ロッジ山旅 掲示板&山行記

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 チョキのレンゲツツジ    ..ペンタコ     返信
      2026/06/02(火) 08:36  No.7686
 
 
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先週末、袴腰&チョキを歩いてきました。

チョキは「山と高原地図」でその名を見た時からずっと行きたいと思っていた山でした。
山頂は木々に囲まれていて眺望はありませんでしたが、ロッジで登られた時はもう少し眺望あったのでしょうか?
山頂手前にある急登の途中が一部開けていて、そこからの富士山が眺められて、のんびりランチをすることができました。

チョキの登山口へは、林道ではなく尾根を歩いてみたのですが、まぁレンゲツツジの見事なことといったら!
これだけのレンゲツツジが人知れず咲いているだなんて、もったいない思いもありつつ、贅沢な思いもさせてもらいました。
ちょうど山旅さんがアップしてくださったレンゲツツジの写真を見た後でしたので、嬉しさ倍増でした。

袴腰へも立ち寄りましたが、八ヶ岳がよく見えました。
山村さんの『富士を眺める山歩き』にも紹介されていましたが、木賊峠からほんの少しの距離であの展望を眺められるとは、これまた贅沢なひと時でした。


 Re:チョキのレンゲツツジ    ..ペンタコ    
        2026/06/02(火) 08:42  No.7687
 
 
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鉄塔のあるところは展望良しの例にもれず、今までの山歩きの中で金峰山が一番近くに見えました。


 Re:チョキのレンゲツツジ    ..山旅    
        2026/06/02(火) 15:38  No.7688
 
 
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今年はどんな花も当たり年のように思います。レンゲツツジも同様なのでしょう。

チョキとはまた懐かしい。最後に登ったのがもう10数年前では記憶も薄れています。この山を越え八幡尾根をたどって金峰山へ、なんて考えながら果たさないままでした。

今ではチョキが通称になっているこの三角点峰は、原全教の本では「キッチョ」または「イザル山」となっていて、「チョキ」は木賊峠北西の1713mの三角点がある山になっているんです。

それで、初めてチョキに登ったときには、返す刀でこの1713mにも登ってみたんですが、登ったからと言って山名の由来がわかるはずもありません。ともあれ、当時は元気だったなあと思います。

袴腰が、頂上一帯を伐採して道も整備し展望の山となったの2000年代初頭のことでした。なんであんな山に予算を投じたのかは不明ですが、クリスタルラインという道は、そもそもが柏崎原発からやってくる大送電鉄塔の工事用の道で、お金がふんだんにあったのかもしれません。


 Re:チョキのレンゲツツジ    ..鉄人M    
        2026/06/02(火) 18:38  No.7689
 
 
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白山書房刊『山の本』2005年春の号〜夏の号(No.51〜No.52)に横山厚夫さんが連載でご執筆された「木賊峠周辺の山々 1〜2」は、20年以上を経た今も変わらず座右に置き続ける、私にとっては忘れ得ぬ名紀行作品です。

今回ペンタコさんが登られた「チョキ」も「袴腰」も、ともにしっかり紹介されています。

このうち「袴腰」は横山さん曰く、「標高(1,755m)だけを見るとひとかどの山のようだが、くしゃみを一つしたぐらいの手応えしかない山」ではありますが…

"悪しき展望原理主義者"で、さらに"金峰推し"の私には、まさに夢のような大展望を満喫出来る、これも横山さん曰く"シャングリ・ラ"である山頂に変わりありません。

八幡山と「チョキ」を前景にすっくと聳え立つ金峰を仰ぎ見て、本人は感激の想いでシャッターを切った拙作、どうかご笑覧ください。


 Re:チョキのレンゲツツジ    ..ペンタコ    
        2026/06/05(金) 17:28  No.7692
 
 
山旅さま

チョキの山名、そのような経緯があったのですね。
しかし、キッチョにしろイザルにしろ、なぜそんな名前を付けたのか。想像だけが膨らんでいきます。
実は、八幡山まで行こうかと思っていたのですが、うろうろ歩いていたらそれで満足してしまいました。
車がないと行きづらい場所なので、是非、木曜山行で袴腰付近をお願いします!


