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▼ 第1回 朝里川桜咲く現代アート展   [RES]
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:40  No.567
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桜、咲いていましたよ。小樽は蝦夷山桜の季節です。「ハルカヤマ藝術要塞」が幕を閉じてしまって淋しい想いをしていたけど、朝里が頑張ってくれたおかげで少し元気が出た。この、コロナ下での開催には本当に頭が下がる。

頭が下がると云えば、「北海道デジタル彫刻美術館」、ついにスタートしましたね。昨年夏から待ち望んでいました。以下、四月の道新記事の引用です。

 野外彫刻3150点ウェブに収蔵
 札幌の市民団体 保全の広がり期待
 IT初心者ら 道内巡りコツコツ30年
 野外彫刻の調査や清掃などを行う市民団体「札幌彫刻美術館友の会」が、道内の野外彫刻をデータベース化し、ウェブサイト「北海道デジタル彫刻美術館」を開設した。野外彫刻を一括管理する組織も資料もない中、会員が各地をまわって一つ一つ調査。会員の多くがシニアのIT初心者≠ニあってデジタル化に苦戦しつつも、「継続は力なり」を合言葉に足かけ約30年、ようやく念願を果たした。
(北海道新聞 2021年4月10日夕刊)


 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:43  No.568
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 公開を始めたのは3月中旬。その直前には、同会の橋本信夫会長(88)ら会員4人が札幌市内で集まった。「デジタル彫刻美術館」の本格運用を控え、検索機能などの最終チェックをするためだ。
 だが、メンバーは「あれ、ここどうするんだっけ」「なんか違うんじやない?」「これかしら」―。なにやら混沌とした空気が漂っていたが、細川房子さん(73)は「パソコンできる人いないのよ。ただのおじさん、おばさんですから、いつもこんな感じです」と笑った。
 「北海道デジタル彫刻美術館」は道内179市町村に設置された3150点を網羅。作家数は729人にのぼる。市町村や彫刻の素材などで検索すると、該当する作品の写真とともに、作品名や作者などを知ることができる。
 サイトの基になったのは、会員だった仲野三郎さん(故人)が1987年ごろから独自に始めた調査だ。妻と各地の野外彫刻をたずね、約20年かけて2400点を撮影。制作年や素材などの基礎資料も収集した。これを他の会員たちが引き継ぎ、さらに約700点を追加。2006年から資料のパソコン入力を始め、データベース化を目指した。

 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:46  No.569
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 メンバーは60〜70代が中心。自力でパソコンやインターネットを習得し、ホームページ制作や地図作成といった技術は講習会に参加するなどして学んだ。会員の入退会などで作業が停滞気味の時期もあったが「一つ一つ丹念に教え合い、補い合いながら」(橋本会長)、コツコツとゴールを目指した。
 サイト開設の背景には、野外彫刻が置かれている厳しい現状がある。コンクリートや木は経年劣化や腐食が進みやすい。耐久性が高いブロンズも、酸性雨の影響とみられる変色などが起きる。定期的なメンテナンスや保全対策がとられないまま、劣化が進んでいる作品も少なくないという。「野外彫刻は設置して終わり、ではない」と橋本会長。作品を知ってもらい、文化財としてどう守っていくか考えるきっかけになれば、と期待する。
 本郷新記念札幌彫刻美術館の吉崎元章館長は「(同館で)数十年前に道内の野外彫刻を調査したことがあるが、あくまで書類ベースだった。会員が実際に足を運んで調査した確かな情報が、誰もが見られる形で公開されるのは、とても価値がある」と評価する。
 実はデジタル彫刻美術館はまだ完成しておらず、解説文を付ける作業が続いている。既に解説が完成しているのは札幌市内や近郊の作品約120点で、残りあと約3千点。会員の地道な歩みはこれからも続く。

 
▼ 北海道デジタル彫刻美術館  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:52  No.570
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https://sapporo-chokoku.jp/digital-sculpture/search.php

例えば、岩内町の人影ない雷電海岸にあるレリーフ。壁面に「ヒデノリ」のサインがあったので作者は米坂ヒデノリと直感したのだが、裏面に彫った碑文は潮風に腐食されてぼろぼろ。タイトルも来歴も何も読めない。最近、古宇伸太郎『漂流』の仕事をやっているので、昔この海岸線は鰊漁で賑わった、一応小学校はあるくらいの集落であったことを知りました。でも、現在はレリーフひとつがぽつんとあるだけで、あたりには建物ひとつない。あんな人気ない場所の彫刻、載ってないだろうと「岩内町」を検索したら、載ってた。凄い。

このホームページは残ると思いますね。パソコン技術なんか、本当に伝えたい気持があれば後からついてくるとも思う。事実、自分の足で歩き、ここにこんな彫刻があるんですよ、この美しさを誰かに伝えたい、残したい…という気持を過不足なくストレートに表現している大変すぐれた機能と思う、このシステムは。しかも〈無料〉だ。芸術の森美術館が典型だけど、入館料払わないと見られない野外彫刻なんてナンセンス。こういう美術館は〈野外彫刻〉が持っている意味や価値を意図的に誤解していると私は思っている。少しは「北海道デジタル彫刻美術館」の知性を見習ってほしい。

