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No.758 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第73号 前半   引用
  あらや   ..2020/05/26(火) 09:10  No.758
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「人間像」第73号を進行中です。前半部分の、加藤テル子『夕立』までをライブラリーにアップしました。残すは、上沢祥昭『蹌踉の記(最終回)』と針山和美『病床雑記(最終回)』の長尺物二篇です。仕上げるのは、六月に入るかもしれません。

 一方、朽木の『馬賊』千五百枚はこの号が出るころには完成の予定で、出版は四月頃。平木の航空界物千枚も着々進捗中であるが、その合間に百枚物を次号に書くと張り切っている。毎号百五十枚物を一本欲しいと言う編集部の要求に、上沢、土肥、内田、瀬田などがすでに名乗りを挙げ、当分力作が続きそうである。
 田坂キミ(40年7月迄)、加藤テル子(40年12月迄)の二人が退会し、十一月から金沢欣哉が復帰した。
(「人間像」第73号/同人消息)

うーん、加藤テル子さん、退会ですか… 惜しいなあ。
最初の頃は、何を言ってるのかよくわからない女性独特の世界で読むのに苦労したんだけど、前号の『神様の世界』あたりからだろうか、〈虚構〉の立て方が妙に針山チックに巧くなって来て、今回の『夕立』に至っては、これは針山和美『愛と逃亡』への返歌かと思ったほどでした。惜しいです。


 
▼ 六月   引用
  あらや   ..2020/06/02(火) 09:44  No.759
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六月に入っちゃいましたね。一昨日(5月31日)は札幌の実家に行ってたのだけど、5月31日の札幌と6月1日の札幌は世界ががらりとちがってました。駅地下の人混みに一瞬居たのだけど、あーこれは危ないと感じて、地上の暑さの中でバスを待ちさっさと小樽に帰って来ました。つるんでチャラチャラ歩く高校生とか、「この席は空けてください」なんか完全無視してぐちゃぐちゃ喋っている爺婆とか、ウットーしかったよ。

 妻は一通りの話を聞くと、「どうしてもというのなら別に反対はしないけれど、家の問題が困るワ」とつぶやいた。「いっそ家を建てるか」 「建てるって貯金が一銭もないわ」 妻は当然のことを云った。「何かの本で読んだけど、家を建てるには家を建てようと云う気持ちを持つことが一番だと書いてあったナ」 「気持ちを持つにも何にも、少し位の頭金がなくっちゃ」 「頭金? 頭金ならあるサ、退職金だ」
(上沢祥昭「蹌踉の紀」最終回)

こちらは、すでに五月中にアップしてあります。で、その新居。第73号の「執筆者住所録」を見ると、なんと、

上沢祥昭 埼玉県新座町大和田1510の3

じゃない。へえ、「大和田」か。私が埼玉の図書館に勤めていた時代、最後に住んでいた町が、この新座市「大和田」でした。ふーん… どこか商店街や駅前で上沢氏とすれちがっていたのかもしれませんね。

第73号の最後の山場、針山和美『病床雑記(完)』は今日から再開です。5月31日のバス旅第二弾も書きたいけれど、ルーチンの「人間像」を放り出して遊びに走ると、何か今まで頑張ってきたものが崩れるような気がする。

 
▼ 「人間像」第73号 後半   引用
  あらや   ..2020/06/07(日) 16:21  No.762
  本日、「人間像」第73号後半(ほとんど『病床雑記』最終回)をアップしました。デジタル化にかかった時間は「100時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は、現在「1367作品」。

 引越を終えたのが八月の二十八日。息子の新学期に間に合わせるべく、請負の尻を叩き叩きして漸くすべり込んだ。朝からカッとした日照りで、世田ヶ谷砧から志木迄を二往復する行程はいささか身にこたえた。
 (中略)
 埼玉県北足立郡新座町大字大和田に小字下倉が付いて、一五一〇番地にも枝番がついている。この所番地の印象から諸君が想像する如くに、家の前はひろびろとした田園である。そのむこうに柳瀬川――これは荒川の支流の枝流に当るらしい――の堤防がのぞまれて、川越えに幾つかの杜がある。そして空が澄んでくると、その背景に秩父の連山が眺められるというのだから、心がひろびろせざるを得ない。その日の眺望も一しおで、大方の荷物をとにかく家の中に運び込んだ後での一服は、何とも云えない気持ちだった。のどが渇ききっていて、飲めない私にもつめたいビールの味が格別だった。
(神坂純「浮塵子」)

「下倉」とあったので、これは「下新倉」の間違いではないかと思ったが、「下新倉」は和光市か…(自転車で図書館に行く途中に「下新倉」というバス停があったような記憶があるけど) 昔は「新座」を「にいざ」じゃなくて「にいくら」と呼んでいた時代もあったそうで、そんなこんながごっちゃになっているのかもしれない。
あっ、すみませんね。本当は、針山氏の『病床雑記』について書かなければいけないんだけど、「大和田」の名が出てきて筆がすべった。

 
▼ 志木駅   引用
  あらや   ..2020/06/07(日) 16:26  No.763
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こうやって、東京からいっぱい人が流れてきて、ベッドタウンに子どもが溢れて、その子たちの進学に合わせて新設高校をばんばん造らなくてはならなくなり、学校図書館法には「学校には、学校図書館を設けなければならない。(第三条)」との燦然たる一行があり、図書館はつくったはいいが今度は司書がいないとなった埼玉県の募集の声が、まだ霞ヶ関にあったFM東京の電波に乗って、石油ショックのおかげで「雇用差控え」が起こり札幌へ帰る道が絶たれて東京の下宿でフテ寝していた私にも届き、漸くのこと光が見えて来た私が東武東上線志木駅に降りたのが昭和51年の春でした。

いやー、『蹌踉の記』にこんなエンディングが待っていたとは、ホントに驚き。



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