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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第129号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/11/17(日) 11:58  No.1133
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第129号作業、開始です。本日、佐々木徳次『椎の雨』をアップしました。この後、土肥純光『翳りある日々』、丸本明子『怒濤』、内田保夫『祀りの構図』、佐藤瑜璃『セピア色の薔薇』、針山和美『黄昏の同級会』、朽木寒三『奥山の砦』と続きます。
前号より表紙の絵柄が変わったように見えますが、描いてる人は変わりません。ずっと丸本明子さんです。

今日は朝から雨降り。この雨が明日には雪に変わるらしい。


 
▼ セピア色の薔薇  
  あらや   ..2024/11/23(土) 16:54  No.1134
   闇の中で電話のベルが鳴った。
 夢の中で二〜三度聞いた。少しずつ辺りの静寂の分だけ心臓を打った。東京の大学へ旅立って行った息子の顔が浮かんだ。とび起きです早く受話器をとった。
「ああ、季枝さん? 夜遅くごめんなさい」
 悪びれた声ではない、姑の菊乃である。時計は十二時をまわっている。舌うちでもしたい気分だ。
「あなた、昨日いらした時私のバックお持ちにならなかったかしら、黒のオーストリッチの……」
 季枝は思はずベットの上で正座した。
「なんですって? おかあさんのバックをどうして私が? ……それに、私、お伺いしたのは火曜日ですから、三日ですよ」
「私、明日ちよっと出かけますのにあのバックを持って行こうと思ったんですけれど、ないのよ、どこにも」
(佐藤瑜璃「セピア色の薔薇」)

冒頭から、持って行かれました。最後の一行まで、ほぼ完全試合に近い作品ではないだろうか。凄い人が同人に入って来たものだ。

 
▼ 黄昏の同級会  
  あらや   ..2024/11/24(日) 17:23  No.1135
   「モシモシ、わたくし浅田と申しますが、吉川小夜さんは御在宅でしょうか」
 電話の向こうは若い女の声である。
「あ、お婆ちゃんのことね。いま呼びます。」
 そう言って置かれた電話を通して先方の様子が伝わって来る、「お婆ちゃん、浅田さんって人から電話よ」 「浅田さん、はて?」 「なんだか若い人みたい」 「若い浅田さん、はて?」 「はて、はて、言ってないで、早く出ればいいじゃないか」 中年の男の声が急き立てている。
「ハイ、吉川小夜ですが……」
「小夜さんね。わたし、玉世」
「あれ、玉世さん? 若い人みたいだなんて言うものだから分からんでしょう」
(針山和美「黄昏の同級会」)

本日、『黄昏の同級会』をアップ。これで、次号の『四月馬鹿日記』を仕上げれば、単行本『老春』の全作品が揃うことになりますね。さて、明日からは朽木さんの『奥山の砦』に入ります。帰って来た斎藤昭。楽しみです。

 
▼ 奥山の砦  
  あらや   ..2024/11/30(土) 17:16  No.1136
   で、上がりがまちでゴム長靴に足をとおしながら、
「ほんじゃ、ユーコンつぁんによろしく言ってけろや」
 などと姉に言って、たちまち靴をはきおえてしまった。
 昭はとめることもできないし、もじもじと立ったままである。
 すると利三郎おじはその前を通り過ぎながら、ふと立ちどまり、気のない調子で昭にたずねた。
「犬っこ、ちっとはおぼえたか」
「うん」 昭は嬉しくて、にこにことうなずく。
「そうな、おぼえたか」
「うん、おぼえたよ」
 犬が一体何をどうおぼえたのか二人とも分からない。だがこれでやっとこさっとこ、仲直りがすんだのであった。
「ほんじゃ」
 と、おじは庭木戸の方へ歩きかけて、また立ちどまった。
「アキラあ、どうだ」と振り返る。「こんど折りを見て槻ノ木平の奥山さいくべと思うんだが、おめもいきてか」
「いぐ、いぐ!」
 昭は叫んだ。行きたいにきまっている。
「つれてってけろ、おんちゃん、いついぐんだ」
(朽木寒三「奥山の砦」)

斎藤昭、数え十五歳。『奥山の砦』、コンサドーレ札幌のJ2降格が決まった本日、人間像ライブラリーにアップしました。斎藤昭の物語をやっていたおかげか、冷静な気持ちで降格を受け入れることができました。

 
▼ 「人間像」第129号 後半  
  あらや   ..2024/12/05(木) 11:33  No.1137
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 ソ連には十月革命というのがあったから、今回のクーデター騒動は『八月革命』と名づけても良いような気がする。騒動の内容は呆気なかったが、結果は革命に匹敵するものだった。
 八月十九日のクーデター発生から、二十六日の共産党の解体まで僅か一週間の出来事である。七十余年続いた共産党の一党独裁があっと言う間に瓦解したのであるから、これは文字通り革命と言うに相応しい。
(春山文雄「八月革命寸感」)

1991年か… この翌年の秋、私は埼玉を出て小樽に来るんですね。〈八月革命〉の記憶がぼやーっとしているのは1991年あたりで帰郷についてあれこれ考えてあたふたしてたからか。

「人間像」第129号(178ページ)作業、終了です。作業時間は「85時間/延べ日数19日間」。収録タイトル数は「2438作品」になりました。裏表紙は前号と同じです。さあ、第130号。残り、60冊。


▼ 「人間像」第128号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/10/11(金) 18:19  No.1125
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 信吾は港に立ってみた。
 二十五年前、信吾が村の郵便局から他局へ移った頃、漁況は順調で各船主は競って漁船を大型化し、港の修復拡張工事も進められて、十年前には二倍以上にも広くなった港に、二十屯級の中型船が十隻も舳先を並べていたはずだが、その日の港には、僅かに五隻の中型と三艘の小型船が係留されているだけで、しかも中型船の内、勝美の第三神洋丸と前後して、山一大森の承久丸も廃船となる運命にあった。
(金沢欣哉「海が暮れる」)

第128号作業、始まりました。金沢さんの久しぶりの小説。しかも、久しぶりの漁村文学が胸に沁みる。この後、土肥純光『落影の女達』、佐藤瑜璃『帰郷』、丸本明子『迷路』、内田保夫『消えた女』、佐々木徳次『素晴らしき恋人』、針山和美『まぼろしのビル』、平田昭三『たこ部屋ブルース(2)』、村上英治『高瀬川(1)』、神坂純『サイパン日記(2)』と延々と続いて行きます。それでは…


 
▼ 落影の女達  
  あらや   ..2024/10/14(月) 17:46  No.1126
   それは、思いがけない便りであった。内容は一片の転居通知に過ぎなかったが、差し出し人が室田隆子であったことが、私を驚かせ、同時に、或る種の感慨を呼び醒させることになった。
 新しい住居は、埼玉県の三郷市となっていた。
(土肥純光「落影の女達」)

私も驚きました。まさか、この1991年9月発行の第128号で〈小野静子〉の話が飛び出して来るとは思いもしませんでした。小野静子追悼号が出たのは1960年6月の「人間像」第56号ですからね。かれこれ30年以上も前の女達のことを今でも考え続けている人がいるということに驚きを禁じえない。じつは、30年ぶりに復活した金沢さんの漁村文学にも私は驚いているんですけど、こういう作品が二連発で続く第128号って何なんだろうと思いながら、次、佐藤瑜璃さんに進みます。

 
▼ 帰郷  
  あらや   ..2024/10/16(水) 12:00  No.1127
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。
(佐藤瑜璃「帰郷」)

やー、凄い! ライブラリーにあげて、最後のチェック(五度目の通読)を終えたら、じっとしていられなくなった。誰かにこの嬉しさを話したい、コピーして皆に送りたい、そんな気分です。佐藤瑜璃さんの作品を読む度に、私は峯崎ひさみ『穴はずれ』を初めて読んだ時の驚愕を思い出すのですが、今回の『帰郷』は特にそれが強かったですね。今少し、この余韻に浸っていたい。作業再開は午後からにしよう。

