| TOP | HOME | 携帯用 |



司書室BBS

 
Name
Mail
URL
Backcolor
Fontcolor
Title  
File  
Cookie Preview      DelKey 

▼ 「人間像」第137号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/08/04(月) 16:52  No.1213
  .jpg / 22.3KB

針田さんの作品収集が一段落しましたので「人間像」の作業再開です。第137号は178ページ、発行年が平成6年(1994年)に入っています。
第137号の作品群は、内田保夫『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』、丸本明子『欠ける』、北野広『六十三才の誕生日』、佐藤瑜璃『古びた紫陽花』、春山文雄『湖畔の一夜』、平木國夫(おお久しぶり!)『北津軽郡金木町』に続いて針田和明『病床日記』の最終回。本日、『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』を人間像ライブラリーにアップしたところです。


 
▼ 古びた紫陽花  
  あらや   ..2025/08/07(木) 16:47  No.1214
  「どうしてまた……急に……」
 辞表をつきつけられた部長は驚いて大声をあげた。圭子は昨夜から何度か口に出してみた言葉を、ニッコリ笑いながら明るい声で言ってのけた。
「働きづくめの人生なんて、あまりにも佗しいじゃありませんか、のんびりしたくなったのですよ、歳ですからね」
(佐藤瑜璃「古びた紫陽花」)

「あのう……」
 二人の声が重なった。思わず視線が絡みあい、微笑みが交錯した。気がほぐれた。
「どうぞ」と男がいった。
「ええ、あのう、奥さんも来ているのではないかと思いましたものですから……」
 探るような言い方になった。
「ああ、そのことですか。……探してはいるのですが、ここに居るとは限らないのです。どこに居るのか分からないものですから、当てもなく探しているのですよ」
(春山文雄「湖畔の一夜」)

『古びた紫陽花』、『湖畔の一夜』、アップしました。単にこの二作品が誌上で並んでいたからという理由ではなく、私はこの二人の作品にはなにか魂の同調性みたいなものをいつも感じるので一度並べて考えてみたかったのです。女の孤独、孤独の女…かな。

 
▼ 柚木完三の青春日記  
  あらや   ..2025/08/10(日) 09:59  No.1215
   それはそれとしてぼくはとうとう二十一才も半分終わった。あと八年ちょっとで三十になる。このような荒れ果てた敗戦国に生きて帰ったものの、後のわずか八年間でぼくは独立して家を支える一人前の大人になれるのだろうかという不安と絶望感がいつも胸の奥にひそんでいる。そしてチクリ、チクリと心を剌す。新聞その他で見聞きする日本に科せられた巨額な賠償金だって、結局はみんなこれからのぼくらの肩にのしかかる重圧だ。ぼくら負けるのがいやで戦いに出たのに、結局負けてしまった。こんな焼け野原で何もかも失った日本が、賠償金など払えるわけがない。
 ぼくら一体どうなるのだろうか。
(朽木寒三「柚木完三の青春日記(5)」)

19才ですでに戦争体験があり、復員した昭和21年の日記を48年後の平成6年(1994年)の「人間像」に発表する朽木さんの心象風景ってどうだろう。針山さんも、つい先だっての「人間像」で自分の代用教員時代を舞台にした小説を書いたばかりだし、それはとても興味深いことだ。そして、それは令和7年夏を生きる私にはとても面白いんだよね。闇市の美人姉妹とか、倶知安中学で英語を教えていた父とか。いや、不思議。お盆も近い。あちらから還ってくる人たちも増えた。

 
▼ 病床日記  
  あらや   ..2025/08/15(金) 12:18  No.1216
  .jpg / 16.1KB

終戦記念日か… 毎日トランプの顔が映るテレビを見て、これから戦争と破滅の世界が来るぞとの思いを禁じ得ない。針田さんの『病床日記』、本文は辛くて引用できません。私も最後の一ヶ月が苦しかった。

〈編集部註〉
 針田の遺稿も今回で終了となった。亡くなったのは一年前の三月九日、日記の最後は五日になっている。書けなかった四日間については町子夫人に補充して頂こうと思ったが時間的にも余裕がなく無理であった。
 校正しながら、淡々と書かれてはいるが、死を目前に感じながら、精一杯生への軟着陸に望みを托していたであろう心の中がモロに伝わって来るようで、遣り切れなかった。僕も今十種類ほどの薬を呑んでいるが、名前など一つも知らない。知ってもどうにもならないと思っているから聞いたことも調べたこともないが、薬学専門の針田は薬や注射を見ただけで、自分の置かれている現状が厭が上にも分かっていたことであろう。最後のひと月ほどの部分は見るのも苦しいほどだった。(針山)

 
▼ 「人間像」第137号 後半  
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:21  No.1217
  .jpg / 12.3KB

先ほど、「人間像」第137号(178ページ)作業を終了しました。作業時間、「69時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2656作品」です。

■然し、良いことばかりではない。同人の年齢化と共に躰のあちこちに故障が出てきたものも多く、斯く言う僕自身も、実は病院のベッドの上で校正をし、これを書いている始末である。三十年前の「肝炎」が再発したのだろうと言われている。昔は単に「慢性肝炎」と言われたが近頃では「C型肝炎」などと言ってまるで、「不治の病」のように言われている。発熱と黄胆がひどくなっての入院となった。
(「人間像」第137号/編集後記)

針山さんの人生三度目の闘病生活が始まりました。今号の小説『湖畔の一夜』は、作家としての針山さんの実質的最後の作品といってもいいでしょう。これ以後の針山さんは通院・入院治療に入りこみ、薬の副作用もあってどんどん気力の減退に見舞われて行きます。また、同人たちの相次ぐ訃報も気力を削ぐ原因になったでしょう。
三年後の「人間像」に突発的に『白の点景』という作品が発表されます。これが針山和美最後の小説作品ですが、これは七冊目の単行本『白の点景』のために残った気力を振り絞って書かれたもので、なにか、『湖畔の一夜』まで毎号のように発表し続けた精力的な針山作品群とは趣を異にしていると感じます。もう針山さんの小説を読めないんだ…と思うととても悲しい2025年の夏です。

 
▼ 遙かなる道  
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:24  No.1218
  .jpg / 28.5KB

 小説を書き始めてから、一冊の本を出したい、という願望があった。いままでに書いた物は、百二十枚から十七枚ぐらいの物で、これを集めれば作品集にはなるだろうが、夢は長編であった。
 長編は一歩誤れば愚作になる可能性があると信じていた。それだけに恐ろしく書けなかった。しかし、書きたいという欲望から推考中の二編のうち、資料のあるこのテーマを今回まとめてみた。
 初めは創作のつもりで書き始めたのだが、寺の縁起が欠かせない部分になった。それでまずお断わりするのだが、この本は単なる西国三十三ヶ所霊場札所の「巡礼案内記」ではなく、著者の希望としては、狂信的に流行った巡礼の一時期が過ぎた頃を、古寺参りの最後として、巡礼者は何を求めて歩くのかを知りたくなって、霊場札所の寺参りをした。その活写をフィクションを交えて構成した物語がこの本である。(著者あとがきより)

内田保夫さんの初の単行本。


▼ 八木義徳先生積丹遊覧記   [RES]
  あらや   ..2025/07/04(金) 17:50  No.1202
  .jpg / 55.9KB

八木 なるほどね。で、針田君はおくさんとはいつ知り合ったの?
針田 ゴミ・ステーションから、一升ビンひろってるリヤカー時代。
八木 ウーン、それはよかったねえ。
針田 どん底のときです。
八木 実生活の一番苦しいとき、めぐり会えたのはいいことだなあ。はみだした人生、それが文学の美くしさにつながるものねえ。
(針田和明「八木義徳先生を迎えて 積丹遊覧記」)

ついに「同通」に手を出してしまった。これが吉と出るか凶と出るか、しばらく様子を見てみたい。いつもの「人間像」とは相当異なります。でも、出した以上は多くの人に読んでもらいたいとも思っています。感想をお聞かせください。生きている時の、小説をばりばり書いていた頃の針田さんの声が聞こえて来て私は泣きそうになった。この『遊覧記』に登場する人たち、もう誰もいないんだもんなあ。


 
▼ 月刊さっぽろ  
  あらや   ..2025/07/14(月) 11:04  No.1206
  「月刊さっぽろ」の方はなんとかなりそうです。道立図書館の蔵書検索で〈雑誌〉〈詳細検索〉で〈針田和明〉を引くと17作品がヒットしました。追悼号の年譜で紹介されているかなりの作品をカバーできそうです。
詳細検索、面白いので〈佐藤瑜璃〉で試すと「該当作品なし」の表示。〈村上英治〉で引くと『北浜運河』6回分の表示が出て来ました。(『北浜運河』の連載は全24回) どういうことなのかな…と最初は解らなかったのですが、〈古宇伸太郎〉〈福島昭午〉を引いてみてやっと気がつきました。これは道立図書館の「札幌」偏重ですね。つまり「月刊さっぽろ」については雑誌の中の全作品データを採るが、「月刊おたる」については重要と思われるデータを一つだけ付記する…ということですね。「北方文芸」は全データを採るが、「人間像」は無視ということなんです。そんなに「札幌」が有難いのか…と思う。一応「北海道」を名乗っている図書館なのだから「北海道」全部をやるべきなのではないだろうか。「人間像」のデータなら私は無償で提供しますよ。同じような気持ちを持っている人は全道各地にいると思う。そんなに難しい仕事じゃない。