 Re:チョキのレンゲツツジ    ..ペンタコ    
        2026/06/05(金) 17:43  No.7693
 
 
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鉄人Mさま

これはまた素晴らしい金峰山の写真、ありがとうございます!
金峰山に出会う旅に、鉄人Mさまを思い出します。
私も最近は、すっかり金峰山推しになりつつあります(笑)
おそらく私も同じ場所から撮影したのですが、金峰山の手前にチョキや八幡山が見えていたことすら、気付いていませんでした。
教えていただき、ありがとうございます。


ロッジ山旅のサイト上にも、横山厚夫さんが木賊山を紹介した文章がありました。
https://yamatabi.info/yokoyama.htm

『山の本』の連載の時に登られた様子なのかなと推測いたしました。チョキや袴腰も紹介されていたのですね。
今となっては、この辺りの山々を紹介する雑誌はないだろうなと思います。とても貴重な連載文、古本屋で探してみます。



 小森川右岸稜線から比志城址へ    ..山旅     返信
      2026/06/05(金) 08:39  No.7690
 
 
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台風一過の晴天でもなさそうだし、手を挙げる人もなさそうだし、今週も中止かなと思っていたら、前日の午後になって裏のご隠居さんから電話があった。

4月の初め以来だからずいぶんとご無沙汰だったのだが、その間、体調を崩していたのは知っていた。聞けば快復してゴルフに飲み会にと東奔西走だという。

それは何より、では行こうじゃないですか、曇りの天気なら展望がなくても楽しめる小森川右岸稜線に出かけることにした。4月の末に新緑を楽しんだばかりだが、濃くなった緑の山もまた一興だ。

とはいえ、まったく同じ行程でも面白くないので、これまでの行程を半分にするようなエスケープルートを試してみることにした。すなわち途中から比志城址へ派生する稜線を下る。10年以上前には歩いたはずだが記憶はもう薄い。

尾根歩きの途中で、やけに行く手が明るいと思ったら、たったひと月前の光景が変わって、すっかり山肌が裸にされていた。あらたな展望地の誕生である。

ひと月でこの変化なら、10数年ぶりの比志城址が変わっていないはずはなく、木造の社と、それを覆っていた大きなあずまやは解体されており、かわりにちょこんと新しい石祠があった。

ゆっくりとした出発だったにもかかわらず、目的とした比志城址へは11時半にもなっていなかった。時間はかからずとも、こういった人跡稀な山には別の手ごたえがある。そして、こんな栄枯盛衰がおのずと感じられる頂上で四方山話に興じるのも、我々のような年齢になった者にこそ楽しめる楽しみのひとつに違いない。


 Re:小森川右岸稜線から比志城址へ    ..山旅    
        2026/06/05(金) 09:42  No.7691
 
 
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2012年3月30日の写真と較べてみた。ちょうど私の誕生日である。14年後の自らを見て、こうなってしまうのも仕方ないかと思える。


 八千穂高原山菜摘み    ..山旅     返信
      2026/05/28(木) 16:16  No.7682
 
 
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5月下旬に八千穂高原に山菜摘みに出かけるのは、もう10年来の恒例である。

今年は季節が早いので今週ではもう遅いだろうと思ったのと、天気予報も雨模様だというのでは、お休みにするしかないかと木曜山歩きの計画にも出さないでいた。

ところが直前になって予報が好転、朝起きたら青空も見える。それではとひとりで出かけることにしたのだった。10年も続けていると、行かないと心残りである。

北に行くほど天気は良くて、気温もかなり高かった。八千穂高原では、ところどころでズミが満開、レンゲツツジもあと数日で満開といったところだった。

普段なら多少なりとも山歩きのルートにするが、今回はダイレクトに山菜畑を目指した。とにかく暑くて大汗をかく。1600mでこんなに暑いとはどうなっているんだろう。

お目当てはコゴミとワラビである。コゴミは最後の最後のを探し回って摘んだのでえらく手間がかかった。いっぽうワラビは国宝級のがそこら中にニョキニョキと生えているのでまったく手間はかからない。

これにて今年分の山菜欲は一応満たされた。


 Re:八千穂高原山菜摘み    ..山旅    
        2026/05/28(木) 16:29  No.7683
 
 
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太くて柔らかい、こういった国宝級ワラビがふんだんにあるのだから毎年行きたくなってしまう。

 Re:八千穂高原山菜摘み    ..ペンタコ    
        2026/05/28(木) 18:18  No.7684
 
 
太くて立派なワラビですね!!!

