| TOP | HOME | ページ一覧 |


No.1223 への▼返信フォームです。


▼ 名月や山あり川あり   引用
  あらや   ..2025/09/14(日) 18:51  No.1223
   山があって川があって海もある風景の一点景となって、鍬をにぎり、釣り糸をたれ、山羊の乳をしぼる――そんな独り暮らしができたらどんなに幸せだろう、とこれまでにたびたび夢みた。人の世の煩わしさにうみ疲れたときこの夢は、そッと忍んできて放心の世界に誘う。けれども友人の一人は苦笑を浮べて
「ぜいたくな夢をみる奴だ」とあきれ、ある先輩は背中をどやしつけていった。
「モリモリ、ビフテキを食って、ガブガブ酒を呑んで、ジャンジャン遊ぶ夢でも見ろ。この怠け者めが」
(古宇伸太郎「名月や山あり川あり(一)」)

人間像ライブラリーに古宇伸太郎『名月や山あり川あり』と『私の百姓記』をアップしました。どちらも「農家の友」「北方農業」といった農業雑誌に掲載されたものです。
なぜ農業雑誌? と思われるかもしれません。これは昭和40年8月発行の「人間像」第70号に発表された古宇さんの『おらが栖』という作品に起因します。小樽銭函の山に家族全員で移り住む…という話ですが、これに興味を持った農業雑誌関係者が作品を依頼したのでしょう。『名月―』は『おらが栖』のダイジェスト版といった感じですね。
『おらが栖』はもう一度「人間像」に登場します。それは第92号「古宇伸太郎追悼」号。福島昭午『父・福島豊』にも驚いたが、古宇さんが旧作にも死の直前まで手を入れていたことにはもっと吃驚しました。こういう鬼気迫る作家、いなくなったなあ。


 
▼ 北の話   引用
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:07  No.1224
  .jpg / 46.5KB

北海道のローカル誌「北の話」より、平木國夫さんのエッセイを二篇、針山和美さんのを二篇、人間像ライブラリーにアップしました。

 私が喜茂別から出ている「人間像」の同人になったのは、最初の渡道より十三年も前の昭和二十九年、三十歳のときであった。私の文学への旅立ちは人より遅く、二十五歳になってからだが、文学上の友人が皆無だから、「文章倶楽部」と「文芸首都」に交互に小説や詩を発表するしか道がなかった。やがて投稿家仲間で倶知安生れの朽木寒三同人が、「人間像」入りをすすめてくれたのだ。そのころの私は、東京・横浜のいくつかの同人雑誌から勧誘されたり、「文芸首都」同人になる寸前だったが全部中止して、えりにえって遠い北国から出ている無名の同人誌に参加したことになる。朽木が大そうすぐれた作品を発表し続けていたので、彼が所属している雑誌なら考える必要もないと思ったのだ。
(平木國夫「北の旅」)

原稿枚数に制限がある分、言いたいことがはっきりしていて読みやすいですね。もう一つのエッセイ『音更だより』は、タイトルからもお解りの通り「さい果ての空に生きる・上出松太郎」さんに関する文章です。

 
▼ 支笏湖をめぐって   引用
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:14  No.1225
  .jpg / 20.7KB

 支笏湖への道は千歳、苫小牧、札幌の三方から行くのが普通で、私の住んでいた後志からはかなり遠回りになる。そのため割りと近くにありながら行く機会がなかったのである。しかし、二五○tの新車の魅力は冒険心をくすぐる。私の地図の中に有るか無しの細い道を頼りに、喜茂別から美笛峠を越えるルートを択んでみた。喜茂別の双葉部落までは良く知った道だが、そこから先は初めての道である。
(針山和美「支笏湖をめぐって」)

小説『支笏湖』の造りが美笛峠を通るルートだと気がついた時の興奮はちょっと言い表しようがないですね。京極にいた頃、私の中の〈山麓文学館〉の行動範囲がばーんと拡がりました。針山さんのかなりの作品が倶知安に暮らしていることを前提に書かれていることを倶知安の人たちはもっと知るべきだと思います。私は、「倶知安の文学者」だの「京極の文学者」だの、おらが町の自慢話みたいな田舎趣味を嗤うものですが、倶知安の町があまりに針山和美さんに無頓着なのにはさすがにあきれています。