 
▼ 笑って過ごそう 一月  
  あらや   ..2025/07/14(月) 11:10  No.1207
  .jpg / 60.9KB

 ある作家から聞いた話だが、ノーベル文学賞作家である川端康成の奥さんが『「雪国」の駒子にだけはシットしました。他の女性には別にこれといって感じませんでしたが……』と語っていたという。女の嫉妬心は男が「あっ」と驚くところにまで発揮されるものである。
(針田和明「笑って過ごそう 一月」)

金曜日に「まだ雑誌が届かない」と書いたら、その日の午後に連絡がありました。で、土曜の朝一で図書館に行って、昨日人間像ライブラリーにアップしたところです。残念なことに「月刊さっぽろ」に連載された昭和52年新年号から昭和53年3月号の巻頭言は全巻揃いではありません。届いたのはバラの「月刊さっぽろ」でした。合綴してある「月刊さっぽろ」は相互貸借には出さないのかな。

『積丹遊覧記』を収録しておいてよかった! 針田さん、さっそくこのネタを使ってますね。

 
▼ 素描 浜益に咲く野の花  
  あらや   ..2025/08/01(金) 10:07  No.1212
  .jpg / 56.0KB

 紫の目立たない花をつけ、シャキッと襟を正したクロバナヒキオコシ、それとは逆に紫色のたくさんの花をつけて虫を呼びよせようともくろんでいるエゾトリカブト、造形の美は自分にかなうものはいないと自負しているツルニンジン、淡い紫色の花群が同一方向にすきまもなく並んでいるナギナタコウジュ、淡緑色の葉がひ弱さと清楚さとをあわせもっているようにみえるミヤマニガウリ、あずき色の小さな星座をつくっているエゾクロクモソウ、浩平はそれら一つ一つの野の花をじっくりと観察しながら林道を奥へ奥へと進んでいった。
(針田和明「吾木香」)

スケッチ画が存在していることは『吾木香』などの作品で想像していましたが、こんな牧野富太郎風のものだとは思いませんでした。針田和明作品年譜によって「ネットワーキング浜益」という手がかりを得たのはいいが道立図書館も文学館も所蔵していない。「浜益」なので市町村合併した石狩市の図書館なら持っていないか…と検索したら、案の定、あった。7月29日朝、「月刊さっぽろ」の残りの分を閲覧した後、その足で石狩市民図書館へ。石狩って人増えたなあ… ごちゃごちゃ建物が密集していて、いつも目印にしている市役所を通り過ごしてしまったよ。「ネットワーキング浜益」、タウン誌みたいな造りを想像していたら、実物はA3サイズ二つ折りの一枚ものでした。合綴版からコピーをとっていますので幾分画像が鮮明だと思います。


▼ 「人間像」第136号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/07/08(火) 09:35  No.1203
  .jpg / 53.6KB

現在、針田和明さんの「人間像」以外の作品収集を続けていますが、その作業には時間がかかります。図書館や文学館にその所在を確認しても、その資料を市立小樽図書館に送ってくれるかどうかは相手館の判断によりますし、もしそうでなければこちらで足を運ばなければならない。その間、ぼつりぼつりと時間が空くので…
「人間像」第136号(200ページ)作業を同時進行することにしました。第136号の作品群は、土肥純光『影絵の男達』、佐々木徳次『波濤』、葛西庸三『学校・「校務補」群像』、丸本明子『川蝉』、内田保夫『またも、また』、春山文雄『夫の裁判』、いつもの連載ものの後に針田和明『病床日記』の第2回が続きます。


 
▼ 影絵の男達  
  あらや   ..2025/07/08(火) 09:39  No.1204
   私鉄の踏切では、絶えず警報機が鳴り続けていた。朝夕の混雑する時間帯になると、いつもこんな風だった。沿線の開発によって住宅がふえ、通勤客で車輛が膨れあがるようになるにつれ、急行や特急の増発が電車ダイヤに組み込まれていって、いまのように電車の通行量がふえてしまったのだ。おかけで朝夕は踏切の空くひまもないくらいなのだ。以前には遮断機が開閉するのにも、もっとゆとりがあったように思われたが、この私鉄沿線も、近頃はずいぶん発展したものだ。
(土肥純光「影絵の男達」)

土肥さんの作品を取りあげるの、これが初めてではなかろうか。古くからの同人なのだけど、才気走った朽木さんや千田さんたちの陰で地味な小品を書き続けている人…というイメージがありました。最近の作は徐々にその文章量を増し、針山さんくらいの読み応えになってきています。私がいい作品だなと重視するのは、小説の中の時間の流れがゆったりと正確なことなのです。それで針山さんの作品を好むのですが、この『影絵の男達』にはそれと同じ安定を感じました。第136号の先頭にこの作品を持ってきた針山さんの笑顔が見えるようだ。

 
▼ 波濤  
  あらや   ..2025/07/11(金) 08:50  No.1205
   夜半から風が出はじめ、未明にはすっかり海が時化てきて、磯を洗う波音が騒々しくなってきた。
 これなら漁師も出漁を見合すだろうから、久しぶりに実家に帰ろうと思いながら、敬次郎はまたうとうとした。
 このところ漁が続き、運び込まれた鮮魚を加工別に仕分けて女子衆にたのみ、自分も庖丁を持って背割り、腹割りを手伝ったりして、目のまわるような忙しさだったから、とても舅に話をきり出す暇とてなかった。
(佐々木徳次「波濤」)

土曜日に資料を申し込んだのにまだ図書館に届かない。どうなってるんだろう。待ってる間に『波濤』仕上っちゃいました。これ、村上英治さん?と一瞬迷うような佐々木徳次さんの時代小説ではあります。前の土肥さんもそうだけど、関東の私鉄沿線や島根の唐鐘浦の話が札幌の同人雑誌に載るというのが「人間像」の大きな特徴なんです。この特徴が戦後間もない時代から延々と続いて今に至る…というところに「人間像」の価値があると思ってます。さあ次、久しぶりの葛西庸三さんに行ってみよう。

 
▼ 夫の裁判  
  あらや   ..2025/07/17(木) 14:37  No.1208
   ある小都市の地方裁判所である。赤煉瓦が今にも崩れそうに見えた。葉山楓美は薄暗い玄関で傍聴の事務的な手続きを終えた。ほかに傍聴人などいなければと願った。
(春山文雄「夫の裁判」)

針田和明調査が一段落したので、また第136号作業に戻っています。先ほど、春山文雄『夫の裁判』を人間像ライブラリーにアップしたところです。葛西庸三さんの『学校「公務補」群像』、面白かった。葛西さんには以前「京極文芸」に発表した『校長群像』という作品があり、おそらくはそれと対をなす作品であるのですが、なんとその二作品の間には二十年の時間の隔たりがあるというんですから私などは驚いてしまう。さて次、私の愛読する『おんせん万華鏡』に行こう。

 
▼ れぶんの風に  
  あらや   ..2025/07/18(金) 17:41  No.1209
   明日の午前十時半の出航までは時間があった。私は旅館で着替えた後、夕暮までにハイヤーで島のなかを廻ってみるつもりであった。突然肩を叩いたものがあった。日焼けした背の高い男が微笑をみせていた。
「しばらくでした、わかりますか」
 藩ち着いた丁寧な言葉であった。見覚えがありそうな顔であった。
「武藤です、武藤雄二です」
「雄ちゃん、そうか雄ちゃんか、どうしてまた」
(金澤欣哉「れぶんの風に」)

『おんせん万華鏡』、今回も凄かった。季節も夏だし、ワープロ作業も、私は話の先が読みたくてのりにのって打ちましたよ。金澤さんの作品にはどこかホラーのテイストがあって、私の好みです。

 
▼ 病床日記 (2)  
  あらや   ..2025/07/25(金) 14:10  No.1210
  .jpg / 13.9KB

 一時三十分、町子から電話。志保を近所の病院へ連れて行って戻ってきたところ、と言っている。熱は三十七度。喉が赤く腫れていて、薬を三日分とトローチを買ってきた、ということだ。志保が風邪をひくのは珍しい。お粥を作って食べさせるといい、と言ったら、そうね、これからお昼に作ってあげるわ、お粥っておいしいものね、と言っている。キヨミ祖母は北郷へ帰ったので二人きり。今日は行けそうもないわ、ごめんなさい。そうするといい、志保頼むよ、と応えた。
(針田和明「病床日記(2)」/11月14日)

この「北郷」というのは札幌市の白石区北郷ですね。町子さんが育った家。針田さんの小説にも度々登場する家です。小説を読んでいていつも思うのだが、なんかこの家、私の実家に物凄く近いんじゃないか… というより、町子さんの家がなくなって、その土地に私の両親が住むマンションが建てられたんじゃないか…ぐらいの近さ。
もう一つ、ここには昔小さな印刷屋があって、ここで私たちの結婚通知兼暑中見舞い葉書を作ってもらったのも思い出だが、この印刷所、土橋芳美さんの『揺らぐ大地』にも登場する新聞『アヌタリアイヌ 我ら人間』の編集事務局があったところなんですね。平村芳美のペンネームで作品を発表していた頃の「日高文芸」を読んでいて知りました。
『病床日記』の大筋とはおよそ関係ないお話ではありました。すみません。第136号作業も残すところ雑記帳の4編のみです。今週中にも逐えます。

 
▼ 「人間像」第136号 後半  
  あらや   ..2025/07/26(土) 17:43  No.1211
  .jpg / 30.7KB

先ほど、「人間像」第136号(200ページ)作業を終了しました。作業時間は「79時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2630作品」になりました。
毎日暑いし、紙は手にべたべたくっつくし、けして快適な作業環境ではないのだけれど、それでも延べ日数が少なくなってきてるのはたぶん新パソコンの作業効率が上がって来ているからでしょう。処理速度が早くて仕事が捗る。ストレス全然ないし。