 
▼ まぼろしのビル  
  あらや   ..2024/10/23(水) 12:14  No.1128
   いつもより盃の回数が速くなっていた。
「そうねえ、名案なんて思い当たらないけれど、とにかく家にいる息子さんがなんと言っても大切なんだから、よそへ行ってる子供さん方には多少我慢して貰うのが良いのじゃありませんか。それとも財産分けなどと言う事ではなくて、財産を元手に収入の上がる道を選ぶとか」
「財産を元手にか……。たとえばどんな事があるかね」
「そうねえ、駐車場かビルでも建てて、そこから入る収入を兄弟で適切に分配するのはどうかしらねえ。実際に運営するのは家にいる息子さんだから当然多く貰えるわけ。ほかに出ている人たちは謂わば不労所得だから、そんなに多くなくっても諒解できるのじゃありませんか」
 女手ひとつで店を切り盛りしているだけあって、喜代はすぐ具体的なことを思いつくようだった。
「なるほどねえ。会社組織にして株を按分すると言う訳か」
(針山和美「まぼろしのビル」)

単行本で読んでいるはずなんだけど、何の記憶もなかった。初めて読む針山作品といった形で新鮮に読めました。新鮮で、かつ、切ない話でしたね。

第128号もこの辺りで中盤。132ページまで来ました。

 
▼ 犬にまつわる話  
  あらや   ..2024/10/26(土) 18:27  No.1129
   『いろはかるた』と言っても知らない人が多いかもしれない。戦前までは、正月の子供達の最もポピュラーな遊びであった。いろは四十八文字それぞれの絵札があり、それぞれに格言や諺がついていて、それを読みながら絵札をひろっていく。『いろはかるた』といっても京都、大阪、江戸(東京)とあって、いろはの『い』の字は京都では『一寸先は闇』 大阪で『一を聞いて十を知る』 そして東京では『犬も歩けば棒に当たる』となる。この江戸かるたの意味は、でしゃばるとひどい目に遭う、とか、出歩くと思いがけない良いことがある、という二通りの意味がある。まして人間はいったん外に出れば大小にかからわず何らかの障害に突き当たるものかも、と解釈される。ほかに、人のあらは探そうと思えば幾らでも見つかる、というのもある。そう言えば、英語でも『犬をぶつのに棒のよりごのみすることはない』という諺がある。Any stick will do to beat a dog with 犬と棒に関しても洋の東西ではこうも違う。
(白鳥昇「犬にまつわる話」)

昔、白鳥さんの文章って凄く読みにくかったものなのだけど、久しぶりに出会った『犬にまつわる話』は圧倒的に面白く読めましたね。さあ明日から『たこ部屋』だ。

 
▼ たこ部屋ブルース  
  あらや   ..2024/11/01(金) 14:47  No.1130
   「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

いやー、長かった。引用したあたりから漸く〈たこ部屋〉話が動き始めるのですが、ここまで来るのに第127号の(1)全部と(2)の三分の一を使って野島要三の人生を引っ張って来たわけですからね。朽木さんの持久力には驚くばかり。
私もここで〈たこ部屋〉話を始めると収拾がつかなくなりそうなので、読書会BBSの方に場を改めて書くつもりです。

 
▼ 高瀬川  
  あらや   ..2024/11/07(木) 10:58  No.1131
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 鴨川の白く乾いた河原に下り、加吉は石に腰をおろした。尻をちょっともたげるほど石は陽に焦げていた。尻切れた草鞋の足を流れにひたす。水は温んでいたが、浸した足から軀の中を涼しい風が吹き抜けていくように思い、加吉は何となく耳を澄ましていた。河原は眼を細めたいほどの光の中で静まり返っていた。時折、せきれいが水際の濡れている石に来て尾を振っている。流れに浸している親指の先に、ちくちくする鈍い感覚があった。高瀬川を曵舟していて、石に蹴つまずき爪を剥がした右足の傷が膿んでいた。その傷口が洗われるかすかな痛みなのだろう。
(村上英治「高瀬川(一)」)

あれ、まだ魚津にいるはずなのに… いきなり京都から話が始まってちょっと混乱しました。でも、この一篇だけを目にした人にとっては、この構成でいいのだと思う。作品が味わい深くなる。単行本では、全体の話の流れに沿ってこの構成は換えられています。

昨夜、初雪でした。

 
▼ 「人間像」第128号 後半  
  あらや   ..2024/11/08(金) 17:19  No.1132
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「人間像」第128号(262ページ)作業、終了です。作業時間は「128時間/延べ日数29日間」。収録タイトル数は「2423作品」になりました。
久しぶりの100時間越え。作業日数がちょっと多いのは、この時期、冬の準備などで時間をとられて作業に集中できなかったからです。印刷インクが薄い号で、画像データを二度撮り直したことも一因かな。裏表紙の『天皇の黄昏』広告文は以下の通り。

 小説家なのに気取って、私は詩人ですという言い方を好む人がいる。小説を書いているのだから私は小説家だとなぜ言わないのか大いに不満だ。その意味で針山和美は正統派の小説家である。
 針山和美の特質を一口で表すのはむつかしいが、詩派ではなくドラマ派であり、様式ではなく感情、たてまえでなくて本音、大袈裟は避けて控え目、衒気とは無縁の平凡、私小説ではなく客観小説、いきり立たず平静、冷感よりも温度、といった作風なのだが、互いに対立する多数の作中人物を書き分けてドラマを組み立てることがうまい。そしてときに毒性のある人物をも活写する。
 今回は短編を主とした創作集だが、以上列記した彼の特質を、個々の作品について味わってもらえれば幸いである。(朽木寒三)

美しい文章。朽木さんも針山さんも私に生きる意味を与えてくれる。


▼ 「人間像」第127号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/26(木) 13:00  No.1120
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 今年七十五歳を迎えた小諸作太郎は、最近発表になった一九八九年簡易生命表がとても気になった。自分が日本人男性の平均寿命と同じところまで来たからだ。表によればあと九年ほどの余命がある事になってはいるが、それはあくまでも計算上の事で別に保証があるわけではない。格別長らえようと思っているのでもないのだが、いつお迎えが来ても誰も不思議に思わない年齢に達したかと思うと、思わないでも不安が込みあげて来るのだった。
(針山和美「忘却の傷痕」)

「人間像」第127号作業、始めました。本日、針山和美『忘却の傷痕』を人間像ライブラリーにアップしたところです。この作品、単行本にまとめる時には『老春』と解題され、謂わば単行本を代表する作品となって行くわけですね。
第127号は、この後、土肥純光『やがて眠りに』、内田保夫『黄葉季』、丸本明子『ガラスの兎』、佐々木徳次『還るべきところ』、千田三四郎『ゴミのような話』、平田昭三『たこ部屋ブルース』と創作が続きます。土肥さん、ずいぶん久しぶり。平田昭三は、朽木さんの別のペンネームですね。「斎藤昭」シリーズと混同しないように平田昭三を使ったのかな。


 
▼ ゴミのような話  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:23  No.1121
   いやな予感が当たった。おもだった人々のあいだで事前に根回しがあったらしく、自治会長の互選に入って、いきなり「小森さんにお願いできないでしょうか」の名指しに、打てば響く阿吽の呼吸というのか、「適任」「賛成」の声があちこちにひしめいた。
 慎二は虎挟みにかかった野獣のごとく逆らい、あげくは自分の多忙・病弱・未経験・無能を並べ立て哀訴嘆願したものの、誰一人その断りに耳を貸そうとはしなかった。寄ってたかって押さえ込むように理不尽な承諾を強いた。とことん拒み切るほどの鉄面皮にもなれず、不承ぶしょう総会を締めくくる羽目になった。
(千田三四郎「ゴミのような話」)

千田さんもこういう身辺雑記的な小説、書くんですね。単行本未収録だから面白く読みました。

 
▼ たこ部屋ブルース  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:26  No.1122
   ふしぎなご縁であなたとこうして親しくお話しすることになったんですが、まず前もってお願やらおことわりやらしておかなくちゃならないのは、私はふつうの人たちに比べたらこんにちまで多少は変化のある人生を過ごして来たものの、せんじつめれば札幌で一介のデンキ屋だった男です。そのくだらねえ人間のくだらねえおしゃべりを聞いて頂く間に、途中ああこれは退屈だとお思いになったら、どうぞ遠慮なく打ち切って下さってけっこうですよ(笑)。その方が私としても気楽ですしね。
(平田昭三「たこ部屋ブルース」)

なんか、仕掛けが多過ぎて、まだ読み慣れない。

 
▼ 私の山頭火 〈十〉  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:31  No.1123
   とうとう島にやって来た。
 平成二年六月十八日、この日は私にとって忘れられない日になるだろう。挨拶代りに編んだ詩集の発行が、間に合わなかったのが気がかりだが、残した人がやってくれるだろう。
 本当ならロタに住み込むところだが、とりあえずサイパンに腰を下ろすことにした。やりかけの仕事がまだ一段落しないためだが、サイパンで一先ず身体を慣らしてから、といった気持ちもないではない。
(神坂純「私の山頭火 十〉」)