各市町村毎にひとつかふたつ載っていない作品があるのだけどどうしたものか。今現在も新しく建てられる彫刻もあれば、老朽化や設置主体や設置場所の変転によって消えて行く彫刻もある。札幌彫刻美術館友の会に通じる回路みたいなものがあるともっと良くなると思うのだが。


▼ 穂足内騒動   [RES]
  あらや   ..2021/04/08(木) 10:45  No.566
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「一説には、この浪人は江戸浪人とあるから、多少は江戸生活も知っていたのだろう。下国なんか江戸屋敷にいる間に、何か女の事件を起して脱藩したものとすると、ますます面白くなるのだがね」
「それじゃいよいよ大衆小説だ」
 笑話になったが、永田の頭の中にはすでに下国と荒谷が一種の英雄となって存在しているのを梶は知った。このいい気な歴史家の妄想を叩き破るには、史実によるほかないのである。
(丹羽文雄「暁闇」)

丹羽文雄、読んだの、これが初めてではないだろうか。(ちがうか…)
古宇伸太郎『蛾性の女』のライブラリー化で「北海道文学全集」を調べていたら、解説に、丹羽文雄が来道した折古宇伸太郎が案内した作品があると知って興味を持ったのでした。それがこの『暁闇』。文中の梶が丹羽文雄、永田が古宇伸太郎ですね。そして、扱っている素材がなんと「穂足内騒動」ではないですか。
「人間像」第84号の古宇伸太郎『暗礁』以来、変に「穂足内騒動」づいているのが不思議です。『暗礁』の物語仕立ての巧みさに比べると、『暁闇』は史料を梶と永田の軽妙な会話でコラージュしただけの随分お手軽な作品だなあと思って読んでいたのだけど、ラストの場面でバックドロップ! 一転、気品ある小作品に変貌したのでした。大作家って、こうなのか。

この前見つけた、過去のライブラリー仕事の破片もこちらに寄せておきます。
http://www.swan2001.jp/oa074.html



▼ 隠蔽捜査8/清明   [RES]
  あらや   ..2021/02/27(土) 11:39  No.565
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  清明時節雨紛紛
  路上行人欲斷魂
  借問酒家何處有
  牧童遙指杏花村

 七言絶句だ。その詩を読み下そうと、竜崎が苦労していると、滝口が再び口を開いた。
「清明の時節、雨紛紛。路上の行人、魂を断たんと欲す。借問す、酒家いずれの処にかある。牧童、遥かに指さす、杏花の村。清明の季節、つまり春ですね。雨がしとしと降っていて、道行く私はひどく落ち込んできた……。牛飼いの牧童にちょっと尋ねる。どこか酒が飲めるところはないだろうか、と。牧童は、はるか向こうの杏の咲く村を指さす……。いや、実に味わいのある詩ですね。私の好きな詩です」
 竜崎は、滝口の意外な一面を知り、驚いた。
(今野敏「隠蔽捜査8/清明」)

『隠蔽捜査7/棲月』の犯人があまりにチンケな奴だったんで、『8』も心配だったんだけど大丈夫でしたね。神奈川県警に移ったのは正解か。犯人がチンケなのは、世の中がチンケなものに変容しつつあるからではないか。



▼ 支笏湖   [RES]
  あらや   ..2021/02/18(木) 14:26  No.564
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支笏湖YH 来月末閉館
宿泊者半減 建物売却へ
【支笏湖畔】日本ユースホステル協会は、千歳市支笏湖温泉の支笏湖ユースホステル(YH)を3月末で閉館することを決めた。新型コロナウイルスの感染拡大で宿泊者が半減したため。建物は道内の民間企業に売却する方針。
 支笏湖YHは、日本ユースホステル協会直営の全国第1号として1955年に開業。現在は同協会が建物を所有し、運営を個人に委託している。
 鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建ての新館(20室、定員108人)と倉庫や事務所として使っている木造2階建ての旧館があり、学生や工事関係者の利用が多いという。旧館は道内を代表する建築家田上義也(1899〜1991年)が設計し、赤い三角屋根がシンボルマークとなっている。
 同協会などによると、年間宿泊者は1973年の2万1千人をピークに減少傾向にあり2019年は3千人、20年は新型コロナの影響で1500人まで減った。
 同協会は「コロナの影響で経営が立ち行かなくなった」としている。(後略)
(北海道新聞 2021年2月16日 社会面)

うーん、残念。建物、解体しないでほしい。旧館がなくなったら、もう支笏湖じゃなくなる。



▼ 諸星大二郎展   [RES]
  あらや   ..2020/12/23(水) 18:49  No.563
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http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/knb/exhibition/sp_R21121.htm

近代美術館の「諸星大二郎 異界への扉」展、行ってきました。近美なら、家の裏からバス一本で行けるし、駅前や街中の人混みを通ることもない。多くを望まず、さっさと小樽へ戻って来ればよろしいのではないかと考えたのでした。

