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先日LINE仲間「蔵王スキー馬鹿」にハッシー君から「青木湖にカフェが出来たようだ」と写真付きで送られて来た。写真を見ると青木湖の国道沿いあるライオンアドベンチャークラブ(カヌー教室をやっていて、90年代より我々もずいぶんお世話になることになる)の傍にテント張りのカフェが写っていて懐かしく見入ってしまった。 青木湖に行かなくなって何年になるのだろう。
初めて青木湖に行ったのは1979年1月のことだった。 前年の9月、青木湖でプロスキースクールを開校することになる校長のニャロメことスザワ君からコーチの要請があったのがきっかけだった。同じマンションに住むK姉妹を同行、雪のゲレンデを漕ぎ杉林を抜け、辿り着いたのがロッジアマノさんの宿だった。ここから正式に「青木湖スノーコルスキースクール」のコーチを始めることになるのだが、確かハッシー君が主任コーチに就任していたかと思う。 この年の4月、哲ちゃん&アッコちゃんが結婚(近い将来ロッジ珈楽待を夫妻で営むことになる)シェフ見習い中でゲレンデ下にあったピザハウス樹安亭で修行中だった。
ロッジ珈楽待が営業開始したのが1983年12月末からで、私がハッシー、ナガタ君の3人で初めて泊まったのが翌84年1月だった。 こうして本格的に青木湖スキー場でのスキーライフが始まることになる。 とにかく青木湖は私のスキー人生での想い出が一杯詰まった場所なので、これを機会に少しづつ綴っていこうかと考えている。【20250426(土)】
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