波乱の多かった『私の山頭火』ですが、ついに最終回。同号ですかさず『サイパン日記』が始まりましたね。

 
▼ 「人間像」第127号 後半  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:37  No.1124
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「人間像」第127号(154ページ)作業、終了しました。作業時間、「63時間/延べ日数13日間」。収録タイトル数は「2406作品」になりました。

◇前号から数えて八ヵ月目の発行となった。八ヵ月も経つと世界も変わる。湾岸戦争が始まって、終わった。日本からは戦後初めて自衛艦が戦後処理とは言えペルシャ湾にまで派遣された。
◇さて、実に久方ぶりに土肥純光が戦列に加わった。長い間仕事に追われ、書けない不本意をかこっていた者たちが続々と職業から解放され、待ちに待った執筆活動に専念出来る事になったのである。本誌にもまた往年の活気がよみがえる気がして嬉しくなる。ちなみに今年新たに解放されたのは針山・北野・土肥・白鳥などである。年毎に同人の年齢が高くなるのは仕方ないとして、内容と量とで実の詰まった雑誌にしていきたいものである。『人間像』にはこれまで何度か活動期と言うか躍進期と言うか、誌面が充実した時期があった。瀬田栄之助・古宇伸太郎などが活躍した時代からこの方しばらくワーッと言う感じはなかったが、久しぶりにそんな活気が出て来るような気がしている。次号あたりからその芽生えが見えはじめるようだ。
(「人間像」第127号/編集後記)

湾岸戦争か… 後記でも触れている「人間像」第128号に早く取り掛かりたいので今日はこれで失礼します。262ページもある大冊なので、作業が終わる頃はもしかして初雪?


▼ 「人間像」第126号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/03(火) 17:36  No.1114
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「人間像」作業、再開です。本日、佐藤修子さんの詩三編と佐々木徳次さんの『軍港』を人間像ライブラリーにアップしました。次、内田保夫『甘美の陥穽』、佐藤瑜璃『落葉日記』、丸本明子『蒼天』、針山和美『洋三の黄昏』、村上英治『海に棲む蛍』と続きます。

「同人消息」に興味深い記事が。

☆朽木寒三の斉藤昭伝は総題を『雪の砦』とする本文四巻・別冊一巻からなり、五千枚にも及ぼうと言う一大長編である。その総目次が編集部に届けられたが、第一巻だけでも七章まであり、第一章は「縁の下の砦」として『人間像』に発表、第二・第三章は『少年マタギ』としてポプラ社から出版。第二巻の第一章から三章までは『釧路湿原』として評論社から出版。別巻のうち六篇が『人間像』に発表済みと言う事になる。従って未発表の物がまだ半分以上あり、百枚ずつ発表しても死ぬまでに発表し絶わるかどうか、と言っている。まさしくライフワークと言う訳だ。
(「人間像」第126号/同人消息)

古本屋でこの『雪の砦』を見かけたことはなく、おそらくは未刊に終わったものと想像されますが… 惜しい! 原稿さえ残っていれば、人間像ライブラリーで復刻するのに。


 
▼ 落葉日記  
  あらや   ..2024/09/06(金) 10:31  No.1115
    四月 二十日 水曜日 曇
 昨夜は三度もトイレに起きて、よく眠られなかったが、いつも通り五時に目が覚めた。一人ぐらしになって九日め、肌寒いのと、けだるさで、起き出す気にならず、うつらうつらする。七時にカーテンを開け、新聞を入れてまたねる。十日前までは今頃の時間は出勤する洋一や香織、大学へ行く洋樹達が台所と茶の間を右往左往していて、それなりに活気があったと今は思う。知らない町の狭い官舎住いがいやで、住みなれた自分の家に一人残ったのだが七十七歳の一人ぐらしはやはり淋しい。
(佐藤瑜璃「落葉日記」)

いや、感じ入った。作業中はいちいち感想を述べたりしないで、てきぱきスピードを上げようと思っていたのですが、こういう作品に出逢うと、作業の手を止めてでも誰かに喋りたくなる。人間像、凄い人が入って来たものですね。

 
▼ 洋三の黄昏  
  あらや   ..2024/09/09(月) 17:01  No.1116
   佐山洋三は家の中でもいちばん先に起床する。本当はもっと早くに目覚めているのだが、あまり早くに起き出しては家人の邪魔になると気がねして、布団の中でじっと我慢している。そして今日の一日をどのように過ごすことが一番よいのかあれこれと思案を巡らせてみる。なにもする事はないのだが、なにもしていないと自分がなにか大きな塵になったような気がして、家の中にいることが苦痛になってくる。
(針山和美「洋三の黄昏」)

針山さんの作品を毎号読めるのは嬉しい。前号の『シマ婆さん』からこっちは1992年4月発行の『老春』という単行本にまとめられるのですが、雑誌発表形を読むとなにか新鮮な感じがしますね。で、改めて単行本を読むと、こちらも楽しい。

『洋三の黄昏』は二日前に終わっていて、すでに村上英治『海に棲む蛍』に入っています。〈海に棲む蛍〉が何か、解るところまで来ました。あと二、三日かな。

 
▼ 海に棲む螢  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:02  No.1117
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 黎明塾の前に、肌の浅黒い骨張った貌の男が立った。雪でも払うように、肩の土埃にぱんぱんと手の音をさせている。
 倉田老師は、眼を細め抱きかかえるようにして、その男を迎えた。
「海に棲む螢を見に来ました」
 男は快活に言った。
 老師はそれに微笑し深く頷いている。
 彼が振り返った。
「頼三樹三郎です。諸君よろしく」
(村上英治「海に棲む螢」})

活字も小さく、その活字よりも小さいルビもこれまた多い。第126号だけに頼っていると時間がかかり精度も落ちるので、参考用に道立図書館に予約しました。そしたら、厚さ3.5p、696ページの本がドカッと届いたわけです。いや、吃驚。
連載第一回ということで、毎回こんな分量の作品が続くのかなあ…とちょっと心配していたけど、単行本を見て一安心。「連載」というよりは「連作」ですね。それにしても分量が凄い。『海に棲む螢』だけでも結構な長篇だと感じたけれど、これ、単行本の約700ページの内の50ページ分にしか過ぎないんですよ。単行本で読み通す人、いるのかなあ。

 
▼ O君  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:06  No.1118
   落ち着いてから入り口で貰った案内書を見る。各段の出場者名簿とトーナメント表が出ている。三段の表を見たあと一段から順に眺めていると、突然京極と言う文字が眼に入った。京極とは前の勤務先の地名である。誰かなと思って見るとO君である。懐かしさだけではない或る種の感動が胸の内に沸くのを覚えた。
(春山文雄「O君」)

私も京極にいる時、なんか剣道熱の高い町だなあ…と感じました。きっと立派な指導者がいたのでしょうね。

 
▼ 「人間像」第126号 後半  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:11  No.1119
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「人間像」第126号(128ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数15日間」。収録タイトル数は「2391作品」になりました。裏表紙の広告が変わりました。こちらも村上さんですね。

 村上英治 あした秋篠寺へ

 村上英治は吾々の仲間の中では寡作の方である。しかし、何年か置きに大作・力作と言ったたぐいの作品を書いて仲間をびっくりさせる。中でもこの『あした秋篠寺へ』は二百枚を超える長篇でありながら、詩的表現とも言うべき密度の濃い文章で緻密に描きあげていて、文字通りの渾身作となっている。
 北海道新聞の「上半期の道内文学」(62・7・11)で執筆者の神谷忠孝が次のように評している。
――二百枚をこえる長編で、末期のがんを病む妻を夫の眼から書いた作品。病室にかかっている藤島武二の複製画に描かれている女の肖像や広隆寺の弥勒菩薩への憧憬を重ねながら妻を抱く場面の文章、秋篠寺の伎芸天の描写が印象的だ。農産物を扱う会社の有能な社員としての一面も描いており、堂々たるロマンになっている――
 そのほか二篇の代表作を加えた第一創作集。


