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昨日、中国籍の40代の男性で、山ノ内町志賀高原の焼額山の山林内で同行者と2人でスノーボードをしてうたが、はぐれて姿が見えなくなり、同行者からの届け出を受けた近くのスキー場のパトロール隊員が捜索すると、焼額山の山頂から北東の林の中で男性1人の遺体が見つかったとヤフーニュースが伝えていた。
この志賀高原焼額山にはスキーで何度も行き、思い出の深いスキー場だったので取り上げてみた。最初に滑ったのは1986年1月だったと記憶している。 長野冬季五輪のために1984年に焼額プリンスホテルが開業、その2年後の1986年の1月に某大手スポーツ企業に勤務していた友人と開業して間もないスキー場で滑ったのが最初だった。広い志賀高原スキー場の奥にあり、雪質も景観も素晴らしく、頂上からは奥志賀高原スキー場と繋がっていて2倍も楽しむことが出来た。 本館は東館(泊まった)でガラス張りの広いレストランからは長野五輪で使用したゲレンデが見渡せた。その後のスキー人気でホテルは南館、西館と広がっていった。
緑色にデザインされた招待パス券を貰って下げていると一般のスキー客から羨ましがられたこともあった。また東館の部屋には檜風呂もついていたことも記憶に新しい。 最後に滑ったのは2001年だったからあれから四半世紀が経過した。懐かしい。【20250221(金)】
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