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司書室BBS

 
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▼ 十九才   [RES]
  あらや   ..2019/09/06(金) 09:08  No.702
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昨日、竹内紀吉氏の『雪 津端宏・竹内紀吉集』の7作品をアップしました。竹内氏、十九才。今月は、竹内氏の都立両国高校定時制文芸部時代(昭和30年代)の作品がしばらく続きます。孔版印刷や原稿用紙からのデジタル化になりますので幾分時間がかかるかもしれない。
ちょうど「人間像」作業が第55号より昭和35年(1960年)に入りましたので、このタイミングで竹内作品をすべてカバーしておこうと考えました。「1960年」と「1959年」は感覚的にはずいぶん違うように感じます。195-年と聞けば、やはり心のどこかに〈戦争〉や〈進駐軍(アメリカ)〉の記憶を残している感があり、作家や作品によってはかなり長い間その影を落としていたように思います。それが次第に薄らいで来るのは1950年代もずっと終わりの頃だったような印象です。
「1960年」にはあまりそのような影を感じないのですね。世の中の意識がなにか少し変わったような印象を受けます。高度成長のスイッチがポンと入ったような… まあ、六十年後の現在から「1960年」を見ている私たちは、すでに1964年に東京オリンピックがあることを知っていますから、そんな風に考えるのかもしれないが。でも、京極町立錦中学十四才の女の子にとっては、教師の語る「三年後の東京オリンピック」の言葉は相当な衝撃ではあったでしょうね。
去年の9月6日にも、竹内氏作品を作業していたのも何かの縁でしょう。(『五の日の縁』、凄かったなあ…) 『哀傷』も、『次郎鹿の森』もきちんと読めました。(私的には、その前の週に仕事していた小野静子『不良少女』を思い出していた…) 夜が闇であることを久しぶりに感覚した一年前と同じ夜がこれらの作品には流れていて心が落ちつきます。


 
▼ ブラックアウト  
  あらや   ..2019/09/11(水) 16:03  No.703
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【台風15号】「暑くて寝られず」「ろうそく頼り」 千葉で停電続く、なお54万軒 断水も9万戸、ライフライン深刻
https://www.chibanippo.co.jp/news/national/625922
台風15号に伴う県内の大規模停電は、東京電力パワーグリッドの10日午後4時時点の集計でも約54万8800軒に上り、県民生活に深刻な影響が続いている。停電場所は依然、市原市で約6万200軒、君津市で約3万7700軒、八街市で約3万1700軒、千葉市若葉区で約3万200軒など45市区町村に及ぶ。県の南部・中央部で復旧の遅れが目立ち、断水被害が重なった地域もある。ろうそくの火を頼りに不安な夜をすごした住民もいる。
(千葉日報 2019年9月10日)

千葉市若葉区の名が入っていて心配しています。一年前のブラックアウトで、小樽は水関係は止まらなかったので他地域よりは深刻でなかったはずなんだけど、それでも三日目はさすがに限界近かったことを思い出しました。

今日、竹内氏の都立両国高校定時制文芸部時代の『桂友』『ロマネスク』から8作品をアップしました。

 
▼ 停電情報  
  あらや   ..2019/09/19(木) 16:59  No.704
  http://teideninfo.tepco.co.jp/html/12000000000.html
東電の「停電情報」を毎日見ています。「千葉市若葉区」がようやく「100軒未満」になり、昨日、表示から「野呂町」が消えてほっと息ついたところです。(竹内氏の家が野呂町にあり心配していました…) でも、見ているとまだまだ復旧していない市町村がいっぱいですね。言葉もありません。
去年の北海道のブラックアウトの記憶がどうしてもあるので、数日の我慢で復旧するのでは…という思いが心のどこかにあって、三日目あたりからの千葉県の事態にはただただ唖然とするばかりです。長期化することで、信号の発電機が盗まれたり、屋根のブルーシート張りに20万円も騙し取る人間が出たり、あまり見たくなかった人間の汚い面も見なければならなくなってつらいです。

今日、竹内氏の『春のいそぎ』という作品をライブラリーにアップしました。原稿用紙80枚。どうしてこの作品が活字化されることもなく埋もれていたのか不思議なくらい、整った作品です。ワープロに打ち込んでいて「ほーっ」と唸ってばかりいました。停電情報にも出ている東金市が舞台だったのは奇縁ですね。生原稿のデジタル化、もう少し続きます。


