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読書日記―18(4)・・・ >>
クマジィ 2025/06/13(金) 03:09
三賢者以外にも気になる人物が一人いた。
それは私が生まれ育った戸沢村のとなり、庄内町清川に私より117年(1830年)も前に生を受け、のちに幕末の志士と呼ばれた清河八郎である。
高校生のころにその名を知ったのだが、清川生まれなのになぜ清河なのか不思議でならなかった。父に聞いていいものなのか、聞いても知らないと言われるのか悩んでいるうちに大人になり、藤沢周平作品の「回天の門」を読み、初めて清河八郎の凄さを知り、興味を覚えた。

三賢者の踏査・検証を終えた2009年9月は、八郎生家のあった清川から羽黒山山麓の山伏峠(のちに整備し、回天の道と命名)から妻となる高代(のちのお蓮さん)と知り合った湯田川温泉を経由して、茅葺屋根の多層民家が(現在でも残っている)ある田麦股までの50kmを踏査・検証、翌年6月には残雪の六十里越街道を超え、上山温泉までを歩いた。(その後、眼鏡橋で知られる楢下宿から金山峠までも検証)

6月でも雪の残る六十里越街道の風景は最高だったが、山船頭(古道をガイドする人の呼び名)の方も残雪の中、道も解らない場所があって苦労したと別れるときに語っていたのが印象に残っている。このとき山船頭の会でも謎だった一里塚を偶然見つけることが出来た。
三賢者の他、清河八郎も加えると何と850kmを超える長い長い山形路を踏査・検証したことになる。
「歩くという哲学」の本書の終いには「現代人にとっては、劇薬あるいはカンフルになりうる。このまま匂いのしない電子交流空間にいるよりは、手の中におさまる光る画面を置いて“外”に出てみようか」と言葉で締めくくられている。人生の後半、歩くことの大切さを体験出来たことは何よりも嬉しい。【20250614(土)】



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