▼ 天皇の黄昏   [RES]
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:25  No.1108
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7/20講演会から帰って来て、直ぐに「人間像」第126号作業に入らないで、単行本『天皇の黄昏』デジタル化に取り組んでいました。収録作品中、『天皇の黄昏』〜『春の狂い』〜『再会』〜『古い傷跡』〜『ひみつ』〜『俺の葬式』と来て、本日、『春の淡雪』をアップし完了となったので、ここでご報告です。336ページの本に対して、作業時間は「66時間/延べ日数14日間」でした。

微妙に手が入れられていて興味深かった。針山氏の場合、書き足すというよりは、削るという修正が特徴的ですね。『敵機墜落事件』→『山中にて』みたいなケースは極めて例外的なことだったんだと知りました。『雪が解けると』(第118号)→『春の淡雪』が若干そういうケースにあたるかな。

考えている仕事がもうひとつふたつあって、それをちょっと試みてみて、時間がかかるようだったら今回は諦めて第126号作業に復帰することにします。


 
▼ 湧学館後の日々  
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:32  No.1109
  7/20講演会は、私の声が小さかったり、ピンマイクの性能がいまいちだったり、耳の遠いお年寄りが多かったりで、よく聞こえなかったとの感想がけっこうありました。イベントとしては失敗かな。資料作りに使った画像などがまだ残っていますので文章化して人間像ライブラリーに挙げるかもしれません。

次々とイベント打って客を集めるのが今どきの図書館なのかもしれないが、私には、それが図書館の客とは思えない気持もある。「新谷さんが紹介していた『三年間』という作品を読んでみたい」という声に、「スマホでもパソコンでも読めますよ」と答えて、なにか仕事したつもりになっている図書館はないだろうか。世の中にはインターネット接続料金が払えない年金生活者だっていっぱいいるし、私みたいに電話以外の機能は何が何だかわからない、ガラケー使えなくなったから仕方なくスマホに乗り換えた老人だっている。そういう人たちの「読む自由」にきちんと奉仕してこその図書館だと私は思うのだが。

……と、七年前の私ならそう思い、そう行動するのだが、最近はそのように動けるか…自信がなくなっている。スマホが昭和のテレビのように日本人に蔓延してしまった世の中を感じるからだ。「スマホで読めますよ」と答える図書館員しかいなくなった世界を感じるからだ。私は「スマホで見れますよ」と答えることにしています。

 
▼ 湧学館後の日々・インターネット版  
  あらや   ..2024/08/13(火) 01:07  No.1110
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「聞こえなかった」そうなので、インターネット版をつくりました。人間像ライブラリーの〈新谷保人〉に挙げてます。
頭の中に話した内容がまだ残っていましたので、下書き稿などはつくらず、エディタに直接書き込むという今まで一度もやったことのない方法でつくりました。そのせいなのかどうなのか、何度書き直してもパソコンの画面に表示されない画像が一枚あって、さすがに四度目の書き直し失敗で諦めました。悔しいので、こちらの方に画像をあげておきます。
講演会で話した内容以上のことは書き加えていません。文章にしてみると、本当にこれを1時間+10分でやったのかと本人が驚いてしまいますが、たしか70分でやったのです。「聞こえない」というよりは、「聞いたことのない」名前の続く70分に飽きられたのかもしれませんね。けれど、同窓会をやるつもりのない私には、こういう話しかなかったのです。
経験的にパワーポイントを使えば10分の1の努力でできることを知ってます。話す内容も、所詮は電気紙芝居だから、たらたら適当な言葉をつなげていれば何かものを言った気にもなれる。でもね、「講演」が終わったら、観客の頭の中には3%の記憶すらも残っていないんだよ。私は、それで良しとする人間が嫌いだ。

 
▼ 人間像を走る山線  
  あらや   ..2024/08/22(木) 10:53  No.1111
   温泉行きの大型バスが二台、威勢の良いデイーゼルエンジンの音を残して発車して行ったばかりの駅前は、にわかにひつそりと静まりかえつた感じで、あとに残つた一台は、先刻のロマンスカーとは比較にならぬ程の古ぼけた車体であつたが、その方が、かえつて此の小さな田舎駅と辺りの風景には、ふさわしく見えた。
 三人ほどの乗客が所在な気に窓外を見て居る切りで、未だエンジンも掛けて居ないのは、あと三十分ほどで入つて来る下り列車の乗客を待つてから発車する為である。
(渡部秀正「硫黄山」)

本当にひっそりと今日も山線は走っている。明日もこの風景が消えてしまわぬように私は動こうと思ったのです。北海道を描いたすべての作品には、その背後に山線(函館本線)が走っている。すべての読者は、あそこに線路があり駅があることを前提にイメージを膨らませるのだ。100億や200億の赤字がなんだっていうんだ。北海道の文学から駅員や旅人の物語が消える文化的損失に比べたら、こんなもの、蚊に刺されたほどの痛みでもない。

北海道文学を走る山線に突き進みたい。でも、それは、私がやるべき仕事なのだろうか。(やってもいいけど…) どこか、「北海道」を名乗っているところの仕事ではないのか。いずれにせよ、ここで頑張って抵抗しなければ一生悔いが残るような気がしている。せめて、自分の分をわきまえて、「人間像」を走る山線くらいはまとめておかなくては…と思ったのです。

 
▼ 坂の街の母校  
  あらや   ..2024/08/24(土) 17:57  No.1112
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峯崎ひさみさんの『坂の街の母校』ほか、『「山線」と花嫁たち』、『潮の風に偲ぶ』、『手帳』、『先生の指輪』の四篇を人間像ライブラリーにあげました。

すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、7/20講演会を機に、今まで「○○氏」とやっていた堅苦しい呼び方を「○○さん」に改めています。これは尊敬の念が薄れたとかそういうことではなく、そうかと云って、私は「○○」を研究する人ではないわけで、なにかそういう立場をうまく表す言葉はないかと以前から考えていたのですが暫定的に「○○さん」でやってみようということです。繰り返しますが、尊敬の念が薄れたなどと云うことはありません。むしろ「湧学館後の日々」をやってみて、これから進む方向が明確になったようで深く感謝するばかりです。

今は、机の上に溜まった書類の山とパソコンに溢れているファイル群を片付けている最中です。もう一仕事、「湧学館後の日々」関連の記事を仕上げてから、第126号作業に戻ります。

 
▼ 沼田流人伝を読む  
  あらや   ..2024/08/31(土) 14:02  No.1113
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昨日、『沼田流人伝を読む』という拙文を人間像ライブラリーにアップしました。それと同時に、二年間封印していました『文芸作品を走る胆振線』を復活させました。

『文芸作品――』は十年以上も前に書いた文章です。二箇所に事実誤認があり、とうてい人様にお見せできる代物ではないのですが、一時は人間像ライブラリーで公開していたこともあり、そういう文章がある日突然理由も知らされずに消えるというのは、それはそれで図書館としてはやってはいけない行為だと思っていました。
自分としては、『沼田流人伝』の著者・武井静夫さんに対する態度をはっきりさせる形でなら『文芸作品――』は存続させてもらってもよいのではないかと考えています。その上でなら、批判にもきちんと応えることができるような気もする。
『沼田流人伝を読む』の最後を「みなさん、本を読みましょう」という言葉で締めくくりました。笑われるかもしれないが、私の本心です。結局、私の書いたものは〈研究〉などめざしたことはなく、いつでも単なる〈読書案内〉でした。詰まるところ、「みなさん、本を読みましょう」以上のことを言ってはいないと感じています。

さて、これで、「湧学館後の日々」に触発された仕事は完了しました。明日からは「人間像」作業に戻ります。


▼ 湧学館後の日々   [RES]
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:13  No.1099
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一週間くらいかかって講演会用の資料を作りました。(まだ下書き段階ですが…) 「人間像」第125号の針山和美『シマ婆さん』を例にとって人間像ライブラリーに収録するまでを説明したりしています。こんなことを人に説明するのは初めてなのでなかなか手間がかかります。確認のため、久しぶりに「同人通信」などを読み返したりしていたのですが、手に取る資料や本がどれも面白く、ついつい読み耽ってしまって困った。今日は20日か… あとちょうど一ヶ月後ですね。(なにかドキドキしてきた…) 心を落ち着けるために第125号作業に戻ろう。

 
▼ 「人間像」第125号 前半  
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:17  No.1100
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雑誌発表形の『シマ婆さん』を初めて読んだのですが、おお!という手応えが私にはありましたよ。これ、合評会で滅茶苦茶言われるだろうなぁとは思ったが、小説としての痛快さでは単行本『老春』に収められた『シマ婆さん』を越えているのではないか。
ちょうど今、手許に「同通」があるので見てみたら、言われてる、言われてる。