▼ 「人間像」第56号   [RES]
  あらや   ..2019/08/24(土) 11:38  No.698
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昨日、「人間像」第56号作業、完了。デジタル化にかかった時間は「73時間/延べ日数14日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「1140作品」です。少し日数が多めにかかっているのは、お盆のあれこれと、珍しく夏風邪をひいてしまったから。

 この号は、予告通り小野静子に関する特集をやったが、印刷所に廻したあとで、例の週間誌のことが起り、ぼくらは、この号の意味が失われたかと心配したが、週間誌はなるほど聞きしにまさる「七日間だけの物」である。今はもう、週間誌の記事はなかったも同然の静けさで、ぼくらは、全く予定の通りに、この号をひっそりと出せるのである。
(「人間像」第56号/編集後記)

第56号「小野静子追悼号」は、小野静子という人の死の尊厳を護った大切な一冊です。朽木寒三氏が『小野静子の短き春』を現さなかったら、私たちはいまでも『破滅の青春』のミスリードのままに生きていたでしょう。三十歳になったかならないかの若者たちが、初めて受けとる同人の死は如何ほどの衝撃であったろうかと思います。


 
▼ 「例の週間誌のこと」  
  あらや   ..2019/08/24(土) 11:43  No.699
   三十二年には小野静子が入会した。山梨から文学に憧れて上京、平木の家で子守などしていた少女だった。四十九号の短篇「散歩」が第一作で「別れ」(50号)「約束以前」(53号)「不良少女」(56号)など、エキセントリックな新鮮さに溢れた作品を発表し始めたばかりだったが、三十五年一月急死した。自殺だった。文学少女の自殺ということで『東京新聞』の「大波小波」欄が「ある文学少女の死」として取り上げたことから始まり、『週刊新潮』までが「放浪、セックス、そして死」などと興味本位に取り上げ、まさに事件となった。後に東京の世代社から作品集『破滅の青春』として刊行された。(中略)かくして五十六号は初の追悼特集号となった。
(針山和美/「人間像」の五十年)

小野静子さんの自死が昭和35年1月。第56号「小野静子追悼号」の発行が同年6月。その1月から6月までの間に週刊誌の騒動があり、同年7月の『破滅の青春』出版がある。

その『破滅の青春』。「小野静子著」となっているが、はたしてこれを小野静子の著作とみなしていいものだろうかと思うようになりました。朽木寒三『小野静子の短き春』を読むまで、私は、小野静子の残した日記や断片ノートは『破滅の青春』に載せられたものがすべてだと思っていたのですが、『小野静子の短き春』を読むと全然違った日の日記がどんどん登場して来る。断片ノートもそれぞれが引用している部分が違う。
つまり、小野静子の日記や断片ノートは完全版の形ではいまだ世に出されてはなく、一部分がそれぞれの論者の主旨に沿って引用されているだけなのです。『破滅の青春』が問題なのは、その「論者」の顔が見えないということ。編者名も後書きもなければ、出典も明らかにされていない。思わせぶりな写真で読者の興味を釣る感じは、今時のネットの成りすましやフェイクニュースの手口だ。かなり巧妙に「放浪、セックス、そして死」の方へ誘導しようとしているのを感じます。(乱丁部分でさえ、意図的に「第三章」部分を隠したのではないかと思うようになりました…)

 
▼ ある文学少女の死(東京新聞)  
  あらや   ..2019/08/25(日) 10:47  No.700
  針山和美氏のスクラップブックに、当時の東京新聞「大波小波」記事の切り抜きがありましたので全文掲載します。

 〈大波小波〉 ある文学少女の死
◇ 北海道から出ている「人間像」という同人雑誌の一ぐうに、同人のひとりの死が、小さく報ぜられていた。「十九歳の時に、家出同然の状態で上京し、三年たって、わずか二十二歳の若さだったが、睡眠薬を飲んで自殺したのだ」とある。
◇その少女は、上京したものの住む家がないので、中華料理屋やパチンコ屋に住みこみで勤めながら、小説を書いていたらしい。自殺の原因が何であるか、また「家出同然」の上京の原因が何であったかは、その小文ではわからないが、直接に文学とは関係がないとしても、無関係だとはいいきれないであろう。
◇文芸雑誌の同人雑誌評で大いに好評されたとか、懸賞小説の選外佳作にはいったとかいうくらいのことで、地方から、生活のめやすもなく、あるいは冢を売って二三年間の生活費を作ったりして、上亰してくる人がときどきあるらしい。そういう二三人の人を小生も直接知っている。文芸雑誌や新聞などで同人雑誌評をやっている批評家諸君、あなたはいつか小野静子という人の作品を大いにほめたことはありませんか。それが自殺した少女の名だ、というと、中にはぎょっとする人があるかも知れない。
◇だが、そんなせんさくは、たとえば、もし火野葦平が芥川賞をもらわなかったなら、劉寒吉がパン屋をやり岩下俊作が製鉄会社に勤めながら小説を書いているように、火野も沖仲仕の親分をしながら小説を書いて、死をはやめることはなかったろうなどというのと同じく、空しいことだ。
◇突き放していえば、死ぬ者は死ぬ。だが、人の死をながめることは、生きている人間にとってはこの上もなくさびしいことだ。(和凡)
(東京新聞 昭和35年3月17日)