美術館、凄いことになっているのね。ホールに入った瞬間、誰もいないのよ。平日の朝十時半とは言え、ホールに人っ子一人いない近代美術館なんて初めてみました。いつもはグッズ売り場の人混みにうんざりして写真撮る気にもなれないブールデルの『力』もすっくと立ち上がってその美しさに見とれた次第です。ホール部分は写真OKなのを思い出し、諸星展に入る前に一枚。
展示会場に入っても吃驚。やはり誰もいない。鑑賞には皆さん密を避けて間隔をとって…どころじゃない、誰もいないんだもん。こんな美術展って、ありなのか。奥へ入っていって、やっと二人連れの女性客を発見しました。ようやく落ち着いた。美術展なんだ。
諸星キャラクター総選挙ってのをやっていて、もしかしたら諸星大二郎サイン入り直筆イラストが当たるかもしれませんよ…という釣り言葉にまんまと惹かれて私も応募しました。私は「きとらさん」に一票。



▼ サガレン   [RES]
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:29  No.558
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「人間像」第79号作業をやっていた十一月、夜、布団の中でずっと梯(かけはし)久美子さんの『サガレン』を読んでいました。「第一部/寝台急行、北へ」と「第二部/〈賢治の樺太〉をゆく」の二部構成。サガレンというのは、宮沢賢治が樺太へ旅をした当時の樺太の呼び名です。宮沢賢治も作品の中では『サガレンと八月』のように「サガレン」を使います。

 ロシアには、サンクトペテルブルグ→ペトログラード→レニングラード→再びサンクトペテルブルグと、体制の変化によって何度も名前を変えた部市もあるし、領土の拡大にともなって自国に編入した土地の都市名をロシア語に変えた例も多い。
 日本でも、古くからの地名を捨てて、歴史とは無縁の地名をつけてしまう例があるが、そこには激動の歴史などといったものはなく、単に二つの地名をくっつけたり、語感のみを重視した軽薄な地名をつけたりしている。
 それに対してサハリンの地名には、国境の島ならではの歴史の厚みが隠されている。いくつもの名が地層のように積み重なった土地を、列車に乗って旅していると、まさに歴史の上を走っているのだという実感がわいてくる。
(第一部/三、ツンドラ饅頭とロシアパン)

じつは、コロナ下の今年5月30日、7月18日、9月5日、北海道新聞で連載された『ほっかいどう鉄道探偵』、宮沢賢治の大正13年・花巻農学校・修学旅行引率を扱った文章が大変心地よく、こういう人が書いた『サガレン』なら面白いに違いないと思って読み始めたのでした。


 
▼ 林芙美子  
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:33  No.559
  樺太を語る時、北原白秋、林芙美子、宮沢賢治の三点セットは外せない。センスが良いなと思ったのは神沢利子『流れのほとり』をきちんと挙げていたところ。私の〈樺太〉談義だと、他にも野口雨情や金田一京助や知里真志保や久生十蘭や吉田一穂なんかも入って来るんだけど、まあ〈鉄道〉という縛りがあるんだから〈船〉の時代の人は関係ないか。

 芙美子が中野署に勾留されたのはこの前年、一九三三(昭和八)年の九月だが、その半年前の二月には、「蟹工船」で知られろ小林多喜二が勾引され、築地署で虐殺されている。その後、はげしい弾圧によって組織的なプロレタリア文化運動は壊滅に追い込まれた。芙美子が樺太を旅したのはそういう時期だったのだ。
 豊原での巡査との場面で、芙美子は、「まるで被告あつかいにされた」と書いている。敷香に着いた彼女は、そんな自分が国境付近に行けば、あらぬ疑いをかけられると警戒したのかもしれない。それはあながち被害妄想とはいえず、ソ連との国境の島にやってきた著名な作家の行動を、現地の警察がチェックしていたことは十分に考えられる。
(第一部/四、国境を越えた恋人たち)

林芙美子のこの旅は、北海道に入るなり、いきなり函館素通り、倶知安の旅館に籠もって「堀株の漁村」なんかをうろうろ見歩くという旅です。その後も、札幌素通り、旭川の親友に再会した後、一気に樺太へという大変奇妙な旅なんです。樺太からの帰り道でようやく林芙美子がこの旅に意図していたものが判明するのですが、なにか職業柄「倶知安」の文字にいつも目が行ってしまって、この豊原のオマワリの話はコロッと忘れていましたね。『樺太への旅』読み返したら、ちゃんとあった。

 
▼ ミツーリ  
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:36  No.560
  第二部では、チェーホフ『サハリン島』がさかんに宮沢賢治の樺太行に重ねられています。梯さんは、『サハリン島』はチェーホフの注が面白いと言う。

 流刑農業植民地の理想はミツーリをおどろかせ、魅了した。彼はこの理想に心から没頭し、サハリンが好きになり、ちょうど母親が愛児の欠点に気づかないように、彼も、自分の第二の故郷となったこの島で、凍土や霧に気づかないでいた。彼はここを花咲く一天地と見ていたのであり、もちろん当時は無きに等しかった気象の資料も、明らかに彼が疑いの念をもって接していた過去の苦い経験も、その妨げとはなり得なかった。そのうえ、 ここには野ブドウ、竹、途方もなく背の高い草、日本人などがあるのだ……島のその後のが歴史を見ると、彼はすでに、島の管理者で、あいもかわらず凝り性な、惓むことなく働く五等文官として描かれている。彼はサハリンで、重い神経錯乱のため死去した。享年四十一歳。わたしも彼の墓を見た。その死後、『農業面から見たサハリン島概観』一八七三年、という著書が残された。これはサハリンの豊穣を讃えた長篇の頌詩である。
(チェーホフ「サハリン島」/「ミツーリ」の注)

