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▼ 百姓の子   引用
  あらや   ..2017/12/27(水) 10:59  No.426
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 新有島記念館は赤く燃えるレンガの壁、その外形は大地に凍てつく白い炎。欧州の教会を思わせる建築……… 万縁の中に白い和服の貴婦人の如く静かなたたずまいを見せており、昆布獄に身を落す太陽が赤々と有島の里に照を残していた。
「人は自然を美しいという。然しそれよりも自然は美しい。人は自然を荘厳だという。然しそれよりも自然は荘厳だ………。」有島武郎の「自然と人」の一説を辰三は残照の中で一人つぶやいて居た。
(阿部信一「百姓の子」)

冒頭、書き出しを同じに揃えて、片方は『有島の大地』というエッセイへ。そしてもう片方を『百姓の子』という小説に進化させる…という大技を「京極文芸」で見た時は吃驚しましたね。「辰三」という人間描写の中に「阿部一族」の来歴のすべてが流入してきて、作品の厚みを何倍にも増すことに成功しています。

十年間で十五冊を発行した「京極文芸」。その創刊期から中盤までのチャンピオンはもちろん針山和美氏といっていいでしょうが、その針山氏は第11号の『重い雪のあとで』を最後に作品を発表しなくなります。それと入れ替わるかのように、彗星の如く第12号『濃霧の里』で登場して来たのが阿部信一氏なのでした。以降、第13号で『有島の大地』、第14〜15号で『百姓の子』と大爆発。第15号での終刊、針山氏にも納得するものがあったのではないでしょうか。


 
▼ 屠殺   引用
  あらや   ..2017/12/27(水) 11:07  No.427
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私は、『百姓の子』の、『カインの末裔』ばりのバイオレンス描写にシビれていた一人です。ストレートに「少年」の目を通して描かれた「有島の大地」には暴力も血もなにもかも精神の高みへ浄化する何かがある。そして、阿部さんには俳句という必殺技があって、なにげない風景描写のひとつひとつに情感やドラマが立ち上がる。屠殺目撃の帰り道、川の流れに頭を突っ込んで飲む水の向こうに地獄の針の山で苦しむ父ちゃんの姿が見える…なんて場面、もう最高でしたね。

「ね! 辰三さん。又、乗せてね。きっとよ約束ね」右手の小指を突き出した。
「ウン! 約束するよ」小指をからませた。
 彼女の家の前で馬車を止める。彼女を飛び降ろさせるわけにはいかず、抱き降ろすことになる。教科書の入ったカバンを受け取ってから両手を突き出した。彼女は当たり前とばかりに辰三の胸に飛び降りる。
 その瞬間、彼女の唇が辰三の唇にふれた。瞬間の出来事だったが辰三は、とんでもない事をしてしまったと全身に震えがきているのに気がつく。
「さいなら」すばやく馬車に飛び乗ってドンの尻を打つ。ドンは、ふいに打たれたのでいきなり後足で宙をけってかけ出した。
「辰三さん。辰三さん。待ってよ」彼女の声には振り返らなかった。
(阿部信一「屠殺」)

『百姓の子』には皆無だった要素、「少女」。それも「東京から転校してきた少女」ですからね、かなり驚いた。(ライブラリーに搭載しましたので、ぜひご一読を)

 
▼ 吉太郎   引用
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:10  No.428
  『百姓の子』に「少女」が皆無と書いたけど、皆無じゃなかったですね。立たされている辰三にオウムの絵の筆箱くれた女の子もいたか。まあ、いいか。それより気になる点が阿部さんの作品には時々出てきます。

 祖父母から父養吉の時代と移って行く。この中に父養吉の人生に大きな役割りを持つ二人の人物に遭遇する。
 その一人が、有島武郎が三十九歳にて発表した「カインの末裔」のモデルと考えられる広岡吉太郎(本人は長男だから吉次郎ではなく吉太郎だと言っており近所の者も広岡吉太郎と呼んでいた。)の隣に住む事に成る。
(阿部信一「有島の大地」)

へえーっ、「吉太郎」。「人間像」第18号には、針山和美氏が『吉太郎』という短篇を発表していますね。まあ、『吉太郎』は『カインの末裔』とは何の関連もない話なんですけれど、なにか山麓のこの地域には、荒ぶる者、人の域を越えている者に対して「吉太郎」みたいな符丁があったのだろうかと思ったりしますね。

 
▼ 丸茂   引用
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:14  No.429
   この時は、すでに広岡一家は小作人として入っていた。
 広岡吉太郎の長男勇作とは喧嘩友達で、父養吉の方は年上で体も大きく強かったので、喧嘩も角力もいつも勝って居た。
 父養吉が十七歳の時にわか山子と成るべく広岡の指導を受ける。広岡は自分を慕ってくる者を可愛いがった。気質の似た父養吉には特に目をかけた様である。
 広岡は親分肌でめんどうみの良い男として知られていたし、性格は荒く弱い者いじめをする者にはいつも立ち向って居た様だ。
 地主と小作人との関係についてのとらぶるや、丸茂博徒との間に首を突込んだり、小作人のために良く働いた。
(阿部信一「有島の大地」)

じゃ、『百姓の子』(『屠殺』)の「三太」のモデルは「勇作」なのかな。

ここで「丸茂」に遭遇するのも吃驚ね。「丸茂」については、花村萬月『私の庭』がお薦めです。性描写が凄いので子どもには薦めないけど、大人なら別。北海道開拓の実感を摑むには必読文献と私は思ってます。公式の、真面目な開拓史本ばかり読んでると馬鹿になるよ…という含みを込めて、わざと『私の庭』をお薦め本に一冊こっそり混じえたりしますね。(だからメジャーになれないんだけど…)

 
▼ 有島の里   引用
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:19  No.430
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 私が有島武郎に関心を持ったのは、「カインの末裔」のモデルと考えられる、広岡吉次郎である。
 新有島記念館が出来てから、案内をたのまれて記念館を訪れる事が多いが時々団体の一行と一緒に成る事があるが、案内者の説明を聞いて居ると、「カインの末裔」のモデル、広岡吉次郎という人は小説に出てくる様な極悪人だったそうだ。年貢を納められなく成って小樽へ逃げて行ったそうです、と声高に話している事を聞くと何んとなく自分には直接関係も無いのに気に成る。
 父養吉が死ぬまで一度といいから小樽市の広岡吉次郎宅を訪問したいと口ぐせの様に言っていたので、昭和五十一年十一月三日に車で広岡家を訪問する。
(阿部信一「有島の大地」)

ふうーん、そんな馬鹿ガイド、いたのか。全然『カインの末裔』読めてないじゃん。知ったかぶりもいいところだ。今年の年貢が払えないことについての広岡仁右衛門の弁舌なんて近代的理性そのものですよ。荒ぶる肉体と近代的理性の合体という、大正六年の日本人が考えてもいなかった造形がどれほど当時の文学者に衝撃を与えたか!、それが『カインの末裔』の醍醐味なのに、馬鹿ガイドのおかげで台無しになっちゃった。新谷さんにガイド頼めば、大正六年の『カインの末裔』と明治四十三年の啄木『一握の砂』の意味についてしつこいくらい説明したのに。

なんか、『有島の大地』のベースになった『有島の里』もデジタル化したくなってきた。



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