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 大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅     >>引用
      2026/05/22(金) 07:58  No.7670
 
 
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木曜山行恒例の大鹿村行も秋に行くのが2回続いたので、次は新緑の時季にと計画したが、すでに新緑というよりは初夏の雰囲気になっていたのはどこでも同様の今年の気候である。

これまででもっとも多い10人の参加者となった。空気ばかりを運んでいたロッジ山旅号が人間で満ちたのは久しぶりである。名古屋から5人、関東から4人と皆さん遠路はるばるの参加なのは、お互いが落ち合うのにまずまず都合がいいのが大鹿村の位置だからでもある。

好天が続いて、そろそろ下り坂になるだろうとの予報にやきもきしたが、幸いにも天気の崩れが遅くなって、初日はほぼ快晴といってもいい好天となった。

行きがけに登るつもりだったのは去年の秋に引き続いて中川村の大嶺山(おおみねやま)である。地形図に名前があるわりには一般的な登山道があるわけではなさそうなこの山に、去年は地形図から得られるだけの知識で入山したが、それだけに発見も多かった。

特筆すべきは、おそろしくいい道が通じていたことである。道があくまで柔らかいのは人通りがほとんどない結果であろうが、道の広さや形の良さは、かつては重要な道だったことを示している。この道を今年は緑萌える時季に再び歩いてみたくなったのである。

なんでこんなにいい道があるのだろう、そして、たいして目立つわけでもない山になんでこんなにたいそうな名前が付けられたのだろうと疑問に思っていたのが、下山後に、はたと気づいたことをこの掲示板に去年書いた。

要するに、古く「嶺」は現在の「峠」を意味し、「レイ」や「ミネ」と読むのではなく「トウゲ」と読むべきだったことに気づいたのである。山梨県の例でいえば、大菩薩嶺はそもそも大菩薩峠のことである。

となるとこの道の良さが納得できる。帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはりここは「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」である。合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。

さて、大鹿村大河原(大鹿村とは大河原村と鹿塩村が合併してできた村である)で1300年代半ばごろの30年を過ごしたという信濃宮宗良親王のことは、最初に大鹿村を訪れたときに知ったことである。

各地を転々としてきた宗良親王を大河原で庇護したのが土地の豪族香坂高宗だった。高宗の領地は、小渋川北側の大草から大河原あたり、すなわち現在の中川村から大鹿村に及んでいたのいうのだから、当然「大嶺」はそれらの地域を結ぶ重要な道の要で、相当な往来があったに違いない。人通りが途絶えたとはいえ、立派な道が残っていたわけである。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅     >>
        2026/05/22(金) 08:27  No.7671
 
 
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昼過ぎにたどり着いた頂上では枝越しとはいいながら画像のような中央アルプス南部の雄峰が眺められるのだから人跡まれな山としては上出来である。ロッジ山旅ギャラリー出展作家のすがぬまさんと中村さんは昼食を摂る間も惜しんで絵筆を走らせていた。

下山後すぐに望岳荘の湯舟に浸かったあとは一路大鹿村へ向かった。大河原では赤石岳の雄姿を眺めることができたのはうれしかった。大鹿村に行くのは延齢草に泊まるのが目的でもある。相変わらずの豪華な食事をいただきながら、宿の佐藤夫婦も加わって、貸切ならではの大懇親会となった。

雨音に目覚めた朝、窓外に立ちはだかる青田山へ小渋川から湧いた雲がまとわりつく変化が面白い。

雨もまた良し、傘をさしてのんびりと大鹿村の名所を巡ったのちは、香坂高宗の居城があった大草城址公園のあづまやで昼を過ごしたのち松川バス停にて名古屋組と別れた。

参加の皆様、お疲れ様でした。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山の絵描き     >>
        2026/05/22(金) 18:21  No.7672
 
 
今回も楽しい山旅&延齢草の宿泊ツアー、ありがとうございました。

久々の満席「山旅号」は私たちの重さで上りの坂道では喘いでいましたが、毎度の各所適時到着の運転は見事でありました。

初日には昨秋に引き続いての古の人々の往来を想像させられる山道を再び歩け、山頂では前回見えなかった中央アルプスの眺望も得られスケッチもできました。
下山後の大鹿村では待望の赤石岳も拝め大満足。その時のショットを一枚添付です。

翌日のシトシト雨ものんびりしたいメンバーには文句もなく、延齢草の目の前に屏風のように聳える山々に立ち昇る霧は幻想的、深山の雰囲気に浸りました。

小淵沢からマイカーでの帰浜も、珍しく渋滞なしで順調。午前中には山のなかだったのに、夕方にはゴミゴミした都会に舞い戻ったのでありました。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山の絵描き     >>
        2026/05/22(金) 18:21  No.7673
 
