ロッジ山旅 掲示板&山行記

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 山旅ギャラリー    ..山旅     返信
      2025/11/11(火) 18:51  No.7507
 
 
事情により、当分の間、予約のみの営業とします。観覧ご希望の方は、あらかじめご連絡ください。


 大嶺山    ..山旅     返信
      2025/11/08(土) 09:10  No.7502
 
 
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しばらく前までは芳しくなかった天気予報が、前日にはすっかり好転した。当たりもしない1週間前の予報なんかしないほうが精神衛生上良いとは前々から思っていたことである。

秋の好日、諏訪へ向かう中央道からは一足早い冬姿の槍穂の峰々が見えて気分は上々である。

大鹿村山行の行きがけの山に選んだのは、中川村の大嶺山だった。天気が良ければ陣馬形山もいいかなとは思ったが、これまで何度も登っているし、頂上が以前よりさらに観光開発されたと聞くと、いくら眺めが良くとも少々意気が落ちる。大嶺山は初めての山で興味もある。

名古屋のNさんと松川で合流し、天竜川右岸の河岸段丘を降りたのち、左岸の河岸段丘を登る。伊那谷の午前は中央アルプスが順光になる。こちらがある程度の高さにあったほうが眺める山は迫力を増す。振り返る中央アルプスは南駒あたりが雲間に見え隠れしている中、越百山がひときわ端正な姿を見せていた。

地形図に名前があるので、ある程度は人も入る山ではあろうが、一般的な登山道があるわけではなさそうだ。地形図から得られるだけの知識で入山したが、それだけに発見も多かった。それらを下山後に調べてみるのも、こういった山の楽しみのひとつである。

つまり特筆すべきは、おそろしくいい道が通じていたことである。道があくまで柔らかいのは人通りが長年ない結果であろうが、道の広さや形の良さは、かつては重要な道だったことを示している。これで路傍に石仏でもあれば最高なのだが、おそらくは山を巻く林道の開通によってそれらは麓に集められたのだと思う。ともあれ、参加した皆さんからも、いい道だねえという賛嘆がしきりだった。

下山後、ほんの1分もしないところに村営展望荘の風呂があるのがいいところで、山の汗を間髪を入れず流すのは何とも言えない気分である。この施設は、窓からの中央アルプスの眺めこそが見ものだが、我々にとっては、裏手に登ってきたばかりの大嶺山が見えるのがうれしい。

そのときにはたと気づいた。そういや「嶺」は現在の「峠」を意味したのだったと。当然「レイ」や「ミネ」ではなく「トウゲ」と読むのである。そんなことは『甲斐国志』を見れば一目瞭然なのにすっかり頭から抜けていたのである。

となるとこの道の良さが納得できる。帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはり「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」、合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。つまり「大嶺」の「大」はそこに由来するのだと思われる。ひょっとすると、かつては「大草峠」だったのかもしれない。「大嶺山」は「おおみねさん」と読むらしいのだが、山容にしてはあまりに大げさな名前に感じるのは現代の感覚による勘違いというものであろう。


 そして大鹿村・延齢草へ    ..山旅    
        2025/11/08(土) 09:11  No.7503
 
 
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初日は大嶺山に登ったあと、同じく中川村の大草城址公園に寄ってみるつもりだったが、時間切れで大鹿村へ向かうことにした。

今年の遅い紅葉が幸いして、今しも大鹿村の山々の色づきは最高潮であった。深い谷では4時半ではすでに山の半分以上だけが夕照で輝いていた。

2年ぶりの延齢草には、下にも書いたとおり、木曜山行としては今回が12回目の宿泊だった。相変わらずの佐藤夫妻の歓待で、山の夜はゆっくりと更けていった。

明けて、まさしく秋晴れとなった。以前なら、また山へというところだが、昨日の山でだいたい満足している。そこで、中央構造線博物館を訪ねたり、これは初めての大西公園へ行ってみることにした。勝手知ったる佐藤さんが道々案内してくれるのもありがたい。

多少は歩きましょうと対岸から博物館へと小渋橋を渡るころには逆光だった赤石岳は、博物館を見学後に向かった大西公園の展望所に着くころにはすっきりとした姿になっていた。無数の桜が植えらえていて、桜のころにはシャトルバスが出るほどの賑わいだという。36豪雨で崩壊し、多くの死者を出した大西崩れの跡は大河原のどこからも眺められるが、近くに寄るといっそう生々しい。悲惨な災害の跡がこうやって平和な公園になっているのはいいなあと思う。

