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Name: ナルちゃん
Date: 2008/02/01(金) 14:05
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Title: おたずね:祗園寺ミステリー
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こんにちは、羽村市に住むサッカー好きおじさんです。昨年秋に市のウォーキングイベントで祗園寺を通った際に境内に”近藤勇ゆかりの地”、”自由民権運動の松”が印象に残り、エッセイを投稿したところ、郷土史を研究されているSさんから以下の問い合わせをいただきました。『近藤勇(1834-1868)と自由民権運動(1874-1890)がわずかな期間を隔てて同じ場所に残っているのは何か因縁があるのではないか?近藤勇の軍事活動が、祗園寺という宗教の場を介して、自由民権運動という政治行動に影響を与えたのではないか』というのです。私はSさんの着眼・発想に感嘆し、研究のお手伝いのためにこの掲示板を利用させていただきました。この”祗園寺の謎”を解いてくださる方をお待ちしています。(Sさんは中里介山の研究からヒントを得られたそうです)
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Name: tamaok
Date: 2008/03/01(土) 21:45
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Title: Re:おたずね:祗園寺ミステリー
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既に解答が寄せられているかも知れませんがご参考まで。 Sさんの着眼・発想は大変面白いですが、祗園寺の例の「松」は、 明治41年9月12日当時の住職中西悟玄(日本野鳥の会の創始者中西悟堂の伯父で養父)が荒れた寺の再建の為、自由民権運動の烈士の法要・大演説会を開き、自由党創始の頃からの縁で板垣退助をはじめそうそうたるメンバーが大挙参集した、その時の記念の板垣退助お手植えの「松」だそうです。 その辺の事情は深大寺住職谷玄昭著「住職がつづる深大寺物語」(四季社)にも触れられております。 又、「中西悟玄」で検索されますと、幾つかの関連サイトが見られます。
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