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今年の春、小森川右岸尾根の帰り道に樫山からの車道を下っているとき、半ば落葉に埋もれた道標を見つけて以来、がぜん道の北側の山域に興味が湧いた。旧増富村の知られざる山にはかなり入ったが、どういうわけか樫山と日向の間にある山域は手付かずのままだったのである。
道標を調べたところ、増富温泉の津金楼の創業者が建てたものだとわかった。塩川から増富温泉への道が拓かれる前は、この道が温泉への主要道だったのである。
新緑がきれいなうちにと、この道をペンタコさんとふたりで探って、ついでに、道の周囲にある3つのピークを樫山三山と名付け、そのすべてに登ってきた。これがなかなか興味深い山域で、また行かなきゃなあと思っているうちに暑くなって秋の宿題となった。
木曜山行の参加者がないのに天気はいいので、ひとりでちょっと歩いてくることにした。かつてはヒマがあればせっせとひとりで山歩きに出かけたものだが、ここ数年はさっぱりで、体力の衰えとともに山への意欲が薄れているのは明らかである。しかし、そんなことを言っていたらますます脚力も失なわれるばかりなので、たまには自分の尻をたたいて出かけなければならない。
もう少しは涼しいかと思っていたら、1000m前後の山ではまだ暑かった。縦横に通じるケモノ道を拾って歩くと、たまに人の道らしきものに出くわす。石祠のひとつもあればいいなあと思いながら登ったが、古い炭焼き窯があったくらいだった。
前回、途中で消えてしまった昔の道をもう一度探ってみようと出かけたのだったが、上部ではよく残っているものの、下部では廃道であった。この道を多くの人が歩いて増富温泉に向かったのだと思うと感慨深い。11月の木曜山行の計画で予定通りに出かけたなら、おそらくもう晩秋の風情であろう。
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