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読書日記―18(3)・・・ >>
クマジィ 2025/06/12(木) 02:57
応募したコンペのタイトルは「最上川・街道・三賢者(義経、イザベラ・バード、芭蕉)」だったのだが、惜しくも落選。入賞したのは草木塔を題材とした団体だった。なるほど
我々の作品はやまがたの観光についてだが、草木塔は研究に値する作品だったことがのちにわかることになった。

応募した結果(確か夏の終わりだった)が出るのを待つのではなく、提出したタイトルが面白く、三賢者の足跡を辿ろうと最初に取り組んだのが、2006年義経北国落ちで、この時はマウンテンバイクやロードバイクで温海町鼠ヶ関から宮城県鳴子温泉まで県を横断するような形で180kmを3泊4日で走破した。
2007年から2008年にかけてはイザベラ・バード日本奥地紀行をバイクや徒歩で県を南から北へと縦断した。このバードの踏査・検証から山形新聞社さんに声掛けすると、是非同行取材をしたいと言ってくれた。

そして2008年10月には山形県が公募したコンペに応募、なんと山形県公益大賞を受賞することになる。2008年から2009年にかけては、おくの細道を山形県堺田から鶴岡市温海町まで徒歩と舟(最上川舟下り)で踏査・検証、初めて羽黒山から月山、そして湯殿山と出羽三山を一気に縦走した。湯殿山に向かう途中の崖となっているくさり場を芭蕉は日帰りでどうやって行き来したのだろうか、不思議でならない。

いま思い返してみると随分無謀なことをしてきたように感じるが特にプレッシャーというものは全く無く、山形県内にも魅力ある文化や風景が多々あるということと共に面白かったという気持ちの方が先だった。NPO元気・まちネット(以下まちネット)のメンバーと100数十年前に歩いた偉人の足跡を訪ね歩くと、当時の生活様式や風景などはどう映ったのだろうか、また旅の途中で知り合った友人・知人との交流はどうだったのだろうか、考えるだけでもワクワクした。【20250612(木)】



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