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No.681 への▼返信フォームです。


▼ 十二階下   引用
  あらや   ..2023/11/13(月) 14:51  No.681
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「お前は掃き溜に居たんだね、東京の……」
「東京の掃き溜つて、何処さ」
「浅草の十二階下さ、女の掃き溜だよ」
「ふん、女の掃き溜に遣つて来る男は、何でせう。色恋の屑屋でございだわ」
「そんなもんかも知れないね。然し今では熊谷で、春よしのお種と云ふ蝙蝠なんだね」
「鳥無き里ぢやないわ、よ。その家だつて、お君さん、お花さん、みんな十二階下もんよ」
「さうか、矢張り売られた仲間だね」
(松崎天民「十二階下(一)」)

昨日、松崎天民の『宇治龍子に似た女』という作品を人間像ライブラリーにアップしました。この作品は文芸雑誌「新小説」に連載された「十二階下」シリーズの第一回にあたり、後に『女人崇拝』という一冊に纏められるものです。
2023年の現在、この『女人崇拝』を所蔵している図書館は道内にはなく、わずかに国立国会図書館のデジタル・ライブラリーで読むことが可能という状態。ものすごく目が疲れます。でも、喰らいついて、なんとか天民をものにしたい。若き日の沼田流人を理解するには天民が必要なのです。


 
▼ 編年体大正文学全集   引用
  あらや   ..2023/11/13(月) 14:54  No.682
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テキストには、ゆまに書房発行の『編年体大正文学全集』第八巻を使いました。まだ私には国立国会のテキストを直に扱うような力量はなく、現在、いろいろな松崎天民テキストを比較して、旧漢字・新漢字のバランス、旧かなの処理、総ルビの取捨選択等、いろいろなデジタル化の可能性を探る段階が続いています。

『編年体大正文学全集』、興味深いですね。パラパラとページをめくると、例えば広津和郎『ある馬の話』、おお、これ朽木寒三じゃないか!とか、大杉栄の『獄中記』は大正八年に当たるのか…とか、〈編年体〉というアイデア、カッコいいです。私には分厚い「人間像」…といった印象がありました。

 
▼ 大正八年   引用
  あらや   ..2023/11/14(火) 12:15  No.683
   京極線が開通した大正八年、一郎は二十一歳になっていた。駅の開設で、木賃宿の経営はむずかしくなることがわかっていた。といって左手を失った体に新しい仕事はなかった。一郎は流人の筆名で、地方新聞に作品を投稿した。作品はときどき新聞にのった。しかし文学への関心が高まれば高まるほど、流人の悩みは深まっていった。
(武井静夫「沼田流人伝」)

と、ここから、武井氏の論考は、流人に文学的影響を与えた「吉田絃二郎」との関係への考究になって行くのだが… 私には今も昔も眉唾です。吉田絃二郎は小説の素材として面白いから流人との交流があったのではないか。流人のことを小説に書いているからといって、それが、流人に小説を書かせる衝動になるのだろうか。人はそんなことでものを書きはじめるのか。

『編年体大正文学全集』第八巻に繰り広げられる大正八年の文学世界。童謡から志賀直哉まで。二十一歳の沼田一郎(流人)の眼の前にこれがあったと知ることはとても大きな勉強になりました。気づきになりました。『十二階下』をコピーしたら直ぐ返却しようとしてたんだけど、止めた。返却日ぎりぎりまで読んでいよう。

 
▼ ソップ   引用
  あらや   ..2023/11/21(火) 13:15  No.684
   そこで彼等は始めてほっと愁眉を開いて、更に勢ひを盛返した喰意地が胃の腑の底から突き上げて来るのを感ずる。わざわざすっぽんが喰ひたさに夜汽車に揺られて京都へ行って、明くる日の晩にはすっぽんのソップがだぶだぶに詰め込まれた大きな腹を、再び心地よく夜汽車に揺す振らせながら東京へ戻って来るのである。
(谷崎潤一郎「美食倶楽部」)

いや、驚いた。第八巻をたらたら読んでいたら「ソップ」が出て来たよ。今の今まで、流人の造語、流人の不思議な外国語理解と思っていました。まさか、谷崎の作品から「ソップ」が飛び出して来るとは! 『編年体大正文学全集』は真面目に読む必要がありますね。「オルトフオルソ」や「秋誇草」もどこかのページに隠れているかもしれない。

ちなみに、解題によると、『美食倶楽部』は「大阪朝日新聞」に大正8年1月6日から2月4日まで連載された作品とのこと。仕事柄、流人が直接読んでいた可能性は大です。『編年体――』は雑誌・新聞の初出形を底本に使っていることも有難い。時代相がくっきりと表れる。



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