 
▼ ある文学少女の死(八木義徳)  
  あらや   ..2019/08/25(日) 10:53  No.701
  同スクラップブックには、当時「人間像」の師匠格であった八木義徳氏の「大波小波」への反論記事もありましたので、こちらも全文掲載。

〈ぷろむなーど〉 ある文学少女の死 八木義徳
 つい先日、ある週刊誌の記者だというひとから電話がかかってきて、さいきん自殺したひとりの若い女流作家志望者のことについていろいろ質問された。私がこの若い女性を知っていて、しかもその作品をほめたことのある人間だということを調査ずみの上で電話をかけてきたのだ。この女性は三年ほど前十九歳のとき山梨の田舎から家出同様にして東京へとび出してきて、都内の中華料理店やパチンコ屋などに転々と移り住みながら小説勉強していたのだが、ついさいきん原因不明の自殺をとげたのである。私はこの女性にたった一度だけだが、ともかく会ったことがある。この女性の属するある同人雑誌の文学座談会にまねかれて出たことがあるが、そのときこの若い娘さんもその十数人の出席者のなかの一人としてそこへ顔をつらねていたのだ。しかもあとでわかったことだが、ちょうどその日がその娘さんの家出の日だったという。そのせいか、その娘さんは座談会ではひとことも発言せずはじめからおわりまでじっと顔をふせたまま石のような堅い沈黙をまもっている姿が異様な印象として私の記憶にのこっている。この娘さんのその後の奔放でタフな生活ぶりは、近くに住む同人の一人からうわさ話としてときどき耳にしていたし、その作品もいくつか読んで、そのひとつをある新聞の同人雑誌評でたしかにほめたおぽえがある。
 ところでその週刊誌の記者の質問は、この娘さんのことが「ある文学少女の死」という題である新聞の文化欄の同名記事のなかに書かれているが、もしあなたがその記事をお読みなら、それにたいする感想をきかせてくれというのである。その匿名の文章の筆者は、批評家や作家などになまなか自分の作品をほめられたためにとんだ野望をおこしてなんの成算もないのに東京へとび出してきて、けっきょくは敗れて身をあやまっでしまう作家志望者がちかごろとくに多いようだ、というような意味のことをいったあとで「文芸雑誌や新聞などで同人雑誌評をやっている批評家諸君、あなたはいつか小野静子という人の作品を大いにほめたことはありませんか。それが自殺した少女の名だ、というと、中にはぎょっとする人があるかもしれない」とハッキリ書いてある。つまりこの一節の文章を思いきって悪意に解釈すれば、この文学少女の死にはお前さん(すなわち私)にもその責任の一端はあるんだぞ、というおそろしい脅迫のことばともなる。
 私は週刊誌の記者に答えた。「しかし、ぼく自身はそのひとの死には責任はないと思います」
 が、こう答えたあとで、もしトルストイならば、こういう場合「その少女の死には自分はハッキリ責任がある」と答えるだろう、と思ってすこしばかりユウウツになった。
(読売新聞 昭和35年3月28日)


▼ 「人間像」第55号   [RES]
  あらや   ..2019/07/30(火) 17:58  No.696
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「人間像」第55号作業、完了です。デジタル化にかかった時間は「39時間/延べ日数7日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「1111作品」。

