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さむがりやの母だったから 厚い坐布団をつくって 置いてきた 電話のむこうの妹の声が いつ迄もひえびえと 心の底に残っている (艀参三「納骨」)
母が死んだ。 その日は、朝から風が吹き荒れ、海は白い波濤を幾重にもして、遠い水平線にまで展がっていた。岩場に打寄せた波頭がくずれこわれて、さまざまな大きさの波の華をつくり、それが風にのって、あたりに吹きとんでいた。空には黒い雲がたちこめ、昼すぎになると、それは雪にかわった。 (針田和明「波の華」)
母が、あわただしく、この世から消えてしまった。二年間の闘病生活の間には、元気な時の母と違って、受身になってしまった、病人という弱者の母との思い出が、次から次へと、思い出されて、やりきれなくなる。誰でもが辿る道だが、空しさのみが、去来する。 (我楽多あき「関西模様」)
八月下旬より「人間像」第114号作業を開始しています。現在、千田三四郎『道のり』(約100ページ)一本を残すところまで来ています。しかし、それにしても!、第114号は、あちらでもこちらでも「母が死んだ」の続出で少々気が滅入ります。(『道のり』でもたぶん出てくるし…) 昔、喪中葉書が互いに乱れ飛ぶ形で賀状挨拶をしていた一時期があったけれど、「人間像」同人もそんな時代なのだろうか。
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