| TOP | HOME | 携帯用 |



司書室BBS

 
Name
Mail
URL
Backcolor
Fontcolor
Title  
File  
Cookie Preview      DelKey 

▼ 三冊目の「別冊人間像」   [RES]
  あらや   ..2023/07/09(日) 10:54  No.993
  .jpg / 30.5KB

この「別冊人間像/千田三四郎特集/連作・落ち穂」の作品構成は以下の通り。

〈1〉『旅のなごり』(←第108号『落ち穂抄』の改稿)
〈2〉『寒影』(←第109号『寒影』の改稿)
〈3〉『壁と窓と』(←「北方文芸」昭和59年新年号『壁と窓と』の改稿)
〈4〉『乾咲次郎との出合い』(←今号の書き下ろし)
〈5〉『霧笛自伝私記』(←第110号『乾咲次郎私記』の改稿)

なお、第112号『戦場の咲次郎』は、今回の「連作・落ち穂」には入っていません。先ほど、その第一弾『旅のなごり』をライブラリーにアップしたところです。

この「別冊人間像」は、図書館では雑誌扱いになるため、いつもの千田三四郎著作とはちがって「貸出」利用で読むことができません。「館内」で閲覧するしかなく、いつも不便していました。今回、人間像ライブラリーに入ったことにより、千田三四郎理解が一層進展することを願ってます。


 
▼ 落ち穂  
  あらや   ..2023/07/20(木) 16:32  No.994
  .jpg / 41.0KB

本日、「別冊人間像/千田三四郎特集/連作 落ち穂」(183ページ)の全てを人間像ライブラリーにアップしました。活字の大きさや組み方がいつもの「人間像」とは異なるためあまり参考にはならないけれど、一応、記録として。作業時間は「77時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2135作品」になりました。

今回の裏表紙は真っ白で、いつもの広告はありませんでした。代わりに、中ほどのページに、「人間像」としては非常に珍しい商業広告が。

乾咲次郎の人生を読んでいて、沼田流人をしきりに想っていました。函館、行きたいけれど、世間は夏休みに入っちゃったしなあ。免許更新のための高齢者講習とか、煩わしいことばっかり。

 
▼ お噺のおじさん  
  あらや   ..2023/07/20(木) 16:37  No.995
   「お爺ちゃん、遊ぼうか」
 近所の子供らが三三五五誘いあい、ちょくちょく押し掛けてくるようになった。咲次郎は化け狐や化け狸、各地の人柱伝説、一茶や蕪村の俳句、芝居噺などを興の赴くままに語って聞かせたが、子供らはその内容よりも元役者のおどけた口ぶりを面白がり、互いに遊び遊ばれての、和やかなざれあいを楽しんでいた。
 清恵も熱心な傍聴者で、子供らが「それ、こないだ聞いたもん」 「あれ、おはなしのすじ、勝手に変えていいの」と異を唱えても、「それでいいから、もっと続けて」と隣室からねだったりした。
(千田三四郎「寒影」)

その頃の父のおはなし≠ヘ、後に私が遠野物語やアイヌ民話の本を読んで感じたのだけれど、必ず「父流」に脚色されていて本物とは大部分異っていた。そして父の話してくれた物語りの方が説得力や迫力があり、ミステリアスな感じさえあって私の胸をうったと思っている。淳が幼稚園から小学生になる頃には、おじいちゃんのお話は淳の友達にも知れわたり、近所の子、遠くから自転車に乗って来る子もいて日中からお話会が始まることもあった。父は仕事の手休めに煙草をすいながら淡々と話したが、子供達は結構興奮して、怖ろしい所では身をすり寄せたり、おかしな話には笑いころげたりしていた。私はその光景を見てほほ笑ましく思ったものである。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出」/メモワール24「おじいちゃんの連続ドラマ」)


▼ 「人間像」第112号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/06/23(金) 18:50  No.990
  .jpg / 27.4KB

6月20日から第112号作業に入っています。佐々木徳次『犬と老人』、千田三四郎『ある納得』、丸本明子『茫々と暮色』とやって来て、今、『茫々――』にズッコケたところです。一休みして、気を取り直して、このBBSに書いてるところ。

この後は、針田和明『異界のささやき』、神坂純『私の〈山頭火〉』などと続いて行って、最後に千田三四郎『戦場の咲次郎』がどーんと控えているといった構成です。ただ、第112号は120ページと薄い号なので意外と早く終わりそうです。(もし時間ができたら、白老の「アウタリオピッタ」展に行ってみようかな…)


 
▼ 戦場の咲次郎  
  あらや   ..2023/07/02(日) 06:41  No.991
   本稿は乾咲次郎の『霧笛自伝私記』十一、十二分冊(およそ三万九千字)の内容紹介である。
 日露戦争の体験記はかなりの数にのぼると思われる。それを未見の筆者の立場で、この私記の資料価値について比較も買い被りもできないが、通読した範囲でメリットを挙げれば次の三点に集約されそうだ。
 一、戦場でひそかに身につけていた日記の透き写しだから、記憶を膨らました部分がいくぶんみられるとしても、その確度は極めて高い。
 一、兵卒として耳目に触れた事実のみ記録しており、多少の錯誤が認められるけれど、かえってそこに情報を与えられぬ低い階級の感性がにじみでている。
 一、義勇奉公的な粉飾をほどこさない、ありのままの兵隊が描かれて、とりわけ自分らがやった略奪行為や、速夜の飲酒、不満の揚言で叱責された失敗なども、隠蔽せずにさらけ出して興味をそそる。
(千田三四郎「戦場の咲次郎」)

ウクライナの戦争のニュースを聞きながら毎日作業をしている。もし、この「人間像」の作業が終わったなら(その時、命が残っていたなら)「松崎天民」の復刻をやってみようか…などとふと思ったりする。

 
▼ 「人間像」第112号 後半  
  あらや   ..2023/07/02(日) 06:45  No.992
   本誌の小説欄も最近は常連が固定化してやや新鮮味を欠いているが、前号の日高良子「ハッピーの嘆き」や本号の佐々木徳次「犬と老人」など久しぶりの人の作品に接すると、何か新鮮な感じがする。この新鮮さを大切にしたいものだ。
(「人間像」第112号/編集後記)

昨日、「人間像」第112号(120ページ)作業、完了しました。作業時間は「59時間/延べ日数11日間」でした。収録タイトル数、「2123作品」。
作業時間は60時間を切ったけれど120ページの本なのであまり参考にはならない。裏表紙は第111号と同じなので省略します。