 農業によってサハリンを理想の天地にしようとしたミツーリ。サハリンは彼にとってのイーハトヴだったのかもしれない。
(第二部/七、チェーホフのサハリン、賢治の樺太)

ミツーリ、知りませんでした。というより、『サハリン島』は苦手です。

 
▼ ラパーチン  
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:39  No.561
   一度日のサハリン取材から帰ったあと、白鳥湖についての情報を探していたときに、北海道教育委員会のサイトに、「サハリンの竪穴群発見一五○周年」と題された記事があるのを見つけた。
 二〇一八年は、一八六八年にロシアの鉱山技師インナキェンチイ・ラパーチンが、白鳥湖の北東岸で、古代の竪穴住居跡群を発見してからちょうど百五十年になるという内容だった。
 あの何もない沼地に。古代人が住んでいたとは!と驚いた私は、ラパーチンについて調べてみた。
(第二部/八、白鳥湖の謎)

ラパーチンも知りませんでした。本当に勉強になる。

 もともとは鉱山技師で、探鉱のためにサハリンにやって来たラパーチンだったが、このときの発見をきっかけに考古学への関心を本格化させ、東シベリアにおける古墳や古代遺跡の発掘許可をロシア帝国考古学委員会に求める。そして後年、シベリア古代遺物の収集家として知られる人物になるのである。
 ミツーリも、このラパーチンも、サハリンにやって来たことで奇妙な情熱にとりつかれ、運命を変転させていった人である。
 (中略)
 チェーホフ(作家)、ミツーリ(農業学者)、ラパーチン(鉱山技師)の三人が、それぞれにやって来た白鳥湖。こうなると、賢治も同じ土地を踏んでいてほしい気がするが、残念ながらやはり確証はつかめないままである。
(同章より)

 
▼ 鉄道探偵  
  あらや   ..2020/11/16(月) 15:00  No.562
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いろいろ勉強になったなあ。例えば…

宮沢賢治『青森挽歌』には、こんな一節があります。

わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
ここではみなみへかけてゐる
焼杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアの澱をよどませ
あやしいよるの 陽炎と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ駅
  (おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない

北へ向かっている旅なのに、なんで「ここではみなみへかけてゐる」なんだろう…という問題が昔からあって、いろいろな珍解釈が出回っていたのですが、ついに解決の日が。

 東北新幹線は八戸からまっすぐに新青森駅に向かってしまうが、賢治が乗った東北本線(この部分は現在第三セクターの「青い森鉄道」になっている)は、下北半島と津軽半島にはさまれた夏泊半島をぐるりと回るルートをとる。
 夏泊半島は、陸奥湾に突き出た小さな半島である。突端にもっとも近い駅が小湊駅で、そこを過ぎると、線路はゆるやかな弧を描きながら、南西へと進路を変える。ここは花巻−青森間で唯一、線路が北上するのではなく南下する区問なのである。賢治は抽象的な表現をしたのでもなく、勘違いをしていたのでもない。事実をそのまま書いたのだ。
(第二部/三、「青森挽歌」の謎)

いや、凄い。ぜひ、林芙美子の帰り道、啄木もやってくれないだろうか。


▼ 学校の彫刻をめぐる地下鉄旅@   [RES]
  あらや   ..2020/09/24(木) 14:11  No.551
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「人間像」第76号作業を終えたので、久しぶりに白石北郷の実家へ。今年はお盆を失礼したので、お彼岸の方で墓参りです。

今回はもう一つ目的がありました。それは、米里中学校が意外と北郷から近いことがわかったので、今度白石に行った時は歩いて米里中学校にトライしてみようと思っていたのでした。そこには山田吉泰「翔き」があります。
考えたら、野外彫刻マニアとはいえ、学校にある彫刻って、札幌西高みたいな例外はあったけれど、一応は学校の敷地内にあるものだから昔は遠慮していましたね。コースから無意識に除外していました。それが大きく変わったのは、やはりコロナウイルスってことになるのかなあ。学校がこれほどの長期にわたって休業になるなんてことはやはり前代未聞のことではありました。あの時、あの建物は何故ここに、あそこにあるのだろうか…と一瞬ですけど考えました。学校が再開された六月以降、あの記憶は日を追うごとに薄れつつあるけれど心にそういう想いがよぎったことは確かです。そのあたりからではないか、私の場合は、この学校、あの学校にある彫刻がなにか大切なもののように思えて来たのですね。それにもう『山の子供』のような世界に還って行けないことを感じた日々、ごく自然に、この眼に残しておきたくて彫刻散歩のコースに学校も入るようになりました。

