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現在ミラノ・コルチナ冬季五輪が開催され、日本選手の活躍が目立つ。 そこで高貴高齢者となった自分のスキー史について書いてみようと思った。 私は雪国山形県の寒村に生まれ育ち、スキーは3人の兄たちが代々履いてきた単板のスキーを譲り受け、近所の津谷神社の小山をゲレンデ代わりにして滑ったのが初めてだったと記憶している。その時に転倒し、竹製ストックの石突き部分の金具で親指に怪我を負った傷が今でもくっきりと残っている。
当時は学校に行く前と帰ってからも家前の道路の雪かき、屋根の雪下ろしという重労働が真冬の日課だった。そういう辛かったこともあり、社会人になって数年は冬(正月)の帰省は敢えて見送っていたと言うのが正直なところである。 高校卒業後、東京の総合コンサルタント会社に就職、この会社では学歴が必要ということが分かり、本社があった茗荷谷(地下鉄丸ノ内線)からお茶の水の駿台予備校に通い大学進学を目指したのだが初挑戦は失敗、2年目の予備校に通い始めたころ、田舎の遊び仲間だった一つ先輩のHさんが長野県戸隠高原スキー場でプロスキースクールの主任コーチをしていることを聞き、1月下旬だったと思うが訪ねることにした。
先輩のスキーの上手さに驚嘆、そこで初めて「先輩のような上手いスキーヤーになりたい」という夢が芽生え、進学を諦めるという人生の転換期があった。 先輩から貰ったスキーをスクールに置き、上手くなるまで戸隠に通うことを決め、毎週末のように仲間となったイシカワ君と戸隠通いが始まった。【20260211(水)】
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