あまり間を置かずに次号『人間像別冊・千田三四郎特集・連作「落ち穂」』の作業に入りたい。


▼ 「人間像」第111号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/06/02(金) 18:54  No.984
  .jpg / 42.2KB

 ここに一冊の大学ノートがある。五冊で百円という特売用の平凡なノートであるが、これが福田儀一の、ベッドに遺された、死の床での貴重な記録なのである。
(上澤祥昭編「一冊のノート」)

第111号作業、開始しました。第111号は同人・福田儀一氏の追悼号。ページ数も210ページと久しぶりに分厚い感があります。今日も、技術的な問題で丸一日『一冊のノート』と格闘していました。

今、庭のすずらんが咲いています。


 
▼ 笹舟まつり  
  あらや   ..2023/06/08(木) 17:09  No.985
   「もう、行くの」
「十三時二十分が発車なんだ」
 高い上背をそびやかし、振り返ろうともしなかった。ドアが締まる震動で、人形がまたうなづいた。加代は漠然とした不安で、壁の列車時刻表に目をやる。純一がうっかり洩らした十三時二十分が、小樽方面行きにはなくて室蘭方面に出ている。加代はミシンに両肘をのせて、ガラス窓越しのしらじらしい陽光に気後れをおぼえた。
(千田三四郎「笹舟まつり」)

ここのところ書き続けていた「咲次郎もの」ではない千田作品。針山氏以来の黒々とした〈支笏湖〉の登場にはおお!と興奮しました。しかも、この作品には〈山線〉が走っているではないか!

作業はすでに次の作品、針田和明『運河のある街』に入ってます。第111号は、このあと、久しぶりの日高良子さんの作品なども見えてますね。楽しみ。

 
▼ 運河のある街  
  あらや   ..2023/06/09(金) 18:03  No.986
  犬ばあさんがいたのは、この辺りだったな。何十頭という犬をつれて、街の塵芥箱をあさって、クシャンクシャンとくしゃみをしては犬に食べ物をやっていた。ここに堀立て小屋を造り、大きな鍋で魚や得体のしれない物を煮て、犬にやっていた。あの犬ばあさんが、小屋や犬と共に、ある日、忽然と消えてしまった。犬殺しがきて、犬ばあさんまで注射されて殺されてしまった、と子供達は噂しあったものだった。人間も、倉庫も、船も、みんなかわっていく。
(針田和明「運河のある街」)

いつもの札幌ものとはちがって、舞台が小樽だと妙にしんみりしますね。針田さんが住んでたところ、小さな山間ひとつ挟んで、針山さんが住んでいたところに近いんじゃないかな。子ども時代に接近遭遇してるかもしれない。

 
▼ ハッピーの嘆き  
  あらや   ..2023/06/12(月) 11:55  No.987
   ボクが有川家にやってきたのは、ちょうど三年前の春のことであった。
 長男の慎一君が由美子さんと結婚して、この家から出て別居することになったので、そのあとの侘しさを慰めるため――つまり、慎一君の優しい孝心が動機で、ボクが飼われることになったという訳である。
 慎一君の大学時代の友人が、南方から鳥類を輸入する会社に勤めていて、そのつてでシンガポールから日本に着いたばかりの、生後五か月目のボクに白羽の矢が立ったのであった。
(日高良子「ハッピーの嘆き」)

『ハッピーの嘆き』の作業をしていた先週は楽しかった。今回も素晴らしい日高作品を読むことができた。創刊の昔から感じていることだけど、人間像同人に日高さんがいるのといないのでは、〈人間像〉という存在の重みがちがう。得がたい人。

 
▼ 私の『山頭火』  
  あらや   ..2023/06/17(土) 16:32  No.988
  いや、驚いた。「山頭火」の評論だと思ってたらたらワープロ作業を続けていたら、

 行乞を始めた初日に、餞別の金を全部飲みほした山頭火は、次の日重い身体をひきずり乍ら、本心と思われる弱音をはいている。その日の宿賃と一椀の食事にありつくために、とにかく身体を動かさねばならぬ。
(神坂純「私の『山頭火』」)

この次の行は、このように展開される。

 債鬼に追われて、失業中の友の下宿にころがり込んだ私も、友がさし出してくれる一椀の雑炊に、行乞の僧と同じ思いを抱いたものだった。
(同書)

ひえー、こういう『私の「山頭火」』だったんだ。

栄養失調の前兆がみえてきた頃は、このまゝ死ねるものならとも思ってみた。しかし私には、やらなければならない仕事が、これから生れ変って、やらねばならぬ仕事が山程あった。簡単に死を考えてはいけないと、何度も自分に云いきかせた。
 山頭火が、一日の喜捨をその日の中に飲み尽すのは、明日の働きに迷いが出ぬように、自戒するためのものであったかもしれない。
(同書)

 
▼ 「人間像」第111号 後半  
  あらや   ..2023/06/18(日) 17:11  No.989
  .jpg / 45.7KB

本日、「人間像」第111号(210ページ)作業、完了です。作業時間は「88時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は「2111作品」。

◇昨年の新春早々から入院生活を続けていた福田儀一が、八月十六日胃ガンのため亡くなった。追悼文の欄にも書いたが、本号の当初の計画は、長い闘病生活を元気づけるために彼と上沢のコンビで詩の特集号を作ってやろう、と言うことだった。それが、病状の悪化で計画通りにならず、遂に追悼詩集というような悲しい結果になってしまった。
(「人間像」第111号/編集後記)

どこからか例大祭の太鼓の音が聞こえる。水天宮かな。


▼ 「人間像」第110号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/05/13(土) 11:43  No.981
  .jpg / 42.6KB

あの人はよく海の話をしていた。永いこと船員として外国をめぐっていたあの人にとっては、海が故郷だったのだろう。わたしがきいたことのない港の名をたくさん識っていて、港々で遭遇した面白い話を寝物語にしてくれた。女、酒、喧嘩、など、あの人が話すとすべてが生々としていて、わたしはあの人のことをなんでもしりたくて根ほり葉ほりきいていたっけ。あの人は年の違う子供のようなわたしに、いやな顔ひとつせず話してくれた。……あの人が逝った時、わたしは札幌のお寺にするか、小樽のお寺にするか迷ったけど、やはり小樽にしてよかった。ここなら海もみえるし、潮風もふいてくるだろうし、あの人もきっと喜んでいるだろうな。
(針田和明「穴」)

