| | 山があって川があって海もある風景の一点景となって、鍬をにぎり、釣り糸をたれ、山羊の乳をしぼる――そんな独り暮らしができたらどんなに幸せだろう、とこれまでにたびたび夢みた。人の世の煩わしさにうみ疲れたときこの夢は、そッと忍んできて放心の世界に誘う。けれども友人の一人は苦笑を浮べて 「ぜいたくな夢をみる奴だ」とあきれ、ある先輩は背中をどやしつけていった。 「モリモリ、ビフテキを食って、ガブガブ酒を呑んで、ジャンジャン遊ぶ夢でも見ろ。この怠け者めが」 (古宇伸太郎「名月や山あり川あり(一)」)
人間像ライブラリーに古宇伸太郎『名月や山あり川あり』と『私の百姓記』をアップしました。どちらも「農家の友」「北方農業」といった農業雑誌に掲載されたものです。 なぜ農業雑誌? と思われるかもしれません。これは昭和40年8月発行の「人間像」第70号に発表された古宇さんの『おらが栖』という作品に起因します。小樽銭函の山に家族全員で移り住む…という話ですが、これに興味を持った農業雑誌関係者が作品を依頼したのでしょう。『名月―』は『おらが栖』のダイジェスト版といった感じですね。 『おらが栖』はもう一度「人間像」に登場します。それは第92号「古宇伸太郎追悼」号。福島昭午『父・福島豊』にも驚いたが、古宇さんが旧作にも死の直前まで手を入れていたことにはもっと吃驚しました。こういう鬼気迫る作家、いなくなったなあ。
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