大鹿村を出て、最後に向かった大草城址公園も桜の名所らしい。公園内にある見事な桜が、こちらはまだ赤い葉を残していた。花の時季でなければ広大な駐車場に車はまばらだった。ここからは桜の枝越しに昨日には隠れていた中央アルプスがすべて見えた。桜と残雪のアルプスの頃には圧巻であろう。

こんな晴天に食堂なんかで飯を食うほどバカげたことはなというのが私の考えである。大きなあづまやを貸し切って弁当を使った。

ここで佐藤さんとは別れ、自宅へとまだ長い距離を残している人たちばかりだから、午後も早めの帰還となった。

延齢草の佐藤ご夫妻と参加の皆様に御礼申し上げます。


 Re:そして大鹿村・延齢草へ    ..名古屋のN    
        2025/11/08(土) 11:39  No.7504
 
 
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「ロッジ山旅」の『延齢草』一泊の山旅。山旅師匠が12回目というこの旅で出会った大鹿村。半分以上は参加してきただろうか。そこにある、戦後すぐに村民総出で造り上げた、村の未来を託した旧大河原中学校の学び舎。『延齢草』開業に至る歴史にも惹かれ、何より標高1000mの深い山あいの地の魅力。そして佐藤さんご夫妻のもてなし‥。夕食と朝食のお膳、地のものを存分に生かしたお料理。堪能しました。

伊那谷の松川町で、「ロッジ山旅」号に合流、目指した中川村の大嶺山(1020m)。山旅師匠の未踏の地への興味が、こちらにも伝わって「望外の手ごたえ」ある山歩きだった。松川町も、中川村も、大鹿村から伊那谷へ出る窓口のような町だというのも分かって、興味はいっそう深まった。

それにしても、大鹿村に通って、定点観測してきたかのような、中央構造線もある巨大な山塊の下を通す「信じがたい」巨大なトンネル工事‥。「大西崩れ」の現場、初めて訪れた大西公園から俯瞰すると、小渋川の谷の先にどっしりと構える赤石岳が、その人間の業(ごう)を見据えているかのようだった。


 Re:そして大鹿村・延齢草へ    ..山旅    
        2025/11/09(日) 09:09  No.7505
 
 
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大鹿村大河原(大鹿村とは大河原村と鹿塩村が合併してできた村である)で30年を過ごしたという信濃宮宗良親王のことは、最初に大鹿村を訪れたときに知ったことだが、歴史に疎いというか、さらに調べるといった熱意のない自分にとっては頭の片隅に残った記憶だった。

宗良親王を庇護したのがこの一帯を支配していた香坂高宗である。この香坂高宗を顕彰するどでかい碑がひょんなことから訪れることになった佐久の閼伽流山に登る途中にあったのだから面白い。くだくだしい由来は書かないが、このときにも少々文献を調べてみた。閼伽流山は佐久市香坂にあって、むろんこの地名は香坂氏と関係する。

今回、大嶺山に登ったり、帰り道に大草城址公園に立ち寄ったことで、香坂高宗が大草から大河原あたりの領主であったことを知った。要するに、小渋川の北側一帯に支配が及んでいたことになる。

となると、今回歩いた大嶺山への道、すなわち「大峠道」は大草と大河原をつないでいた道のひとつに違いない。立派な道なわけである。



 大鹿村・延齢草来訪に寄せて    ..佐藤 明穂     返信
      2025/11/04(火) 15:14  No.7500
 
 
ご無沙汰しております。
長野県大鹿村の佐藤です。
このたび改めてお越しいただき、誠にありがとうございます。
ここ数日来、急に冷え込みが増し、赤石の頂も白い薄絹を纏いました。近い山肌の黄色の出で立ちも徐々に褐色に変わっています。
日中はまだしも朝晩は冷え込みますので、暖かいご用意にてお出かけください。

さて、ロッジ山旅の皆様が初めて延齢草に来られたのが2008年のちょうど今頃...ただその時は私の父の葬儀のため、急遽赤石荘に泊まっていただきました。もう17年も経つのかと改めて思います。
それ以来ほぼ毎年のように訪ねていただき、今回で12回目となるそうです。本当にありがとうございます。

