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能登半島は一度行ってみたい場所だった。 理由は分からないが、スキー仲間のアッシー君の確かふる里だと聞いたことがあった。そのアッシー君とはいつ頃からだろうか全然連絡が取れなくなり、このようなことが起きてしまい、とても心配ではある。
この地で第一回のトライアスロンが開催されるから出場しようと誘ってくれたのが前回のコラムで書いたシタラさんで、彼とはサンセットビーチ温海トライアスロン大会(山形県)で知り合いそれから旧交を温めて来た。ただ大谷峠は凄いキツイらしいと聞いていたのだが、当時は結構物好きなうえ体力もあったので、ならばその峠越えを一度体験してみたいと思うようになっていた。 この大谷峠は普段なら、奥能登の外浦と内浦を結ぶ、唯一のスカイラインとして知られていて、四季折々の山岳風景を映し出す観光名所の一つになっているとのことだった。 また競技説明会があった珠洲市体育館は現在、住民の避難場所としても利用されている。
大会前日にも大雨の中、その峠を試走していたら、同じく大会に出る選手が車で試走していて、何度も激励の声をかけてくれたのを思い出す。そして大会当日もこのコース55kmを走り、大会後は珠洲と輪島を結ぶ国道249号線を輪島に向かったのだが灯りが無く、真っ暗な道をシタラさんの小さなライトを頼りにさらに40kmを走ってやっと輪島に到着。民宿を求めて観光協会に駆け込んだのだが、翌日に控えているイベントで満杯で、10kmも戻ったところを紹介されやっと民宿に落ち着いたのである。 大谷峠(55km)を2日間走り、そして40kmの暗闇道路を走り、今度は10kmも戻ると言う、なんとも過酷な能登大会の思い出だった。この思い出の能登半島は現在ずたずたに分断されている。わずかばかりだがこれからも支援を続けていきたいと思っている。【20240220(火)】
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