意外に短時間(七月中に終わるとは思わなかった!)だったのは、70ページの本だったことと、この号に収録されている春山文雄(=針山和美)『恋と葬儀と』については湧学館時代に小説集『奇妙な旅行』(人間像同人会,1970)から作成した『恋と葬儀と』ワープロ原稿があったので、それを援用することで時間短縮ができたことによります。
ただ、それによって… 昔の『恋と葬儀と』原稿に単純なワープロミスが9ヵ所もあることが発覚しました。なんともお恥ずかしいかぎりです。まだ「人間像ライブラリー」がなかった時代の仕事とは云え、こういう醜態をパソコン上に晒しておくのは私の沽券にかかわる。
というわけで、急きょ、小説集『奇妙な旅行』一冊丸ごとをデジタル復刻することにしました。小手先の『恋と葬儀と』手直しをするよりも、小説集丸ごとを復刻した方が〈針山和美〉の項目が整理整頓され、氏の仕事がくっきりするのではないかと考えます。

 小野静子の急逝については、すでに各位に通知済であるが、次号に何らかの型で特集を試みたいと思っている。追悼号と云うには大袈裟すぎるが、彼女の本質的な面に、スポットをあてることが出来たらと思っている。(K)
(「人間像」第55号/編集後記)

第56号作業に早く取り掛かりたいとは思いますが、お盆の頃にずれます。すみません。


 
▼ 奇妙な旅行  
  あらや   ..2019/08/07(水) 11:49  No.697
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昨日、ライブラリーに『奇妙な旅行』(人間像同人会,1970)一冊丸ごとをアップしました。デジタル化の前段階、ワープロ作業のミスを少しは修復することができて満足です。この勢いで『百姓二代』(人間像同人会,1988)へ入って行きたい思いもあるけど、それはしないで『人間像』作業へ戻ります。お盆の時期に「小野静子追悼号」を扱わせてもらうのも、これもまたなにかの縁でしょうか。心して仕事したい。


▼ 「人間像」第54号   [RES]
  あらや   ..2019/07/23(火) 07:09  No.693
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「人間像」第54号作業、完了。デジタル化にかかった時間、「75時間/延べ日数13日間」。現在のライブラリー収録タイトル数は「1104作品」になりました。122ページの、最後に控える千田三四郎『炭塵』を早くやりたくて、けっこう飛ばしましたね。

第54号には針山和美氏が『斗い』を発表。次号には『恋と葬儀と』が登場しますし、これ、針山氏的に云いますと、氏の最初の小説集『奇妙な旅行』(人間像同人会,1970.5)に収められた作品群が活発にこの時期生まれていることを意味しています。
スクラップブックの小品もすでにデジタル化を終えたことですし、雑誌『人間像』発表の作品群とは別に、単行本『奇妙な旅行』のデジタル復刻もそろそろ考えなければいけない段階に入ったと認識しています。

梅雨のない北海道。夏休みも別に必要ないので躊躇うことなく第55号作業に入ります。ついに朽木寒三〈馬賊戦記〉の開始ですね。


 
▼ 路線価  
  あらや   ..2019/07/23(火) 07:16  No.694
  令和元年7月2日の道新・小樽後志欄に滑稽悲惨な記事が…

 最高路線価
 ニセコ効果管内波及 投資熱小樽にも
 国税庁が1日公表した2019年1月1日時点の路線価(1平方メートル当たり)で、後志管内は高騰が続く倶知安町ひらふ地区が周辺の価格をけん引している構図が鮮明になった。倶知安税務署内で最高の町山田道道ニセコ高原比羅夫線通りは48万円と前年比50.0%上がり、上昇率は5年連続で全国一。

 (小樽の事はどうでもいいので、中略)

 10月に20ヵ国・地域(G20)観光担当相会合が控える倶知安町は、2030年度の北海道新幹線札幌延伸や同時期の北海道横断自動車道(共和−倶知安)開業など投資を刺激する要素がなお多く、地元不動産業者の間では「上昇傾向は続く」との見方が支配的だ。
 リゾート開発が進む同町ひらふ地区は用地がなくなりつつあり、東急リゾートニセコセールスオフィス(同町)は「ニセコ町や留寿都村など周辺に開発が広がる可能性がある」と話す。
 同地区から車で15分ほど離れた倶知安町市街地も地価は上昇。このため「高齢者が土地を売って札幌へ移り住む傾向がここ数年加速している」(別の関係者)として、町が早期に流出対策に乗り出すべきだとの指摘も出ている。

 
▼ 固定資産税  
  あらや   ..2019/07/23(火) 07:20  No.695
  「町が早期に流出対策に乗り出すべきだ」…

もう遅いんじゃないか… 札幌どころじゃない、日本全国、海外に、天国に、かつての倶知安を生きた人たちは散逸してしまった。流出対策なんて、リゾートから上がってくる税金に目が眩んでいる役人に何ができるのだろう? 目に見えない散逸。東京や札幌で暮らす息子や娘にとって、実家の親父の残した蔵書もコレクションも原稿もノートもフロッピーもアルバムもビデオも、皆、意味わからないゴミ。