去年行けなかったので、今年こそはと思っていたのですが、この暑さでコゴミはおそらく立派に成長しきっているだろうし、ワラビも難しいかな、なんて思っておりました。

来年こそは!!!


 Re:八千穂高原山菜摘み    ..山旅    
        2026/05/29(金) 08:11  No.7685
 
 
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ペンタコさんと樫山に行ったときにコゴミをかなり収穫したので、今年はあれで終わりにしようかと思っていたんですが、やっぱり行きたくなっちゃいましたね。

八千穂高原では、ワラビが最高の状態のときはコゴミには遅いというのが明らかになってきました。究極的には2度出かけるべきなんでしょうが、来年はその中間あたりをねらって出かけようと思います。

画像は昨日の白樺林の様子です。今週末から来週にかけてがレンゲツツジの見ごろではないかと思います。



 十国峠のケーブルカー    ..鉄人M     返信
      2026/05/25(月) 21:51  No.7679
 
 
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箱根火山外輪山の南東部に続く日金山には、東海道本線湯河原駅・熱海駅から登路が通じています。

標高771mの山頂(静岡県熱海市と田方郡函南町との境)からは、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ヵ国を見渡せることで「十国峠」とも名付けられています。

山頂は、悲運の鎌倉幕府三代将軍源実朝が詠んだ和歌…
「箱根路を 我が越え来れば伊豆の海や 沖の小島に波の寄る見ゆ」
で知られている、周囲360度を見渡すことが出来る展望絶佳の地。

ただ「"山"と"鉄"のダブリ」である私にとっては、山頂に通じるケーブルカーの存在が最重要でして…
正式名称は「十国峠十国鋼索線」、れっきとした鉄道(鋼索鉄道設備)です。

2両の車両は1955(昭和30)年日立製作所製、開業は翌1956(昭和31)年10月と、私とほぼ同年代の歴史を刻んできました。

ただ、開業以来70年以上を経た設備の老朽化にともない、来年(2027年)夏からは新たな交通手段である「スロープカー」に取って代わられることに…
https://www.fujikyu.co.jp/data/news_pdf/pdf_file1_1778654714.pdf

そこで今回、お名残り乗車と撮影を敢行してきました。

添付写真をご笑覧ください。
ケーブルカー線路の右側で、新しい「スロープカー」の建設工事が着々と進んでいます。

みなさま、"昭和レトロ"感を満喫出来る、このケーブルカーへのご乗車を是非ともお勧めする次第です。


 Re:十国峠のケーブルカー    ..鉄人M    
        2026/05/25(月) 21:57  No.7680
 
 
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十国峠山頂から遠望した芙容峰です。

唱歌にあるとおり、見事に「頭を雲の上に出し…」状態でした。


 Re:十国峠のケーブルカー    ..山旅    
        2026/05/26(火) 07:50  No.7681
 
 
PDFを拝見しますと、なんだか新しくできるというスロープカーという乗り物のほうが古そうに感じられますね。何というのか、大正ロマンとでもいうような・・・。

通っていた名古屋の中学校の修学旅行で初めて箱根に行きました。名古屋でも「でっかい、でっかい」と宣伝していた小涌園が宿泊所でした。たしかにでかい建物で、豪華な正面玄関から、うわー、こんなところに泊まれるんだと喜んで入っていくと、その豪華な建物を通り抜け、裏手にある修学旅行向けの簡易宿泊所のようなところに案内されたのでした。



 大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅     返信
      2026/05/22(金) 07:58  No.7670
 
 
木曜山行恒例の大鹿村行も秋に行くのが2回続いたので、次は新緑の時季にと計画したが、すでに新緑というよりは初夏の雰囲気になっていたのはどこでも同様の今年の気候である。

これまででもっとも多い10人での旅行となった。空気ばかりを運んでいたロッジ山旅号が人間で満ちたのは久しぶりである。名古屋から5人、関東から4人と皆さん遠路はるばるの参加なのは、お互いが落ち合うのにまずまず都合がいいのが大鹿村の位置だからでもある。