 
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添付しそこないました

 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..名古屋のN     >>
        2026/05/23(土) 07:07  No.7674
 
 
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フォトブック「エピソードのある山旅」の特別版『延齢草(大鹿村)への旅』を手にしての、延齢草宿泊13回目の「ロッジ山旅」号が満席となった一泊山行。

フォトブックのおかげで、個人としても9回目となった、2009年に始まるこの特筆すべき大鹿村行きの旅を振り返りつつの旅となった。雨に降られるどころか、好天に転じた初日の大嶺(おおみね)山歩き。小渋橋からの、過去一番と思えた赤石岳の眺望。

初めて泊まった、大河原中学校旧3年A組教室の大部屋。教室の木枠の大きな窓から望めた青田(あおた)山。いろんな宿にも泊まってきたが、過去最高の広い空間の寝所だった。

夕餉(げ)と朝餉の豊かなことは、いつもながらでも、今回は10人分。土地のもの旬のものも活かす、段取りや手業にも感服。「塩イカ」、覚えました。

2日目の雨模様も、青田山に纏いつくように流れる雲が見事な景観でした。大鹿歌舞伎の舞台やろくべん館の見学なども、この土地をまた深く知ることに。秋の大鹿歌舞伎、観に行きたくなった。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅     >>
        2026/05/23(土) 07:10  No.7675
 
 
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毎度、遠路のご参加ありがとうございます。大鹿村から横浜だと、小淵沢で道半ばですからね。これからの運転が大変だなあと思いながら見送っています。

ま、初日だけは天気に恵まれて、去年以上の展望にも恵まれたのは幸いでした。傑作も描けたことでしょう。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..ペンタコ     >>
        2026/05/23(土) 15:10  No.7676
 
 
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この度は参加させていただきありがとうございました。
初めてのロッジ山旅の宿泊登山で、昨年お会いした方々やお名前は存じ上げていた常連の皆様にもお会いし、様々な話を聞くこともできとても嬉しく思いました。

先に皆さんが書かれている通り、今回の山行、初訪問の大鹿村、延齢荘でのおもてなし、雨すらも素晴らしい時間として心に残りました。楽しくてあっという間の2日間でした。

最後、小淵沢駅まで急がせてしまい申し訳ありませんでした。
無事に電車に間に合い、車中ではザックに1本残っていたチューハイと塩もなかを食べながら、どんどこ鈍行で俗世に戻りました。

企画してくださった山旅さん、ありがとうございました。
また参加できるように仕事頑張ります!!


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..ペンタコ     >>
        2026/05/23(土) 15:48  No.7677
 
 
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宮本常一の『天竜川に沿って』(未来社)、この中に「大河原」という章があります。
自宅に戻ってから読み返してみたところ、本書に掲載されている白黒写真の中に今回立ち寄った福徳院が写っていました。1963年当時。
60年前はまだ木造家屋ばかりで、道路の幅も今より狭い様子でしたが、観音様は先日見たまま変わらずの姿。

大河原の説明には「赤石山脈が屏風のように高く連なっており」という記述があり、今回実際に訪問してみて初めてなるほどと理解できました。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅     >>
        2026/05/24(日) 09:58  No.7678
 
 
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宮本常一とはまた面白いですね。山を筋肉の運動としか考えていない人には無縁の発想です。

私と大鹿村の縁のはじまりについては、これまでに書いたことも、またFMの番組を持っていた時に話したこともありました。それは山にあこがれていた名古屋での高校生時代、繰り返し眺めていた写真にまでさかのぼります。

大鹿村の大河原という住所、これは文字通り、小渋川の川幅がぐっと拡がって青木川を分岐する場所なんです。その上流にかかる橋を川の名前通りの小渋橋といいます。今回もその橋から赤石岳を眺めたのが上にある山の絵描きさんの出してくれた写真です。そこからの赤石岳を撮った白籏史朗さんの写真を高校時代に飽かず眺めていたというわけなんです。

まるで河童橋から仰ぐ穂高連峰のように眼前を圧してそびえ立っている赤石岳は、望遠レンズによる圧縮効果で現実以上の迫力だったということなのですが、そのころはそんなことは知らず、人里から巨峰がこんなにも間近に望める場所があるのかと感激したんですね。その写真の載った、山と渓谷社から出ていた「山渓カラーガイド」というシリーズの1冊、「南アルプス」という本を、ほとんど毎日のように眺めていたものです。

添付画像がそれです。その後、こんなに大鹿村とご縁ができたのは面白い偶然ですが、赤石岳にはいまだ登ったことがないのは画竜点睛を欠く気もしています。


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