村 シマに言うべき遺言をシマが死んでから、シマを意識して、スマンということは、どうしても逃げになる。
針 うん、逃げだ。
村 ここは逃げてはいけない。
針 村上さんなら逃げないだろうが。
村 ゼッタイ逃げない。
針 僕は書けない。
村 書ける書けないではない。
(「同人通信」No.212/道内同人会「125号合評」)

ううっ、凄い。『いつかの少年』が本気で針山氏に詰め寄っている。…という調子で、「同通」が手許にあるといつまでも読んでしまう。仕事にならない。元の資料保存箱に隔離してしまおう。

 
▼ 流れのアリア  
  あらや   ..2024/06/24(月) 13:59  No.1101
   「興奮していないようだ」と言う婦長の言葉に(こんな時にまで)と柚李は苦笑した。母親はいつも、「この子はお父さんにそっくりなのよ。何を考えているのか、嬉しいのか悲しいのか、ちっともわかりゃしない。女の子はもっと可愛げのある顔しなきゃ損なのよ」と心配そうに言った。柚季の大すきだった、もの静かでやさしい父は柚季が大学二年の秋、突然の心臓発作で他界した。結婚するなら絶対に父のような男性と――、と思い続けてきた柚季が、深い悲しみから立直れず、父の思い出にひたって婚期を逸してしまった。
(佐藤瑜璃「流れのアリア」)

『湧学館後の日々』の講演資料、完成しました。〈佐藤瑜璃〉というピースが入ったことによって講演の話の流れも構想できるようになり、有難いことこの上ないです。

うーん、〈父〉が出て来ましたね。

 
▼ 北の島にて  
  あらや   ..2024/07/02(火) 17:08  No.1102
   三ツ塚留雄は、礼文水道の左手に鯨の背のように浮かぶ青い島影を、いつまでも飽かずにじっと眺めていた。
 海が凪いでいるのに、フェリーボートは緩やかにローリングしていた。船酔いに似た追憶がこみあげてきた。留雄は後部甲板の冷たい風に軀をさらしながら、「あそこが生まれ故郷か……」と声にならない呟きを漏らし、回帰する鮭のイメージへ自分自身の思い入れを重ねて、島に対する得体の知れない不安と期待を込めていた。
(千田三四郎「北の島にて」)

『北の島にて』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。この作品の後、第125号作業は一時中断して、7月20日講演会への準備作業を今はやっています。それは例えば、人間像ライブラリーが始まった2017年当時、司書室BBSに書いていた作業メモを一本にまとめるとか、そんなことです。講演に直接関係があるわけではないのですが、いわば自分に対する裏付けという意味で。

『北の島にて』、大変技巧的な、それでいて物語的な力強さを失っていない、さすが千田三四郎とでも云うべき作品でした。主人公の三ツ塚留雄が、『ばばざかり』(第123号)の須賀三平の三十数年後の姿であることに気がつくと面白さは十倍。早く第125号作業に戻るべく頑張ります。

 
▼ 人間像日誌  
  あらや   ..2024/07/09(火) 11:37  No.1103
  一週間ばかり第125号作業を中断して「人間像日誌」をまとめていました。2017年度、2018年度、2019年度の三年間です。「ただいま」というスレッドから始まり、2020年の二月には武漢のニュースが入って来るという、それなりに私には激動、でも傍目には楽しい読み物に仕上がっていると思います。コロナ下の2020年以降については、また別の機会に。講演までの日にちが迫ってきました。

 
▼ 八百字のロマン  
  あらや   ..2024/07/12(金) 11:56  No.1104
   母の十三回忌の法要を終えて実家から帰る途中、ふと香月駅に寄ってみたくなった。国鉄第一次廃止線の対象となった香月線で、私は娘時代の四年間を直方の女学校へ通った。その始発駅がどうなっているか……、確めたかったのである。「それはよいことだね」と夫はうなずき、車を回してくれた。駅の周辺は想像以上に変容していた。ビルが建ち、ショッピングセンターができ、人通りも多くて活気があった。それにひきかえ、線路は錆つき、枕木は雑草に覆われ、駅舎は廃屋となって壁には板がすじかいに打ちつけられており、無残な光景であった。
(日高良子「八百字のロマン」/廃止線の香月駅で)

講演のことばかり考えているとプレッシャーで押し潰されそうだ。こんな時こそ、ルーチンの「人間像」作業をやらなければならないし、本を読んでいなければならない。それが出来た上での講演だろう…と第125号作業を意識的に再開しました。

扱う作品が日高良子さんで良かった。心が少し落ち着いた。

失敗しようと上手く行こうと、私にはこれしか出来ないのだから、講演は七年前にやっていた出前図書館のスタイルでやってみようか…とか思ったりする。

 
▼ 寅吉の故郷  
  あらや   ..2024/07/15(月) 04:58  No.1105
   「もしもそのころにギネス・ブックがあったなら、脱獄七回の五寸釘寅吉は、当然それに記録されていたろうね。逃げるとき、五寸釘の刺さった板きれを踏み抜いた。その板きれを足裏にくっつけ痛いのを我慢したまま、バタバタと二里半ほども逃げ回ったエピソードで五寸釘寅吉と言われるようになったらしいが、そんな寅吉が明和町の出身なんだ」
(千田三四郎「寅吉の故郷」)

神坂純『私の山頭火』に進みたいのだが、さすがに講演が迫ってきている。寅吉とか、松浦武四郎とか、伊勢国(現在の三重県)ってユニークな人を生み出すなあ。

 
▼ 私の山頭火  
  あらや   ..2024/07/17(水) 14:03  No.1106
   今年私がやろうとしていることは、南の島へ渡ってしまうという一事だ。人間が嫌い、日本が嫌いと言ってみても、南の島にも人が住い、彼らの国としきたりがある。それでも敢えて島に渡ってしまい度い。
 渡ることによって、何かが拓ける。それが何であるかシカと確めた訳ではないが、今迄になかったものが拓けることは、確かなようである。その新天地で、心から素直になって、あの世へ渡る準備をしたい。
(神坂純「私の山頭火〈九〉」)

やあ、第125号、最後まで来ちゃいましたね。上澤さん、ほんとにサイパン島に行っちゃうのかな…

さて、ここからは本当に7/20講演会の準備です。出前図書館(ブックトーク)スタイルでやることにしました。

 
▼ 「人間像」第125号 後半  
  あらや   ..2024/07/19(金) 10:17  No.1107
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「人間像」第125号(142ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2359作品」になりました。

7/20講演会(明日だ!)の資料作りと併走になったわりにはてきぱきと事が運んだように感じます。裏表紙は前号と同じ『愛と逃亡』ですので省略します。

さて… さて…


▼ 「人間像」第124号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/05/25(土) 18:53  No.1092
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第123号作業が終わった時点で、そろそろ〈松崎天民〉の練習を始めてみようか…という気にもなっていたのですが、「人間像」第124号の表紙見てすぐに考え直した。「人間像」としては大変珍しい、表紙にメッセージが二行書いてある。

 いつかの少年 (三百四十八枚) 村上英治
 赤提灯素描 (新同人) 佐藤瑜璃

そうか、『いつかの少年』か! そして、佐藤瑜璃さんの登場! もう124号作業に突入するしかないとなったのでした。私にとっても、この「人間像」第124号は、私が初めて手にした「人間像」でもあるんですね。『いつかの少年』を読んでひどく感心したことを思い出します。

黒子 「東西、東西……、ここもとお目にかけまするは、天下に隠れもない兇賊五寸釘寅吉が胸の奥に秘めたる真実、嘘、偽りなきざんげの一幕。それをば一人芝居にて北山品評が一世一代、一生懸命に演じますれば、皆々様にはごゆるりと御観覧のほど、願い上げ奉ります」
(千田三四郎「脱獄のかなたに、遥かな愛と憎しみ」)

昔、「人間像」同人とは知らないで、千田作品を愛読していたことも思い出す。『一人芝居・五寸釘寅吉』、本日、ライブラリーにアップしました。以下、丸本明子『萎る』、佐藤瑜璃『赤提灯素描』、針山和美『娘とマダム』、村上英治『いつかの少年』と続きます。