連休が終わった5月8日から第110号作業に入っています。丸本明子『三毛猫』に続いて、先ほど、針田和明『穴』をアップしたところです。以下、神坂純郎『ある出逢い』、千田三四郎『乾咲次郎私記』、佐々木昌子『孫と童話』と続きます。

五月、作業をしている窓から小樽の海が見える。


 
▼ 乾咲次郎私記  
  あらや   ..2023/05/25(木) 18:37  No.982
  .jpg / 55.6KB

 九日には左のかた遥かに九十九里浜を眺めやり、十日朝には萩の浜に寄港、宮城県の四十余戸が乗船すると、夕日を浴びて出帆した。日ノ出丸は汽船だが、順風には帆をあげて速度を加える。十一日には潮を吹く鯨を望見し、十二日には右のほう遥かな函館を過ぎ、白神岬の沖を迂回して福山の松前城を遠く眺めやり、江差の沖を通った。小樽に入港したのは十三日午前十一時ごろ。
(千田三四郎「乾咲次郎私記」)

5月21日より第110号最大の難関『乾咲次郎私記』に入っています。ルビの大嵐。引用は北海道の屯田兵村〈永山〉を目指して乾一家が兵庫の港を出航したところ。

 十四日朝早く、天幕張りの炭車に乗せられて出発。札幌、江別、岩見沢、沼貝(現美唄市)を経て、空知太(現滝川市)の終点で下車した。一里弱を歩いて、渡し舟で石狩川を越え、さらに少し行くと三十戸ばかりの市街地。五、六軒しか宿屋がないので一般の家にも分宿した。布団の不足分は司令部から運ばれてきたが、それでも足りないらしかった。
(同書)

これでもゴールじゃないんだよ。ここから二泊三日かかる。北海道は遠い。
画像は「第3回朝里川桜咲く現代アート展」会場に咲いていたチューリップです。

 
▼ 「人間像」第110号 後半  
  あらや   ..2023/05/27(土) 16:44  No.983
  .jpg / 61.6KB

 十六日も徒歩。一時間ほどで国見峠にかかり、雨竜原野を見下ろして、さらに石狩川の左岸を進むと神居古潭。数名の囚人が作業中で、看守が木の伐り株に腰をおろして監視していた。誰が聞いてきたのか、ここで看守がきのう囚人に殺されたそうだと耳打ちしあう者がいた。そこを過ぎると、河のなかへ突き出た岩に尻を乗せたアイヌが手網で魚をすくいあげている光景にぶつかり、一行は興趣をそそられた。岩をかむ急流や渓谷と緑蔭に嘆声を洩らしていた。台場が原を通り、山坂道を越えて、いまの神居のあたりにあった忠別分監に着くと、多くの囚徒が野菜の作付けをしていた。明日はいよいよ永山ということで、人びとはここの物置や空き官舎に早寝をした。
 十七日は朝の六時に出発。忠別川を渡し舟で越したが、後から来た一行は下流の土橋を渡ったということだ。本町通りの角(現一条二丁目付近)には、口五の家印の空き商家が一軒きりで、五丁目を中心に粗造りの商店が七、八十軒ばらばらに並んでいたが、通称囚徒道路を八丁目から十八丁目へと歩き、雑草を踏み分け露に腰まで濡らしつつ牛朱別川西岸にたどりついた。茂る岸の柳の枝をくぐって、丸木舟で渡ったところが今の新旭川の境橋東岸付近。道路の右側に永山兵村の高い標柱が立っていた。一行は午前九時ごろから陸続と入村した。
(千田三四郎「乾咲次郎私記」)

ふーぅ、やっと〈永山〉に着いた。

「人間像」第110号(162ページ)作業も到着です。作業時間、「81時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2086作品」になりました。裏表紙画像は第107号〜第109号と同じなので省略します。


▼ 「人間像」第109号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/04/24(月) 16:26  No.978
  .jpg / 57.3KB

 夏から秋にかけて祭りを縫いながら深川―岩見沢間の鉄道沿線の町村を行きつ戻りつ巡業して、石狩川を渡し舟で浦臼にわたり、右岸沿いに晩生内、月形、当別、石狩と打ってゆき、霙ふる十一月下旬が小樽だった。人力車十七台をつらねビラを撤きながら華やかな町廻りをしたが、花園座の初日は二百人余りの客しかなかった。
 (中略)
 ここで考えついたのがおとぎ芝居≠ナ、数年前から巌谷小波や川上音二郎がそれぞれ試みていることは仄聞していたが、まだ北海道では誰も手掛けていない。咲次郎が、小樽でいちばん大きい量徳小学校へ交渉にいったところ、住吉定之進校長の返事は「二宮尊徳翁の少年期を扱うなら、当校ばかりでなく付近の小学校にも観劇の呼びかけをしたい」ということで、否やもなく日曜日の午後に決まった。
(千田三四郎「寒影」)

四月下旬より「人間像」第109号作業に入っています。本日、その『寒影』をアップしました。以下、内田保夫『明日の較差』、針田和明『さぶ』、丸本明子『ポピー』、神坂純郎『北の岬の村で』と続いて行きます。137ページなので先号とそんなに変わらないのですが、なにか、雑用がわらわら入って難航してます。古宇伸太郎から香山リカまでの人材を輩出した量徳小学校、もうないんですよ。


 
▼ 〈水脈〉五  
  あらや   ..2023/05/05(金) 17:39  No.979
   便船に間に合わせるための、早手廻しの荷造りが始まると、モモ代は夫共々手伝いに来て、この人が、と思うほどの甲斐々々しい働きぶりをみせた。
 (中略)
 その夜はさすがに母もなけなしの馳走をつくり、二人の労を犒うのだった。
「今夜は送別の前夜祭として、私のとっておきの歌を聞いて頂戴」
 モモ代はそう云うと、「ソルベイグの歌」のアリアを、しみじみした思いを込めて歌ってみせた。どこか本物の味のある、すばらしい出来映えに私には聞えた。この人は、やはり都会に出て暮すべき人なんだ、そう思った。
(神坂純郎「北の岬の村で」)

「ソルベイグの歌」ってどんなだったけ…と思って作業してたら、FMの「クラシックカフェ」からグリーグの「ソルベイグの歌」が流れてきた。NHK、久しぶりのナイス! アニソンだの、Jポップだの、英会話だの、なんでFMでこんなもんやるんだ…(作業妨害も甚だしい…)という最近のNHKではあります。