 検温三十七・七度。体重六十六キロ。外は快晴。
 検温八時、三十七・五度。九時、三十七・一度。十二時、三十七・四度。十時町子から電話。とろとろ眠っていたので長話しせず。十時十分点滴。
 (中略)
 町子が手稲駅近くの郵便局、銀行から戻って来た。二人で詰所前の体重計に乗る。私は六十七キログラム、町子は四十八キログラム。
 六時、夕食、全て食べる。町子の持ってきた鉄火巻も少し食べる。
(針田和明「病床日記(2)」/12月1日)

検温と食事ばかりの日々。こういう記述が『病床日記』全体をびっしりと覆っているのですが、不思議と退屈な感じはないですね。私も淡々と付き合って行くことにしました。前のパソコンで『病床日記』をやるのだったら、相当消耗してただろうなあ。


▼ 「人間像」第135号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/06/04(水) 18:12  No.1195
  .jpg / 23.7KB

「人間像」第135号作業を開始しました。全210ページの内、前半は針田和明追悼特集。同人たちの追悼文に続き、遺稿となった『病床日記』の第1回、『針田和明―枝木順子往復書簡集』、針田和明作品年譜が組まれています。枝木順子氏は『月刊さっぽろ』編集長とのこと。(不勉強で『月刊さっぽろ』という雑誌、知りませんでした…) 作品年譜では針田さんの執筆にも触れられていて、現在、『月刊さっぽろ』調査を検討中です。
第135号後半は通常の作品群。春山文雄『山あいの部落で』、北野広『朝起き教師』、福島昭午『森と記憶と(4)』、朽木寒三『柚木完三の青春日記(3)』、金沢欣哉『おんせん万華鏡(5)』、神坂純『サイパン日記(6)』などの掲載です。

人間像同人会は「人間像」の他に「同人通信」というものを発行しています。「同人通信」は同人・関係者のみに配布され、合評会報告、同人消息、事務連絡などを主な内容としているのですが、正規の「人間像」には見られない同人たちの生き生きとした交流が描かれていて、これはこれで魅力的なのですが、いかんせんガリ版のため復刻するとなるとけっこうな労力がかかります。元々が部外秘でもあり、人間像ライブラリーのラインナップに「同人通信」の作品群を不用意に加えるとライブラリー全体の質が変容するのではないかとも考え、今までは「同人通信」作品は除外していました。ところが今号の作品年譜を見ると、針山さんは『八木義徳先生積丹遊覧記』(「同人通信」第172号)などを針田和明さんの作品として挙げているんですね。うーん、迷ってます。『遊覧記』は私も好きな作品なので。


 
▼ 神も仏もあるものか  
  あらや   ..2025/06/05(木) 16:58  No.1196
   あれは、いつだったか、そう、八木義徳氏の「海明け」の取材で積丹半島にお招きした時が、元気な彼との最初の出会いだったか。私はその時の人懐っこい彼の笑顔や、しぐさを思い出した。
 札幌へ八木義徳氏をお迎えに上がり、途中の余市駅で針山や若干の人達と合流した。同人ではその時、東京から来合わせた上澤祥昭もいた。同人以外では評論家の武井静夫さんもいたが、針田は夫婦であったような気がする。そのことは定かではない。余市、古平をまわり、引き返して裏積丹の泊村のホテルで一泊した。札幌を出るとき八木氏は「福島さん、僕は色紙は書かない主義なんでね、そのことくれぐれも頼みます」と言われていた。
(福島昭午「神も仏もあるものか」)

『八木義徳先生積丹遊覧記』、まだ迷っています。まあ、この第135号が終わる頃までには決着をつけよう。どちらにしても、このおんぼろパソコンでは無理だ。(新パソコンは来週なんです…)

 
▼ 針田和明のこと  
  あらや   ..2025/06/06(金) 12:20  No.1197
   その頃の四、五年が、精神的にも一番充実していた時期であったと思う。滅多に書かなかった内部情報誌『同通』にも沢山の原稿を寄せているし、本誌に載せた作品も百枚前後の気力溢れるものが多かった。愛娘、志保ちゃんの誕生も大きな原動力だったようだ。
 その中の一つに「積丹遊覧記」と言う長文の記録文がある。「八木義徳先生を迎えて」のサブタイトルがあるように、八木さんを迎えて積丹半島に旅行した時の記録であるが、これは大変な労作であった。
(中略)
〈あれは(「積丹遊覧記」のこと)要点だけメモしたのですが、その不連続を連続させるのに苦心――その結果がアレなのですから、もうああいうのはやりたくないと、心底からそう思いました。針山大人殿がひょうひょうとして「頼むよ」と軽くおっしゃったのに対し、こちらもひょうひょうとして「ハイ」と言っちゃった(笑)。だけど、もうあの手には絶対にのらんぞ、死んでものらんからナ!(笑)〉
 冗談めかして書いているが、みんなの会話なども細かな部分まで記録していて、よくもまあ書けたものだと後で感心したものだった。
(針山和美「針田和明のこと」)

やー、迷うなあ。針山さんの追悼文が終わったので、明日から針田和明『病床日記』に入ります。今日は午後から「たるトク検診」。

 
▼ 病床日記  
  あらや   ..2025/06/15(日) 11:08  No.1198
  .jpg / 25.6KB

 8時、祖母に留守をお願いし、三人で出る。志保とは玄関前で別れる。二、三歩行ってから、「シホー」と呼んだが振り返らなかった。
 中島公園を通り、地下鉄に乗る。町子とは大通りで別れる。私は札幌駅前まで乗り、そこからJRへ。
 札幌駅発8時31分。六ッ目の駅が手稲だった。改札口を通って南口から降りず、北口へ向かう通路を通って駅を出ると、大学病院なみの病院がみえる。私の行く所だ。手稲渓仁会病院という。七階建。ベッド数五百ということだ。
(針田和明「病床日記(1)」)

新パソコンに移行中。針田和明『病床日記(1)』と『針田和明―枝木順子往復書簡集』の二本をアップしました。どうして追悼号はインクが薄いのだろう。針山さんの時もそうだった。文字読み取りは旧パソコンで行ったので文字化けが凄かった。まあ、それはこちらで努力すればいいことだからかまわないが、本文に挿し込まれている針田さんのスケッチ画のインクが薄いのは本当に困る。新パソコンの威力をもってしてもこの状態です。残念。

この文章は新パソコンで書いています。書くために日本語ワープロソフトをダウンロードしようとすると、まず、ソフト会社から本人確認が入り一旦メールに戻り暗唱番号を拾って申し込み画面に帰ってこなければならないし、金を払う段になると、今度はクレジット会社の方から本人確認が入りスマホからワンタイムパスワードを拾って画面に戻らなければならない。面倒くせー。なんでこんな世の中になったのだろう。

 
▼ 山あいの部落で  
  あらや   ..2025/06/17(火) 18:32  No.1199
   ココアの香りがここちよく流れる。
「熱いから、火傷しないでね」
 甘い香りを喉に流すと、ゆうべの酒の残り滓がいっしょに流れていった。
「ああ、おいしい」
 早苗が身ぶるいしながらいう。
「良かったら何杯でも作ってあげるわよ」
「一杯でいいの。うちではいつも一杯だけなの。うちのはココアじゃないけれど」
「お母さん、何を作ってくれるの?」
「甘酒なの。あったかで、甘いの。でも……、小父さんが来ると遊びに行って来いっていつもいうの」
「小父さんって?」
「スノーモービルの小父さん。今日も来たから、わたし先生のところへ行って来るって出て来たの」
「スノーモービルの小父さんって、鈴木さん?」
「名前は知らないけれど、いつもお菓子くれるの。でも、大っ嫌い!」
(春山文雄「山あいの部落で」)

「修飾語の少ない、テンポの良い」新スタイルにも大分慣れてきました。これに、原稿用紙75枚くらいのボリュームが加わると完璧な針山ワールドが立ち現れる。堪能しました。それにしても…、五十年前に近い代用教員時代の話が飛び出してくるとは! 恐れ入りました。

 
▼ 森と記憶と  
  あらや   ..2025/06/21(土) 13:58  No.1200
   「なにをぼんやりしてるの」
 と祖母に声をかけられ、我にかえる。
「うん、キノコの精とお話していたの」
「おかしな子。あまり本に夢中にならないで、外で遊びなさい」
「あのね、森にいったらいろいろな妖精が出てくるの」
「森なんかひとりで入ったら、いけないよ」
「どうして」
「どうしてって、森の奥に入ると、違う世界にいっちゃって、もうこの世に戻れないことになるのだからよ」
「違う世界があるの? 行きたいな」
「とんでもない。もう誰にも会えないことになるんだからね」
(福島昭午「森と記憶と(4)」)

どこをどう引用すればいいのかわからなくなった。でも、これまで福島さんが書いてきたすべての話が野幌原始林の森の中で繋がって生きている。二階の窓から見える森、私も見たかったなあ。

 
▼ 「人間像」第135号 後半  
  あらや   ..2025/06/27(金) 16:33  No.1201
  .jpg / 26.5KB

先ほど、「人間像」第135号(210ページ)作業を終了したところです。。作業時間は「84時間/延べ日数22日間」。収録タイトル数は「2607作品」になりました。

作業の途中から新パソコンが入ってきて、処理速度がどーんと遅かった旧パソコンからデータの引っ越しがあり、ソフト類を全部新調したりして結構疲れました。暑いし… バージョンアップって云えるのだろうか。新調したはいいけど、いつも使う機能が消えていたりして結構な混乱です。この人間像ライブラリー作業にはもう一台、主にワープロ作業に使うパソコン(Windous7搭載)があるのですが、ここに残っていた昔のソフトが大活躍した第135号作業ではありました。今後は、新パソコンの処理速度と、昔パソコンの基本動作の合わせ技一本みたいな感じで仕事が進んで行くのかな。

