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No.758 への▼返信フォームです。


▼ 戦時下の日本彫刻   引用
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:34  No.758
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彫美連続講座『戦時下の日本彫刻』に行ってきました。
https://doubigakugeiken.com/news/20250506-227/
三月の『北海道・謎の彫刻史』に続いて、これで二回目。今回も充実してました。

平瀬礼太さんは昔から尊敬している人です。『彫刻と戦争の近代』のおかげで私の彫刻知識は二倍も三倍にも拡大しました。いや、彫刻知識といった表現は陳腐だな、もっと戦争とは何かといった範疇まで私の思考を拡げてくれた本と思っています。チラシにも写真があげられている朝倉文夫の『再起の踊』、これを何度も何度も見つめていたことを思い出す。

 
▼ 援護の手   引用
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:40  No.759
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チラシの本郷新『援護の手』は、先日見た「彫刻の設計図」展の『像を持つ』『手の中の母子像』などに繋がるモチーフ、本郷新が生涯持っていた固有のモチーフであることがわかります。講演では、本郷新や高村光太郎の戦中、戦後の態度、言動にまで話が及び大変勉強になりました。

平木國夫さんの作品に、副業として飲食店を始めた若き日の本郷新らしき人物に蕎麦の出汁をとる秘伝を平木さんが教える…という場面が確かあったと思うんだが、今回、「人間像」をあちこち探したのですが見つかりませんでした。もちろん『秘伝』も探しましたが見つからない。たしかにこの手が入力したんだがなあ…(面目ない話です)

 
▼ 平和の塔   引用
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:46  No.760
  チラシにある『平和の塔』については、「人間像」でも言及があります。福島さんは針山さん亡き後の「人間像」を率いた人。旧制の倶知安中学以来の盟友。

 南下して宮崎に入った。
 平和台公園に行った。巨大な塔があった。それはいやにくろぐろと聳えてみえる。晴天にかかわらずである。平和台公園の平和の塔、つまり平和のシンボルタワーだと気づく。歩を進めた。
 塔に彫られた文字が読めた。「八紘一宇」とあるではないか。突然タイムスリップして過去の世界に踏み込んだ錯覚を起こした。旧跡など随分見たがついぞそんな気はしなかった。自分と古いものとの距離があることを納得づくの上で見てきたからである。にもかかわらず「八紘一宇」の字を見上げたとたん軽い立ち眩みを感じた。(今、自分は戦後の現代の旅行者なのだ。一九四〇年ではない)と思い直すのに時間がかかった。
 (中略)
 経済統制も厳しくなった。新聞や雑誌の統合とか用紙の配給などが進んだ。
 父は小さな雑誌の編集をしていた。それが戦時下体制のせいで失職せざるを得なかった。職探しのため父は東京に残った。家族は母の実家に一時寄留することになった。級友と別れるのが辛かった。上野を発つ時、妙に不安な気がした。こども心にもそれは不吉なものだったことを記憶している。そして何故か「八紘一宇」の文字が脳裏に焼き付いている。
(福島昭午「悪霊の塔」)

 
▼ 神田比呂子さん   引用
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:51  No.761
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会場はいつも札幌市民交流プラザ一階のSCARTSなのですが、開演までの時間調整で二階の情報館をぶらぶらしていたらこんなチラシ葉書を見つけました。神田比呂子さん、亡くなられたのですね。悲しいです。ご冥福を祈ります。私の彫刻巡礼は洞爺湖の『夏〜渚へ』から始まりました。

絵楽屋って何だろう…と検索していたら、こんなHPを見つけました。
https://cafehokutokangallery.jimdofree.com
神田一明・比呂子遺作展、つい昨日(5月12日)までやっていたんですね。残念…



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