| なぜ「物語」ではなくて、「物語り」なのか? 昔、子どもの頃、PTA文集なんかで、「私しは…」とか「話しをしました」とか書く父兄が時々いたけれど、当時でさえなにかダサい感じがしたものだった。「物語り」にも、最初はそんな感じを受け取ったのだが、デジタル復刻してみて、すぐに気づく。これはもう「物語り」としか言いようのない世界なんだ、と。「物/語り」なんですね。(ロラン・バルトの「S/Z」みたいでカッコいい!)
懐しい学校は とうに無くなってしまったが 俺は ときおり ところどころ 根太の抜け落ちた母校の廊下を こっそり 歩きに行く。 そこには 今も 立たされたままの 少年の俺の影が遺っていて あえかに 忍び泣きをしている。 (長尾登「母校脇方小学校」)
今はもうなくなった山麓の道を独りで歩いて、私も、脇方へ、メナへ、カシップへ、ペーペナイへ…
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