「翔き」、よかった。土日だし、急きょ、明日の小樽への帰り道で札幌の学校彫刻ツアーをすることにしました。気になっている彫刻がいくつかあるのです。


 
▼ 地下鉄旅A  
  あらや   ..2020/09/24(木) 14:16  No.552
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朝、JR白石駅から苗穂駅へ。苗穂小学校には山田吉泰の「創造」があります。これも良かったなあ。学校の彫刻って、実際に見てみると「あれっ、こんなに小さいの…」ということがままあるんだけれど、「翔き」も「創造」も適度な大きさで気に入りました。セメントっていうのも、なにか、街のブロンズ彫刻にはない独特の空気感がある。

苗穂小学校の学校記念館(旧木造校舎)を見つけて、「ああ、ここか」と一瞬で自分が今いる場所がわかりました。昔、この近くに住んでいたので。
今回もバス旅で廻ることをなんとなくイメージしていたのだけど、今日は地下鉄の方が目指すものにスパッと切り込んで行けるような気がしてくる。で、JR線に対して平行移動して地下鉄・東区役所前駅へ。

駅の近くの札幌光星高校前庭には「鐘の塔と彫刻」がありますね。あれも山田吉泰なんだけど、前回のバス旅で写真撮ったので、今回はパス。そう言えば、あれもセメントだった。

 
▼ 地下鉄旅B  
  あらや   ..2020/09/24(木) 14:20  No.553
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地下鉄南北線・中島公園駅で下車。徒歩で南大橋を渡って水車町(すいしゃまち)へ。昔からカッコいい地名だなと思っていました。なんで水車かと言うと、

開拓時代にはこの地区に官営の製材所があったが、明治20年代に入ると、水車川(豊平川の分流、現在は埋められ、遊歩道になっている)を利用した水車小屋が作られ、精米、製粉などのための動力源として活用されていた。また、同じ頃から、近隣の平岸・中の島・旭町とともに、リンゴの栽培が本格的に行われ、多くの果樹園が作られた。水車川は現在の水車町5丁目の難得神社(難得大龍王)の下手辺りで豊平川から分かれ、水車町公園の横を通り、南7条橋と豊平橋の中間辺りで再び豊平川に合流した。
(ウィキペディアより)

そう言えば、この前ウィキペディアに参照に行ったらカンパ要請の画面が出て来たので、私、300円カンパしましたよ。(貧乏なので300円です…) 表現に干渉されるのを拒むために広告収入やパトロンに頼らない。人々の知識に対する平等を保つために有料化しない。とても偉いと思う。共感した。

水車町には旭小学校がある。旭小学校には川田静子「未来にはばたけ」があるのでした。

 
▼ 前回のバス旅・番外  
  あらや   ..2020/09/24(木) 14:24  No.554
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最盛期の大正初期には7、8軒の水車小屋があり、当時札幌市内に供給される米や粉の加工は、全てこの地域で行われていた。だが、大正中期に電気の普及が始まると、水車の需要は激減し、1924年(大正13年)までには、水車小屋は完全に姿を消した。1962年(昭和37年)に、南大橋が架設されて札幌市街との連絡が至便になると、住宅地化が進み、果樹園の数も減少していった。水車川も家庭排水による汚染が進み、1973年(昭和48年)に埋め立てられた。かつての河道は遊歩道やサイクリングロードとして残っている。
(ウィキペディアより)

水車や果樹園の面影はもうないです。寂しい…

今回の地下鉄旅は、別名「林檎ツアー」ですかね。今日うまく最終地点の天神山にゴールできたらば、途中には、札幌の林檎に関する歴史アイテムがけっこう出て来るはずなんです。「林檎ツアー」は十数年前にもやったことがあって、その時のスタートは元町(もとまち)の啄木歌碑でした。「石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ」という歌ね。なんで、ここで「元町」話題かと言うと、そこの元町小学校には川田静子の「希望」があるんですね。転校生なのか、市内二つの小学校に作品があるというのは珍しい。

 
▼ 地下鉄旅C  
  あらや   ..2020/09/24(木) 16:58  No.555
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この辺り、『十勝平野』新生篇の舞台になった町じゃないかな… あっちが中沢ヌップ(砂澤ビッキ)のアトリエ。それで、

 孝二の下宿は豊平川の川縁のリンゴ園のなかにあった。そこは豊平川の新川と旧川の間に挟まれているので「中の島」と呼ばれていた。
(上西晴治「十勝平野」/新生篇)

その地下鉄・中の島駅へ。中島公園駅まで戻るのは時間がもったいないので、「旭小学校前」バス停にちょうど来たじょうてつバスに乗って中の島駅まで行きました。今回唯一のバス利用。そこの中の島中学校には本田明二の「はばたけ小鳥よ」があります。

ちょっと思っていたよりは小さい彫刻だったけれど、さすがは本田明二。ポーズといい、表情といい、百点満点ですね。この作品のバックに精進川が流れているロケーションもプラスポイントだ。
校舎を囲む低い塀に埋め込まれた鉄の飾り(橋の欄干なんかによくある奴)もカッコいいので写真撮ろうかな…と道路でもたもたしていたら、学校の人に声かけられた。不審者と思われたのかな。それで、私は不審者なんかじゃありませんよ、北海道の野外彫刻を愛する小樽市民ですよ…という意味を込めて一礼し、次に行く予定の「平岸小学校」の場所を尋ねました。いやー、聞いて正解。平岸小学校と正反対の豊平河畔へ動き出すところだった。さらに、地下鉄・南平岸駅を目印に考えていたのだけど直接歩いた方が早いということも教えてもらいました。いろいろありがとう、中の島中学校の先生。休日なのにご苦労さまです。