あと五年もしたら、かつての山麓(倶知安)を語る資料は倶知安になく、「人間像ライブラリー」に残っていることを知るでしょう。


▼ 「人間像」第53号   [RES]
  あらや   ..2019/07/09(火) 16:39  No.691
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本日、「人間像」第53号作業、完了。デジタル化にかかった時間、「71時間/延べ日数13日間」。現在のライブラリー収録タイトル数、「1093作品」。106ページの本なので平均的スピードでしょう。

今号は、小野静子、吉井真澄、日高良子、岡本清子など女性同人の揃い踏み。これで丸本さんが入ったらパーフェクト・ゲームでしたが、そこは編集長・水口安典氏のエスプリ、関西からは佐々木徳次『ある失踪』の起用でした。読み応え、あり。特に、日高良子氏の復活はさりげなく嬉しかったな。昔、「人間像」がガリ版刷りだった頃、旧姓原田良子氏の『素顔』が登場した時の驚きを今でも思い出します。男たちの顔色がさっと変わりましたもんね。そこまでは文学好き青年たちの同窓会的お遊び要素もあったのだけど、あそこから雰囲気ががらり変わりましたからね。俺も『素顔』に負けないビッとしたものを書かなくては… 一本、筋が通ったというか。真剣になったというか。


 
▼ 約束以前  
  あらや   ..2019/07/09(火) 16:43  No.692
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第53号で、初めて小野静子『約束以前』完全版を読むことができました。

今、私の手許には小野静子『破滅の青春』(世代社,昭和35年7月刊)があるのですが、この本、乱丁本で、p49〜64部分が欠けている。それがちょうど『約束以前』の第三章(終章)にあたる部分なのでした。小野静子という人を語る上で最重要とも云える『約束以前』が読めないことは苦痛ではありました。

おそらく、「人間像」第56号(小野静子追悼号)が六十年の時を経て世に出ることによって、その真実が明らかになることと思います。七月、八月は「人間像」作業に集中して、第56号に辿りつくよう努力です。


▼ 「人間像」第52号   [RES]
  あらや   ..2019/06/21(金) 17:38  No.690
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本日、「人間像」第52号作業、完了しました。デジタル化にかかった時間、「35時間/延べ日数7日間」。現在のライブラリー収録タイトル数は「1080作品」です。

第52号は60ページの冊子ですので短時間で仕上がりました。しかし、いろいろな意味で変化のあった号でもあります。
変化その1、発行所の住所変更。針山和美氏の勤務校が喜茂別町御園小学校から余市町豊浜小学校に変わりました。豊浜は、二十数年前にトンネル崩落事故が起こったあの豊浜です。御園時代、ついに終わりましたね。
その2。針山氏の転勤に伴う配慮なのか、「発行者・針山和美」の他に「編集者・水口安典」という項目が立ち、事実、第52号は東京グループの作品が多くを占めている。水口安典氏は朽木寒三氏です。
その3は、その東京グループ、千田三四郎氏の誌上デビュー。『死びとの臭いが』、いきなりの1ラウンド、15秒ノックダウン・デビューとでも申しましょうか。いや、凄い! 私はこのライブラリー作業が始まる遙か以前の小樽時代に千田三四郎氏の著作は全部読んでいる者ですが、この『死びとの臭いが』は記憶にありませんでした。これからも著作化以前の若い作品が読めるかなと少し喜んでいます。渡部秀正氏の声が聞かれなくなって寂しい思いをしていたのですが、少し元気出た。第53号、行こう!



▼ 「人間像」第51号   [RES]
  あらや   ..2019/06/13(木) 18:01  No.689
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「人間像」第51号作業、完了です。デジタル化にかかった時間は、「65時間/延べ日数12日間」。現在のライブラリー収録タイトル数は「1071作品」になりました。

日数が意外にかかるのは、夏場になると草むしりや細かな庭いじりに昼間の時間を使うからです。昔は嫌々やっていたけど、今は汗をかくのは身体のために良いとわかったから積極的になりました。花や野菜が育つのはそれなりに楽しいですしね。

上澤祥昭『詩とはこう云うものであった』。堂々たる言論で見直しました。こう云う感じで、私も第52号作業に入ります。



▼ スクラップブック本体   [RES]
  あらや   ..2019/05/27(月) 11:57  No.686
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本日、以下の18編をライブラリーにアップしました。『敷布団』も無事収録。確かに才能を感じます。

