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No.1060 への▼返信フォームです。


▼ えあ草子   引用
  あらや   ..2024/01/30(火) 17:22  No.1060
  なぜ「えあ草子」は大地震の直後にシステム更新を行うのだろうか?
六年前の北海道胆振東部地震の時も、その直後に「人間像ライブラリー」の全作品が読めなくなる事態が起きて、私は「これは何か今回の地震と関係があるのだろうか?」とか、けっこう真剣に考えたことを思い出す。
さすがに今度の能登地震ではそんなことは考えず、すぐに「えあ草子」だなと気がついたけれど、問題は、今度は使っている機種の方で起こりました。六年前でさえすでに絶滅危惧種だったWindows7と今のWindows11(Microsoft Edge)の間には深くて暗い溝がありましたね。使っている言葉が、いちいち何を言ってるのか解らないんだもの。
今でも、人間像ライブラリーの作品が読めなくなって困っている老人はいると思います。インターネット閲覧をMicrosoft Edgeで行っている人は、以下の方法を試してください。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/081100/cacheclear_d/fil/cacheclear.pdf
Windows対応はとっくにうち捨てて、スマホ・タブレット対応に特化していったのが「えあ草子」だと思っていたけど、今回のWindows対応版、すごく綺麗ですね。人間像ライブラリーが若返った。


 
▼ 中断   引用
  あらや   ..2024/02/05(月) 17:34  No.1061
  一月最後の一週間ばかり、「人間像ライブラリー」作業が中断してしまって結構苦しかった。作業部屋にいると、これで私の図書館人生も終わりか…とか、また一からやり直しか…とか、イヤな妄想ばかりしてしまう。窓の外は暴風雪だし。
で、部屋に長時間いない方向であれこれ溜まっていた仕事をすることにしました。ひとつ目が昔のプロレス本や手塚治虫本の処分。今度こそ、何円になるのかわからないけれど全部売り払ってしまおうと決心しましたね。もう私には残された時間がない。
ふたつ目が国立国会図書館の利用者登録。これをすると、デジタルコレクションの個人送信サービスで「送信サービスで閲覧可能」の図書も読めるようになる。大抵のデジタルコレクションは「ログインなしで閲覧可能」なのですが、時々「送信サービスで…」本があるのですね。今までは、そんな時は市立小樽図書館に行くか(図書館間なら閲覧できる)とうっちゃっていたのだけど、こんな時こそ、面倒な登録手続きなのじゃないかと思いついたのでした。

 
▼ 木賃宿   引用
  あらや   ..2024/02/05(月) 17:40  No.1062
   私たちは――祖父と、私と、――は、四五年前まで、この町外れで、貧しい木賃宿を営てゐた。この人は、その宿の、長い止宿人であつた。
(沼田流人「鑄掛師と見張番」)

 この乞食坊主が、或時同宿の靴修繕帥と、誰もゐない二階の客室で喧嘩をおつ始めた。でどんなことが原因で、それが擡がつたものか、誰も知らなかつた。
『蟇蛙奴!』
 全く、その靴屋はそれのやうな佝瘻の、倭さい躯をした痘面の男であつた。その蟇蛙は、勇敢に喚き立てた。
『何だと、やせ衰けた蝙蝠奴!』
『靴の底を噛つて生きてあがつて……』
『やましもの……。糞たれ坊主……』
(沼田流人「銅貨」)

おお、靴修繕帥(くつなをし)!
『三人の乞食』一篇では気づかなかったことだけど、この、沼田流人にとっての小説書き始めの時代に、流人は「木賃宿もの」とでも云えばいいのか、祖父と私の木賃宿を通り過ぎた様々な乞食たちの人生を集中的に描いているわけですね。そして、それは大正十二年の『血の呻き』までまっすぐ繋がっているように感じます。ある種、『血の呻き』は作家初期の流人にとってのピークだったのでしょう。その二年後に小樽新聞に発表されることになる『キセル先生』を今読むと、なにか、あまりにも飄々としていて「抜け殻」みたいなものさえ感じます。

 
▼ 左手   引用
  あらや   ..2024/02/05(月) 17:43  No.1063
   夜になれば、彼は魘はれたものゝやうに、不気味な譫言を言った。
 幾度も幾度も繰返して、その事件が語られた。水車の小屋の歯車の歯と歯とに喰破られて、血みどろになつて死んだ女のことが……。
(沼田流人「鑄掛師と見張番」)

流人の左手を連想しないではいられない。猫の死骸を素手で持って草むらで弔ったという『父・流人の思い出』の逸話など、流人の身体感覚って、常人とはかなり異なっているように思います。それがフルに駆使されたのが『血の呻き』なのではないでしょうか。同じタコ部屋でも小林多喜二の暴力描写とはかなり違う。

 
▼ 大正十年(一九二〇年)   引用
  あらや   ..2024/02/05(月) 17:47  No.1064
  『鑄掛師と見張番』の最後には「一九二〇、一〇、一四夜北海道のクチアン町にて」というクレジットが書かれてます。「北海道の」という言葉には、なにか「東京」の人たちに向けた挨拶と取れないこともない。(「函館」の人にだったら「北海道の」は不要ですから…)
『銅貨』、『鑄掛師と見張番』、『三人の乞食』とも大正十年の発表。大正十年は沼田一家が木賃宿を廃業して孝運寺に入った年です。仁兵衛には寺男、ハルイには庫裏の仕事がありますが、僧侶でもない沼田一郎(流人)には特に孝運寺における仕事というものは見当たらない。『このはずくの旅路』では大栄との確執によって倶知安八幡神社に移って行く様子がドラマチックに描かれていますが、実際のところは孝運寺に移って来たその日から沼田一郎には片腕の自分でもできる仕事を探す必然があったのだろうと私は考えています。東倶知安線の開通によって木賃宿の収入がなくなった大正九年あたりから八幡神社に職を得る大正十一年にかけて、流人が「東京」を考えなかったはずはないと思うのですが。

 
▼ 月刊おたる   引用
  あらや   ..2024/02/05(月) 17:50  No.1065
  国立国会のデジタルコレクション利用で便利になったのは、こんなところ。

ぬけぬけと入り来て小銭呉れろと言う乞食には同情の余地もなけれど
才能にめぐまれぬ我ら寄り合えば話はゴシツプに傾く
サラリーの為に働く教員となりさがりても生きねばならぬか
年ごとにずるくなりゆく自意識が今日も一日我を離れず
(「歌と観照」第22巻第3号)

明治大正の書籍デジタル化なんだろうとのんびり構えていたら、もう針山和美氏の時代まで来ていたんですね。「文章倶楽部」や「文学集団」がデジタルで読めるのには本当に感動した。大森作品の仕事が終わったら「人間像」作業に戻ろうと考えていたのだけど、「えあ草子」事件でちょっと予定が変わりました。「月刊おたる」調査を先に行ってしまおうと思います。もちろんこれも、国立国会でデジタル化していないことを確認した上で、それなら…と動くわけで、ずいぶん調べ物の世界も変わったもんですね。



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