 
▼ 赤提灯素描  
  あらや   ..2024/05/27(月) 16:35  No.1093
   廃線で赤錆びてしまった線路を渡り、右へ折れた路地裏に赤提灯をぶらさげた古くさいトタン屋根のハーモニカ長屋のような店が五軒、ひっそりと立っている。一番手前が焼鳥の鳥源=A二軒めに、おでん、かん酒と書いた赤提灯が下っている格子戸の前に立って葉子は、ブルゾンのポケットから鍵をとり出し、古びた南京錠をあける。
(佐藤瑜璃「赤提灯素描」)

この坂を真直ぐ上って行くと左側に赤レンガ造りのランプ屋という喫茶店があります。そこを右へ曲って少し行くとやぶ半というそば屋があって、その横の小路を入ると、古い木造二階建てのかもめ荘というアパートの六号室です。
(同書)

私、この店、このアパートの六号室…と指させますよ(笑) 『父、流人の思い出』の時は、ああ、あのあたり…といったレベルの精度だったけれど、話が小樽に入って来て、俄然、楽しみが倍増して来ました。久しぶりに峯崎さんにもこの『赤提灯素描』を送ってみよう。

 
▼ 娘とマダム  
  あらや   ..2024/05/29(水) 15:50  No.1094
   「子供の頃はKと言う所にいたの。知ってる?」
 マダムがぽつりと言う。
「あッ……K」
「あら、小父さんもK知ってるのね」
 女が思わず小父さんと言う。それだけ懐かしい所なのであろう。
「知ってるよ。昔の事だけど」
 と、言いながら良太の脳裡を電撃が走った。
「どうしました? 顔色変わったわよ」
「何でもないよ。そうか、Kで生まれたのか……。どうりで見覚えがある気がしたと思う訳だ」
(針山和美「娘とマダム」)

Kは倶知安。住まいはとっくに札幌に移り、時代は平成に移っても、針山氏が書くのはいつも〈倶知安〉というところが興味深い。

『娘とマダム』はとうにアップを終えていて、今、『いつかの少年』に取組中です。この作品、第124号の192ページ中、じつに130ページを占める大作ですので、いつ完了するのかちょっと予測がつかない。考えてみれば、これも〈K〉ですね。

 
▼ いつかの少年  
  あらや   ..2024/05/31(金) 17:10  No.1095
   映写を知らせるベルが鳴った。
 場内が暗転し、客たちがどよめいた。
 スクリーンに題名が大写しされ、片岡千恵蔵の名が出ると拍手がわいた。さだも盛んにたたいているのだ、と思い慎二は笑った。
 出演者の名がスクリーンを流れていく。
 甲胄のさむらいが白い土埃をあげてこちらへ迫ってくる。まだ顔がぼやけていた。多分ちえぞうだ。慎二は息を止めて見詰めた。そのとき、遠くに山並みが見える背景が、火を付けた紙のようにふっと変色した。映像が乱れスクリーンに静止した。不満の声が吐息と共に場内をざわめかした。拡大された写真で見るような騎馬のさむらいが、めらめらと色のない焔に焦げてめくれあがった。セルロイドの焦げる刺すような臭いが流れた。客たちが総立った。危険な臭いだった。
(村上英治「いつかの少年」)

昨夜から今朝にかけて、この、昭和十八年の布袋座火災の場面をワープロ原稿に作成していました。緻密な文章のおかげで、まだ頭がくらくらしています。私の記憶では、『いつかの少年』はこの布袋座の事件をクライマックスに完結する物語と思っていたんだけど、今回作業をしてみて、この布袋座の後も話は延々40ページ分も続く作品であることを知りました。(何、読んでいたんだか…) というわけで、ライブラリー公開はもう少し先になります。

 
▼ いつかの少年(続)  
  あらや   ..2024/06/08(土) 16:56  No.1096
   「慎二お前な、小説家になれよ」
 雑誌や単行本を枕元に積み上げ、微熱にうるんだ眼をして布団にくるまっている慎二を見舞ったさだが、あきれたようにいった。慎二はその時のことを想い出していた。
「小説家って蒼白くてやせてて、軀が丈夫でないんだよな。お前にぴったりださ」
 そんなふうにもいった。今からおもうとあれはさだからの精一杯、見舞のメッセージだったのだ。読書は好きだったが、考えたこともない自分の未来像だった。苦笑が途中から薄れていく。白い羊蹄山を見詰めて眼が熱っぽくなっているのを慎二は感じた。
 火の中で生きたまま死んでいったさだたちのこと。たった四年の間にあっけなく死んでいった、父や祖父、母のこと。佐渡から北海道のこの町へ移住しなければ、少年がこんなに多くの死を見ることはない筈だった。
 佐渡にいたら俺は生まれていない。
 この町だから俺は生まれたのだ。
 だから、いろんな想いをいつかは小説に書いておくべきかも知れない。慎二はいま切実にそう思ったのだった。
(村上英治「いつかの少年」)

本日、人間像ライブラリーに『いつかの少年』をアップしました。ヤングアダルトという概念もまだない時代にこのような作品が生まれていたことに驚きもし、感動もします。針山和美『三年間』と同じく、このような作品に携われたことに感謝したい。

 
▼ 「人間像」第124号 後半  
  あらや   ..2024/06/10(月) 16:54  No.1097
   前号は四十周年と言う事で短いものを沢山載せたが、今号は村上の長篇「いつかの少年」三百四十八枚をどかんと載せた。割と遅筆の方だからかなり時間を要した作品で、また力の入れようも激しく渾身の作と言って良いだろう。
 新同人として佐藤瑜璃が加わった。沼田流人の娘さんで今後が楽しみな存在である。
(「人間像」第124号/編集後記)

第124号はこれに尽きますね。緊張感のある楽しい作業でした。
「人間像」第124号(192ページ)、完了です。作業時間は「94時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「2343作品」になりました。

http://lib-kyogoku.jp/
この後、第125号に入りますが、この号の作成作業を例に7月20日の講演用に「人間像ライブラリー」のメイキング画像をあれこれ作ろうと思っています。そのため、いつもの作業よりは時間を喰うかもしれません。
講演は開館二十周年記念の同窓会気分の依頼なのかと思って最初は渋っていたのですが、そうではない…ということなので引き受けました。極めて異例です。後にも先にもこれ一回切りと思っています。私はそれほどヒマじゃないから。湧学館でやっていた仕事と今のライブラリーの仕事がどのようにつながっているのか、お話できればと考えています。

 
▼ 針山和美第三創作集『愛と逃亡』  
  あらや   ..2024/06/10(月) 17:00  No.1098
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解説は朽木寒三氏。『愛と逃亡』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。

『愛と逃亡』は、前に「人間像」に発表されたのを読んだことがあるので、あらすじは知っているつもりだった。そしてストーリー性のゆたかな小説なので、すじを知っていることは、再読に当たって感興のさまたげになるかと思った。だが、いざ読み始めてみるとたちまちとりつかれてぐいぐいと引きずられ、読みおえたあと茫然となった。以前読んだときには気づかなかった細部の綿密さがすみずみまで分かり、次から次と行く手に新しい世界が展開するのである。
 それにしてもこの一人称で書かれた告白体の小説は、明快な文章で書かれてはいるが実に複雑で微妙な作品である。主人公の、愛と憎しみ、好ましい素朴さとずるさ、内性的な暗さと楽天的な明かるさ、引っ込み思案な弱さと意外な行動力、せつないまでの自己犠牲と利己的な攻撃性、絶望の中の希望、ありとあらゆる矛盾した心情と行為の間を揺れ動き行き来するあわれな若者の魅力が、到底小説という作り物とは思えない切実さで読者の心を捕らえて放さないのだ。
 この作品をしあげるのに、どれだけのエネルギーが必要であったことか。しかも作者はこれを、重傷の肝炎で長期入院となった病床生活の中で書いたのである。作中の、異常なまでになまなましい逃亡者の絶望と希望が交錯する心理描写は、あるいは針山和美自身の心情の吐露だったのかも知れない。
 ともあれこれは、すぐれた「愛と逃亡」のドラマであるとともに、一個の心理小説としても希に見る傑作であると思う。


▼ 「人間像」第123号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/27(土) 17:15  No.1084
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「トヨをどうする」
「聞いたって仕方なかべさ。あれがいて暮らしが立たねば、オンチャにカタルおらにしても同じことだ。いくらカマドガエシしたからって、三つになる子の食い扶持ぐらい、なんぼも掛からねべさ」
(千田三四郎「ばばざかり」)

