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 おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..山旅     >>引用
      2023/05/20(土) 13:42  No.6691
 
 
ちょうど1年前、すがぬまみつこさんゆかりの地を訪ねる山旅をした。これがとても良くて、参加者ゆかりの山や土地を訪ねる山旅もいいなあと考えるようになった。知らない誰かではなく、親しい山仲間のエピソードで山旅が充実するのを知ったのである。

さて、今度はとなると、ご常連中のご常連、おとみ山に登場してもらわないわけにはいかない。これには、好都合といっては変だけれども、私が以前から目をつけていた山、すなわち、名古屋へ帰省するとき、恵那山トンネルを抜けて岐阜に出ると、文字通りの実におおらかな山容が嫌でも目立つ笠置山が頭にあったからだった。

この山を望む恵那の地におとみ山の親戚があって、その家におとみ山が小学生から中学生にかけて疎開していたのを聞き及んでいたのである。これを生かさない手はない。

ちょっと行ってくるには難しい距離の笠置山、しかし1泊してまで登るにもちょっと、という山だから、おとみ山にそんなエピソードがあるなら一石二鳥、合わせ技1本というものである。

こんな自分の興味が半分以上もあるような計画に、乗ってくれる人が7人もあったのはありがたい話で、しかもそのうちの3人はごく近い名古屋から泊りがけで参加してくれるというのだから、なんだか申し訳ないようだった。

初日は晴天でよかったとはいうものの、そのせいで暑く、まとわりつく虫や、そして整備されすぎの階段続きの登山道に閉口しながらも無事登頂した。帰りにはその階段で下るのは真っ平ごめんと迂回する車道を歩いたが、それがすこぶる長かったこと。でも途中にあった展望台では、恵那市街が一望でき、それまで展望には恵まれなかったので溜飲を下げた。

しかしそんなこんなもあとになればいい思い出である。夜はホテルの近くの、これもおとみ山ゆかりの和食店で、豪華絢爛の宴会が楽しかったのも、昼間の苦労があったればこそである。

2日目は、おとみ山の疎開先に近い名も知れぬ裏山でも歩いてみるつもりでいたが朝から大雨になった。しかし前日の笠置山で、もう今日は山はいいでしょうという気分になっていたから、さほど問題ではなかった。まずはおとみ山の通った小学校を訪ね、疎開先の周辺まで行ってみたあと、日本三大山城、岩村城の城下町に行って、昔の街並みを傘をさして歴史&グルメ散歩をした。

雨が強すぎて山城跡までは行かなかったが、また、そこだけに行ってみてもいいなと思わせる魅力がある場所だった。

おとみ山、参加の皆様、ありがとうございました。

 Re:おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..名古屋のN     >>
        2023/05/20(土) 17:47  No.6692
 
 
昨年のすがぬまさんのゆかりの地、奥三河の御園を訪ねた一泊二日の山旅に続いての、おとみ山ゆかりの地、岐阜県東濃の恵那を訪ねての一泊二日の「木曜山行」番外編。

あの戦争下に、東京から静岡県西部への学童疎開に続いて、横浜の親族宅が横浜大空襲で全焼。命からがら逃げ延びて、1945年5月から4年近く暮らしたという恵那の地。おとみ山から、木曜山行の折などに聞いていた、そこでの食べ盛りの少年期の強烈な食の経験。

夏のような陽気の中、恵那山の対面に目立つ笠置山(かさぎやま)・1128mの頂上に立ち、そこからの下山路の車道に出ての先にあった「一望千金」展望台。そのおとみ山の暮らした土地も、恵那山を遠景に望めた。

翌日は、雨の中、今も同じ地にある、歩いて通った学びや「長島(おさしま)小学校」へ。学校の校門まで一緒に歩いて、おとみ山の興奮がよく伝わりました。

岩村城の資料館に続いて、岩村の城下町の雨中の散策は、雨ゆえに人出もほとんどなく、昔を偲ぶに好都合でもありました。江戸時代から続く酒蔵「女城主」、カステラの「かめや」。恵那の駅前では、地元の名物五平餅の「あまから」では、小さなお店を貸し切っての五平餅「定食」も堪能。

名古屋組の3人は、ここでお別れして中央本線で名古屋に向かいました。次のゆかりの地への旅の期待も高まった小旅行でした。おとみ山・山旅師匠はじめ、参加のみなさんありがとうございました。

写真は、「一望千金」展望台からの、恵那山と恵那市街方面です。またの機会に、名古屋から鉄路で恵那駅まで出て、日帰り山行で岩村城往復のコースを歩いてみたくなりました。



 Re:おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..山の絵描き     >>
        2023/05/21(日) 12:30  No.6693
 
 
今回の恵那・笠置山は、昨年の奥三河同様、初めての土地でした。こうした企画で行ったことのない山、地域を訪ねることが出来るのは、とても楽しいものです。

おとみ山の疎開先での食糧難のレポート“事前学習”でしたが、この旅ではそれとは無縁の恐縮するようなご馳走・甘味つづきでありました。初日の笠置山でシボラれた分、翌日は恵みの雨?での「ゆかりの地探訪」と岩村城下町の散策で、すっかり観光気分。でも、山のなか唯一展望があった「一望千金」では、お陰様でちゃんと絵も描けました。