「水脈」シリーズも今回で第五回。『蹌踉の記』と話が一部重複するのだが、「水脈」の方は〈ヰタ・セクスアリス〉的な線を狙っているのかな。流れだと、劔地はこれで終わって、小樽話が始まるのだが。

 
▼ 「人間像」第109号 後半  
  あらや   ..2023/05/05(金) 17:43  No.980
  ■或る職場の先輩の定年退職激励会に出席し、席につくや否や、「針山さんですね」と声をかけられた。今の職場の同僚以外に知人などいるはずもない席だったので、「はて、だれだろう」と思ったものの、相手は満面に親しそうな笑みを浮かべているので、僕も、さも懐かしそうな笑みを返したが、「Iです。久しぶりです」と言われるまで、実は判らなかった。「あ、Iさん、本当にしばらくですね」と言うことになった。I君も、今回の先輩とどこかで職場を共にしたらしい。I君というのは、「人間像」三十号ころまでの同人で、三十年ぶりの再会であった。懐しい昔ばなしのあとで、「どうです、また『人間像』に戻って書いてみませんか」と誘ってみると、「もう従いて行けませんよ」と謙遜した後で、「年金でもついたらすぐ退職して、二三年勉強し直してから、またお願いしますか」と笑っていた。三十年もペンから遠ざかっていながら、やはり心の隅には文学の虫が生きているという様子であった。
■さて、本誌の同人もみな高齢化し、それぞれの職場を退職する日が近いものが多い。千田のようにすでに退職して年金生活に入ったものもいるが、「年金作家」もそんなに気楽ではないといっていた。(後略)
(「人間像」第109号/編集後記)

令和5年の「こどもの日」、「人間像」第109号(137ページ)作業、完了です。作業時間、「71時間/延べ日数12日間」。収録タイトル数は「2067作品」になりました。裏表紙画像は第107号、第108号と同じなので省略します。


▼ 「人間像」第108号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/04/06(木) 16:44  No.975
  .jpg / 53.2KB

四月より「人間像」第108号作業に入っています。第108号の概要は、針山和美『学力テスト』、丸本明子『留学生』、針田和明『シャルル沼』、千田三四郎『落ち穂抄』ですが、今、『シャルル沼』のアップを終えたところです。今日から『落ち穂抄』に入るのですが、なかなかの大作ですので一週間くらいの時間がかかるのではないか。

針山和美(あれ、和美に戻ってる…)『学力テスト』は、四年前の「京極文芸」第11号に発表された『重い雪のあとで』と同じ作品です。『山中にて』のように、京極文芸版と人間像版とではストーリイそのものまでガラリと変わった例もあるので、今回の『学力テスト』も注意して作業したのですが、今回は意外や意外、変わったのはタイトルだけで、中身は一字一句同じでした。誤植の位置まで同じなので、京極文芸版をそのまま印刷に回したのかもしれませんね。とにかく、現役の京極小学校教師の時にこの作品を発表するのだから度胸ある。


 
▼ 落ち穂抄  
  あらや   ..2023/04/11(火) 17:22  No.976
   明治四十年を江差座で迎えた咲次郎は三十四歳、美佐が三十九歳で、まだ入籍の届けをしていなかった。正月興行は、元旦から二月十二日までの長期にわたったが、百円近い歩金を座員に二度配分できた。
 一月二十五日の夕方、細井実あてに〈角藤定憲、神戸の大黒座で死去〉という電報が、函館の池田座経由でもたらされた。咲次郎は十年前、小樽の住吉座で開演中の角藤を楽屋に訪ねている。大柄で眼が鋭く髪が縮れて無愛想だったが、新演劇の元祖を名乗るにふさわしい壮士役者の気概が感じられた。細井はその当時の座員で、さっそく自分の香典二円に霧島信道の一円を添えて、角藤派座員代表笠井栄次郎あてに郵送した。折り返し届いた会葬御礼の葉書には、喪主がなく、親戚と座員代表の姓名が印刷されていた。
「角藤さんには、妻や子がいなかったのかな。……だとすると、寂しいことだ」
「辰之助さんと同じみたいなら、かわいそうだ。でもさ、川上音二郎には貞奴がついているように、霜島信道には美佐がいるから」
「死んでも大丈夫か」
 咲次郎は失笑したが、壮士芝居の晩鐘をきく思いで、会葬御礼の葉書を行李にしまった。
(千田三四郎「落ち穂抄」)

「住吉座」の名が出て来たので、思わず長々と引用してしまった。ここの前の通りを、明治四十年秋の深夜、怪しいアベックの後をつけて行きましたというのが小樽日報記者・石川啄木というわけですね。(片割月忍びの道行)

乾咲次郎については、次回にでも。あと20ページばかり…

 
▼ 「人間像」第108号 後半  
  あらや   ..2023/04/14(金) 14:56  No.977
  .jpg / 30.5KB

一昨日、「人間像」第108号(142ページ)作業、完了です。作業時間、「65時間/延べ日数15日間」。収録タイトル数は「2050作品」になりました。
わりとあっさり60時間台に入りましたね。次、目指すは50時間台か。裏表紙は第107号と同じなので省略します。

画像は、二年後の昭和60年(1985年)に発行される『人間像別冊』です。「連作 落ち穂」とありますが、内容は『旅のなごり』〜『寒影』〜『壁と窓と』〜『乾咲次郎との出会い』の四作と、この連作の基となった乾咲次郎の『霧笛自伝私記』が収められています。この内、『旅のなごり』は今号の『落ち穂抄』の改題。

次号(第109号)に『寒影』が見えますね。


▼ 「人間像」第107号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/03/10(金) 14:30  No.968
  .jpg / 48.0KB

 夜になると、この埋立ての半島に狐火がゆれて、狐が走る。
 この半島は、山を削って、埋立て、海岸線から、突出した造成地だ。
 その山は、その昔、墓地だった。
 昔は死者を棺のまま地中に埋葬するから、山のあっち、こっちに、死者を埋葬して、自然の中へかえした。死者は土の中へとけて消えていく。
 だから、この造成された半島には、死者が一緒に埋められ、固められている。この造成地は墓地が移住したのと変らない。
 死者も、静寂境の木々のざわめきから、海の波の音のざわめきを聞く環境の変化にとまどっていることだろう。
(丸本明子「夾竹桃」)

