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▼ 農漁村文学特集号   引用
  あらや   ..2018/10/17(水) 09:27  No.625
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犬田 卯(いぬた しげる、1891年8月23日 − 1957年7月21日)は、日本の小説家、農民運動家。
茨城県稲敷郡牛久村(現牛久市)の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京、1917年博文館に勤務、1924年中村星湖らと農民文芸研究会を作り、雑誌『農民』を刊行し、小説家として活動した。妻は住井すゑ。次女は毎日新聞初の女性論説委員・増田れい子。孫は画家のHATAO、その妻は絵本作家の永田萠。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

いや、吃驚。住井すゑの旦那さんなのか…

「人間像」第37号、農漁村文学特集号のデジタル化に入りました。昨日、金澤欣哉氏の『漁村文学について』を終え、辻井彰夫氏『小手繰の村』に入ったところです。

金澤氏の文章で「犬田卯」の名が出てきて、最初「大田卯」と読み飛ばしてしまって、ウィキペディアでなかなか確認できずもたもたしました。で、〈農民文学〉のキーワードでやり直したところで、ようやく「犬田卯」に行き着いた次第。いや、お恥ずかしい。

やはり北海道の同人雑誌ですね。平木氏の『五反地主』以外、すべて漁村文学というのが壮観です。「蘭島」や「桃内」の言葉がそこかしこに乱れ飛んでるよ。


 
▼ 漁村文学について   引用
  あらや   ..2018/10/20(土) 07:12  No.626
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 例えば、武田泰淳「ひかりごげ」(新湖・54・3)の場合、人体食肉事件をとりあげて人間の極限状況における切迫した心理のアヤを、「虚構の作家」と云われる作家らしい、個性的な幻想を交えて追求した傑作だが、あれが漁民をよく知り、彼等に深い関心と愛情を抱く作家であった場合には、そのとりあげる角度は自ら違ってきて、「ひかりごけ」の作者のような傍観的な好みだけで処理出来るものではなく、おそらくは、この恐るべき事件に追いやった戦争を無視し得ず、凍りつく北海に難破した漁民の宿命やその生命力など、もっと関係者の生活心情に密着した面で、表現されることがあったろうし、その方がはるかにリアリティをもったものになっていたろうと思う。あの事件に巻きこまれ、「ひかりごけ」にも実名で登場している西川少年や、その少年を遂に食肉した船長の妻も僕の村出身であるだけに、一層僕はそうした面で文学以前の不満を感じたのかも知れないが、「ひかりごけ」を村の青年に読ませた反応は、やはり事件が余りにも個人的な興味で処理されていると云った意味の不満を示した。勿論、「ひかりごけ」は、それだけで立派な小説ではあるけれども、このような題材の場合、もっと社会的な批判精神と、漁民と云う生活集団に対する愛情に基いた作品、作家があってよいと思っている。
(石沢昌一「漁村文学について」)

いや、凄い。今から63年前の雑誌発表時に、これだけ喝破する人がいたなんて!

私は、第33号の『パーマ屋出張』という作品が大好きです。今号の『カネの家』も楽しみに、現在、平木氏の『五反地主』を進行中。

 
▼ カネの家   引用
  あらや   ..2018/10/24(水) 11:11  No.627
   月二回の公休日に、店の長男の道郎は住込みの工員を、交代で街に連れだした。田舎から出てきている彼女等にはそれが楽しく、また道郎にしてみれば街を歩くに相手が欲しいためもあった。この店に来て、初めて道郎に誘われた弘子は、映画を観た後の興奮をまだ馴染めない街の繁雑さに助長させて、道郎の云うまゝに都通りの寿司屋へ入った。
(金澤欣哉「カネの家」)

おっ、都通り…

小樽の人間にはわからないと思うけど、〈後志の文学〉という場合、「小樽/山麓」みたいな雑なとらえ方をすると読み間違うこともあるんですよ。〈後志〉には、「山麓」という概念の他に「岩宇(がんう)」という概念もあるから。(もっと言えば、「虻田」という概念もあるし…)

『カネの家』は、「岩宇」と「小樽」が一瞬すれ違う興味深い小説です。小樽の人間は、「岩宇」と「積丹」を勘違いするんじゃないよ。

 
▼ 「人間像」第37号   引用
  あらや   ..2018/10/24(水) 11:17  No.628
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二ヶ月ぶりの「人間像」作業の再開。第37号デジタル化にかかった時間は「58時間/延べ日数10日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「732作品」です。

前回第36号の「87時間/延べ日数23日間」に較べて、「58時間」はずいぶん早いと感じられるでしょうが、これは、前回第36号の131ページに対して、今回の第37号は79ページですからね。いつも通りのペースだとは思います。ただ、この第37号からは「新字新仮名」仕様に切り替えましたので、従来よりは作業が快適なものになりました。それも一因かもしれません。

「新字新仮名」に替えたのは、待っていても、いつまで経っても「旧仮名」表記の時代は終わらないからです。夏の二ヶ月間、竹内紀吉作品のデジタル化作業をやっていて、昭和40年代になっても「旧仮名」もどき表記の時代は続いていることを知りました。こちらで意図的に、どこかの時点で「新仮名」に替えるしかない。
針山氏の『三年間』の時にも感じました。学校の先生などは比較的早く戦後の「新字新仮名」に適応して行くのですが、そうでもない、戦前・戦中の「旧仮名」教育で文章スタイルが決まった人たちにとっては、戦後の「新字新仮名」に対応して行くにはけっこう長い時間がかかったのかもしれません。



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