 
▼ 地下鉄旅D  
  あらや   ..2020/09/24(木) 17:02  No.556
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平岸小学校には本田明二「みのり」がある。何の「みのり」かと言えば、それはもう平岸ですから「林檎」に決まっていますね。昭和55年(1980年)、平岸開基百十年を記念して建てられたもの。愛読書、原子修『札幌の彫刻をうたう』は、この彫刻に

 手のひらの
 ただ一ケの果実の
 天球にもまごう
 重み

という詩が掛けられていますね。彫刻というわけではないが、札幌の町を散歩しながら歌を詠むという『新世代歌人・山田航のモノローグ紀行』(北海道新聞・夕刊連載)はちょっと興味深い。2016年4月の開始以来、毎回スクラップしています。いずれ一冊の本に編まれるのだろうが、私には生の新聞紙の感触の方が心地よい。例えば、

【水車町】流れてく気持ちのどこかをノックして世界の隅で回る水車よ
【精進川】川べりに踏み開かれた雪の路みんな冬でも見たいのだ、川
【中の島】ビル風にさくら舞うころ帰ればいい俺が会いたいだけの理由で
【天神山】糸鋸で木ィ削るような声で鳴く鳥いるねだ坂は続くね

短い紀行文+写真に合わさると、いや絶妙ですね。

 
▼ 地下鉄旅D  
  あらや   ..2020/09/24(木) 17:06  No.557
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元町の「林檎の花の散りてやあらむ」で始まって、天神山の「林檎の花の散りてやあらむ」でフィニッシュというのはちょっとカッコいい札幌林檎ツアーかもしれない。途中、月寒公園の「りんご並木の碑」や、本田明二の「みのり」や、平岸高台小学校の「りんごの故郷から」巨大レリーフや、天神山の久保栄「林檎園日誌」碑を織り込むのはもちろんだけど、もしできるならば、大通り公園の本郷新「泉の像」も入れてほしい。昭和34年、ニッカーウヰスキー株式会社の寄贈です。なんと言っても、大日本果汁(→日果)「マッサン」竹鶴政孝ですからね、そのマッサンのアイデアによって、札幌という街の文化は方向づけられたのだから…

というような妄想を巡らせながら歩いていたら天神山緑地に到着。本日のゴールです。ただ、真実のゴールは緑地公園入口の前にある。通りを挟んで、ここに「斧と楡のひつぎ」澤田誠一氏の家があるのでした。
『札幌の彫刻をうたう』は、この邸宅の庭にある峯孝「プリマヴェラ」の写真を載せています。長い間の懸案でした。2007年6月に氏がお亡くなりになってからは「札幌彫刻散歩」の類いの本にも登場することはなくなりました。もしかしたら、東京上野駅前の本郷新「汀のヴィーナス」みたいなことになっているのではと心配していたのです。
杞憂でした。家はありました。さらに、生け垣が低かったので道路からも庭の一部が見え、そこに「プリマヴェラ」の美しいお尻も確認することができました。得意の七倍ズームで写真撮ろうかとも思ったんだけど、それをやったら俺はまるっきりの不審者になってしまうと直前で思いとどまったわけです。残り少ない人生だけど、生きていればどこかで「プリマヴェラ」に逢うこともあるだろう。今日は「在る」ことが確認できただけで充分だ。

平岸小学校前の看板で、ここが「アンパン道路」のスタート地点であることを知りました。ふーん。次回は、あの何故か相性の悪い月寒公園への再チャレンジかな。霊園前駅(現在の南平岸駅)からの巻返しか… 良いかも。


▼ 手塚治虫漫画全集   [RES]
  あらや   ..2020/08/27(木) 10:43  No.550
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「人間像」第75号をやっている2020年の夏中、作業の合間や寝る時にずーっと『手塚治虫漫画全集』(講談社)を読んでいました。
じつは、「人間像」作業も三年目に入ると、仕事部屋の中も本や紙書類がけっこう溜まってしまって保管するスペースがなくなって来たんですね。それで、もう持ちきれない、死んだら遺族が処理に困るであろう本については、自分の責任で生前整理しようと考えています。その第一弾が400巻の『手塚治虫漫画全集』なのでした。
読んでいたのは、その300番台が多かったかな。誰もが知ってる『アトム』や『火の鳥』といった名作はとっくに100番台あたりで完結してしまって、300番台くらいになると、全集配本中も描き続けていた連載もの(当然「未完」が多い…)とか、幼児向けや小学生雑誌などに描いていた昔のレアものとか、そういう作品がほとんどになります。文学全集で言えば「雑纂」みたいな部分ですが、今読み返すとなかなか面白い。興味深い。もう晩年です。劇画の台頭で、もう手塚マンガなんか古臭い、そのヒューマンな描線が嫌だとかさんざん言われていて、本人もそれを気にして変に劇画チックな画風を試みたりするのですけど、今度は、そこに描かれた「暴力」や「残酷」って、本当に戦争を知っている人が描くホンマもんの「暴力」や「残酷」なのですから、フィーリングで生きてるだけの若い奴はますます退いちゃうとかね。わりと不本意な晩年…という印象があったけれど、そんなのが今の自分に少しばかり重なって300番台を読ませるのかな。まあ、いいか。そんなこと。