追悼、針田和明。「同人通信」第172号(1977年1月発行)の『八木先生を迎えて 積丹遊覧記』はこの後復刻に入ります。また、時期は未定ですが「月刊さっぽろ」もカバーする予定です。


▼ 「人間像」第134号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/05/16(金) 10:22  No.1188
  .jpg / 21.5KB

昨日、金沢欣哉『峡谷に鎮む』を人間像ライブラリーにアップしました。「人間像」第134号作業、開始です。今号は小説作品が多く、『峡谷に鎮む』の後、佐々木徳次『呉再び』、北野広『炎の舞』、佐藤瑜璃『宵待坂晩秋』、内田保夫『夜は惑う』、丸本明子『立体駐車場』、春山文雄『はじけた光』、福島昭午『森と記憶と』(『記憶』改題)、朽木寒三『柚木完三の青春日記』と続きます。

どうして針山さんは小説に〈春山文雄〉を使い始めたのかな。


 
▼ 峡谷に鎮む  
  あらや   ..2025/05/16(金) 10:27  No.1189
  安易な謎解きや犯人捜しに走らないで、しかし思考の緊張感は最後まで続く…という、じつに極上の味わいでした。〈おんせん〉文学、凄いじゃないか! ただ、これ。

 晩秋の空は広々と晴れ上がって、車内は行楽客が混みあっていた。国鉄B線はF盆地の緩やかな丘陵を縫って走る。丘陵を覆う一面の馬鈴薯畑は取り入れが終わったらしく、掘り起こされた土肌が茶褐色に輝いて見えた。
 列車の左方にはD連峰に連なる唯一の活火山・T岳がゆったりと噴煙を上げていた。村越は約一年前T岳の麓の美沢温泉にいて、朝夕T岳の噴煙を見上げては雄大な自然美に酔い、その日の天候に杞憂してきた。
(金沢欣哉「峡谷に鎮む」)

この表記は直してほしい。なぜ「美沢温泉」だけ実名なの。

 晩秋の空は広々と晴れ上がって、車内は行楽客が混みあっていた。国鉄美瑛線は富良野盆地の緩やかな丘陵を縫って走る。丘陵を覆う一面の馬鈴薯畑は取り入れが終わったらしく、掘り起こされた土肌が茶褐色に輝いて見えた。
 列車の左方には大雪山連峰に連なる唯一の活火山・十勝岳がゆったりと噴煙を上げていた。村越は約一年前十勝岳の麓の美沢温泉にいて、朝夕十勝岳の噴煙を見上げては雄大な自然美に酔い、その日の天候に杞憂してきた。

 
▼ 宵待坂晩秋  
  あらや   ..2025/05/21(水) 12:27  No.1190
   日が暮れたねえ、そろそろ灯をいれようか。めっきり日が短くなって、もうすぐ冬が来るんだねえー。あーあ、今日は朝から、にしん漬のつけ込みで腰が痛いよ、立ち上るのもおっくうだ、わたしもトシだねえ。でもさ、そりゃ大変だけど、うちのにしん漬がうまいって、わざわざこの坂登って来てくれるお客もいるんだからさあ、できるうちはがんばらなくちゃあねえ。
(佐藤瑜璃「宵待坂晩秋」)

と、この語り口で最後まで持って行く…という、昔、千田三四郎さんが一人芝居でやった技ですね。考えたら、この技、佐藤瑜璃さん以外に継承できる人ってあまり思いつかないなあ。針山さんもちがうし、丸本明子さんも似ているようで微妙にちがう。やっぱり佐藤瑜璃さんしかいないような気がする。『宵待坂晩秋』、堪能しました。余韻に浸っていたいけれど、次、行きます。

 
▼ はじけた光  
  あらや   ..2025/05/24(土) 16:46  No.1191
   警笛を鳴らすとバスは大きなエンジン音を響かせて動き始めた。どれほども乗っていないのにいかにも重そうな動きだった。
 一緒に降りた四人の客が二人ずつ左右に別れて去って行った。麻友美は突っ立ったまま十数年ぶりに見る郷里の街並を眺めた。知らない街のように変わっていた。今にも崩れそうだった古い木造の建物が、みんなけばけばしいサイディングの建物に変わっていた。店の看板までが都会並みに派手になっていた。五月の柔らかな西陽が黄色いセロハンを透したように街並を染めていた。人影はなかった。
(春山文雄「はじけた光」)

その五月ももうすぐ終わろうとしている。前号の『オートバイの女』の時にも感じたのだが、針山さんの文体、変わりましたね。良く言えば「修飾語の少ない、テンポの良いもの」ということなのかもしれませんが、私には持久力の衰えのようなものを先に感じてしまいます。変に都会風の登場人物も気になる。

 
▼ 森と記憶と  
  あらや   ..2025/05/26(月) 17:44  No.1192
   宵の雑踏の中で信号待ちをしていた時、隣に並んだ男と視線が合った。(おや?)と思った。どこかで見た顔だ。信号機の発する「通りゃんせ」のメロディの間、誰だったかと考えたが思いつかない。
 次の信号でまた隣の男が私を見た。どうやら私と同じ思いでいるらしいそぶりである。信号三つめで男は、
「失礼ですが、もしや××小学校の……」
「ああ、O君だ」 私は思わず大声を上げた。
(福島昭午「森と記憶と(3)」)

O君の話、もの凄く面白かった。人間像の同人って、自分の少年時代を書かせると異常な力を発揮する印象がありますけどね。昭和のヒト桁世代ですから、少年時代も青年時代も、時代が劇的な変化を遂げたせいかな…とも思うのだけど。針山さんの『三年間』という作品を読むと、その意味がよくわかる。最初の一年間が脇方鉱山への勤労動員。二年目で敗戦。食糧難で今度は援農動員。三年目で旧制中学最後の授業。戦前と戦後の合わせ目みたいな世界をど真ん中で生きてきた世代ですから描く少年時代にも青年時代にも時代の異常な圧がかかっているのだろうと想像します。
そして福島さんの場合は、ここに「父」の存在がプラスされます。『森と記憶と』にも「父」が登場しますが、この「父」は名作『漂流』を書いた古宇伸太郎ですからね。私などは、何気ない父子の会話の場面にも、『漂流』に描かれた古宇伸太郎の少年時代と『森と記憶と』の福島さんの少年時代を完全にオーバーラップして読むことになります。いや、これは、重大な作品かもしれない。
『森と記憶と』は、「人間像」第130号、第132号に発表された『記憶』の改題です。第3回から始まるのはそんな理由です。

 
▼ 針田和明逝く  
  あらや   ..2025/05/31(土) 11:13  No.1193
   前号の「編集雑記」欄に肝臓で入院と書いたばかりの針田和明が、三月九日入院先の病院で亡くなった。満五十二歳に一ヵ月足りない若死だった。昨年九月、職場に割り当てられる人間ドックで検査したところ、肝臓に影があると言うので再検査することになり、「肝臓癌」と判定されたのであった。それまで自覚症状は何もなく、本人にとっても晴天の霹靂であった。ただちに入院し治療となったが、最初から「ガン」と告知されるくらいだから、治癒の見込みがあってのことだろうと話を聞いていたのであった。しかし、後で知ったところによると、すでに三分の一程も腫瘍に侵され手術などの外科的処置は不可能の状態であったらしい。直接患部に投薬する最新の技術を施したが帰らぬ人となった。貴重な仲間を失い呆然自失の体である。急遽次号を「追悼特集」にする予定である。

 
▼ 「人間像」第134号 後半  
  あらや   ..2025/05/31(土) 11:19  No.1194
  「人間像」第134号(150ページ)作業を終了しました。作業時間は「71時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2576作品」になりました。裏表紙は前号と同じ『老春』なので省略します。

人間像ライブラリーの編集用に使っているノートパソコンの処理速度が今年に入ってからどーんと落ちて来て、我慢の限界を超えました。パソコンを買い替えようと思います。150ページに71時間もかかるなんて、やってられない。次号が「針田和明追悼」号とわかった以上、このおんぼろパソコンで対応すると何か思わぬ事故を引き起こしかねない…と思ったのです。

今、その「人間像」第135号の作業準備にかかっているのですが、つい読み耽ってしまってなかなか作業が進みません。もう針田さんの作品を読めないなんて、悲しいです。


▼ 「人間像」第133号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/04/19(土) 18:44  No.1183
  .jpg / 22.8KB

 夜明けが近いのか障子に薄明りが差込む。
 蒲団の温もりの中でぐずぐずとしている。
 六十年前と同じ離れの八畳の部屋に泊まっている。
 南天の枝から、雪の落ちる音がする。
 六十年前も同じ音を聞いた。
(丸本明子「独言」)

本日、丸本明子『独言』、人間像ライブラリーにアップしました。「人間像」作業、再開です。
第133号は、丸本明子『独言』の後、春山文雄『オートバイの女』、北野広『新米教師奮戦記』、葛西庸三『屈折した狭間の中で』、村上英治『高瀬川(二)』と続くのですが、特筆すべきは村上英治さん。第133号170ページの内、80ページが『高瀬川』なんですからね。つい先日まで『北浜運河』をやっていた身としては辛いものが少しだけある。2012年から二十年前にまたタイムスリップして来たようで頭がくらくら。


