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「星ヶ塔」という印象的な名前は、手塚宗求さんが監修していた昭文社の地図にあったので知っていた。国土地理院の地形図には記載はない。昭文社の地図は縮尺が大きいので、だいたいの位置しかわからないが、地形図と照らし合わせると、この突起をそう呼ぶのだろうなとわかる。
下諏訪町の説明は以下である。
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星ヶ塔遺跡を発見した鳥居龍蔵によれば、星ヶ塔はもともと「ホシノトウゲ」と呼ばれていたようです。星ヶ塔遺跡の東側は、鷲ヶ峰の山裾と星ヶ塔山の間のへこんだ部分であり、山道の峠になっています。この峠に「ホシ」があることからホシノトウゲと呼ばれていたのですが、昔の人々は黒曜石のことを夜空に輝く星のかけらと考え「ホシクソ」と呼んでおり、そのホシクソが峠道にたくさんあることから「ホシノトウゲ」という地名がつけられました。のちにそれがホシノトウ、そして「ホシガトウ」と呼ばれるようになり、その後漢字が当てられ、現在の「星ヶ塔」と表記されるようになりました。 --------------------------------------------------------
要するに星ヶ塔は峠のことだから、その西の突起は「星ヶ塔山」とでもするのが正しかろうが、「塔」なんて山らしい漢字が充てられているのにわざわざ山をつけることもあるまい。
さて、避暑の山としては霧ヶ峰は最高だけれども、目新しいところはそう残っていない。先週の冷山に引き続き、黒耀石ついでと、この星ヶ塔に登ってみることにした。
この山、中山道側の星ヶ塔林道をたどればわけないが、この林道は歩行者といえども通行禁止という林道だから歩きたくないし、面白くもない。つまりは、国史跡の黒耀石採掘地には許可なく入るなということである。もっとも我々は山のてっぺんに立ちたいだけで、採掘地を見る気など最初からない。2年前、NHKの「ぶらタモリ」でこの採掘地が紹介され、いっときよく知られることになったらしい。
そこで別の方法を考えて(行程は各々が想像すればいいので略す)、これで楽勝だ、午後早いうちには戻れるだろうと思ったのは浅はかだった。頂上には無事立ったものの、近来ないヤブ漕ぎの連続と、長時間行動になってしまった。歩けると思っていた径は踏跡以下で発見すらできないのも多く、逆に地形図にない作業道は縦横にあって惑わされたり遠回りさせられる。ヤブの中ではカメラとストックを失うという体たらくで、標高1600m近い場所といっても暑さで大汗もかかされて足は痙攣するし、ほうほうの体で出発点に戻ったときにはすでに夕暮れていた。
道中いたるところに転がっていた黒耀石については、これまでに見た中で最大の量で質も最高だと思われた。しかし、刃物がわりにしたといっても、それだけのために、全国からこんな山奥まで縄文人は訪れたのだろうか。
それにしてもおとみ山、この行程をこなしたとは、お達者というどころではなく、異常だと思われる。お疲れ様でした。
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