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No.796 への▼返信フォームです。


▼ 忘れられた彫刻家たち   引用
  あらや   ..2026/08/12(水) 16:26  No.796
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(マウス騒動のおかげで報告が遅れました。すみません…)

7月26日、札幌にいました。目的は、
https://www.hongoshin-smos.jp/d_detail.php?no=230
「札幌・小樽・夕張・芦別」の内、戦時中の軍需生産美術推進隊が造った坑夫像についてもっと深く知りたいと思って行きました。小樽の忠魂碑など見慣れているからそんなに期待してはいなかったのだけど、じつは、この日一番興奮したのは小樽の彫刻話だったのです。チラシの忠魂碑(当時は「昭忠碑」と呼ばれていた)をよく見てください。なんか、今の忠魂碑とちがう。いまも塔の上に金鵄はいるけれど、あの塔の中央部分に立っている二人の男は何なんだ。


 
▼ 小樽公園昭忠碑   引用
  あらや   ..2026/08/12(水) 16:31  No.797
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昭忠碑
帝國在郷軍人小樽分會ノ事業トシ工費五萬円ヲ投シ碑撰文ヲ天台道士杉浦重剛ニ乞ヒ英霊五四ヲ合祀シテ大正十二年十一月英霊ヲ祀レリ高サ五十一尺頂上ノ金鵄並銅像ハ斯界ノ権威水野朗ノ作ニ係リ仙台市二葉ヶ丘上ノ昭忠碑ニ象サシモノト云フ」
(小樽市役所「小樽公園」,昭和11年)

日清・日露戦争の英霊を祀る昭忠碑。あの二人の男の右側はセーラー服姿ですから、それぞれ陸海軍を象徴する兵士像なのでしょう。この彫刻を造ったのは水野朗。「朗」と書いて「きよし」と読みます。
最初、図書館で調べていたんだけど文字資料ばかりで埒が明かない。やっぱり博物館かなと思って手宮の総合博物館へ。行って正解でした。あのチラシに使っている昭忠碑の画像は小樽総合博物館の所蔵だったんですね。
なぜ、現在はこの兵士像は無いのか。それは太平洋戦争中の金属供出です。小樽にあった銅像・記念碑もこの金属供出によって姿を消してしまいました。講師の迫内祐司さんが「小樽公園にはこんな彫刻もあったんですよ」と言って見せてくれたのが神鹿像。うーん、これも知らない、初耳だ。何十年も小樽に住んでいて、こんなことあるのか…

 
▼ 神鹿像   引用
  あらや   ..2026/08/12(水) 16:39  No.798
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しんろくぞう。こちらも小樽総合博物館所蔵の一枚です。

行啓記念碑
大正天皇未タ皇太子殿下ニ在セシ時本道行啓ノ砌リ本市ニ御成リ遊バサレシヲ記念シ明治四十四年八月二十四日親シク市街ヲ御展望セラレ給シ御野立所跡ヲ卜シ工費壱萬二千円ヲ以テ翌明治四十五年建設
(小樽市役所「小樽公園」,昭和11年)

この大正天皇の来樽を記念して建てられました。小樽市役所が作成した『小樽公園』を見ると、他に『戰捷記念碑』、『男爵北垣國道像』、『廣井博士胸像』、『明治大帝本道御巡幸御上陸記念碑』などの名が記されています。
現在の小樽公園の一原有徳『炎』、『ラジオ体操ひろばの像』、二部黎『野に躍る』、斉藤吉郎『少女の像』のラインナップと比べると隔世の感がありますね。

 
▼ 公會堂の櫻   引用
  あらや   ..2026/08/12(水) 16:43  No.799
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別のアングルからの『神鹿像』。こちらの方が当時の小樽公園の雰囲気をよく表していますね。今回の画像は三枚とも当時の絵葉書から採られています。ちなみに、この絵葉書には「満開せる小樽公園公會堂の櫻」というキャプションが付けられていました。

打てば響く…というか、学芸員の方が北海道の美術全般に詳しく、『忘れられた彫刻家たち』の話から本郷新彫刻美術館長の吉崎さんの話へ、國松三代の話へ、阿部典英さんの話へと拡がって行きました。中央郵便局に國松登の絵がかかっていたり、博物館前にはクロフォード像とは別に中野五一のレリーフがあったりとこちらも初耳の話ばかり。勉強になりました。

軍需生産美術推進隊についてはスレッドを改めて書こうと思います。というか、この掲示板は八月をもって終了しますので、今、延々と空知の坑夫像の話をやってる気持ちの余裕がないのです。たぶん、この書き込みがこの掲示板最後の書き込みになると思います。



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