| | 
外人坂は水天宮の境内からいきなり海へ転がり落ちるような石段で、坂というより段崖だった。いまは埋められて相生町だが多喜二の頃よりそう遠くない小樽は、水天宮の裾を日本海の潮があらっていたという。 啄木の歌碑が境内で海に背を向けていた。小樽の街を啄木は哀しいと歌っている。そう私も思う。哀しみはこの街がいとしくて止まない、その果にある説明のしようがない情感なのだ。 雪あかりの路、という処女詩集を抱き中学の教師をやりながら上京の機をうかがう伊藤整が、隣室の料理人夫婦の夜のこえに男女の何たるかを思索しながら、男としての自分に懊悩したのも水天宮のどこか斜面にある下宿屋だった。 (村上英治「水天宮よ」/「月刊おたる」2008年10月号)
村上さんが初めて「月刊おたる」に書いた作品冒頭です。私たちは「人間像」で慣れているから驚かないけれど、初めて村上作品を読んだ小樽人は愕然としたでしょうね。この蘊蓄、ただ者じゃない! そうです、啄木、伊藤整と来たら、次はこの技。
|