 
▼ オートバイの女  
  あらや   ..2025/04/21(月) 10:53  No.1184
   ここは閑静な住宅街である。しかも土曜日の早朝で、新聞や牛乳配達の自転車の軋む音が時折するほかは、森としていた。
 弘恵の乗ったオートバイが音を鎮めながら走りだしたのは、ちょうど午前六時である。
 母の時江がひとり見送った。
(春山文雄「オートバイの女」)

久しぶりに老人ものじゃない作品ですね。オートバイの女が出発しました。この作品は後に針山さんの第七創作集『白の点景』に纏められるのですが、この本が創作集としては最後の本になります。これ以後はまるで遺言状みたいな『わが幼少記』とか『ボボロン雑記』があるばかりで、作品を描く力が次第に衰えて行く姿に私はいつも涙するのです。

なぜ針山さんは創作の手を止めて『わが幼少記』を書く気になったのか、少しだけ感じることがあります。この第133号のあと、第135号は「針田和明追悼」、第140号は「白鳥昇追悼」、第141号は「竹内寛追悼」、第144号は「土肥純光追悼」号とかつての同人たちの訃報が続くのです。なにか思うところがあったのではないでしょうか。

 
▼ 高瀬川(二)  
  あらや   ..2025/04/30(水) 18:46  No.1185
   加吉は振れ売りの女の声にうっすらと眠りから覚めた。下肥の臭いがした。田仕事のだんどりを考えながら寝返りをうった。こむらが硬く張っている。
「花いりまへんかあ」
 やわらかい女の声が近くなった。戸外に人の声がしている。加吉は聞くとはなしに耳を澄ました。耳馴れない言葉だった。加吉は跳ね起きた。
 京の朝なのだ。
 宿の天井に水の影が明るくゆれている。加吉は開け放ってある窓から軀をのり出した。
(村上英治「高瀬川(二)」)

と、ここから80ページ、活字びっしりのの高瀬川の流れが始まるわけですね。うー、六日間もかかってしまった… 本日、人間像ライブラリーにアップです。

今、桜と梅が一緒に咲いてます。連休の人混みが終わったら、「彫刻の設計図」展に行ってみよう。雪のない道路はありがたい。

 
▼ サイパン日記 〈五〉  
  あらや   ..2025/05/05(月) 09:29  No.1186
  .jpg / 69.8KB

『高瀬川』を終え、連載ものに入ってます。日高良子『八百字のロマン』、金沢欣哉『おんせん万華鏡』と来て、今、神坂純『サイパン日記』をライブラリーにあげたところです。この後、新連載の朽木寒三『柚木完三の青春日記』に入ります。昭和二十一年の青春ですからね、なかなか興味深い。

第十一 決戦間傷病者ハ後送セザルヲ本旨トス。負傷者ニ対スル最大ノ戦友道ハ速カニ敵ヲ撃滅スルニ在ルヲ銘肝シ、敵撃滅ノ一途ニ邁進スルヲ要ス。戦友ノ看護、付添ハ之ヲ認メズ。戦闘間、衛生部員ハ第一線ニ進出シテ治療ニ任ズベシ。
第十二 戦闘中ノ部隊ノ後退ハ之ヲ許サズ。斥候、伝令、挺進攻撃部隊ノ目的達成後ノ原隊復帰ノミ後方ニ向フ行進ヲ許ス。
(神坂純「サイパン日記」〈五〉)

必要があって、昭和二十年四月二十日付公布の「国土決戦教令」を参照したいと思ったんだけどヤフーの検索などではなかなか原文に辿り着けない。ふと思いついて国立国会図書館のデジタルコレクションを覗いてみたら(利用者登録してあるんです…)、見事にヒットしましたね。デジタルにも良いところはある。添付した画像は神坂純(上澤祥昭)さんが描いたサイパン地図。手描きゆえ、縦横が上手く決まらず往生した。

 
▼ 「人間像」第133号 後半  
  あらや   ..2025/05/08(木) 16:43  No.1187
  本日、「人間像」第133号(170ページ)作業、終了です。作業時間は「71時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は、三月に行った「月刊おたる」調査の採集分を含みますので一気に「2561作品」になっています。裏表紙は前号と同じ『老春』なので省略。

 今年度四冊目「冬季号」と言った所だが、内容は「春爛漫」(?) メンバーも多彩になった。葛西は何十年ぶりの復帰第一作、このハードルを越えれば第二、第三作はスムーズに行くに違いない。村上の長篇が連載三回目となった。エッセイ欄もナンバーを重ね順調に継続されそうで編集の形態が整ったようである。
(「人間像」第133号/編集後記)

なによりも針山作品が毎号読めることが嬉しい。

☆しかし、嬉しいニュースばかりでもない。佐藤瑜璃が骨折で長い間入院してやっと退院したと思ったら、今度は針田が肝臓で入院治療と言うことになった。かなり長い闘病生活になりそうだ。じっとベッドに臥していると、書きたいことが欝積してくるだろうから、病いを福となして書いて欲しいものである。
(「人間像」第133号/編集雑記)

第134号へ急ぎます。


▼ 水天宮よ   [RES]
  あらや   ..2025/04/14(月) 10:43  No.1175
  .jpg / 32.4KB

 外人坂は水天宮の境内からいきなり海へ転がり落ちるような石段で、坂というより段崖だった。いまは埋められて相生町だが多喜二の頃よりそう遠くない小樽は、水天宮の裾を日本海の潮があらっていたという。
 啄木の歌碑が境内で海に背を向けていた。小樽の街を啄木は哀しいと歌っている。そう私も思う。哀しみはこの街がいとしくて止まない、その果にある説明のしようがない情感なのだ。
 雪あかりの路、という処女詩集を抱き中学の教師をやりながら上京の機をうかがう伊藤整が、隣室の料理人夫婦の夜のこえに男女の何たるかを思索しながら、男としての自分に懊悩したのも水天宮のどこか斜面にある下宿屋だった。
(村上英治「水天宮よ」/「月刊おたる」2008年10月号)

村上さんが初めて「月刊おたる」に書いた作品冒頭です。私たちは「人間像」で慣れているから驚かないけれど、初めて村上作品を読んだ小樽人は愕然としたでしょうね。この蘊蓄、ただ者じゃない! そうです、啄木、伊藤整と来たら、次はこの技。


 
▼ 水天宮よ 再び  
  あらや   ..2025/04/14(月) 10:52  No.1176
   「僕の本棚にタキちゃんが読みたくなる本はあまりないねぇ。街の書店に読みたいものがあれば手紙のときに書いてくれると、僕はどこの書店にも出入りしているから届けてあげるよ。それに短歌のこともあまり考えすぎず、啄木のまねでいいからどんどん作ってみることだよ。僕はあまり短歌はやらないが、小説と同じようなものだから出来たらみてあげるよ」
 水天宮のベンチに坐って海を見つめているタキの淋しそうな横顔へ多喜二は言った。余市実科高等女学校で、ノラとモダンガールに就いて、という演題でイプセンを講演したときの女学生たちの表情や、ついでに余市の港を歩いて来た話などをしての別れぎわだった。
「だめかもわからない」 細い声でいうとタキは顔をふせた。「なにが、啄木のことかい――」 タキは黙って見つめ返してきた。
(村上英治「水天宮よ」/「月刊おたる」2008年10月号)

あそこで呑んだ酒…とか、私の好きな風景…とか、そんな文章が並ぶタウン誌の中でこの文章は異様です。でも、魅力はある。私は、この時の衝撃が2010年10月から連載が始まる『北浜運河』に繋がって行ったと思います。

 
▼ 北浜運河  
  あらや   ..2025/04/14(月) 10:57  No.1177
  .jpg / 46.1KB

 我は部下を率い大海を渡り戦い、この洞窟に入りたり――

 ナガサキヤ2Fの人工公園めいた休息の空間、その壁に手宮の古代文字が褐色に刻まれている。公園のベンチに憩っている静かな老人たち。白い頭と青白いくすんだ頬をみると、津田は雪もよいのただよう灰色のコンクリート団地、その狭間にあるどこか北欧のベンチだけを並べた、小公園を思う。
 古代文字の前で津田はいつも佇む。
 少年のときからその訳文は風化していない。読めない文字だといっても、意味を持たない、たとえ落書といわれても少年に摺り込まれた古代文字は、未知の人に何かの啓示として訳されたものかも知れないのだ。そんな思い入れがあるからだった。
 港町で暮す日常の食物や衣類などがフロアにあふれていた。地階でオレンジを買いナガサキヤを出た津田は、天へ思わず目を放った。背から小樽駅を抱いている山の向う、深い空が限りなく透明に夕焼けていた。
 その天へ入っていくように、仄ぐらく軒を重ねた家並の船見坂を上りながら振り返ると、第三埠頭に碇泊している白いフェリーが夕陽に染まっていた。
(村上英治「北浜運河」第一回/「月刊おたる」2010年10月号)

手宮文字か。始まりはオーソドックスな、小樽人が喜びそうな小説だったのだが…

 
▼ 小説は消耗品ではない  
  あらや   ..2025/04/14(月) 11:04  No.1178
  .jpg / 45.1KB

米谷 本離れ活字離れが言われていますが。
村上 メディアが勝手に決めつけていることで、現在は表現発表のシステムが多様になり、むしろオタメ本ばかりじゃなく、文芸書のたぐいは洪水のごとくあふれております。
米谷 とくに少年少女の文学もどき、小説以前の作品です。それが芥川賞をいただくのだから、文学の価値というのもわからなくなってきました。
村上 家計簿や日記でないだけいいんじゃないですか。読者は選択眼をもっておりますから、すぐに結果がでますよ。

