| 浴衣を着た姉は人中で目立った。私達の傍を通り過ぎて行く人が、きまって姉のほうへ視線を泳がせる。それが私の予想といつもぴたりと重なるのであった。姉に連れられ、そうして人の目に立っていることは、肉体的な快感をともなって、私の自負心を満足させていたように思う。私が当時縁日を好んだのは、其処で子供なりのささやかな買物が出来るという以上に、姉と並んで、注がれている人々の目を感じながら歩くという、快感のためであったかも知れない。どちらかといえば無口で。神経質だった姉が、夜になって浴衣を着、きりっと帯を締めると、急に大きく脹よかになった。そうして大きくなった姉に、私は快い優しさを覚えた。湯上りに浴衣を着た姉は、何故か私に、露に濡れた大輪な花を思わせた。私は姉を、たいそう美しいと思っていたのである。 (竹内紀吉「五の日の縁」)
小岩界隈、五の日の縁日風景で始まる物語は、やがて、通りの向こうからやってくる姉と私の登場でその話が動き出す。
千葉の内海の何処も、まだ埋め立てなどされておらず、小岩から三、四十分も総武線に揺られていれば、松林を越して青い海原の拡がっている光景を跳めることが出来た。都心に住む者にとっては、千葉駅に至るまでの沿線の小駅は、どの駅も潮干狩の出来る海岸であることで名が通っていた。「稲毛」や「幕張」という地名に、盛夏の光や貝の臭いを思い出すのは私ひとりではないだろう。 (同書)
端正な文体。きらきらとした夏の陽が照り返す道を歩いていた記憶は私を変革してくれると思います。
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