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No.1213 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第137号 前半   引用
  あらや   ..2025/08/04(月) 16:52  No.1213
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針田さんの作品収集が一段落しましたので「人間像」の作業再開です。第137号は178ページ、発行年が平成6年(1994年)に入っています。
第137号の作品群は、内田保夫『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』、丸本明子『欠ける』、北野広『六十三才の誕生日』、佐藤瑜璃『古びた紫陽花』、春山文雄『湖畔の一夜』、平木國夫(おお久しぶり!)『北津軽郡金木町』に続いて針田和明『病床日記』の最終回。本日、『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』を人間像ライブラリーにアップしたところです。


 
▼ 古びた紫陽花   引用
  あらや   ..2025/08/07(木) 16:47  No.1214
  「どうしてまた……急に……」
 辞表をつきつけられた部長は驚いて大声をあげた。圭子は昨夜から何度か口に出してみた言葉を、ニッコリ笑いながら明るい声で言ってのけた。
「働きづくめの人生なんて、あまりにも佗しいじゃありませんか、のんびりしたくなったのですよ、歳ですからね」
(佐藤瑜璃「古びた紫陽花」)

「あのう……」
 二人の声が重なった。思わず視線が絡みあい、微笑みが交錯した。気がほぐれた。
「どうぞ」と男がいった。
「ええ、あのう、奥さんも来ているのではないかと思いましたものですから……」
 探るような言い方になった。
「ああ、そのことですか。……探してはいるのですが、ここに居るとは限らないのです。どこに居るのか分からないものですから、当てもなく探しているのですよ」
(春山文雄「湖畔の一夜」)

『古びた紫陽花』、『湖畔の一夜』、アップしました。単にこの二作品が誌上で並んでいたからという理由ではなく、私はこの二人の作品にはなにか魂の同調性みたいなものをいつも感じるので一度並べて考えてみたかったのです。女の孤独、孤独の女…かな。

 
▼ 柚木完三の青春日記   引用
  あらや   ..2025/08/10(日) 09:59  No.1215
   それはそれとしてぼくはとうとう二十一才も半分終わった。あと八年ちょっとで三十になる。このような荒れ果てた敗戦国に生きて帰ったものの、後のわずか八年間でぼくは独立して家を支える一人前の大人になれるのだろうかという不安と絶望感がいつも胸の奥にひそんでいる。そしてチクリ、チクリと心を剌す。新聞その他で見聞きする日本に科せられた巨額な賠償金だって、結局はみんなこれからのぼくらの肩にのしかかる重圧だ。ぼくら負けるのがいやで戦いに出たのに、結局負けてしまった。こんな焼け野原で何もかも失った日本が、賠償金など払えるわけがない。
 ぼくら一体どうなるのだろうか。
(朽木寒三「柚木完三の青春日記(5)」)

19才ですでに戦争体験があり、復員した昭和21年の日記を48年後の平成6年(1994年)の「人間像」に発表する朽木さんの心象風景ってどうだろう。針山さんも、つい先だっての「人間像」で自分の代用教員時代を舞台にした小説を書いたばかりだし、それはとても興味深いことだ。そして、それは令和7年夏を生きる私にはとても面白いんだよね。闇市の美人姉妹とか、倶知安中学で英語を教えていた父とか。いや、不思議。お盆も近い。あちらから還ってくる人たちも増えた。

 
▼ 病床日記   引用
  あらや   ..2025/08/15(金) 12:18  No.1216
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終戦記念日か… 毎日トランプの顔が映るテレビを見て、これから戦争と破滅の世界が来るぞとの思いを禁じ得ない。針田さんの『病床日記』、本文は辛くて引用できません。私も最後の一ヶ月が苦しかった。

〈編集部註〉
 針田の遺稿も今回で終了となった。亡くなったのは一年前の三月九日、日記の最後は五日になっている。書けなかった四日間については町子夫人に補充して頂こうと思ったが時間的にも余裕がなく無理であった。
 校正しながら、淡々と書かれてはいるが、死を目前に感じながら、精一杯生への軟着陸に望みを托していたであろう心の中がモロに伝わって来るようで、遣り切れなかった。僕も今十種類ほどの薬を呑んでいるが、名前など一つも知らない。知ってもどうにもならないと思っているから聞いたことも調べたこともないが、薬学専門の針田は薬や注射を見ただけで、自分の置かれている現状が厭が上にも分かっていたことであろう。最後のひと月ほどの部分は見るのも苦しいほどだった。(針山)

 
▼ 「人間像」第137号 後半   引用
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:21  No.1217
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先ほど、「人間像」第137号(178ページ)作業を終了しました。作業時間、「69時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2656作品」です。

■然し、良いことばかりではない。同人の年齢化と共に躰のあちこちに故障が出てきたものも多く、斯く言う僕自身も、実は病院のベッドの上で校正をし、これを書いている始末である。三十年前の「肝炎」が再発したのだろうと言われている。昔は単に「慢性肝炎」と言われたが近頃では「C型肝炎」などと言ってまるで、「不治の病」のように言われている。発熱と黄胆がひどくなっての入院となった。
(「人間像」第137号/編集後記)

針山さんの人生三度目の闘病生活が始まりました。今号の小説『湖畔の一夜』は、作家としての針山さんの実質的最後の作品といってもいいでしょう。これ以後の針山さんは通院・入院治療に入りこみ、薬の副作用もあってどんどん気力の減退に見舞われて行きます。また、同人たちの相次ぐ訃報も気力を削ぐ原因になったでしょう。
三年後の「人間像」に突発的に『白の点景』という作品が発表されます。これが針山和美最後の小説作品ですが、これは七冊目の単行本『白の点景』のために残った気力を振り絞って書かれたもので、なにか、『湖畔の一夜』まで毎号のように発表し続けた精力的な針山作品群とは趣を異にしていると感じます。もう針山さんの小説を読めないんだ…と思うととても悲しい2025年の夏です。

 
▼ 遙かなる道   引用
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:24  No.1218
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 小説を書き始めてから、一冊の本を出したい、という願望があった。いままでに書いた物は、百二十枚から十七枚ぐらいの物で、これを集めれば作品集にはなるだろうが、夢は長編であった。
 長編は一歩誤れば愚作になる可能性があると信じていた。それだけに恐ろしく書けなかった。しかし、書きたいという欲望から推考中の二編のうち、資料のあるこのテーマを今回まとめてみた。
 初めは創作のつもりで書き始めたのだが、寺の縁起が欠かせない部分になった。それでまずお断わりするのだが、この本は単なる西国三十三ヶ所霊場札所の「巡礼案内記」ではなく、著者の希望としては、狂信的に流行った巡礼の一時期が過ぎた頃を、古寺参りの最後として、巡礼者は何を求めて歩くのかを知りたくなって、霊場札所の寺参りをした。その活写をフィクションを交えて構成した物語がこの本である。(著者あとがきより)

内田保夫さんの初の単行本。



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