北海道の作家たち 針山和美  「文芸日本 創刊七月号」
「人間像」の十六年 針山和美 「北海道文学 第20号」 北海道文学研究会
「人間像」 の初期と現状 針山和美 「室蘭文学 第55号」 室蘭文学会
書きたい時に書く 針山和美 「読売新聞 昭和33年3月3日」 読売新聞社
敷布団 針山和美 「文章倶楽部 4 初夏号」 白鯨社
文学の芽を枯らすな 針山和美 「随想 昭和34年1月号」 随想社
教育二法案寸感 針山和美 「後志作文教育 第3号」
綴方寸感 針山和美 「後志作文教育 創刊号」
道南旅行(1) 針山和美 「青年 第二号」
短歌寸感 春山文雄 「地平線 創刊号」 道同好会
(無題) 春山文雄 「文学集団 1950年5月号」 草原書房
義経と弁慶 春山文雄 「文芸首都 1952年8月号」 文芸首都社
馘首された男 春山文雄 「青年 第四号」
冷い一夜 春山文雄 「文学集団 昭和24年9月号」 草原書房
最後の授業 針山和美 「後志教育情報 第75号」
ゆいごん 春山文雄 「青年 創刊号」
石川啄木著一握の砂 針山和美 「北海道新聞」
同人誌「人間像」の五十年 針山和美 「北海道新聞 1998年7月24日夕刊」

以後、スクラップブックに挟まっていた資料群のデジタル化に入ります。北海道暑いけれど、湿度がないから部屋で仕事する分には平気です。


 
▼ 倶知安原野  
  あらや   ..2019/05/30(木) 18:12  No.687
  .jpg / 36.0KB

スクラップブックに挟まれていた資料の整理が終わりました。ライブラリーにアップしたのは以下の5編です。

羊蹄とニセコ 針山和美 「北海評論 1974年9月号」 北海評論
同人誌「人間像」史をまとめて 上沢祥昭 「北海道新聞 1979年5月22日夕刊」
「人間像」百号を迎えて 針山和美 「北海道新聞 1977年8月5日」
年賀状 針山和美 「所報しりべし 1970年12月号」 後志教育研究所
父の日記 平木國夫 「浄土宗新聞 昭和45年10月10日」

前スレッドでお知らせした針山氏の未完の小説『倶知安原野』(人間像原稿箋33枚)はすでにデジタル化を完了していますが、未発表原稿ゆえ、大事をとって針山家の了承をいただいてからの公開としたいと思います。小説の一部分が今回公開した『羊蹄とニセコ』と重なるところがあり、おそらくは、依頼原稿だったエッセイ『羊蹄とニセコ』を膨らませて書き出された小説なのでしょうか。続きが読めないことが無念です。
この原稿には不思議なことがもうひとつあって、それは、針山氏の名前が「和己」になっていることです。「道」の時代に「針山和己」を使ったことがあるだろうか? あったような、なかったような、なんとも記憶が定かでない。

六月からは「人間像」作業、再開です。

 
▼ (未完)  
  あらや   ..2019/06/08(土) 10:23  No.688
  .jpg / 55.9KB

針山家の承諾をいただきましたので、昨日『倶知安原野』をアップしました。作品の性質を表すために(未完)の文字を入れさせてもらっています。ぜひ、『羊蹄とニセコ』と併せお読みいただければ幸いです。これでスクラップブック関連の作業はすべて終わり、現在はレギュラーの『人間像』第51号作業に入っています。

針山氏の「創作(作文教育)」関連の仕事については、もう少し構成に研究・検討を重ねた上での公開発表の方向で動いています。全体像を正確に伝えるため、もう少し教養や時間が必要といった段階です。


▼ スクラップブック   [RES]
  あらや   ..2019/05/21(火) 10:29  No.682
  .jpg / 65.7KB

針山家からお預かりした資料の中に一冊スクラップブックが混じっていました。去年、借用書を書く際に全ての資料にざっと目を通していますが、その時の印象では、「人間像」評や同人情報などを取り上げた新聞記事などの針山氏用スクラップという印象でした。切り抜きは新聞記者や北海道文壇の大御所たちが書いたものが主なので(別段針山氏の作品が載っているわけではないので)後まわしにしていたのですが…
今回、『文章倶楽部』第四号の針山氏入選作品が切り取られているという事件があったおかげで、今一度、お預かりした資料類を細かくチェックしてみようと思いました。なにか、書類束の間にでも切り取られた一枚が挟まっているかもしれない。

