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私が戸隠に通い始めたのは確か1968年(昭和43年)ごろの冬だったと記憶している。 志賀高原石の湯にあったプロスキースクールで主任コーチをしていた木村さんが地元戸隠に独立して戸隠高原プロスキースクールを開校した。 これまではSAJ(全日本スキー連盟/アマチュア)しかなかったが、スキー指導を職業化しようという機運が高まり、1968年( 昭和43年)、日本職業スキー教師連盟(SIA)が発足された。
戸隠に通いながら技術を習得し、アシスタントを目指すことになったのだが、アシスタントになるには「SAJ1級取得者、もしくはそれと同等以上の技術を持っている者とスキースクールの校長が判断」という条件があった。それを満たすため、仲間のイシカワ君と妙高高原「SAJ新赤倉スキー学校」の門を叩いた。学校で主任コーチをしていたのは私の4つ年上の兄の同級生で当時はSAJデモンストレーターをしていた。
T主任に2日間のプライベート特講(特別講習)をしてもらい何とか受験に漕ぎつけることが出来た。1級の受験者は50名、合格者は7名で何とかその中に入ることが出来た。その後1年間は正月や連休時には学校のアシスタントをするように言われた。戸隠では色物(コブやジャンプ、片足ターンなど)をよくやらされたが、新赤倉では講習終了後、主任コーチから1時間、みっちり基礎スキーを叩きこまれた。これがその後の私のスキー人生にとって最高の糧となったことはいうまでもない。続く・・・(笑) 【20251111(火)】
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