第123号作業、始めました。世の中は連休みたいだけど、私には関係ないから。先ほど、千田三四郎『ばばざかり』を人間像ライブラリーにアップしたところです。
アップした『ばばざかり』には、「カタル(寄食する)」のように標準語翻訳?が付いているのですが、私には津軽弁が面白くてちょっといじってみました。

さて、次の平木国夫『北村喜八に乾杯』に行こう。第123号は小説だけでも十二本が並んでいるので、いつものようにラインナップの紹介は省略します。面白い作品に出会ったら、その時点でこのBBSに書きます。


 
▼ お婆さんの軍歌  
  あらや   ..2024/05/01(水) 18:35  No.1085
   あれはその年の秋も終わりにちかかった。彼女は野良帰りのままで遅い昼食を摂っていた。かまどにむかって土間に腰掛けてお茶漬けを食べていた時だ。玄関のあたりが急に薄暗くなってきた。天気が変わってきたのかとふと顔を向けた途端、そこに長男が立っていたのである。出征のときのあの凛々しい軍服姿ではなく、それは疲労困憊した黝ずんだ背嚢姿であった。彼女は食べかけの茶碗と箸を持ったままそこに立ち竦んだ。
「嘉夫、戻って来たのか」
(佐々木徳次「お婆さんの軍歌」)

うーん、切ないなあ。『天皇の黄昏』の前に、この『お婆さんの軍歌』が来るのか… 『天皇の黄昏』の迫力が倍になった。

作業は『ばばざかり』以降、平木國夫『北村喜八に乾杯』、北野広『岐路』、内田保夫『愚かなり汝の心』、丸本明子『笹舟』と来て、今、『お婆さんの軍歌』をライブラリーにアップしたところです。まだ、針田和明氏も朽木寒三氏も登場していないことからも、いかにこの第123号が分厚いかがお分かりになると思います。

 
▼ 天皇の黄昏  
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:50  No.1086
   三日目の事である。陽兵は相変わらず朝からテレビの前に噛りついていたが、一生懸命に見ているつもりなのに、いつの間にかソファの上で居眠りをしているのだった。もっとも居眠りしていても風邪を引く季節でもないので、嫁の十三子も見て見ぬふりをしていたが、そのままにして置けば置いたで、なぜ起こしてくれなかったのだと文句を言われる事もある。だから頃合を見て「お爺ちゃん、ちょうど良いところですよ」と肩を揺すってやるのが十三子の役割にもなっていた。ところが臨時ニュースのチャイムが鳴ったので、何事かと思って見ると天皇が大量の吐血をしたと言う。
「お爺ちゃん、大変よ」
 慌てて揺り動かすと、
「日本が勝ったか」
 と、とんちんかんな事を言う。居眠りを始める前の画面の事を言ってるのだ。
「なに言ってるのよ、お爺ちゃん。天皇陛下が大量に吐血したんだって」
 天皇と聞くと陽兵は直ちに姿勢を整えて、
「なに、吐血だって? で、ご容体はどうじゃ」
(針山和美「天皇の黄昏」)

追悼号で作ったファイルがすでにあるので『天皇の黄昏』は作業の必要はなかったんだけど、読んでる(作業する)のが楽しいので、またゼロから仕事してしまった。名作って、そんなもんです。

 
▼ 宝石と孤独  
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:52  No.1087
  『天皇の黄昏』以降、作業は、矢塚鷹夫『宇宙をぼくの手の中に』、日高良子『夢おこし』、土肥純光『宝石と孤独』と来て、今、針田和明『吾木香』に入ったところです。

『宝石と孤独』。四十周年記念号なのに、20年前の作品を何の手も入れずに出して来る…というのはどういうことなのだろう。こちらは、作業している途中で気づいたのだけど、ファイルを比較するのも面倒なのでラストまで作業してしまいました。半日分の時間、損した。

 
▼ サハリンの旅  
  あらや   ..2024/05/13(月) 14:23  No.1088
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 なにかなつかしい様なかんじがして来たが、この街の空気は札幌に実によく似ている。それも戦後の混乱期をようやくぬけ出した二十年代中頃のそれではないだろうか。なんとなく大雑把でそれなりに自然と調和している。札幌はあれから大きく変わりすぎたが、ここにはまだそれがある。
(竹内寛「サハリンの旅」)

針田和明『吾木香』、朽木寒三『窓の下の犬』という高い山を二つ越えて、ここからはエッセイの森が緩やかに続きます。第123号も終盤。『サハリンの旅』、よかったなあ。小樽に移り住んだ頃、このフェリーは現役でばりばり運航していたんですね。気づくのが遅かった。頭が悪かった。

 
▼ うたたかの四十年  
  あらや   ..2024/05/16(木) 18:01  No.1089
  『神様の結婚』も14年前の原稿じゃないか! また、時間を損した…
『サハリンの旅』じゃないが、こういう思いをした後には、けっこう凄い文章が来る…というのがこの第123号の面白いところ。

 考えて見れば僕は、三つのものから抜け切れないでいるようだ。
 一つ目は志賀直哉である。文学の神様と言われた志賀直哉の文章を信奉して、出来る限り修飾の少ない判り易い文章を書こうと心がけた。しかしこれは事務的で特徴のない文章だと思われる要因になった。
 二つ目は「罪と罰」である。ドストエフスキーの心理とサスペンスに溢れたこの作品がずっと意識の底にあって〈事件もの〉に興味を持たせる事になったような気がする。
 三つ目は「嵐が丘」である。荒涼たる原野に繰り広げられる野生的な恋の物語が忘れがたく舞台を山野に求めた「百姓二代」や「愛と逃亡」を書かせたようにも思える。
(針山和美「うたたかの四十年」)

おお、『嵐が丘』! 私も若い頃からのエミリー・ブロンテのファンクラブですよ。針山氏の口から『嵐が丘』の言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。そうですか…、私の愛する『百姓二代』も『愛と逃亡』も嵐が丘由来だったんですか。感激です。

 
▼ 「人間像」第123号 後半  
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:16  No.1090
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「人間像」第123号、246ページの全作業を完了しました。作業時間は「119時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「2333作品」になりました。

 昭和二十四年(一九四九年)十一月『道』の誌名で創刊してから四十年たった。十年目の区切りなので華々しく記念号でも作ろうかと考えたが、二十歳の青年も六十歳になってみると、そのような事にある種の照れを感じるようになっていた。外部の人から原稿を貰って目次面を仰々しく飾るのはよして、この際、しばらく誌面から遠のいている人に無理やり書かせるように仕組む事で創刊四十周年の意義づけをしようと言う事になった。そんな事で表紙には格別なんの文字も入れず、扉につつましく「創刊四十周年」の文字を入れる事で多少の意味合いを出した次第である。
(「人間像」第123号/編集後記)

四十年か… 「人間像」に興味を持った理由のひとつが、同人たちが私の父母とぴったり同時代だったということが挙げられます。一冊一冊の作業が終わる度に、札幌の実家の母に「あの時はどうしていた」とか聞くのが楽しみでした。最近は、発行年代も「平成」に入り、父母の「あの時」よりは、私の「あの時」を考えることが多くなっています。あと数年で、私、小樽に家族ごと移住して来る時代に入るんですね。ますます想うことが増えそう。

 
▼ 二つの柩 佐々木徳次作品集  
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:20  No.1091
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裏表紙の広告が変わりました。全文です。