四季折々いろいろな姿を見せる大鹿ですが、秋が一番落ち着いた季節なのかもしれません。日々せかされるような農作業はとりあえず終わっていますので...歌舞伎の秋の定期公演も終わり、これからは冬支度を残すのみです。

延齢草は今年で28年、渓さんの生まれた年に開業しました。そしてロッジ山旅さんが始まった年にうちの長女が生まれましたが、これもまた何かの縁と思っております。

それではお会いできるのを楽しみにしております。
(間際の投稿で申し訳ありません。)


 Re:大鹿村・延齢草来訪に寄せて    ..山旅    
        2025/11/04(火) 19:55  No.7501
 
 
今年もまたお世話になります。

「エピソードのある山旅」と銘打った企画を4回して、もう仲間内に適当なエピソードはなさそうかなと打ち止めにしようかと考えていたとき、木曜山行で延齢草に泊めてもらったのが、あと1回で12回目になることに気づきました。

なるほど、ちょうどいいやと、5回目の「エピソードのある山旅」の行先にすることにしました。実際には、佐藤さんのおっしゃるとおり、最初のときはアクシデントで他に泊まることになったのでしたが、延齢草へは今度で12回目の宿泊となるわけです。これにて「エピソードのある山旅」は最後になると思っています。

「エピソードのある山旅」では記念にフォトブックを編んでいます。佐藤さんには巻頭に一文をお願いしたいと思っております。

つい先日まであった木曜日の傘のマークが晴れに変わって、軽い山歩きもできそうです。2年ぶりの延齢草を楽しみにしております。



 FM八ヶ岳「山と森と旅と」    ..山旅     返信
      2025/11/02(日) 16:46  No.7495
 
 
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いつの間にやら4年目に入ってしまったこの番組は、ほぼ私のひとり語りでやっているのですが、いつでもゲストは大歓迎です。

とはいえ、なかなか都合がつく人がいないのが現状です。しかし今月は、なんとか拝み倒して、下の項にも投稿してくださったペンタコさんにはるばる川崎からおいでいただきました。

なにせ、我が交際範囲ではぐっと若手であります。いつもと違う新鮮さをどうかお楽しみに。

明日が今月最初で、9時と14時の2回放送です。


 Re:FM八ヶ岳「山と森と旅と」    ..鉄人M    
        2025/11/03(月) 17:06  No.7496
 
 
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ゲストにペンタコさんご登場…ということで、心躍らせながら放送開始を待ちました。

ぶっきらぼうな山旅さんの語りに、それとは全く対照的で、明るく快活なペンタコさんのナレーションが加わって、番組全体のムードが180度の変転を遂げたような気がします。

ペンタコさん選曲による3曲のナンバーも、私にとっては"ポップなジャズ"といった感じで素晴らしく、(バート・バカラックの曲も久しぶりに聴いたせいか…)心が和みました。

そして何より、ペンタコさんが初めて登られた金峰山の印象を、おそらくはスタジオ内で目を輝かせながら語られていたことに私、まさに「ご同慶の至り!!」と拍手喝采を贈ってしまった次第。
山旅さんとの「五丈岩談義」にも、思わず「うん、うん」と頷いてしまって…

甲府盆地を巡る山々には、明るい雰囲気の山が多い。何より、名も知らぬ低山の頂に登りつけば、そこからは四囲に名だたる高山を見渡すことが出来る…

お二人が共有している「甲斐の山々」の良好で芳醇なイメージに心底から賛同して、「甲斐の北鎮」金峰山を望んだ拙作カットを、またもや添えてみました。
ご笑覧ください。


 Re:FM八ヶ岳「山と森と旅と」    ..ペンタコ    
        2025/11/04(火) 08:52  No.7497
 
 
今回、有難いことに山旅さんにお声がけをいただき、人生初のラジオ出演という光栄にあずかりました。
なんの経歴もない一般人が出てもいいのかしら?と不安がありましたが、山旅さんのリードのお陰で私はただ喋っていれば良し、なんとも楽しい収録となりました。