好天が続いて、そろそろ下り坂になるだろうとの予報にやきもきしたが、幸いにも天気の崩れが遅くなって、初日はほぼ快晴といってもいい好天となった。

行きがけに登るつもりだったのは去年の秋に引き続いて中川村の大嶺山(おおみねやま)である。地形図に名前があるわりには一般的な登山道があるわけではなさそうなこの山に、去年は地形図から得られるだけの知識で入山したが、それだけに発見も多かった。

特筆すべきは、おそろしくいい道が通じていたことである。道があくまで柔らかいのは人通りがほとんどない結果であろうが、道の広さや形の良さは、かつては重要な道だったことを示している。この道を今年は緑萌える時季に再び歩いてみたくなったのである。

なんでこんなにいい道があるのだろう、そして、たいして目立つわけでもない山になんでこんなにたいそうな名前が付けられたのだろうと疑問に思っていたのが、下山後に、はたと気づいたことをこの掲示板に去年書いた。

要するに、古く「嶺」は現在の「峠」を意味し、「レイ」や「ミネ」と読むのではなく「トウゲ」と読むべきだったことに気づいたのである。山梨県の例でいえば、大菩薩嶺はそもそも大菩薩峠のことである。

となるとこの道の良さが納得できる。帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはりここは「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」である。合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。

さて、大鹿村大河原(大鹿村とは大河原村と鹿塩村が合併してできた村である)で1300年代半ばごろの30年を過ごしたという信濃宮宗良親王のことは、最初に大鹿村を訪れたときに知ったことである。

各地を転々としてきた宗良親王を大河原で庇護したのが土地の豪族香坂高宗だった。高宗の領地は、小渋川北側の大草から大河原あたり、すなわち現在の中川村から大鹿村に及んでいたのいうのだから、当然「大嶺」はそれらの地域を結ぶ重要な道の要で、相当な往来があったに違いない。人通りが途絶えたとはいえ、立派な道が残っていたわけである。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅    
        2026/05/22(金) 08:27  No.7671
 
 
昼過ぎにたどり着いた頂上では枝越しとはいいながら画像のような中央アルプス南部の雄峰が眺められるのだから人跡まれな山としては上出来である。ロッジ山旅ギャラリー出展作家のすがぬまさんと中村さんは昼食を摂る間も惜しんで絵筆を走らせていた。

下山後すぐに望岳荘の湯舟に浸かったあとは一路大鹿村へ向かった。大河原では赤石岳の雄姿を眺めることができたのはうれしかった。大鹿村に行くのは延齢草に泊まるのが目的でもある。相変わらずの豪華な食事をいただきながら、宿の佐藤夫婦も加わって、貸切ならではの大懇親会となった。

雨音に目覚めた朝、窓外に立ちはだかる青田山へ小渋川から湧いた雲がまとわりつく変化が面白い。

雨もまた良し、傘をさしてのんびりと大鹿村の名所を巡ったのちは、香坂高宗の居城があった大草城址公園のあづまやで昼を過ごしたのち松川バス停にて名古屋組と別れた。

参加の皆様、お疲れ様でした。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山の絵描き    
        2026/05/22(金) 18:21  No.7672
 
 
今回も楽しい山旅&延齢草の宿泊ツアー、ありがとうございました。

久々の満席「山旅号」は私たちの重さで上りの坂道では喘いでいましたが、毎度の各所適時到着の運転は見事でありました。

初日には昨秋に引き続いての古の人々の往来を想像させられる山道を再び歩け、山頂では前回見えなかった中央アルプスの眺望も得られスケッチもできました。
下山後の大鹿村では待望の赤石岳も拝め大満足。その時のショットを一枚添付です。

翌日のシトシト雨ものんびりしたいメンバーには文句もなく、延齢草の目の前に屏風のように聳える山々に立ち昇る霧は幻想的、深山の雰囲気に浸りました。

小淵沢からマイカーでの帰浜も、珍しく渋滞なしで順調。午前中には山のなかだったのに、夕方にはゴミゴミした都会に舞い戻ったのでありました。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山の絵描き    
        2026/05/22(金) 18:21  No.7673
 
 
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添付しそこないました

 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..名古屋のN    
        2026/05/23(土) 07:07  No.7674
 
 
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フォトブック「エピソードのある山旅」の特別版『延齢草(大鹿村)への旅』を手にしての、延齢草宿泊13回目の「ロッジ山旅」号が満席となった一泊山行。