なに幼稚なこと聞いてるんだか…

米谷 その小樽中毒みたいな村上さんの心情が北浜運河の密度を高めてゆくことでしょう。全国からいろんな便りがよせられています。みんなこの土地で生れ育った方々。そしては一時この地につとめた事のある方たちです。
村上 なんだかあおられて緊張してしまいます。
米谷 で後半から読み出す読者のために、次号か、次の号にこれまでのあらすじをのせてください。当初からの読者もまたふり返って、ああ、あの場面はそんな意味と展開のあやの仕掛けと気がつくはずです。
村上 それはすぐに書けますが、米谷さんも物書、それも短詩形の詩。そしてほとんどが海の詩ですね。毎年潮まつりを楽しんで来ていますが小樽を単なるご当地ソングでない。立派な歌詞に仕上げています。勢いがあっていい。
米谷 なんだそれってよいしょか。
村上 ヨイショで喜ぶような単純な男ですかあなたは。

単純な男だと言ってるんですよ。『北浜運河』もだんだん村上さんの小樽蘊蓄が重くなって来て、「人間像」で連載していた『海に棲む蛍』話題までが登場するに及んで、編集部も音をあげたのではないだろうか。『前回までのあらすじ』というのが連載第十五回(「月刊おたる」2011年12月号)に付いているんだけど、これ、村上さんに書かせていたんですね。横着な連中だな。

 
▼ 前回までのあらすじ  
  あらや   ..2025/04/14(月) 11:08  No.1179
   朝から魚を食べ猫をかいたい――
 船見坂に部屋をみつけ、札幌から移住したのは少年のとき、神だったというミカドから亡国を告げられたとき、浮んだのぞみだった。
 結果としてその望みは、妻にまかせていたことに、自分だけに残された時間の中で気づいたからだった。
 本能みたいに夫の食卓に、乏しいサラリーなのに旅館みたいに朝から、妻は魚をつけ続けた。
 もうそうしなくていいと言われても、知らずに魚をつけてしまうの、という妻の何かを見つめる微笑が津田は切なかった。
 そんな妻に単身赴任だといって、津田は船見坂に住んだ。
 留守宅には、魚にまったく気のない猫が妻により添っていた。
 この国来し方の歴史と、潮まつりと多喜二へのどこか共通するもの悲しい情念を、船見坂に住んで見つめてみたい、ということもあってのことだった。
 そのあいだに、夫への後天的な本能を妻には薄めてもらいたい思いもあった。
(「月刊おたる」2011年12月号)

 
▼ 父・流人の思い出  
  あらや   ..2025/04/14(月) 11:13  No.1180
  人間像ライブラリーに『北浜運河』のファイルをあげている時、四月上旬頃は〈村上英治〉の項目に、

 北浜運河 (第一回)
 北浜運河 (第二回)
 北浜運河 (第三回)
 …………

という感じでずらずらと並べていたのです。でも、さすがに24回分が並ぶとウットーしい。他の村上作品が探しにくくなる。それで、24回分が揃った時点で、一括ファイルに切り替えました。これでかなり見やすくなった。これが第一段階。
目次を作成しているエクセル上には24回分のフォーマットがまだ残っています。パソコンだからサーッと消すのは簡単。でも、せっかく作ったのにもったいない。そこで思いついたのが佐藤瑜璃さんの『父・流人の思い出』です。これは『北浜運河』とは逆に最初から一括ファイルで作っていたものなのですが、すごく評判が悪かった。沼田流人研究の重要資料なのに、一括にしてあるためにどこに何が書かれているのか探しづらいという声が多かったのです。で、これはいいチャンスではないか…となった次第です。これが第二段階。
結果は良好。(と思いたい…) 〈佐藤瑜璃〉の項目をぜひご覧ください。佐藤瑜璃さんという人がどういう人か一目でわかるようになりました。(と思いたい…) 私は毎日行って見とれています。

 
▼ 北浜運河を終えて ある詩人の死  
  あらや   ..2025/04/14(月) 11:19  No.1181
  .jpg / 39.3KB

 多喜二の死が特高の拷問を利用した自殺ではなかったのか――多喜二まんだら という作品を同人誌に発表した儀礼のように、小樽文学館と―月刊おたる へ送付したことが詩人との気運になり
 水天宮よ―というエッセイを書いた。
 そのときは未だ発行人が名の知れた詩人であることを知らなかった。
 そうして何の前ぶれもなく―月刊おたる への連載を依頼する電話があったのだ。
 同人誌とちがい、不特定な読者の多いタウン誌の二年連載は小説の構成も月々の原稿数も、全く異なる未知のものなのでお断りをした。
(村上英治「北浜運河を終えて ある詩人の死」/「月刊おたる」2013年3月号)

「詩人」という言葉、違和感あるなあ。

 
▼ 「月刊おたる」600号特集  
  あらや   ..2025/04/14(月) 11:29  No.1182
  .jpg / 37.0KB

佐藤瑜璃さんが亡くなる2015〜2016年頃までをチェックし終えました。ちょうどこの頃は「月刊おたる」が600号(2014年6月号)を迎える時期とも重なっていましたので貴重な資料がいくつか発表されています。そのうち、4月号(598号)の「題字と表紙絵」作者の全リスト、7月号(601号)の「連載小説と掌篇小説」の全リストはコピーを取って保存してあります。あとは「月刊おたる」に対するヨイショの類だから読み飛ばした。
1964年7月の創刊号から2016年12月号(630号)まで、館内閲覧のみの利用だったり、この時期の小樽ではマストの雪割り作業と重なったりで一ヶ月ほどの結構な時間がかかりました。気がつけば四月… さて、久しぶりに1992年の「人間像」に戻らなくては。


▼ 終りのない夢   [RES]
  あらや   ..2025/03/24(月) 17:55  No.1170
  .jpg / 34.2KB

大人になったら喫茶店をしようと思った。
 (中略)
ある日、決心し友達に話してみた。意外にも男友達は「いいんでないか、似合うかも…」といい、女友達は「あんたならできそう…」と真面目な顔で言った。有頂天になった私は父にも言ってみた、「わっはっはあ、このブスのじゃじゃ馬がぁ、金も無いくせに、見ろこう言っただけでふくれっ面だ。喫茶店などはお客さんに何を言われても愛想よく笑っていなきゃならんのだ、お前にできるもんか、ひっひっひ」 父は一笑に附され、母には叱られて私は、地方官庁の事務員になってしまった。
(佐藤瑜璃「終りのない夢」)

「月刊おたる」という場を得て、書き慣れるにつれてもの凄く重要なことを語り出していると思う。小樽の人間は小林多喜二が大事で沼田流人なんか知らないから、こういう貴重な発言に誰も気がつかないのだろう。


 
▼ 雪明りの街  
  あらや   ..2025/03/24(月) 18:01  No.1171
  .jpg / 32.8KB

若くして病死した私の母は戦時中、収入のとだえた父に変って一家を支えるため働きづくめだった。母は秋田の出身で、女学校一年までは秋田で裕福に育ったとのこと、味噌製造業を営んでいた父親が事業に失敗して家と工場を失い、一家は北海道の農村に開拓者として入植した。母は女学校をやめ仲よしの友達とも別れ、見知らぬ雪国へ来て故里を思い、毎日泣いていたとのこと。しかし年月の流れと共にのどかな田舎暮しにも馴れ、家は農業に成功し、母は裁縫や茶華道のお稽古事もできるようになって楽しい青春の日をおくり、十八才の若さで父とめぐり合い恋をし、愛されて結婚した。その後母の実家はさらに新天地を求め、再び一家をあげて樺太へ移住し、小さいけれど木工場を営んだ。北海道に残った母のもとには両親や弟妹から頻繁に良い便りと高価な毛皮製品や食品等が送られてきて、経営が良好であるらしかった。しかし数年後母の両親は他界し、日本は戦争に敗け樺太はロシア領になって弟妹が悲惨な引揚者となって、長女である母のもとを頼って来た。終戦後は食糧、物資が不足して人々は苦しい生活をしいられていた、そんな社会情勢の中で母は結構逞しく、突然、行商人となった。その頃流行した「闇屋」である。
(佐藤瑜璃「雪明りの街」)

マツヱさんのイメージもずいぶん変わりました。それにしても、さすが物書き、この『雪明りの街』は本当に名文ですね。戦後の小樽の街が頭の中にぶわーっと拡がって、孤独感と幸福感に身体が包まれました。

 
▼ 懐想文学散歩  
  あらや   ..2025/03/24(月) 18:06  No.1172
  .jpg / 36.1KB

 私が再び「本」を手にしたのは、小樽に嫁いで専業主婦となり時間に余裕ができた頃で、結婚の時、父が嫁入道具≠フ中に入れてくれた数冊の本だった。「読書は心を養い、生きる力になり、痛みを癒やしてくれる。」と、父のメモが挟んであった。
 (中略)
 後年、札幌へ移り住んで文通を始めた小樽の知人から、「手紙文がおもしろいのでエッセーを書いてみては?」と手紙をもらい、全く自信はなかったけれど思いきって文芸誌に応募してみると思いがけなく入選した、嬉しくなって何度か出しているうちに編集部の人から「小説を書いてみてわ?」と言われて投稿してみると、また思いがけなく佳作入選した。
 やがて息子が成人して巣立って行き時間に余裕ができると、一度味わった感激は新鮮なまま脳裏にあって、再びペンを執るようになった。
(佐藤瑜璃「懐想文学散歩」)

