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 新和田峠をさぐる    ..山旅     >>引用
      2023/04/18(火) 09:35  No.6642
 
 
先週に引き続き、今週も木曜日は本業があるので、山行は月曜日に変更したら、幸いにもおとみ山とたわらさんが手を挙げてくれた。さてどこへ行こうかな、と毎度ぎりぎりの思案である。

頭に残っていた懸案のひとつに、一昨年の初秋に悪天で初志貫徹しなかった新和田峠探訪があった(当日の記録)。

「先々週、和田峠えをして、その峠に「古峠」の別称があることを知った。古峠があるなら新峠もあるはずとネットで調べると、明治の初めから昭和の初めまで、50余年に渡って越えられていた峠があって、今の和田トンネルの真上だったらしい」とそこに書いた。

ここに行くだけなら簡単なことだが、うまく山歩きをからめてとなると工夫がいる。ま、事情もあって余計な説明ははぶくが、地形図を眺める趣味があれば、容易にルートが浮かぶだろう。

考えたルート設定では、20分くらいとはいえ、ビーナスラインの舗装路を歩くことになる。調べたら八島湿原以西の冬季通行止解除が18日で、昨日は車が通れない最後の日である。どうせなら車にわずらわされずに歩くにこしたことはない。よし、和田峠だと決まった。

帰ってからいろいろと調べると、奇特な人があって和田トンネルについてまとめてくれていた。
http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-229.html

要するに、昭和8年に完成した和田トンネルは、冬においても重要な交通路だった和田峠の車道を雪から護る目的だったとわかる。

実際、昨日はトンネルの上の旧道を歩いて、道の両側はおそらく人工的に造られた切通しの急な斜面で、今では崩れた岩くずで埋められていた。当然そこは雪の吹き溜まりになったことだろう。

半世紀もの間、多くの人が往来した新和田峠あたりは、その長年の岩くずに埋もれ、痕跡を示すものは何もない。旧和田峠には今でも多くの人が訪れるだろうが、この新峠を見に行く人は、車を降りて5分もかからないが、まずいないだろう。つまり知る人がいないからである。

新和田トンネルが無料化され、ビーナスラインも通行止とあっては、和田峠の国道を行きかう車もほとんどいなかった。岩くずの積もった静かな峠道で昼休みとした。

行きがけには、かねて看板だけは見ていたが、立ち寄ったことのなかった水戸浪士の墓を見学したり、山の最後は中山道をたどったり、なかなか面白い歴史散歩になった。車はおろか、人っ子一人いないビーナスラインを歩くのも得難い体験だった。


 Re:新和田峠をさぐる    ..ぴんぼけや     >>
        2023/04/18(火) 15:12  No.6643
 
 
無車のビーナスライン、真ん中を歩く

 Re:新和田峠をさぐる    ..ぴんぼけや     >>
        2023/04/18(火) 15:15  No.6644
 
 
岩くずの積もった峠道


 Re:新和田峠をさぐる    ..山旅     >>
        2023/04/18(火) 18:10  No.6645
 
 
車がまったく通らないなら、舗装路歩きもまた良しといったところですね。

 Re:新和田峠をさぐる    ..おとみ山 [URL]     >>
        2023/04/18(火) 21:27  No.6646
 
 
一昨年9月のリベンジという意味合いももあってか、今回の師匠のお膳立ては、いつもの山中独占漫歩に止まらず、この日が車シャットアウト最終日というビーナスラインまで、三人貸し切りで歩けるという贅沢三昧。

ご老体を引き連れての山歩きということで、最近はプラスアルファの楽しみを、採り入れてくれる師匠の配慮とサービスによって、歴史散歩の趣が多くなり、脳の腐敗が進行しつつある、ご老体の知的好奇心を刺激して貰えることが有難く、嬉しい。

明治維新直前、水戸老浪士x松本諏訪連合軍の激戦地跡の浪人塚は、公園風に整備され、桜も咲いていて好ましい風情でしたが、一番興味をそそられたのは、「和田嶺トンネル」入口側壁にあった、エスペラント語の碑文でした。(写真参照)

昭和8年に完成したこのトンネルは、自分より先輩。当時流行し、柳田国男・新渡戸稲造・宮沢賢治・井上ひさしなども勉強したというエスペラント語。北杜市にも小荒間に確かエスペラント協会がありました(多分現存?)…が、万国共通語になることもなく、いつしか絶滅危惧種になってしまったようですね。

最後は旧中山道の山道を下り、約30年前に会社の山仲間と、2年かけて日本橋から京都三条大橋まで530`余を歩きつないだことを、懐かしく思い出しました。この道は通らず、和田峠から、未整備状態の急なガラガラ道を、下諏訪に向けて下ったような気がします。古道は何本も錯綜したり、整備も進み変化して行くようですが、皇女和宮ご降嫁の大行列は果たしてどこを?

最後に出会った、巨木と共生するが如き、牛頭天王の大きな石碑も素晴らしい遺物でした。 さてお次は?……今回、反対側から随分小じんまりしているなと感じながら、まじかに眺めた鷲ヶ峰界隈の山を徘徊して、福を得たいものです。


 Re:新和田峠をさぐる    ..おとみ山 [URL]     >>
        2023/04/19(水) 09:09  No.6647
 
 
稀有な体験ということで、ハイウエイ独占シーン、パートUです。

 Re:新和田峠をさぐる    ..天狗党の末裔     >>
        2023/04/20(木) 10:11  No.6649
 
 
おとみ山氏 no.6646へのコメントです。
「エスペラント語」・・そう昔「○○語四週間」なんて黄色い分厚い語学教則本にあったような記憶があります。結局国際語にはなりませんでした。「ことば」は民族文化なので世界統一は概念は素晴らしいが難しいですね。国連すらも機能しないのに「皆さんこのことば使いましょう」は無理です。でも新渡戸稲造や宮沢賢治も挑戦していたのは知らなかった。言語統一の歴史は古い。でも当地北杜市の小荒間にエスペラント協会・・・?全く理解にに苦しみます。

水戸浪士の浪人塚・・幕末の水戸の天狗党ですか?群馬県を通過したのでは?彼らの目的地は鞍馬山だったですかね。

皇女和宮の降嫁行列が和田峠を通った・・日野春トンネルの並びに和田トンネルというのもあります。関係ないですね。


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