すると、あったのです! スクラップブックの先頭部分に。


 
▼ 敷布団  
  あらや   ..2019/05/21(火) 10:32  No.683
  .jpg / 76.8KB

これが該当部分です。(掲示板の画像処理の関係でこれ以上大きな画像にできなくて、ごめん…)

先頭数ページに亘って、若い頃の針山氏の書いたものがまとめられていました。ただ、ご覧の通り、半世紀以上は前のスクラップブックです。セロテープは完全に劣化して黄色いシミをつくっています。ページを捲るとぼろぼろ剥がれてくる。紙も元々が新聞紙やガリ版用のザラ紙ですから、縁の剥がれた破片がコピー機の中に入って故障の原因になるんじゃないかとかなりビクビクもんでした。でも素人ではないですからね。資料に致命的なダメージを与えることなく、必要部分のコピーは一昨日終了しています。早速デジタル化を急ぎます。

 
▼ 倶知安原野  
  あらや   ..2019/05/21(火) 10:36  No.684
  .jpg / 53.8KB

スクラップブック本体とは別に、本の間には様々な書類や冊子類が挟まっていました。その中には、『倶知安原野』と題された未発表原稿もあります。(未完の小説のようだ…)

このような「作品」については、作者の名誉や著作権継承者の意思を尊重して公開の判断をしようと考えています。『三年間』をデジタル復刻した現在の力量をもってすれば、技術的には二日間くらいで作業は完了しますが、それ以前に通さねばならない筋があると考えます。

 
▼ 創作文集「未来」  
  あらや   ..2019/05/21(火) 10:44  No.685
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今回かなり細かく中身を見たのでいろいろな気づきがありました。例えば、この共和村立学田小学校5・6年の創作文集『未来』。なんと、〈創作〉文集なんですね。〈創作〉とは「文章倶楽部」風に云えば〈小品〉にも当たる概念でしょうか。

共和町の学田(がくでん)小学校は、針山氏の京極小学校勤務のひとつ前の赴任校にあたります。この学田時代に、針山氏は『作文年間指導計画』という40ページの冊子をつくっています。1年生四月の〈口頭作文〉に始まり、毎月の課題をこなして6年間、最後の6年卒業の三月では〈創作文集〉が完成!という、それはそれは緻密で周到な文章教育計画ではあります。おそらく、文部省学習指導要綱(作文)の陳腐な技巧指導に対抗しての、作家でもある針山先生の大奮闘といった構図と思いますが、まさか実際に学田小学校で〈創作〉の実践が行われていたとはちょっと驚きですね。

この〈創作〉実践例がもうひとつあります。それが『京極文芸』第14〜15号に載っている「京極小学校お話クラブ」。じつに一人1ページを使って14人の京極小学校5・6年生の〈創作〉作品を載せています。いや、なかなか壮観。北海道に同人雑誌は数あれど、小学生の作品を載せたのは『京極文芸』くらいではないだろうか。『京極文芸』は第15号が最終号なのですが、そのラインナップがある意味凄い。阿部信一氏の『百姓の子』(名作『屠殺』の先駆形)があり、前田克己氏の連載『後志風土記』(最終回は『旧会津藩士ここに眠る』!)があり、そして「京極小学校お話クラブ」ですからね。いや、堂々たる針山氏京極時代のフィナーレだ。

著作権の関係もあり「京極小学校お話クラブ」のデジタル化は諦めていたのですが、なにか『未来』の登場によって、今一度頑張ってみようか…という気運になっています。日本教育史には「綴り方運動」という流れもあり、そういう方面からのアドバイスも聞いてみたいところです。


▼ 文学集団   [RES]
  あらや   ..2019/05/20(月) 09:47  No.678
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針山家に残されていた「文学集団」(草原書房)は以下の15冊です。

文学集団/創刊号(第1巻第1号) 昭和23年5月5日発行
文学集団/第2号(第1巻第2号) 昭和23年6月5日発行
文学集団/第3号(第1巻第3号) 昭和23年7月5日発行
文学集団/第4号(第1巻第4号) 昭和23年8月15日発行
文学集団/第5号(第1巻第5号) 昭和23年9月15日発行
文学集団/第6号(第1巻第6号) 昭和23年10月15日発行
文学集団/第7・8合併号 昭和23年12月15日発行
文学集団/第9号 昭和24年2月15日発行
文学集団/第10号 昭和24年3月15日発行
文学集団/第11号 昭和24年4月15日発行
文学集団/第12号 昭和24年5月15日発行
文学集団/第13号 昭和24年6月15日発行
文学集団/第15号 昭和24年11月15日発行
文学集団/第17号(第3巻第2号) 昭和25年2月15日発行
文学集団/第19号(第3巻第4号) 昭和25年4月30日発行


