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No.981 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第110号 前半   引用
  あらや   ..2023/05/13(土) 11:43  No.981
  あの人はよく海の話をしていた。永いこと船員として外国をめぐっていたあの人にとっては、海が故郷だったのだろう。わたしがきいたことのない港の名をたくさん識っていて、港々で遭遇した面白い話を寝物語にしてくれた。女、酒、喧嘩、など、あの人が話すとすべてが生々としていて、わたしはあの人のことをなんでもしりたくて根ほり葉ほりきいていたっけ。あの人は年の違う子供のようなわたしに、いやな顔ひとつせず話してくれた。……あの人が逝った時、わたしは札幌のお寺にするか、小樽のお寺にするか迷ったけど、やはり小樽にしてよかった。ここなら海もみえるし、潮風もふいてくるだろうし、あの人もきっと喜んでいるだろうな。
(針田和明「穴」)

連休が終わった5月8日から第110号作業に入っています。丸本明子『三毛猫』に続いて、先ほど、針田和明『穴』をアップしたところです。以下、神坂純郎『ある出逢い』、千田三四郎『乾咲次郎私記』、佐々木昌子『孫と童話』と続きます。

五月、作業をしている窓から小樽の海が見える。

 
▼ 乾咲次郎私記   引用
  あらや   ..2023/05/25(木) 18:37  No.982
   九日には左のかた遥かに九十九里浜を眺めやり、十日朝には萩の浜に寄港、宮城県の四十余戸が乗船すると、夕日を浴びて出帆した。日ノ出丸は汽船だが、順風には帆をあげて速度を加える。十一日には潮を吹く鯨を望見し、十二日には右のほう遥かな函館を過ぎ、白神岬の沖を迂回して福山の松前城を遠く眺めやり、江差の沖を通った。小樽に入港したのは十三日午前十一時ごろ。
(千田三四郎「乾咲次郎私記」)

5月21日より第110号最大の難関『乾咲次郎私記』に入っています。ルビの大嵐。引用は北海道の屯田兵村〈永山〉を目指して乾一家が兵庫の港を出航したところ。

 十四日朝早く、天幕張りの炭車に乗せられて出発。札幌、江別、岩見沢、沼貝(現美唄市)を経て、空知太(現滝川市)の終点で下車した。一里弱を歩いて、渡し舟で石狩川を越え、さらに少し行くと三十戸ばかりの市街地。五、六軒しか宿屋がないので一般の家にも分宿した。布団の不足分は司令部から運ばれてきたが、それでも足りないらしかった。
(同書)

これでもゴールじゃないんだよ。ここから二泊三日かかる。北海道は遠い。
画像は「第3回朝里川桜咲く現代アート展」会場に咲いていたチューリップです。

 
▼ 「人間像」第110号 後半   引用
  あらや   ..2023/05/27(土) 16:44  No.983
  .jpg / 61.6KB

 十六日も徒歩。一時間ほどで国見峠にかかり、雨竜原野を見下ろして、さらに石狩川の左岸を進むと神居古潭。数名の囚人が作業中で、看守が木の伐り株に腰をおろして監視していた。誰が聞いてきたのか、ここで看守がきのう囚人に殺されたそうだと耳打ちしあう者がいた。そこを過ぎると、河のなかへ突き出た岩に尻を乗せたアイヌが手網で魚をすくいあげている光景にぶつかり、一行は興趣をそそられた。岩をかむ急流や渓谷と緑蔭に嘆声を洩らしていた。台場が原を通り、山坂道を越えて、いまの神居のあたりにあった忠別分監に着くと、多くの囚徒が野菜の作付けをしていた。明日はいよいよ永山ということで、人びとはここの物置や空き官舎に早寝をした。
 十七日は朝の六時に出発。忠別川を渡し舟で越したが、後から来た一行は下流の土橋を渡ったということだ。本町通りの角(現一条二丁目付近)には、口五の家印の空き商家が一軒きりで、五丁目を中心に粗造りの商店が七、八十軒ばらばらに並んでいたが、通称囚徒道路を八丁目から十八丁目へと歩き、雑草を踏み分け露に腰まで濡らしつつ牛朱別川西岸にたどりついた。茂る岸の柳の枝をくぐって、丸木舟で渡ったところが今の新旭川の境橋東岸付近。道路の右側に永山兵村の高い標柱が立っていた。一行は午前九時ごろから陸続と入村した。
(千田三四郎「乾咲次郎私記」)

ふーぅ、やっと〈永山〉に着いた。

「人間像」第110号(162ページ)作業も到着です。作業時間、「81時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2086作品」になりました。裏表紙画像は第107号〜第109号と同じなので省略します。



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