| TOP | HOME | ページ一覧 |


No.1195 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第135号 前半   引用
  あらや   ..2025/06/04(水) 18:12  No.1195
  .jpg / 23.7KB

「人間像」第135号作業を開始しました。全210ページの内、前半は針田和明追悼特集。同人たちの追悼文に続き、遺稿となった『病床日記』の第1回、『針田和明―枝木順子往復書簡集』、針田和明作品年譜が組まれています。枝木順子氏は『月刊さっぽろ』編集長とのこと。(不勉強で『月刊さっぽろ』という雑誌、知りませんでした…) 作品年譜では針田さんの執筆にも触れられていて、現在、『月刊さっぽろ』調査を検討中です。
第135号後半は通常の作品群。春山文雄『山あいの部落で』、北野広『朝起き教師』、福島昭午『森と記憶と(4)』、朽木寒三『柚木完三の青春日記(3)』、金沢欣哉『おんせん万華鏡(5)』、神坂純『サイパン日記(6)』などの掲載です。

人間像同人会は「人間像」の他に「同人通信」というものを発行しています。「同人通信」は同人・関係者のみに配布され、合評会報告、同人消息、事務連絡などを主な内容としているのですが、正規の「人間像」には見られない同人たちの生き生きとした交流が描かれていて、これはこれで魅力的なのですが、いかんせんガリ版のため復刻するとなるとけっこうな労力がかかります。元々が部外秘でもあり、人間像ライブラリーのラインナップに「同人通信」の作品群を不用意に加えるとライブラリー全体の質が変容するのではないかとも考え、今までは「同人通信」作品は除外していました。ところが今号の作品年譜を見ると、針山さんは『八木義徳先生積丹遊覧記』(「同人通信」第172号)などを針田和明さんの作品として挙げているんですね。うーん、迷ってます。『遊覧記』は私も好きな作品なので。


 
▼ 神も仏もあるものか   引用
  あらや   ..2025/06/05(木) 16:58  No.1196
   あれは、いつだったか、そう、八木義徳氏の「海明け」の取材で積丹半島にお招きした時が、元気な彼との最初の出会いだったか。私はその時の人懐っこい彼の笑顔や、しぐさを思い出した。
 札幌へ八木義徳氏をお迎えに上がり、途中の余市駅で針山や若干の人達と合流した。同人ではその時、東京から来合わせた上澤祥昭もいた。同人以外では評論家の武井静夫さんもいたが、針田は夫婦であったような気がする。そのことは定かではない。余市、古平をまわり、引き返して裏積丹の泊村のホテルで一泊した。札幌を出るとき八木氏は「福島さん、僕は色紙は書かない主義なんでね、そのことくれぐれも頼みます」と言われていた。
(福島昭午「神も仏もあるものか」)

『八木義徳先生積丹遊覧記』、まだ迷っています。まあ、この第135号が終わる頃までには決着をつけよう。どちらにしても、このおんぼろパソコンでは無理だ。(新パソコンは来週なんです…)

 
▼ 針田和明のこと   引用
  あらや   ..2025/06/06(金) 12:20  No.1197
   その頃の四、五年が、精神的にも一番充実していた時期であったと思う。滅多に書かなかった内部情報誌『同通』にも沢山の原稿を寄せているし、本誌に載せた作品も百枚前後の気力溢れるものが多かった。愛娘、志保ちゃんの誕生も大きな原動力だったようだ。
 その中の一つに「積丹遊覧記」と言う長文の記録文がある。「八木義徳先生を迎えて」のサブタイトルがあるように、八木さんを迎えて積丹半島に旅行した時の記録であるが、これは大変な労作であった。
(中略)
〈あれは(「積丹遊覧記」のこと)要点だけメモしたのですが、その不連続を連続させるのに苦心――その結果がアレなのですから、もうああいうのはやりたくないと、心底からそう思いました。針山大人殿がひょうひょうとして「頼むよ」と軽くおっしゃったのに対し、こちらもひょうひょうとして「ハイ」と言っちゃった(笑)。だけど、もうあの手には絶対にのらんぞ、死んでものらんからナ!(笑)〉
 冗談めかして書いているが、みんなの会話なども細かな部分まで記録していて、よくもまあ書けたものだと後で感心したものだった。
(針山和美「針田和明のこと」)

やー、迷うなあ。針山さんの追悼文が終わったので、明日から針田和明『病床日記』に入ります。今日は午後から「たるトク検診」。

 
▼ 病床日記   引用
  あらや   ..2025/06/15(日) 11:08  No.1198
  .jpg / 25.6KB

 8時、祖母に留守をお願いし、三人で出る。志保とは玄関前で別れる。二、三歩行ってから、「シホー」と呼んだが振り返らなかった。
 中島公園を通り、地下鉄に乗る。町子とは大通りで別れる。私は札幌駅前まで乗り、そこからJRへ。
 札幌駅発8時31分。六ッ目の駅が手稲だった。改札口を通って南口から降りず、北口へ向かう通路を通って駅を出ると、大学病院なみの病院がみえる。私の行く所だ。手稲渓仁会病院という。七階建。ベッド数五百ということだ。
(針田和明「病床日記(1)」)

