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 FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅     >>引用
      2025/11/30(日) 11:30  No.7526
 
 
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早いもので、この番組も4回目の師走の放送となります。よくも続いているものだと我ながら感心しています。

明日が12月最初の放送で、主には11月の大鹿村行の話をしたのですが、そのハイライトともいうべきは、初日に登った大嶺山のことで、

「嶺」の字は現在の「峠」を意味し、「レイ」や「ミネ」ではなく「トウゲ」と読むことをすっかり失念していた。家に帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはり「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」、合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。つまり「大嶺」の「大」はそこに由来するのだと思われる。ひょっとすると、かつては「大草峠」だったのかもしれない。「大嶺山」は「おおみねさん」と読むらしいのだが、山容にしてはあまりに大げさな名前に感じるのは現代の字面の意味による勘違いというものであろう。

というような内容をしゃべったのでしたが、これはラジオで言うには難しく、うまく伝わったかどうか心もとないところです。

(写真は展望荘から見た大嶺山)


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..ペンタコ     >>
        2025/12/02(火) 17:27  No.7527
 
 
今月の放送も話題が盛りだくさんで、興味深く拝聴いたしました。

高校時代のちょうど秋頃に、Stingの「Fields of Gold」を初めて聴きました。そのせいか、秋になるとこの曲が聴きたくなります。
ヤオ・スーティンという方は存じ上げなかったのですが、Stingの原曲とはまた違う雰囲気で、しっとりと歌いあげていますね。ハレルヤを聴いて、あぁそうかもう年末なのか、と今更ながらに気づいた次第です。

好みは人それぞれではありますが、がなり立てるように歌う最近の女性ボーカルの曲は、聴いていてなんだか疲れるなぁと感じていました。
若さゆえのエネルギー溢れる歌い方なのかもしれませんが、せっかく歌が上手なのだから、もう少しゆったりと歌えばいいのにな、なんて思ったりしています。


地名について今回の放送を機に色々調べてみたら、古い地理学評論の論文(昭和27年)に「朝鮮では「嶺」は峠を意味し,山にはこの漢字を用いない」との記述がありました。なるほど!

また、山旅さんを真似て昔の地形図と睨めっこをしてみました。
5万分の1地形図で見つけたのですが、「大嶺」の表記は昭和3年の測量まで、その後の昭和6年測量の地図から「大嶺山」に変わっていました。
それと同時にその東にある銭という集落の南に「峯」という地名が登場し、昭和41年測量版になるとそれが「高嶺」という地名に変わっていました。いったい何があったのだろうか?
地形図上だけでは地名変更の理由は分からないのが残念ですが、その背景で何が起こったのかを想像するのも楽しいです。

11月の大鹿村の山行、参加したかったので、また是非企画をお願いします。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅     >>
        2025/12/02(火) 19:54  No.7528
 
 
ペンタコさんは地理学科出身と聞いたので、私なんかより専門的に見られると思います。教えてください。

年代を追って地形図を眺めると、大草から大河原に至る経路にある集落がなくなっていたり、名前が変わっていたりしますね。村誌なんかを見ればわかるかもしれません。

土木技術が未熟なときは、水害で流されやすい川沿いの道よりは、たとえ遠回りでも安全な山越えの道が選ばれたのだろうと思います。

「大嶺」は険しい道ではないけれど、大河原に入るときにはどういった経路だったんでしょうね。それにしても、あの山奥から、全国へと南朝再興のための指令が出されていたと思うと、今からするとものすごいことだなあと感じられます。

来年の大鹿村行は5月末当たりの新緑の時季にしたいと思っています。大嶺道を季節を変えて歩くのもいいかなあと考えています。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..ペンタコ     >>
        2025/12/04(木) 09:17  No.7529
 
 
大学時代は全く勉強もせずにろくでなしな学生生活を送っておりましたので、専門的な視点だなんてものは一切なく、今になって大学時代の先生方の本を読み直したり、あれこれ文献などで調べては、学生時代の不学を補っているような有様で・・・。
地理学に関して専門的だなんて顔をしたら、大学時代の諸先輩方から蹴飛ばされます(汗)
ですので、地形を見る観点は山旅さんの方がずっと正確かと存じます。

山旅さんのおっしゃる通り、おそらくは山越えの道を利用されたのだろうと思います。
古代から遠信古道(のちの秋葉街道)が塩を運ぶ道としてあったため、宗良親王などもここから峠を越えて大河原に入ったのではないでしょうか。
宗良親王としては、古道を北上すれば味方となる諏訪氏もいて、北朝に抵抗するための拠点としては良い場所だったようです。

民俗学者:宮本常一の書籍『川の道』に、「三河からはいるものと、天竜川に沿ってはいる道とある。いずれも山越えの道である。天竜川に沿う道も、けわしい山の中腹にあるわずかな段丘や尾根を通っており、川岸に沿ってさかのぼることはなかった。谷はけわしく危険が多かったからで、山腹や尾根の方がはるかに安全で歩きやすかったからである。」という記述があります。
舟運が発達するのは近世になってから、中世であればなおのこと、時代が下っても人々は安全な山道を選択していたのかと。
とはいえこんな山奥ですから、やはり昔の人の健脚さ(それが当たり前だったのかもしれませんが)には、脱帽以外の何物もありません。

秋葉街道は馬は通れたのでしょうか?
時代が違うかもしれませんが、険しい道で荷を運ぶ際は牛が使われたというのですが、宗良親王ご一行はどうだったのだろう?


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅     >>
        2025/12/04(木) 17:34  No.7530
 
 
AIに、こう尋ねてみたんです。

「産業革命は要するに機械によって人間の肉体では決して出せない力を生み出すことだったと思うのですがいかがでしょうか」

すると、それだけでは少々説明不足で、

「人間の肉体の限界を超える外部動力を機械に持たせ、その力を安定的・大量に利用して、生産体系そのものを作り替えた出来事」

だとまとめてくれました。

私は、産業革命によってもたらされた近代文明以後の常識しかない現代人は、それ以前のことに想像が及ばなくなるだろうと思って、たわむれにAIに問うてみたわけです。

頭脳にとっては、これは進化ではなくて退化と言えなくもないなあと思うのであります。むろん、AIにこんな質問をしてしまうのもその一種です。


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