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No.666 への▼返信フォームです。


▼ 牧野富太郎   引用
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:36  No.666
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『らんまん』、毎日興味深く見ています。人間像ライブラリーでも牧野富太郎に関連する記述があったなあ…と思って、針山和美『三年間』とかあれこれ当たったのだけどなかなか見つからない。この文章にたどり着くのに一週間くらいかかりました。

 一人一人、ルーペを所持させられての授業は、小学校では体験し得なかったことだけに、その喜びと感激は大きかった。それよりも何よりも、採集の名の下に、窮屈な(固苦しい)教室の坐学から、雪の失せた校地の外に、自由に出ることを許された解放感は格別であった。
 あの時の学習で、私の観察した菫は、何という名のスミレであったのだろう。「出来るだけ精しく」――と言う和田先生の指示に従い、花の形状をルーペでこと細かく調べてスケッチし、「スミレの花」――と大書して勇んで提出したところ、先生は笑われて、「葉の表裏や根の先まで観察しないと駄目だ。」――とおっしゃられ、ご自分で作成された腊葉標本を見せて下さった。
 それに貼付されていたラベルには、何やら長ったらしい横文字が書き綴られてあったが、えも言われぬ威厳は、子供心にも十分感じ取られた。それが、学問の世界で通用する正式の学名――、乃ちラテン語の学名と、私との初めての出会いであった。
(長尾登「母校回想あれこれ」)

牧野富太郎の功績のひとつ「植物採集会指導」の全国行脚ですね。昭和十年代の旧制倶知安中学にもその情熱は脈々と生きていたのでした。

 
▼ 阿片秘話   引用
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:41  No.667
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針田和明『阿片秘話』でも牧野富太郎は扱ったはずなんだけど…と探したんだけど、これも見つからない。で、「牧野富太郎」で項目を立てているわけではなく、「矢頭献一」の項目で登場するのを思い出しました。

 牧野富太郎著『普通植物検索図説』は明治四四年(一九一一年)に刊行された。昭和二五年に増訂版、昭和四五年(一九七〇)に新版が出された。秋風の蔵しているのは昭和四五年版である。新版といえども現代の若い人が読むとおそらく古代文字を解読するような難かしさを覚えるであろう。ひら仮名よりも古めいた漢字の方が圧倒的に多いのである。忙がしい現代の人には不向きのようだ。それでも、野草の好きな人なら、図をみながら漢字の行列を目で追っていくだけで結構楽しいに違いない。
 (中略)
 さて、矢頭献一の『文学植物記』に移ろう。
 矢頭献一は少年時代から牧野富太郎について植物分類学の指導を受けた人だ。成人してからもずっと農学畑を歩んできた根っからの植物学者だけあって、植物のことをさらりと書いたようにみえても要点ははずしていない。
(針田和明「阿片秘話」第三回/53 矢頭献一)

 
▼ 京城日報   引用
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:45  No.668
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牧野富太郎は図書館とも縁が深い。

朝鮮総督府時代の史料出版/牧野博士の標本用新聞から
(SHIKOKU NEWS 2006/02/16)
 日本植物学の父、牧野富太郎(1862−1957年)が植物標本を作るために使った明治期の古い新聞の中に、朝鮮総督府(日韓併合前は統監府)の機関紙「京城日報」の未発見の部分が含まれていたことが16日、分かった。韓国の出版社が「補遺編」を復刻して出版し、日本でも販売を始めた。
 京城日報は1906年から45年まで発行された。今回出版されるのは07年6月23日から12年2月18日の間の19日分。
 東大の「明治新聞雑誌文庫」によると、牧野博士が採集した植物を押し花にするために挟んでいた新聞は、樺太や朝鮮半島などの現存しない新聞や珍しいものも含まれ、貴重な資料とされる。同文庫が東京都立大(当時)の牧野標本館から譲り受け、保存してきた。

 
▼ 後方羊蹄   引用
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:49  No.669
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牧野富太郎は後志とも縁が深い。

 軍配は「ようていざん」に上がりました。日本書紀の「羊蹄=し」が、千五百年近くかかって「ようてい」にまで変化したのですね。ああ、長い旅だった!
 十五年前、北海道に戻ってきた私は、それでも、この「羊蹄=し」の読みが不思議でした。なぜ新井白石は「し」と読んだのか? この疑問に答えてくれたのは植物学者の牧野富太郎博士です。牧野富太郎は、「羊蹄」とは「ギシギシ(スカンポ)」という草の漢名で、それを日本では単に「シ」と言うのでこのような用字になったと著しています。この用字は、万葉集や源氏物語にもあるそうで…
(新谷保人「小樽日報 三月/二〇〇九年「後方羊蹄」の旅)

 
▼ 廣井勇   引用
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:53  No.670
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牧野富太郎は小樽とも縁が深い。

10歳より土居謙護の教える寺子屋へ通い、11歳になると義校である名教館(めいこうかん)に入り儒学者伊藤蘭林(1815年 - 1895年)に学んだ。当時同級生のほとんどは士族の子弟であり、その中に後の「港湾工学の父」広井勇らがいた。漢学だけではなく、福沢諭吉の『世界国尽』、川本幸民の『気海観瀾広義』などを通じ西洋流の地理・天文・物理を学んだ。
(ウィキペディア/牧野富太郎)

ドラマで、万太郎に剣の勝負を挑んだのが廣井勇らしい。

このスレッドに使った写真は、私の住んでいる桜に近い熊碓海岸の七月です。沼田流人も愛した熊碓の海。ここから廣井勇がつくった南防波堤が伸びている。そして今日は熊碓神社の例大祭。



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