新パソコンに移行中。針田和明『病床日記(1)』と『針田和明―枝木順子往復書簡集』の二本をアップしました。どうして追悼号はインクが薄いのだろう。針山さんの時もそうだった。文字読み取りは旧パソコンで行ったので文字化けが凄かった。まあ、それはこちらで努力すればいいことだからかまわないが、本文に挿し込まれている針田さんのスケッチ画のインクが薄いのは本当に困る。新パソコンの威力をもってしてもこの状態です。残念。

この文章は新パソコンで書いています。書くために日本語ワープロソフトをダウンロードしようとすると、まず、ソフト会社から本人確認が入り一旦メールに戻り暗唱番号を拾って申し込み画面に帰ってこなければならないし、金を払う段になると、今度はクレジット会社の方から本人確認が入りスマホからワンタイムパスワードを拾って画面に戻らなければならない。面倒くせー。なんでこんな世の中になったのだろう。

 
▼ 山あいの部落で   引用
  あらや   ..2025/06/17(火) 18:32  No.1199
   ココアの香りがここちよく流れる。
「熱いから、火傷しないでね」
 甘い香りを喉に流すと、ゆうべの酒の残り滓がいっしょに流れていった。
「ああ、おいしい」
 早苗が身ぶるいしながらいう。
「良かったら何杯でも作ってあげるわよ」
「一杯でいいの。うちではいつも一杯だけなの。うちのはココアじゃないけれど」
「お母さん、何を作ってくれるの?」
「甘酒なの。あったかで、甘いの。でも……、小父さんが来ると遊びに行って来いっていつもいうの」
「小父さんって?」
「スノーモービルの小父さん。今日も来たから、わたし先生のところへ行って来るって出て来たの」
「スノーモービルの小父さんって、鈴木さん?」
「名前は知らないけれど、いつもお菓子くれるの。でも、大っ嫌い!」
(春山文雄「山あいの部落で」)

「修飾語の少ない、テンポの良い」新スタイルにも大分慣れてきました。これに、原稿用紙75枚くらいのボリュームが加わると完璧な針山ワールドが立ち現れる。堪能しました。それにしても…、五十年前に近い代用教員時代の話が飛び出してくるとは! 恐れ入りました。

 
▼ 森と記憶と   引用
  あらや   ..2025/06/21(土) 13:58  No.1200
   「なにをぼんやりしてるの」
 と祖母に声をかけられ、我にかえる。
「うん、キノコの精とお話していたの」
「おかしな子。あまり本に夢中にならないで、外で遊びなさい」
「あのね、森にいったらいろいろな妖精が出てくるの」
「森なんかひとりで入ったら、いけないよ」
「どうして」
「どうしてって、森の奥に入ると、違う世界にいっちゃって、もうこの世に戻れないことになるのだからよ」
「違う世界があるの? 行きたいな」
「とんでもない。もう誰にも会えないことになるんだからね」
(福島昭午「森と記憶と(4)」)

どこをどう引用すればいいのかわからなくなった。でも、これまで福島さんが書いてきたすべての話が野幌原始林の森の中で繋がって生きている。二階の窓から見える森、私も見たかったなあ。

 
▼ 「人間像」第135号 後半   引用
  あらや   ..2025/06/27(金) 16:33  No.1201
  .jpg / 26.5KB

先ほど、「人間像」第135号(210ページ)作業を終了したところです。。作業時間は「84時間/延べ日数22日間」。収録タイトル数は「2607作品」になりました。

作業の途中から新パソコンが入ってきて、処理速度がどーんと遅かった旧パソコンからデータの引っ越しがあり、ソフト類を全部新調したりして結構疲れました。暑いし… バージョンアップって云えるのだろうか。新調したはいいけど、いつも使う機能が消えていたりして結構な混乱です。この人間像ライブラリー作業にはもう一台、主にワープロ作業に使うパソコン(Windous7搭載)があるのですが、ここに残っていた昔のソフトが大活躍した第135号作業ではありました。今後は、新パソコンの処理速度と、昔パソコンの基本動作の合わせ技一本みたいな感じで仕事が進んで行くのかな。

追悼、針田和明。「同人通信」第172号(1977年1月発行)の『八木先生を迎えて 積丹遊覧記』はこの後復刻に入ります。また、時期は未定ですが「月刊さっぽろ」もカバーする予定です。



Name 
Mail   URL 
Font
Title  
File  
Cookie  Preview      DelKey