最後は「五平餅定食」で決まり、すっかり体重を増やしての一泊山行でした。
皆さん、どうもありがとうございました。

 Re:おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..おとみ山75年 [URL]     >>
        2023/05/22(月) 11:38  No.6694
 
 
「メンバーゆかりの地の山シリーズ」第二弾に指名されての、今回の笠置山。自分にとっては、第二の故郷ともいうべき、少年時代の4年間を夢中で生きた恵那行きは、特別の意味を持ち、感慨を膨らませるものでした。

博覧強記というべきか、研究熱心で物識りの山旅師匠に導かれての二日間でしたが、お陰様で8人もの参加者を得て、二日目の大雨も帳消しになる程の勢いと熱量で、登って・歩いて・食って・飲んで……小中学生時代に戻った気分で楽しませて頂きました。

一番の驚きと収穫は〜米空軍ともご縁があるらしい、師匠提供のS22年の空撮写真!! 長いやり取りの末に、自分が住んでいた家が、バッチリ特定出来たことでした。通学路も周辺のアレもコレも……懐かしのお宝満載‼ 思い出が一気に膨らんで、75年以上も昔の記憶の断片が一気に充実、眠れぬ一夜を過ごさせていただきました。(長沢さんとのメールのやり取りの一部も公開され感謝です)


3才年下の家主の従兄弟にも、この空撮写真を是非見せたいと、今秋の訪問を密かに企んでいるところです。戦後の荒廃状況の確認や復興援助のためだったのか、米軍関連の施設候補地を探っていたのか? 事前に分かっていれば、外に出て大きな布でも振っていたのにと。〜チューインガムのばら撒きでは無かったようですね。

長い階段登りと、下りの硬い道、終始まとわりついていたブヨの大群など、足の老骨にダメージの大きかった笠置山の印象は決して良くありませんが、ヒトツバタゴの花をしっかり見られたことは収穫でした。岩村散策は皆さんにも好評だったようでしたが、登城は宿題になりましたね。

恵那市とは近い名古屋人お三方は流石にお詳しく、締めの五平餅定食も含め、大へんお世話になりました。特にNさんには、我が母校長島小をはじめ、格別のお気遣い協力を戴いたことに感謝です。

最後に恥ずかしいチョンボ話とお願いです。今回張り切って撮った写真が何と120枚。帰宅した日の深夜までPC相手に処理していたところ、よくやらかす誤操作・タッチミスで、すべてを消滅させてしまいました。二日間どこかに潜んでいないかと必死で探りましたが、復旧ならずガックリ!!

好事魔多し! ヒトツバタゴをはじめ、笠置山山頂部の巨岩の重なりほか、写真を提供して頂けたら有難き幸せと、勝手なお願いでございます。そして大師匠に〜空撮写真の最拡大版は、プリントアウト不可能でしょうか。
桑の実のお心遣いや、食草談議など、皆さん有難うございました。来年の第三回が到来する日を心待ちに〜足によく言い聞かせておきます。

 Re:おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..山旅     >>
        2023/05/22(月) 14:18  No.6695
 
 
おとみ山の疎開した家は今はもうないが、そのすぐ近くに従弟が家を建てて住んでいるという。そこで、その住所を教えてもらって場所を調べ、近くの裏山を探るつもりでいたのは大雨で断念した。

帰ったのち、国土地理院のサイトから昭和22年に米軍の撮った航空写真を見つけ出した。これを見れば見るほど興味深く、現在の地形図や航空写真と照らし合わせて、おとみ山のかつての疎開先を特定しようと数時間にらめっこした。

現在と道が違うのは当然だし、山が崩されて宅地になっていたり、逆に山の上まで耕してあったりしてなかなか難しい特定だった。

結局、これらのどれかだろうと3軒を特定し、おとみ山に照会したところ、やはりそのうちの一軒だった。これらの航空写真は無料で見られるのでも相当な解像度だが、有料で原版と同じものを手に入れられるらしく、それはその数倍の解像度だとか。表で遊んでいるおとみ山も写っているのではないかしら。恐るべし米軍。

大きいサイズは添付できないので、解像度を落とした画像を添付した。疎開先から小学校への道筋くらいはわかる。

 Re:おとみ山ゆかりの地を訪ねて〜恵那・笠置山    ..やまんば     >>
        2023/05/23(火) 07:29  No.6696
 
 
後日,長沢さんの見事な探究で,更に記憶に残る山旅となりました。当事者であるおとみ山には感慨深い事だったことは,容易に想像出来ます。一世代違うだけなのに,別世界の日本の状況だったのですね。大変な時代だったけれど、ある意味なんと豊かな少年時代だったことか!と、ほんの少し羨ましい気持も湧いてきます。
名古屋のど真ん中、市街地育ちのやまんばより。

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