているのに…)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E8%8C%82%E8%BC%94

第96号、福島昭午『間宮茂輔氏の想い出』、平木国夫『遠くの隣人』を本日アップしました。これより平木国夫『さい果ての空に生きる』に入ります。

 
▼ 上出松太郎  
  あらや   ..2021/11/29(月) 18:24  No.866
   やがてアブロは、飛行場の真上で、右に、左に、急旋回をやった。するうち水平に姿勢を正し、不意に機首が下って、急降下にうつった。墜落だ、と誰の目にもそう映じた。ところがクルッと半円を描き、逆さになり元に戻った。そうだ、宙返りだ。永田操縦士も、あんなふうな宙返りをしてみせたっけ。村人が見上げる中で、アブロの宙返りは、二度、三度とくり返された。次に逆転をやり、燕返しをやった。村の人には、それらの正式な名称はわからないが、そうだろうと思った。彼らが思った通りの名前でいいのであった。もちろん逆転に見えたのは宙返り反転《ループ・ハーフ・ロール》、燕返しに思われたのは失速反転《ストーリング・ロール》であった。その他、はじめて見る曲技飛行の数々が展開された。
「こりゃ、名人だ」
(平木国夫「さい果ての空に生きる(二)」)

いやー、上出松太郎、しびれました。もの凄く得した気分。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0123415100/0123415100100040/ht100040

明日から第96号後半戦へ。今日は『さい果て』の仕上げで疲れたから、これまで。

 
▼ 「人間像」第96号 後半  
  あらや   ..2021/12/16(木) 14:22  No.867
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昨日、「人間像」第96号作業、漸く完了です。作業時間は「168時間/延べ日数31日間」。収録タイトル数は「1844作品」になりました。

215ページの大冊ですから、まあこんなものなのでしょう。年内の「100号通過」など、夢のまた夢といった状況です。
215ページの内、じつに77ページを占める上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史』ですが、針山編集長から「第99号までに完了するよう」厳命が下ったようで、この後どんどんページ数が増して行きます。先ほどちらっと第97号を見たら、『ある文学徒』だけで130ページに及んでいました。頭くらくらします。

その『ある文学徒』が扱う「人間像」、ついに第50号に到達しましたね。そうか、『たんぷく物語』の登場は第50号の記念号だったとか、小野静子さんを含む東京同人会の笑顔とか、なにか、懐かしいものに溢れていました。少し元気が出た。さあ、第97号、頑張るぞ。

 
▼ クリスマスの贈り物  
  あらや   ..2021/12/17(金) 10:15  No.868
  さあ、頑張るぞ!と第97号に取りかかろうとしたのだけど、奥付を見たら「昭和51年6月1日」の発行日になっている。第96号が「昭和50年5月20日」だったから、この間、一年以上の時間が流れている。こんなことは「人間像」の歴史の中ではなかったことなので、また旭川刑務所のミスプリか?とも思ったのだが、そう言えば、第96号の編集後記に気になる一文があった。

寡作な同人の多い中にあって、例外的に量産型なのが平木である。職業柄、海外旅行など多く、決して時間のある方ではないが、今連載中の長篇の他に、いろいろな誌紙に執筆、その間をぬって今作品集の編集の最中である。千三百枚の内容で別冊人間像という形でこの夏か秋には刊行の予定である。まさに情熱の男というところである。

ああ、あれか!ということになったのでした。『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』。この号は針山家でも所蔵してなく、北海道立文学館にコピーをお願いしたのですが、後日、厚さ3pほどの紙の束が送られて来た!という代物です。「人間像」史上最大の400ページに及ぶ号なのでした。(通常の「人間像」のサイズだと思ってコピーを依頼したのですが… 道立文学館には本当にご迷惑をかけました。400ページだと知っていれば手伝いに行くんだった…)

というわけで、これから『別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号』の旅に出ます。帰ってくるのがいつになるか、今の時点では想像もつかないです。


▼ 「人間像」第95号 前半   [RES]
  あらや   ..2021/10/21(木) 09:23  No.861
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10月10日より第95号作業へ入っています。平木国夫『さい果ての空に生きる(一)』、内田保夫『勝利への陥穽』、針田和明『灰とキリスト』、富士修子『回転木馬』は人間像ライブラリーにアップ済み。今日から、第95号の最高峰、蛭子可於巣『空洞に響く』に入ります。ちらっと「穂足内騒動」などという言葉も見えて、血が騒ぎます。

今、書類棚の一角を空けて、沼田流人の資料をまとめ始めています。第100号通過の辺りを目処にライブラリーの新展開があるかもしれません。


 
▼ 空洞に響く  
  あらや   ..2021/10/27(水) 18:29  No.862
   『長野って、アイヌの口誦文芸なんかについて解説してる、あの長野かい』と仙堂。
『聞きたいな』と堀川も。
 エミは、寄りかかる仙堂の躰を避けるように、そっと腰をソファーの端にずらした。『その有名な長野さんに対して、おまえは俗物だよ。まぎれもない俗物中の俗物だ、って。頭が禿げ六十歳を越した温厚な長野さんが、とうとう赤沼さんの罵倒に耐えられなくなって、子供みたいに大粒の涙を零してたわ』と言って、腿のあたりを這っていた仙堂の手をやわらかく押え、『どうしようもないいたずらっ子』とたしなめた。
(蛭子可於巣「空洞に響く」)

千田三四郎(=蛭子可於巣)さんの単行本の作品なら全部読んでるつもりだったけれど、なんかこれは読んだことがないな…

作業してて、深く納得。意図的に単行本からは外したのですね。「人間像」で読めればそれでいい、「人間像」で読むことに大事な意味がある、と云うべきか。「人間像」の仕事をしていて、幸運だった。

 
▼ 「人間像」第95号 後半  
  あらや   ..2021/11/10(水) 17:00  No.863
  昨日、「人間像」第95号作業を終えました。作業にかかった時間は「137時間/延べ日数27日間」。収録タイトル数は「1825作品」へ。

なんと一ヶ月もかかってしまった。上沢祥昭『ある文学徒集団の歴史』には教えられることも多いのだが、付随的に今まで手掛けた「人間像」を再度チェックすることになるので時間がかかるのです。今回は、第24号から第35号までを手直ししました。
見慣れないペンネームがどんどん登場して来て驚かれると思います。これは、「人間像」という一つの雑誌の中で各人が何種類かのペンネームを使い分けるからなのです。例えば、上沢祥昭氏は詩作品を発表する時は「上沢祥昭」ですが、小説には「神坂純」を使います。(昔は「冬野管」を使ったこともあったかな…)
ペンネーム一つだけを使い続けた人って瀬田栄之助氏だけじゃないかな。書きまくっていた頃は、一冊の「人間像」目次に「瀬田栄之助」の名が三つも四つも並ぶことがありましたからね。あれはあれで壮観なものでした。

さあ、第96号へ。北国は雪が積もる前にあれこれやらなければならないことも山積みで、年内の100号通過は難しい状況ですが、行けるところまでは行くつもりです。



 


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