「北の話」には懐かしい広告が溢れていて、これも楽しい。

 
▼ 後志の山々   引用
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:17  No.1226
  .jpg / 49.6KB

 いつか八木義徳氏と泊村の温泉旅館でご一緒したとき、「山型人間」と「海型人間」という話が出た。海型は開放的でなんでも許してしまえるが、山型は閉鎖的で仲々許せないところがある。――という意味の話をされたことがあった。八木氏は室蘭生まれの室蘭育ちで、性格も海型だということだったが、話を聞きながら私はどちらだろうかと自問していたものだ。閉鎖的といえばそんなところもあるし、しかし「許せない」というほど狭い性格でもない。どちらかといえば鷹揚で行き当たりばったりというところもある。この呑気さは北海道的というのかも知れない。いずれにしても山に接すればほっとし、こころ安らぐところを見ると、「山型」には違いないと納得しているのである。
(針山和美「後志の山々」)

『積丹遊覧記』、やっといてよかった。あれは、同人のいろんな文章に効いてくる作品なんですね。広告は、札幌の「天政」「レンガ亭」とか、帯広の「モンパルナス」「弁慶」とか、苫小牧の「ホテルニュー王子」「そーらん亭ながの」とか、室蘭の「割烹浪花」「富留屋のうにせんべい」とか、もっともっと紹介したいところですが、この後、古宇さんや福島さんの作品が控えていますのでここで止めます。

 
▼ たんぷく物語   引用
  あらや   ..2025/09/18(木) 17:36  No.1227
  人間像ライブラリーに古宇伸太郎『白と黒』、座談会『青年作家を語る』を加えました。これで今回の古宇さん関係は終了です。ここからは福島昭午さんの『たんぷく物語』。

 五十号は駄作コンクールに終わるのではないかと懸念されたが、案に相違して反響が二つあった。一つは福島の「たんぷく物語」で「北海道教育評論」という教育誌より連載の申込み、一つは朽木の「人命救助の話」で、「新汐」編集部より至急別な作品を送れといって来たことだ。
(「人間像」第51号/編集後記)

針山さんが「北海道教育評論」と書いたため、探すのに実に信じられないくらいの時間がかかりました。これ、「「北海教育評論」」だったんですね。「道」の一字が入ったために、一時は道立図書館はおろか国立国会にも存在しない…、そんなことってあるんだろうか…とあたふたしたのです。で、見つかって、今期二度目の道立図書館でした。全巻揃っていないので、もしかしたら北大の付属図書館に行くかもしれない。

 
▼ たんぷく物語 〈北海教育評論版〉   引用
  あらや   ..2025/09/24(水) 18:56  No.1228
   「よく熊にみつからなかったもんだな。」と野見がいうと、
「したって先生、オヤジの風しもにいたんだもの。オヤジのにおいがしたベサ。」
「ふーん、なるほど。で背中にかついで行ったのは、やっぱり緬羊か。」
「うん。」
「緬羊は、なかなかったかい。」
「あのね オヤジは、メンヨでも馬でも獲るときには、風しもからコソッと忍びよってね、いきなり跳ぶんだよ。そして、メンヨの上に落ちる時に、首ばたたき落すベサ、ネ。したから、ないてるヒマもないわけさ。」
「ふーん。頭のいいヤツだな。」
 野見は感心してしまった。
(福島昭午「たんぷく物語(七)」/ヤマの晩秋・2)

いやー、北海教育評論版「たんぷく」、面白かった! 話がどんどんつながって、大宮や岩山といったキャラが立って、当時の山麓を描いた第一級史料じゃないだろうか。

北大図書館には行ってません。たぶん、出版社のミスが二回重なって、幻の『たんぷく物語(十)』が発生したのだろうと考えています



Name 
Mail   URL 
Font
Title  
File  
Cookie  Preview      DelKey