フォトブックのおかげで、個人としても9回目となった、2009年に始まるこの特筆すべき大鹿村行きの旅を振り返りつつの旅となった。雨に降られるどころか、好天に転じた初日の大嶺(おおみね)山歩き。小渋橋からの、過去一番と思えた赤石岳の眺望。

初めて泊まった、大河原中学校旧3年A組教室の大部屋。教室の木枠の大きな窓から望めた青田(あおた)山。いろんな宿にも泊まってきたが、過去最高の広い空間の寝所だった。

夕餉(げ)と朝餉の豊かなことは、いつもながらでも、今回は10人分。土地のもの旬のものも活かす、段取りや手業にも感服。「塩イカ」、覚えました。

2日目の雨模様も、青田山に纏いつくように流れる雲が見事な景観でした。大鹿歌舞伎の舞台やろくべん館の見学なども、この土地をまた深く知ることに。秋の大鹿歌舞伎、観に行きたくなった。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅    
        2026/05/23(土) 07:10  No.7675
 
 
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毎度、遠路のご参加ありがとうございます。大鹿村から横浜だと、小淵沢で道半ばですからね。これからの運転が大変だなあと思いながら見送っています。

ま、初日だけは天気に恵まれて、去年以上の展望にも恵まれたのは幸いでした。傑作も描けたことでしょう。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..ペンタコ    
        2026/05/23(土) 15:10  No.7676
 
 
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この度は参加させていただきありがとうございました。
初めてのロッジ山旅の宿泊登山で、昨年お会いした方々やお名前は存じ上げていた常連の皆様にもお会いし、様々な話を聞くこともできとても嬉しく思いました。

先に皆さんが書かれている通り、今回の山行、初訪問の大鹿村、延齢荘でのおもてなし、雨すらも素晴らしい時間として心に残りました。楽しくてあっという間の2日間でした。

最後、小淵沢駅まで急がせてしまい申し訳ありませんでした。
無事に電車に間に合い、車中ではザックに1本残っていたチューハイと塩もなかを食べながら、どんどこ鈍行で俗世に戻りました。

企画してくださった山旅さん、ありがとうございました。
また参加できるように仕事頑張ります!!


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..ペンタコ    
        2026/05/23(土) 15:48  No.7677
 
 
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宮本常一の『天竜川に沿って』(未来社)、この中に「大河原」という章があります。
自宅に戻ってから読み返してみたところ、本書に掲載されている白黒写真の中に今回立ち寄った福徳院が写っていました。1963年当時。
60年前はまだ木造家屋ばかりで、道路の幅も今より狭い様子でしたが、観音様は先日見たまま変わらずの姿。

大河原の説明には「赤石山脈が屏風のように高く連なっており」という記述があり、今回実際に訪問してみて初めてなるほどと理解できました。


 Re:大嶺山に登ってから大鹿村へ    ..山旅    
        2026/05/24(日) 09:58  No.7678
 
 
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宮本常一とはまた面白いですね。山を筋肉の運動としか考えていない人には無縁の発想です。

私と大鹿村の縁のはじまりについては、これまでに書いたことも、またFMの番組を持っていた時に話したこともありました。それは山にあこがれていた名古屋での高校生時代、繰り返し眺めていた写真にまでさかのぼります。

大鹿村の大河原という住所、これは文字通り、小渋川の川幅がぐっと拡がって青木川を分岐する場所なんです。その上流にかかる橋を川の名前通りの小渋橋といいます。今回もその橋から赤石岳を眺めたのが上にある山の絵描きさんの出してくれた写真です。そこからの赤石岳を撮った白籏史朗さんの写真を高校時代に飽かず眺めていたというわけなんです。

まるで河童橋から仰ぐ穂高連峰のように眼前を圧してそびえ立っている赤石岳は、望遠レンズによる圧縮効果で現実以上の迫力だったということなのですが、そのころはそんなことは知らず、人里から巨峰がこんなにも間近に望める場所があるのかと感激したんですね。その写真の載った、山と渓谷社から出ていた「山渓カラーガイド」というシリーズの1冊、「南アルプス」という本を、ほとんど毎日のように眺めていたものです。

添付画像がそれです。その後、こんなに大鹿村とご縁ができたのは面白い偶然ですが、赤石岳にはいまだ登ったことがないのは画竜点睛を欠く気もしています。










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