惜しむらくは、幸田露伴の短編小説名を間違ってしまったこと、私が山旅さんの大ファンであることを強くアピールできなかったことでしょうか。

北杜市に住んでいる友人知人が放送を聴いたそうで、楽しんでくれたようでした。

この度は良い経験をさせていただきました。
ありがとうございました。
いつでもご協力いたしますので、何かございましたらお声がけください(放送内容が二度とご免だ!という内容になっていなければよいのですが・・・💦)


 Re:FM八ヶ岳「山と森と旅と」    ..山旅    
        2025/11/04(火) 09:28  No.7498
 
 
ペンタコさん、鉄人Mさん、ありがとうございます。

原稿を読むのとは違って、ああいった雑談風の収録の場合、放送を聴いてみて結果がわかります。

聴いてみて、ペンタコさんは完璧、私の場合はリードに難があったなあという感想であります。次はもっとちゃんとしますので・・・と、ちゃっかりお誘いしておきます。

鉄人Mさんも出てね。


 Re:FM八ヶ岳「山と森と旅と」    ..ペンタコ    
        2025/11/04(火) 10:24  No.7499
 
 
鉄人Mさま

お聴きくださり、ありがとうございました。
なんとかお耳汚しにならずに済んで幸いです。

金峰山の素晴らしい写真もありがとうございます!
こういった写真を見るたびに、私の知らない展望がまだまだ沢山あることを知り、ロッジの諸先輩方に追い付かんばかりにあちこちの山々を巡りたいと思うのです。

>甲府盆地を巡る山々には、明るい雰囲気の山が多い。何より、名も知らぬ低山の頂に登りつけば、そこからは四囲に名だたる高山を見渡すことが出来る…

収録の数日後に訪問した大峠山、まさにこの言葉の通りでした。
登れば登るほどに、甲斐の山の魅力にとりつかれますね。



 平瀬山(仮称)    ..山旅     返信
      2025/11/01(土) 09:15  No.7492
 
 
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この3月に片山の北側の道を歩いているとき、帯那川を隔てた対岸の山のてっぺんの林の雰囲気が良さそうに感じ、いつか行ってみようと思った。

甲府での所用を済ますのに空き時間がかなりあったので、ちょうどいいやと行ってみることにした。

航空写真で見ると、山の西側には畑のようなものが見えるので、おそらく車が通れるような道が通じているだろうと思っていたらそのとおりで、しかも、今では使われなくなった車道やら作業道やらも縦横に通じ、生活に密着していた山だと思われた。頂上は思ったほど雰囲気がいいところではなかったが、この山を見たのが3月で、木々が裸の時季だったからでもあろう。

集落を歩いている途中で老人に出会ったので、この山の名前を尋ねたが知らぬという。ま、仮に平瀬山としておこう。

まったく藪を分けることもなかったのは頂上までで、東に下ると道は不明になった。途中には、甲府北部の山では良く見られる、畑の石垣がここにも残っていた。

この山の東の端はソーラーパネル畑になっていて、そこを迂回する部分が一番手ごわかったのは皮肉というもので、元の山のままだったら、おそらくきれいな林をぶらぶらと歩けたことだろう。

なんとか昇仙峡ラインに出て、千代田湖で帯那川の左岸に移り、勝手知ったる歩道をたどって帰った。


 Re:平瀬山(仮称)    ..ペンタコ    
        2025/11/02(日) 12:57  No.7493
 
 
素晴らしい石垣ですね。
山を歩いているとこうした石垣によく出会います。
昔の人達が手間暇かけて重い石を運んで組んだ石垣が、このように苔むしているのを見ると、何とも言えない哀愁というか寂しさを感じます。
かつて食料を生産していた山中の畑は廃れ、今では電気を生み出す畑が主流となっていますね。


 Re:平瀬山(仮称)    ..山旅    
        2025/11/02(日) 15:44  No.7494
 
 
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平瀬山の中で現在でも耕されているのは一か所だけのように思いました。

甲府盆地の北側の山を歩いておりますと、畑の跡と思われる石垣を良く見ますが、山国で傾斜地の多い日本では、どこでも似たような畑や田んぼがあったんでしょうね。

人里に近い山を歩く楽しみには、こんな、かつての人の営みの名残を見るところにもあるように思います。

(珍しく、こんなものが転がっておりました)










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