丸本さん、巧くなりましたね。(←何を、偉そうに!) 詩人が小説を書こうとすると、大抵は文章に変な力みがかかって読むのが辛くなるのです。以前の丸本さんの小説もそうでした。でも、復帰後の作品は読める。特に、この『夾竹桃』は遂に丸本さん独自の世界を構築したな…と感じました。

今週から「人間像」第107号作業に入っています。『夾竹桃』以降、内田保夫、村上英治、竹内寛、針田和明と続き、ラストは『阿片秘話』ではなく(←終了か?)、千田三四郎(←おお、久しぶり!)『遠い疼き』となります。いやあ、復帰の嵐ではないですか。


 
▼ 蘭学事始の私的考察  
  あらや   ..2023/03/16(木) 17:57  No.969
   私は何度となく、その絵図の上を歩いて小塚原の仕置場を訪れていた。
 千住大橋を渡り左右に百姓地を見ながら小塚原を通る。いわゆる小塚原は浅草から奥州道へ出る街道があり、小塚原町、中村町などが、その道筋におよそ六百軒近い家並みをつらねていた。八十軒近い旅籠屋があり、そのうち半数近くは、飯盛女がいるという噂をきいていた。仕置場の近くにこのような家並みがあるとは思いもよらぬことであった。
 (中略)
 ゆるい風が潮流のように、田地の上を吹いていた。風の流れの中に渡って来る野の匂があった。その向うに低く家並みが続いている。下谷、三ノ輪あたりかも知れない。
 行手に烏の群れている灌木の林が近づいていた。
(村上英治「蘭学事始の私的考察」)

久しぶりの村上氏。最近の(といっても1980年代だが…)「人間像」で目立ってきている〈評論+小説〉渾然一体型の作品ですね。かつての朽木寒三氏の作品とも少し違う。竹内寛氏の同人参加が刺激になっているのでしょうか。

 
▼ シャクシャインの乱  
  あらや   ..2023/03/16(木) 18:00  No.970
   おだやかな彼の声が続いた。
「私もこの砦に足を運ぶ様になってから、もう六年にもなります。あなたの聞きしにまさる勇猛ぶりには、ほと/\感服致しております。あの、獰猛な大熊を一矢で射殺した力、頑強なオニビシ一族を撃ちほろぼした、たくみなかけひき、どれ一つをとっても、松前の柔弱な侍達の遠く及ぶ所ではありません。そのあなたが、松前に負けるなどという事は、思いもよりません。只、万々一の場合についても、考えてはおります。その時は遠く、襟裳岬を越えて、クスリ(釧路)まで逃げのびることです。このシベチャリにも、仲々手を出せない松前が、あの霧深いクスリまで、とうてい馬を進める事は出来ないでしょう。そこで部下をまとめ、女子供を安心させて、再び攻めのぼる算段をする事です」
 シャクシャインの腹は決った。
(竹内寛「シャクシャインの乱」)

シャクシャインについてはかなり知ってるつもりでいたが、新発見が二つも三つもあった。勉強にもなり、読んでても面白い、不思議なスタイル。

 
▼ 台所の歌(三)  
  あらや   ..2023/03/22(水) 18:24  No.971
   十年前になる。
 長靴を買った。
 わたしはそのときリヤカーを引いていた。
 ゴミ捨場から金目のものを拾っては生計をたてていた。
 その行為に怒った男が一人だけいた。
 わたしが所属していた大学の講座の教授である。
 旧帝国大学で博士号をとって、なぜにリヤカーを引くのか、え? とかいってカンカンに怒った。
 東大出の教授に庶民の気持なんかわからんべ。
 悪いことは重なる。
 リヤカーを引いてるのがNHKのテレビでとりあげられ、わたしは十五分の番組の主役になった。
 教授は、わしでさえでてないテレビに主演するとはなにごとか、といったとかいわないとか。ま、学部の教授会で問題になった。
(薬師丸五郎「台所の歌(三)」/長靴)

「薬師丸五郎」となっているが、針田さんであることは丸見え。いきなり(三)となっているのが不可解で、もしや『同人通信』の方に(一)(二)があるのかなと思って調べてみましたが、それらしきもの無し。

「NHK」か。私にも似た経験ありますよ。「道新」に載るのが羨ましくて羨ましくてしょうがない馬鹿たち。

 
▼ 二人の休日  
  あらや   ..2023/03/22(水) 18:28  No.972
   良平は両手で潜水帽をもちあげてゆっくりとかぶった。六、七キロの重さがあろうか、海の中であればそんなに苦にならない重さであろうが、地上では重みがじわっと両腕にのしかかってくる。
「おーい、志保、ここは海の中だ。わたしは潜水夫だぞ。ニュラニュラの蛸さんいないかな、亀さんはどこにいるかな」
「わっ、せんすいぼうだ」
 人形で買物遊びをしていた志保は大喜びだ。大急ぎで亀のぬいぐるみをとりあげて、「かめさんはここにいるよ」といった。
「お母さん亀さんはどこだ」
「いるよ、いるよ、あそこだよ」
(針田和明「二人の休日」)

なんとなく、針山氏の『病床雑記』を思い出す。本日、針田和明『二人の休日』をアップ。さあ、これでラストの千田三四郎『遠い疼き』を残すのみとなりました。

 
▼ 遠い疼き  
  あらや   ..2023/03/24(金) 11:19  No.973
   そうしたことのなお二年前、佐武郎は夏休みを徹らと一緒に水泳禁止の灌漑溝で遊びほうけた日があった。赤ふん姿の徹は畑から西瓜を掠めてきて、年下のふりちんたちに振舞いながら、何を思ったのか「この灌漑溝が出来るまでに、タコがうんと死んでるそうだ」と言いだした。
 車座のひとりが「いつか誰かに聞いたことあるよ」と応じたのに頷きかえし、「俺の親父は石川県で人夫募集に騙されて、ここの工事中に飯場入りしたんだ。棍棒でどやされながら働いたというな」と打ち明けた。
「そうか、タコだったのかい」
「あまりの虐待にくやしくなって、決心したのが、こき使われるより、こき使えだとさ」
(千田三四郎「遠い疼き」)

久しぶりの千田作品が「タコ部屋」作品だとは。感じ入りました。

 
▼ 「人間像」第107号 後半  
  あらや   ..2023/03/27(月) 10:26  No.974
  .jpg / 49.8KB

昨日、「人間像」第107号(172ページ)作業、完了しました。作業時間は「86時間/延べ日数17日間」。収録タイトル数は「2031作品」です。

作業を開始した3月8日には街中に山のようにあった雪も、今日3月27日には、道路にはもう雪はなく、わずかに庭や公園にまだ残っているといった状態でしょうか。例年と変わらないと思っていたけれど、今年の後志は大雪だったと新聞は言っている。函館はもう雪はなくなったそうで、観光客でごった返す前に動こうかなと思ったりする。山線にも乗っておきたいし。