 佐々木徳次にとって初めての作品集である。この中で九篇の創作を自選している。それはそのまま、彼の本誌での創作活動を物語るものであるが、二三の作品について発表時に於ける反響と彼の作品の本質にふれる解説を加えたい。〈イノックの家〉は昭和三十二年に発表され「中央公論」の書評〈日本の地下水〉でとりあげられた。――人物も事件もいちおうかけている小説はたくさんある。しかし問題のある小説ということになると、まれにしかみつからない。「人間像」45号の佐々木徳次「イノックの家」は、手法や題材にとりたててあたらしいものがあるわけでなく、戦争が狂わした一人の人間の運命、予定しえなかった悲劇を淡々と描いているだけで、数すくないもんだいのある小説の一つになっている。 (略) 過去と現在の奇妙に倒錯した状況のなかに、いいかえれば異常神経の正常さともいうべきもののなかに、現在がよりリアリスチックに表現されているという感じがする――このデビュー作の私たちに与えた影響は大であった。戦争がもたらした悲劇を、裏日本の一寒村に集約してみせたこの作品には、作者の鋭い人間観察の姿勢が伺える。標題の「二つの柩」は96号に発表され『北方ジャーナル』誌の、第二回同人雑誌賞をとっている。撰者の目黒士門の評である。――これは素晴らしい鎮魂歌だと思った。静かに歌いあげられた鎮魂歌である。赤銅色に焼けた精悍な漁師の父、十人の子を生み育て、貧乏と病いに苦しんだ母、この二人の老いと死とを何の衒も気負いもなく、淡々と語る筆致は確かである。幼い日々の両親、看病する姉の苦労、父の譜んじている経文、すべてが同じ調子、同じ高さで語られ、しかも個々の場面が読むものの心に強く迫ってくる。文章は秀逸、切々たる作者の情感をよく伝えている。審査した九篇中、もっとも読みごたえがあった。――彼の私小説の決定版といっていい作品である。父と母を、自ら語り、姉の話から拾い、淡々と話をすすめているが、私にはその背景に拡がる、裏日本の漁村がみえる思いがした。一つの評価を得た彼は、今迄自分がやってきた仕事が、始めて自分の血肉になっていたことを識って喜びにひたったことだろう。「イノックの家」と並んで、彼にとって記念すべき作品である。 (上澤祥昭)


▼ 「人間像」第122号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/15(月) 11:12  No.1080
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「人間像」第122号の表紙絵、また丸本明子さんに戻ってしまいましたね。今度は藤茂勇さんが扉絵。第122号は各小説作品にも藤茂さんのカットが入る豪華版です。
今号のラインナップは、佐々木徳次『窓のない部屋』、丸本明子『耳鳴り』、神坂純『葬いの譜』、内田保夫『市川八幡有情』、針山和美『春の狂い』の五作品。今、『窓のない部屋』を人間像ライブラリーにアップしたところです。

じつは、この次の号、第123号は「人間像」創刊四十周年記念号なのです。ほぼ同人が勢揃い、ページ数も久しぶりの246ページという大作です。早くそれに着手したいので、少しずつ作業ペースを上げているのです。「人間像ライブラリー」の40年間を7年で駈け抜けて来たわけか… 時代もついに「平成」に入って来ました。


 
▼ 葬いの譜  
  あらや   ..2024/04/17(水) 17:32  No.1081
  とむらいのふ、と読むのだろうか… あまり自信がない。詩人の言葉づかいは独特で苦労します。『私の山頭火』で部分的に語られていた上澤祥昭氏の当時の変転の全貌が、この『葬いの譜』で一気に明らかにされました。なんとも切ない気持で読んだ。こんな状態になっても、なお「人間像」の仲間たちと切れなかったことに救いを感じた。

 自分が家にいられる訳がない。そう思い込んだ私は、誰にも相談しないで家を出ることにした。二、三日は、私の近況を全く知らない旧い学友の家を渡り歩いたが、それをするにも金がかかった。そして遂には、かつて通勤電車の窓から何気なく見過していた、都心の繁華街に隣接する、一泊二百円と屋根に大書された、軒の低い木賃宿にころがり込んだ。自分が必要とする会話が全くない、蚕棚での生活は、一刻の心を休めはしてくれたが、すえた汗の匂いと、何処からともなく漂ってくる糞尿の刺激臭で、自分のみじめさがたまらなかった。
(神坂純「葬いの譜」)

平成の世になっても〈木賃宿〉の言葉は残ってたのですね。

 
▼ 娘へ/私の山頭火  
  あらや   ..2024/04/22(月) 14:36  No.1082
   あまりにも突然な友の訃報だった。三日前に偶然彼の家に寄った知人から、脳溢血で倒れていた彼を、とにかく病院に運んで帰国した、という連絡をうけたばかりだったから、彼の退院迄に一度島へ渡って、取り残された二人の子供の様子をみて来てやろう、と思っていた位なのだ。
(神坂純「私の山頭火〈八〉」)

驚いた。巻頭の詩『娘へ』、そして『葬いの譜』、『私の山頭火』はひとつの繋がった物語だったんですね。これで、第122号は、忘れられない号となりました。

 
▼ 「人間像」第122号 後半  
  あらや   ..2024/04/22(月) 14:40  No.1083
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 針山君は、いわゆる私小説ではなく他人のことばかり書く。そして色々な人それぞれの立場や心情を実によく書き分ける。殊に、たがいに対立する何人かの人々がそれぞれ自己主張をするような場面に、それがいかんなく発揮される。私は針山君の作品を読むといつも、「ひとごと」とは思えず身につまされてしまう。彼としては失敗作に属する物でもそうなのだ。
(裏表紙/「百姓二代」解説文)

朽木氏の言葉が身に沁みる。こんなに的確に、しかも愛情を持って針山和美の小説を語れる人、他に知らない。『春の狂い』、ストーリーだけ追えば、そんな馬鹿な!なのだが、針山氏が書くと、きちんと目の前に『春の狂い』の光景が出現する。

「人間像」第122号、先ほど完了しました。110ページの作業時間は「46時間/延べ日数8日間」。収録タイトル数は「2305作品」になりました。もしかしたら最速記録、更新?


▼ 「人間像」第121号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/04/04(木) 18:25  No.1077
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第120号が完了した翌日には、「人間像」第121号作業に入っています。
表紙絵が変わりましたね。第120号までは同人の丸本明子さんが描いていたのですが、今号からは藤茂勇さんが担当するみたいです。丸本さんは扉絵の方に移りました。
今号のラインナップは、朽木寒三『縁の下の砦』、内田保夫『これが規程だ』、丸本明子『つくし』、針山和美『俺の葬式』の四作。今、第121号の半分くらいを占める長篇作『縁の下の砦』を人間像ライブラリーにアップしたところです。いやー、面白かった!


 
▼ 縁の下の砦  
  あらや   ..2024/04/04(木) 18:28  No.1078
   とにかく、三つか四つの頃から並はずれて生き物を好む子供だったが、中でも馬が大好きで、やっと鉛筆を持って物の形らしいものを書くことができるようになったとき、まず描いたのが馬の絵で、それ以来、描く絵は全部馬ばかりだった。
 絵とはいっても、紙の上に横向きの細長い四角を書き、頭の部分は簡単な丸ですませて、そのあとは首も四つ足も一本の細い線という簡単なものである。だが、何枚も何枚も紙のありったけ同じものをくりかえし書きつづけて飽きることがない様子なので、父親の勇治が、
「これ何んの絵だ」
 と聞くと、昭は小さな胸を張り、
「馬っこだ」
 ためらうことなく明解に答えた。
(朽木寒三「縁の下の砦」)

いつもの〈斎藤昭〉シリーズとは趣を異にして、この作品では〈斎藤昭〉の幼少期が語られる。シリーズにこの一作が入ると、シリーズ全体の物語世界が十倍ぐらいに拡がりました。これは、朽木寒三の〈イーハトーヴ〉か。

 
▼ 「人間像」第121号 後半  
  あらや   ..2024/04/10(水) 11:16  No.1079
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「人間像」第121号、完了。112ページの作業時間は「52時間/延べ日数8日間」でした。収録タイトル数は「2294作品」に。

 ながーい昭和が、やっと終わった。六十二年間のうち、戦争に明け暮れたのは四分の一くらいだったが、まるまる昭和を生きて来た者にとっては、半分くらい、いや、それより長い期間だったような気がする戦争だった。昭和とか日の丸と言えば戦争のイメージばかりが強いが、昭和とともに戦争も永久に去り二度と来ないで欲しい。きっとそんな願いを込めての「平成」だと思うが、永い平和を期待したいものだ。
(「人間像」第121号/編集後記)

またまた裏表紙が変わりました。『百姓二代』を朽木氏が評するなんて素敵じゃないですか。

 針山君は、いわゆる私小説ではなく他人のことばかり書く。そして色々な人それぞれの立場や心情を実によく書き分ける。殊に、たがいに対立する何人かの人々がそれぞれ自己主張をするような場面に、それがいかんなく発揮される。私は針山君の作品を読むといつも、「ひとごと」とは思えず身につまされてしまう。彼としては失敗作に属する物でもそうなのだ。
 彼のもう一つの特色は、他人のことばかり書くのに、どの作品にも必ず、針山和美自身が影の形にそうように表現されていることだ。だから針山君の作品は、ある意味では非常に切実な『私小説』だと思う。



 


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