父や母のこと。そして娘である私のこと。もう自在に書きたいことを書く作家になっていますね。この『懐想文学散歩』は「月刊おたる」2004年2月号に載ったものです。佐藤瑜璃さんが爆発的に小説を書いていたのは1990〜92年頃ですから、もう十年の歳月が流れている。「人間像」みたいな作品発表の第一線からは退いて、大好きな小樽の「月刊おたる」に落ち着いたエッセイを書く作家に変化して行ったように感じます。でも、「月刊おたる」があってよかった。沼田流人という人を正しく知りたいと思う私には宝の山です。百年経って、ようやく流人から返事が来はじめた…という想いです。

 
▼ 雪明りの街 再び  
  あらや   ..2025/04/13(日) 17:12  No.1173
  母と屋台のおじさんは「戦争が終ってよかった、子供達に白米の御飯を食べさせられるのが嬉しい」と笑顔で話し合っていた。そこへ兵隊さんの帽子をポケットにねじこみながら一人のおじさんが来て椅子に座った。屋台のおじさんが笑顔で「まいど」と言いながらコップ酒をさし出した。二人は「小樽の街も活気をおびてきたね」と楽しそうに話して、「こんなきれいな着物を着たご婦人もみかけるようになったもの」などと言いながら母を見た。それから私を見て「可愛いな、年はいくつ?」ときいた。戦時中、わたしの周囲にいた軍国日本のおじさん達に比べてみて、ひどくめずらしい表情も言葉もとてもやさしかった。母はいつも「女の子は知らない人と気安すく話してはいけないよ」と言っていたので、私は母の顔をチラと見ると、母は微笑を浮べておじさんを見ていたので安心し、「おじさんは兵隊さんですか」とポケットにねじこんだ帽子を見ながら聞いた、「いや、もう兵隊なんかじゃないよ」と言いながら私の頭を撫でた。母は樺太の弟妹が引揚者になったので闇屋をした事、今は古着の行商をしている事など何人にも話さなかった事を話し、おじさんも復員してみると東京の家族は空襲でひどいめにあっていて、営んでいた書店も焼失して両親と兄弟ともバラバラになり、今は妻の実家にお世話になっている、とりあえず余市からリンゴの行商をしているけれど、近いうち必ず書店を復活すると静かな声で言い「小樽の人はいい人ばかりだ」と話した。
(佐藤瑜璃「雪明りの街」)

いやー、歴史的名文。この、母を語る名文を最後に佐藤瑜璃さんは「月刊おたる」を去って行ったんですね。なぜ書かなくなったのか、私には少しだけわかるような気がする。たぶん、世代交代。この時代なら私も小樽に移住してきています。要するに「戦争が終ってよかった」などという感情を理解しないパープリンが雪明りの街を跋扈するようになって来たのでしょう。

 
▼ 「月刊おたる」佐藤瑜璃作品リスト  
  あらや   ..2025/04/13(日) 17:24  No.1174
  幼なじみ 「月刊おたる」1991年6月号(通巻324号)
曲線組曲 「月刊おたる」1992年8月号(通巻338号)
小樽色 「月刊おたる」1994年2月号(通巻356号)
港の赤電話 「月刊おたる」1994年12月号(通巻366号)
海を見ていたお地蔵さん 「月刊おたる」1996年2月号(通巻380号)
ジョナさんは小樽の港へ帰った 「月刊おたる」1996年6月号(通巻384号)
ふるさと 「月刊おたる」1997年4月号(通巻406号)
幻想旅行 「月刊おたる」1999年9月号(通巻423号)
時の流れの忘れもの 「月刊おたる」2000年9月号(通巻435号)
風前のともし灯 「月刊おたる」2001年8月号(通巻446号)
終りのない夢 「月刊おたる」2003年新年号(通巻463号)
懐想文学散歩 「月刊おたる」2004年2月号(通巻476号)
雪明かりの街 「月刊おたる」2005年10月号(通巻496号)

※ 市立小樽図書館が所蔵する「月刊おたる」には欠号が何冊かあり、佐藤瑜璃さんの年代で言えば、1990年10月号(316)、1990年12月号(318)、1997年3月号(393)、1998年5月号(407)、1999年10月号(424)〜12月号(426)、2004年5月号(479)、2006年4月号(514)は未確認です。


▼ 幼なじみ   [RES]
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:17  No.1165
  .jpg / 9.2KB

 あの夜の事は今も鮮明に憶えている。
もう三十年も昔の事とは思えないほど、思い出す度に私の胸はときめくのである。
 星のきれいな、水天宮の祭りの宵であった。金魚すくいや、わた飴の出店がジグザグと並び人波が坂道を埋めていた。娘ざかりだった私は、友人達と仕立おろしのワンピースを着て、少しばかりビールなどを呑んで、そぞろ歩いていた。私は、近郊の町の家へ帰る最終列車の時刻を気にしながら、花園町へぬける陸橋にさしかかった時、紅いジャンパーを着た青年とその連れらしいハデな服装をしたガラのよくない一団とすれちがった、私は咄嗟に、紅いジャンパーの彼が仲よしだった幼なじみのKちゃんである事に気づいた。
(佐藤瑜璃「幼なじみ」)

小樽のタウン誌「月刊おたる」の調査を二月頃から再開しています。佐藤瑜璃さんや村上英治さんが書いている…ということは前から知らされていたのですが、その二人以外にも「人間像」同人が書いているかもしれず、また、私自身、小樽の街の歩みを確認したい思いもあって1965年7月の創刊号以来の悉皆調査を去年から始めていたのです。何度かの中断を経て、この三月時点では「2001年(平成13年)」のところまで来ています。
佐藤瑜璃さんと「月刊おたる」の関係もわかってきました。「月刊おたる」は300号に到達した1989年あたりで「月刊おたる文学賞」を始めます。文学賞は最初は小説部門と随筆部門に分かれていたのですが、小説部門の応募が振るわず、翌年には「月刊おたる随筆賞」に一本化されます。紹介した佐藤瑜璃さんの『幼なじみ』は1991年の随筆賞の優秀作なのでした。佐藤瑜璃さんの「月刊おたる」でのデビュー作です。


 
▼ 曲線組曲  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:24  No.1166
  .jpg / 10.7KB

 曲りくねった野道を、一人でゆっくりと歩るくのが好き。とくに新婚生活をおくった若竹町二七番地の銀鱗荘へ通ずる曲線の坂道が好きだった、歩るくというより辿るといったムードが私をひきつけた。まだアスファルトでなかった雨あがりの道に青空や赤トンボや白い雲が写っている水たまりがあったり、見過していた雑草が意外と可愛い花を咲かせていたりした。その道で私は、突然眼下に広がった光る海を眺めて「ヤー、チャイカ」と呟いてカモメになったり、真赤に燃えながら海に沈む夕陽に向っでギンギンギラギラと唄って少女になったりした、独り歩るきのダイゴミである。
(佐藤瑜璃「曲線組曲」)

この『曲線組曲』は翌1992年の随筆賞佳作に選ばれました。二年続けての受賞であり、そしてこの頃はすでに「人間像」同人として『セピア色の薔薇』のような意欲作をばんばん発表していた時ですから、月刊おたる社の方でも注目していたのではないでしょうか。随筆賞とは関係なく、1994年2月号の『小樽色』や1996年2月号の『海を見ていたお地蔵さん』のように月刊おたるの方から原稿依頼が来るようにもなっています。
作品をお読みになれば気がつかれると思いますが、佐藤瑜璃さんの句読点の使い方は独特です。私のワープロ打ち間違いと思われる方もいらっしゃるでしょうが、そうではありません。原文の句読点を忠実に再現しています。

 
▼ 港の赤電話  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:29  No.1167
  .jpg / 7.5KB

 青い蛍光色の空の下に秋桜のゆれる昼下り、高一だった私が帰宅すると、母が新品の黒足袋のとじ糸を前歯でかみ切り、パンパンと、いせいよくたたいて父にわたしていた。
 父は、よそゆきのついの大島を着流しで、めずらしく母の鏡台をのぞきこんで、長い頭髪を手でなでつけていた。
「どこへ行くのっ」 突っ立ったまま私は少し興奮して聞いた。父は鏡の中から私に言った、「本屋だ、おまえも行くか?」、「いいの?」と私は母の顔を見た、母は笑いながら、「そんなに目ン玉丸くしなくたって行っといで、行きたいんだろ」と言った。私はカバンを放り出して、「ワーイ」と言いながら玄関へもどって靴を履いた。母は、「帰りは夜になるからねえ」と言いながら私のベビーダンスから赤いタータンチェックの衿巻をとり出して投げてよこした。父にもラクダの衿巻をかけながら、「カビのはえたような本のどこがいいんだか無学なわたしにゃわかんないけどねえ、今に父さんの本棚は古くさい本ばかりで雑品屋の倉庫のようになるんでないの」と笑った。父も笑いながら、「じゃ行くか」と下駄をはいた。
(佐藤瑜璃「港の赤電話」)

1994年の随筆賞佳作です。「人間像」発表の作品群と「月刊おたる」発表の作品群が大きくちがうのは「月刊おたる」では瑜璃さんの身のまわりの人々がばんばん登場することでしょう。こういうところは随筆形式の良さ。沼田家の様子が覗えて楽しい。

 
▼ ジョナさんは小樽の港へ帰った  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:33  No.1168
  .jpg / 9.8KB

 八十五才になったジョナさんは、真夜中とか、ひどい早朝など、一日数回も電話をかけてよこすようになった。「わたしの財布が無くなった」「どろぼうが入ったらしい」。そのたび息子が車をとばしてかけつける、「もう一人ぐらしは無理だよおばあちゃん」と言えば、「なにいってんだ、まだ若いもんにゃ負けないよ、わたしゃあ」と私達をにらんで言った。そしてきまって「札幌へなんか行かないよ」と言った。
(佐藤瑜璃「ジョナさんは小樽の港へ帰った」)