今、第108号をパラパラと見ていたら、針山和美『学力テスト』や千田三四郎『落ち穂抄』が見えますね。やっぱり第108号の方に舵を切ろうかな。


▼ 「人間像」第106号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/02/22(水) 17:34  No.964
  .jpg / 41.6KB

2月20日から「人間像」第106号作業に入りました。本日、針田和明『襤褸』をライブラリーにアップ。以降、丸本明子『花びら』、北野広『夢見る頃』、神坂純郎『青春哀歓』(水脈・第四回)と続き、ラストは針田和明『阿片秘話(第六回)』となります。
北野広氏の復活にはけっこう吃驚しています。前回発表が第83号(1969年)の『反省書』ですからね。まだ小樽なのでしょうか? 早く『夢見る頃』読みたい。

沼田流人の調査は、今、窓の外の雪がなくならないと身動きとれない…といった状態です。あと一冊、必要な本があります。


 
▼ 夢みる頃〈冬〉  
  あらや   ..2023/02/26(日) 06:27  No.965
   「されよ、されよ、されよ。………」
 私たちは、せいいっぱいの声で、どなりながら、すべっていった。中学校の上の角の、野口雑貨店のところまでが、特別急な坂であった。ガリガリガリ、そりは、凍った路面を次第に、スピードをあげ、すべる。
 グワン、体が、何となく、ふわっと、浮いて、道路のわきの、やわい雪の中に、ほうりだされた。
 道路わきに、かためて、捨ててあった、灰(あく)の山に、ぶっかったので、あった。
「いや、びっくりした。みんな、大丈夫か」
 青池さんが、みんなを、見まわした。
「おっかなかったな」
 坪田さんがいう。
「ふっとんだもな」
(北野広「夢みる頃」)

小樽中学(現・潮陵高校)の上の五百羅漢のあたりから、橇に乗って坂を滑り降りてくる様子ですね。時代としては、針山和美『わが幼少記』に描かれた時代と同じ小樽です。

 
▼ 夢みる頃〈夏〉  
  あらや   ..2023/02/26(日) 06:31  No.966
   夏は、ゆかいだった。うちへ帰ると、かばんを、ほうりだして、学校の上の、だんだん山をこえて、平磯岬(ひらいそみさき)の、ライオン岩のところへいく。その岬から、海へ、小さな岩が、点々と続き、海水に洗われ、白い波頭をあらわす、ずっと遠浅になっていた。「ほんだわら」という、茶色の、小さな小豆粒ほどの玉のついた、海草が、びっしり生えていた。ところどころ、深いところがあり、私たちは、それを「えんかま」と、いっていた。「えんかまは、入口は、狭いけど、底の方は、拡がっており、おちたら、たすからないんだぞ」と、卓司さんや、卓司さんの兄さんなんかにおどかされていた。腰のあたりから、胸のあたりまである、えんかまのない、海中の岩をつたって、足で「えぞばふんうに」をとった。私たちは、それを「がんぜ」と、よんでいた。足に、ちくりとさわる。それをとりあげる。大きいものは、直径五センチメートルもあったが、わたしたちのとるものは、たいてい三センチもあれば大きい方で二センチぐらいのものもあった。
(北野広「夢みる頃」)

話は秩父別(ちっぷべつ)の幼少期から始まるのだが、小樽に引っ越してきてからの方が圧倒的に面白い。「学校」と言っているのは潮見台小学校です。ルビや句読点の使い方が独特で、少し時間がかかった。

 
▼ 「人間像」第106号 後半  
  あらや   ..2023/03/04(土) 17:01  No.967
  .jpg / 21.7KB

昨日、「人間像」第106号(147ページ)作業、完了です。作業時間は「70時間/延べ日数12日間」でした。収録タイトル数は「2015作品」になっています。
この裏表紙画像が微妙に曲がっていて、ついに我慢できなくなって、昨日、一から撮り直しました。それがなかったら、作業時間は60時間代に入っていたんだな…と思うとちょっと残念。ま、第107号があるさ。

■今号から発行所の所在地が変った。十年ぶりのことである。『人間像』の発行所は、針山の転勤とともに住所を変えて来たが、創刊以来一貫して北海道後志支庁管内にあった。倶知安町・喜茂別町・余市町・共和町・京極町という具合で、みな小さな田舎町である。全国規模(?)の同人雑誌が、北海道の片田舎から発行されている、ということが本誌の特色の一つでもあった。それが今度、針山の転勤とともに、東京以北最大の都市、札幌に移ったのである。何やら特色が消えてしまうような一抹の淋しさもあるが、もちろん中味に変化はない。今までも、道内同人会は殆ど札幌で開いていたのだから、むしろ好都合となった訳で、同人の交流が多くなるメリットの方が大きい。このメリッ卜を最大限に生かしてなんとか内容の充実を図りたいものと思う。
(人間像・第106号/編集後記)

来週の天気予報、晴マークがずらーっと並んでいます。冬、ついに終わったかな。


▼ 「人間像」第105号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/02/02(木) 18:04  No.962
  .jpg / 30.5KB

久しぶりに「人間像」作業、再開です。本日、針田和明『薬価』、丸本明子『飛翔と落下』の二作品をアップしました。(丸本さん、復帰ですね…) 以下、佐藤修子『木地山の小芥子』、神坂純郎『水脈(第三回)』と続いていって、ラストはお約束の針田和明『阿片秘話(第五回)』となります。

沼田流人関連の仕事はまだまだ残っているのですが、あまりそこに集中しすぎるとまた流人像を見誤るという判断です。いつもの「人間像」の仕事に戻ることで少し頭を冷やしてから流人の仕事を再開したい。それに今は冬の真っ最中ですからね。ぼやっとしていると、雪に埋まっちゃう。