『手塚治虫漫画全集』全400巻、希望する図書館があれば寄贈します。誰でも読める環境に置いてもらえれば有難い。



▼ 坂坦道&本田明二・バス旅@   [RES]
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:35  No.542
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五月の末日、一月ぶりに白石の実家へ。この2020年5月の一ヶ月間というのは、国のコロナウイルス「特定警戒都道府県」の網が私たちの生活を覆った一ヶ月間でした。

例によって昼間の時間が空いているので、急きょ札幌市内の撮り残し野外彫刻ツアー・第二弾を組み立てました。今回は〈坂坦道〉と〈本田明二〉がメインです。
小樽の、家の近くの「望洋パークタウン前」で札幌駅前行きの中央バスに乗る。札幌駅で降りて、北口出発のバス路線を確認。今回は、前回の清田区方面とは正反対の、北区と東区の境目あたりを行ったり来たりのバス旅です。
北光・北口線の「北49条東3丁目行」を探す。「北49条」なんて札幌、昔の札幌人には想像もできない札幌です。北大が終わって札幌北高のある北24条あたりが私が知ってる札幌の北限なんだけど、いったい「北49条」なんてどういう札幌なのだろう。清田区もわからなかったけれど、「北49条」もよくわからない。

でも、バス停あった。次は11時20分発なので、まだ一時間くらい余裕がある。それで、札幌駅から二区画東の自治労会館へ。ここには、本田明二『朔風』があります。
やはりこういうのが最後まで残るんですかね。札幌駅から徒歩15分、北大側の古書店に行った時でも、ちょっと足を伸ばして…なんて思ってたけど、その「ちょっと」がなかなかできないというか。
それに、この彫刻、真上にぶっとい電線が無粋に走っていて、みんな写真撮るのに苦労しているみたいですね。私も最初はどうアングル変えても電線が映り込むので苛々しました。最後はもう諦めて、わざと電線が顔にかかるように撮ったのだけれど、小樽に帰って来て見直したらこれが一番良かったのです。表情という、本田作品の隠れた特徴を伝えていると思う。


 
▼ バス旅A  
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:40  No.543
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駅に戻り、「北49条」へ。「北45条東8丁目」というバス停で降りて栄中学校を目指すんだけど、途中、このバス旅後半戦のアイテム「東区民センター」や「美香保公園」も通るので各バス停眼を皿のようにして注意していました。

で、これが、坂坦道『歓び』。

坂坦道(さか・たんどう)と言われてもピンと来ないと思うけれど、あれです、あの札幌羊ヶ丘の超有名な像『丘の上のクラーク』をつくった人ですね。ギルバート・オサリバン『アローン・アゲイン』じゃないけれど、一発目であの大ヒット曲が世に出てしまって、他にも名曲がいっぱいあるのに誰も言及してくれない…みたいな可哀想なところがありますね。
坂坦道の魅力は、ポーズ。『丘の上のクラーク』は、私にはドラマチックすぎて照れ臭いものだけれど、中学校の生徒通用門の真ん前にこの『歓び』を置くセンスは大したもんだと思う。校章との相性もばっちり。頭良くなりそう。

 
▼ バス旅B  
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:44  No.544
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同じ路線の「札幌駅北口行」、途中の「北23条東8丁目」で下車。ここを2丁ばかり西に歩くと美香保(みかほ)公園です。公園の一画、美香保体育館前に佐藤忠良『聖火を持った男』がある。聖火とは、もちろん札幌冬季オリンピックの聖火。前回の大倉山ジャンプ場の國松明日香と同じですね。写真は省略。

ここから北区側へ向かいます。目指すは北25条の若草公園。直線で1キロメートル足らずの距離なんだけれど、歩くの辛い。歳とったなあ… 「北24条東4丁目」というバス停を見つけたので、迷わずバスの方を選択。たった二区間なんだけれど、座れるのが有難い。

終点の「地下鉄北24条駅前」で降りて、徒歩再開。ぼんやり歩いているからか、若草公園を通り過ぎてしまいました。引き返さなきゃとも思ったのですが、前方に何か電波を感じます。体内の野外彫刻センサーが発動。近づいてみると、これでした。

 
▼ バス旅C  
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:49  No.545
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https://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/heiwa/rekishi_senseki/senseki/senseki_04/index.html

札幌飛行場 (初代)
札幌飛行場(さっぽろひこうじょう)は、かつて札幌市北24条西(現在の北区)に存在した飛行場。
かつては北海道と東京を結ぶ唯一の航空路を持っていた飛行場で、太平洋戦争中は製鉄・兵器工場のあった室蘭を守備するため、日本陸軍飛行第13戦隊が配備された。
航空機を飛行場へ誘導するための航空灯台は、南1条西2丁目にある丸井今井札幌本店屋上の塔屋に設置されていた。
1945年の終戦とともに閉鎖されたが、跡地では進駐軍の落下傘降下部隊が何度か降下訓練を行っている。
(フリー百科事典『ウィキペディア』)

そもそもの発端が、北海タイムスの社用飛行場だったなんて、「ウィキペディア」には学ぶことが多い。ここだったのか…と思うと、当然、この門柱跡に載っかっているのは、坂坦道『風雪』ですね。こんなに小さい彫刻だったのね…

 
▼ バス旅D  
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:52  No.546
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『風雪』碑の隣の家の門柱(?)にも何かオブジェを発見。近づいてみると、『飛』という銘が入っている。これも札幌飛行場関係の何かなのだろうか?

