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『らんまん』、毎日興味深く見ています。人間像ライブラリーでも牧野富太郎に関連する記述があったなあ…と思って、針山和美『三年間』とかあれこれ当たったのだけどなかなか見つからない。この文章にたどり着くのに一週間くらいかかりました。
一人一人、ルーペを所持させられての授業は、小学校では体験し得なかったことだけに、その喜びと感激は大きかった。それよりも何よりも、採集の名の下に、窮屈な(固苦しい)教室の坐学から、雪の失せた校地の外に、自由に出ることを許された解放感は格別であった。 あの時の学習で、私の観察した菫は、何という名のスミレであったのだろう。「出来るだけ精しく」――と言う和田先生の指示に従い、花の形状をルーペでこと細かく調べてスケッチし、「スミレの花」――と大書して勇んで提出したところ、先生は笑われて、「葉の表裏や根の先まで観察しないと駄目だ。」――とおっしゃられ、ご自分で作成された腊葉標本を見せて下さった。 それに貼付されていたラベルには、何やら長ったらしい横文字が書き綴られてあったが、えも言われぬ威厳は、子供心にも十分感じ取られた。それが、学問の世界で通用する正式の学名――、乃ちラテン語の学名と、私との初めての出会いであった。 (長尾登「母校回想あれこれ」)
牧野富太郎の功績のひとつ「植物採集会指導」の全国行脚ですね。昭和十年代の旧制倶知安中学にもその情熱は脈々と生きていたのでした。
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