 
▼ 「人間像」第105号 後半  
  あらや   ..2023/02/15(水) 14:44  No.963
  .jpg / 14.0KB

本日、「人間像」第105号(170ページ)作業、完了しました。作業時間は「84時間/延べ日数17日間」、収録タイトル数は「2002作品」です。

■困った傾向と言えば、本誌の発行状況もまた然りである。去年も一冊より発行できなかったが、今年もまたこの号一冊きりとなってしまった。同人の年令が高まって社会的に一番多忙な時期であると言うこともあるだろうが、裡より燃焼するエネルギーが枯渇したことも大きな要因となっているのに違いない。しかし、五十代で枯れ果てるのは、いかにも早すぎる気もする。このたび五千枚に及ぶ大長篇を仕上げて「北海道新聞文学賞」を受賞された吉田十四雄氏は七十才と言うことだ。四十、五十で音を上げてしまうのは恥かしいと思った。もちろんこれは僕自身に言っているのだけれど。
(人間像・第105号/編集後記)

一年に一冊か… 気がついたら時代は1981年の11月。次の第106号をぱらぱら見ていたら、なんと発行日が1983年1月! 二年に一冊になっちゃった。しかしこの間には、針山氏の京極町京極小学校から石狩町南線小学校への大異動がありますので仕方ないと言えば仕方ない話なのですが。札幌・新発寒の新居に書斎もできたことですし、第106号以降の「人間像」は復調してきたような印象があります。針山氏の小説執筆も再開だったような記憶も。


▼ 松崎天民2   [RES]
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:06  No.953
  新聞記者なら、もう一人知ってるよ。

 お嬢様派出所を狙ふ
 色内町は四十四番地丸和乾物店の主人は元手宮辺にて筑港に雇はれ来りし石工なりしが、上部の営業計りでなく心までセメントで堅めた甲斐は近来メキ/\と身代上り行くに従ひ、以前の股引半纏はスツカリ小樽の海へ捨てゝ仕舞ひ専ら海陸物産商に手を出せしが、運の可い時は何処までも可いものにて日増に太り行く身代に一家の喜び一通ならず。屋号も丸和と称へ一族平穏無事安泰に暮し居るのみにては三面記事にならぬが、満れば欠くる世の習、此処の娘におうめ(一七)と云ふ一見廿歳計りの美形あり。其の心掛けも中々親父に譲らざる程の勉強女にて、昼は稲穂町の裁縫教授所に通ひ夜は付近の夜学校にての学問、それは/\感心な娘なれども、元より木で拵へたおうめ様ならず、何時しか人の情を知り初めてより紅お自粉に浮身をやつし打つて変つた近頃の素振に親父も眉を潜めそれとなく探険つて見れば、去る派出所の巡査某と唯ならぬ仲となり毎夜の学校をぬきにして然るそば屋の奥二階にてトンダ教授を受けて居ると解り、或る日娘の親しき友人に色々云ひふくめ内々意見を施して見たが中々聞かばこそ、矢も楯も通つたものにあらず、何がどうなるとも此の意中の人と添はねばならずとて、昨今二百三高地を振り立て/\派出所の前を日に幾回となく通過して居るとか。
(石川啄木「小樽のかたみ」)


 
▼ 探訪記者  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:10  No.954
   天民は、日本の新聞探訪員について、「日本の新聞事業は未だ幼稚なもので、探訪員の取って来た種を、内勤記者が筆の先で事を誇大にしたり、又は其種の生命ともいふべき処を抹殺してしまふことがある」と明らかにしている。天民が密かに思っていることは、「新聞事業の発達するに連れて、今迄の無学な探訪員は淘汰されてしまい、更に内勤記者が探訪に出掛けて、自分で種を取り、自分で文を作るやうになるであらうと」、推測している。これは、『小天地』の詳細な探訪記事経て、ほぼ一〇年後に天民が『東京朝日新聞』の社会部探訪記者として実践していくのである。
(後藤正人「松崎天民の半生涯と探訪記」)

啄木の『お嬢様――』なんか、典型的な「筆の先」ですね。じゃあ、天民の探訪記事はどうなんだ…ということになるのですが、松崎天民の本をきちんと集めている図書館って北海道では皆無に近い。青空文庫には一作品だけだし、古書価はとんでもない値段だし。その点、後藤正人さんの『松崎天民の半生涯と探訪記』は四作品を全文掲載してくれているのでありがたい。初めて天民の文章の一端といったものに触れることができました。

 
▼ 木賃宿  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:12  No.955
   東枕の一列を見ると、両端の二人だけは白河夜船の様であるが、他の三人はなか/\寝入りさうもなく、何事か話をして居るので、耳聳(そばた)てへ聞くと、何れも土方仲間の、話すことは余程面白い。
「ヘヽン、これでもな、神戸の船渠(ドック)で働いて居った時分には、金廻りが好かったものぢやから、福原に遊びに行くぢやらう。すると貴様娼妓(じよろう)によ、情死(しんじゆう)を勧められた事もあつたからなア。何うぢや、豪(えら)からうが、遊びに行かんかい今夜……。」
 これは音吉といふ四十男が、酒に酔うての追懐(おもいで)らしい。
「天満座や福井座は面白う無いなア。芝居は南に限るが、遠い……一里もあらうなア。五階の傍(はた)には淫売婦(いんばい)の馴染みかおるが、それも遠いから行けん。ヘツヘツヘツヘツ。」
長蔵といふ三十一二の男は、斯(こ)ういって蒲団を被り、
「世間じやア恐ろしいものを、地震、雷、火事、親父といふが、俺等(おいら)の恐いものは雨より他(ほか)にないて。三日も降られてみい、口が餓(ひ)あがってしまうぜ。」
二十八九の青治郎といふのが、斯ういつた後は、名古屋……人夫……朝鮮……従軍……師団……など漏れ聞えて居たが、果(はて)は何れも鼾(かん)声雷(らい)の様に成てしまつた。
(松崎天民「木賃宿」)

 
▼ 酒場  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:15  No.956
   「やあ、来た、来た!」
 入口に近い壁に靠れていた痘面の靴修繕師が叫び出した。向うの隅の方の壁の下では、五六人の彼の仲間が、何か声高(こわだか)に言い争っていた。明三は、そこへ引ぱって行かれた。
「さあ、今度は俺が、誰かを殺してやる。その時、お前がまた俺の首に縄をまいてくれ」
 靴修繕師は、舌縺れしながら、呟いて彼にカップをさし出した。
「やあ、死刑の大将……」
 磨師は、例の奇妙な礼装をして、醉ぱらった手を彼に差延べた。
「お前様がその新聞に書いた人かね」
 ほんの、一碼くらいしかない躯幹(せたけ)の、もう七十くらいの鋳掛師が、食卓の傍に立上って、彼の顔を覗き込んだ。
「ふうむ、この人かい……」
 恐ろしく丈の高い、佝瘻の蜘蛛かなぞのような奇怪な頭をした火葬番の老人が呟いた。
「何故そんなに、皆、僕の顔を見るんです……」
 明三は、腹立しげに言った。
「いや、俺等は今、その男の事で、死刑になった人間の事で、喧嘩をしてたんだ。つまり、……」
 靴屋がまだ、言いきらないうちに、どこかからひどく醉ぱらった山口編輯長が出て来た。
(沼田流人「血の呻き」/第七章)