今回もセイコーマートで若草公園の場所を教えてもらいました。やっぱり、エリアの住宅地図を備えていましたね。えらいなあ。

 
▼ バス旅E  
  あらや   ..2020/06/09(火) 06:56  No.547
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坂坦道『いのち』。

 悲惨な事故が二度と起きないようにとの願いをこめて建立された交通安全祈念の像。
 この「いのち」の像は昭和52年(1977年)に建立されたが、10年にわたる風雪で腕や足に亀裂が入るなど傷んできたため、昭和63年にブロンズで作り直したもの。
 母とその両手に抱かれ、もみじの葉のような手を広げ大空を見上げる幼児の姿は、見る人の心を強く引きつける。
 作家 坂坦道
(札幌市北区役所の解説)

札幌って母子像が多いような気がする。以前写真を撮っているので今回は寄らないけれど、近くの北大病院前には本田明二の母子像があるし、パッと思いつく限りでも、本郷新、佐藤忠良、山内壮夫と名だたる北海道の大御所はみんな母子像をいくつもつくっているし、その大半が札幌に集まっているのだから面白い。

 
▼ バス旅F  
  あらや   ..2020/06/09(火) 07:06  No.548
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地下鉄の北24条駅(南北線)と元町駅(東豊線)の間を結ぶバスが頻繁に出ているので、元町方向に行くことにする。目指すのは元町小学校の川田静子『希望』です。

公園、駅、区役所など、野外彫刻は札幌のありとあらゆる場所にありますけれど、いちばん彫刻作品を所有しているのは何処でしょう?と問われて、私わからなかったですね。札幌なら公園かな…とか思ったけれど、答えは、なんと「学校」なのでした。
そうか、学校か。そういえば、前回の北九条小学校の國松明日香とか今回の坂坦道とか、札幌の学校って時々とんでもない技を繰り出しますね。その学校の卒業生とか、そんな関係なのだろうか。手稲の針山家をうかがった帰り道も、なんで稲積小学校に小野寺紀子、なんで富丘小学校に本田明二と不思議に思ったものだけど、案外、卒業生だとすれば、それはそれで美しい話ではある。

地下鉄で「元町」駅から「東区役所前」駅へ。この辺りは昔住んでいたところなので歩いたって道を間違うわけはないとは思うのだが、最近はそれも怪しくなって来ています。特に、距離感がね。昔は10分くらいで歩いて行ったもんだ…とか思って、今の札幌を歩いてみると、あれーっこんなに遠い場所だったの…ということが増えました。
というわけで、ガチガチの安全策で辿りついた東区民センターではあります。本田明二『手をつなぐ』。なんか、子どもを抱っこしていない母子像って珍しいですね。下から見上げることを計算しているのか、母と子のサイズがちがっているような気もするし、母親の脚が西洋人並みに長い気もする。妙な不安定感があって、私には新鮮な本田明二でした。

 
▼ 「いのち」(初代)  
  あらや   ..2020/06/11(木) 17:55  No.549
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小樽に帰ってきて、愛読書、原子修さんの『札幌の彫刻をうたう』(みやま書房,昭和56年刊)をぱらぱら見ていたら、若草公園の『いのち』について「あれっ…」と思いました。写真に写っているのは、初代のポリエステル樹脂像『いのち』です。

最初、母子像を45度起こしたのが現在の『いのち』なのかなと思ったのだけど、そうだとすると子どもの位置がおかしくなる。それに、初代の母親の右手は子どもをしっかり抱き込んでいる。坂坦道氏はブロンズ化に際してかなり手を入れたようにみえます。初代がポリエステル樹脂じゃなくて最初からブロンズだったら、ここまで劣化することなく今に残ったと思うと、ちょっとこの初代のポーズは感動的ですね。本郷新『嵐の中の母子像』にも負けない力が漲っている。この構図は凄い。こんなの見たことない。


▼ 湖の国   [RES]
  あらや   ..2020/04/27(月) 06:51  No.541
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「人間像」第72号を作業している時、読んでいました。
この本、新刊でも何でもなく、2019年10月出版の本です。柏葉幸子さんの本はたいてい図書館で読めるだろうと思っていたのですが、何故か、この本だけ図書館に入って来ない。コロナウイルスで図書館が閉まっていることもあって業を煮やして買ってしまった次第です。

柏葉さんの本は大事です。東日本大震災直後に発表された本は数多くあったけれど、『帰命寺横丁の夏』ほど感じ入った本はなかった。〈死後の世界〉という痛切なのだが何故か明るく静かな世界に、あの人と同じ東北人の血脈を感じとったのでした。私は、違星北斗が描いた『郷土の伝説 死んでからの魂の生活』も想う。あの静けさ。




 


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