うーん、凄い。『セピア色の薔薇』のモチーフがこんなところにあったとは。

「月刊おたる」は館内閲覧のみの扱いなので調査には毎日市立小樽図書館に通わなければならない。二月下旬の頃はまだ雪の日々だったからいろいろ雑用も多く、毎日はとても無理でした。ペースが掴めてきたのはこの三月に入ってからです。じつは、この「月刊おたる」調査と並行して、北海道立文学館の『風の中の羽根のように』(佐藤ゆり著)調査も行っています。札幌の用事の隙間を見つけては文学館にも寄るようにしていますが、なかなかこちらもはかが行かない。『風の中の――』については読書会BBSの方で書こうと思っています。

 
▼ 時の流れの忘れもの  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:38  No.1169
  .jpg / 9.9KB

 小樽の街を歩いていると、青春時代の昔に還ったような気がして、みるみる若やいだ気分になり足どりまで軽くなっていた私だけれど、近年、そうでもなくなった。私が年をとってしまったからだろうと少し寂しくなっていたら、もう一つ思い浮かんだ。私の若い日の思い出がちりばめられていた街に、郷愁を誘う古いものが少しづつ無くなっている事、私の若かった日をかき消してしまうほどの新しさが視界を覆いつつある事に気づいた。
 小樽運河――、私はいまだに古い運河にこだわっている。悪評もあったけれど、エキゾチックで重厚な感じの風景が、私はとても好きだった。私が初めて見た頃は、もう往時の活気はなかったけれど歴史的なロマンが感じられた。河幅の半分を埋めたてて自動車の洪水になってしまった風景は、好きとはいえない。
(佐藤瑜璃「時の流れの忘れもの」)

この頃は「時の流れの忘れもの」とか「風前のともし灯」とか、小樽に対してやや感傷的な文章が続きますね。それとは別に、この「月刊おたる」2000年9月号には『どっこい函館本線』という現在の山線問題にも関連する重要な(と私には思える)記事が載っていました。詳しく展開したいので読書会BBSに行きます。この「月刊おたる」スレッドは一旦中断し、調査が完了したあたりで再開と考えています。


▼ 北からの風   [RES]
  あらや   ..2025/02/11(火) 11:39  No.1159
  .jpg / 21.6KB

 早いもので六冊目の作品集となった。最近に限ると一年一冊の割合である。原稿用紙にして四百枚ほど、六篇だから一年間の量としては決して多いとはいえないだろう。しかし、気ままに書いて行くぶんには恰度よいペースである。無理な駆け足で息を切らしても仕方がない。
 去年の『老春』に引き続き、この集も老人物になってしまった。考えてみると「天皇の黄昏」から最近の「RVの老人」まで三年間に十三篇続けて老人ばかりを対象としたことになる。自分ながら少し「しつこいな」と思う。でも、この「しつこさ」が大事なのだと自分を納得させている。
(針山和美「北からの風」/あとがき)

六冊目か… 「しつこさ」と自嘲気味に言っているけれど、私にはとても切なく聞こえます。定年退職のあたりから憑かれたように毎号作品を発表し続けている針山さん。この『北からの風』に至っては、「人間像」の発行を待ちきれず未発表作品を三篇も加えています。時間がない。残された時間がない。2025年を生きている私は、もう針山さんの小説集はこの『北からの風』の後の『白の点景』一冊しかないことを知っています。とても切ないです。


 
▼ 山の秋  
  あらや   ..2025/02/12(水) 17:10  No.1160
  .jpg / 56.0KB

 教えられたとおり、国道わきの地蔵尊から左折すると、細い農道が羊蹄山の裾野にむかってのびていた。馬鈴薯畑のなかに延びるこの道は、秋の収穫をはこぶためのものらしく、二、三十センチほどもある雑草に埋めつくされていた。そして車輪に踏みつけられたところだけが深い溝になって、そこだけ土が見えている。すこし心細い思いで車を乗り入れると、案の定草が車体の底を擦りつけ、思わず腰を浮かしたくなった。おまけに道の両脇は枯れかかったイタドリやヨモギ、オオバコ、コウゾリナなどの雑草が生い繁っていて車体をこすった。倒れかかったイタドリがフロントガラスを叩いた。よほど引き返して、さっきの地蔵尊のところにでも乗り捨てようかと何度も思いながら、重い撮影器具を背負って歩く苦労を厭う気持ちに負けて、そのまま進むことにした。まだかなり先まで道が続いているようであった。
(針山和美「山の秋」)

『山の秋』、本日アップしました。久しぶりに読み返して感じ入ってしまった。針山さんが延々と書いた老人物の中でも、これはある意味隠れた名作ではないだろうか。
写真は東川町の「松田与一彫刻の館」。もう十数年前の話なので今でもあるかどうかわからないけれど、『山の秋』を読むとなぜか反射的にこの彫刻の館を思い出すのです。

 
▼ RVの老人  
  あらや   ..2025/02/15(土) 09:46  No.1161
  .jpg / 67.2KB

【倶知安】 二十八日午後五時三十分ごろ、後志管内留寿都村字三の原××の国道で倶知安町南×条西×丁目無職坂田俊造さん(七八)運転のRV型乗用車が道路左側の立ち木に衝突、坂田さんは頭や胸を強く打ち即死した。倶知安署の調べによるとブレーキによるスリップ跡もないことから居眠りか脇見運転らしい。
(針山和美「RVの老人」)

三の原か… ああ、あそこかな…と思えるくらいには私も走りまわっていましたね。京極にいた頃はこういう「RVの老人」みたいな人は見かけなかったな。キャンピングカーで日本中を遊び呆けるバカ老夫婦ばっかりだったような気がする。
久しぶりに彫刻の館写真を引っ張り出して来たら、なにか昔のギャラリー写真が懐かしくなりました。これは洞爺湖キャンプ場の近くにある國松明日香。

 
▼ 浅き夢みし  
  あらや   ..2025/02/15(土) 10:18  No.1162
  .jpg / 53.4KB

 さざめいていた湖面が、にわかに鎮まったと思ったら、そこは一面の草原になっていた。今まで前方に屹立していた真っ白な風不死岳も樽前山も消えていて、どこまでも平原が続いている。よく眼を凝らすと遥か彼方に、粘土で固めたような粗末な家が点々としている。むかしどこかで眺めたことのある懐かしい風景のような気もするが、思い出せない。省三の田舎は山に囲まれた小さな山村であったが、眼前の風景は遮るものとてない曠野である。
 ふと気がつくと、その草原の中を掻き分けながらやって来る者がいる。背の高い草だとみえて、ときどき人影が見えなくなる。はて、どこへ行ってしまったのだろうと不審に思った途端、目の前に若い女が現れた。近ごろ見たこともない粗末なモンペ姿であるが、丸ぽちゃの可愛い娘である。女はつかつかとやって来て、断りもなくドアを開けると、いきなり助手席に腰をおろした。
(針山和美「浅き夢みし」)

『省三の夢』では、ここで小説『支笏湖』のモチーフになったと思われる夢になるのだが、『浅き夢みし』ではそれをばっさりと捨ててしまって戦争中の夢に繋げたところが大英断。物語としてすっきり締まって、作業していて楽しかったです。
写真は昔の支笏湖氷濤まつり。お魚さんが可哀想だ、残酷だというスマホ・ピープルの声でこのオブジェは中止になりました。

 
▼ バブル老人  
  あらや   ..2025/02/19(水) 17:54  No.1163
  .jpg / 41.7KB

「いらっしゃいませ、どんな御用でしょうか」
 折り目正しい対応で躾も行き届いているようだし、顔も肢体も並以上である。さすがに儲け頭の職場だと感心しながら用件を切りだす。
「株を注文したいのだが、T社は今いくらになっているね」
 新米と思われたくなくて、少しぞんざいな言い方をする。
「ただいま調べます。当社とはお取り引きありますでしょうか」
「いや、ここは初めてだよ」
「ハイ、分かりました。有難うございます」
 そう言いながら、机上のパソコンを操作している。何秒もしないうちに、
「二十円高の八百十五円です」という。
 出来れば八百円以内で買おうと考えていたので二十円高は残念な気がしたが、一日でも遅れればドンドン上がってしまう気がして、
「それでいいよ。三千株頼もうかな」
(針山和美「バブル老人」)

という訳で、札幌駅前通りの小野寺紀子です。

 
▼ K老人の話  
  あらや   ..2025/02/24(月) 13:39  No.1164
  .jpg / 52.0KB

 71号の表紙絵やカットをK老人に描いて貰うことにする。若いころ東京で彫刻や絵の勉強をしたと言い、かなり自信ありげな様子なので頼むことにしたのだ。それに生活保護を受けている人なので、少しでも謝礼すれば喜んで呉れると考えたからでもある。簡単なものでいいと何度も言ったのに、見ていると誠にこまごました支那風の山水画を描いている。K老人の風貌にはふさわしい絵であるが、『人間像』という誌名にはそぐわない感じに思える。
 (中略)
 もうこの頃になると私とK老人のあいだはかなり打ち解けていて、たがいに我がままも言いあえる仲になっていたようだ。
「なにせ、おれの習ったのは中国の山水画だからよ、ピカソみたいな今風のを書けと言われても、それは無理と言うもんだ」
(針山和美「K老人の話」)

その、第71号表紙です。

本日、単行本『北からの風』作業、すべて終了しました。作業時間は「64時間/延べ日数15日間」でした。内地の大雪が凄いので言うのも気が引けますが、小樽もそこそこには雪かきの毎日でいつもよりは日数がかかりました。窓から見える海はやや碧がかって春先のような様相です。








     + Powered By 21style +