 
▼ 貧民窟  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:23  No.957
  『血の呻き』の函館の舞台には、どうして貧民窟の酒場や木賃宿が好んで使われるのだろう…といつも思ってました。あるいはこれは、流人のロシア文学(二葉亭四迷)趣味なんかがなせる技なのかな…と考えた時期もあったのですが、今わかりました。これは、松崎天民の「記者が探訪に出掛けて、自分で種を取り、自分で文を作るやうになる」その指向性に合致していたんですね。すると、あの『三人の乞食』の不思議な組立もわかるような気がしてくる。

 
▼ 沼田仁兵衛  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:30  No.958
   彼は、最初私等の宿に来た時、その薬箱を首に懸けたまま、冷たい板間に膝を折つて、両手を突て喋り始めたのでした。
『……渡世もちまして、親分さんと申上げます。背中に負ひましたる、菰包、首に吊げましたる頭佗袋の儀は、御免なすつて、おくんなさんし。……手前儀は、浅草観音堂椽の下に住居仕る、鍋蓋取太之助の、身内で御座んす。親分様縄張内通行の節は、立寄りまする家々軒下、通り縋りの橋の下、辻堂椽の下の儀は、御免なすつて、おくんなさんし。………』
 (中略)
『お前さんは、偉いね。本職なんだ、ね。それで、俺が、その、つまり「親分」かい。』
 宿主は、(私の祖父は)薄笑ひしながら、彼を凝視て言つたのでした。すると彼は、祖父の顔を窃視て、微笑しながら言ふのです。
『今時の奴等は、誰も「礼式」を知りません。』
 そして、ひどく取澄した顔をして、空虚な咳払を一つしたのでした。
『違ひない。』
 祖父は沈んだ顔をして、独言のやうに、愁はしげな声で呟いたのでした。
 彼は、私の古股引を一足盗んで、行つてしまひました。それが、何の『礼式』であつたのか私にはわかりません。つまり『今時の奴等は、礼式を知らない」のです。
 祖父はその時、薄笑ひしながら、呟きました。
『股引の儀は、御免なすつておくんなさんし。……』
(沼田流人「三人の乞食」)

 
▼ 後志の文化  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:34  No.959
   流人ははしめ地元紙に作品を寄せるが、『小樽毎夕新聞』にのった作品が松崎天民の眼にとまり、馬場孤蝶に推薦されて『三田文学』にのる。大正一〇年二月、秋田県土崎港から、小牧近江、金子洋文らによって、雑誌『種蒔く人』が出されたとき、やはり馬場孤蝶の紹介で小説『三人の乞食』がのる。文末に一九二〇・一一・二四とあるから、二二歳の作品である。しかしこの号は発売禁止となり流人は自分の作品がのったことを知らなかった。
 これより先大正六年から、倶知安、京極間一三・五キロメートルの軽便鉄道(京極線)の敷設工事がはじまっていた。土工たちは数か所の飯場に分宿させられて、苛酷な労働を強いられていた。その飯場を人々はタコ部屋(監獄部屋)とよんでいた。流人は倶知安にいて、その慘状を見聞する。そしてこのタコ部屋を素材に、長篇小説『血の呻き』(大一二・六 叢文閣)を刊行したが、発売禁止となる。
(後志管内文化団体連絡協議会編「後志の文化 ―人と業績―)

 
▼ 小樽毎夕新聞  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:37  No.960
  流人が書いていたという「小樽毎夕新聞」は、啄木の「小樽日報」と同じく現存していません。したがって、何編くらいの作品をそこに発表していたかはもう調べようがありません。ただ、天民の眼にとまった『三人の乞食』が「三田文学」に転載されたおかげで、今奇跡的に私たちの目の前にあるわけです。やはり、探訪の指向が〈木賃宿〉や〈酒場〉にあった天民にしてみれば得難い邂逅だったのではないか。流人には〈タコ部屋〉という技もありますしね。流人の年譜で辿ると、

15歳 大正 2(1913) 尋常小学校卒業、仁兵衛の木賃宿を手伝う

19歳 大正 6(1918) 8月東倶知安軽便線、工事始まる
20歳 大正 7(1918)
21歳 大正 8(1919) 11月 軽便線、倶知安〜京極間が開通
22歳 大正 9(1920) 沼田一家、孝運寺へ/写経開始
23歳 大正10(1921) 得度(一郎→明三)/『三人の乞食』
24歳 大正11(1922)
25歳 大正12(1923) 6月『血の呻き』出版

 
▼ 茨城民報など  
  あらや   ..2023/01/23(月) 17:41  No.961
  .jpg / 18.1KB

 さて、大正三年十月の朝日新聞退社だ。
 理由は幾つか考えられる。
 前回も述べたように、当時、朝日新聞の社内では勢力争いが激しかった。
 そのゴタゴタに天民はいや気をさした。
 それから大正二年十一月に妻さく子を失なってのち、以前にも増して酒色におぼれ、生活が乱れた。
 一方で、『中央公諭』をはじめとする雑誌の売れっ子ライターとなる。
 世界を見渡すと、第一次世界大戦が始まり、日本はドイツに宣戦布告し(大正三年八月二十三日)、青島を占領する(同十一月七日)。
(坪内祐三「探訪記者松崎天民」)

天民は『新聞記者生活三十年』という一文の中で、大正三年十月の朝日新聞退社以後、「大阪の大阪新報、大阪朝日、傍ら雑誌『小天地』と『滑稽新聞』とにも関係して居た。東京では国民、東京朝日、毎夕、都、二六、中央と転々し、地方新聞では山梨民声、神戸又新、茨城民報などに関係した」と書いてますね。朝日新聞退社以後の大正四年からは、いわばフリーランスのジャーナリストみたいな形で全国どこでも自由に動けたのでしょう。『三人の乞食』以来の親交なのかもしれないし、「茨城民報など」の「など」の部分に函館新聞なんかが絡んで来るのかもしれない。








     + Powered By 21style +