 
▼ 「人間像」まで  
  あらや   ..2019/05/20(月) 09:52  No.679
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針山家にあった「文学集団」の年代、昭和23〜25年を針山氏の文学活動の流れの中に置いてみると一目瞭然。『三年間』を書き終えた18才の針山青年の前に、倶知安の書店の棚に『文学集団』が並んだことは天啓でしたね。ある意味、「文学集団」は「人間像」以前の「人間像」であったと云ってよいのではないでしょうか。

三年間 昭和23年3月7日脱稿
文学集団/創刊号(第1巻第1号) 昭和23年5月5日発行
文章倶楽部/夏季号(第1巻第1号) 昭和23年7月1日発行
(しんぼる 昭和24年9月以前?)
路苑/創刊号 昭和24年9月20日発行
道/創刊号 昭和24年11月15日発行
星群/創刊号 昭和25年4月1日発行
地平線/創刊号 昭和25年11月1日発行
人間像/第16号(「道」改題) 昭和26年5月1日発行

という流れを踏まえて針山和美追悼号の略年譜を読み返すと…

 
▼ 針山和美18〜21才  
  あらや   ..2019/05/20(月) 09:56  No.680
  【昭和23年(1948年)】 中学五年の三学期、小説「三年間」三六〇枚ほどを書く。実質的な処女作、後に冒頭の一部のみ発表。 三月卒業。室生犀星・桃田宗治らの講師陣に憧れて私立札幌文科専門学院に入学するが、すでに両氏の帰京後で落胆、中途退学して十月より京極村南京極小学校に就職。この頃より東京の文芸投稿雑誌『文学集団』『文章倶楽部』などに小品(小篇)や短歌の投稿をはじめる。

【昭和24年(1949年)】 旧中学時代の後輩である大粒来和夫・松田滋・新川健などの要請で倶知安高校生を対象にガリ版の同人誌『しんぼる』を六号まで発行。六月発行の『文章倶楽部』第四号に短文「布団」が十一席に入選初めて目次に名前が載った。嬉しさのあまりわざわざ写真館で撮った写真を送った。『文学集団』九月号に小品「冷たい一夜」(妻木新平選)が入選一席となり初めて目次に題名も出る。九月ガリ版の『しんぼる』に物足りなくなり、文専の同級生大弓俊郎と図り活版三四ページの『路苑』を発行する。前期の松田・新川に友人の内村英樹などが編集同人で東京の投稿誌からも渡部秀正ら数名が名を連ねた。五百部印刷したが一万五千円の大部分は借金となり廃刊、十一月に『路苑』の「路」を『道』と改めてガリ版印刷の同人誌を発行、これが第十六号から『人間像』と誌名を変えて現在に至っている。

【昭和25年(1950年)】 四月『しんぼる』の中心的役割を担っていた大粒来の要請で高校生向けのガリ版誌『星群』を創刊するも、執筆者の殆どが『人間像』の同人で肝心の高校生からの投稿がなく一号のみで廃刊。『文学集団』五月号に短歌五首(木俣修選)入選一席となる。七月喜茂別村御園小学校へ転任、学校の先輩桂島丈男(秋庭武之の筆名で同人に参加)と同居生活を始める。

 
▼ 入選  
  あらや   ..2019/05/20(月) 10:13  No.681
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「文学集団」15冊の中から、以下の三作品をライブラリーにアップしました。

『煙草』渡部秀正……「文学集団」第9号/「小品」部門
『冬来る』上澤祥昭……「文学集団」第17号/「詩」部門
(無題)渡部秀正……「文学集団」第17号/「短歌」部門

他にも「短歌」「俳句」部門などに、若き日の人間像同人たちの一首一句のみの佳作入選があちこちに見受けられるのですがライブラリー構成が煩雑になりますので今回は省略しました。

朗報です。前のスレッドで紹介した針山和美氏の『敷布団』(略年譜では「布団」と勘違いしている…)について目処がつきました。これは結構な大発見ですので、この「文学集団」スレッドはここで閉じて、急きょ次の準備に入っています。今、写真を撮っているところ。



 


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